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10月7日 北朝鮮紀行 その2

私は今年の3月、W杯最終予選を中継するため、12日間にわたり北朝鮮に滞在しました。
しばらく時間がたちましたが、その滞在をコラム形式で振り返りたいと思います。
前回は北朝鮮入国までの出来事をお伝えしましたが、今回は私達が北朝鮮に滞在した12日間、ガイドとして行動を共にしてくれた人達を紹介します。
  北朝鮮のガイドさん達
 
金日成スタジアムにて

空港の税関を通過すると、突然、日本語で男性が話し掛けてきました。
「テレビ朝日の方ですか?」
「ハイ。」
「あのバスに荷物を積んで下さい。」

指示どおり、私たちは指定されたバスに個人のスーツケースや放送機材等を運びました。
かなり重い放送機材の運搬を、バスの運転手やガイドさんたちが率先してやってくれました。
そして、荷物を載せたバスとは異なる別のマイクロバスに全員が乗り、荷物を載せたバスとともに、空港からホテルに向かいました。
そのバスにはテレビ朝日のスタッフ7名と北朝鮮のガイドさん3名が乗り込みました。

我々を日本からアテンドしてくれた在日朝鮮人の方は空港まで高級外車が迎えにきており、その車に乗り込んでいきました。この時もそうですが、朝鮮総連の関係者は北朝鮮では厚遇されており、北朝鮮における朝鮮総連の経済支援が強大であることを感じました。

バスの中で、今回のテレビ朝日訪朝団を担当するガイドさんの自己紹介がありました。
彼らは「対外文化連絡協議会」いわゆる「対文協」という組織に属し、主な仕事は北朝鮮を訪れた外国人のガイドということでした。
実際は通訳兼監視役で、私がリポートをする際にはこの3人が交代で、目の前でメモを取りながら内容をチェックしていました。

ガイドさんは男性3名で、李さん、リャンさん、オウさんと言いました。
責任者は李さんで、年齢は40歳前後、小泉訪朝の際には空港の日本メディアを担当する総責任者だったそうです。
共同通信の記者が彼らのガイドから聞いた話によると、李さんは管理職を除いた実務者のナンバー1で、過去に日本のマスコミ対応のキャリアもあるので、一番人数の多いテレビ朝日を担当することになったそうです。

★李さん
李さんは、非常に流暢な日本語を話し、平壌外国語大学の日本語学科を卒業したということです。
帰国者の人達から日本語を習ったそうで、3人の中では最も流暢に日本語を話せる人でした。日本には朝鮮総連の招待で3回来たことがあるといい、日本の文化にも精通しており、
私との会話の最中に「吉野さん、それは上一段活用ですね。」と言ったのは驚きました。

学生時代には「小林多喜二の蟹工船」や夏目漱石等の作品も読んでいたそうです。
社会主義を標榜する北朝鮮だけに日本のプロレタリア文学にも精通していました。
大の酒好きで、酔っ払うと日本語と朝鮮語を織り交ぜた駄洒落をいいます。
私も北朝鮮の代表的な駄洒落をいくつか教えてもらいました。
また、北朝鮮の宴席で一番盛り上がるのは「下ネタ」です。
これには理由があって、「下ネタ」は万国共通、かつ、思想がなく、個人の考えも反映できるからです。

★リャンさん
リャンさんは年齢35才、柔らかな物腰の人で2児の父親。
お子さんの話をすると目が輝き始めるほどの子煩悩で、人柄の良さが滲み出ている人でした。
リャンさんも平壌外国語大学の日本語学科を卒業したそうです。
ただ、リャンさんの世代はすでに先生が帰国者ではなかったためか、クセのある、ぎこちない日本語を話します。ただ、非常に勉強熱心で、私の発した日本語で意味のわからない言葉があると 小まめにメモを取っていました。
最後にはリポートをする私を見て、「吉野さん、スゲー。」と言っていたのは笑いました。

