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6月13日   ワールドプロレスリング実況四銃士の闘魂コラム#77
〜魔界倶楽部復活!〜

魔界倶楽部がついに復活します。
魔界倶楽部とはなんぞやという方も多いと思いますので、
ここに説明を付け加えます。

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 【出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)】

 魔界倶楽部(まかいくらぶ)は、かつて新日本プロレスに登場した
 プロレスラー集団。アントニオ猪木を神とあがめ、
 自分たちこそ真の闘魂継承をうたう星野勘太郎を総裁とし、
 ヒールレスラーが多い。安田忠夫も所属していた。
 一時ボブ・サップが加入したがすぐに脱退。
 2002年8月8日に広島にて行われた新日本プロレスの興行にて初登場。
 2004年9月に活動休止。
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この魔界倶楽部が復活するのです。
このニュースを聞いたときに、
ある一つの悪夢が私の脳裏をよぎりました。
私、実は魔界倶楽部には未だ消すことのできないトラウマがあるのです。
今日はその私の心の奥底に五寸釘のように深く突き刺さった
トラウマについて、語ろうと思います。


ワールドプロレス史に残る魔界倶楽部が復活!!吉野どうする?

この魔界倶楽部が復活するのです。
このニュースを聞いたときに、
ある一つの悪夢が私の脳裏をよぎりました。
私、実は魔界倶楽部には未だ消すことのできないトラウマがあるのです。
今日はその私の心の奥底に五寸釘のように深く突き刺さった
トラウマについて、語ろうと思います。

それは2004年2月15日に行われた両国大会に起きました。
通常、「ワールドプロレスリング」の収録が行われるときは、
試合開始時間の3時間前には現場に集合し、
リングの傍でウォーミングアップをしている選手に取材をします。

この日もいつもと同じように実況を担当する選手に事前取材をしていました。
すると、突然、ある一人のレスラーが私のすぐ傍で取材をしていた、
中丸アナのところに凄い剣幕で詰め寄りました。


レスラー 「このあいだの札幌で試合後、高山善広にインタビューしたのは、お前!?」

中丸アナ「え、試合後のインタビュー!?」

レスラー 「そうだよ!!高山にインタビューした人間を探しているんだよ!!」

中丸アナ「あ、それは吉野ですね。」

レスラー 「吉野って、どいつ!!今、居る?」

中丸アナ「えっと、あいつですけど。」


私は傍目に見ていて、
本能的に自分の身に危険が迫っていることを瞬時に感じました。
中丸アナが私を指差した瞬間、そのレスラーは
獅子が獲物を追うかのごとく、私目掛けて猛ダッシュしてきました。


レスラー 「お前!!札幌で高山にインタビューしたとき、
なんで俺の名前を出したんだ!!」

吉野 「え、なんのことを言っているのか、良く解らないのですが。」

レスラー 「お前、試合後のインタビューで俺が次にベルトに
挑戦するみたいなこと言っただろ!!」

吉野 「あ、ハイ、確かにそういう質問はしました。」

レスラー 「なんで勝手なことを言うんだよ!!
俺がいつベルトに挑戦するって言ったんだよ!!
俺は一言もベルトに挑戦するなんて、言ってねえ。
お前、何考えてんだ!!ちょっと、裏来いよ!!」

吉野 「え、え、ちょっと待ってください。」

レスラー 「いいから来いよ!!」


私はそのまま、レスラーに腕をつかまれ、
両国国技館の薄暗い通路に連行されました。
そのレスラーとは当時、魔界倶楽部のメンバーで
魔界4号として活躍していた、柴田勝頼選手でした。
事の顛末を説明するには、その日から2週間前に行われた
2月1日の札幌大会まで遡ります。

その日は、当時の王者組であった、高山善広・鈴木みのる組の
IWGPタッグベルトの防衛戦が組まれており、
防衛に成功した高山・鈴木組に私は試合後にインタビューしました。
そして、私は質問の最後に、
次の挑戦者には魔界倶楽部のメンバーである
村上一成・柴田勝頼組と言われていますが、
それについてどう思いますか?という質問をしました。
すると、高山選手はこう言い放ちました。

高山 「柴田、挑戦したいなら自分で来い!
なんであいつは直接来ないんだ!!俺が怖いからだろ。」

この高山選手の挑発的なコメントに柴田選手が激怒し、
高山選手に質問をした私にその怒りの矛先が向けられたのです。

私は連行されながら中丸アナがきっと助けに来てくれるに違いないと
確信していましたが、中丸アナはただ、
遠巻きに私が連行されるのを憐みの表情で見つめていました。

私は薄暗い廊下で懸命に柴田勝頼選手に、
なぜ、自分がその質問をしようと思ったのかを説明しました。
全く無駄の努力でした。
私は作戦を変えました。ただ、ひたすら、柴田選手に謝り続けました。
そして、15分ほど経過したところで、
ようやく、柴田選手に許してもらいました。
その場はそれで事無きを得たのですが、
本当の悪夢はこのあと起きました。

その日の柴田選手は魔界4号として試合に臨んでいました。
運悪く、その日の試合後、
柴田選手にインタビューするのは私の担当でした。
私は身体中の勇気を振り絞って、
魔界マスクを被った柴田選手にマイクを向けました。
すると、柴田選手は無言のまま、私を押し倒し、
馬乗りの体勢から私の顔面に軽く平手打ちを2回しました。
そして、持っていたペットボトルの水を私の首元に流しはじめました。
私は倒れたまま、ずぶ濡れになりました。
こうして私は「魔界倶楽部のトラウマ」を背負ってしまうことになりました。

その後、柴田選手とは取材を通じて完全に和解し、
今でもたまにですが、食事に行くなど、
仲良くお付き合いさせてもらっています。
柴田選手が新日本を去った今でも私は柴田選手を応援していますし、
再び柴田選手が新日本のリングで闘うことを強く願っています。

叶うならば、新生「魔界倶楽部」に、
あの暴れん坊の魔界4号が再び戻ってくることを祈念しています。


あの名ゼリフも帰ってくるのか!?
 
 
    
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