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2011年4月18日

松岡修造コーナー 被災地・女川町を支えるサッカー選手たち

松岡修造コーナー 被災地・女川町を支えるサッカー選手たち

東日本大震災の津波により、壊滅的な被害を受けた宮城県女川町で、必死に救援活動にあたる若者たちがいる。地元のサッカークラブ『コバルトーレ女川』の選手たちだ。実は、選手のほとんどは県外出身。地元に避難することもできたはずなのに、なぜ彼らは、女川町に留まり続けるのか。松岡修造が迫る。

2006年、女川町に設立されたコバルトーレ女川は、東北の地域リーグから将来のJリーグ入りを目指している。選手は全員、地元の名産品であるかまぼこ工場などに就職。働きながらサッカーを続け、6年目のシーズン開幕に備えていたところ、震災に襲われた。12人の選手は全員無事だったものの、住んでいた寮は変わり果てた姿になり、クラブハウスがあったはずの場所には、隣のビルが横たわっていた。しかし、選手たちは、町外れで津波から免れた、勤め先のかまぼこ工場に避難すると、自分たちの明日も見えないなか、すぐさま救援活動に立ち上がった。工場にあったかまぼこを被災者に配って回り、在庫が切れると自家発電機を使い、材料がなくなるまでかまぼこを作り、配った。震災当日にかまぼこを受け取った人は「『かまぼこを食べてください』と言われ、その優しさ、温かさに涙が出そうになった」と話す。さらに、町の全域が断水したなか、即席の給水車に乗り込み、浄水場で水を汲んで、町の隅々に運んだ。選手たちが運ぶ水は、今も頼りにされている。
埼玉県出身の滝沢陽介さん(25)は、震災直後から休みなく救援活動を続けている。女川町に来て3年。残った理由について、「女川町は1万人の小さな町だが、その1万人のなかでの出会いが多く、付き合いが濃い。“家族”みたいな人が死にかけていたから残った。みんな思いは一緒」と話す。サッカーを通じて深めてきた、町の人々とのつながりが、選手たちを女川町に留まらせる理由だ。しかし、つながりが深いからこそ直面する厳しい現実もある。選手らは、遺体安置所で、かまぼこ工場でお世話になった女性と無言の対面をした。選手たちにとってお母さんのような存在だったという。家族ぐるみで応援してくれたサポーター、寮で食事を作ってくれていたお父さんのような存在だった男性との別れ。選手らは、救援活動の合間を縫って、犠牲者が土葬される公園を何度も訪れ、祈りを捧げるが、その墓標はいまも増え続けている。

震災から1カ月。

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