「迷宮の扉」の取材はタフです。
肉体的にも精神的にも、かなりの強さが求められます。
しかし、その現場には、貴重な「経験」という宝物が埋まっています。
時々、大きな宝物を掘り当てる事があります。
それは、「新事実」や「とくダネ」の場合もありますが、
言葉の使い手としてのアナウンサーにとっては、これ以上無い貴重な「経験」です。 |
松山で。 |
アナウンサーは言葉のプロです。
正しい日本語を使い、わかりやすく視聴者の皆さんに情報を伝える努力をしています。
しかし、その言葉がどのように受け止められているのか、
視聴者の表情や反応を見たり感じたりすることは出来ません。
事件取材の現場は、その対極にあります。
目の前にいる取材相手との、一対一のやりとりです。
誠意をこめて語りかけますが、快く取材を受けてくれるとは限りません。
むしろその逆が多く、取材が困難な場合があります。
重要な情報を知っている人ほど、話すのをためらうことがあるのです。 |
話してもらうのは大変。 |
被害者遺族は事件に巻き込まれ、ひどく傷ついています。
とても取材を受ける心境でないのは、よくわかります。
「取材や放送はしないでほしい」と涙ながらに訴えられたこともありました。
しかし、そのような遺族が、「いいですよ。それなら話しますよ。放送してください」と、気持ちを翻してインタビューを受けてくれることがあります。
「いままで誰にも言わなかったけど、話してもいいよ。本当はね・・・」
と新事実を教えてもらったこともありました。
放送後、「きちんと取り上げてくれてありがとう。放送してくれてよかった」
と電話をもらったこともありました。
それまでの報道では、
「容疑者の一方的な供述だけで、被害者の言い分が全く伝えられていない。
被害者は死んでしまっているから、言いたいことがあっても言うことができない」
と、遺族は、やり場の無い怒りを胸に秘めていました。
そして、インタビューで初めて真実が語られたのです。 |
真相は・・・。 |
私達は、取材によって遺族や関係者の心の傷を、
さらに広げるような事になるのではないかと絶えず危惧しています。
私達に事件の話をすることは、再び辛い思いをしなくてはならないからです。
取材後、被害者遺族に
「自分達の言いたい事、本当はこうだったのだ、という事をきちんと放送してもらって、少し無念な思いが晴れた気がする」
と言われた事がありました。
私達が取材し真相を報道することで、
時には、事件で親族を亡くした家族の心の傷を、
ほんの少しだけ、癒すお手伝いが出来る事もあるのだと、知らされました。
また、真相を知る人が
「今まで黙っていたことを話せて、肩の荷が下りた」と、
「黙っていることが苦しかった」とほっとした表情を見せることもありました。
このような取材を通じて
「まだまだ未熟な自分が発する言葉にも、心を動かしてくれる人がいるのだ」
と教えられました。 |
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これが、この仕事を続けてこられる理由、
「迷宮の扉」の取材だからこそ得られる「貴重な経験」です。
取材は「真実を伝える」だけではなく、もっと深い意味もあるのだと知りました。
事件取材の現場では、「言葉の力」を痛感します。
「心の底から発する言葉は、人の心に届く」ことがあるのです。
一方で、どんなに格好のいい言葉を並べ立てても、
空疎な言葉は、相手の心にまで届くことはないことを思い知らされました。
取材に使える、「人の心を動かす魔法の言葉」なんてありません。
もちろん、このケースはこうすればいいというマニュアルもありません。 |
取材は自分が試されます |
初対面の人にどう声をかけ、どう協力をお願いするのか。
毎回、私の「人としての力量」が試されているのだと思っています。
相手の気持ちを察し、それに合わせて、こちらの声の大きさ、トーンを合わせます。
語り口も柔軟に変えていきます。
丁寧語よりも、普段着の言葉を選ぶこともあります。
話の展開の仕方も変えます。結論を先に伝えるのか、順序だてて説明するのか。
全神経を研ぎ澄ませて、相手の人となりを感じ取り、
その人に合わせた方法を考えます。
これらは、自分の口から発する生の「言葉」でのやりとりです。
事件に関する重要人物との交渉は、
アナウンサーとして最も精神力を傾け、言葉を選び、勝負する場面です。
心から発する本気の言葉。その「言葉の力」を信じて、取材を続けています。 |
武田信玄像前で。 |