スピードスケート男子500mで長島圭一郎さんが銀メダル、加藤条治さんが銅メダルを獲得しました。
スピードスケート担当記者としては、本当に嬉しかったですね。というよりも、ほっとしました。 長い間、日本のスピードスケートは強いというイメージでした。1984年のサラエボ五輪から6大会連続でメダルを獲り続けていた歴史がストップしてしまったのは、前回トリノ五輪。私も少しばかり不安な気持ちになっていたと言うのが正直なところです。 男子500mで日本の二人がメダルを獲得し、ほっとしたのもつかの間、翌日に行われた記者会見で長島圭一郎さんが発した言葉が、ちょっとした問題になったようです。 「メダルを獲るまではほしくてたまらなかったが、獲ったら、何も・・・べつに、・・・微妙な気持ち、なくてもいいな・・・・・・。」 この会見での発言がニュースで流され、日本で見ていた方に長島さんはかなり叱責されたようです。 記者会見場でこの言葉を実際に聞いていた私は、話しべたな長島さんが、ボソッボソッと語るその気持ちがとてもよくわかるような気がしていましたので、日本からの反応を聞いて、とても残念に感じました。
「獲ってしまったら、別にメダルは・・・・それよりも、やったこと自体が大事で・・・・ メダルを他の人が見てくれるのを見ながら、漠然とそんな風に思いました」と話してくれていました。 インタビューをしながら、私は長島さんはなかなか哲学者だと思ったのです。 「メダルと言う物質の獲得そのものに意味があるわけではなく、メダルを目指し、そしてそれを獲ったという事実に意味がある」 「そして、メダルを獲得してしまったら、彼の心は次の目標に向かっている」 自分が置かれたメダリストとしての立場をかなり客観的にみての発言だなと感じたのです。 しかし、記者会見での言葉足らずの面もあって、その部分だけが切り取られてニュースに流れてしまえば、面白おかしい部分だけが際立ち、本人の思いとは別物になって、一人歩きをしてしまいます。そこでお叱りを受けることになったのでしょう。 アスリートは身体で自己表現をする人々だけに、言葉で自分の気持ちを表現するときに、十分に思いを伝えられず、時として誤解されてしまうことがあります。 特に、オリンピック選手のように4年に一度だけ大きく扱われるとなると、その人の人柄などもよくわからぬまま、言葉が一人歩きして誤解される危険性はますます大きくなってきます。 「こうなると、当たり前のことしか、言えなくなってしまいますね」 ボソッとつぶやいた長島さんの気持ちが痛いほどわかります。 今回、バンクーバー五輪を一緒に見ていただいている長野五輪の金メダリスト清水宏保さんの言葉が胸に突き刺さりました。 「ねえ、僕がマスコミ嫌いになった理由もわかるでしょう。ナカタも、イチローもそうじゃないですか。」 マスコミ嫌いの選手を作り出さないための努力は、私たちにも必要なのですね。 本当の真意がどこにあるのか、番組を作る側も、視聴者も、関係者も深く読み取っていく必要があるのでしょう。
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