ディレクターズアイ

■アメリカ取材後記
フレデリック・クロース氏を取材する北村ディレクター

 「東京ローズ」という愛称で一度も放送をしなかったラジオ東京の女性アナウンサー、アイバ・戸栗が、いったいなぜ東京ローズ裁判で国家反逆罪の罪を着せられてしまったのか。今回の番組ではこの裁判の裏には、アメリカ政府がしかけた罠、そして大統領の影さえも見え隠れするという壮大なドラマに光を当てました。また、「東京ローズ」が実在する一人の女性アナウンサーではなく、複数の女性アナウンサーの総称だったのではないかという新たな事実にたどり着きました。番組では、戦争初期からGIたちの心を魅了させたたった一人の本物の東京ローズの正体にも迫りました。

 終戦を迎えて65年過ぎた今年、我々は歴史に葬られたこの事件に挑もうと、国内、そしてアメリカで取材を重ねました。この取材後記で直接「東京ローズ」と関わった人の貴重な証言によって見えてきた、東京ローズ事件の中心人物、人間・アイバ戸栗についてご紹介します。

 アイバ戸栗はアメリカ史上初、女性として国家反逆罪を宣告された人です。でも実はアメリカでは彼女の本名はあまり知られていませんでした。彼女を有名にしたラジオのディスクジョッキーの愛称「トキオ・ローズ」のほうが有名であり、人々の心の中ではその名前がいまだに「反逆者」や「裏切り者」を指し、今もなお決して良いイメージの人物ではないことを知ることができました。国家を裏切ることは最大の罪としてとらえるアメリカ人にとって、アイバ戸栗はアメリカ人でありながら、敵国のプロパガンダラジオに携わったという、決して許されない人物だったのです。太平洋戦争直後、戦争のために団結し、犠牲を払ってまで国家を守ろうとした当時の国民は間違いなく「東京ローズ」という人物を「許しえない国家反逆者」としてとらえただろうという背景への理解を我々は深めることができました。
 ではアイバ戸栗というのは実際どんな人物だったのか、それを明かしてくれたのが30年以上も友情で結ばれていたフレデリック・クロース氏です。彼に言わせるとアイバはユーモアあふれるウィットに富んだ女性だったそうです。ロサンゼルスでないヤンキー娘として育った彼女の最大の特徴、それは父親を誰よりも愛していたことです。この性格がアイバの人生を狂わせた大きな要素ではないかとクロース氏は語ります。アメリカに移り住み、多くの苦労を乗り越え成功を収めた父・遵。アイバはそんな父を深く尊敬していました。そして自分も父のようになりたいと憧れたのです。偶然親せきのお見舞いに日本に来ていた時に太平洋戦争が勃発して、日本に取り残されてしまったアイバは、父が誇りに思ってくれる娘でありたいと願い続けたのではないかとクロース氏は言います。