サボリスト〜あの人のサボり方〜
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「サボりたくなる人間だから、短歌を書いているのかもしれない」伊藤紺のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 歌人の伊藤紺さんは、心のどこかにある感情、情景が呼び起こされるような歌で多くの共感や支持を集めている。3作目となる歌集『気がする朝』も反響を呼んでいる伊藤さんに、短歌との出合いや、歌が生まれる過程、サボりと創作などについて聞いた。 伊藤 紺 いとう・こん 歌人。2016年に作歌を始め、2019年に『肌に流れる透明な気持ち』、2020年に『満ちる腕』を私家版で刊行する。2022年には、両作を短歌研究社より新装版として同時刊行。最新刊は2023年に発売された第3歌集『気がする朝』(ナナロク社)。 短歌と出合って、すぐに投稿を始めた ──短歌と出合ったのは、大学生のときだそうですね。 伊藤 最初は小学生か中学生のときに教科書で見た俵万智さんの歌だと思うんですけど、そのときは特にすごいと思ったりはしなかったんです。でも、大学4年生の年末に突然俵さんの歌を思い出して、「あれ? なんかわかるかも、いい歌かも」と思って、そのまま本屋さんで俵さんの『サラダ記念日』(河出書房新社)と、あと穂村弘さんの『ラインマーカーズ』(小学館)という歌集を買いました。 ──読んでみてどうでしたか? 伊藤 歌集って400首くらいの歌が載っているので、よくわからないものもあったんですけど、繰り返し読みたくなるほど「いいな」と思える歌もあって。それから短歌や歌人についてネットで調べて、佐藤真由美さんの『プライベート』(集英社)という歌集と出合いました。とっつきやすい言葉でリアルなことが書かれていて、すごくおもしろくて。そのあとすぐ、2016年元旦に短歌を始めました。 ──「おもしろい」から「やってみよう」までが早いですね。なんとなく詠み方などもつかめたのでしょうか。 伊藤 いや、何も考えてなかったです。かわいいイラストを見て自分でも描いてみたくなるのと同じような、軽い感じでしたね。なんでもすぐにやってみるタイプではあったので、なんとなく1首書いてみて。それが2首、3首と書くうちに「いいかも」と思えてきて、母に読んでもらったりしていました。 ──人に見せるのも早いですね(笑)。 伊藤 書いたその日には当時のTwitterにアカウントを作って、短歌を投稿し始めてましたから。ただ、当時は短歌そのものに愛を感じていたというよりは、「わかる/わからない」という基準で判断しているところが大きかったし、まだ趣味にも満たないマイブームっていう感じでしたね。 でも、歌人の枡野浩一(※)さんが早い段階で「いいね」してくださって、「あれ、才能ある……?」みたいな(笑)。枡野さんは特別うれしかったけど、そうでなくても反応をもらえること自体が当時のモチベーションの一部だったと思います。 (※)簡単な現代語で表現されているのに思わず読者が感嘆してしまう「かんたん短歌」を提唱するなど、若い世代の短歌ブームを牽引した歌人。 「若い女性の恋心」を詠んでいるわけではない ──歌人として活動していくようになったのは、どんなタイミングだったのでしょうか。 伊藤 短歌を真剣に書き続けている人はみんな歌人だと思いますし、「歌人になる」というタイミングはほぼ存在しないと思うんですけど、肩書を「歌人」だけにしたタイミングはなんとなくありました。それまではライターやコピーライターとしても活動していて、特に短歌では食べていけない気がしていたし、そもそも作家は精神的に苦しいだろうから、あんまりなりたいとは思ってなかったんです。 だけど、どんどん短歌だけが調子づいてきて、ほかの仕事とは違う早さでいろんなことが進んでしまって、「これなのか……?」って。今でもたまにコピーを書くことはありますが、「歌人・伊藤紺」として、自分の言葉で書くものだけ、ということにしています。 ──手応えのある歌ができた、といったことでもなく? 伊藤 その時々で「書けてよかったな」と思える歌はちょこちょこあるんですけど、あとから思うとそうでもなかったような気がすることもありますし、これといった歌があったわけではないと思います。ただ、最近はいいと思える打率が上がってきたというか、外さなくなってきたような感覚はありますね。 ──では、周囲の反響による手応えはあったのでしょうか。2019年には私家版(自主制作の書籍)というかたちで最初の歌集『肌に流れる透明な気持ち』を作られていますよね。 伊藤 第1歌集は300冊作ったらすぐ増刷になり、(私家版も扱う)書店にも置いてもらえて、思ったよりも反響があってうれしかったですね。読者の方の解釈を聞いたりするのも新鮮で楽しかった。でも同時に「若い女性の揺れる恋心」みたいなよくある言葉がひとり歩きすることがあって、抵抗もありました。自分はそういうつもりじゃなかったので。 ──ご自身の中ではどんな作品、作風だと認識されていたんですか? 伊藤 当時はあんまりわかってなかったですね。「なんか違う気がするな」っていうだけで。少し成長してある程度見えてきたのは、作品内での他者への特別な感情について、恋とか愛とか友情とかっていう仕分けをあんまり重視していないということです。「情」って言葉が近いのかな。人間でなくてもよくて、動物や植物に胸がきゅうっと動くのも全部一緒でいい。登場人物の設定などを詳細に書かなくてもいいから短歌がおもしろかったのに、「若い女性の恋」だけになっていくことに違和感があったんだと思います。 でもやっぱり「きみ」とか「あなた」って入っていたら恋の歌に見えやすいし、事実、私は「若い女性」だったし、今の話を聞いても「恋だ」と思う人もいるはずで、それはそれでもちろんいいんです。自分にできることは、そういう違和感に向き合って、描きたいものを明確にしていくことなのかなって。 ──そういった変化は第3歌集の『気がする朝』にも反映されているのでしょうか。 伊藤 そうですね。歌を作るにしても、本当に書きたいことか、立ち止まることが増えたように思います。歌の並べ方もそうで、編集の村井(光男)さんがいわゆる恋っぽい歌をひいおじいちゃんの歌の近くに置く案をくれたとき、すごく見え方が変わることに気づいて。それは大きな発見でした。 歌になるのは、自分にとって「真実らしきもの」 ──伊藤さんの場合、短歌はどういう流れで作られているんですか? 伊藤 自分にとっての真実らしいものが見つかると、それが歌になると思うんです。自分にとってはそれが情とか自由、命みたいなものだと思うんですけど。生活しているなかで、そういう真実のかけらみたいなものを見つけたらメモしておきます。短歌を書こうと思ってパソコンに向かったときは、そのメモから広げていくことが多いですね。 まずは短歌にしてみて、それを読んで「こういうことじゃないな」とかって思いながら、改行しては書き直していく。ちょっとずつ軌道を変えていったり、突然思いついた方向にガラッと変えていったりしながら、いいと思えるかたちになるまで書き続けています。 ──考えてみれば当たり前なんですけど、やっぱりパソコンで作るんですね。 伊藤 申し訳ない(笑)。 ──いえいえ、さすがに短冊に筆で書いたりしていないと思いますが、なんとなくアナログなイメージというか思い込みがあったので。改行しながら書き連ねていくことは、思考の痕跡を残すためでもあるのでしょうか。 伊藤 そうですね。行き詰まったら過去に書いたものやメモを見返して、いいと思えた要素を取り込んだりすることもあるので。