8月17日放送

第4回スクープスペシャル


「イラク戦争の原点は58年前の日本にあった
 〜20世紀最大のタブーをあばく〜」

今から58年前の8月17日(放送当日)−
広島、長崎に続く第3の原爆が東京に落とされる可能性があった。今、初めて明かされる幻の東京原爆投下計画の全貌とは・・・

終戦前後の日本で行われたこと。 
東京をバクダッドに置き換えてみると、58年の時空を超えて、米軍のやり方や戦争の本質が全く変わっていないことにあ然とさせられる。

例えば、なぜ敗色濃厚だった日本に原爆が落とされたのか?
それは、ウラニウムの広島型とプラトニウムの長崎型、2つの原爆の殺傷能力の人体実験であったといわれる。
そして、イラク攻撃もまた、湾岸戦争時の劣化ウラン弾に象徴されるように超ハイテク兵器の実験場として大きな軍事的意義を持っていた。

さらに、こうした新兵器の危険性は、イラク戦後統治のモデルとも言われるマッカーサー占領軍によって隠蔽された。
「広島、長崎で原爆放射能に苦しんでいる者は皆無だ!」
58年前の日本で被爆者報道が徹底的に規制されたように、今、イラクで異常発生している白血病や奇形などの放射能障害と劣化ウラン弾の因果関係が隠蔽されようとしている。

現代の戦争は情報戦争でもある。
引き倒されるフセイン像と米軍を歓迎するイラク市民。
58年前、被爆者に何度も演技を要求する占領軍の撮影クルー。
「はい、そのチョコレート返して。そしてもう一度!」
カットの間に挟まれたカチンコが、情報操作とプロパガンダ戦略の萌芽を物語る。
  
幻の東京原爆祈念日に放送されるスクープスペシャルは、58年前の日本で行われたことを手掛かりとして、イラク戦争に新しい光を当てる。

<世界初証言!幻の東京原爆投下計画>

■日米史最大のタブーを暴く

1945年の終戦直前、グアムからワシントン陸軍省に1通の極秘電報が送られた。
「次の原爆投下目標として東京を強く進言する!」 
8月15日、もしもあの日、日本が降伏していなかったら・・・広島・長崎に続く第3の原爆が東京都心に落とされていた可能性が極めて高い。原爆投下作戦に参加した5名のパイロットの世界初証言やマックスウェル空軍基地などに保存されていた出撃命令・電文などを元に、日米史最大のタブー「東京原爆投下作戦」の全貌を暴く。

■2種類の原爆実験の果てに

当時の原爆目標選定委員の証言によれば、投下目標の条件は(1)無傷の都市(2)平地であること−の2つであったという。なぜ無傷の都市なのか?それは原爆の破壊力・殺傷能力を正しく測定する「実験」の要素が強かったからだ。こうして選ばれた広島でウラニウム型の原爆実験を終え、その予想を遙かに上回る破壊力が確認されると、急遽、東京原爆投下作戦が立案される。投下翌日、グアムの総司令部から送られた極秘電報― 「恐怖を与える半径は16キロ。我々はその効果を無駄にしたくない。投下目標に東京を含めるべきだ」
さらに長崎でプルトニウム型の原爆実験を終えた翌日の極秘電報― 「東京を爆撃する心理的効果は破壊より遙かに重要である」 ・・・つまり、焼け野原だった東京への投下では破壊力のデータは得られないが、降伏への早道と考えられたのである。爆撃計画書によれば、3発目の原爆は、長崎と同じプラトニウム型で、名称も長崎のF31に続くF32と決まっていた。

■投下目標は皇居!?

私たちは長崎原爆に関して、ある衝撃的な映像を発見した。その巨大なボディに描かれた「A second kiss for Hirohito」というサイン・・・そして、「Third kiss」は皇居そのものであったかもしれない可能性がある。
実は、東京投下作戦が立案された根拠のひとつに、皇居を狙って行われた投下実験のデータの存在がある。7月20日、原爆投下特別チームに所属するB29が、原爆投下シミュレーションのために巨大な爆弾を皇居めがけて投下していたのだ。それは、長崎原爆とそっくりに作られた訓練用爆弾であったが、同時に高性能爆薬5トンが入った当時、世界最大の爆弾でもあった。戦後半世紀を経て、ついに原爆投下チームの乗務員の口から語られた超大型爆弾による天皇暗殺未遂という新事実。この衝撃的事件によって、東京への原爆投下コースや手順のデータは既に入手済みだったのだ!

■犠牲者は100万人!?