父の思いを裏切らないために日本にいながらアメリカ国籍を捨てなかったのだし、ラジオ東京でプロパガンダを放送するのに抜擢されても、番組の構成を担当する戦争捕虜と手を組み、日本の裏をかいてアメリカ兵たちを元気づける内容に変えることで、祖国、そして父を裏切らないという自信にあふれていたはずなのだと。クロース氏は幾度もアイバに聞いています。プロパガンダ放送に携わってアメリカを裏切っているという意識がよぎらなかったのか、と。アイバは、そんなことは一度も考えなかったと答え続けました。
 さて、東京ローズという愛称で一度も放送したことがないにもかかわらず、アイバはその名前での独占取材契約書にサインしてしまいました。この出来事が発端となり彼女は裁判にかけられ、有罪判決を宣告されます。いったいなぜ、嘘だと知りながらアイバはサインしたのでしょうか。クロース氏はこれも父親を意識したアイバならではの行動だったのではないかと分析していました。まず、その契約書で約束された大金を手にすれば帰国用の資金の問題は解決します。そうすれば、すぐにでも父親と再会できます。そして、他の取材に応えてしまいその大金をふいにしてしまうアイバの心の中にも、父に自分の成功を見てもらいたいというアイバの気持ちがあったのではないかと読みます。父に認められたい、褒められたいという深い思いがアイバの動向を支配していたというクロース氏の見解は非常に興味深いものでした。
 では、アイバの父・戸栗遵はどんな人物だったのか。ヒントを与えてくれたのが、日系人収容所で隣同士の小屋に住んでいたマス・イノシタ氏です。太平洋戦争が勃発するとアメリカ大統領の特例により、西海岸エリアを中心に暮らしていた日系人は収容所に移ることを命じられました。こうしてアイバが日本に取り残されている間、戸栗家はヒラ・リバーキャンプに入ります。マス・イノシタさんは父・遵がその収容所ですぐさま、物資を取りそろえる責任あるポストについたことを語ってくれました。全てを無くした状況の中でも先頭を立ち、道を切り開いていくエネルギッシュで現実主義な一面を持つ父の姿を垣間見せてくれました。そして、なるほど、娘アイバもそういうところがあるなあと、思ったりもしたものでした。
 最後に、東京ローズ裁判で、偽証を強いられた証人がいたことをスクープしたアメリカエリート記者イエーツ氏もアイバ戸栗の心情を理解するヒントを与えてくれました。戦後、なぜアイバは名乗り上げてまで東京ローズになろうとしたのか。イエーツ氏の見解はこちらです。そこには、戦争中、日本で孤独の中で生き延びようと必死になっていた一人の娘が、終戦を迎え、純粋に勝利の喜びに酔いしれ、自分が応援し続けた米兵に囲まれ、もてはやされ、その夢心地をもう少しだけひきのばしたいという人間臭い感情があったのではないかといいます。やっと仲間に出会えた安心感、空襲や空腹から救われ、もうすぐ父にも再会できるはずだと言う有頂天の気分が引き起こした行動だったのではないかと語ります。

