21 岡部
岡部のタイトルは「宇津之山」 丸子から岡部に向かう途中の宇津ノ谷峠のことです。難所だった峠の手前には、間の宿(あいのしゅく、つまり五十三の宿場町以外の間にある宿)の「宇津の谷」がありました。今も当時の雰囲気をそのまま残す山間の集落がありました。きれいに石畳が整備された細い坂道が山に向かっていて、両側に民家、商店が並んでいました。
岡部の宿には、岡部 大旅籠 柏屋がありました。現在の建物は1836年(天保7年)に建てられたもので、国の登録有形文化財。中は休憩スペースや歴史資料館になっています。並びには、本陣跡がありました。こちらは門しかなく、隣が岡部宿公園になっていました。
22 藤枝
藤枝のタイトルは「人馬継立」(じんばつぎたて、つまり馬方と馬の交代) 問屋場(上伝馬)の前で、人足がキセル煙草を吸ったり、汗を拭いたり、「さあ荷物を持ち上げて出発しましょうか」 という慌ただしい様子です。
現在ここは商店街。慌ただしさはありません。のんびりとした雰囲気。車は行き交いますが歩いている人の姿をあまり見かけませんでした。
23 島田
広重は大井川の渡しの様子を俯瞰で描いています。「五十三次の最大の難所・箱根より越すのが大変だ! 」とうたわれたように、川幅も広く急流である大井川はやはり難所でした。小さな人間達がまるでアリのように隊列を組んでこれから挑んでいく感じが出ています。あえて大井川の本流も絵の左上に一部しか描いていないので、川幅がかなりあるように想像させます。
川越遺跡(かわごしいせき)はきちんと保存・復元・整備されていました。旅人が川札(人足一人を雇うために一枚必要)を買う川会所(かわかいしょ)、人足が集合していた番宿、人足が川札をお金にかえた札場(ふだば)などが並んでいました。
川の渡し賃は水位によって決まっていました。島田市博物館の調べでは… 脇通 (水深が脇以下) 94文(¥2820) 乳通 (水深が胸) 78文(¥2340) 帯上通 (水深が帯の上) 68文(¥2040) 帯下通 (水深が帯の下) 52文(¥1560) 股通 (水深が股以下) 48文(¥1440) 寛政年間(1789-1801) 人足の肩にまたがる場合は川札一枚ですが、補助の人足がついた場合や蓮台に乗る場合は当然、川札プラスα枚のオプション料金が発生するというわけです。 雨が降って水かさが脇より上になると、渡ることができずに宿に留め置かれて、予定外の出費もかさむ。お天道様のご機嫌次第という意味でも難所だったんです。