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Vol.70 「旅行記(フランス編)」(2008/10/13)

どうせ途方に暮れるなら、玄関先よりも旅先の方がいい。

インドに行くつもりだった。
だが、出発前日に見たニュースで、
首都ニューデリーで爆弾テロが起きたことを知る。
宿泊予定のホテルの、まさに目の前だった。
運良く取れたのは、フランス行きのチケット。
行程はおろか、宿泊先も未定である。
余裕のない中での気ままさには不安が伴う。
サイコロを振るように、気軽には運べない。
若き冒険心を掻き立てるには、随分と時が経っている。
弾むように軽いスーツケースを押して、成田空港へ向かった。


パリは予想外の寒さだった。
ダウンジャケットで膨れた地下鉄内で、自分だけが半袖シャツ。
暖を求めてカフェに駆け込むも、オープンテラスからは寒風が吹き荒ぶ。
頼んだカフェ・オ・レもひどくぬるかった。

それならば体を動かそうと、モンマルトルの丘を駆け上る。
アコースティックギターの音色に足が止まり、
振り返ると、階段の途中で若い男性がビートルズを歌っていた。
まばらな拍手。芝生に寝そべる恋人たち。昼間から飲むりんご酒。
およそ拙いギター弾きの技術。
本来は甘かったりぬるかったりする物事が、悠然とそこにある。


The BEATLES 『Hey Jude』


季節と水に慣れた時、旅は初めて輪郭を帯びる。
慌てて買い求めたナイロンコートを羽織って、連日街を歩く。



朝食に、クロワッサンではなくモンブランやマカロンを注文してみる。


昼間は学生たちに混じって、スターバックスでぼんやり過ごす。


古い邸宅がそのままカフェに

夜中にジャズが聴きたくなって、小さなライブハウスに出かける。


今夜のボーカリスト

訪れる想像だにしていなかったこの場所で、
ささやかな気ままさに心地よく追われる。
 









五日間。
未定で始まり、未完で終わる。
寒さ以外、途方に暮れるようなことはなかった。
それでも時々、湯気の立たないカフェ・オ・レが無性に懐かしくなる。
いつものマグカップを抱えて、いつも以上にふうふうと吹き冷まして、
自分の部屋でビートルズを聴いている。


(「日刊ゲンダイ 週末版」10月13日発刊)
   
 
 
    
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