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ケイジバン
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――アルバム「ジュエル」が現在日本で1位になっています。ご感想は?
とても嬉しいです。嬉しいし、驚いています。クイーンが日本で1位になるのは久しぶりですから。 日本には楽しい思い出がたくさんありますから、嬉しい驚きの知らせでした。

――"I was born to love you"が日本でテレビドラマの主題歌になったことがきっかけです。この曲について何かコメントはありますか?
この曲はもともとフレディのソロの曲だったんですが、アルバム"Made in Heaven"を作るときに、クイーンの曲として収めることにしたんです。シングルはあったかな? 覚えてないな。いずれにせよ日本のみんなが気に入ってくれて嬉しいです。今この曲を始めて聞く人たちは、おそらく当時のクイーンをほとんど知らなでしょうから、新鮮なサウンドとして耳に入るんでしょうね。

――フレディが"I was born to love you"を誰かのために作曲した時に彼がエイズの診断を受けた、と聞いたのですか、それは本当ですか?
そんなことはないと思います。確かに彼は晩年、特定の人や人生における出来事に基づいた曲をいくつか書いています。しかし"I was born to love you"はもっと軽いポップスで、それ以上の深い意味や暗い意味はなかったと思います。あったほうが面白くなるんでしょうが、ありませんよ(笑)。

――エイズの診断を受けてからのフレディの生活はどのような感じだったのでしょうか?
勇敢にそして精一杯生きていました。みんなで最後の仕事を一緒にやったときも、彼は一生懸命にやっていました。彼は勇敢に、問題に真向から直面して生きていました。彼は病院で激しい痛みを伴う治療も多く受けていました。しかし見事にそれに立ち向かっていました。最後は病気に屈してしまいましたが、とても勇敢に生きていました。

――ロジャーさんはフレディと一緒にケンジントン・マーケットで古着屋をやっていたんですよね? ですからずっとお友達だったわけですよね?
ええ。僕たちは親友でした。結婚式でも最高の友人として助けてくれました。

――バンド活動をしていくなかで、苦戦も多く強いられてきたでしょうが、特に思い出に残っているエピソードはありますか?
苦労はたくさんしました。フレディは何年もの間に「フレディ・マーキュリー」という怪物を自ら作り上げていきました。彼は実際はとてもシャイなんです。彼の音楽は常に向上を続けてよくなっていました。彼はとても賢いミュージシャンであり作曲家です。

――日本の一番いい思い出は何ですか?
一番の思い出ですか? 日本の思い出はたくさんあります。日本には7回ツアーで来たのかな?
一番の思い出は成田が出来るまえの古いほうの東京の空港に降り立ったときのことです。何千人もの若いファンがたくさんいてすごい騒ぎになってましたからね。ああいう騒ぎには僕たちは慣れてなかったんです。叫ぶ女の子たちに囲まれて、身動きとれませんでしたからね。もうそんなこともなくなりましたけど(笑)。それが一番記憶に残っていることです。フレディは日本で買い物をするのが大好きでした。事実、目的がショッピングだけの休暇も取ったことがあるんです。なぜならフレディは日本の古い文化が大好きだったからです。日本の芸術やデザインなどをね。

――番好きなアルバムはなんですか?
ひとつを選ぶのは難しいですが、初期のアルバムですと"SheerHeart Attack"が好きです。後期のものですと最後に作った"Made in Heaven"が好きです。広がりがあっていいサウンドに仕上がっていると思います。隠しトラック「トラック13」が入っていてね。

――では新世代の日本のファンにメッセージをお願いします。
僕たちの音楽が長いブランクを経て、再び日本で人気を呼んでいるのとても嬉しいことです。
本当に嬉しいです。ありがとう・・・Maybe...
――クイーンのニュー・アルバム「ジュエル」が日本で1位になりました。いまのお気持ちは?
驚きです。日本に最後に行ったのはもう随分前のことですから。日本に行くのはいつも特別なことで、とてもエキサイティングなことでした。チャートインしているアルバムはどれもみな素晴らしいものばかりです。みんなとても喜んでいます。ありがとう。

