1980年に始まったイラン・イラク戦争。イラクはびらん性の毒ガス・イペリットを使用し、イラン側の発表では4万人以上の犠牲者が出たともいわれている。鳥越キャスターは1980年代半ば、テヘレン支局に勤務していた時に、市内の病院で多数のイペリット被害者を取材したそうだが、筋肉組織を破壊し、肺に入れば死を免れない大量破壊兵器だったという。2003年4月 ブッシュ大統領は「“ならず者国家”が化学兵器を含む大量破壊兵器を隠し持っている」としてイラク戦争に踏み切った。
さらに去年9月には、オバマ大統領が「シリアのアサド政権がサリンなどの神経ガスで市民を大量虐殺した」として、軍事的制裁を表明した。結局、シリアの化学兵器は化学兵器禁止機関(OPCW)が廃棄することとなり、OPCWはノーベル平和賞を授与されるが、ノーベル賞委員会はこうクギを刺している。
「いくつかの国は化学兵器禁止条約で決めた廃棄期限を守っていない」
つまり、国連決議を主導した米ロ自身が、2012年4月の廃棄期限を守れず、シリアの何倍もの化学兵器を今も保有しているのだ。
こうした中東での毒ガス問題を、我々メディアは“対岸の火事”のように報じてきたが、そもそも第一次世界大戦の頃から国際法違反の「戦争犯罪」だったはずの化学兵器が、戦後も規制されず拡散していった原因の一端は、日本とアメリカによる毒ガス戦隠蔽工作にあるのではないか?その疑問が今回の企画の原点だった。1980年代半ばまで、歴史学者でさえ使用されなかったと信じ込んでいた旧日本軍の毒ガス兵器。その非人道性をきちんと記録し、戦争の残酷さについて伝え残す必要があるのではないか。そして、忘れてはならないのが、戦後69年経った今も、日本にも中国にも、苦しみ続けている毒ガス被害者がたくさんいること。毒ガス問題はけっして遠い中東の話でも、遠い過去の話でもないのだ。
日本政府は終戦から50年経った1995年、初めてくしゃみ剤など非致死性の毒ガスの使用について認めた。しかし、「資料の多くが終戦時に処分され断片的な資料しか残っておらず、関係者の多くが故人となっていることから、化学兵器の実戦での使用例の全容を解明することは極めて困難」(2001年11月 小泉総理答弁)として、イペリットなどの致死性毒ガスについてはあいまいなままだ。今回の番組で紹介したように、これだけ詳細な資料が存在する以上、歴史的事実ときちんと向き合い、検証すべきだと思う。
今年3月、安倍総理はOPCWのウズムジュ事務局長と会談し、中国で遺棄された毒ガスについて「できる限り早期の廃棄完了を目指す」と表明した。実は、2012年の廃棄期限を守れなかったのは米ソだけではない。日本も化学兵器禁止条約によって、30~40万発ともいわれる遺棄毒ガス処理を義務付けていたが、いつ終わるか見通しさえ立たないのだ。おととし、作業の延長を日中合意したが、こうした戦争の負の遺産を合同で処理することによって、冷え込んだ日中関係改善の糸口として欲しいと願う。
チーフプロデューサー 原 一郎
“旧日本軍の毒ガス戦”
恥ずかしながら、今回取材を始めるまで、先の戦争で旧日本軍が大規模な毒ガス戦をやっていたことを知らなかった。何度か戦争に関する番組に携わってきたのに、なぜ全く知らなかったのだろう、なぜ“毒ガス戦”という非人道的な戦闘がこれほどまで知られていないのだろうと疑問が湧き、徹底的に調べてみたいと取材をスタートした。
取材を進めていく中で、まず驚いたのが、当時の毒ガス使用に関する大本営の命令書をはじめ非常に多くの日本軍の毒ガス使用、製造に関する文書が残っていたことだった。
しかし実は、これらの文書も、1983年、84年に歴史研究者によって旧日本軍の毒ガス戦に関する決定的な証拠がアメリカで発見されるまでは、日本側では全く表に出ていなかったようだ。
事実、今では多くの旧日本軍の毒ガス戦に関する資料を見ることができる防衛省防衛研究所の資料閲覧室に並んでいる1970年代に編纂された旧日本軍の歴史をまとめた戦史叢書には毒ガス使用に関する記述は一切記載されていなかった。
先の戦争での不都合な真実を消し去ろうという動きがあったことを、生々しく感じることができた。
しかし、また一方で番組内で紹介しているように、日本軍の毒ガス戦が歴史から消された理由として、アメリカの思惑が大きな力となって働いたことも分かった。
アメリカの思惑で東京裁判で裁かなかったことによって、その後も世界には化学兵器は存在し続け、昨年シリアで起きたサリンによる大量虐殺に繋がっていく。
今回、番組制作を通して、我々が生きている“今”が、太平洋戦争から地続きになっているのだとはっきりと認識することができた。
毒ガスを製造した元工員は自分を“犯罪者”と呼んでいた。
中国戦を体験した元日本兵は“戦争は嫌だ”と何度も繰り返していた。
当事者たちが“忘れたくても忘れられない” “戦争”について“今”を生きる私達は、想像しながら真剣に考えていかないといけないと感じた。
ディレクター 堀江真平
「私は…犯罪者である」
毒ガスの元製造工、藤本安馬さんは毒ガス被害者の写真を見て、そう答えた。
その時の悲しみと怒りが混じりあった複雑な表情は、今も忘れられない。
終戦から70年近くたった現在でも、藤本さんは“人殺しの兵器を造ってしまった、人殺しに加担した自分”を許すことができない。しかし、その体は長年、毒ガス製造の後遺症によって蝕まれている。
『被害』と『加害』
今回の取材で出会った証言者たちは、みなその狭間で苦しみ続けていた。
戦争体験者が年を追うごとに少なくなる中、彼らが残そうとする思いをどう伝えていくか。
それは、戦争を遠い過去に押しやることではなく、現在の問題としてどうとらえるか、ということではないだろうか。
『平和とは何か』
遠い未来まで、その意味を問い続けていかなければならないと思う。
ディレクター 安倍栄佑(愛媛朝日テレビ)