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SmaSTATION!!特別企画 江原啓之にカトリがギモンをぶつける!!
『オーラの泉』ほか、テレビ、ラジオとあらゆるメディアで活動を続ける一方、手がけた著書の総売り上げが900万部にも上り、さらにアーティストとしてCDもリリースするという、まさにマルチに活躍するスピリチュアル・カウンセラーの江原啓之さんがスタジオ生登場!今まで語られることのなかった壮絶な人生を紐解くとともに、香取さんがギモンに思うことを直接、江原さんにぶつけました。

カトリのギモン(1) 江原さんはいつから霊やオーラが見えていたんですか?

不思議な能力に悩まされた幼少時代と両親の死

スピリチュアルカウンセラーとして活躍している江原啓之さん。その半生を紐解いてみると…。江原さんが生まれたのは、1964年12月22日、東京墨田区。父親は薬品会社に勤めるサラリーマンで、兄弟は7歳年上の姉がひとり、一家4人の仲のいい、ごく普通の家庭に育ちました。しかし、江原さんの著書、『江原啓之のスピリチュアル人生相談室』によると、言葉を覚えたばかりのころから、江原さんは度々不思議な能力を発揮、両親を驚かせていたといいます。ある日、江原少年が部屋で遊んでいると、近くの火鉢から火が上がるのが見えたのです。「お母さん、大変! 火鉢から煙が出ている!」と、大声で母親を呼び、母親が駆けつけたのですが、火鉢は燃えている様子などはまったくありません。母親が不審に思ったそのとき、火鉢から煙が上がったというのです。さらに、父親と買い物に行こうとしたある日のこと、江原少年は、血まみれになった父親の姿を見たのです。そして、必死に行こうとする父親を止めたといいます。しかし、父親は息子の言うことなど気にも留めずに家を出ました。すると、転倒して出血するほどのケガを負ったのです。また、江原少年には、母親の胎内にいた記憶もあり、おなかの中から母親の目を通して見ていたという、両親の喧嘩を再現して見せ、親戚中を驚かせたこともあったといいます。家族の中で不思議な能力を持っていたのは江原さんだけでなく、彼の姉、そして祖母にもいわゆる“霊感”があったそうです。姉は年齢を重ねるごとにその力を失っていったそうですが、祖母は東京大空襲を予知、避難所を逃げ出し、命を取り留めたこともあったといいます。そして、江原少年が4歳のとき、父親が闇のような黒いオーラに包まれているのを見たのです。それから間もなくして、父親は薬害によってこの世を去りました。こうした不思議な体験は小学校に入っても続きます。前に座っている生徒たちのオーラの光で、黒板が見えないほどだったこともあったとか。友達や先生からも「変わった子供」と見られていた江原さん。そんな彼を支えていたのは、他ならぬ母親でした。「お前には見えても、ほかの人には見えないこともあるんだよ」と、いつもやさしく諭していたのです。幼いころから不思議な能力を見せていた江原さんでしたが、初めて「霊」を認識したのは、10歳のときだったそうです。防空頭巾を身につけ、いまだ戦争におびえる親子の霊だったと著書に記しています。しかし、成長とともに江原さんの霊感体質は徐々に収まり、中学に入るころには、ごく普通の学生生活を送るようになっていました。そんな時、江原は母親に関してある夢を見たのです。それは、母親が亡くなる夢でした。そして、その悲しい夢はやがて現実のものとなります。江原さんが、15歳のとき、女手ひとつで自分と姉を育ててくれた最愛の母親をガンで失ったのです。その母は意識不明となる前日、江原さんにこんな言葉を残していたそうです。

「お前は18歳までは守られる。でも、その後はひとりで生きていかなければだめ」

母の死をきっかけに、江原さんの霊感は再びパワーアップします。やがて18歳となり、美術系の高校から大学の芸術学科に進んだころ、今度は昼夜を問わず、不思議な現象に悩まされるようになったといいます。ベランダのない2階の外に人影をみたり、ふと気づくとなにもないはずの天井にびっしりと人の手の跡がついていたり、そして突然、道で霊に手を取られることもあったそうです。家・通学路・バイト先と、あらゆる場所で霊に悩まされ、何度引越しをしてもそれは変わらず、やがては部屋から出ることすらままならなくなり、江原さんはついに大学を退学してしまいます。「18歳までは守られる…」。そう、それはまさに母の予言どおりだったのです。

