1999/05/22 〜リストラに死す〜58歳元課長・悲劇の決断〜

 2ヶ月前3月23日。 ブリヂストン本社の社長室でふたりの男が相対していた。 リストラを断行し、会社を勝ち組に導いた海崎社長。 そして、そのリストラに抗議して、割腹自殺を図った 野中元課長。
野中元課長の辞世の句は「すさぶ世にかけてみようぞ わが命 倫理仁義の掘り興しをば」

鳥越は、野中さんの故郷長崎・松浦市を訪ね母親に話を聞いた。野中さんは正義感の強い優等生だったという。
「(息子に)なんでこんなことしたのと言いたいですね」母親は胸をつまらせながらこうつぶやいた。
彼が死を持って、彼が訴えたかったことは何だったのか? そこに至る彼の人生とはいかなるものだったのか? 日本の企業構造の過渡期、サラリーマンをめぐる 雇用状況が激動し、生き方が問われるなかで 起こった悲劇の決断の謎を追う。
15年前、海崎氏と野中氏は共にこの横浜工場にいた。当時、主流ではないと見られていたノンタイヤ部門でショックを受ける野中氏を尻目に、海崎氏は強い押しで手腕を発揮、出世への階段をのぼっていく。
2月26日、海崎社長が決算報告の場でブリヂストンの勝ち組企業宣言をしたのち、野中さんは抗議声明文を書いていた。「なぜ、史上最高の利益を経常する会社がここまで従業員を苦しめなければならないのか」
事件から2ヶ月後。
ブリヂストンの会社としての見解を聞いた。「会社のとった早期退職優遇制度などが、世の中で突出しているとは思わない。個人と会社と。会社は何万人もの人を抱え生きていく。それが世の中ですから…残念です」

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