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11月16日 地震特番を担当して・・・

新潟県中越地震では、発生から4回ほど、報道特番を担当させていただきました。特に4回目の特番では、川瀬アナウンサーと一緒に、皆川優太ちゃん救出の瞬間を、およそ2時間にわたってCM抜きでお伝えさせていただきました。生存している優太ちゃんの映像をスタジオのモニターで確認し、お伝えしたときには、身震いがするほどの感動を覚えました。

実は、この特番では午前中におきた震度6弱の余震を受けて、被災地の各地の被害状況をお伝えしていました。
ところが番組が始まってからおよそ30分が経過したころに、私たちの横に座っているアナサイドのデスクから、長岡の土砂崩れ現場で生存者がいるかも知れないという、信じられないようなメモが入ってきたのです。

正直、「えっ、本当に?」というのが私の最初の実感でした。ただ、それが事実なら大変なことです。
「もしそうであるならば、ぜひ生きていて欲しい・・・」
その思いを胸に、すぐに現場の記者から中継で最新状況を伝えてもらいました。

こうした段階では、往々にして、現場でも情報が混乱するものです。
現地の記者からは、生存者がいる模様だが確認できていないということや、捜索が続けられている周囲の状況などが伝えられます。
10分ほどの時間があっという間に経過していきました。

そうこうする内に、少しずつですが、スタジオの私たちのところにも、生存者がいるのではないかという様々な情報が、より詳しく入り始めていました。
「何とか救出される瞬間をお伝えしたい!」
昂ぶる気持ちを押さえ、出来る限り冷静に放送を続けました。

そして、現地の様子が少し膠着状態にあるかに見えた、その時でした。
突然、あの感動的な光景が目に飛び込んできたのです。
救出にあたっていたレスキュー隊員が、小さな子供をしっかりと抱きかかえて立ち上がった映像が、スタジオのモニターに映し出されました。

私はあまりのことに、一瞬言葉に詰まりました。が、横にいた川瀬アナウンサーからすかさず、「あっ、今、お子さんです!」というコメントが!
私も「あっ、お子さんいましたね、お子さんも生きているようです!」と、川瀬アナのコメントに合わせるように言葉を続けました。

心の中で「良かった。本当に生きていたんだ。」と興奮に包まれながら
自らを落ち着かせて、その後の放送を続けました。
優太ちゃんがヘリコプターで病院に運ばれるまでの一部始終。そして、必死に続けられた母と長女の救出作業の模様を・・・。

およそ2時間という時間があっという間に過ぎました。
そして夕方4時を回ったところで、現場記者からの中継の間に、スーパーJチャンネルの小宮・坪井両キャスターにバトンタッチしました。

その後は、報道フロアのテレビモニターで、救出の模様を見守りつづけました。しかし母親と長女が絶望的という情報が入り始めたときには、やはりお伝えしている立場の人間として、非常に残念な気持ちと申し訳のない気持ちで一杯になりました。

実は、私たちが放送した時間帯では、母子3人とも生存という情報もお伝えしていたのです。それだけに、「誤った情報に、ご家族や友人の方々が振り回されてしまったとしたら、本当に申し訳ないことをしてしまった」と痛切に感じていました。

この行き違いは、取材先である当局からの情報自体が間違っていたために、起こってしまったようです。結局、この日の報道では、民放各局からNHK、共同通信までが、間違った生存情報を流してしまいました。
(こうした間違いは、報道にかかわるものとして、本当に気をつけなければならないことと痛感しています)

今振り返りますと、この日の午後ほど時間の過ぎる早さを感じたことは、今までなかったような気がします。そしてこの日の午後ほど、時間の濃密さを感じたこともなかったと思います。
このような歴史的な瞬間の生放送に携われたことは、私のアナウンサー人生の中で決して忘れることの出来ない大変貴重な経験となりました。

日々のスタジオや現場での一つ一つの瞬間を、これから、もっともっと大切にして放送に臨もうと、今改めて思っています。

   
 
 
    
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