前の記事を読む 次の記事を読む  

トップ > パーソナルトップ > プロフィール トップ > エッセイバックナンバー
 
 
12月26日 カンボジア訪問

今年僕は、2度カンボジアを訪れました。
1度目は6月に、「黒柳徹子さんのユニセフ特番」で孤児院の取材に。
2度目は9月に、その夏休みを利用してプライベートで孤児院に遊びに。

「クルサーリリエイ」
カンボジアの言葉で「幸せな家族」という意味の名がつけられた孤児院には、
多くの幸せが溢れていました。
それを振り返らずして、年は越せません。


みんなのおかあさん・トーラエムさん。






なかなか美味い昼ご飯


洗濯ものを干す横で

1度目の訪問では、生活体験リポートを行いました。
2度目の訪問では、一緒に生活してきました。
リポートをしたかどうか、そこに大きなカメラがあったかどうか、の違いのみです。

真夏のカンボジア。子供たちとの生活は、汗とハグとミネラルウォーター。

 






「しんぺー」僕の名前は覚えやすく呼びやすいのでしょうか。
子供たちはすぐにそう呼んでくれるようになりました。


逆ですが・・・


しっかりもので照れやさんのカウン。

カウンは勉強熱心。でも数学が苦手。


帽子をかぶったラターは、いつも遊びの中心。お兄ちゃん的存在。

寝る。起きる。食べる。遊ぶ。走る。こける。泣く。怒る。喧嘩する。すねる。


笑う。抱きしめる。照れる。手伝う。叱る。謝る。勉強する。協力する。


ここには、たくさんの感情が溢れていました。
人間らしい温もりがありました。

「おかあさんを幸せにしたい」子供たちは口を揃えてそう言いました。
「子供たちに幸せになってほしい」おかあさんはいつだって笑顔でした。




幸せとは?

それは、目に見えるものなのでしょうか。
それともそれは、目に見えないものなのでしょうか。

幸せは、与えるでもなく与えられるでもないもの。
幸せは、つかもうとするもの。求めようとするもの。

例えば「サンタさんから欲しかったプレゼントをもらったという事実」は、
確かに物質的な幸せを運ぶでしょう。
しかしそれ以上に「待ちわびていたサンタさんが、自分のもとにも来てくれた」
そう思えた瞬間にこそ、本当の幸せを感じることが出来るのだと思うのです。


僕は、完全さを求める強い人間よりも、不完全さを許せる温かい人間の方が、
ずっとずっと素敵だと思っています。
子供たちとおかあさんは、至極後者に近かった。
互いを尊重し、自発的に幸せを求める子供たち。
豊かな気持ちで暮らす大きな家族は、
まさに「クルサーリリエイ」そのものだったと、強く確信しています。
   
 
    
前の記事を読む 次の記事を読む  

トップ > パーソナルトップ > プロフィール トップ > エッセイバックナンバー