1月12日放送のディレクターズアイ 

1月12日放送 チーフディレクター/田畑正
※今週は原稿2本立てになります。ディレクター/花村恵子「"薬害エイズとの共通点”をいうことの虚しさ…」は、後半にあります。

【人の厚生労働省 家畜の農水省!?】

「人の厚生労働省、家畜の農水省」という言葉を取材中に聞いた。ちょっとギョッとする言葉だが、発言の主はどちらの役所にも審議委員として関わったことのある学者である。要するに、厚生労働省は普段から人の健康を心配している役所で、一方農水省は、普段は家畜の健康を心配している役所だという趣旨だ。この理屈で考えると、牛を飼っている農家は農水省の管轄であり、牛を屠畜する食肉処理場は食品としての肉を扱うから厚生労働省の管轄なのだという。学者氏はこんなことも言った。WHO勧告(1996年4月)は、日本では厚生省(当時)が受け取り窓口になった。WHOというのは国連の世界保健機構、つまり世界の人々の健康を心配している役所だから当然、厚生省が日本の受け取り窓口になったのだという。なるほど役所の縄張り意識とはそんなものか、と思った次第である。

ところがこの時ばかりは、これが命取り(少々大げさだが・・・)になった。WHOの勧告に書かれていた「肉骨粉の牛への使用禁止」については、どうやら農水省と厚生省のそれぞれの縄張り意識と縄張り意識の隙間、エアポケットに落ちた可能性が大だというのだ。WHO勧告を受け取った厚生労働省からすれば、そこに述べられているクロイツフェルトヤコブ病やら、牛肉を使った食品、加工品、化粧品に注目が行くのは当然だろう。逆に牛や家畜の餌である肉骨粉は農水省の所管というのが厚生労働省の言い分だろう。

実際農水省側も、WHO勧告のうち「肉骨粉」だけは自分たちの所管だという意識があったようだ。この年の4月、BSEに関する検討会、農業資材飼料部会とその分科会を相次いで開催している。ただしどれも一度きり。「連休後に改めて開きます」と言って散会してそれきりだったことはVTRでも紹介したとおりだ。連休前と後で、農水省の意識が変わったのか。それとも元々、「行政指導しておいてそれに強い異論が出なければそのままにしておこう」という程度の意識だったのかが今回のテーマでもあったのだが、真実は当事者にしか分らない。

その当事者達はと言えば、こちらが何か質問すると「調査検討委員会でご議論いただいているので・・・」と判で押したように答えるのを見ていると、もしかして調査検討委員会って「自分たちの隠れ蓑にするために作ったのか」と勘ぐりたくもなる。ひとり前述の学者氏の感想は「WHO勧告自体厚生省(当時)マターという意識が農水省側にあったのではないか」というものだったが、そうした役所の縄張り意識の陥穽(エアポケット)にもし肉骨粉が落ちていたとしたら・・・それは確かに悲劇には違いない。

当の農水省もその辺りの問題点はちゃんと心得ていて、武部大臣もことあるごとに「厚生労働省との縦割り意識が問題」と述べているし、新次官も会見で「コミュニケーションが大事」と言ったりして、はて何のことかと考えていくと“厚生労働省との”という枕詞が言外に付いていたりして、役人とは持って回った言い方をする人種だなぁと変に感心したりもする。役所間の縦割りの問題にしておけば誰も責任を問われずに済むという本能がそう言わせるのかも知れないが、今の日本社会がそこを乗り越えられるかどうか、つまり官僚個々人の責任を問えるかどうかが、実は今回の最大のポイントではないだろうか。

官僚達は、役所というのは個人が意思決定することはなく、決定事項はその過程も含めてすべて文書になっているという。しかし取材をしていくと実際の意思決定とは、誰かが文書を作り、その上司がそれに対して何か言うか言わないか、でほぼ決まったりするという。そうしたことはおそらく文書にはなっていないだろう。後でいろんな人のハンコがつかれた文書も大事だが、実は、そんな文書にもならない何気ないやり取りにこそ真実が含まれていたりするものだ。本当の情報公開とは、ただ垂れ流し的に会議を公開することでもなく、個人名をすみ塗りした文書を、それこそ馬に食わせるかのごとく大量に公開することでもなく、そうした個人個人の記憶にしかない小さなディテールを明らかにしていくことだと思う。

「個々人の責任の明確化」と「情報公開」は、国際競争にさらされた企業ほど進んできているようだ。もし日本の官僚機構が率先してそうした自浄能力を発揮できるなら、かなり飛躍するようだけれど、小泉内閣が進める構造改革にも資するだろう、と密かに思っている。なぜなら構造改革の最大の障害は、官民を問わず責任の所在をあいまいにしてきた私達の意識のありようにあるから・・・。時代は間違いなくその方向に流れている。
  
2002年―。ザ・スクープのスタッフも、少しは日本の役に立てる
よう頑張っていきますので応援のほどよろしくお願いします。

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【“薬害エイズとの共通点”をいうことの虚しさ…】
ディレクター/花村恵子

去年11月頃に衆議院議員の川田悦子さんの事務所を訪ねると、川田さんは「狂牛病は日本で大丈夫なのか」ということを、その年(つまり去年)のはじめから問題にし農水省に質問書を出していたことを教えてくれた。去年のはじめというのは、2000年末にヨーロッパで狂牛病が発生し、フランス・ドイツで緊急対策が取られたことを受けてのタイミングだ。川田さんは薬害エイズの闘いから、情報公開の重要性を説いて国会議員になった人である。「重要な情報が隠されているのは薬害エイズと同じ」川田さんが狂牛病の問題に取り組むのは至極当然のことに思えた。

狂牛病に関する農水省と厚生労働省の対応が適切だったかを検証する第三者機関の「BSE問題調査検討委員会」。最初にこの会議を取材した時、とにかく驚いた。マスコミも一般の人も会議の模様を、他の部屋で”傍聴”できるのだ。

会議の議事録は数日後に農水省のホームページでも公開されるが、そこでは発言者の名前は伏せられている。しかしその場で聞いていれば、誰が発言し、それに対し、どういう顔をした何という人が何と答えているのか一目瞭然なのである。衆目が集まる中で「それじゃ答えになっていません」などと委員から突っ込まれる姿は正直ちょっと気の毒に見えないわけでもないが、責任を明確にする上では重要なことだ。それは答える側の行政担当者についてのみ言えるのでなく、どのような諮問をするかを問われる委員会の委員についても言えることだ。 

「こういう風に会議が公開されるのはすごいね」。議事録がないために不毛な議論が長く続いた薬害エイズを振り返り、当時も会議がこうやってオープンに開かれていたらとの思いからつぶやくと、同僚の若い記者は意外そうにこう答えた。「そうですか?こうじゃない会議もあるんですか?」 そういう反応が出ることは喜ばしいことでもあるが、個人的には随分と年を取ったものだと複雑な気分になった。

長野キャスターがインタビューした、上記調査検討委員会の傍聴者の話にも、また委員会のメンバーの話からも「薬害エイズとそっくり」という言葉は何度も聞かれた。「国民の健康が脅かされる可能性がある情報に接したとき、役所がどう対応するか」。個人の意識を問うのにはもはや限界があるということが、この狂牛病の一件をみても再確認された。あなたたちに責任があるんですよ、といっても分からない人たちには、責任を理解(実感)するシステムを提示しないといけない。「個人攻撃ではなく、次につながる結果を」調査委員会の委員はそう語る。委員会の結論を待つだけではなく、私たちマスコミも独自に対策を打ち出したいと思っている。

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