■2011年4月29日(金・祝)
午後1時20分〜5時54分
■5月22日(日)
深夜11時45分〜0時40分(再・一部)

ANN報道特別番組
つながろう!ニッポン
〜テレビが伝えたこと 伝えたいこと〜

番組概要

東日本大震災から50日…。テレビ朝日系列では地震発生後、74時間に渡りCMなしの緊急報道特番を放送し続けました。混乱極まる中、次々と明らかになる大津波の被害、増え続ける死者・行方不明者の数、そして原発事故の発生。被災地の状況が刻々と変わり行く中で、テレビは被災地が、全国の視聴者が求める情報をきちんと伝えることができたのか。テレビに出来たこと、出来なかったことは何なのか。番組では、テレビ朝日が伝えてきた震災報道を振り返り、検証します。

また、長引く避難生活の中で、被災者が本当に求めていることは何なのか。支援物資はどのようにして被災者に届けられているのか、震災の記憶に苦しむ被災者の心のケアは―。被災地に山積する課題を一つ一つ紐解き検証するとともに、岩手、宮城、福島の各地で「復興」への思いと現実との間で悩み続ける被災者の今を描きます。

司会:渡辺宜嗣、市川寛子(テレビ朝日アナウンサー)
ゲスト:吉岡忍(ノンフィクション作家)、宮嶋茂樹(報道カメラマン)

大震災とテレビの葛藤

☆大震災発生 そのときテレビは…
大震災発生直後からテレビは緊急報道特別番組に切り替えましたが、最大震度7に襲われた被災地では、地元の系列局も被害を受け、津波でヘリコプターが水没するなど、報道活動に支障をきたしていました。当日は、現地の映像や情報が十分に伝わらない状況が続きました。

翌朝、被災現場に向かう上空から記者が見たのは、建物の屋上で助けを求める人たち。葛藤しつつもその場を後にした記者…。あの日、屋上で手を振っていた病院職員や患者たちのその後をたどります。一方、津波に襲われた港町の駐在カメラマンは自らの家も流される中、必死でその瞬間を捕らえていました。映像から滲み出る恐怖、そして今、彼の決意とは…。大震災発生直後からのテレビ局の舞台裏を検証します。

☆「事実」とは何だ? 〜原発事故とテレビ〜
福島第一原発で水素爆発、取材したいのに現場に近づくこともできない…。地元局の報道部は苦悩しました。事実に基づいた冷静な報道が評価された一方、「テレビは何か隠しているのではないか?」という不信感を招いてしまった側面も拭い去れません。テレビにとっても“想定外”だった原子力災害の報道について検証します。

☆「テレビが出来たこと、出来なかったこと」
「プールの水を飲んでいる…」被災地の過酷な実情を報道した2日後、現地には大量の飲料水が届けられました。テレビの報道が被災地支援に役立ったのは確かですが、その裏で、取材されない被災地には支援がなかなか行き届かず、格差が生まれるジレンマもありました。

一方で、ツイッターなどの新しいソーシャルメディアが各地の細かい情報をすばやく伝え、存在感を示しました。こうした中でテレビ局もユーチューブやユーストリームを使い、放送とは違った形で情報の発信を始めました。識者に振り返ってもらい、テレビへの苦言と提言を聞きます。

※ 番組前半のこの部分は、「つながろう!ニッポン 特別編〜大震災とテレビ〜」として、5月22日(日)深夜11時45分〜0時40分 再放送します。

被災者 それぞれの50日

発生から50日が経ち、被災地で求められているものは、当初とはだいぶ違ってきています。被災者の方々の現状と今、真に求められているものを探っていきます。

青森県八戸市から千葉県浦安市まで被災地を縦断し、各地それぞれの事情を被災した人たちに聞いていきます。
(※テレビ朝日系列YouTubeチャンネルでも配信します。)

また、支援物資が東京から被災地へ、そして、実際に被災者のもとに渡るまでを追跡。さらに現地で自然発生的にできた「支援物資」コーディネーターの姿やボランティアで被災地を回る医師による「心のケア」についてお伝えします。

そして、海外からは心のこもった暖かい心遣いが番組に届けられました。
被災地と支援する人たちを結びつけること…それがテレビのもう一つの役割ではないでしょうか。

つながろう!ニッポン そのほかの番組

つながろう!ニッポン 〜震災1ヶ月・勇気の記録〜
福島県出身の俳優・西田敏行が、大震災から1ヶ月間のさまざまな『勇気ある行動』や『感動秘話』にスポットを当て、頑張るニッポンに「エール」を送ります。(2011年4月10日(日)放送)

つながろう!ニッポン 被災地からのメッセージ
出来る限り多くの方々の声、姿をYouTubeでお伝えしています。