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9月8日 転身・トラックからグリーンへ 川上優子の選択

 
人生には転機というものがあります。スポーツ選手にとってもそれは必ずやってきます。パリで行われた世界陸上女子マラソンで野口選手が銀メダル、千葉選手が銅メダルを獲得し、アテネのマラソンへの興味が一段と高まる中、ある一人の選手が新しい道を歩み始めていました。9月9日火曜日のニュースステーションで放送予定の「転身・トラックからグリーンへ 川上優子の選択」の概略をお伝えしましょう。

1996年アトランタオリンピック一万メートルで7位入賞を果たした川上優子選手は、その年の実業団対抗女子駅伝で高橋尚子選手をあっさりと抜き去り、1998年バンコクのアジア大会では一万メートルで優勝を飾るなど、日本の長距離のエースとして着実にその地位を築いてきました。2000年には一万メートルの日本記録もマークし、シドニーオリンピックでは日本人トップの10位。

その後、アテネはマラソンでと期待されていた矢先、
去年の9月、突然、引退を発表したのです。

「苦痛に変わってきたんです。走ることが。」

さらに27歳からのスタートで、ゴルフに挑戦することを表明したのです。

「陸上競技のトップとして活躍していた選手がその過去を全て捨て、新たなことに挑戦する。それは容易なことではありません。ゴルフの世界に脚を踏み入れた川上優子選手の心の中にあるもの、それはどんなものなのでしょうか。」

『転身 トラックからグリーンへ』 

今年8月、宮崎県総合運動場で行われた小中学生を対象にした陸上競技教室、
そこには、マラソンの宗兄弟を育てたことで知られる名白楽、広島日出国さんと、
一年前まで広島さんの下で陸上競技をしていた川上優子さんの姿がありました。

現役時代とは違って、リラックスした表情の川上さん。

川上選手の隣でくつろぐ広島さんに、現役時代の川上さんのことを聞いてみると、こんな答えが返ってきました。
「フォームも完璧。スピードも持久力もある、文句なしの選手だったね。これが故障とか何とかなかったら、マラソンでもいい記録出していたと思うよ。」
思わず、私も「今ごろ高橋尚子さんと競っていたかもしれない・・・?」などときいてしまいました。

1996年の実業団対抗女子駅伝。5区で40秒の差をつけられてたすきを受け取った川上選手はその差をじりじりとつめ、高橋尚子選手を抜き去り、トップを奪い、沖電気を初優勝に導いたのです。川上選手の力走は、その後、チームを3連覇へと導き、沖電気宮崎の黄金時代を築きあげました。

「高橋の金メダルということを考えればね、ああ、川上もね、取れないことはないとね、僕は思います。まあ、欲ですがね。」広島さんの表情は、本当に残念そうでした。

熊本出身の川上選手の実家にうかがうと、そこにはこれまで陸上競技で獲得したメダルやトロフィーがガラスケースの中に整然と並べられていました。

思わず「凄い数ですね」と私もうなってしまいました。
しかし、これらの輝かしい成績と同時に、川上選手はランナーの宿命とも言うべき脚の故障に悩まされるようになっていったのです。

母、さち子さんはこんな話をしてくれました。
「泣きながら電話してくることもありました。故障して自分は走れないんだけれど、走らなくちゃならないって。」

普段はほとんど電話などかけてこない川上選手。本当につらいときだけ、母にすがるように、助けを求めるように、胸の内を明かしていたのでしょう。

今ポツリポツリと川上選手が語ってくれたそのつらさとは・・・

「毎回、夏には世界大会がありますよね。春にその世界大会の選考をやって、何とかクリアーして、世界大会に行って、その段階でもう脚の状態がよくないんで、じゃあ、体を作り直していきたいなと思っても、また秋には駅伝が来て、駅伝ではまたチームの会社のこともあってっていう。その連続ですね。ずっと葛藤していて、このまま続けて自分が目指しているものがつかめるのかなと。」

自分が目指すものと、チームのためにやらなければならないことの狭間で揺れた数年間。
それは実業団で競技をする多くの選手が直面する問題でした。

悩んだ末の結論が去年9月の退部でした。
「中学高校実業団と続けてきた陸上競技に区切りをつけたいと思います。」
退部記者発表での川上選手の表情はすっきりとしたものでした。

しかし、母、さち子さんから見れば、すべてがすっきりというわけではなかったようです。
「多分一時はマラソンでアテネを狙っていたと思うんですよ。それは悔いが残っていると思うんですけれどね。」

「行くつもりでしたからね。自分も。自分ができると思ったことをやらずに終わってしまったことに不完全燃焼。もう完全にそうですね。」
本人も認める不完全燃焼。

不完全燃焼の27歳。
この歳からできることは一体なんなのか。悩んだ末の選択はゴルフでした。

初めてゴルフのクラブを手にしたのが去年の11月。
それ以来、月に一度熊本から上京し、数日間の特別レッスンを受けています。

指導するのはゴルフアナリストの加納徹也さんです。

私たちが始めて打ちっぱなしの練習を撮影に行ったときは、ゴルフをはじめて5ヶ月目。ようやく基本の動きができるようになってきたところです。

加納さん:「それらしくなってきたな。」
川上さん:「はは、ゴルフやってるっぽいもの。」

宮嶋: 「彼女のいいところはどんなところですか?」
加納さん:「下半身でしょう。プロゴルファーでもプロのテストを受けてから走ったりするわけですよ。このへんの筋肉をつけるわけですよ。それが先につけてあるわけですから、これは有利かなと思いますね。」

川上さんのフォームはなかなかきれいです。

加納さん:「普通の方でも3年かかってもここまでこないんじゃないですか。」

とはいえ、初めてまだ半年足らず、実際のコース練習ではまだまだ勉強することばかり。

さあ、Tショット。
勢いよく、クラブをテイクバック・・・・スコン・・
あれっ・・ボールがころころっと、20センチ先に!

