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2024/12/25 20代の過ごし方

皆さん、こんにちは!佐々木快です。
アナウンス部ch.2024年の最後の投稿。
そして、私にとっても今回が最後の投稿です!
最終回はいつかやりたいと思いつつもずっと温め続けていた企画、「20代の過ごし方」について。
以前から書店に並ぶ本のタイトルなどでもよく見かけていたので、私も同じ20代として取り上げたいテーマでした。
少し気が早いですが来月には成人式があり、また同じく来月になると私もいよいよ20代後半に突入します。
ぜひこのタイミングでアドバイスをいただきたいと思い、2人の先輩に話を聞きました!

まずは平石直之アナウンサー


NY支局時代

こちらが29歳の頃の写真ということですが、
どんな20代を過ごしたか教えてください!


平石アナ

圧倒的に視野が広がっていった20代でした。
全国各地、ときに海外にも取材に行き、また、ニューヨーク支局勤務時には、
全米各地にも出張しました。また、番組のスタジオでさまざまな方々と
ご一緒させていただいて薫陶を受け、報道情報系だけでなく、
バラエティーやスポーツなどの仕事にも多少関わらせていただき、
「見たことのないものを見る」「知らなかったことを知る」の連続だったと思います。

当時、経験したことの中で特に今に繋がっていると感じることはありますか?


平石アナ

ニューヨーク支局時代に、イチロー選手が年間最多安打を記録した際に、シーズン最後の10試合に密着し、各地のスタジアムを転々としながら、ロッカールームに入って取材したりしたことが、いまの大谷翔平選手の活躍を扱ったりする際にいろいろとイメージができて役に立っていたりします。
また、その支局時代に大統領選挙を取材したことも、その後の2016年のトランプ氏当選(1期目)の取材につながったりと、当時の経験がベースになっていたりもします。


イチロー取材 カリフォルニア州オークランドにて

ニューヨークでの駐在も含め、かなり多忙な日々を過ごしていたことが想像できます。
当時、どんなことを大切にしていましたか?


平石アナ

「とにかく何でもやる」ということでしょうか。
のめりこんでやっているうちに向き不向きもわかってくるのかなと。
実際にやってみると、「想像していたより楽しい」や「自分に向いている」
ということや、その逆もあるので、まずはチャンスがあるのなら、経験してみたほうがいいのでは、と思います。

とにかく何でもやるとなると、大変なこともあったかと思います。
当時の自分に今声をかけるとしたらどんな言葉をかけますか?


平石アナ

世間的にも、業界的にも、長時間労働が当たり前の時代だったので、
しんどい、眠いなどのたいへんさもありましたが、
振り返れば、その時期の蓄積が、集中的な下積みになっていたと感じます。
ある程度まとまった期間、自分を鍛える経験を積まないと、
その後長く通用するスキルなどがものにならないかもしれません。
その時の自分に声をかけるとしたら「量が質を生む面もあるのでがんばれ」でしょうか。
なお、決して長時間労働を推奨しているわけではありません。

20代の蓄積の重要性を教えていただきましたが、
今も“鍛える”という意味で続けていることもあるんでしょうか?


平石アナ

自分で考える、ということでしょうか。
「とにかく何でもやる」一方で、「自分ならどうやるのか」と、
主体的でなくては、面白くもないし、力もつきません。
いいものを作るために、前向きな議論は欠かせません。
当時の生意気すぎた面は反省しつつ、
ご一緒させていただき、いろいろと教えていただいた
先輩方やスタッフのみなさんには心から感謝しています。


スペースシャトル取材

スペースシャトルの取材も!未来を感じさせる写真もいただきましたが、
逆に過去にいまタイムスリップできるとしたら戻りたい場面はありますか?


平石アナ

ああしていれば、こうしていれば、ということを挙げれば切りがありませんが、戻りたいとは思いません。
いい思い出がたくさんあり、感謝感謝です。
それと同時に、いまの時代はいっそう面白くなっていると感じていて、いまも存分に楽しんでいます。


今の平石アナ

私も将来、今も楽しいと言えるように20代を頑張っていきたいです。
そのためにどんなことを意識すべきかぜひアドバイスをお願いします!