けっこうしょうもないことも書いたまま残しているから、あとで見るとひどいなって思うこともあるんですけど、いいものだけ残そうとするとカッコつけちゃうんですよね。なんでもいいから書き続けることが大事というか。 ──以前は完成までたどり着けなかったメモが、時を経てかたちになる、といったこともありますか? 伊藤 ありますね。時間が経って自分が成長したことで書けるようになる場合もありますし、時間が空いたことで客観的に見直せるようになる場合もあります。たとえば、「机と宇宙」という言葉の感じが気に入っていても、何がいいのかわかっていないと、下の句にたどり着けなかったりする。でも、時間を置いてから見直すと、そのよさや言葉の結びつきがわかることがあるんです。 ──何かを感じたときにメモしておく習慣があると、自分の感動や感情に意識的になるし、その気持ちを思い出すこともできるんでしょうね。 伊藤 そう思います。なるべく新鮮な状態で言葉にしておくと、言葉を解凍したときに食べられる、みたいな。メモせずにあとから思い出して書こうとしても、感動が言葉にたどり着かなくなることもあるので。 今は小石のような真実が、いつか世間の真実になるかもしれない ──『気がする朝』のあとがきに、短歌を書くことは「日常の些細な喜び」ではなく、「100%の満足」だとあったのが印象的でした。日常の中で「真実らしいもの」を見つけていくこと自体が生きることだという意味でもあるのかなと思ったのですが、いかがでしょうか。 伊藤 そうですね。でも、真実らしいことでなくても「お茶がおいしい」とか「木漏れ日がきれい」とかで心が大きく動くこともあるし、そういうふうに楽しく生きてはいける気もする。短歌と生きることがイコールではないです。 『気がする朝』は「このところ鏡に出会うたびそっと髪の長さに満足してる」という歌で始まるのですが、この歌もひとつの真実らしいものが基盤になっていて、その発見が歌になっています。その真実は私がそのへんで拾ってきた小石のような真実なので、きっと理解しない人もいる、というかそっちが多数派でしょうね。逆に自分が多数派だったら書こうとも思わないのかもしれない。 ──そういった気づきから、「自分」というものを発見していく感覚はあるんですか? 伊藤 あまり自分で意識したり実感したりしたことはないんですけど、あるかもしれません。自分の言いたかったことや思ったことを短歌にして、それを何度も読んだりするのって、自己理解にもつながりますしね。 でも、その小石のような真実を「みんなも本当はこうなんじゃない?」ってどこかで思ってるんですよね。100年後、1000年後、世間一般の真実になっているかもしれないって。だから、「自分」を発見するということにもつながっているけど、自分の特異性というよりは、いつかどこかで誰かと共有でき得るものだと思っているかも。 ──みんなが気づいていないだけかもしれない。そんなふうに、伊藤さんの歌によって自分では意識していなかった感情に気づいた、という経験をした読者も多いのではないでしょうか。それって作家としてはうれしいことですよね。 伊藤 よく言われます。すごくうれしいですね。ただ、そう感じてもらうことが短歌を作る目的ではないので、自分にとっての山頂を目指して歩いていたら、給水スポットの人がすごく優しかった、みたいな感じというか。 ──なるほど。では、伊藤さんの中で今後目指したい山のイメージなどはあったりするのでしょうか。 伊藤 書きたいと思ったものを短歌にするという意味では、毎回山頂に登ったような気持ちで作品を作っていて、登りきったところでまだ山頂ではないことに気づいたり、別の山に登ってみたくなったりする感じなんですね。 それで今、ちょっと登りたい山があって、「5・7・5・7・7」ぴったりの定型に帰ってみようかなと思ってるんです。作品作りを積み重ねていくなかで、どんどん定型から外れてきたんですけど、『気がする朝』で自分のやりたいことがすごくできたので、勉強がてら定型に戻ってみたいなって。いざやってみるとどうしても外れてしまうので、今は難しいと思いながら向き合っているところです。 「ずっとサボってゲームしてます」 ──伊藤さんは、作業をしなくてはいけないと思いつつ、サボってしまうようなことはありますか? 伊藤 ずっとサボってますね。ゲームしちゃうんです。最近は、落ちてくる数字を小さくまとめていくゲームとか、ブロックをそろえて王様を助けてあげるゲームとか。サボりっていうか、気がつくと8時間くらいやっちゃうこともあります。作品を作ったり、本にしているときが一番逃げやすいので、『気がする朝』を出したあとはそんなにやらなくなったんですけど。 ──やっぱり、やらなきゃいけないことがあるからこそ、サボりも発生するんですよね。 伊藤 そうですね。ゲームをやることが楽しいわけじゃないのに、サボってる間は楽しくなるんですよ。でも、もうちょっとちゃんとしたサボりというか、スーパーで買い物するついでに散歩したり、喫茶店で本を読んだりしてリフレッシュすることもあります。 ──リフレッシュを挟むことで、作業が進展するようなこともありますか? 伊藤 けっこうあります。散歩から帰ったときにメモしたいようなことが出てきたり、行き詰まっていた原稿がはかどるようになったり。5日くらい外出しないこともあるんですけど、そんなときも家事をしたり、お風呂に入ったり、何か食べたり、そういうことをちょこちょこ挟んだほうが調子は出やすいですね。 ──ずっと家にいられるタイプなんですね。1時間おきとかにできそうな、気軽な息抜きもあったりしますか? 伊藤 詩集を読んだりしますね。好きな1節とか1ページだけ読んで本を閉じると、「いかんいかん」って書きたい気持ちが戻ってくることがあります。小説だと戻れなくなっちゃうので、つまみ読みできるような詩集がいいんです。Instagramとかも見ますけど、猫の動画をずっと見ちゃったりして、「いかんいかん」を20回くらい繰り返すことになるので……。 ──戻れない感じ、すごくわかります。そういうブレを断ち切って、ストイックに作品に向き合いたいと思ったりすることはあるのでしょうか。 伊藤 うーん……ありますけど、たぶんそういうことができる人間だったら、短歌を書いてないんじゃないかなって思います。もっとお金がいっぱいもらえる仕事に就いたほうがよさそうじゃないですか。もちろん、芸術や文化を愛している人の中にもストイックに動き続けられる人は山ほどいるわけですけど、自分の場合は短歌と出合う前にやりたかったことが本当はたくさんあった気がするので、そのうちのどれかをしているんじゃないかな。そうじゃないからここに来てしまった感じがします。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「バラバラだけど、一緒にいる」三浦直之のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回お話を伺ったのは、劇団「ロロ」の主宰で、劇作家・演出家の三浦直之さん。「さまざまなカルチャーへの純粋な思いをパッチワークのように紡ぎ合わせ、さまざまな『出会い』の瞬間を物語化している」と評される作品がどのように生まれるのか、そのきっかけや創作の背景などを聞いた。 三浦直之 みうら・なおゆき 宮城県出身。2009年、日本大学芸術学部演劇学科劇作コース在学中に、処女作『家族のこと、その他たくさんのこと』が王子小劇場「筆に覚えあり戯曲募集」に史上初入選。同年、主宰として劇団「ロロ」を立ち上げ、全作品の脚本・演出を担当する。2016年、『ハンサムな大悟』で第60回岸田國士戯曲賞最終候補作品にノミネート。また、『腐女子、うっかりゲイに告る。』(NHK)など、ドラマ脚本も多数手がけ、共同脚本を手がけた映画『サマーフィルムにのって』はスマッシュヒットを記録した。 