 さて、イエーツ氏のスクープ記事はフォード大統領の目にとまり、それがきっかけとなってアイバ戸栗に特赦が下りました。アイバ戸栗は剥奪されていたアメリカの国籍も取り戻し、名誉も挽回しました。アイバは父がすでに他界していたことを残念がりながら、その後、死ぬまで父親の店を守りながら暮らして行きました。

ディレクター:北村亜子
■「陸軍中野学校と日本の謀略宣伝」取材後記 
陸軍中野学校卒業生を取材する会田ディレクター


 "東京ローズ"を追う為、まずは日本の宣伝放送について軍の組織を調査すると、すぐに「陸軍中野学校」の存在が浮かび上がった。「陸軍中野学校」とは、日本の諜報・宣伝の中枢を担った機関で、スパイ活動や破壊行為など"秘密戦"を戦う人材を養成する学校。また、中野学校には、「中野は語らず」という言葉があるように、卒業生は詳しい内容について話さないため秘密のベールに包まれた存在として知られてきた。日本の諜報・宣伝戦を知るには、語られてこなかった「中野学校の教え」をどうしても知る必要があった。私は、中野学校の卒業生を探したが、戦後65年がたった今、ご存命の方は極端に少なくなっていた。しかし幸運なことに、新潟に卒業生の方がいるという情報を得、新潟にむかった。
 農業を営む中野学校の卒業生は、快く迎えてくれたが、肝心の謀略・宣伝戦については、やはりなかなか話してはくれなかった。授業でも、情報の秘匿に関しては徹底的に教えられていたという。しかし、交渉の末、当時の教材を見せてくれることになった。陸軍中野学校の教材は、終戦を迎えた翌日、校庭で燃やされている。戦犯容疑になる可能性があるので、証拠隠滅のための措置だった。また授業で使う教材は、教室から持ち出すことを禁じられていたため日本中どこを探してもないものとされてきた。なぜ今回協力していただいた卒業生の方が、教材を持っていたのか?
 それは、私物のバッグに偶然まぎれていたのだという。
 いよいよその貴重な教材を見てみると、戦術という見出しの教材にはアメリカ軍の日本上陸を愛知県、福島県、千葉県などと想定し具体的な陣地の構築や、攻撃布陣の詳細まで書かれてあった。また、一般住民の竹やり攻撃を指導し、上陸するアメリカ軍と戦う戦術も受けたという。そして、取材の目的である宣伝についての授業内容は、ノートに記されていた。また、アメリカを研究するために見せられた映画の感想など、現代とは違って情報の乏しかった時代に、軍部は必死に敵国アメリカを研究していた事実が判明した。
 取材の最後に、卒業生の方はあの戦争について次のように語った。「もう10年早く、中野学校が出来ていればアメリカと戦争しなかっただろう。アメリカの情報を中野学校の教育を受けた人材で徹底的に集め、科学力、資源力など冷静に分析すれば、戦争をすることはなかった」と。情報を扱うプロだからこそ負った心の傷なのか、そんな後悔の念を、陸軍中野学校の卒業生は持ち続けていたのだ。
  また、余談だが同級生が学校の目を盗んで好きな女の子に会いに行き、退学処分を受けてしまった話をしてくれた。昭和20年、日本が度重なる空襲をうけ劣勢に立たされていたことで教官をはじめ、関係する軍人の"機嫌"は最高潮に悪かったのだろう友人を心配した同級生全員で、なんとか退学処分にならないようにと "血の嘆願書"を作り退学処分の撤回を求めたという。指先を切り染み出す血で自分の名前を書く。その数は100人に及んだという。しかし学校側の怒りは収まらず、退学処分となった。戦争中でも、好きな人に会いたくて規則を破ったその生徒は、好きな人と田舎に帰ったという。
 陸軍中野学校の卒業生は結束が固く、戦後も交流が脈々とつづいた。それは"過酷な戦いをした戦友"だからなのか?中野学校の卒業生で組織された中野校友会は、毎年京都に集まり戦死した仲間の供養を行ってきた。しかし、年々会員が少なくなり数年前に解散した。「戦後65年」は予想以上に遠い過去になり始めている。

ディレクター:会田昌弘
■「もう一人の東京ローズ」取材後記
東京ローズの声紋分析を依頼する渡部ディレクター


 「もう一人の東京ローズ探し」のコーナーを担当させて頂きました。FBIの極秘ファイルにあった東京ローズ候補とされる複数の女性の顔写真。65年間前の資料を元に、それぞれの女性を追跡するという、途方も無い取材の日々が続きました。しかし、そんな中である人物の衝撃の言葉を聞くこととなります。
 「本物の東京ローズは彼女のこと」
その女性とは、「南京の鶯」と呼ばれ、海外でも「GOLDEN VOICE FROM TOKYO」と評されるほど、美しい声の女性アナウンサーだと言うのです。そして、「アイバ戸栗ではなく、彼女こそが本物の東京ローズ」と言うに値する証言や資料も見つけたりする中で、「南京の鶯」と評される程に素晴らしい彼女の声を聞きたいと思うようになりました。アメリカの国立公文書館に保存されている当時の音声を集めました。
 当初は「これだけ、あれば、きっとあるはず」と思っていましたが、戦時中にアメリカが傍受した短波ラジオ放送ゆえ、ノイズだらけの音声ばかり。そんな音声と格闘しながら、彼女の取材を続ける中で知ったのは、謎に満ちた彼女の悲しき人生でした。
 当時は敵国語と言われた英語を使い、日本から対敵放送を行っていた彼女。そんな彼女の人生を知る事で、戦争という出来事の恐ろしさ、悲しみを改めて感じる取材となりました。

ディレクター:渡部露子
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