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8月24日 プレイバック・報道ステーション企画その6
『小平奈緒』

 


奈緒さんが始めてスケート靴を履いたのは3歳のときです。

いつしかスケートに魅せられ、リンクに蛍の光が流れるまで練習するようになっていました。

「Go to the start!」

奈緒さんの横にはいつもお父さんの姿がありました。

「Ready go!」

「父親がスケートのことを知らない人だったので、教えられることがなかったんですね。だから同じ目線に立って、こうやってみたら速くなれるんじゃないかなとか、堀井学さんの滑りとかを見て、手を大きく振ってみようとか、」

奈緒さんは、自分で考えながらすべる面白さや楽しさを、お父さんから教えてもらったのです。


 

11月初旬、ドイツのベルリンから始まったワールドカップの転戦は、
オランダ、カナダ、アメリカと、40日間に渡ってつづけられました。
選手、スタッフ合わせて総勢42人での移動です。

小平さんにとって、これだけ長い遠征は初めてのことです。
みるもの聞くもの、すべてが新鮮です。


  

  

  

標高が高く、空気抵抗の少ないカルガリーのリンクでは、未知のスピードに挑戦します。

ポイントはコーナリングです。
スピードに負けて振られそうになりながらも、懸命に踏ん張ります。
この半年間、練習してきたイメージを追いながらのレース。

一本目が37.80で自己新記録をマーク。順位は6位。
二本目が37.94で4位。
二本滑って、二本とも37秒台の自己ベストの安定したタイムは大収穫です。

小平:「去年の自分では考えられないタイムなんで、ひとつ殻を破れたと思います。」

外国メディアからも注目が集まり、インタビューを依頼されたり、準備風景を撮影されたりと、小平さんに対する世界の評価が確実に変わってきているのがわかりました。

試合でたくさん友達を作っておいでと送り出してくれたお父さんのアドバイスで、
友達の輪も広がります。中国や韓国の選手とも言葉を掛け合います。

小平:「三ヶ国語で、韓国語と中国語と日本語で、調子いいねとか言い合ったりして。」


  

  

  

とにかくすべてが楽しくて仕方のない小平さんですが、やはり遠征の疲れは出てきます。

小平:「今、本当に日本に早く帰りたいですね。」
宮嶋:「まだ試合ありますね」

蓄積する疲労と戦いながら、最後のワールドカップの開催地、米国のソルトレイクシティーに乗り込みます。

記録を狙える高速リンクでの試合に備えて、体をリフレッシュさせようと、小平さんは、ただひたすらストレッチと、基本運動を繰り返しました。3日間も氷に乗らないのは、初めてのことでした。


 

12月11日、

じっと我慢で、氷に乗らずにいたのが功を奏したのか、心身ともにリフレッシュ。
この日、500mで、いきなり日本新記録をマーク。

そして11月13日
万全の体調で1000mに臨みます。

相手は、今シーズン無敵の強さを誇るカナダのネスビット。

ワールドカップの転戦を経て、徐々に進化してきたコーナリング技術、体を前に投げ出すようなフォームで、高速リンクのスピードにも対応できるようになっていました。

コーナリングの進化で、1秒以上自己ベストを更新する1分14秒17をマーク。
小平さんは得意種目の1000mで3位に入ったのです。


 

小平:「もっと出せるという感覚が今日はあったので、次ももっともっと上を目指してがんばっていきたいとおもいます。」

今から12年前、小学生だった奈緒さんが眼にした長野オリンピック、

小平:「長野オリンピックで岡崎さん、清水さんのすべりを見て本当に感動したので、私が今度は、泣けるくらいの感動を与えたいなと思っています。」


小学6年生のときからずっと夢見ていたあの舞台、
いつかはオリンピックの舞台へ、
あの日の夢がもうすぐ花開きます。


  


  



オリンピック出場に向けて、小平奈緒、GO to the start Ready GO!




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編集後記

今から9年前、当時中学生だった小平奈緒さんとレース後のミックスゾーンでこんな会話を交わしました。

宮嶋:「小平さん、急成長ですね。がんばってね」

小平:「あっ、いつも聖子さんや岡崎さんの番組見ています。いつか私も宮嶋さんに番組を作ってもらえるようになりたいと思っています。」

他愛のない会話だったのですが、私は強烈に覚えています。
小さいスケーターたちはこうやってモチベーションを作っていくのだと、テレビの仕事の責任を感じた瞬間だったからです。

夢が実現になっていく、選手の成長を見られる取材者冥利に尽きる仕事のひとつでした。


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