今月は、『人工知能・AI社会と日本』をテーマに議論しました。
AIがどんなに普及しても変わらない人の役割とは何でしょうか。
例えばニュース番組で、
淀みなく時間内に確実に原稿を伝えるならば、
アナウンサーがAIに代わることも、物理的には可能です。
かつて田原さんに、番組内で東京裁判の是非について問われた時、
「東京裁判を否定すると、サンフランシスコ平和条約をも否定することになる」
と答えたところ、
「そんな社説みたいなこと言われてもつまらないよ!」と強く制されました。
さらに、「昭和の前を生きた日本人は正しかったの?」と問われ、
返答に窮した末に、
「その時代を生きていないから分かりません」と絞り出したら
「僕だって生きていないから分からないよ!」と、なぜか笑顔。
放送終了後、「正しい答えが出てきませんでした」と吐露したら
田原さんは、「そっちの方が人間らしくて面白いじゃない」と。
常に正確であるべき場所と、そうでない場所があるような。
場合によっては、間違えたり、詰まったりすることで見えてくる景色もある。
予定調和でないことが、何かを生み出す。
それって、朝生のことですよね!?