2003年3月29日放送
東京都大田区・中島邸
-独身男性 こだわりのガラスの家-

2002年1月 完成
敷地面積 55平米(16.5坪)
建築面積  38.5平米(12坪)
延床面積 98平米(30坪)
RC+鉄骨造3階建て
建築費:2290万円         坪単価: 76万円


中島さんのお宅は敷地16.5坪に建てられた1階が鉄筋コンクリート、2・3階が鉄骨造の建物。2階は3方がガラス張りになっています。デザインがユニークなことから、完成当初はお店や事務所に間違えられたとか。1階の道路側にはガレージを設置。


洗面・浴室は天井・壁・床の全てがモルタルです。中島さんはお母さんと2人暮らし。モルタルにはお母さんから反対されたそうです。しかし、予算の都合もあり、「これが男らしい内装!」と意見を通されたました。浴槽はゆったりと入れるものを選ばれました。階段下のデッドスペースを有効利用して洗面と洗濯機を設置。


1階にあるAVルームは広さ8畳。この部屋には80インチのスクリーンとプロジェクターが設置しています。いつもこちらで映画や音楽をたのしまれるとか。ゆったりと趣味に没頭できる空間です。プロジェクターやオーディオの配線も壁や天井の中を通して、部屋がスッキリとなるように配慮されています。

2階のLDKは広さ22畳、天井高4メートルの大空間。陽射しが入り込む明るく開放的で、なおかつ暖かいスペースとなっています。

南側を中心に3方をガラス張りになっています。開放感抜群ですが、外界からの視線、陽射しを遮りたい時もあります。そのために塩化ビニール製の縦型ブラインドも設置されています。1ヶ所だけ閉めたり、全て閉めたりと使い方も気分によって変えられます。

キッチンは業務用のステンレス製。しかも、特注品です。ガスコンロやレンジフード合わせて90万円だったそうです。ガスコンロは業務用だけあって家庭用の4倍の火力。炒め物も美味しそうですねえ。

中2階は壁全面を本棚やギャラリースペースとして使用。階段もダイナミックで絵になります。ここからの2階を見下ろせ、また違った視界の広がりを楽しめます。

3階は中島さんの部屋とお母さんの部屋とデッキで構成されています。お母さんの部屋は中島さんの部屋より少し広め。好きなように家造りをさせてもらったお礼に広い部屋を譲ったそうです。


田井 幹夫

1968年 東京生まれ
1990年~1991年 石原計画設計
1992年 横浜国立大学工学部建設学科建築学コース 卒業
1992年~1993年 ベルラーヘ・インスティテュート・アムステルダム/オランダ 在籍
1994年~1999年 内藤廣建築設計事務所
1999年~ アーキテクト・カフェ(建築設計事務所)主宰
2002年~ 東洋大学工学部建築学科非常勤講師


アーキテクト・カフェ/建築設計事務所

〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-21 南洋堂書店ビル5階
TEL:03-3294-3251
FAX:03-3294-3252
E-MAIL:a_cafe@gb3.so-net.ne.jp


前川建設

〒225-0025 横浜市青葉区鉄町1122
TEL:045-973-1577
FAX:045-971-7721


中島さんの希望はいたってシンプルでした。バイク好きなのでそのガレージ。ホームシアターを楽しみたいので、防音仕様の閉じた部屋。そして料理好きなので業務用キッチンを入れた開放感のある広いスペース。これらを満たしてくれれば後はお任せします、ということでした。実はこういう依頼のされ方はいいようで、本当は責任重大で一番難しいものです。限られた敷地にできるだけ大きなボリュームを、そして周囲の変化にも影響を受けないように、ということで3層のキューブをまず置きました。1、3階は閉じた箱とし、2階はLDKで天井高は約4mあります。道路側半分の外壁がガラスで、まるでカフェのような気持ち良さです。この高さは将来中間階を作り増床スペースとしても利用できます。このように住宅の中でカフェのように公共性のある空間を楽しむスタイルもこれから増えてくるかもしれません。中島さんとは今でも時々テニスを一緒に楽しむ良い関係が続いています。

中島さんのお宅は普通の家では考えられないガラスの大開口です。この大開口を設置できるかどうかは、施主の中島さんの了承ひとつにかかっていました。施主は建築家から様々な提案をされますが、受け入れられるものと受け入れられないものがあります。採用するものと採用しないものを建築家と話し合って決めていくわけですから、施主のセンスも問われます。中島さんはセンスも良く、創造の喜びを知っていらっしゃいます。こういう施主が居て建築家は頑張れる。施主と建築家が頑張って、ごくごく普通の建物群の中で新しい解釈の建物が1つずつできあがっていく。そして、街全体が豊かになっていく気が致しました。