演劇と出会うも、いきなりの失踪…… ──三浦さんが演劇と出会ったのは、大学で演劇学科に進まれてからだそうですね。 三浦 そうですね。本当は映画学科に入りたかったんですけど、落ちちゃって。それで、受かった演劇学科のほうに進学しました。でも、それまでほとんど演劇を観たことがなかったんですね。宮城から上京してきて、演劇を知らなかったら友達ができないんじゃないかと思って、過去の雑誌の小劇場特集などをひたすら読んで、そこで紹介されていた劇団を片っ端から観ていくうちに、「演劇っておもしろいな」と思うようになりました。 ただ、大学内で立ち上げられた劇団のお手伝いみたいなことはしていましたが、自分で戯曲(脚本)を書こうなんて全然考えてませんでしたね。 ──では、何がきっかけで脚本を書かれたのでしょうか。 三浦 ロロのメンバーの亀島(一徳)くんとは同じ演劇学科で、亀島くんから「三浦くん、何か書いてみない?」と言われたのがきっかけです。亀島くんが演出で、僕が脚本で、一緒に何かやってみようという話になって。でも、僕は事務能力が皆無な人間なので、手伝っていた制作の仕事とかで追い込まれちゃって、失踪したんですよ……。 制作をやっていた劇団も公演が迫っていたし、亀島くんのほうも劇場を押さえていたので、別の脚本を見つけて公演を打つことになり、みんなにめちゃくちゃ迷惑をかけてしまって。僕はそのとき宮城に帰っていたんですけど、実家にもいづらくなって、3カ月くらい友達の家を転々としていました。 ──大学にも戻りにくかったでしょうね……。 三浦 もう人間関係は全部終わったなと思いながら、それでもさすがに大学には戻ったほうがいいだろうと思ったんですよね。戻ったら、制作を手伝った劇団の人とは連絡も取れなくなっちゃいましたけど、亀島くんとは大学でばったり会って。 そのとき、亀島くんが「三浦くんはマジでクソ人間だけど、やっぱり書くものはおもしろいと思うから、何か書けたら一緒にやろうよ」って言ってくれたんです。さすがにそこまで言ってもらったら、公演をやるかどうかは別として、一度書いてみようと思って書いたのが、ロロの旗揚げ作品『家族のこと、その他たくさんのこと』ですね。 ──いきなり舞台の脚本って書けるものなんですか? 三浦 上演する予定もなかったので完成度は気にせず、とにかく亀島くんに読んでもらおうという気持ちで書いただけなんです。ただ、10代のころから映画やアニメ、マンガ、小説などはひたすら摂取してきたので、「書くってこういうことなのかな?」みたいな漠然としたイメージはありました。 作家の人がよく言っているのですが、デビュー作は作家じゃない自分が書く唯一の作品なんですよね。それは、あとから読み返してみても感じるもので、当時は書き方や構成も考えず、そのときの思いつきや自分がおもしろいと思うものをひたすらつないで書いていた。でも、いまだに「またああいうふうに書いてみたいな」と思ったりもします。 ──その作品が王子小劇場の「筆に覚えあり戯曲募集」に入選したのもすごいですよね。 三浦 ロロのメンバーになる(篠崎)大悟が当時近くに住んでいたので、漠然としたイメージのまま書いていた脚本を(声に出して)読んでもらって、それをもとに書き進めていたんです。書き上がったときに、大悟が「これおもしろいから上演したら?」って言ってくれて、ちょっと考えてみようかなと。 ただ、大学で公演をやって、友達が観に来るだけで回っていく感じに違和感があったので、上演するならもっと自分を知らない人に観てほしくて、戯曲が入選すると劇場が無料で借りられる王子小劇場の制度に応募してみたんです。ロロも、その公演をやるためだけに旗揚げしたので、1回やって終わるつもりでした。だから、あまり深く考えずに「ロロ」っていう名前をつけてしまった(笑)。 ロロというコミュニティから得たものを作品にフィードバックする ──一度きりのユニットだったロロが、なぜ劇団として活動するようになったのでしょうか。 三浦 実際に上演してみたら、もうちょっとやってみたくなって。めちゃくちゃ悔しかったのを覚えてるんですけど、戯曲はともかく、演出はどうしても経験を積むことでしか上がっていかない能力があるなって感じたんですね。俳優やスタッフとのコミュニケーション力や、目指している世界観の共有の仕方、スケジュール感とか。 それで、ロロの旗揚げ1年目は、とにかく場数だと思って毎月のように公演を行っていました。結果的に、その時期と当時のTwitter(現・X)の普及がリンクして、口コミで広がってどんどん動員も上がっていったような気がします。 ──なりゆきで始まり、がむしゃらに公演を打っていくなかで、ロロという劇団の方向性やコンセプトのようなものは意識されていましたか? 三浦 なんとなく始まったので、ビジョンみたいなものはなくて、それがコンプレックスでもありました。でも、僕は人を引っ張っていくようなことが苦手だし、メンバーも各々で違う価値観を持っているので、だんだん「バラバラなまま一緒にいられる集団はどうすれば作れるか」と思うようになっていきましたね。 ──とはいえ、公演を続けていくうちに表現スタイルや「ロロらしさ」のようなものは、形作られたのではないでしょうか。 三浦 演劇に関しては門外漢だという意識を抱えながら、自分が影響を受けてきた演劇以外のポップカルチャーのおもしろい要素を、どう演劇に翻訳できるか考えていたところはありますね。「あのマンガのあのシーンを演劇で実現するには、どうしたらいいんだろう?」みたいな。 あと、さっきのロロの話もそうなんですけど、コミュニティの作られ方にはずっと興味があって。だから、演劇でも疑似家族みたいなものをモチーフにすることがすごく多いんです。ロロの活動を通じて集団性について考えたことをフィクションにフィードバックして、そのフィクションから得たものをまたロロにフィードバックしていく。そんなふうに作品を考えています。 ──「ボーイミーツガール」といったテーマも、ロロの世界観を表すキーワードとしてよく耳にしました。 三浦 10代のころは青春小説や「ボーイミーツガール」的なアニメがめちゃくちゃ好きで、ロロの初期はコピーとしてよく使っていましたね。ただ、僕も30代半ばで、メンバーも一緒に歳を重ねているので、さすがにもうボーイでもガールでもないだろうっていう(笑)。メンバーの価値観に影響を受けながら、「今、この俳優たちとどういう作品が作れるか」と考えていくなかで、自分の書くものも変わっていったと思います。 これまでは若さを大事に書いてきたんですけど、反対に老いをポジティブに捉えられないかと考えてみたり、今はまだ試行錯誤の最中で。本格的な「中年の危機」に差しかかる前に、なんとかそれを乗り越えるための練習を始めたような感じですね。 リーダーシップのある演出家じゃなくてもいい ──今も変化の過程にあるとのことですが、これまでの活動の中でターニングポイントとなった作品などはありますか? 三浦 いくつかありますが、書き方のスタイルを見つけられたと感じたのは、『ハンサムな大悟』という岸田戯曲賞の候補にもなった作品です。僕はまずジャンルのフォーマットから作品を考えていくんですけど、『ハンサムな大悟』では一代記(ある人物の一生を記録したもの)を書いてみようと思いました。まずはさまざまな一代記系の作品を分析して、その分析をもとにオリジナルの物語を作っていく。そういうスタイルができ上がったのが、『ハンサムな大悟』なんです。 もうひとつは、「いつ高シリーズ」という高校演劇のルールに則って演劇を行う60分のシリーズを始めたことですね。だんだん本公演がプレッシャーになってきたころに、息抜きとして青春の物語やポップカルチャーの引用とか、自分が好きだったものだけで作品を作ってみたら、新しい観客に出会えた。