[ part1 ] GPシリーズの思い出
――今年もついにグランプリシリーズが開幕。フィギュアスケートの本格的なシーズンが始まります。荒川静香さんも、96年から昨年まで連続10シーズン、このグランプリシリーズに出場されていましたね。
荒川 初めて出場したのは中学3年生の年のNHK杯ですが、それ以前からグランプリシリーズの思い出は多く、小学生の頃はNHK杯のチケットを並んで買ったことを良く覚えています。
――当時はNHK杯、東京の代々木で開催されることが多かったですね。
荒川 一年に一度、国際レベルの選手の演技を見られるのが楽しみで。遊園地に遊びに行くような感覚で出かけていました(笑)。演技の間の花拾いを同年代の子どもたちがやっていたのですが、あのフラワーガールはやってみたかった!いつも会場となるリンクの地元の選手たちがやるので、結局私はできなかったのですが…
――そんな憧れのグランプリシリーズに出場するようになったのが、中学生時代。
荒川 実は実際に選手として試合に出る前、中学1年生の時にNHK杯のエキシビションに出させていただいたんです。盛岡で開催された年で、八木沼純子さんが引退されたシーズンでした。このとき初めて自分でチケットを買うのではなく、出演者用のIDをもらえて、すごく近くで試合が見られることが嬉しかったのを覚えています。同じリンクで練習していた本田武史さんがやはり同じ年にエキシビションに出たのですが、彼は翌年にすでに、選手としてグランプリシリーズに出場していました。それがすごくうらやましくて! 私はエキシビションに出た年の次の次の年、やっと初めて正式に試合に出られました。
――初出場の96年、まだ荒川さんもジュニアの選手でした。
荒川 当時は世界ジュニアがシーズン初めの11月にあったのですが、世界ジュニアから帰ってきた翌日のNHK杯に、急に出ることになったんです。これが私が初めて出たシニアの試合です。なんだかもう、周りはテレビで見たことがあるような選手ばかり……。そんな試合に参加できること、その場に私がいていいことが、まずうれしくて仕方がなかったことを覚えています。最初の何シーズンかはそんな調子で、念願がかなったうれしさ、楽しさ、そんなことばかりを感じていました。
――年を経るごとに、グランプリシリーズへの気持ちも変わっていきましたか?
荒川 勝つこと、2試合戦ってファイナルに出ることを意識するようになってからは、ただうれしいだけの気持ちから、緊張する試合へと変わっていきました。そのためか、私はグランプリシリーズの表彰台に立つまでになかなか時間がかかって……。初めての表彰台が初出場から6年後、大学3年生の時に出場したNHK杯でした。
――初優勝も翌年、04年のNHK杯。でも荒川さんはNHK杯だけでなく、毎年世界各地で開催されるグランプリシリーズ、あちこちに出場されましたね。
荒川 実はアメリカ、カナダ、中国、フランス、ロシア、そして今はなくなってしまったドイツ大会も含め、すべての大会に出場したことがあるんです。
日本人で全試合網羅した選手は、私だけなんじゃないかな?グランプリシリーズとひとくちにいっても、開催国によって雰囲気が全然違うのが面白いところです。
例えばアメリカやカナダは、お客様の盛り上がりが凄い!会場も大きいですし、人の多さにまず圧倒されます。私がシニアデビューしたばかりの時期は、ミッシェル・クワン選手が神さまのような人気を得ていて、彼女と一緒にリンクに出ると、地響きのような歓声に包まれるんです。まずそんな雰囲気に驚いて……。
また中国やロシアに行くと、地元選手への応援ぶりが激しくて、転ぶと喜ばれてしまうような空気もありました。けれどロシアは他国と比べ、会場の氷の質がとても高いんです。フランス大会は、また北米とは違った盛り上がりがおもしろく、お客様がサッカーの応援に使うような鳴り物を鳴らしたり。
そして私が好きだったのが、02年まであったドイツ大会。グランプリシリーズらしくない小ぢんまりとした会場で試合をするのですが、お客様と選手との距離がとても近い。少し圧迫感があるけれど、そのぶん客席の反応がストレートに伝わってくるんです。
こんなふうに、同じグランプリシリーズなのにそれぞれの国でいろいろな体験をしました。視聴者のみなさまも6戦通して観戦すると、違いが見えてきて面白いかも知れませんよ。