11月17日放送のディレクターズアイ
11月17日放送 リサーチャー/堀信
【日産自動車労働組合の村山支部委員長インタビュー】
ザ・スクープの企業取材というと、どちらかといえば、経営側より労働側の取材が多い。しかし、日産自動車の取材は、経営側の取材をメインに進めている。なぜならば、1997年「山一証券経営破綻」の一部始終を取材したためだ。この出来事は、日本社会の常識を覆した。経営者、労働者、企業、銀行、今までの日本社会のそれぞれの関係は瓦解した。「新しい経営、会社とはいかなるものか?今後、私たちはどのように働いていけばよいのか?」を探るべく、今後も、日産自動車の取材を続けて行きたいと思う。一連の取材で、日産自動車労働組合の村山支部委員長をインタビューさせていただいた。
最初の打ち合わせで、「私たち(組合員)は、経営者は誰でもいい。それよりも、安心して働きたい」と話した。労組も、経営側と闘っている余裕はない、それよりも協力して日産を立て直さなければならないという気持ちが強く伝わってきた。村山工場閉鎖当日に、インタビューした委員長の言葉を全編書き置きたい。
2001年3月29日、午後2時、雨。日産自動車村山工場前にて。
取材班:今日のこの日を迎えた感想は?
委員長:「淡々と閉鎖への準備を進めてきて、大事なく今日という日を無事迎えられたというのが率直な感想ですね」
取材班:お気持ちは?
委員長:「リストラとか工場閉鎖は、大変な痛みを伴っているものですから、避けて通れるものならそうしたかったという気持ちは、充分にあります。けど、自分の企業を将来的にも存続させていくということを考えると、ゴーン社長が、うたれる秘策は一つの方策だろうと認識していますので、これから日産が復活していくということを条件に、我々は協力する。私たち組合員が、将来的にも安心して働ける日産であるということを保証してくれるのなら、痛みを越えて日産復活に協力していくという気持ちがある」
取材班: ゴーン社長の印象は?
委員長:「強いリーダーシップを発揮していただいている方だと思う。私は、労働組合の役員ですけど信用したい、信用できる人だと思っています。おそらく、今までの経営トップの中では異質な方でしょう」
取材班: いなかった?
委員長:「そうですね」
取材班:何年こちらにお勤めですか?
委員長:「私は27年です」
取材班: いよいよ今日ですけど、辛い思いとか?
委員長:「一人一人の組合員と今まで接してきた。それぞれの方々が抱えている事情を思い起こすと、その全てを労働組合として解決しているわけではありません。そういう辛い思いを抱えながら他の事業所に行っていただくことを大変悔しい面もあります。これからのフォローというものに力を入れなければならないと思います。もちろん、個人的に村山が無くなるということは、一抹の寂しさを感じていますけど、新たな出発というそういう気持ちをみんなが持ち合いたいというのも感じています」
取材班:日産は再生しつつあるか?
委員長:「はい。確かに、一歩一歩再生の方向に向かっていると実感として感じる」
取材班: 27年も勤めると愛着というか?
委員長:「そうですね。村山でしか仕事をした経験がありませんので、ここが全てだと言えます。これは他の方々もそうだと思っています。愛着は充分に持っていますし、工場の一つ一つに思い出があることも事実です。その中で働いている一人一人と人間関係があるわけですから、全てが自分の人生だと感じていますが、後ろを振り返るということが、プラスに働かないということを今まで勉強してきておりますので、前を向いていきたいと思っています」
取材班:ゴーン氏は、痛みを共有できる人ですか?
委員長:「立場として精一杯共有してくれる人だと思っています。が、痛みを分かち合うということは、当事者とそうではない方々とは不可能な部分があるわけですから、立場としては(共有)していただける方だと思っています」
取材班:信頼できますか?
委員長:「信頼しています」
取材班:ゴーン氏が来て日産は変わりましたか?
委員長:「大きく変わりました。文化が変わってきたと思う。日産の文化が!」