霊媒師との出会いと修行を経てスピリチュアルカウンセラーに

一体これからどう生きていけばいいのか、苦しみながらも警備員のバイトをしてなんとか生計をたてていた江原さん。そんな時、バイト先の人に「霊媒師」というものの存在を教えられたのです。「なぜ自分にだけ、こんなに霊が見えるのか、どうすれば普通の生活が送れるようになるのか。その謎を知りたい」。そう強く思った江原さんは、霊媒師巡りを始めます。バイト料をつぎ込み、怪しい霊能者にも何人も会いながら20人目にしてついに信頼に足る人物にめぐり合うのです。

「僕はなにかに取り憑かれてるんでしょうか?」
「いいえ。あなたには悪いものは憑いてませんよ。まずは霊能力をコントロールできるよう、訓練からはじめましょう」


このとき、江原さんは「人格や波長を高く保てば低級霊はよってこないこと」「自分はお坊さんの霊に守られていること」を告げられたのです。そして何よりも江原さんの力となったのは、「霊的な力を使って人を助けることができる」という言葉でした。こうして江原さんは、自分の力をコントロールするため修行を開始。寺にこもっての荒行、さらに毎日のように滝にうたれ、神主の資格をとり、神社でも働きました。生活するのもやっと、という貧しさの中でも修行を続け、ようやく霊現象に悩まされることもなくなったといいます。そして1989年、東京・世田谷でスピリチュアリズム研究所を立ち上げ、カウンセリングを開始。ようやく江原さんは念願どおり、自分の持つ能力を人のために生かすことができるようになったのです。そしてそこで出会った女性と後に結婚。子供にも恵まれ、幸せな家庭も手に入れることになります。さらに霊的理解を深めようとした江原さんは1990年、スピリチュアリズム研究の盛んなイギリスで学ぶことを決意。ネラ・ジョーンズ、テリー・ゴードン、ドリス・コリンズなど著名な霊媒師に直接会い、理論・実践を学んだのです。そのイギリスで身につけたのが、「シッティング」。ただ目の前に座るだけで、相手から生年月日や相談したい内容など、一切聞くことなく、すべてを見通し、メッセージを伝える、という方法。 江原さんはシッティングを通して、で霊的世界は本当に存在する、ということを示し、人々を救いたいと考えたのです。そして、日本に戻った江原さんがカウンセリングと共に取り掛かったのが、本の執筆です。2001年に出版された『幸運を引きよせるスピリチュアル・ブック』が70万部を突破。以降も精力的に執筆を続け、これまでの発行部数は実に900万部以上にものぼります。また、大学時代に始めた声楽の才能をいかし、CDもリリース、あの美輪明宏さんの勧めで『スピリチュアル・アーティスト』として活動。本に講演会、そしてテレビ、ラジオとあらゆるメディアで幅広い活躍を続けています。

カトリのギモン(2) これまでに会った芸能人・有名人で、オーラのすごかった人って誰ですか?

江原さんが出演している番組「オーラの泉」だけでも、実に100人以上のオーラを見ている江原さん。これまでに会った芸能人、有名人のなかで、オーラの凄かった人、印象的な守護霊を持っていた人は誰なのでしょうか?

「オーラの輝きが強くて印象的だったのは、新庄剛志さん。守護霊が印象的だったのは、米良美一さんですね」(江原さん)

カトリのギモン(3) おすすめのパワースポットはありますか?

ペルーの「マチュピチュ」、エジプトの「ピラミッド」、屋久島に伊勢神宮、出雲大社。今、女性誌などでも度々特集が組まれるなど、多くの人が癒しを求め、いわゆる「パワースポット」と呼ばれる「エネルギーに満ちた」といわれる場所へと足を運んでいます。そんななか、江原さんがおすすめのパワースポットといえば…?

「パワースポットと、スピリチュアルスポットは違うんですよ。パワースポットはエナジーの強いところで、海や山もそうですね。海は浄化、山は癒しの効果があります。スピリチュアルスポットは『聖域』のような場所。宮崎県の高千穂や、長野県の戸隠なんかがそうだと思います」(江原さん)






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