あまり演劇を観ていない人でも気軽に楽しめるものが自分にも書けるんだな、って思えたのは大きかったです。 ──最新作となるパルコ・プロデュースの公演『最高の家出』も、三浦さんとしてはまた新しい挑戦ですよね。 三浦 パルコ・プロデュースの公演は、演劇を始めてからのひとつの目標だったので、めちゃくちゃうれしかったです。しかも、ロロのメンバーも一緒に呼んでもらえて、プロデューサーの方がロロをすごく愛してくれていると感じました。それで、「ロロっぽさ」みたいなものを改めて意識するところから作品を考えてみたんです。 そこから、ヘンテコなヤツらが集まって、一緒に暮らしているような世界観の中に、主演の高城れにさんが迷い込んでいく、みたいな物語ができていきました。ジャンルのフォーマットとしては、「行きて帰りし物語」という、非日常に迷い込んだ主人公がまた日常に戻っていく話になると思います。 ──三浦さんは作品のテーマである家出について「帰ることが宿命づけられている」とおっしゃっていましたが、まさに「行きて帰りし物語」と重なりますね。 三浦 そうですね。「家出って、失敗して帰ることが前提の言葉だな」と思ったときに、「成功する家出ってなんだろう?」と考えたところから、イメージをふくらませていきました。帰るという行為の意味合いを変えられたら、家出そのものも変えられるかもしれない。そこが今回の舞台で大事にしているところです。 ──初めて組む俳優さんやスタッフさんとも作品を作るという点で、意識されていることはありますか? 三浦 僕はリーダーシップを発揮するタイプの演出家にはなれないという話をしましたが、最近は劇作家の僕が書いた戯曲に対して、スタッフたちや俳優たちが用意してくれるプランをどう組み合わせたらいいかと考えるようになってきましたね。演出家として、僕のやりたいことをかたちにするというよりは、みんなが持ち寄ってくれたものをリスペクトして、ポテンシャルが一番発揮されるかたちで作品につなげたいと思っています。 スイッチを切り替えるための2拠点生活 ──学生時代には失踪もしたことのある三浦さんですが(笑)、お仕事をサボってしまうことはありますか? 三浦 めちゃめちゃあると思います。書くこととサボることにどれくらい差異があるのかな、と考えたりしますし。ちゃんとルーティンがあって常に書いているタイプの方もいると思うんですけど、僕は書けなくて悩んでいる時間もすごく長くて。その時間って、サボってるといえばサボってるんですよね。そういうときは、何も手につかないまま罪悪感だけがどんどん募っていって、ずっとウロウロするという無の時間が過ぎていきます。 ──そういうとき、どのように気分を切り替えているのでしょうか。 三浦 場所を変えることは、すごく大事にしていますね。僕は今、宮城と東京を行ったり来たりしている生活で、演劇の稽古がないときはほとんど宮城に住んでるんですよ。そうすると、演出しているときは東京にいて、書いているときは宮城にいるから、東京に来ると書いている自分から逃避している感覚になるし、宮城の実家にいるときは演出家の自分から逃避している感覚になる。具体的に場所を変えると、ちゃんとスイッチが入るようになるというか。 東京にいると毎週のように演劇をやっていて、情報もたくさん入ってくるので、「みんなこんなにやってるのに、俺は……」ってネガティブになっちゃうんですけど、宮城にいたら「どうせ物理的に行けねーし」って思えるんですよ。 ──では、より自分をリフレッシュさせるための息抜きなどはありますか? 三浦 やっぱり読書ですね。「ひとりになりたいけど、ひとりぼっちは寂しい」みたいなややこしい性格なんですが、読書ってその状態にすごく向いているんですよ。読書自体はめちゃくちゃ孤独な行為じゃないですか。でも、本の中にはたくさんの人たちがいるので、その人たちと一緒にいるような感覚にもなれる。僕にとって読書はすごく大事な時間です。 あとは最近、自分のための言葉を書くようになりました。コロナ禍でメンタルの不調が続き、自分があまり感動してないような気がしたのがきっかけなんですけど。 ──お仕事として書く言葉とは別の言葉を書いている。 三浦 はい。Instagramでは読書日記をつけてるんですけど、書評やレビューのように人に伝える仕事ではないので、自分の心がこの物語でどう動いたかを確認するためだけに文章を書いています。「そうか、俺は今、ここに感動してるんだ」とか「俺はまだワクワクできるぞ」とか、自分の中の感動や欲望を見つけることは大事だなって思うんです。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 三浦直之による書き下ろし最新作! パルコ・プロデュース2024『最高の家出』上演中 出演:高城れに(ももいろクローバーZ)/祷キララ/東島京/板橋駿谷/亀島一徳/篠崎大悟/島田桃子/重岡漠/尾上寛之 企画・製作:株式会社パルコ 2月4日〜24日/東京・紀伊国屋ホール *高知、大阪、香川、宮城、北九州公演あり 公式サイト https://stage.parco.jp/program/iede
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「何気ない散策から、意識の中のかたちが立ち上がる」新津保建秀のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回お話を伺ったのは、写真家の新津保建秀さん。人物、風景、建物など、さまざまな対象を撮影しながら、対象と向き合うことで心の中に立ち上がってくるものをまなざしているという新津保さんにとって、必要なサボりといえる「散策」とは? 新津保建秀 しんつぼ・けんしゅう 写真家。東京藝術大学大学院美術研究科博士課程修了。博士(美術)。近年の主な個展に『消え入りそうなほど 細かくて 微妙な』MIZUMA ART GALLERY(2023、東京)、『往還の風景』ART DRUG CENTER(2022、宮城)など。主な展覧会に『景観観察研究会 八甲田大学校』国際芸術センター青森(2022、青森)、『さいたま国際芸術祭』(2020、埼玉)、『北アルプス国際芸術祭』(2017、長野)など。主な作品集に、池上高志氏との共作『Rugged TimeScape』(FOIL、2010)、『Spring Ephemeral』(FOIL、2011)、『\風景』(KADOKAWA、2012)など。 目次対象から感じたものをフィルムの中に込める写真もドローイングも、本質は変わらない目的のない散策から生まれた写真がつながる瞬間サボりの中に仕事がある 対象から感じたものをフィルムの中に込める ──新津保さんは写真家としてのご自身のスタイルをどのように見出されたのでしょうか。 新津保 20代の前半はジョゼフ・コーネル(※1)やジョナス・メカス(※2)らに影響を受けて、写真の断片を箱に入れたコラージュや、8ミリカメラを用いた映像作品を制作していました。映像の場合は8ミリカメラの約3分の尺の中で、日々目にしたものの断片を写真を撮るように撮っていきます。それを数ヶ月かけて行うと、その間の思い出をのぞき込んだような映像になるのです。 これと並行して行っていたコラージュ作品の制作の中で、その素材となる写真を撮ることを始めたんですが、この作業を数年続けていくことでつかんだ感覚があって、雑誌などの複製媒体の中でまったく会ったことのない人に見てほしいと思い、写真を仕事として始めるようになったんです。 (※1)Joseph Cornell(1903-1972)。