――"I was born to love you"が日本のテレビドラマの主題歌になっているのですが、この点にでなにかコメントはありますか?
興味深いですし、個人的には嬉しいニュースです。なぜなら僕はこの曲のために何ヶ月も多くの時間を費やしたからです。この曲には元バージョンがあるんです。それはフレディのソロアルバムに入っていたものでした。この曲はフレディが人の演奏ではなく機械だけで音を作ったものでした。いい曲だったのですが、とてもシンプルでした。この曲をクイーンとして演ったらとてもいいものになると、ずっと思っていたんです。しかしやがてフレディが死んでしまったんです。そこで僕たち残されたメンバーは「この曲をスタジオでクイーンの曲のように作り変えることができるんじゃないか」って考えたんです。レコーディングはここにある私のスタジオでやりました。原曲からフレディの声とピアノだけを取って、それ以外は全部他から音をとりました。ですから最終的に出来上がったものはジグソー・パズルのようなものです。このアルバムは夢であって、現実であればよかったと私が願わずにいられないものといえます。

――フレディがエイズの診断を受けてこの曲を初めて書いたとき、彼は誰かにあててこの曲を書いたというのは本当なのですか?
僕の記憶ですと、彼がこのアルバムを作っていた時は体調はよさそうでした。彼はあっという間にこの曲を書き上げたんです。ある日の午後、酒を2杯くらい飲んでいい気分になって書いたものなんでしょう。その後、「この曲は気に入らない。もうやめた」って言ったところに、その曲を偶然聴いたレコード会社が「いい曲だ。ぜひこれをシングルにしよう」って言ってきたんです。フレディは「やめてくれ、冗談だろう。遊びで作った曲なのに」って言ったんですが、レコード会社がしつこく頑張っていたので、結局曲を書き上げたんです。フレディは曲に関しては完ぺき主義者なんです。この曲にはいくつか小さいところで、彼を満足させられなかった部分があったんだと思います。

――フレディはどのようなアーティストでしたか?
難しいですね。彼は束縛を受けない自由な人間でした。周りに自分を好いてもらおうとすることはありませんでした。だれもがフレディそして彼の作る音楽を愛していたと思われていますから、こんなことをいうと変に聞こえるかもしれません。誰かを怒らせるかどうかなんて、気にしていませんでした。自分が何をやりたいことに関しては、とてもはっきりした態度でした。それが彼の創造力の鍵だったと思います。彼は行きたいところにどこでも問題なく飛び込めたんです。ボーカルをする上でもとても大胆でした。勇気をその手に握り締めて、最後の瞬間にどこかに飛び込んでいくんです。 "Made in Heaven"で一緒に作った最後の曲は"Mother Love"というんですが、その曲で彼が出した声は最初で最後でした。彼はウォッカを飲んで、非常に高い音の声を情熱的に歌い上げました。そのあと彼は「もう今日はこれ以上できない。またこの次にしよう」って言ったです。でも二度と彼が戻ってくることはありませんでした。ですから最後の最後までフレディは自分の仕事と音楽を愛していたんです。最後の日のことは覚えています。電話が鳴って「フレディが死んだ」って聞いて。その瞬間に世界がすべて崩壊してしまいました。みんな最後まで信じてなかったと思います。「信じたくない」って拒否してたんです。そしたら急にテレビからフレディの死の知らせが流れてきたんです。それでみんな現実だって気がついたんです。それは始まりにしか過ぎません。悲しみはその後もずっと続きます。時間がたてば普通の生活ができるようになりますが、悲しみが消えることありません。でも悲しいことばかりではありません。フレディとの思い出は常に喜びに満ちたものとして覚えています。今はこのインタビューで当時の話をしたので、悲しくなってしまいましたけれど…。

――最後に若い日本のファンへのメッセージをお願いしたいのですが…。
カメラに向かって? 日本の新しいファン、若い友人の皆さん、ロックンロール(の世界)へようこそ。ロックを好きでいてくれて嬉しく思います。私たちもファンの皆さんが大好きです。皆さん方の祖先も大好きです。変わった意見でしょう?皆さんに伝えたいのは、ロックを楽しんで、人生をエンジョイして下さい…Maybe…。OK?(笑)。
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