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2024/09/11 現地で見たパリオリンピック!

こんにちは!入社3年目の武隈光希です。
フランス・パリで行われたオリンピックに続き、パラリンピックもついに閉幕。
アスリートによる真剣勝負に何度も心が震えました。

アナウンサーとして様々な角度から関わることができるこの大会。
私は朝の情報番組、グッド!モーニングやサンデーLIVE!!のスポーツコーナー担当として、選手たちの熱い戦いをスタジオからお伝えしました。

その中で、中継を見れば見るほど気になったのが、現地から見たパリ五輪!
「ものすごい熱気なんだろうなぁ」「1ヶ月近い海外生活は大変そう!」
などなど妄想は膨らむばかりでした!!!
ならば現地に行った先輩方に直接聞いてしまおう!ということで、実況を担当した清水俊輔アナ、番組のリポーターとして参加した桝田沙也香アナ、住田紗里アナに色々と聞いてきましたよ!!!

~現地で見たパリ五輪~

まずは同じグッド!モーニングで何度も現地から熱気を伝えた住田アナウンサー

現地でどんなことが心に残っていますか?


住田アナ

観客が出ている選手に対して、すごく温かい。様々な騒動があっても、出ている選手を全力で応援していることです。
もちろん応援している国、選手がいる人もいますが、
勝った選手、負けた選手、うまく演技できた選手、できなかった選手、
全員に対して、温かく、会場に鳴り響く拍手を送っていたことが印象的でした。
全員の味方というかんじですかね。
観客に取材しても、前向きに、「出場する選手が良いプレーができることを願っている」
という意見がほとんどでした。

「全員の味方」、素敵な言葉です!現地だからこそ味わえるお客さんの雰囲気ですね!


住田アナ

トロカデロ庭園でのセレモニーもとても素敵でした。
メダリスト達が開会式を行った会場に登場し、
選手同士、集まったファン、家族や関係者と喜びを分かち合う場所。
それぞれがすがすがしい、やり切ったという笑顔でしたし、
ファンのサインや写真撮影にも応じていました。
それが自分の国のファンだけではなく、色々な国の人がいるなと見ていて思いました。
国を超えて、健闘をたたえ合い、祝福する。
まさに「平和の祭典」でした。

体操やフェンシングの選手たちに話を聞くと、
嬉しいという気持ち、そして感謝を述べていました。
体操の橋本大輝選手は「この景色を一生忘れられない」と話していて、
その時の表情、言葉は、私もずっと記憶に残るんだろうなと思いました。
思い出すと、表彰式などで流れていた音楽が、また私の頭の中でも流れ始めます。

住田アナが現地で見た景色がありありと思い浮かびます!
感動を共有する瞬間というのは選手にとってもファンや家族にとっても
格別なんですね。
競技の中で印象的なシーンはいかがでしょう?


住田アナ

色々な現場に行かせてもらい、
貴重な現場を沢山取材させてもらったので、なかなか選べませんが……

スケートボードの堀米雄斗選手が大逆転した瞬間、
これはもう震えましたし、仕事を忘れて、大声で叫びそうでした。
TrickとTrickの間に何度も練習していた最後の技。
何度もTrickでチャレンジしていましたが、なかなかおりられなかった技。
最後のTrickになって、自分だけ1本しか成功していなかったら、
確実におりられる技にしようと思う人は多いのではないかな
など、申し訳ない想像もしてしまったのですが、
最後の最後、堀米選手はおりました。あの瞬間、
会場全員が大興奮と歓喜に包まれました。本当に同じ感情を全員が
堀米選手に向けていて、讃えていて、まさに一つになっている感覚。
堀米選手の諦めない心、本人も言っていたように、自分を信じ切る姿勢、
彼が培ってきた賜物の底力が、この瞬間を生んだんだと
堀米選手へのリスペクトにあふれていました。

あの金メダルは今大会を語る上では欠かせませんよね!私も中継を見ながら大興奮していましたが、最後に決めた大技を決勝の間もずっと練習していたとは!!
貴重なお話、ありがとうございます!!

続いて、サタデーステーションの中継などでも大活躍だった桝田アナ


中継での一コマ

パリでどんなことを感じましたか?


桝田アナ

人生をかけて五輪で戦うということです。
それを体現した選手皆さんの熱い戦い。
その戦い直後にどうインタビューするのかという難しさ。
そしてその選手の言葉を、その戦いを見て感じた事を自分の言葉で伝えられる喜び。
五輪で得たものは何にも代え難い、尊いものでした。

人生をかけて戦った選手たちについて自分の言葉で話すという責任の大きさ、だからこそのやりがいはひとしおでしょうね。
何度も現場に行っていたと思いますが、特に心に残っている場面を教えてください!