身の回りのもので構成した箱の作品やコラージュ作品、前衛的な映像作品などを制作したアーティスト (※2)Jonas Mekas(1922-2019)。16ミリカメラで身の回りの日常を撮影し、数々の「日記映画」を残した映画作家 ──つかんだというのは、どんな感覚だったんですか? 新津保 対象を見て、自分の気持ちの中にモワっとしたものが浮かぶ、外からはわからないそのモワっとしたものを、フィルムというメディウムの中に込めることができたという感覚です。20代半ばに、フランスに長期滞在していたとき、リュクサンブール公園を蚤の市で入手したスライドフィルムで撮っていると「ちょっと違ったぞ」という手応えがありました。現像してみたら、そのときに心と体で感じたものと、それまで数年かけて映像で探っていたものが写真の中に入ってたんですよね。対象を見てそのときに感じたものを自分が扱う素材の中にどのように織り込んでいくのかという感覚が、すっと腑に落ちたというか。 ──今では人物、風景、建物など、さまざまな対象を撮影されていますが、そのプロセス自体は変わらないものなのでしょうか。 新津保 そうですね。写真って「何を撮ってるんですか?」って聞く人が多いと思うんですけど、何を被写体に選ぶかというよりも、対象と向き合う中で自分の心に立ち上がってくるものをどうまなざすかが、前段階としてあって。対象はそのきっかけになるものです。 ──最初に8ミリで日常を撮影していたのも、同じように心に引っかかった瞬間を断片として集めていたのかもしれませんね。 新津保 最近も同じようなことをやってみてはいるんですよね。始めたときから経験を積んで、当時と変わってきたところとそうでないところがあると思うので、今やったらどうなるんだろうと考えて。近いもので気に入っているのは、今年の初夏にやった個展に出したもので、ひとりで諏訪を訪れたときに見かけた焚き火と、ムービーの仕事で初めて訪れた千葉の田園地帯をアシスタントと歩いていたときに見た農業用水の水たまりに映っていた夕日の写真です。 諏訪で見かけた焚き火の写真 《焚き火2》2023、ラムダプリント、アクリルマウント、629×420mm(C)SHINTSUBO Kenshu, Courtesy of the artist and Mizuma Art Gallery 夕日の写真 《水鏡》2023、ラムダプリント、アクリルマウント、594×445mm(C)SHINTSUBO Kenshu, Courtesy of the artist and Mizuma Art Gallery ──タレントのグラビアや写真集などでも、その基本は変わらないんですね。 新津保 そうですね。写真集は海外でロケすることが多いですが、ともするとあっという間に滞在期間が過ぎてしまうので、現地では都度、自分の中でテーマを定め、ベストを尽くすようにしています。コロナになる前に、綾瀬はるかさんをリスボンで、鈴木絢音さんをタヒチで撮ったのですが、リスボンでは(ヴィム・)ヴェンダースの『リスボン物語』(1995)に出てきた風景を、タヒチでは(ポール・)ゴーギャンがかつて住んでいた土地の風景を訪ねながら撮影をしていきました。期せずして、パンデミックで世界が変わる前の雰囲気が入っていたような気がしています。 『ハルカノイセカイ 03 リスボン』(講談社、2020)より 写真もドローイングも、本質は変わらない ──新津保さんのポートレートは、周囲に漂う空気感のようなものも魅力だと思います。 新津保 空気と光を読むこととともに、それ以外のいろんな条件が重なったときにうまくいっている気がします。撮影の場をセッティングしていくことは、家の設計に近いような気がしています。たとえば、自分の家を設計していくときや、不動産の内見って、土地の背景や風通しや採光、住む人の動線などを見るじゃないですか。撮影者の立場で現場を組み立てていくことはこれに似ていて、現場の光と空気の流れを読んで、快と不快の境い目を探すんです。現場全体の雰囲気には、その場にいる人たちが感じる心身の感覚がフィードバックされるし、それが写真の中にも写ってくるように思います。とりわけ、被写体となる人の快・不快は重要で、お腹が減っていたり、寒すぎたりしてもダメですね。 ──また、最近では大学院での研究をとおして、イメージについて再考されていますね。 新津保 10代のころに絵を描いていたので、カメラやコンピューターなどの機器を使わないでイメージを扱うということが気になっていたんです。機械を介在させてイメージを扱う写真や映像の中からではなく、人間の文化の中で長い歴史を持つ絵画という領域の中で、イメージについて再考したいと思い、大学院で研究をしていました。 たとえば、紙という面の上に描画材で身体の行為の痕跡を残すドローイングというものを少し広げて考えてみると、地面や地図の上に、歩いた跡を残すこともドローイングたり得るし、写真というものにそのときその場所にいた自分がいた跡を残すこともドローイングになります。写真は、その場で経験したことがすべて撮れているわけではなくて、経験したことの残りカスみたいな感じがあって。自分の中に湧き上がってくるものをどうまなざすかという関心は変わらないんですけど、自分の方法論や考えていることを異なる角度から再考してみたいと思ったんです。 ──本質的には写真を撮る際の前提と変わらない。 新津保 そうです。同じものを探っていて。絵画の制作プロセスも近いんですよね。結局、制作って目の前の時間と歴史や心の中の時間だったり、心の中の目に見えないイメージと自身が扱う物質性を持った素材だったり、相反するものの応答の中で進んでいくと思うんです。だから、ほかの人が作ったものを見るときもそこに注目しています。単純に表層を定着させただけのものもあれば、対象との深い応答の中から生まれたフォルムもあって、そこは「見る」というより「伝わってくる」というか。 目的のない散策から生まれた写真がつながる瞬間 ──最近ではどんなものに関心を持たれているのでしょうか。 新津保 それこそ「サボり」という話にもつながるかもしれませんけど、「都市散策」ですね。直近のプロジェクトとは関係のないロケハンみたいなことをするんです。この前も滝山団地という、東久留米のほうにある、1960年代ぐらいに旧日本住宅公団(現・都市再生機構(UR))が作った団地を散策してきました。子供のころ、こうした団地に住む友人宅に遊びに行ったときの記憶をたどりに行ったんですけど、現在の中に過去が浮遊しているというか、今もそこでゆるゆると日常がつながっていて興味深かったです。 ──おひとりで散策されるんですか? 新津保 友人と散策することが多いです。同世代だったり、年下の世代の異なる友人です。そういった友人と対話しながら歩くと、座って対話するのとは違う交流が生まれるんですよ。先ほどお話しした滝山団地へは友人のアーティストと行きました。 コロナの緊急事態宣言の時期に小説家の朝吹真理子さんと武蔵野を散策したときは、三鷹市井の頭から国分寺崖線(崖の連なり)の下に水が湧いているところ、「ハケ」っていうんですけど、そこを目指してたくさん歩きました。歩きながら語ってくれた「道の時間」という考えについての話がとても印象に残っています。 武蔵野散策時に撮影した写真 ──日本の残滓(ざんし)を探したり、地形に注目したり、テーマもさまざまなんですね。 新津保 気になる土地を友人とあーだこーだ言いながら歩くと、『ブラタモリ』(NHK)みたいになるときもあるし、『アースダイバー』(※3)的な感じになるときもあります。そうかと思えば、物語の聖地巡礼をするようなこともあって。 先日、沼津にロケに行ったときは、現地にある芹沢光治良記念館の学芸員さんに教えていただき、作家の井上靖が小説の中で描いた情景や風景を探しに行きました。