2005年8月1日放送
「戦場から帰った手帳」~ぼくは野球をしたかった~

昭和13年鹿児島実業学校野球部  ナイン写真(後列左4番目が田中氏)
2004年8月、アメリカから戦没者の手帳が鹿児島へ帰った。その手帳には、家族・知人の連絡先や海兵團で学んだことなどのほか、野球用語やルールが丁寧に書かれてあった。内容から無事に遺族が判明し故郷へと戻っていった。手帳の持ち主は、田中操さん。太平洋戦争の激戦地であるテニアン島での最後の戦いで戦死した記録が残る。遺族である妹・トシ子さんの話から操さんは、現在では高校野球の有名校である鹿児島実業高校(当時は実業学校)で野球をしていたことが分かる。戦争が始まり、戦場へルールを書いた手帳を持っていくほど野球が好きであった田中操さんの人物像を、当時一緒に野球をしていた仲間やテニアンで同じ部隊にいた生存者の話などから追っていく。そして操さんの手帳は、終戦から60年経って母校の野球部後輩たちに野球に対する想いを伝える。

(制作:鹿児島放送)


Copyright(C)2004 tv asahi All Rights Reserved.