川上さん:「いやあん、なんで?」
加納さん:「リズムがない。立ち幅跳びしようとするじゃない、ここへ止まったままさあ、行こうとしても、いけないでしょう。そう、まず足の位置を決めて、そう、動かして、クラブをぎゅっと握って、その勢いでテイクバック、そう、オーケーオーケーそのリズムが自分のリズムなんだから。」

お次はグリーン上。
ホールまで7メートルほどです。
加納さん:「ぎゅっと握ったらすぐ上げないと。ショットと同じように。」
その言葉どおりに、すぐモーションに入る川上さん。
球はホールの右60センチほどのところに寄って来ました。

「ほらいきなり打ったほうが距離あうだろう。構えていると距離合わなくなる。」

カートで移動のときも、肘をしめたパッティングフォームの練習をする川上さん。
加納さん:「そうそう、両肘の間に。」
川上さん:「こうしておいて、こうでしたっけ?」
加納さん:「そうそう」

そしてグリーンでのパッティング。
おお、川上さんのフォームが決まっていますよ!

「それはいい、いい。素晴らしい。」
打った瞬間、加納さんのお褒めの言葉。
その言葉どおり、球はホールに吸い込まれるようにぽとりと落ちていったのです。

「やった!」川上さんも思わずガッツポーズです。

一緒にコース練習を回りながら、どうしても聞いてみたい質問がありました。
宮嶋:「ジュニアからどんどんやっている人がプロになる人が多いですけれど、27歳から始めるその不安はありませんか?」
加納さん:「ぜんぜんないんじゃないんですか。ゴルフは長くやればいいものでもないし、始める時期が早いほうがいいというものでもない。むしろジュニアからやった人はやりすぎて背骨に負担がかかるほうが多いんですね。」

加納さん:「データー的には世界のトッププロの場合、15年ぐらいが、一番レベルの高いところに上がるんですね。そういう点で、10年後は37歳、なんですね。37歳から
40歳ぐらいに彼女なりのピークがくればこれは面白いかなと思うんです。」

どうやらゴルフで目指すところが、普通とは違うようなのです。

川上さん:「とにかく世界に挑戦したいので、どうですか出来ますか?」と言う質問から入ったので、それでまあ、面白いんじゃないって言う答えで、じゃあ可能性はありますかといったら、なくはないと言うことなので、じゃあやってみますっていうことですよね。」

加納さん:「オリンピックや世界選手権に出たりしているので、世界で戦う、トップで戦う、そのフィールドで戦う面白さとか、緊張感とか口でいえないものを彼女は意識しているはずなんです。」

お話を伺いながら、そのスケールの大きな発想に圧倒されてしまいました。

それにしても、陸上競技を引退したトップクラスの選手は、日本各地のレースから招待されたり、解説の仕事を依頼されたりと、仕事は次々に舞い込んできます。
そんな環境の中にいながら、あえて自分にとって未知のスポーツに挑んだ川上さんの選択には子供時代の経験が強く投影されているようです。

川上さん:「部活動がうちの小学校はシーズン制で、ソフト、ハンド、バスケ、バドミントン、いろんなスポーツをやっていたんですね。そんな中で負けず嫌いはぴか一でしたね。」

子供時代のアルバムにはおてんば優子ちゃんの姿がいっぱい。
思わずきいてしまいました。
「これだけ小学生の頃からたくさんのスポーツをやったから、陸上競技を止めてもまた新しいスポーツをやろうと言う気持ちになったのかもしれませんね。」
「基本的にはたぶんそこですね。体の動かし方を考えなくて知っていると言うのは大きいと思います。」

私は、川上さんの話を聞きながら、ある一人の女性を思い出しました。子供の頃から体を動かすのが大好きで、1932年のオリンピック陸上競技で3つのメダルを獲得し、その後アメリカ女子プロゴルフ協会の基礎を築いたベーブ・ディドリクソン・ザハリアスです。
AP通信によって20世紀前半の最も優れた女性スポーツ選手に選ばれたザハリアス。
スポーツで自らの人生を切り開いていった女性です。その魂を川上さんの中にも見たような気がしたのです。

川上さんはインタビューの最後にこう語ってくれました。
「川上優子っていう人間がどこまで可能性があるのかなって、きっとどこかを動かしたかったんじゃないですか。スポーツしたかったんですよ。だって、ずっとそれを得意として運動をやってきたわけだから。」

ゴルフをはじめて今9ヶ月が経過。

身長152センチの小柄な体で挑戦しつづけることに喜びを感じる28歳。
夢見るのは世界の舞台です。

(撮影:藤田定則 音声:佐藤茂 編集:久富 選曲:伊藤大輔 MA:浜田豊 ディレクター:宮嶋泰子)

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ゴルフをおやりになったことのある方は、今彼女がどのくらいのスコアーで回るのか知りたいと思われますよね。残念ながらコースでの練習はこの秋から本格的に行うそうです。

来年の夏、アテネオリンピックの頃、日本国内のプロテストをまずは受けてみようかなと漠然とした目標を立てているようです。なんと言っても狙うのは10年後ですから、少しずつ、少しずつですね。

   
 
    
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