当時の面影が残っているわけじゃないんですけど、風景の中に物語が重なるような瞬間があったり、井上が作品内で描いたヒロインの像がもやーっと浮かんできたりして、過去と現在が交差するような感覚を味わいました。 (※3)思想家・人類学者の中沢新一による著作。地形だけでなく、歴史や神話、都市論といった視点も交えながら、その土地について考察している ──一緒に行く人によっても違うような気がします。 新津保 そうですね。それでおもしろかったのは、建築家で東京大学の准教授でもある川添善行さんにお誘いいただいた鶴見線沿線の散策です。やっぱり建築家と行くと、学者の目というか、自分とまったく違う視点で風景を見てるんですよね。この工場はいついつに建てられてますね、とか、生き字引と歩いている感じで、また別のリアリティが立ち上がってくる。 ただ、印象的だったのは、それだけ理知的な川添さんが立ち止まってエモい感じになっているときがあって。何が起きたのかと思ったら、「今思い出しました。私はここで父と一緒に電車を見てたんですよ!」って。そこで初めて、彼の個人的な思い出を話してくれたんです。そういう視点でその日に撮った写真を見返して選ぶと、自分ひとりで撮ったときとは違う写真を選ぶんですよね。それがすぐ写真集などになるということもないんですけど。 ──でも、そうして選んだ写真を並べてみると、見えてくるものもありそうですね。 新津保 3年とか5年単位で捉えると、予想もしないかたちが見えてくることもあります。ある経験が数年先につながって「やっといてよかったな」って思うとか。「かたち」っていうのは、視認できるものもありますが、もやっとした、物質の上に定着される前の意識の中の「かたち」もあると思うんです。点と点がつながって、撮ってきた写真の中からそういうかたちが見えてくる瞬間はおもしろいですね。 『USO 5』(rn press、2023)より ──目的なく散策していた記録が、あるとき像を結ぶというか。 新津保 いったん目的から離れることで開かれるものがあって、その瞬間は非常に感動しますね。ここ3年で一番感動したのは、建築家の隈研吾さんからご自身が作られた建築の自薦リストをいただいて、それを私が撮るという書籍(※4)の企画で撮影したときです。 撮影に着手する前に、隈さんに幼少期に記憶に残っている場所を伺ったら、田園調布だったんですね。それで編集者さんと田園調布を歩いてみたら多摩川が見えてきて、そこが国分寺崖線だと気づいた。そのとき、頭の中でバーっとその崖線の像が見えて、これまで自分がなんとなく気になって撮影していた場所の多くが国分寺崖線上にあったことに気がついたのです。自分は国分寺崖線の雰囲気に惹かれていたんだと、数年を経て見えてきたっていう。だから、散策するってけっこう大事で。家族からは「遊んでるだけじゃん」って言われますけど(笑)。 (※4)隈研吾『東京TOKYO』(KADOKAWA、2020) サボりの中に仕事がある ──仕事といえば仕事だし、遊びといえば遊び、という点で、やはり新津保さんにとっての散策はサボりの要素もあるんですね。 新津保 会社員のような方にとってはサボる時間って意味を持っていると思うんですけど、自分の場合はサボってる中に仕事がある、という感覚ですね……。 ──これまでは仕事がそのまま息抜きになっているような、アウトプットし続けるタイプの方にお話を伺うことが多かったので、独特のバランスだなと思います。 新津保 企業にお勤めの方が多かったんじゃないですか? ──そうでもないんです。あとは仕事の時間が大半で、その中で息抜きになる時間を大切にされているような方も多いです。 新津保 そういえば、アートディレクターの葛西薫さんに、夜、昭和歌謡をカセットテープで聴きながら作業するのが好きだと伺ったことがあります。是枝裕和さんの映画『歩いても 歩いても』(2008)のポスター撮影でご一緒したときだったので、かなり前の話ですが。 ──そのサボり方も興味深いです。 新津保 現実から逃避することも大事なんですかね。現実はハードだから。 ──新津保さんは、どういうときに現実を忘れられますか? 新津保 先日、真っ昼間から吉祥寺をぶらぶらしたんですけど、それは楽しかったです。それもロケハンだったんですけど。やっぱり歩いている時間が好きなのかもしれないですね。 撮影=NAITO 編集・文=後藤亮平
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「心が動いた瞬間を見つめ、感じたものを大事にする」南沢奈央のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 俳優としてドラマや舞台で活躍しながら、読書や落語、登山などさまざま趣味を持ち、その愛を発信している南沢奈央さん。落語をテーマに初の著書を出版した南沢さんに、文章を書くことの醍醐味、落語の奥深さ、そして意外なサボり術などを聞いた。 南沢奈央 みなみさわ・なお 1990年生まれ、埼玉県出身。立教大学現代心理学部映像身体学科卒。2006年、ドラマ『恋する日曜日 ニュータイプ』(BS-i)で主演デビュー。書評や連載など執筆活動も精力的に行っている。大の落語好きとしても知られ、「南亭市にゃお」の高座名を持ち、初の単著『今日も寄席に行きたくなって』(新潮社)を刊行。近年の出演作品に、ドラマ『彼女たちの犯罪』(読売テレビ・日本テレビ)、映画『咲-Saki-阿知賀編episode of side-A』、舞台『セトウツミ』などがある。 目次感じたものを、そのままの熱量で伝えたい観るだけでなく、自らも高座に一歩踏み出さないと、知ることができない世界がある以前は成長に捉われて、サボれなかった緑の世話と歯磨きが癒やしの時間落語を愛してやまない南沢奈央さんによるエッセイ集『今日も寄席に行きたくなって』 感じたものを、そのままの熱量で伝えたい ──南沢さんは落語好きとしてメディアにも出演されていますが、落語についてのエッセイが『今日も寄席に行きたくなって』として本になったことは、また特別な感慨があるのでしょうか。 南沢 読書がすごく好きで、文章を書くことも好きで、いつか自分の本を出してみたいなと思っていたので、ひとつ夢が叶った気持ちです。しかも、私が落語好きになったきっかけの小説『しゃべれども しゃべれども』(新潮社)の作者・佐藤多佳子さんに帯のコメントをいただけて、本から出会って本に戻ってきた感じもすごく感慨深いです。 ──初の単著というのは意外でした。今回も落語をテーマにしながら、ご自身が感じたものを描かれていますが、テーマに縛られないエッセイなども興味はありますか? 南沢 ありますね。お芝居は、台本で決められた人物を演じていく中で、自分をどう表現していくかだと思うんですけど、エッセイは自己表現に直結するものなので、書いていると自分の考えがかたちになって、浄化されていく感覚があって。その時間がすごく好きで、心地いいんです。普段は自ら積極的にしゃべるタイプではないので、ストレス発散になっているところもあるかもしれません。 ──書くことで自分を再認識したり、発見したりすると。 南沢 そうですね。ノートにメモしたことを書き出しているうちに、何かが連鎖していって自分の思いや考えにたどり着いたり、おもしろいと感じたことの理由に気づいたり、自分を掘り下げていくことができるんです。 ──落語についても、何か発見などはありましたか? 南沢 落語を通じて発見したことはありますね。「ブラックな笑いでも笑えるんだ」とか。人の失敗やしくじりって笑っちゃいけないものだと思っていましたが、笑ってもいい世界があるんだと知って、ちょっと気持ちが楽になったんです。