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スマステーション特別企画『セカイの俳優伝説・役作りに命を懸ける役者魂』
世界の観客を魅了する俳優たち。彼らの中には、命を賭けて役作りに取り組むとてつもない役者魂の持ち主もいます。撮影に入る数ヵ月前から役作りに没頭し、体重の増減やアクションの習得は当たり前、時には容姿を整形することさえあるといいます。 というわけで今夜は、常人には信じがたい役作りの数々にスポットを当てました。

先月公開された「ワールド・トレード・センター」において、主演のニコラス・ケイジは、彼が演じた実在の人物・港湾警察ジョン・マクローリン氏が、9・11同時多発テロの際、瓦礫の下敷きになった経験を感覚的に掴むためにある事を試みました。自ら身動きのほとんど利かないタンクに数時間閉じこもったのです。更に、ニコラス・ケイジは、1985年公開「バーディ」の中で、傷ついたベトナム帰還兵を演じるために、顔中に包帯を巻いたまま生活。戦争で傷ついた人の痛みを実感するため、歯を2本、麻酔なしで抜いたこともありました。
1999年公開「インサイダー」で、当時35歳だったラッセル・クロウは、50歳の中年役を演じるにあたり、頭を白髪にし、体重も増やしました。炭水化物中心の食事で増やした体重は・・・20キロ!
2004年公開「モンスター」で実在の連続殺人犯を熱演したのはシャーリーズ・セロン。彼女もこの役のために体重を13キロ増やして役に挑みました。更に、眉を剃り、出っ張った義歯を付け、人工皮膚を纏い、ゼラチンで瞼の周辺に重みを付け、醜女になりきったのです。
一方、2005年公開「マシニスト」で、主演のクリスチャン・ベールは1年間、眠ることのできない男を演じるため30kg減量。食事はリンゴのみという過酷な減量法によって激痩せしたのです。
同年、アカデミー主演女優賞を獲得したヒラリー・スワンク。受賞作品「ミリオンダラー・ベイビー」でのボクサー役では、半年間に渡りトレーニングを続け、本物のボクサー並みの肉体を手に入れました。更に彼女は2000年公開「ボーイズ・ドント・クライ」において性同一性障害に悩む女性を演じるために、実際に約2ヵ月間、男として暮らしたのです。腰まであった髪を刈り込み、胸はバンドで抑えつけ、パンツの中には靴下をつめました。声のトーンは低く落とし、トレーニングにより筋肉質な体を作って、プライベートで出かけるときでさえ男として通したのです。

いまやハリウッドを代表する人気スターであるジョニー・デップもまた、役作りに尋常でない執念を見せる役者のひとりです。女装趣味を持つ“史上最低の映画監督”を演じた「エドウッド」で、ジョニーはこの役を演じるため、しばらくの間、実際にブラジャーを着けて生活していたのです。

「実際に彼女たちの立場に身を置いてみない限り、女性として生きることがどんなものかをきちんと理解することなんてできっこない」(J・デップ)

世界一完璧なホラー映画として評判を呼んだ「シャイニング」で、特殊メークを使わずに圧巻のサイコキャラを演じ上げ、いまや100の顔を持つ男といわれるジャック・ニコルソン。1975年、自身初となるアカデミー主演男優賞を受賞した映画『カッコーの巣の上で』の中で、刑務所の強制労働から逃れるため、精神異常者を装う主人公を演じたジャックは、撮影開始までの数ヵ月間 誰にも連絡を取らず自らを孤独の中に置きました。更にこの作品では、本当に電気ショック療法を受けていたとも言われています。
感動のSFヒューマン映画「アンドリューNDR114」に出演したロビン・ウィリアムス。この作品の主役は、アンドリューというロボット。ロビンは、顔がまったく映らないにも関わらず自ら16キロもあるロボットスーツを身につけ、代役なしで演技を行いました。

「自分が入ることによって、CGでは出せない微妙な“人間らしさ”を出したかった。眉や手は自分で動かせたからね。でもストローで酸素を吸わなければならなかったから、大変だったけどね」(R・ウィリアムス)


役作りに執念を燃やす役者たち。そんな中、役作りの代名詞とも言うべき俳優がいます。その役作りに一切の妥協を許さない男、ロバート・デ・ニーロです。彼のこだわりぶりはこんな言葉も生みました。“デ・ニーロ・アプローチ”。これは、身もココロも役になりきる為の過剰な役作りを指す言葉になったのです。

1980年公開「レイジングブル」での体重の増減を変幻自在に演じたのは有名な話ですが、デ・ニーロ・アプローチはデビュー当時からみられました。1974年公開「ゴッドファーザーPART 2」で、大スター、マーロンブランドに代わり、その後継者として白羽の矢を立てられた、当時まだ無名だったデ・ニーロ。彼が演じたのは、若かりしころのゴッドファーザー、ヴィト・コルレオーネ。つまりシチリア語しか話さない役柄でした。そこでデ・ニーロは実際にシチリア島で数ヵ月間、島民たちと生活し、独特なシチリアなまりを完全にマスターしたのです。彼は、この作品でアカデミー助演男優賞を獲得し、その名を一躍世界に知らしめることとなりました。

「私はただ、役にリアリティーを持たせるために努力をしているだけです」(R・デ・ニーロ)

1976年公開「タクシードライバー」では、その題名通り、タクシードライバーとして働く帰還兵トラビスを演じましたが、その役作りのためデ・ニーロは、舞台となったニューヨークで約1ヵ月に渡り、実際にタクシー運転手として働きました。ホモ・セクシャルの男客に言い寄られたり、ストリートガールにチップをもらったりと、経験した事のない人生を生きたのです。1989年公開「アンタッチャブル」では、マフィアのボス、アル・カポネを演じるにあたり、額の生え際の毛を全て抜きました。1991年公開、ロビン・ウィリアムスとの共演で話題を呼んだ「レナードの朝」では、重病患者の役を演じるために、映画の舞台となった病院で実際に撮影前の数ヵ月間入院生活を送ったのです。更にその翌年「ケープ・フィアー」では、異常な復讐心を抱いた凶悪犯を演じるために、自ら5000ドルかけて歯を矯正。撮影後に2万ドルをかけ改めて治し、世間を騒がせました。

「演技とはすべて、無いものをあるかのように見せる幻影だ。私は役を演じる時、そのキャラクターを全て知り尽くしたいのだ。俳優というものは、ありとあらゆる人間になり、その人生を生きなければならないのだ」(R・デ・ニーロ)

演じること・・・それはその役柄になりきるということ。常識を超えた役作り――それは彼らの情熱の証しに他ならないのです。


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