桝田アナ

五輪期間中、数えてみると30回ほど各競技現場に足を運んでいました。
その中には、男子体操団体や阿部一二三選手、文田健一郎選手、北口榛花選手の金メダルの瞬間。男子棒高跳びのスウェーデンのアルマンド・デゥプランティス選手の世界新記録を更新する瞬間も含まれていて、語りたいことが沢山……ですが、
あと一歩届かず悔し涙する選手の姿もとても心に残っているので、今回はレスリングの須崎優衣選手の銅メダルマッチを紹介させてください。
3位決定戦に勝利した直後、涙を流して両手を合わせ何度も謝るようなポーズをした須崎選手。
「最低限のメダル。本当は金メダルをとって感謝の想いを伝えたかった」という想いだったことを教えてくださいました。また、迷いなく真っすぐと「次の4年後8年後に金メダルを獲りたい」と、それをすぐに言える強さにも胸を打たれるものがありました。

まさに「強さ」ですね。
そして30回も現場に行っていたとは!現地からの中継で伝わってくる興奮や感動、重みというのは桝田アナが現場を駆け回っていたからこそだったんですね。


そして体操個人総合、岡慎之助選手の金メダルの瞬間などを放送席から熱く伝えた清水アナ


毎日現場にメトロで通っていた清水アナ

オリンピックはいかがでしたか?


清水アナ

今回は体操、競泳、飛込を担当しました。
長年、世界体操や世界水泳で担当してきている競技だったので、思い入れも強く、
自分自身、実況アナウンサーとして東京オリンピック以降の3年間取り組んできたことの答え合わせだったような気がします。
会場はどこも満員で熱気が溢れ、その中で日本のテレビ局を代表して仕事をする喜び。
毎日毎日これでもかと感じていたことです。

日本のテレビ局の代表……私も清水アナのようにその重責を担えるよう、日々鍛錬を続けていきます。数々の激闘を伝えた中で、今思い浮かぶのはどんなシーンですか?


清水アナ

これは本当に選べない。全部です。ホントに全部。
実況しながら見た競技の風景も、会場の往復で乗ったメトロの風景も、ホテルで猛然と実況資料を作成していた瞬間も、ホントに全部(笑)。
それぐらい夢のような22泊24日でした。
自分が実況したシーンで選ぶと、岡慎之助選手の個人総合金メダル、玉井陸斗選手の銀メダル、そして競泳1500m自由形、フィンケ選手の歴史的世界新記録です。

清水アナの実況とともにメダリスト誕生の瞬間が思い浮かんできます。
そしてどれほど濃密な24日間だったか……
オリンピックの実況席がますます憧れの場所になりました!!

そしてお三方には異国の地での裏話も聞きました!
住田アナは現地で大変だったことはありますか?


住田アナ

色々あったんですが、一番困ったのは、バスの行先を間違えられたこと。
中継をする拠点の名前は「IBC」でした。
ハブ駅で乗車する際に「IBC行きですよね?」と確認したのに、
IBCの最寄りの高速出口を通り越し、シャルルドゴール空港につきました……
その日は中継もあり、途中でおかしいと思ったので、
何度も確認すると「ibis hotelに向かっている」と言われ、、、
英語で「IBC」と言っても伝わらないと察したので、拙いフランス語で伝えたら、
運転手さんは血相を変え、空港で別のバスの運転手さんに交渉し、
IBCに向けてすぐに出発するようにしてくれました。
海外ではトラブルはつきもの。常に、「それじゃあどうしよう」と考えるようになりました。

えええ……それは大変でしたね……
五輪取材はトラブル対応力も必要なんですね。
桝田アナ、移動はどうでした?


桝田アナ

私は競技場まで1人で移動することも多く、バスや電車はほぼ完璧にマスターしました!
でも、どこに行くにも余裕をもって+1時間早めに出発しなければいけない事が日本では無いことで大変でした。というのも、時間通りに交通機関を使えないからです(特にバス)。バス乗り場に行くと、「今日はマクロン大統領が周辺視察に来ているからバスは出ない」と言われた日も。ではそこからどうやって目的地に行くのか。異国の地で試行錯誤して競技場まで向かうだけでも勉強になる事が沢山ありました。
生活面で困ったことは“お湯が出ない事件”です。
大雨の開会式後、深夜に全身ずぶ濡れで帰ってくると、まさかのシャワーのお湯が出ない・・・・・・
震えながら更に水を浴びて1日が終了。
今となってはそれも含めて良い想い出です(笑)。

想像すると笑ってしまいました(笑)。
風邪はひかなかったようでよかったです!
清水アナは東京五輪も経験していますが、違いや困ったことはありましたか?


清水アナ

東京オリンピックと比べると、やっぱり有観客というのは違いました。
会場の熱気もそうですが、会場周辺のレストランの賑わいや、メトロに色々な国のカラーを来た観客が乗っている光景、そういうものがオリンピックらしく感じて、
毎日ワクワクしながら生活してました。

そしてパリで困ったことは一つもありません!!
できることなら、ポチっと記憶を消して、飛行機に乗ってパリに出発するところから帰国するところまで、もう2ターンぐらいやりたいです。3ターンでもいいかもしれない(笑)。
それぐらい最高の仕事、最高の毎日でした。大変なことなど一つもありませんでした。

聞いていてワクワクするような最高の締めをありがとうございます!!!
これまでの話で、皆さんにもオリンピックでのアナウンサーの生活ややりがいを
感じていただけたのではないでしょうか?

今度は私自身が、オリンピックについて熱く話せるようこれからも精進を続けていきます。オリンピック、パラリンピックに関わった全ての方々、そして何より選手の皆さん、
本当にお疲れ様でした!