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12月25日 早稲田が繋いだ襷と○○!!

2008年11月2日。伊勢路。全日本大学駅伝。
3連覇を狙う王者駒澤と、復活をかける早稲田の一騎打ち。
偽りなき真剣勝負は、レース終盤にようやく決着がつきました。
駒澤の3連覇。しかし早稲田の粘りも見事だった。
それらは、我々の胸を熱くさせました。
両校が演じたノンフィクションのドラマの中に、
実は「野上慎平」にまつわるもう一つのドラマが存在していました。
それを振り返らずして、年は越せません。

「全日本大学駅伝」で僕は第6中継点の実況を担当しました。
「駅伝初実況」でした。

当日、落ち着いていられず集合時間の2時間前に一人現地に到着しました。
選手は誰もいませんでした。間もなくレースはスタートしました。
同時に、喉が乾きました。水をたくさん飲みました。
中継点に設置された特設トイレに何度も行きました。
自分の実況のイメージばかりが先行していきました。
そんな中、母校・早稲田の快走は続いていました。


僕は2007年に早稲田大学教育学部を卒業しました。
成績は「可か不可か」あまり優秀な学生ではありませんでした。
でも早稲田が大好きなのは、出会った人に恵まれたからだと思っています。
大学1年の終わりでした。学部の友人3人と「たらみ部」というサークルを作りました。
スポーツして汗をかいて、
その後「たらみというフルーツたっぷりのゼリーを皆で食べようや」という
ゆる〜いサークルでした。
管理も行き届かぬ適当なサークルでしたので、
多くの人が「入部」し知らぬ間に「退部」していきました。
ただ一時は所属人数80人を超える大集団になりました。
3年続けばいいと思っていましたが、今もなお存続し、
むしろ以前より活動機会が増えています。奇跡です。


さて、舞台を伊勢路に戻します。
大好きなエンジの快走は、
自分が担当する第6中継点を前にしてもとどまることを知りませんでした。
ゴールまで残り約30km。
終盤を迎えてもなお、中継点に、先頭で早稲田が入ってきたのです。
早稲田の6区は、4年生の朝日という選手。
一般入試で入学した教育学部の学生で、
4年生にして初めて駅伝を走ったランナーでした。
後ろから迫りくる駒澤大学との差は3秒差でした。
それでも早稲田の先頭を伝えられた僕の興奮は、声になって表れました。
「4年生朝日・初めてのタスキ渡し。エンジが、トップで襷を繋ぎました。」
それは、実況というよりも、むしろ絶叫でした。

それから約20分。中継点の実況を終え、携帯電話を見ました。
学生時代の友人からたくさんメールが届いていました。
その中の一つに「たらみ部」を立ち上げた3人のうちの1人「あつし」からのメールが・・・。
その内容により僕は「もう一つのドラマ」を知ることになるのです・・・。



「早稲田の6区走った朝日は、
1年の頃たらみ部にちょくちょく顔だしてくれてた奴だぞ!(笑)
びっくりした!全国ネットで、たらみ部、夢の共演だな!!」

「え?えぇぇぇ!!?」
ぐるぐるとまわる、記憶の糸を手繰り寄せました。

3年半前。僕が大学3年の春のことでした。
たらみ部で開いた飲み会に、一人の青年の姿があったことを思い出しました。
その青年は確かこんな風に話していました。
「陸上部に入りました。早稲田で駅伝を走るのが夢です。
ただ部活だけじゃなくて、こういう学生っぽいこともしたいんです。
練習ない時は来てもいいですか?」
ゆるさこそが信条の我々が、断るはずもなくもちろん大歓迎。
少し控え目に見えながらも、でもお酒が大好きなその男は、
素敵な瞳をしていました。
奥底にはお祭り男の匂いが漂い、
楽しいことが好きそうな「僕らに似ている空気」がありました。
そしてその男の名は「朝日」
確かに「朝日です」そう言っていたことをはっきりと思い出しました。

その後、陸上が忙しくなった朝日は、たらみ部に顔を出すことはありませんでした。
それでも最初の頃は
「陸上部の練習があってたらみ部に顔出せなくてすみません。」などと
律儀にメールまでくれていました。


あれから3年半、僕と朝日は、全日本大学駅伝第6中継点で再会しました。
僕は喋り、朝日は走りました。互いに全身全霊をこめて。
夢の延長線上に、僕らの再会がありました。

朝日よ。あれから君は、何千キロの距離を走った?
君が遂に叶えた夢の舞台「初駅伝」を、僕は「初実況」した。
そんな想いを伝えたくて、気付いたら朝日のもとへ駆け寄っていました。


早稲田大学・朝日選手と。

たらみ部に参加出来ず、さらに連絡も出来ず申し訳なかったこと。
4年目で初めて駅伝メンバーをつかんだこと。
「野上さん」がアナウンサーになったことに驚いていること。
またあのメンバーで飲みたいこと。

朝日がバスに乗り込むまでの短い時間にこんな話をしました。
そして最後に「絶対に飲みに行くこと」を誓いました。



11月某日。
3年半前のあの日、飲み会で出会った僕らと朝日は、
やはり飲み会で再会しました。
メンバーは、「あつし、中沢、僕」たらみ部を立ち上げた幹事長と部長とキャプテン。
そして「朝日と竹澤」北京五輪代表のランナー、
早稲田のスーパーエース竹澤選手も来てくれました。

この日一瞬で僕は、アナウンス部の野上さんから、
たらみ部の野上さんに変わりました。
そして同時に、早稲田の朝日選手から元たらみ部の朝日に変わりました。
さらに早稲田のエース竹澤選手から、早稲田の後輩のたけちゃんに変わりました。

朝日は「皆さん変わってなさすぎです。」と言いました。
たけちゃんは「たらみ部に入りたい。」と笑いました。
僕らは「早稲田が大好きだ」と酔いました。


右から、朝日、たけちゃん、僕、中沢。撮影者はあつし。

楽しい夜でした。


一つの学び舎で僕らは出会い、熱を生み、未来を想像しました。
不確かなものに向かってひたすら走り、
確実なものを、ほんの一つだけ手に入れました。
そして再び出会った僕らは、また次の夢について語りました。

僕らの大好きなあの学び舎は、
いつだって細い糸で僕らを繋ぎ、
そっと人生を教えてくれるのです。

朝日選手と竹澤選手。
彼らは間もなく、最後の箱根に挑みます。

僕の頭の中。
正月にエンジ旋風が吹き荒れているイメージは、もう十分に出来上がっています。
   
 
    
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