2009年5月17日放送

ザ・スクープスペシャル
  

いよいよ5月21日から「裁判員制度」が施行される。冤罪の背景にあると批判されてきた
「密室の違法取調べ」「自白重視・供述調書中心」の裁判。これらの改善策として、
裁判員制度が機能するかどうかは国民の「真実を見抜く眼」に掛かっている。
そこで今回、番組では再審請求活動を続けている2つの案件を取り上げ追跡取材し、
取調べの過程で何が起こったのか、どこに問題があったのかについて検証。
そして裁判員制度は冤罪をなくすことが出来るか…そのために裁判員は何に注目し
判断すればいいのか、「取調べ全面可視化」はどうなるかなど、「冤罪のおそれのない
司法制度」について考える。

<特集1>  「推定有罪?」無実訴え21年…検証 滋賀・日野町事件

「袴田君が開放されない限り、私は救われない。開放されたとしても、彼の一生を
つぶしたことになると思っている」。
ブログに綴られた贖罪の言葉…書いたのは熊本典道元裁判官、贖罪の言葉が向けられた
のは、熊本氏が主任裁判官として一審判決文を書いた袴田巌死刑囚だった。

1966年6月30日未明、静岡県旧清水市で味噌製造会社の専務宅から出火し、現場から
刃物による傷を受けた一家4人の死体が発見。当時現場近くの味噌工場の寮に住み込みで
働いていた袴田巌容疑者が逮捕されたが、取調べ段階で自白したものの公判では否認。
裁判は捜査手法を巡り大きく揺れ、法廷に提出された供述調書45通のうち、静岡地裁が
証拠採用したのは1通だけという異例の展開となった。

しかし静岡地裁は捜査手法の問題を指摘しながらも死刑判決。東京高裁・最高裁も一審判決
を支持し、死刑が確定した。こうしたなか事件から40年余り経た07年、一審主任裁判官と
して判決文を起案し、付言で強引に自白を取る捜査手法を批判した熊本典道氏が
「袴田さんは無罪と確信している」と告白。裁判官や元裁判官が、自分が関与した裁判の
「評議の秘密」を明かすのは極めて異例のことだった。

番組では、極めて疑問点の多い袴田事件について検察側立証の矛盾点や疑問点を再検証。
また信念に基づき「評議の秘密」を公にした熊本元裁判官の“贖罪の旅路”に密着する。


<特集2> 「私は間違えた」…袴田事件元裁判官“贖罪の旅路”

1984年12月28日。滋賀県日野町で酒店経営の女性が金庫と共に行方不明になり、翌年1月、
町内で他殺体となって発見。それから3年後、常連客だった阪原弘容疑者が犯行を認めたと
して逮捕された。長女は、取調べが終わり夜遅く帰宅した父との会話を、今も覚えている。
「お前らがかわいいから自白してもうた」。刑事は「娘の嫁ぎ先をガタガタにしたろうか」
と脅したという。父は警察の厳しい取調べに耐えられなかったというのだ。
動機も物的証拠もなく、あるのは「手で首を絞めた」という自白のみ…しかも被告は公判で
全面否認。こうしたなか7年かかった一審判決直前、奇妙なことが起きる。

この最終段階で、検察側が異例の起訴事実変更を申請。店内だった犯行場所を「日野町内
及び周辺」に、午後8時40分とした犯行時刻を「8時過ぎから翌朝まで」に変更したのだ。
犯行時間も場所も特定しない考えられない変更だったが、裁判官は認めた。

そして…一審判決(無期懲役)。自白を「信用できない」としながらも「金庫を捨てた現場
に刑事を案内した」等の状況証拠で有罪。二審判決(無期懲役)。「一審の状況証拠だけ
では有罪と出来ない」としながらも、自白は「信用性がある」として有罪 。
なんと「自白」と「状況証拠」をめぐり、一審と二審が真っ向食い違う判断をしながらも、
ともに「有罪」であるとして、無期懲役判決を下したのだ。

こうしたなか弁護団は再審で「死因は手で首を絞めたのでなく、紐で締めたことによる」と
いう新証拠を提出する。地裁もこの弁護側新証拠を認定した。
しかしここでもまた意外な展開が待っていたのだ。

番組では、きわめて疑問の多いこの事件を追跡取材。取り調べ段階の問題点や検察側主張
の矛盾を取材することにより事件像を検証する。


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