12月1日放送のディレクターズアイ 

12月1日放送 チーフディレクター/田畑 正
※今週は原稿2本立てになります。ディレクター/玉川徹 「松岡利勝議員の“戦略”」は、後半にあります。

【小泉改革は本物か?道路公団決着劇の裏に何が】

■小泉改革政治の評価は難しい
本来、11月末と見られていた道路公団など先行7法人の廃止・民営化の結論は、大方の予想に反して、月末まで1週間を残す中で決着した。この急転直下の決着劇の裏には、11月20日夜の小泉・森(前総理)・青木(参院自民党幹事長)による3者会談があったことは、番組でも伝えたとおりだ。しかしこの会談は、実態としてはほとんどセレモニーだった。関係者の言葉を借りると「最終確認の儀式」でしかなかった。実は、小泉改革が目指しているものは、額面どおり受け取るなら、明らかに自民党政治の“否定”である。小泉総理に果たしてそれが出来るのだろうか。この問いかけは取材中も、そして今も私の脳裏から離れることはない。

■自民党、という決定方法
「税金という形で吸い上げた資金を地方に配分する」。自民党にとっての“政治“とはずっと「配分」だった。これに対して小泉改革が目指しているものは、「資源の適正配分」である。税も含めた経済資源をいかに有効に配分するか。当然、そこには”効率”の観点が入ることになる。つまり「そこには配分しない」という決断も政治がすることになる。旧来の自民党議員が“政治”と考えることと対立するのは明白だ。しかも小泉総理はそれをトップダウンで、つまり自民党内の事前審査を経ないで閣議決定するやり方を定着させようとしている。取材の過程で、猪瀬氏に何度も問うたのもこの点だった。猪瀬氏は「いざとなったら党内手続きをすっ飛ばしても閣議決定すればいい」という考え方だったが、これがいかに難しいか、少し政治記者をやったものならわかるはずだ。

数年前、野中幹事長時代、新進党(当時)の議員を次々一本釣りしたことがあったが、あれは野中氏が釣ったというより、与党のうまい汁にあり付きたいという政治家の本音のなせる技だった。そして自民党議員の究極の本音は「与党であり続けたい」である。その与党であることの最大の旨みは事前審査を通じて“資源の配分作業”に与れることなのだから、このおいしい既得権益をそう簡単に手放すはずはないのだ。そして事前審査制の最も効率的かつ巧妙なやり方こそ、党内実力者による密室での決定である。

■もう一つの極秘会談
時間の関係上放送には出せなかった会談がある。実は10月の中旬、中選挙区騒動が一段落した頃、件の森・青木両氏に加えて中川秀直前官房長官と村岡前総務会長の4人が赤坂プリンスホテルで会談している。言うまでもなく森氏は小泉総理を支える森派の、青木氏は橋本派の中心人物である。2人は早稲田雄弁会の先輩と後輩の関係に当たる。青木氏が一年先輩だ。何故この4人が10月の中旬に会ったのか?私はこの時の4者会談も自民党議員の“本能”から出て来たものだと見ている。

少し脇道にそれるが簡単に振り返っておこう。10月は、小泉内閣にとって大きな意味を持つ出来事が相次いだ。ひとつは、テロ対策法であり、もう一つは中選挙区騒動だ。テロ対策法とは、今回の自衛隊派遣の根拠になった法律だが、小泉総理は当初、この法案は民主党の賛成を取り付けたいと考えていた。しかし「そんなことをしたら与党の組み替えにつながりかねない」。そう考えた公明党と橋本派が中心になって、10月7日、総理が訪韓している間に「国会の事後承認」で与党内を完全にまとめてしまっていた。小泉総理にとっては外遊中に「外堀どころか内堀まで埋められていた」(行革事務局)出来事だった。言ってみれば公明党と民主党の間で総理大臣を取り合って、本人が知らない間に公明党が小泉総理を民主党に渡さない手を打っていたということだ。結果、民主党カードを封じられた小泉総理にとっては天を仰ぐだけの与野党党首会談になった。猪瀬によれば公明党を手引きしたのは小泉周辺の「善意の忠誠心」だそうだ。この出来事の後、小泉総理をねじ伏せた勢いを駆ってかどうか知らないが、急に抵抗勢力の声が高くなる。週刊文春に出た「ボロカス議事録」も丁度この頃のことだ(詳しくは週刊文春11/15号参照)。

