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ドイツ映画である。
「自分をもっと好きになりたいすべての女の子に贈る珠玉のGIRLY MOVIE」
というコピーとともに、それこそまさに平和にGirly、な、手描き風のハートがパンフレットのそこかしこに躍っている。
ドイツ、ガーリー?ってことは、『点子ちゃんとアントン』か?
私にとって「ガーリーといえば」必ず思い出されてしまう雑誌『オリーヴ』。
を彷彿とさせる試写パンフレットをぱらぱらとめくりながら、甘くてほろ苦い青春ムーヴィーというところ?それもよろしかな、という気でフカッと腰を下ろした。 |
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ところが。
ビタースウィート=甘くてほろ苦い という表現から想像した、いわゆる青春映画とは違っていた。
現題は、
『Big Girls Don’t Cry〜いい歳をした娘は泣かない〜』
なるほど。
「私達ピュアだからこそ揺れ動いて不安なの」的な空々しいきれい事では終わらない映画、ということに序盤早速安心した、どころか、次第に心つかまれていた。
1時間31分。
17歳のカティとステフィ。
家庭環境も個性もそれぞれ違う、幼ななじみの二人。
彼女たちの視線を通して、ドラマは展開していく。
ある時二人は、ステフィの父親の浮気現場を目撃し、ステフィが浮気相手の娘への復讐を企てる。
ステフィの冷酷な仕打ち、その一方で正義感からいたたまれなくなるカティ。
二人を取り巻く現実は、想像を超えた悲劇へと発展していく。
全体を支配する、どこかあか抜けない感じ。
これが調度いい。
計算し尽くされているのかそうでないのか?
どちらにしろ、スタイリッシュ過ぎないことで、監督の描くドラマがなおさらまっすぐに、心に浸透してくる。
新鋭女性監督である。
脚本も手がけた、マリア・フォン・ヘランド。
1965年スウェーデン生まれの彼女が初めて手がけた長編映画が、この『ビタースウィート』だそうだ。
自身の経験や記憶、その焼き直しでないところが、この映画を空々しくさせない重要なポイントだったと思う。
「脚本の大半はまったくのフィクション」と自身が語るとおり、大勢の10代と実際に会って話をしたという徹底的なリサーチは、あくまで本質を描き出すためのエッセンス。
彼女自身が創り出した「現実」、そこに魅力がある。
17歳。
今、忘れてしまったふりをして封印した気になっている、あのころ抱いたことのある、時に自分でもぞっとするようなグロテスクな感情。
を思い出させられる。
嫌気のさすような嫉妬心
あざとく無邪気で
無防備なエロス
見ているこちらが、あぶないよ、と、彼女たちの危うさにはらはらする一方で、心の声が自分に問う。
じゃあ果たして自分は?
今 大人として、強い人間になれているだろうか。
「映画に描かれるすべてのものは、私を通した“現実のもうひとつのバージョン”なのです」
と語っているへランド監督。
スクリーンに広がる事実であるようでいて事実でない「現実」の世界。
問いに対する、これが正解、という答えはなくとも、ある程の救いは描いてくれている、と感じた。
この夏、シネマメディアージュにてロードショー。
こういう時代に生きているからこそ、観ておきたい映画である。
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◇萩野アナより皆様にごあいさつです!
今回から加わらせていただきました、萩野志保子です。
皆さんほど映画に詳しいかどうかは自信ないところでありますが、子供のときから好きで。わたしが映画のことを書いていいなんて、とにかくすごく嬉しいです!
5歳のときの『未知との遭遇』が、最初の、映画館での洋画との遭遇でした。
子供のころは父と二人でよく行ったもんだなあ、なんて、いきなりタイムトリップしている場合ではないっ、近況を。
あいかわらず凝っているのは、もちろん「イタリア語」。
取り組み始めて1年半。10月3級検定受けます。
違う国の言葉がある程度身についてくると、日本語の特徴にも敏感になってなお面白い、なんて最近感じてます。
それではまた、Ci vediamo la prossima volta!(次回お会いしましょうね!)
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今年の2月トリノにて |
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