食彩の王国 食彩の王国

毎週⼟曜⽇ あさ9時30分から

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過去の放送

第184回『茗荷』

7月7日放送予定

■和製ハーブ・・・茗荷!

■和製ハーブ・・・茗荷!

今や夏の風物詩とも言える薬味・・・素麺や冷奴とともに口にすると、かぐわしい芳香やシャキシャキした食感と共に、独特な清涼感が突き抜けます。茗荷は、二世紀後半から三世紀前半の頃栄えた邪馬台国について書かれている「魏志倭人伝」にもその名が登場するほど、古くから日本人に親しまれてきました。様々な魅力を存分に発揮してくれる爽やかな夏の味覚・・・食材を活かす名人、欅亭・小森亨さんに七色の茗荷料理を作ってもらいました。

■茗荷を食べると物忘れをする!?

■茗荷を食べると物忘れをする!?

はるか昔、こんな迷信がありました。自分の名前すら忘れてしまうほど、物覚えが悪かったお釈迦さまの弟子・槃特(ハンドク)がいました。哀れに思ったお釈迦さまは、彼の名前を書いた札を首にかけてあげたのです。彼の死後、その墓から草が生えてきました。それを見た人々は、「名前を荷って生きた槃特」という意味で、この植物を「茗荷」と名づけました。「茗荷を食べると物忘れをする」という言い伝えは、こうした話しからきています。そしてその言い伝えに因んで、江戸時代から伝わる古典落語がありました。今回、心地よく響く美声が魅力的な4代目柳亭市馬師匠に茗荷の面白い落語を聞かせてもらいました。

■茗荷に人生をかけた男!

■茗荷に人生をかけた男!

群馬県・前橋市。25年間、農協の記者として働いていた吉田さん。偶然、茗荷農家の取材をした時に、茗荷の魅力に取り付かれました。一念発起し、2年前に自分のハウスを持ちました。温度、湿度調整など管理が重要な茗荷栽培は、深夜まで作業が続きます。おいしく香りの良い茗荷を求めて日々研究し続けている吉田さんに密着しました。

■東京に茗荷畑が広がっていた時代・・・

■東京に茗荷畑が広がっていた時代・・・

東京・文京区に「茗荷谷」という地下鉄の駅名と「茗荷坂」という坂があります。この地域一帯には、江戸時代、茗荷畑が広がっていました。大ぶりで赤の美しい茗荷でしたが、明治時代から周辺が宅地化されて、姿を消してしまいました。しかし、茗荷坂で、60年前から庭で茗荷を栽培している81歳の吉田栄子さんと出会いました。「茗荷と会話をしながら日々の成長を見ているのが楽しみなの」と茗荷の手入れをしながら笑顔で語る吉田さん。そこには、茗荷畑が広がっていた時代の面影が残っていました。

取材先
制作担当

【ディレクター】 乙黒 剛士(ViViA)
【プロデューサー】 加納 満 (ViViA)
【プロデューサー】 高階 秀之(テレビ朝日)