小泉総理はその恨みを中選挙区制で晴らす。10月28日、今度は帝国ホテルで山崎幹事長と会談した際、「公明党が連立を離脱することになっても構わない」と語ったという。これは中選挙区制では公明党の言いなりにはならないぞという意思表示。まさに小泉純一郎の意趣返しである。

■キーワードは「究極の本能」
さて、10月の森・青木氏ら4人の会談である。連立の枠組みが非常に不安定なときに会っている。出席者の一人によると、この4人の間では、連立の枠組みをがたがたさせるようなことはしないようにしよう、と確認しあったというのだ。そしてこの席で村岡氏が「道路公団問題だが」と言いかけ、「それは来月(11月)に入ってからまたやりましょう」ということになった、という。こうして11月に入って森・青木ラインのお墨付きを得た中川・村岡実務者ラインが稼動し、最終的な落し所を探っていくことになった。その最終確認の場が11月20日の赤坂プリンスホテルでの小泉・森・青木3者会談だったのは番組でも伝えたとおりだ。つまり今回の極秘3者会談につながる一連の動きの発端は「連立の枠組ががたがたすることを未然に防ぐこと」にあったと言える。

結果的にはこの動きが、小泉総理にとっても道路調査会長の古賀にとってもある種の緩衝材になったようだ。それぞれが動かなくとも、両者の意を勝手に汲みながら落し所を探る動きがおこり、結局、小泉・古賀両氏ともその動きを黙認していれば良かったのだから。実際小泉総理は、彼ら“緩衝材”に対してもストレートに本心を明かしていない。あくまで小泉総理の言葉から本心を忖度しながら動いたのだという。そしてその小泉・古賀両氏が、公開のタウンミーティングやテレビ朝日の「サンデープロジェクト」を通じてメッセージを飛ばしあっていた、というのが放送で伝えた構図である。こうした小泉・古賀両氏を挟んだ裏の動きは「常に与党でありつづけたい」という自民党議員“究極の本能”によるものだと私は見ている。それは最初の4者会談が、小泉総理による公明党への意趣返しのあった中選挙区制騒動の直後行われていることからも分かる。

このときはテロ対策法で一旦小泉の民主党カードを封じこめたかに見えた公明・橋本派連合が再び危機感を持ち始めた時期でもある。つまり彼ら4人の行動原理は「常に与党でありつづけるため」の政局の安定確保にあったのだ。11月中旬に与党の事前審査制の廃止を求める提言が綿貫衆院議長の諮問機関や民間グループから相次ぎ、小泉総理もその検討を指示したが、存外そうした小泉総理の動きも彼らの“本能”を呼び覚ましたのかもしれない。小泉総理はこの緩衝材を巧みに利用した、といえる。何とも表と裏の使い分けのうまいことか。そしてこの裏の動きの本質が「与党でありつづけたい」という自民党議員の本能に根ざしたものであることを小泉が見抜いていたとしたら?

■小泉にだまされてみようか
問題は、そんな芸当の出来る小泉純一郎という男を我々はどう見たらいいのだろう、ということだ。「何事かを成し遂げるには清濁併せ呑むしたたかさが必要」という見方もあろう。「そういう寝技をつかうのだったら小泉は旧来の政治家と同じゃないか」という批判もあろう。どちらにも一理あって、こればかりは正直、私自身も結論が出ていない。こんな風に自分に問いかけてみる。

小泉総理が自民党議員の本能を知り尽くした上で彼らの動きにのっていたとしたらどうだろう、と。小泉総理は最近、「自民党が小泉を選んだのだから、小泉を否定することは自民党自身を否定することになる」という趣旨の発言をよくしている。これは自民党が今の与党体制を維持しようとすればするほど、つまりは政権政党でありつづけようとすればするほど小泉路線に付き従っていくしかないが、小泉構造改革はそれ自体のうちに自民党的「配分政治」を壊す力を秘めているから、実は自民党は解体に向かっている…。そんなパラドクシカルな構造を示唆しているとしか思えないが、あの言動を見ているとそんなことを考えているようにも見えないところがなんとも不思議な人物である。それに比べると小泉総理を批判している民主党は「こっちへ振り向いてくれるとばかり思っていたら振り向いてくれなかった」と怒っているようで相当に子供じみた感じがする…うーん、もしかしたらこの時点で小泉純一郎にだまされているのだろうか。