人が死体を使って笑いにするような話もあるんですけど、落語だと笑えるんですよね。 ──そういった自分の中での新鮮な発見や感動を人に伝えるのは簡単ではないと思います。落語のエッセイを書くにあたって、「好き」を伝えるために意識されたことはあるのでしょうか。 南沢 「鉄は熱いうちに打て」じゃないですけど、できるだけ一番熱量が高まっているときに文章にするようにしていました。ちょっと置いておくと、その気持ちが落ち着いてしまったり、自分の中でなじんでしまったりするので。 最初は落語を紹介するような内容にしようとしていましたが、本当に伝えたいことは違うなと気づいたんですよね。落語を聞いて何を思い出したのか、何を感じたのかを、そのままの熱量で書いたほうが思いも乗るし、伝わるんじゃないかと思ったんです。 観るだけでなく、自らも高座に ──落語を観ることとやることも全然違うのではないかと思います。本の中には、実際に高座に上がって落語を披露したエピソードもありますね。 南沢 全然違いました。もしかしたら文章を書くよりも、自分が出ちゃうというか、取り繕えない感じがありましたね。20歳のときの初高座から11年ぶりに落語をやってみて思ったのは、やっぱり落語は話芸だということです。お芝居のように役に入って演じるのではなく、どういうテンポで、どういう間合いで話したらおもしろくなるのかを追求する芸なんですよね。それだけに、高座に上がるときも「本当にこれでおもしろいのかな?」と不安を抱えていました。 ──役ではなく、あくまで話し手本人が軸になる。だから、演芸の世界では「人(にん)」(その人の持つ個性や雰囲気)が大事だといわれたりするんでしょうね。南沢さんもその点は意識されていたのでしょうか。 南沢 すごく意識しましたね。『厩火事(うまやかじ)』という話では、メインの女性のキャラクター「お崎さん」が好きだったので、その気持ちを大切にしました。大きく筋は変えずに、その女性キャラクターが話の軸に見えるようにしたんです。女性目線の話って少ないんですけど、自分がやるなら、そのほうがおもしろくなるんじゃないかと思って。 最初は、私が落語を教わった柳亭市馬師匠の話を、そのままコピーするくらいのつもりだったんです。とにかく上手にやろうとしていたというか。でも、立川談春師匠に稽古をつけていただいたときに、「亭主にこう言われて、お崎さんはどういう気持ちなの?」と聞かれて。「役者ならどう考えるか」という方向で指導していただいたおかげで、キャラクターの思いまで考えて、自分なりにアレンジしながら生きた存在にしようという意識になりました。 一歩踏み出さないと、知ることができない世界がある ──言葉にしたり、演じたり、ひとつの「好き」を突き詰めていくと、対象の見え方も変わってくると思いますが、そもそも何かを好きになるのも意外と難しい気がします。南沢さんは、読者や登山などにも魅了されていますが、どのように好きになるのでしょうか。 南沢 昔から好奇心は強くて、シンプルに、触れたことのないものには全部興味があるんです。なんでも一回はやってみたい。そこから自分の性に合っているものに絞られていくんだと思います。だから、ゴルフとかサーフィンとか、ずっと興味はあるけれど体験できていないものもけっこうありますね。 ──興味はあっても、勝手に敷居が高いものだと思ってしまったり、ちょっとおっくうになったり、最初の一歩ってハードルが高いですよね。 南沢 そうですね。でも、一歩踏み出さないと、知ることができない世界がある。そう感じたのも、落語がきっかけでした。初めて寄席に行ったときは本当に緊張したし、「何を着ていけばいいんだろう?」なんてソワソワしていましたが、ひとりで行ってみたら、何も心配するようなことはなかった。 慣れないところで困っていたら、助けてくれる人がいるし、そこから人とつながって輪が広がっていくこともあるんですよね。その経験があるので、ほかのことに対しても一歩踏み出してみようと思えるようになりました。 ──思いきって落語の世界に飛び込んだことが、成功体験になっているんですね。そこから「好き」を深めるには、自分なりの楽しみ方を見つけることもポイントかと思いますが、南沢さんはどんなところに目を向けていますか? 南沢 自分の心の変化ですかね。本を読んだあとの読後感、登山の達成感や疲労感、落語を聞いて心が軽くなった感じ、そういう心の動きがおもしろいなと思います。プロレスも観るんですけど、試合を観終わったあとのワーッとエネルギーが湧いてくる感じが好きなんです。 ──そういった心が動いた瞬間を見つめることで、自分や対象についての認識が深まっていくんですね。 南沢 そうですね。本を読んでいても、何かに共感したり、「こんな人がいるんだ」と違いを感じたりしていると、どこか自分に立ち返ってくるところがあって、それも楽しいんです。 以前は成長に捉われて、サボれなかった ──「サボり」についても伺いたいのですが、たとえば、パソコンに向かって文章を書いていて、サボりたくなる、逃げ出したくなるようなことはありますか? 南沢 あります、あります。最近は、いさぎよく「はい、やめ」って切り替えられるようになってきたので、一回外に出て散歩しに行ったり、「もう今日はおしまい」となったらお酒を飲んだりしちゃいます。 ──ダラダラ作業するよりいいかもしれない。サボり上手ですね。 南沢 でも、もともとサボりが苦手だったんです。休みの日も、「何か仕事につながることを勉強しなきゃ」とか、「尊敬できる先輩と会って話を聞かなきゃ」とか、常に成長していないといけないと思っていたので。それがようやくサボれるようになったというか、成長など関係なく、好きに読書したりできるようになりました。 ──息抜きとして効果を感じていたり、ハマっていたりすることはありますか? 南沢 体を動かすのが好きで、サウナも好きなんですけど、最近、それが一気にできる「ホットヨガ」というものを発見したんです。昔からありましたけど、自分の中では、「汗をかきながら体も動かせる、一石二鳥じゃん!」って(笑)。それで、ホットヨガにハマっています。 ──ホットヨガを「サウナ×運動」だと紹介されたことがなかったので、すごく新鮮に感じます。やっぱりデトックス感みたいなものがあるのでしょうか。 南沢 めちゃくちゃ汗をかけます。あと、ヨガでは「自分の呼吸を意識してください」とすごく言われるんです。自分の内側を意識して、普段考えている雑念などを全部呼吸で出してください、みたいな。そうすると、本当に仕事のことや悩みなどが、全部一回なくなる感じがする。 10年ぐらい前にもホットヨガをやっていたんですけど、そのときはじっとしていることに耐えられなかったんですよね。でも、久々にやってみたら、無心でいることに耐えられるようになっていました。 緑の世話と歯磨きが癒やしの時間 ──何かを楽しむには、出会うタイミングも大事なんですね。もっと日常のささやかな息抜きというか、癒やしなどはありますか? 南沢 観葉植物の世話をしている時間は好きですね。見ていてすごく癒やされるし、「あれ、葉っぱ出てる?」みたいな成長も感じるので、かわいくて。家の中に何か変化する存在というか、生命力があるって、すごくいいなと思います。 夏はベランダで野菜を育てたりもするんですけど、夏の野菜の成長力もすごくて。朝出かけて帰ってきたら、「えっ、私の身長越えてる!?」みたいなこともあって、その成長がすごくうれしいし、心癒やされます。 ──たしかに、家にいると部屋が汚れるとかゴミが溜まるとか、ネガティブな変化が目につくものなので、ポジティブに変化していくものがあるっていいですね。緑に触れているときが、無心になれる瞬間なんですね。 南沢 もっとしょうもないことだと、夜、歯磨きをしている時間は好きですね。10分くらいかけてしっかり磨いていると、無心になれます。その時間は歯磨きだけに集中して、1本1本の歯と向き合ってる(笑)。そうすると、目覚めの爽快感が全然違うんですよ。 ──「歯磨きの向こう側」があるんですね。 南沢 個人的な意見ですけどね。でも、それに気づいてから、歯磨きがやめられなくなりました(笑)。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 落語を愛してやまない南沢奈央さんによるエッセイ集『今日も寄席に行きたくなって』 落語との運命的な出会い、立川談春師匠からの意外な「ダメ出し」、蝶花楼桃花さんの真打昇進までの半生記、伝説の超大作『怪談牡丹灯籠』、自身が高座に挑戦した演芸会など、南沢さんの落語愛がつまったエッセイ集『今日も寄席に行きたくなって』(新潮社)が発売中。
