キャスト

津田 梅(つだ・うめ) 広瀬すず

日本の女子教育の先駆者。女子英学塾(現在の津田塾大学)の創設者。後に津田梅子と名乗るようになる。
1871 年、洋行経験のある父・仙にすすめられるがままに、岩倉使節団に随行する女子留学生のひとりとして6 歳で渡米。女子留学生の中で最年少だった梅は仲間たちにかわいがられる。
真っすぐな性格で芯が強く、しっかりした意志を持っている。知的好奇心が旺盛で、やりたいと思ったことにはチャレンジするタイプだが、恋愛にはかなり奥手。

【留学生仲間】

山川捨松(やまかわ・すてまつ) 池田エライザ

梅の留学仲間で、アメリカの大学を卒業した初の日本人女子。幼名は“咲”だったが、留学する際に、母親が「捨てて待つ」という意味で“捨松”と名づけた。自分には帰る場所がないという覚悟で留学に臨み、名門ヴァッサー大学で英文学を専攻。優秀な成績をおさめる。
帰国後は、17歳年上の陸軍卿・大山巌の後妻に。そんな捨松の選択に、梅は「自立せず結婚して夢を捨てるのか」と激しく反発するが…!?

永井 繁(ながい・しげ) 佐久間由衣

9歳のとき、梅たちとともに留学し、10年間アメリカで過ごした。アメリカでは音楽の才能を伸ばし、ヴァッサー大学音楽学校に入学。帰国後は音楽教師として仕事を始める。同時期に留学していた海軍軍人・瓜生外吉と、当時としては珍しい恋愛結婚をする。仕事と家庭を両立させながら活躍した女性でもある。メガネ女子。

吉益 亮(よします・りょう) 宮澤エマ

14歳のとき、梅たちとともにアメリカに留学するが、眼病にかかって1年足らずで帰国する。留学を終えて帰国した梅と約10年ぶりに再会。女子向けの英語塾を開きたいという夢を持っている。

神田乃武(かんだ・ないぶ) 井之脇 海

梅たちと同様に留学しており、当時の日本では最も英語が堪能な人物と評されていた。のちに学者としても活躍する。梅は淡い恋心を抱くが、神田は捨松に好意を抱いており…!?

【梅の家族】

津田 仙(つだせん) 伊藤英明

梅の父。農学者であり、教育者。江戸幕府の使節団の通訳としてアメリカに渡った経験を持ち、英語も堪能。先進的な考えの持ち主で、1871 年、女子留学生を岩倉使節団に随行させる企画が決まると、6歳の梅子を応募させる。

津田 初(つだ・はつ) 内田有紀

梅の母。自由で常に新しいことにチャレンジするタイプの夫を陰ながら支えていた。
梅の留学には反対していたものの、最後は腹をくくって娘を送りだした。梅の帰国後は、西洋の思想を身に着けた娘の苦悩を十分に理解してあげることができず、心を痛める。

津田 梅<晩年>(つだ・うめ) 原田美枝子

塾長を退いたのち、梅は病気療養のため鎌倉の別荘で過ごしていたが…。

【歴史上の人物】

森 有礼(もり・ありのり) ディーン・フジオカ

梅子らが留学した際は、初代駐米公使である“少弁務使”という立場でワシントンに駐在しており、彼女たちのホームステイ先を探すなど何かとサポートした。梅子たちが、アメリカ留学中に頼りにした人物。1885 年の内閣制度の成立とともに、第一次伊藤内閣のもと、初代文部大臣に就任。森の存在は、梅子にとって常に大きな支えだったが…。

伊藤博文(いとう・ひろぶみ) 田中 圭

明治維新後、1868 年から政府に出仕し、重職を歴任。1871 年には岩倉使節団にも参加し、留学生として随行した6歳の梅に会っている。一時期、妻と娘の西洋教育のため、梅子を家庭教師として伊藤家に迎え入れる。1885 年に内閣制度を創設し、初代内閣総理大臣に就任。近代国家づくりを主導した。

下田歌子(しもだ・うたこ) 平岩 紙

明治から大正にかけて活躍した教育者であり、歌人。桃夭女塾(現在の実践女子大学)を作った人物で、梅子を教授として迎える。しかし、桃夭女塾は上流階級の子女に西洋式マナーを教える学校であり、梅が望む教育の場ではなかった。