平石アナ

いまやスマホ一つで誰でも世界に発信できる時代。
テクノロジーが進化し、世の中はどんどん変わっていきますが、
どんなに世界が変わっても、本質的に変わらないことや、
経験のなかで蓄積されてきたノウハウもあるので、
それらを20代のうちに貪欲に吸収しておくことが
その後の可能性を広げてくれるのではと思います。
走りながら武器を拾って、地力をつけましょう!

20代のうちに拾える武器を取りこぼさないよう、今日から走り出します!
貴重なアドバイスありがとうございました!

続いて、武内絵美アナウンサーに20代を振り返ってもらいます!


22歳の時の武内アナ

まずは20代に担当していたお仕事について教えてください!


武内アナ

担当していたのは「ラジ朝アットモーニング」「愛のエプロン」「スーパーJチャンネル」「Get-Sports」「ミュージックステーション」「はい!テレビ朝日です」「やじうまプラス」「報道ステーション」「とんねるずのスポーツ王は俺だ!」「カラオケ特番」「世界水泳」「五輪中継」などです。入社後半年間、制作現場やアナウンス部で研修を受け、甲子園リポートなどを経て、10月から番組を担当させて頂きました。


22歳から8年半担当させて頂いた「愛のエプロン」

武内さんの20代の主な担当番組を表でまとめてみましたが、
入社1年目からいきなり4つの番組を担当されたんですね!
当時の苦悩であったり、大切にしていたことはどんなことでしたか?


武内アナ

当初は、原稿や台本を言葉にして伝える以外に各番組で自分にはどんな役割が求められているのか具体的に分かりませんでした。そんな中、現場の方から様々なアドバイスを頂いたのです。「ミュージックステーション」では時間を見ながら的確に進行する事で頭がいっぱいでしたが、会社の大先輩から「もっとタモリさんや出演者の方のお話を聞きなさい」と。そのアドバイスを頂いてから、より私自身も番組を楽しめるようになりましたし、短い言葉で受けて次にスムーズに進行できるようになったと思います。「Get-Sports」のナレーションでは録音して下さるミキサーさんから「アナウンサー研修で学んだことは全て忘れて、滑舌は明瞭でなくていいから」と詩を朗読するようにナレーションを読む事を教えて頂きました。現場の先輩方から愛のある的確なアドバイスを頂き、20代の私は何とか番組内で求められる役割を果たすことが出来ていたのだと思います。


23歳「ミュージックステーション」担当1回目

アドバイスを形にし、期待に応えていくと、お仕事もさらに多方面に繋がっていったかと思いますが、
今の自分に繋がっていると実感するターニングポイントはありましたか?


武内アナ

27歳の時に初めて五輪の中継現場(アテネ)に行かせて頂きました。当時の私は五輪中継に必要な準備が分からず、自分なりに勉強して現場に向かいました。しかし、中継が始まると、日本人選手の勝敗によって、ひとつの競技の中継時間が長くなることもあれば短くなることも。そして急にスタジオに降りてくることもあります。そんな時、咄嗟に結果をまとめたり、選手の皆さんの気持ちを汲んだ自分の言葉が出てこなくて、不甲斐なさから中継を担当する先輩に「こんな中継をしていたら日本に帰れません」と泣きついた事もありました。その後、トリノ五輪、北京五輪、バンクーバー五輪の中継に行かせて頂きましたが、競技のルール、勝ち上がり方法、選手の戦績バックグラウンドをしっかりと勉強してから中継に向かうようにしました。そういった準備が自分自身の五輪への期待感を高め長時間中継ではお守りにもなっていたのかもれません。
それらの経験から、私はインタビューの仕事も大好きになりました。スポーツに限らず事前に相手の方の事を調べている間に、お会いするのがとても楽しみになり、更に私の質問によって新たな魅力を引き出せる可能性があると思うとワクワクが止まりません。現在担当させて頂いている「題名のない音楽会」でも演奏家や歌手の皆さんにお会いできるのを毎回とても楽しみにしています。


アテネ五輪会場

以前、私も武内さんに東京五輪の際にノートを見せていただきましたが、
どんな準備をしていたか見せていただいてもよろしいですか?