★オウさん
オウさんは30歳ぐらいで、他の二人のガイドさんとは異なり、かなり思想的なことまで踏み込んでくるキレ者タイプの人でした。オウさんも平壌外国語大学の日本語学科を卒業したそうです。今までに3回、日本政府に対してビザを申請したが、いずれもビザがおりず、日本に行けなかったと話していました。
会って最初の会話が
「今、日本で朝鮮のことで話題になっているのは、捏造された横田めぐみの遺骨問題ですか?」という質問でした。

また、私が生放送でリポートする時には必ず、オウさんが近くにいて内容を吟味していたのも印象的でした。イラン戦後の騒動の際は、「これ以上の取材は国民感情を逆なでする!!」と話し、リポートを途中で打ち切るよう求めるなどの発言もありました。

3月26日まではこの3人のガイドが私達の通訳兼監視役として常に行動を共にしていました。3月29日からスタッフが1名遅れて平壌に入るため、27日からはもう一人、キムさんという若い女性のガイドさんがつくことになりました。

★キムさん
キムさんは25歳で、平壌外国語大学の日本語を卒業したばかりの新米ということでした。
バスの中では、松本清張の「零の焦点」を読み、日本語の早口言葉やイロハ唱を正確に言う等、勉強熱心な女性でした。
幼い頃には金日成主席の前で3回もミュージカルの主役を演じたそうです。
幼い頃は朝鮮舞踊と民謡を専門に勉強していたというだけあって、歌唱力は抜群でした。
バスの中でアカペラで「アリラン」を唱ってもらいましたが、オペラ歌手のような歌声でした。

容姿端麗で、ヒューゴ・ボスのバッグを持つなどエリート階級であることが如実にわかりました。父親はロシア語の専門家で、母親も外国語の専門家、妹は金日成総合大学で英語を専攻している学生さんとのことでした。ちなみに、金日成総合大学は金正日総書記も卒業した北朝鮮の東大ともいえる名門大学です。

基本的にガイドさん達は私達の質問には丁寧に答えてくれました。時にはそんなことまで話してくれていいのかな?と疑問に思うことまで話してくれました。たとえば、ピョンヤン市内には石炭を使用した火力発電所が2箇所あるが、たまに停電するなど。

また、到着した日の夜にガイドさんから私達のスケジュールを言い渡されました。
例えば、23日午前中は革命記念展示館観光で、午後はチュチェ思想塔見学といった具合に滞在中の全てのスケジュールがすでに決められていました。決められたスケジュールは基本的に「北朝鮮の偉大な革命の成果」を誇示する建物を見学する観光が主で、中継当日の午前中まで観光スケジュールが入っていました。

これに対しテレビ朝日は訪朝団の団長が、平壌からの中継作業が如何に困難なことであるかを説明し、中継作業が円滑に行われることを最優先してスケジュールを組み直してもらうよう要望を出しました。その際、北朝鮮当局が私達の観光スケジュールを長期間に渡って組むことが如何に困難な作業であるかを理解しているし、感謝もしているという気持ちは伝えました。事実、日本のメディアが12日間にわたり滞在するのは異例で、それに伴う関係各所と連携したスケジュールの調整は私達が想像している以上に大変なことであると思いました。

ガイドさん達との会話で困ったことは頻繁に私の政治的な立ち位置を尋ねられることです。
例えば、「吉野さんは拉致問題についてどう考えていますか?」
      「自民党の安部という政治家をどう思うか?」
このような政治的な質問に関しては個人の意見をテレビ朝日の意見として捉えられる可能性があったので、徹底的にはぐらかしました。

この時点では、まだ6月8日に平壌で「北朝鮮対日本」が開催される予定であったので、私達は何より、6月8日の「試合の中継」を最優先に考え、個人の思想や、政治的な立ち位置は曖昧にしておきました。私が恐れていたのは、私の発言が北朝鮮当局を刺激し、その結果、6月8日の平壌からの中継に何らかの支障が出てしまうことでした。
我々は今回、あくまでスポーツの取材で来ていることを強調し、理解を求めました。

最後に、空港でガイドさん達と別れる時はやはり寂しさを覚えました。
滞在中ほとんどの時間を共有したため、「情」が生まれていたのだと思います。

次回は、我々が滞在したホテルについてのコラムを予定しています。
 
 
    
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