今年僕は、2度カンボジアを訪れました。
1度目は6月に、「黒柳徹子さんのユニセフ特番」で孤児院の取材に。
2度目は9月に、その夏休みを利用してプライベートで孤児院に遊びに。
「クルサーリリエイ」
カンボジアの言葉で「幸せな家族」という意味の名がつけられた孤児院には、
多くの幸せが溢れていました。
それを振り返らずして、年は越せません。 |
みんなのおかあさん・トーラエムさん。
なかなか美味い昼ご飯
洗濯ものを干す横で |
1度目の訪問では、生活体験リポートを行いました。
2度目の訪問では、一緒に生活してきました。
リポートをしたかどうか、そこに大きなカメラがあったかどうか、の違いのみです。
真夏のカンボジア。子供たちとの生活は、汗とハグとミネラルウォーター。 |
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「しんぺー」僕の名前は覚えやすく呼びやすいのでしょうか。
子供たちはすぐにそう呼んでくれるようになりました。 |
逆ですが・・・
しっかりもので照れやさんのカウン。 |
カウンは勉強熱心。でも数学が苦手。 |
帽子をかぶったラターは、いつも遊びの中心。お兄ちゃん的存在。 |
寝る。起きる。食べる。遊ぶ。走る。こける。泣く。怒る。喧嘩する。すねる。 |
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笑う。抱きしめる。照れる。手伝う。叱る。謝る。勉強する。協力する。 |
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ここには、たくさんの感情が溢れていました。
人間らしい温もりがありました。
「おかあさんを幸せにしたい」子供たちは口を揃えてそう言いました。
「子供たちに幸せになってほしい」おかあさんはいつだって笑顔でした。 |
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幸せとは?
それは、目に見えるものなのでしょうか。
それともそれは、目に見えないものなのでしょうか。
幸せは、与えるでもなく与えられるでもないもの。
幸せは、つかもうとするもの。求めようとするもの。
例えば「サンタさんから欲しかったプレゼントをもらったという事実」は、
確かに物質的な幸せを運ぶでしょう。
しかしそれ以上に「待ちわびていたサンタさんが、自分のもとにも来てくれた」
そう思えた瞬間にこそ、本当の幸せを感じることが出来るのだと思うのです。 |
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僕は、完全さを求める強い人間よりも、不完全さを許せる温かい人間の方が、
ずっとずっと素敵だと思っています。
子供たちとおかあさんは、至極後者に近かった。
互いを尊重し、自発的に幸せを求める子供たち。
豊かな気持ちで暮らす大きな家族は、
まさに「クルサーリリエイ」そのものだったと、強く確信しています。 |