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5月18日 頑張って最後まで読むと…特典が!!


飯塚高史というレスラーについて書く。

飯塚は、日本で最も凶暴で凶悪なレスラーだ。
飯塚は、日本で最も危険で、決して近寄ってはならないレスラーだ。
・・・と私は考えている。

181cm101kg。
蓄えられた長いアゴ髭とは対照的に、眉は、ない。・・・ほぼ。
髪は剃り上げられ、常にスキンヘッドが保たれている。
見ただけで一歩下がる、戦慄の見た目だ。



飯塚高史(新日本プロレスHPから引用)


言動は、見た目どおり。
はっきり言って、ハチャメチャだ。常軌を逸していると言い切っていい。
リング上では必ず凶器を使う。入場時に、花道はほとんど歩かない。
観客席の椅子をなぎ倒しながら、
人の言語とは到底考えられない「ざ。がっ。お。あ``」という、
「音」を叫びながら暴れる。
飯塚の悪は無差別だ。
誰だろうと、自分の進行を邪魔する者に対しては害を加える。
その行動は全て一様で、例外はない。
観客は、飯塚が近づくと一瞬にして悲鳴をあげ逃げ回る。
はっきり言う。それが、正解だ。
しかし、我々伝え手に「逃げる」という選択肢は、ない。



戦慄の表情でリングに向かう飯塚。


中継カメラに向かってくる飯塚。


襲われるカメラマン。


この後、カメラマンは倒され・・・



こんな映像になる。


続けて、こんな映像にもなる。


さて、我々の中継現場での仕事の一つに、
「戦いを終えたレスラーにインタビューを行う」というものがある。
控え室に戻る途中に聞くのが通例だ。
当然のことだが、
飯塚へのインタビューも他のレスラーと同様に行わなければならない。
幸か不幸か、私は新人時代から「飯塚担当」を務めている。
特に申し出たわけではないが、
何故か毎回、飯塚のインタビュー担当は私だった。
何度かプロデューサーに理由を聞いたことがある。
「頑張れ」と返ってきた。

誰だって、危害を加えられると感じれば、
必然的に、反射的に、逃げるに決まっている。

私は飯塚に向かって「飯塚さん」と声を発するまで、半年かかった。
しかし、恐らくその声は、か細かったのだろう。
飯塚は私に目を合わせることなく、そこら中の物に対して当り散らし、目の前を去っていく。
お前など眼中にないと言わんばかりに「無視」されていたのだ。
しばらく、こうした状況が続いた。

「これではダメだ」と決心した、ある日の中継のこと。
私が持っている一番安いスーツとネクタイで会場に行き、覚悟を決めた。

試合後、いつものように飯塚を追いかけた。
質問の文言はもう前から決めていた。
「飯塚さん。何故あんなことを繰り返すんですか?」
大きな声で言葉をぶつけた。

次の瞬間、飯塚が振り返った。目があった。
向かってきた。もの凄い形相だ。
私の右足が一歩下がった。腰が引けた。泣きそうになった。
「終わった」と思った。

胸をつかまれ、壁にぶつけられ、張り手と蹴りがとんできた。
私が真の意味で「飯塚担当」になった瞬間かもしれない。

それ以来、私の「飯塚担当」は、もう1年以上になる。
飯塚は、完全に私の「顔」を覚えた。

先日、後楽園で飯塚の試合を実況する機会があった。
飯塚は、迷うことなく私が喋る放送席へやって来た。



一番左が私。飯塚に睨まれる。


「くる」と思った瞬間。


やはり、「きた」・・・。


当然だが、怖いし、痛い。


それでも喋る。


私の「顔」は、いつしか「飯塚の標的」となったのだ。
日が経つごとに、飯塚の私への攻撃がエスカレートしていく。

しかしインタビューでは、未だかつて「あぁ。お。ざっ。がっ。」なる
「音としての叫び」以外の「言葉」を引き出したことはない。
飯塚のインタビューを経験したことのある吉野アナによると、
「一言目だけはたぶん日本語だ」ということらしい。
吉野アナも相当真剣に飯塚の声を聞いているが、
それでも「たぶん日本語」と言っていたように記憶している。

飯塚を知らない皆様にも、少しは飯塚について理解して頂けたと思う。

ここから、本題に入る。(笑)

私も「飯塚担当」を随分経験し、入社4年目を迎えた。
そこで今年度の目標を立てた。
「飯塚と会話すること」
この目標の達成を狙いながら臨んだ5月3日。
福岡。レスリングどんたくで、

事件は起きた。

この日、いつも以上に飯塚は荒れていた。
カメラマンと共に飯塚を待ち構えている所に、飯塚はやって来た。
目が合うやいなや、襲われ、むなぐらを捕まれた。
ここまでは、いわば想定の範囲内だ。
胸をつかまれ持ち上げられ、
壁にぶつかってそこで危害を加えられるのが「これまで」だった。

しかし、今回はそうはいかなかった。
完全なる誤算。
福岡のインタビュースペースが広すぎたのだ。
どこまで行っても、壁がない。
「あれ?壁は?」一瞬だったが反射的にそう思った。
私は私の人生で、あの時ほど「壁」を欲したことはない。

そして遂に私は倒され、仰向け状態。
飯塚は私の上にまたがり、ネクタイで首を絞めてきた。
逃げ場はない。周りに関係者もいない。こんな状況は初めてだった。
「これはやばい」と恐怖を感じた。
そして、ここで私が咄嗟に発した言葉が、後に大問題となる。
恐れをなした私は飯塚にこう言ってしまったのだ。

「すみません」

つい、思わず、謝ってしまった。

そこからしばらくして飯塚の気が収まったのか、
今度はカメラマンに標的を変え、
カメラを倒した後に、どこかへ消えていった。

・・・。

中継後。その日の反省会。
私はスタッフに一部始終を話した。
そこで「すみません」と謝ってしまったことに話が及んだ。

吉野アナに
「何で謝ったんだよ!!
間違ったことしてないんだから謝るなよ!!立ち向かえよ!!」
古澤アナにも
「確かに。謝ったら、暴力に屈したことになるから、
せめて言うなら、やめてくださいって言うか、だな・・・。」
と指摘され・・・。

この2人の先輩方も、選手は違えど、
同じような経験をしていることを私は知っている。
だからこそ言葉にも重みがあった。
納得。

4年目を迎え「飯塚と会話する」などという目標をたてたが、
あっさりと下方修正だ。
今年度の私の目標は、
「飯塚に謝らないこと」に変更する。
目標にプライドなんか要らない。
でも、飯塚担当インタビュアーとしてのプライドは持っていたい。

福岡の夜。
プロデューサーはいつもと同じように「頑張れ」と私に言った。
しかし、私の心意気はいつもと違っていた。
あの日、心から「飯塚担当」をやり遂げたいと思った。
それこそ、2年目の三上がプロレス班に加わったからといって、
この役割を譲るつもりは毛頭ない。

「飯塚には、俺が聞く」

福岡で、私に意志が芽生えた。



※ 最後までこの長〜い原稿を読んでくださった皆様に、
福岡での飯塚インタビュー映像をお届けします。
ただ残念ながら、著作権等の問題で、今回インターネット上では、
「無音」で映像処理を行わなければなりませんでした。
飯塚選手と私の叫び声が消えてしまい恐怖感は半減していますが、
「音」を想像しながら「未公開映像」をお楽しみください。

それでは!!

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