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6月14日
6/14   クロアチア編(2) 「 続・クロアチアの強さの秘密に迫る」



港町リエカをバックに記念撮影

(クロアチアリーグの首位対決、ディナモ・ザグレブ対リエカの試合を取材してきました。)

前回はクロアチアの人々にとって、「サッカー」が如何に大切なものであるかをお伝えしました。
第2弾は、クロアチアの人々にとって、「サッカー」がどんな存在であるかに焦点を絞って、お伝えします。

今回の取材では、旧ユーゴ代表監督を務め、90年W杯でベスト8に入った実績を持つ、現ジェフ千葉のオシム監督(サラエボ生まれのクロアチア人)に話を聞くことができました。
民族問題という火種を抱えながら、ユーゴスラビア最後の監督としてチームを率いた、オシム監督ならではの「珠玉の言葉」が聞けました。
 
Q. クロアチアを含む旧ユーゴ諸国にとって、サッカーとは如何なる存在ですか?
A. サッカーは貧困から抜け出そうとする若者にとっては、今やただ一つのチャンスです。
地域によって、多少の差はありますが、政治、及び経済的な問題が山積みの状態から脱出しようとする若者は、サッカーでそのような状況から脱出しようとするのです。
一方、サッカーを観戦する者にとっては、旧ユーゴ諸国がバラバラになって以降、どこの国を応援するかが問題になります。
政治家にとって、少なくとも今のような民族対立が続いている間、「サッカー」は利用できる価値があるわけです。

サッカーに夢中になっている間、人々は失業や社会保障の不十分なこと、子供の食費が足りていないこと、子供を学校にやれないことなど、心配事を忘れることができる。
サッカーに夢中になっている間は、平和なんです。
しかし、W杯が終わり、サッカーの放送がなくなると、諸問題を思い出し、心配しなくてはならなくなる。
人々は「サッカー」によって、様々な困難を忘れることができる。
または、「サッカー」を使って忘れようと努力するわけです。
サッカーの試合中、どこかのチームを応援したり、監督の采配を批判したりすることで、大会後に待っている、辛い生活を一時的に忘れることが出来るんです。
多くの人々にとって、日常生活が苦労ばかりで毎日の生活が週末のサッカーを見るためだけに存在する、言い換えれば、週末のサッカーの試合を見るためだけに、今日の苦労に耐えることができる。
そういう存在がサッカーなのです。


クロアチアリーグ取材
 
Q. 人々の生活の中に、自然とサッカーが入り込んでいるんですね?
A. 単なる生活の一部というよりも、不可欠の一部です。
クロアチアを含む旧ユーゴ諸国では、サッカーが日常生活の中心にあるのです。
文化の柱になっていると言えます。
特に旧ユーゴ諸国では、理想的な生活が出来ない条件にありますから、サッカーなしでは生活は成り立たないのです。

私が取材に行ったときに、クロアチアで最も有名なクラブであるディナモ・ザグレブの創立95周年のパーティーが行われていました。
ディナモ・ザグレブには、かつて三浦和良選手も所属したことがあります。
クロアチアでは驚くべきことに、95年前にすでに、サッカーチームが設立されていたのです。


満員のスタンド

日本とクロアチアでは「サッカー」の文化に対する浸透度は異なります。
「サッカーなしでは生活は成り立たない国の代表チーム」と戦う日本代表。
6月18日、日本対クロアチア。
我々は、クロアチアが築きあげてきた「サッカー文化」とも対峙しなければならないのかもしれません。


スタジアムのレストランからはアドリア海が見える


リエカのスタジアムは絶壁とアドリア海に挟まれた造りで荘厳
 
 
    
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