私の「顔」は、いつしか「飯塚の標的」となったのだ。
日が経つごとに、飯塚の私への攻撃がエスカレートしていく。
しかしインタビューでは、未だかつて「あぁ。お。ざっ。がっ。」なる
「音としての叫び」以外の「言葉」を引き出したことはない。
飯塚のインタビューを経験したことのある吉野アナによると、
「一言目だけはたぶん日本語だ」ということらしい。
吉野アナも相当真剣に飯塚の声を聞いているが、
それでも「たぶん日本語」と言っていたように記憶している。
飯塚を知らない皆様にも、少しは飯塚について理解して頂けたと思う。
ここから、本題に入る。(笑)
私も「飯塚担当」を随分経験し、入社4年目を迎えた。
そこで今年度の目標を立てた。
「飯塚と会話すること」
この目標の達成を狙いながら臨んだ5月3日。
福岡。レスリングどんたくで、
事件は起きた。
この日、いつも以上に飯塚は荒れていた。
カメラマンと共に飯塚を待ち構えている所に、飯塚はやって来た。
目が合うやいなや、襲われ、むなぐらを捕まれた。
ここまでは、いわば想定の範囲内だ。
胸をつかまれ持ち上げられ、
壁にぶつかってそこで危害を加えられるのが「これまで」だった。
しかし、今回はそうはいかなかった。
完全なる誤算。
福岡のインタビュースペースが広すぎたのだ。
どこまで行っても、壁がない。
「あれ?壁は?」一瞬だったが反射的にそう思った。
私は私の人生で、あの時ほど「壁」を欲したことはない。
そして遂に私は倒され、仰向け状態。
飯塚は私の上にまたがり、ネクタイで首を絞めてきた。
逃げ場はない。周りに関係者もいない。こんな状況は初めてだった。
「これはやばい」と恐怖を感じた。
そして、ここで私が咄嗟に発した言葉が、後に大問題となる。
恐れをなした私は飯塚にこう言ってしまったのだ。
「すみません」
つい、思わず、謝ってしまった。
そこからしばらくして飯塚の気が収まったのか、
今度はカメラマンに標的を変え、
カメラを倒した後に、どこかへ消えていった。
・・・。
中継後。その日の反省会。
私はスタッフに一部始終を話した。
そこで「すみません」と謝ってしまったことに話が及んだ。
吉野アナに
「何で謝ったんだよ!!
間違ったことしてないんだから謝るなよ!!立ち向かえよ!!」
古澤アナにも
「確かに。謝ったら、暴力に屈したことになるから、
せめて言うなら、やめてくださいって言うか、だな・・・。」
と指摘され・・・。
この2人の先輩方も、選手は違えど、
同じような経験をしていることを私は知っている。
だからこそ言葉にも重みがあった。
納得。
4年目を迎え「飯塚と会話する」などという目標をたてたが、
あっさりと下方修正だ。
今年度の私の目標は、
「飯塚に謝らないこと」に変更する。
目標にプライドなんか要らない。
でも、飯塚担当インタビュアーとしてのプライドは持っていたい。
福岡の夜。
プロデューサーはいつもと同じように「頑張れ」と私に言った。
しかし、私の心意気はいつもと違っていた。
あの日、心から「飯塚担当」をやり遂げたいと思った。
それこそ、2年目の三上がプロレス班に加わったからといって、
この役割を譲るつもりは毛頭ない。
「飯塚には、俺が聞く」
福岡で、私に意志が芽生えた。
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