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身長
173cm
出身地
大阪府松原市(~9才)、佐賀県(~18才)
出身校
佐賀県立鹿島高校→
早稲田大学政治経済学部政治学科
入社年月日
1997年4月1日
星座
獅子座

2016/10/5 現場からもう一言 「“信玄”の治水策」


現場に到着したときには、
すでに水は引いていたが・・・

長靴姿でショベルを手に、
道路にたまった土砂を慣れた手つきで
脇へよせている人たちがいる。
この度の大雨で、堤防の切れ目から
大量の土砂が流れ込んできて、
辺り一帯が水に浸かってしまったという。
しかも、その“切れ目”は、
あえて堤防に入れられているとのこと。

これこそが、
戦国武将・武田信玄が考案したとされる
“霞堤(かすみてい)”。
宮崎県延岡市を流れる北川の一部の区間に、
現在6か所存在している。

堤防の一部を低くして開口部(切れ目)を作り、
川の周りの田畑に水を逃がすことで、
堤防の決壊などを防ぎ、
流域全体の安全を保つというもの。


堤防の一部を低くして、
大雨のときにはあえて周辺を浸水させる

大きな特徴は、
上流側の方向に開いた形で切れ目を入れて、
水路が作られていること。
これによって、大雨のときには
川の流れに逆らうように水があふれてくるため、
ゆっくりと川の周辺が浸かっていく。


川の流れは右上から左下。
流れとは逆向きに水があふれていく・・・

地域の住民は、
「浸水してくるのは“切れ目の部分から”と
わかっているので、
じわじわと浸水してくる様子を確認しながら
避難できる」
と話す。

また、今回取材した田んぼでは
稲全体が水に浸かったにもかかわらず、
土砂の流れがゆるやかだったため、
稲が倒れることもなく、
無事に収穫できそうだという。

むしろ、山から運ばれてきた土砂は
養分を豊富に含んでいて、
古くからある霞堤は、
こうした肥沃な土壌を
農地に行き渡らせる機能をも
期待していたという。

さらに、洪水後は川の流れと同じ方向へ
田畑から水が排出されていくため、
水の引きが早いという特徴もある。

しかし、この霞堤、
水があふれることを前提にした治水策だけに、
大雨が降るたびに
水に浸かるところが出てしまうことになる。

今回の大雨でも人的被害こそ出なかったが、
床下浸水した家屋もあり、
田畑だけでなく住宅にも被害が出た。

「ほかの地域を守るためとはいえ、
どうして自分たちだけが
犠牲にならなければならないのか」
「水に浸かるたびに、
あとかたづけをしなければならず、
時間がかかるし、出費もバカにならない」
などと話す住民もいた。

この点については、
地域によって不公平感が生じないよう
行政側に十分に配慮してもらいたい。

こうした課題があるとはいえ、
想定を上回る事態が頻発している
近年の状況をふまえれば、
自然(浸水)を受け入れながら
壊滅的な被害を避けようとする
“霞堤の発想”には、
現代のさまざまな自然災害と向きあう
ヒントがあるように思える。

途中から低くなる堤防の上に立ち、
洪水と共存してきた先人たちに
思いを馳せたとき、
かたくなに自然に立ち向かうのではなく、
その猛威をできる限りやわらかく受け止めて
被害を抑えようとする
「しなやかな減災」の可能性を感じた。

昨年9月に発生した関東・東北豪雨では、
鬼怒川の堤防が決壊するなど、
あわせて8人の方々が亡くなった。
また、今年8月の
台風10号による豪雨災害では、
岩手県岩泉町だけでも、
グループホームの入所者9人を含む
19人もの方々が命を失った。

いま、あらためて「先人たちの知恵」を
現代の科学で再評価し、
最先端の技術を
うまく組みあわせることができれば、
今後、自然災害のニュースで
人的被害についてお伝えすることを
もっと減らせるかもしれない。


霞堤は現在、全国60以上の河川にある

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