武内アナ

ごめんなさい。実は、以前お見せした五輪の際に記録していたノートを始め、これまでスポーツの現場などでインタビューや調べてことなどを記録していたノートは、少し前に処分してしまったのです。写真や記事、動画などは大切に保管してありますが、ある時過去に自分の汗が滲んだノートなどを見ていると、過去の自分に満足してしまって、それ以上の仕事が出来ない気がして、これからの自分の為にも手放すことを選んだのです。

そうでしたか……!思い入れのあるノートだったかと思いますが、
過去を超える仕事をするという覚悟、私も見習いたいです。

では少し話題は変わりますが、
20代で1番大変だった時のこと教えてください!


武内アナ

私が26歳だった2003年6月、
「ミュージックステーション」でt.A.T.uのお二人が番組の途中で帰ってしまったことでしょうか。

まさか!あの時担当していたのが武内さんだったんですね……!
私は当時4歳だったのでリアルタイムではなかったですが、その後何度も見たシーンです!


武内アナ

そうですよね。ご存じの方も多いと思いますが、オープニングには出演して、着替えに楽屋に戻ったお二人が歌わずにそのまま帰ってしまったのです。生放送ですので、t.A.T.uのお二人のトークや歌の時間に何を放送するのか私はただただオロオロするばかりでしたが、そんな時お隣で動揺することなくどんと構えていらしたタモリさんは本当に心強かったです。その時の自分に声を掛けるとしたら……「このあと、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの皆さんが最高にかっこいいライブを届けてくれるから大丈夫!」と言いたいです。

すごいエピソードですね……。何が起こるか分からない生放送、様々な局面を乗り越えられてきたと思いますが、
今、あの時、こうしておけばよかったな、タイムスリップできたらいいのになと思うことってありますか?


武内アナ

今の経験と知恵を持ってタイムスリップ出来るなら、番組を担当し始めた1999年10月に戻って、もっともっといい仕事をしてより良い番組作りに貢献したいです。ただそれが叶わないならこのままで良いです。


現実的ではないことを聞いてしまいすみません(笑)
でも、武内さんのお話を聞いて、今どれだけ自分に求められている役割に応えるか、どんな風に貢献できるかに全力を注ぐことの大切さを感じました!

では最後に20代のうちにやっておいた方がいいことを教えてください!


武内アナ

今できる事は今やっておくこと。20代は社会に出てから間もなく、余裕がないと感じている方も多くいるかもしれません。でも20代にのうちにしか出来ない事もあります。仕事以外に学ぶこと、旅をする事、人と会う事、家族と時間を過ごす事、沢山飲みに行く事でもなんでも構いません。後でも出来ると思っていても、あっという間に時間は過ぎていき、30代では更にやりたいことや、やらなくてはいけないことが増えていきます。私は20代で何度か一人旅をしました。当時ニューヨーク支局にいらした先輩の丸川珠代さんに会いに行ったり、旅先では人に会う事もありましたが、自分だけの時間の流れの中で旅をすると景色もゆっくり流れていきます。その場で共感できる人がいない分、カメラにその光景を収めました。私の20代は失敗も多かったですが、とても充実したものでした。


26歳ニューヨーク一人旅にて撮影
この年齢になった時「20代も楽しかった」と思えたら素敵ですね

素敵な写真ですね。ご年配の夫婦でしょうか。私もそう思えるよう、20代という今を全力で過ごしていきたいです。
貴重なお話を聞かせて下さり、ありがとうございました!

さて、冒頭でもお伝えしましたが、これでアナウンス部ch.の執筆を担当するのがこれで最後になります。
入社2年目の春から担当をさせてもらい全部で6回。
最初は先輩方にお話を伺う時も勇気を振り絞ってお願いをしていましたが、
アナウンス部ch.をきっかけに会話が増えていったり、繋がりができたりと、
楽しみながら充実した時間を過ごすことができました。
私にとって思い出深いコンテンツですので、またなんらかの形で関われたらと思います。
これまでお付き合いいただいた皆様、本当にありがとうございました!