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2月23日 『日本のシンクロはどこへ行く・・・・』

2011年7月には中国上海で世界水泳が行われます。ロンドンオリンピックの出場権をかけて、各国がしのぎを削る大会です。2010年は、オリンピックに向けての基礎作りの年で、中国の常熟でワールドカップが9月に行われました。このワールドカップに向けてもさまざまな動きがありました。報道ステーションで2010年10月に放送したものをまとめました。

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中国上海から車で2時間、常熟という町があります。
この町で、9月にシンクロナイズドスイミングのワールドカップが行われました。



宮嶋:「シンクロナイズドスイミングのワールドカップが終了し、今回もたくさんの変化が見て取れました。その中から日本をめぐるインサイドストーリーをお伝えします。」


  


今、シンクロ関係者が最も注目している国。イタリア
去年の世界水泳ローマ大会では日本を上回る成績を出したイタリアに、今年、日本人の友松由美子さんがコーチとして就任しました。

友松さんといえば、これまで日本チームにとって、大切な役割を果たしてきたコーチです。
友松さんの演技構成とコーチングで日本は、2001年世界水泳福岡大会では チーム競技で銀メダル、2003年世界水泳バルセロナ大会のコンビネーションでは金メダルを獲得してきました。

シドニー、アテネ、北京と、3回のオリンピックにコーチとしてかかわってきた友松さんが、なぜ、日本でなく、イタリアにいるのでしょう。



宮嶋:「これから日本のシンクロ界は友松さんが担っていくのかなと思っていたのですが。」

友松:「自分自身がまず成長しないことには。私たちが求められている芸術的な要素って言うのは、ちょっと、日本ではない違うところで学んでみたいなって思ったんです。」

ヨーロッパの芸術的要素を学びたいという言葉の裏には、日本のシンクロに対する危機感がありました。

「世界のレベルがものすごい勢いで上がってきたんですね」

いつか日本を指導する日が来るときのために、コーチとしての腕を磨きたい。友松さんの夢は広がります。

今回のワールドカップ常熟大会でのイタリアのチームの成績は7位。
日本の技術とイタリアの芸術がミックスされてジャンプアップする日が来るかもしれません。


 


日本にも大きな変化がありました。
ロシアから振り付け師のガーナ・マキシモバさんを招き、新しいリズムの取り方や、流れるような動きの基本を学びました。

ガーナ:「ほかの国は日本からたくさんのものを学びました。そして今、日本は芸術的なものなどを学ぶ必要があります。」

ガーナさんが振付けたチーム・フリールーティンは、立体的な曲線がいたるところにちりばめられていました。
これまで技術で勝負をしてきた日本に、新しい芸術的表現が加えられました。

今回の大会には、スペインが出場してないとはいえ、ワールドカップで日本はチーム4位と健闘しました。




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2009年の世界水泳ローマ大会、日本は歴史的な大敗を喫してしまいました。
全種目でメダルゼロに終わり、初出場だった選手の半数がこの後、引退。
さらには3人のコーチ全員が辞めてしまうという異常事態となったのです。

2009年世界水泳ローマ大会の成績は以下のとおり。
        ソロ    テクニカル 5位   フリー5位
        デュエット テクニカル4位 フリー6位
        チーム   テクニカル5位   フリー6位
        コンビネーション 5位 

かつてない低い数字が並びます。

ぼろぼろの日本シンクロを灼熱の太陽が照りつけるローマの会場で、じっと見つめていたのは、井村雅代さん。

過去1984年のロサンゼルス五輪から日本シンクロにメダルをもたらし続け、2008年の北京オリンピックでは中国を初めて表彰台に押し上げたコーチです。


  


北京オリンピックの後、日本に戻った井村さんは、どうすれば日本シンクロがたて直せるのかを考えていました。

再建のためには、日本の顔になる選手を作ることが最短であると判断し、秘蔵っ子として指導してきた乾(いぬい)友紀子を徹底的に鍛え始めたのです。

乾のあだ名は「ワン」
本人によれば、子供のころに「乾で犬を連想されて、ワンと呼ばれていた」とのことです。

プールの水中の様子がわかる地下にもぐりこみ、乾の脚のけりを見つめていた井村コーチが大声で叫びます。

「ワン、蹴りなさい!!」

小林千紗と乾友紀子の二人を世界に通用するデュエットにしたいと、体力つくりから始まり、作品作り、二人の動きを合わせる仕上げまで、8ヶ月をかけて井村さんとその教え子である立花美哉さんの二人で担当しました。井村さんが日本選手の指導に本格的に専念したのは、アテネオリンピック以来、実に5年ぶりのことでした。


  

  

9月に中国の常熟で行われるワールドカップの日本代表デュエットは日本選手権の結果によって選ばれます。

北京オリンピックのデュエット日本代表は東京スイミングクラブからの選手でした。
今回、井村シンクロクラブの二人が、果たして日本代表になれるのか、勝負のときです。

乾友紀子19歳
小林千紗22歳
アラビアのイメージを表現した二人の演技。


  

結局、井村シンクロの二人が、優勝を決め、日本代表デュエットとなることが決まりました。


  

表彰式後、こんな質問をぶつけてみました。
宮嶋:「誰に教えてもらいたいというのはありますか?」
小林:「この二人でデュエットが出させてもらえるということで、井村先生と美哉先生にみていただきたいです。」

その後、日本水泳連盟によって日本代表選手団が正式に発表されましたが、そこに、井村さんの名前はありませんでした。


  


井村さんに要請があったのは、国内支援スタッフというアドバイザー的役割だけでした。
メインのコーチを側面から支援する役割です。

井村:「さすがにがっかりしましたね。わたしってそんなに邪魔?日本にとって邪魔なんだって思ったんですね。私はなにも肩書きなんていらない。ヘッドコーチになんてなりたくもない。ただ、現場に行って、選手が戦うときに、私の力がすることがあるのであれば、役に立ちたいと思っただけで、今の日本が強くなることに協力したいとおもっただけで、」

井村さんは、国内支援スタッフの要請を断りました。
それは、「自分のようにうるさい人間がそばについていたら、メインコーチに指名された若いコーチはきっとのびのびと思うように指導できないだろう。さらには、国内で私が指導して、海外に行ったときに、私がいないということは、選手が混乱するだけ。コーチの役割は選手が望む目的地に連れて行くこと。」という井村さん自身の考え方によるものでした。

確かにCoachという言葉は「乗合馬車」を語源とし、乗客を目的地に連れて行くためのものという意味があります。最後まできちんとついていってこそコーチという思いが井村さんにはあったのでしょう。

井村さんが日本代表コーチにならなかったことを聞きつつけ、5カ国からコーチ就任の要請がありました。


  

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