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編集後記
私が大学生だった頃、毎日のようにテレビでボートピープルのニュースが報じられていました。ベトナムから小さな船に乗って大海原を木の葉のように揺れながら、やっとの思いで日本の領海にたどり着いた人々のニュースでした。どれだけの人々が海で命を落としたことでしょう。そして、その危険を賭しても新天地に逃れたいという気持ちは、日本に到着してから報われたのでしょうか。
2010年、日本はミャンマーから難民を正式に受け入れました。彼らはこれから日本でどのように生活をしていくのだろうかと考えるうちに、30年前に日本にやってきたベトナム難民の人々の生活をぜひ知りたいと思うようになりました。
日本に帰化した人、家族を呼び寄せた人、ベトナム籍にこだわる人、帰化したくても法律の壁で帰化できない人、米国やオーストラリアに移住した人、また、移住したけれどアジアのほうが住みやすいと戻ってきた人、百人百通りでした。そして、それぞれ違いはあるけれど、皆たくましく生きていました。今という時間を、精一杯生きていました。
国連難民高等弁務官駐日事務所の全代表、滝沢三郎さんは、「大切なことは、国の支援、地域自治体の支援、さらにコミュニティーのNGOなどの支援がうまく回っていくこと」とおっしゃっていました。日本はいつの間にか多文化共生の社会になってきています。取材をしながら痛感したのは、まだまだ企業や行政など外国籍の人々の生活を支える雇用面で理解が足りないことです。それと同時に、地域では少しずつ理解の我が広がっていることも知りました。そして、スポーツが相互理解のために大きな役割を担えることもよくわかりました。
社会の中で生きる人間、そして、その中でスポーツが果たす役割などをこれからも見つめていきたいと思っています。 |