1945年8月。東京へ落とす第3の原爆、F32は既にテニアン島へ届いており、残すはプルトニウムの芯だけだった。今回取材したパイロットの証言によれば、既にアメリカ本土の秘密基地ではプラトニウム搬送準備を終えており、8月17日にも東京に原爆を落とせる手はずが整っていたという。8月15日の無条件降伏は、その作戦決行のギリギリのタイミングだったのだ。テニアンでの原爆投下特別チームの投下訓練がキャンセルされたのは、まさに終戦当日であった。
もしプルトニウム型が東京に投下されていたら・・・ 平野のためその威力を遮るものはなく、山手線内側は完全壊滅、犠牲者は100万人を超えていたかもしれない。

以来58年、第3の原爆が実戦に使われることはなかった。
今のところは・・・
一瞬にして数十万人の命を奪った原爆の記憶は人々の脳裏に深く刻まれたはずだが、
イラク戦争でのブッシュ発言、北朝鮮の核開発疑惑など、今年に入って再び核兵器使用の恐怖が現実味を帯びている。
さらに5月22日、米議会は「大量破壊兵器の地下施設攻撃に必要」として小型核兵器の研究を解禁した。現時点では「研究するだけ」(ラムズフェルト国防長官)としているが、「悪の枢軸国」相手に実験が行われない保証はない。
58年前、2種類の原爆の威力を試したいという誘惑に勝てなかったトルーマン大統領のように・・・

<検証!原爆報道〜米軍は何を隠そうとしたか>

終戦直後の1945年9月、日本に進駐してきた米陸軍報道班は、当時は貴重品だったカラーフィルムを惜しげもなく使って被爆地の様子を記録した。目的の1つは、原爆という軍事的実験の成果を収集しデータとして残すため。そして、2つ目は・・・

■被爆地取材ツアー
 
米国メリーランド州にある国立公文書館。私たちの取材で発見された被爆直後の長崎の爆心地を撮影した最古のフィルムには、銃ではなく、ノートにペンを持った不思議な外国人の一団が映っていた。昔も今も、各国メディアの報道合戦はすさまじく、彼らこそ占領軍が特別に編成した代表取材団であった。米軍はB17爆撃機を特別機に仕立てて被爆地取材ツアーを組むことによって、メディアを監視下において厳しい報道管制を敷き、同時に、一部マスコミをプロパガンダに協力するVIPとしてもてなしたのだ。

■発覚した「米軍演出映像」
 
この時、代表取材団のガイドを務めた陸軍報道班のカメラマンは、今もカリフォルニア州に健在である。彼は、メディアに何を見せようとし、何を隠そうとしたのか?
このカメラマン自らも、16ミリフィルムで終戦直後の長崎を撮影しているが、国立公文書館に残されたオリジナルフィルムをつぶさに検証すると、驚くべき事実が発覚した。全てが破壊されつくした荒野をさまよう被爆者の男性。しかし、彼は同じアクションを3回繰り返し、撮りなおしのたびに初めての演技であるかのように苦しげに杖を突いて歩く。さらに、チョコレートをもらい、監督の演技指導のもと何度も赤ちゃんを背負って歩かされる少女の姿も。カットとカットの間に挟まれたカチンコが、時空を超えて、湾岸戦争時のクエート少女の証言や油まみれの水鳥映像にオーバーラップしていく・・

■記事差し止めと真相隠し

一方、こうした取材ツアーが組まれるようになった背景には、あるスクープ報道があった。特ダネを狙って単身、広島に入ったオーストラリア人記者が、放射能障害により次々と死んでいく被爆者の惨状を世界に打電したのである。米軍は「広島・長崎で死ぬべき者は全て死んでいる。原爆放射能のため苦しんでいる者は皆無である」と声明を出し、記事を書いた記者を「日本のプロパガンダの協力者に成り下がった」と非難した。
それ以降、外国メディアは横浜郊外に隔離されて被爆地の単独取材は禁止、抜け駆け取材の原稿は差し止められた。アメリカは、あくまで「原爆投下によって日本を終戦に導き多くの日本人の命を救った」のであって、原爆の後遺症による死の連鎖はあってはならないことだったのだ。

■恐るべき検閲社会  

さらに9月19日、原爆の真相を隠蔽しようとする米軍は、とんでもない命令を出す。「PRESS CODE(日本新聞紙法)」・・・何と、出版や報道に当たっては占領軍の事前検閲を受けなければならないというのだ。検閲はメディアのみならず、一般の手紙・電話・紙芝居にまでひろがり、1946年夏には、9000人近い検閲官が日本にいたという。
日本で自由に被爆体験を語れるようになるは、敗戦から実に7年後、サンフランシスコ講和条約が締結され日本の占領状態が終わるまで待たなければならなかった。

湾岸戦争時、米軍は「もうひとつの核兵器」と言われる劣化ウラン弾約95万発を使用、イラク全土で約320トンの放射線物質がばらまかれたと言われる。95年頃から、バスラ市内の病院は原因不明の白血病・奇形・癌患者で埋め尽くされるようになっていった。一方、米軍43万人も被爆したといわれ、少なくとも9600人が死亡、終戦後に生まれた子供に先天障害が続出しているという。しかし、湾岸戦争から12年経った今でも、米政府は劣化ウラン弾との因果関係を一貫して否定。今回のイラク戦争でも劣化ウラン弾の使用に踏み切った。
昨年12月、ヒロシマの被爆者らがバスラを訪問・・・58年の時を超えて、米軍が隠蔽しようとしたものの正体が交差する。

一方、イラク戦争でも、世界各国のメディアが米軍の庇護の下、従軍取材に参加。
米国内では、爆撃を受けたイラク市民の惨状はほとんど報道されることなく、連日、戦勝報道に沸き立った。イラク戦争後、英国の商業テレビ監督機関はFOXニュースチャンネルに米政府寄りの偏向報道があったとして調査を開始した。  




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