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1940年、東京の貧しい家庭にひとりの女の子が生まれました。旧姓 根本七保子(ネモトナオコ)のちのデヴィ夫人です。七保子15歳の時、父が他界。彼女は病弱な母と弟を養うため、中学卒業後に就職。ホステスのアルバイトもしました。そんな中、七保子の人生は一変します。1959年、インドネシア独立の父・スカルノ大統領が、訪日中に偶然出会った七保子に一目惚れ。大統領の招待に応じてインドネシアへ渡った彼女は、19歳で結婚を決意したのです。
大統領は、この美しい妻に『ラトナ・サリ・デヴィ(宝石の妖精)』という名を送り、深い愛情を注ぎました。ところが、1965年に軍部のクーデターが勃発。スカルノは失脚し、幽閉されます。そんな折、デヴィは妊娠。大統領の勧めで、安全のため日本へと避難します。1967年、娘カリナを出産。しかし、日本の反スカルノ姿勢のメディアから執拗な追及を受けたデヴィは、急遽フランスへ亡命。パリ社交界で「東洋の宝石」と呼ばれ、注目を浴びたのです。
1970年、スカルノ危篤の知らせを受けたデヴィは、命の危険も顧みずインドネシアへ帰国しましたが、時すでに遅し。静かに横たわる父の前で、「パパおしまいね?パパおしまいね?」と幼いカリナは泣きじゃくったといいます。
8年後、デヴィは11歳になったカリナと、インドネシアを訪れました。軍の規制の下、何とか墓前にたどり着くことが出来た2人は、無心で亡き父・スカルノに祈りを捧げます。時代の激流に引き裂かれた家族の絆が再び強く結ばれたのでした。

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