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4月21日 『ボートピープル・ベトナム難民たちの今』

昨年末、報道ステーション最後の日の一日前に、「ボートピープルたちの今」を特集として放送いたしました。いつもは私がディレクターとして制作するものはスポーツ関連のものがほとんどですので、皆さんちょっと驚かれたようです。実は、私はこうした番組を作ることが嫌いではありません。私の青春時代に日本に来た人々の生活を振り返りながら、現代を見つめてみたい、そしてスポーツのことも少しばかり織り込んで・・・ということで、昨年末の特集を振り返ってみることにしましょう。

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日本のどこにでもある秋祭り。
しかしここはちょっと違います。


   


「ベトナムのニヤチャン出身です。」
「ラオスのビエンチャン生まれです」
「(中国の)吉林省から来ました」
「(ベトナムの)ニヤチャン出身です。」

神奈川県のこの県営団地では、住民およそ8000人のうち、約半数の4000人が外国とつながりを持っています。
実に、13の違う文化が交じり合っているのです。
ここは、横浜市泉区にある県営いちょう団地です。



横浜市泉区 県営いちょう団地


宮嶋 泰子


宮嶋:「横浜市泉区にあるいちょう団地です。この中には30年前、ボートピープルとしてやってきたベトナム難民の人たちが少なくありません。」

今から35年前、ベトナム戦争が終結し、その後社会主義体制に移行したベトナムから逃れるために、小さな漁船で命をかけて海に乗り出した人たち、いわゆるボートピープルを、日本は「難民」としてはじめて受け入れました。


 


22歳のとき、ぎゅうぎゅうづめの小船で、日本に逃げてきた金福さん。今はアジア食材のお店を営んでいます。




キムさん:「海、海、見たくない、なんか思い出す。」
宮嶋:「どうですか?30年間、日本に来て」
キムさん:「よかった、子どもたち、家族もいるし、よかった。」


  


30年前に来日し、いちょう団地の近所にある松本製作所で23年にわたり仕事をしてきたグエン・ヴァン・ロイさん。

ロイさん:「この会社もみんな兄弟みたい。感じかたが温かい。本当いい社長、お兄さんみたい。」

松本福治社長:「そりゃすごいまじめですよ。23年いても遅刻は無いしね。」

しかし、このようにうまくいっているケースばかりではありません。
日本社会に溶け込めないまま、アメリカやオーストラリアに移住していった人もすくなくありません。


  

グエン・ジュイ・ジュンさんは29年前来日しました。
ジュンさん:「今仕事やってるのない。」
宮嶋:「いつ仕事なくなったんですか」
ジュンさん:「2年前のリーマンショック」

難民の人々が社会の冷たい風を最も受けやすい立場にいることは間違いありません。

そんな中、いちょう団地の人々が、少しでも暮らしやすくなるようにと奮闘している民間団体があります。多文化まちづくり工房です。


 

ベトナム国籍のハーさんもここで翻訳などの仕事をしています。
日本語を読むことができない人のために、ベトナム語のコミュニティー誌を作って配布しているのです。

ハーさん:「健康診断、子どもの手当て、保育園の申し込みとかをベトナム語に訳しています。」

多文化まちづくり工房は早川秀樹さんが立ち上げてから16年が経過し、最近では自治体との共同事業も行うようになりました。


 

外国籍の人の代わりに公的機関に電話をして交渉したりする作業も行っています。
特に、生活相談に訪れる人は後をたちません。

「これは何の書類か?」という簡単なものから、家族問題、果てはお金の工面まで、ありとあらゆる生活相談が持ち込まれるのです。


  
団地の標識は6ヶ国語表記

ハーさん自身も、両親と一緒にこのいちょう団地に住んでいます。

25年前にボートピープルとして日本にたどりついた父を頼って、ハーさんは母と兄と一緒に、家族呼び寄せで、15年前に日本にやってきました。
小学5年生のときでした。


  

宮嶋:「お母さんは日本に来てよかったと思っていますか?」
ハーさんの母:「はい、思っています。義務教育、それすごくうれしかったです。お金なくても子ども学校に行けるんだと思ったんですね。」。



中学、高校時代は、ハーさんは家ではベトナム語を話し、外では地元ボランティアの人たちに日本語を一から習い、さらには勉強も教えてもらっていました。



宮嶋:「ハーちゃん、大学までいったんですよね。」
ハーさんの母:「本当驚いた。そんなこと思っていないから」

ハーさんはベトナム語も日本語も操れる、難民1・5世と呼ばれる貴重な世代です。
しかし、日本社会の壁はありました。

ハーさん:「外国籍の方なんですか?っていわれて、すぐ断られちゃうんですよ。」



大学卒業後、日本語とベトナム語のバイリンガルとして社会で働こうとした矢先、

ハーさん:「仕事したいんですけれどって言うと、最初はいろいろ聞いてくれるんですよ。外国の名前で言うと、「外国籍の方なんですか?」って言われて、すぐ断られちゃうんですよ。普通にアルバイトとかで募集がかかって電話できいても断られますね。」


  

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