アナウンス部ch

  1. top
  2. アナウンス部ch.
  3. バックナンバー

2019/07/17 新たな門出

今月、2人のアナウンサーがアナウンス部を離れることになりました。

そして先日、新たな門出を祝うため、送別会ならぬ壮行会が開かれました!

アナウンス部員は普段なかなか揃うことがありませんが、
この日は多くの部員が集まりました!

田原アナ、市川アナを囲んで話をしたり、部員同士で話をしたりと、
とても賑やかで笑顔の絶えない会となりました。


  • 田原アナを囲んでの一枚

  • 多くの部員が集まりました!

  • 新人4人と田原アナ

  • お菓子や飲み物も用意されました

  • 市川アナの同期の前田有紀さんも
    駆け付けてくださいました!

  • 前田さんから市川アナにお花が贈られました

そして壮行会後は市川アナ、最後のニュースでした。

ニュース後には同じくアナウンス部を離れる部長から花束が贈られました。

そして市川アナの最後のニュースを見届けた部員全員で記念撮影をしました。

ではここで、今まで色々な方にインタビューしてきたであろう2人に
私、柳下がインタビューしました!

まずは1988年に入社して以来アナウンサーとして活躍し、
最近は私達部員の仕事の管理もしてくれていた田原アナ!!

田原アナにとってアナウンサー生活の中で一番思い出に残っていることは何ですか?

思い出はたくさんあって、一番を決めるのは難しいのですが、あえて自分ならではの仕事を挙げるとすると、
「パリ・ダカールラリー現地取材」です。
(※現在のダカールラリー)

この現地取材は93年と94年、2年続けて担当しました。
当時「パリ・ダカールラリー」は通称「パリダカ」と呼ばれ、世界一過酷なラリーと言われていました。
パリをスタートして、ヨーロッパを縦断、
サハラ砂漠を疾走し、西アフリカのゴール地点、
ダカールを目指します。
そのラリーの模様を現地から毎日リポートしました。


  • ヘリコプターから実況

  • マシンを待つ


夜明けに出発

田原アナの若かりし頃の写真は初めて見ましたが、
眼鏡をしていない!(笑)

また3枚目の写真を見ると1993年と書いてあり、
私が生まれる前(1995年生まれ)からアナウンサーとして
活躍してきたというのは正直想像ができません。

では続いて「報道ステーション」「ANNスーパーJチャンネル(土曜・日曜)」など数々の番組に出演してきた市川アナの一番の思い出は何でしょうか?

一番というとなかなか決めきれませんが、
「報道ステーション」お天気コーナーでの中継でしょうか。
日本各地の様々な美しい場所へ行かせて頂きました。

なかでも一番印象に残っているのが、
初回の中継で満開の桜の木の下からお天気をお伝えしたこと。
「桜の花びらの落ちる速度」「雪の舞う速度」がほぼ同じという情報を織り交ぜつつ、
ドキドキしながら毛利庭園での中継を務めたのを覚えています。

そこから5年に渡って四季折々の情報を伝えることになりますが、1度として同じ表情はなく、日本の四季の魅力にどっぷりと浸かることのできたこの5年間は
いまでも深く心に刻まれています。

市川アナは「報道ステーション」のお天気コーナーを担当しているとき、
気象予報士の資格も取得しているんです!

一つの仕事を究めようとする市川アナのその姿勢は
私たちもしっかりと受け継いでいかなければなりません。

そしてアナウンサーだからこそよかったこと、
またアナウンサーという仕事をしていてよかったことも2人に聞きました!

まずは市川アナ!!

アナウンサーの仕事を通じて、
「美しい日本語」の使い方を多少なりとも
身に付けることができたことです。
いつも何気なく使っていた言葉の奥深さに気づかされ、
日本語と深く向かい合って日々過ごすことができたのは
とても幸せなことだったなと思います。

また、取材やロケをしているときに
「いつも見てますよ、頑張ってね!」
温かい言葉を掛けて頂くことがあり
ちゃんと自分の言葉が皆さんに届いているんだなあ、と
嬉しい気持ちになることがよくありました。
テレビはたくさんの方へ発信するメディアですが、
見て下さっているおひとり、おひとりの顔が見えると
より伝えよう!という気持ちが高まったのを覚えています。

こちらもご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、
市川アナは自身が身に付けた「美しい日本語」
アナウンサーとして経験したことをまとめた著書を執筆されたんです!


「美しい日本語と気配りのすすめ」(サンリオ社)

また、普段私たちは目の前にあるカメラを通して伝えているので、
実際に視聴者の方に届いているんだ、という実感を得られることは、
取材やロケ先での嬉しいことの一つですね。

では日本全国を取材してきた田原アナはどうでしょうか?

これもありすぎるので、大まかにいうと、この2つです。

アナウンサーでなければ行けない場所に行けて、
アナウンサーでなければ会えない人に会えて、
アナウンサーでなければ聞けない話を聞くことが出来たこと。

テレビ朝日アスクの校長として、
学生の皆さんの応援をさせていただけたこと。

特にこの2つは、アナウンサー冥利に尽きると感じています。

田原アナは日本各地を取材し、
47都道府県全てを訪れたそうです。

その中でアナウンサーでなければ出会えなかった方はたくさんいると思います。

そして2010年からテレビ朝日アスクの校長になり、
たくさんの学生を全国にアナウンサーとして送り出しました。

普段出会わないであろう人とも出会えること、
そして自身の持つ技術を後進に伝えていけることは、
アナウンサーという職業の醍醐味かもしれません。

それでは最後に2人からいつもアナウンス部ch.を見てくださっている
皆様へ向けてメッセージです!!

31年以上にわたり、お付き合いいただき、ありがとうございました。
ここまでアナウンサーとして仕事が出来たのも、
応援してくださった皆さんのお蔭です。心から感謝いたします。
これからは、管理部門で番組制作を
バックアップする仕事を担当します。
これからもずっとテレビ朝日を楽しんで、
可愛がっていただけると幸いです。

私は今年、キャリアコンサルタントという国家資格を取得しました。
長い人生、まだまだ勉強!さらに精進していきたいと思います。
これまで、長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。

アナウンサーとしてここまで16年間やってこられたのは
いつも温かく見守って下さっていた皆様のお陰です。
いままで本当にありがとうございました!

お二人の活躍をアナウンス部員一同これからも応援し続けます!
そして部署は違っても心を一つにこれからもテレビ朝日を盛り上げるため
同じ方向を向いて頑張って参ります。