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「ニッポンを知ろう! 元祖テロ対策特殊部隊・新選組」で出題された、コアな新選組クイズ。復習して、新選組マニアを目指せ !!
 
正解大丸呉服店(現在の大丸百貨店)
デザインは当時歌舞伎の人気演目だった「仮名手本忠臣蔵」で、壬生浪士組の憧れの的でもあった赤穂浪士が討ち入りの際に着用した舞台衣装からとったもの。また、浅葱色とよばれる薄い水色は、武士が切腹するときに着る裃の色でした。羽織およそ20着の値段は200両(約600万円)。池田屋事件後は黒の上下に変更されました。
正解高島屋
当時の高島屋は超一流呉服店。現在なら、シャネルかエルメスといったところなんです。
正解松坂屋
土方は11歳で上野の松坂屋に丁稚奉公にでましたが、まもなく番頭とケンカして実家に戻ります。17歳になると日本橋にあった松坂屋の問屋に奉公にでますが、今度は店の女性と恋仲に。妊娠させたため、再び実家に戻ってきたのです。
正解日本酒で飲む
薬1回分に対し、熱燗1合で飲んだと言われています。現在では薬を酒で飲むことはよくないと言われていますが、石田散薬は材料に酒が使われていることに加え、新選組隊士が「酒で飲んだら効いた!」と触れ回ったことなどから、この飲み方が定着したのです。
正解加藤清正
加藤清正は尾張出身の戦国武将で、豊臣秀吉の名家臣のひとり。朝鮮出兵の際、たったひとりで2メートルものトラを退治した、という逸話も残るほどの豪胆な人物です。また手足も、顔のパーツもすべて大きかったとか。近藤は「加藤清正は口が大きくて、ちょうど自分のように拳を自由に出し入れしたというが、自分も加藤のように出世したいものだ」と語っています。
正解「三国志」、「水滸伝」、「日本外史」
「三国志」と「水滸伝」は幼いころの愛読書と言われています。中でも文武両道、忠義を貫く人物として名高い関羽の大ファンだったそう。本を読むたび、何度も「父さん、関羽はまだ生きているの?」と尋ねたと伝えられています。また、「日本外史」は試衛館にいたころ読んでいたそう。
正解男装した女性
その女性は中沢琴。身長170センチほどの容姿端麗な女性でした。兄が浪士組に応募したことから、琴も男装し、ついて行ったと伝えられています。琴は幼いころから剣術を学び、父をも負かすほどの腕前だったとか。結局、琴は江戸に戻って新徴組に参加。市中見回りなどに参加したと言われています。自分よりも強い人と結婚したいとの思いから、求婚者すべてと剣の試合をしましたが、彼女に勝つ人物は現れず…。結局は生涯独身でした。
正解約10万円
当時、平隊士の給料は3両。現在の金額に直すと、約9〜10万円程度だったと言われています。さらに、大活躍するとボーナスも! 例えば池田屋事件の後、近藤勇には30両(約100万円)、土方には23両(約70万円)が支払われたとか。ただ、最も下級の武士の場合は年収にして、わずか30万円程度の米しか与えられなかったのです。そのため、当時の武士は番傘作りなど、内職もしていたんです。
正解12文(90円)
ちなみに、おでんは一皿4文(30円)、天ぷらそばは32文(240円)でした。
正解新選組の中でホモセクシュアルが流行っていたこと
1864年5月、近藤が故郷の門人・中島次郎兵衛宛てに送った手紙には「最近は女遊びをすることも全くなくなり、局中でしきりに男色が流行している」と書かれています。隊士の中でもホモセクシュアルで有名だったのが、新選組軍師だった武田観柳斎。武田は隊中美男5人衆のひとり・馬越三郎に惚れ、しつこく言い寄ったとか。馬越が土方に相談したため、明らかになってしまいました。
正解焼酎
京都までの移送の間に首が腐らないように、アルコール度数の高い焼酎に漬けたのです。
正解粕取り焼酎
当時、一般家庭でも酒を作ることが出来たため、銘柄までは明らかになっていませんが、本州で主流だった焼酎は粕取り焼酎(日本酒を造った後の酒粕を、さらに発酵させて作る焼酎)。そのため、近藤勇の首を漬けた焼酎も、粕取り焼酎だったのではないか、と言われています。
正解
この曲は新選組の運命を歌ったもの。京都・壬生寺にも歌碑があります。
正解農業
勇亡き後、天然理新流は門下生が継いでいます。勇の息子・勇五郎は農業、その息子・新吉は警視庁の警察官に。そしてその娘・恵美子さんは現在、農業を営んでいるのです。
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