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Vol.17 「ヒラメ皿」 (2005/04/30)

「ヒラメ皿、取ってちょうだい」
「はぁい」

刺身皿ではなく、白い平皿。
愛嬌あるのっぺらぼうはどことなくヒラメを彷彿させ、
物心がついた時には食器棚に並んでいた。
名前の由来を母に聞いたら、新婚の時からそう呼んでいるから分からないという。
そこにはいつも副菜が盛られた。
主菜には厚手の立派な大皿が用意されるが、
日々の食事では、圧倒的にヒラメ皿の出番が多かった。
卵焼き、焼き茄子、夜食のサクランボ…。
朝な夕な、四季折々を、その皿は静かに映した。

思えば幼い頃から、私は配膳ばかり手伝っていた気がする。
「祐子、ごはんよ」
落とさないように運ばなきゃ。
小さな使命感に駆られた、すり足のマーチ。
ヒラメ皿は食卓の中心からは少し遠慮して、でも、いつも必ず同じ場所に並んだ。

気が付けば、結婚当時の母の年齢を私はとうに超えている。
今のところ、日常的に料理をする喜びには目覚めていない
…と言うよりは、技術も余裕も、まだない。
くたくたになって会社から帰宅し、一応、野菜不足を気にして、
買い置きのフルーツトマトをかじる。
流しに残ったトマトのヘタをぼんやり眺めながら、
皿に盛られて運ばれるのは、揺らぐことのない「暮らし」そのものだと気付いた時、
ふと、実家の食卓が浮かんだ。

電子レンジにも対応できるヒラメ皿は、新婚当時は随分と高価なものだったそうだ。
若かりし母の料理への気合が感じられる一方で、
未だに耐熱容器すら持っていない自分が情けない。
そんなヒラメ皿には、長年料理を盛り続けた母だけでなく、父の姿も重なる。
耐熱然り、母の熱弁を忍耐強く聞いている父。
台所と食卓然り、会社と実家とを往復する父。
熱いものも、冷たいものも。
暑い日も、寒い日も。
母は台所で腕をふるい、父は会社に出かける。
そして、食卓には日々のおかずが並ぶ。

いつの日か、今の一人暮らしに終止符を打つ時が来るならば、真っ先に皿を一揃い買いたい。
私にとって、食卓に並ぶ皿は、何よりも夫婦の象徴なのだ。
今度、あのヒラメ皿にイチゴをまあるく並べてみよう。
花束ではなく、花皿。
両親の胃もたれに留意して、イチゴのショートケーキはやめておくことにする。


(「日刊ゲンダイ」4月30日発刊)
   
 
 
    
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