そう言えば今回の取材で猪瀬直樹氏が「僕と小泉さんは5年越しのチャンスが来て戦っている」と語っていた。5年前、その著書「日本国の研究」で特殊法人の闇を指摘した猪瀬氏がある勉強会で小泉氏と意気投合し、今回も「『日本国の研究』の著者としてチームに入って欲しい」と口説かれたのだという。猪瀬氏まで小泉さんの手の平の上で踊らされているとしたら、小泉純一郎という男は相当な人たらし(もちろん誉め言葉)である。『もし本当にだまされているならもうしばらく、だまされ続けてみてあげようか。しかも小泉さん以上にしたたかに』。最近ついついそんなことを考えてしまうのである。(了)

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【松岡利勝議員の“戦略”】ディレクター/玉川徹


「道路は地方の命だ!」彼はそう言い切った。彼とは松岡利勝衆議院議員。熊本選出の典型的自民党議員だ。世の中は「小泉改革大賛成」の大合唱の中、彼は抵抗勢力と言われることも、反小泉と思われることも気にするそぶりはない。そして、とにかくこの人物わかりやすい。道路公団改革案を提案した猪瀬さんを「関係ない人」と切って捨てるかと思えば、自分の属する自民党政権を「タリバン政権」と批判する。「この人そんなこといって大丈夫なのか」と聞いてるこっちが心配するぐらいだ。最初は単なる「わかりやすい人」なのかと思ってみもしたが、放送が終わって振り返ってみると、松岡議員、実はしたたかで巧妙な戦略家かもしれない思い始めた。

かつて、国会議員といえばテレビカメラの前では本音をなかなか見せないものだった。今でこそテレビ番組で国会議員が本音を見せるのはあたりまえになったが、あのサンデープロジェクトもスタート当初は議員さんを引っ張り出すのが大変だったものだ。議員さんにとって、土日といえば次の選挙にそなえて、地元を回って地盤を固める大切な時間。議員によっては国会よりも大切なお勤めなのだ。その大切な日に、なんで大嫌いなテレビ朝日に出なければならないのだ…というのが13年前の自民党議員の本音だろう(サンデープロジェクトは13年前に始まった。)しかし、今や彼らもテレビの怖さと効果を身をもって体験し、出演をうまく使いこなすようになった。テレビを通じて自らのイメージアップを図ることなどは当たり前で、今回などは直接話しにくい相手にメッセージを伝える手段としてテレビを使うという新しい使い道すら開発された。道路族のドン、古賀誠道路調査会長は道路族としてのメッセージをどうやって小泉総理に伝えるかを考えた。通常であれば第三者を介して伝えるのが当たり前のやり方なのだろう。しかし彼は新しい方法を選択した。サンプロで自説を披露して見せて、実はそれが小泉さんへのメッセージ。その後の総理の発言に総理の自分への返答を読み取ったという。実にスマート。なるほどこれがテレポリティクスかと立場を忘れて感心した次第です。

まあこのようにテレビと政治の関係も少しずつ変わってきているわけです。さて、松岡議員。どう戦略家なのか。わたしが考える彼の戦略は以下の通り。①小泉総理はすごい人気だが、彼の言うとおりでは地元では通用しない。②ここで普通の議員なら地元後援者の前では小泉の批判をしたとしても、それ以外では反小泉の色は極力隠す。③ところが松岡議員はそれを逆手にとって反小泉の旗を鮮明にして、注目を集める④注目が集まればテレビをはじめとするメディアはこぞって彼を取り上げるようになる。⑤メディアに取り上げられれば彼の党内のプレゼンスは高まる⑥地元でも有名になり支持者は増える。といった具合で、党内と地元で一挙両得という訳だ。

この推理が正しいのかどうか本人に確かめてはいないので分からないが、本人に確かめなくてもわかることがある。この戦略が成功するか失敗するか、実はたった一人の今後の行動にかかっているという点だ。小泉総理が今の支持率を維持し自民党の総裁である限り、この戦略は正しいだろう。しかし、小泉さんが自民党を出てしまったら…松岡議員が戦略を変更しなくてすむためには、「反小泉」でありながら、「反小泉」しすぎないことが大切という、非常に微妙な舵取りが必要なのだ。今のところうまくいっているということは、やはり松岡議員は「単なる分かりやすい人」ではないということだろう。

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