9月12日放送のディレクターズアイ 

9月12日放送 ディレクター/花村恵子
【ロザール事件の真相 ~裁判は全て正しいと言えるか・ある事件をきっかけに~】

一般に、私たちは裁判にかけられることも、呼ばれることもまずありません。またニュースで報じられる裁判は、判決をもってほとんどそのまま受け入れられます。私自身そうでした。
でもロザールという一人の女性と会い、彼女が係っている殺人事件そのものを調べるうちに、違法な捜査で自白を引き出した警察の問題、警察と一体となって起訴、公判への道筋を作った検察の問題、そしてその捜査、立証内容をそのまま受け入れた裁判所の問題と、いくつもが絡んで彼女が有罪とされてきたことを知りました。

警察は、一旦ある人物を犯人としたらもう戻れないのでしょうか。検察は起訴した面子を保つために、なんとしてでも有罪にしないといけないのでしょうか。そして裁判所は、本当に捜査当局から独立した判断をしているのでしょうか。

日本では、起訴されたら有罪となる確率が99%だと言われています。
インタビューした元高等裁判所の判事は、長く裁判長も務めた経験を持ちながら「日本の刑事裁判は、捜査段階で作成された調書に従って行われる”調書裁判”で、言い換えれば警察、検察の追認だ。裁判官が良心や全人格をかけて裁判をするシステムにはなっていない」と認めています。もちろんシステムだけの問題ではありません。

人が人を裁くことの重み、危なさを考えれば、裁判官は慎重になるだろうと普通は思います。しかし現場にいた人に聞くと、あまりの裁判の多さに理想ばかりは言っていられないという声も聞こえてきます。一方、裁判官も人の子、ぶれることもあれば、自信を持って下した判断でも、それぞれの人生によって幅が出てくることもあり得ます。

では私たちはどうすればいいのか。
現在進められている司法改革では、この”調書裁判”を生きた裁判にすべく動きが進んでいます。また一般の市民が入る陪審制度の論議も活発になってきています。システムを変えるのにまだ時間がかかりますが、まずできることとして、裁判をもっと見、知って下さい。

ある弁護士は、今の裁判は「裁判官の顔が見えない」と言いました。
私たちマスコミの反省もあります。
「東京地裁が・・・、大阪高裁が・・・という判決を下した」
判決は裁判所の建物が下すものではありません。誰が、どんな顔で、どんな判断を下したのか、それを詳細に伝えることで、少しでも多くの方に、裁判というものを知り、考えていただきたい、そう思っています。それが裁判官の緊張感を生むことにもなります。

番組でお伝えしたロザール被告の事件、今後の裁判については、引き続き取材をしていきます。

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