■2011年7月10日(日)
深夜11時35分〜12時30分

つながろう!ニッポン
故郷の灯は消さない
〜陸前高田からのメッセージ〜

番組概要

東日本大震災で約1,500人が死亡し、今も600人余りが行方不明の陸前高田市。
全8,068世帯の半数近い3,845世帯が全半壊、町は壊滅的な打撃を受けた。
しかし、あれから4ヶ月…「故郷の灯を消すな」と立ち上がった人々がいる。
妻を失い、市役所庁舎も失った戸羽市長は、県内で一番先に仮設住宅の建設を始めた。
内陸部へ一時避難を検討する自治体もある中、この地に踏みとどまって復興を進めるという強い決意だった。傷ついた故郷を再生させたい!
甲子園を目指す球児たちも、創業200年の老舗も、「赤ひげ先生」も動き始めていた。
ガレキの町を元気付け、笑顔を取り戻したいと・・・
大震災と津波に翻弄された陸前高田の4ヶ月、その再生と希望の4つの物語。
絶望の淵から立ち上がった人々の勇気を120日に渡って定点観測した。

ナビゲーター: 村上弘明
陸前高田出身。実家も津波に襲われ、両親は避難。
「赤ひげ先生」の診療所は2軒隣、今、診療を続ける避難所の小学校は村上氏の母校。

ナレータ−: 竹下景子 村上弘明


第1話 復興へのプレーボール 〜ガレキの中から目指せ!甲子園〜

その時、高田野球部は学校裏の小高い丘にあるグラウンドで打撃練習中だった。 
見下ろす校舎の青い屋根の向こうに「黒い海」が迫り、見る間に3階建ての校舎が飲み込まれていった。生徒教師合わせて死者行方不明は23人。

全壊した校舎の脇に奇跡的に残っていたものがある。
1988年の甲子園初出場を記念して建てられた作詞家・阿久悠さんの石碑だ。 
大雨の中で行われた試合は8回降雨コールドで敗れ、阿久悠さんは「高田高の諸君 君たちは甲子園に1イニングの貸しがある」という詩を贈った。 


23年後、その貸しを返してもらうための戦い。
しかし、多くの部員が自宅を流され、3人が家族を失っていた。
津波で破壊された校舎は使えず、大船渡市の高校の校舎を借りて授業を受ける日々。
グラウンドには仮設住宅が建設され、練習場所すら失った。
しかし、避難所生活を送り、ボランティア活動を行いながらも汗を流し続けた。
ガレキの中から目指せ、甲子園! 生まれ育った町を元気付けるために!

第2話 杉樽で見つけた希望 〜老舗醤油会社の"奇跡"〜

創業は江戸時代の1807年、200年の伝統を誇る醤油醸造会社「八木澤商店」。
大津波で工場も店舗も跡形なく流されたが、2週間後、2キロも離れた山際で歓声があがった。 「間違いない!モロミだ!」


津波に流され、半壊した杉樽にほんの僅かにこびりついていた醤油作りの命、モロミ。
200年来の蔵付の微生物がないと、老舗の味は再現できないのだ。 
はたして、味は復元できるのか?

微生物が採取できた4月6日、八木澤商店は新入社員を迎え、再スタートを切った。
この日就任した37歳の9代目若社長が39人の従業員の前で宣言した。
「トラック以外、全て失いましたが全従業員を雇用します!」 そして、2人の新入社員には、「こんな会社ですが、来てくれますか?」 入社式は大爆笑に包まれた。
醤油や味噌を戸別配達してきた従業員たちの初仕事は、配送のノウハウを生かして支援物資を避難所に届けるボランティアだった。 そんな八木澤商店にもうひとつ奇跡が起きた。

第3話 天国の妻のために・・・ 〜名物市長の奮闘記〜

3月11日午後2時40分…  
それが戸羽太市長は妻と交わした最後の電話になった。
「今日は早く帰れそうだから焼肉でも行かないか?」 「子供たちに聞いてみるね」  


住民の安否確認や救援物資の確保に追われる市長に、行方不明の妻を捜しに行く時間はない。
「家族を守ってやれないのは人として最低だけど、先頭に立つことが 私の指名だと割り切るしかないんです。」 
被災から3週間以上経って見つかった妻の遺体に、市長は何度も声をかけた。
「ごめんな、ごめんな・・・」

市役所が水没したため、市民サービスを行うのもプレハブの仮庁舎だ。
3月27日、市長の携帯電話が鳴った。相手は菅総理。
途切れ途切れの通信状態の中、伝えた。
「一番お願いしたいのは仮設住宅なんです!」
そして、安全な町づくりを目指し、国にモノ申す。
そんな市長が最近、口癖のように繰り返す言葉がある。
「国は被災者の気持ちが分かっていない」

第4話 診療所から地域再生を 〜被災地の"赤ひげ先生"〜

大津波で診療所と自宅を失い、当初は自ら避難所で生活しながらも、陸前高田市広田町の地域唯一の医師として診療を続ける近江三喜男さん、63歳。 
命からがら避難した広田小学校で、いつの間にか保健室が臨時診療所となっていた。

毎日、避難所内外から訪れる患者は約50人。心の病を患っている人も多い。
カルテが全て流されてしまったため、残った処方箋のコピーなどを基にやりくりしている。
東北大学医学部の教授時代、数々の大手術を手がけた心臓血管外科のスーパードクターだった近江医師。2006年春、「医師の原点に立ち返りたい」と故郷に戻り、
「診療所から地域再生を」をモットーに地域医療に余生を捧げてきた。 


高齢化が進むこの地で、近江医師の日課は訪問診療。「もう大丈夫だよ!」 
今日も、被災した町を巡回し、床ずれを発症した寝たきりの老人に優しく声をかける。

制作協力:岩手朝日テレビ

つながろう!ニッポン これまでの番組

ANN報道特別番組 つながろう!ニッポン 〜テレビが伝えたこと 伝えたいこと〜
東日本大震災から50日…。テレビに出来たこと、出来なかったことは何なのか。この間の報道を振り返り、検証します。そして、被災地に山積する課題を検証、「復興」への思いと現実との間で悩む被災者の姿を描きます。(2011年4月29日(金・祝)放送)

つながろう!ニッポン 〜震災1ヶ月・勇気の記録〜
福島県出身の俳優・西田敏行が、大震災から1ヶ月間のさまざまな『勇気ある行動』や『感動秘話』にスポットを当て、頑張るニッポンに「エール」を送ります。(2011年4月10日(日)放送)

つながろう!ニッポン 被災地からのメッセージ
出来る限り多くの方々の声、姿をYouTubeでお伝えしています。