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「先入観を洗い直し、枠組みからものを考える」大川内直子のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回お話を伺ったのは、株式会社アイデアファンドの代表として文化人類学の手法をビジネスの分野で活用し、調査や分析を行っている大川内直子さん。文化人類学的な思考がもたらす調査の特徴や、日常を変えるヒントとは? 大川内直子 おおかわち・なおこ 佐賀県生まれ。東京大学教養学部卒業。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。専門分野は文化人類学、科学技術社会論。学生時代にベンチャー企業の立ち上げ・運営や、マーケットリサーチなどに携わった経験から、人類学的な調査手法のビジネスにおける活用可能性に関心を持つ。大学院修了後、みずほ銀行に入行。2018年、株式会社アイデアファンドを設立、代表取締役社長に就任。著書に『アイデア資本主義 文化人類学者が読み解く資本主義のフロンティア』(実業之日本社)がある。 目次ビジネスの現場で知った文化人類学の可能性先入観に捉われず、丁寧に観察する他人を知ることが、自分を知ることにつながる日常のルーティンを取っ払いたい ビジネスの現場で知った文化人類学の可能性 ──まず、文化人類学をビジネスに活用するようになった経緯について聞かせください。 大川内 大学の学部時代から文化人類学を専攻していて、そのころに「ビジネス人類学」という領域があり、海外では文化人類学者が企業で活躍しているということを知ったんです。ただ、当時は文化人類学の役に立たなそうなところがおもしろいと感じていたので、自分がビジネスに活用するなんて思っていませんでした。 ──大川内さん自身は、もともと研究者肌のタイプなんですかね? 大川内 そうですね。大学に残って研究するほうが肌に合っているだろうなと思っていました。そんなときに、たまたまアメリカのGoogleの依頼で、日本で人類学的調査をする仕事をしたことがあったんです。あらゆるデータを持っている最先端の企業が、文化人類学の泥臭い手法や知見を必要としていることに衝撃を受けると同時に、文化人類学の可能性を肌で感じました。 ──そのときはどんな調査を行ったのでしょうか。 大川内 日本の若者がどのようにスマートフォンを使っているのか調査しました。高校生や大学生の家に行かせてもらい、その様子を観察するんです。データだけではスマホを使っていない時間のことや、使っているときの姿勢や反応はわからないじゃないですか。データからは見えない部分を調査するという体験自体がすごくおもしろいと感じました。 ──それで大学の外に出て働くという道も意識するようになったと。 大川内 ほかにも同じような海外企業の案件をお手伝いすることがあり、日本でも海外企業をクライアントに文化人類学の調査を提供していくことは可能だなと思いました。あくまでも自分ひとりが生活していくレベルですが。 それに、今後は日本でも大学の人材とビジネス界の人材が混ざり合い、相互作用していくような気がしていたので、一度外の世界でがんばっても、また研究がやりたくなったら大学に戻れるんじゃないかという気持ちもありましたね。 ──銀行に就職されたのも、先を見据えてのことなんですか? 大川内 そうですね。学生ベンチャーをやっていた経験がのちの起業につながるんですけど、学生のまま起業しても、組織におけるものごとの決め方や進め方、お金の流れなどがわからない。それで、組織や金融について学ぼうと、銀行に就職しました。 ただ、いざ入ってみると銀行の仕事がすごくおもしろくて。周囲も優秀な方ばかりで、ずっと勤めてもいいかなとも思っていました。でも結局、失敗しても成功しても、自分にしかできないことをやってみたいと思い、「アイデアファンド」を立ち上げたんです。 先入観に捉われず、丁寧に観察する ──社名に「アイデア」と入っていますが、起業時から文化人類学的調査をビジネスの世界で行うだけでなく、アイデアにつなげるという部分を意識されていたのでしょうか。 大川内 銀行にいたとき、大学院とはあまりに違う時間の流れの早さに衝撃を受けました。そこから、資本主義について考えるようになったんですね。私が出した『アイデア資本主義』という本のコンセプト(※)も、このときに頭の中にあったもので。それで、文化人類学を通じてアイデアを生み出し、少しでも社会をおもしろくする活動をしたいと思うようになったんです。 ※物理的なフロンティアの消滅に伴い、アイデアが資本主義の新たなフロンティアとして台頭し、よいアイデアに資本が集まる社会になること ──調査にはいくつか手法があるようですが、どのようなスタイルが基本なのでしょうか。 大川内 基本的には泥臭いフィールドワークですね。現場に行って観察し、お話を聞く、みたいな。調査期間はだいたい2カ月ほどで、プロジェクトの内容や目的に応じて1日だけの視察もあれば、4カ月くらいかける場合もあります。 ただ、コロナ禍に入ってそれが難しくなったこともあり、ビッグデータをフィールドに見立てた調査も行うようになりました。商品の購買データだけでは見えなかったものも、テレビの視聴ログ、スマホの利用履歴などを組み合わせていくと、人の行動が立体的に見えてくるんですよ。 ──調査をして報告するまではどのような流れになるんですか? 大川内 まず、調査方法をデザインするところから始めています。一般的なリサーチ会社のアンケート調査のように数を集めるのではなく、誰を対象にどういう順番でどのくらいの時間をかけて調査するのが効果的なのか検討するんです。文化人類学の調査はたくさんの人を対象にはできませんが、そのぶんおもしろくて意味のある調査ができるよう、対象をピンポイントで洗い出していきます。 また分析にも時間をかけていて、仮説や先入観に捉われず、調査で集めたたくさんのファクトをもとにさまざまな可能性について議論しています。 ──誰を対象に、いかに観察するかは文化人類学の知見が活きるポイントですね。 大川内 そうですね。おもしろいものに気づけるかスルーしてしまうかは観察者次第ですし、観察中に仮説の修正・再構築ができるかどうかも勝負の分かれ目で。その上でAさんというターゲットに向けて商品を作るなら、だんだんAさんという人物の顔が見えてくるというか、行動パターンや考え方が浮かび上がってきて、Aさんの行動理論が作れたらいいなと思っています。 ──そうしてターゲットの人物像を提示するだけでなく、アイデアと結びつけて提案するようなこともあるのでしょうか。 大川内 私たちだけでアイデアを出すのではなくて、クライアントと一緒にアイデアを出していくことが多いです。ターゲットのインサイト(行動の根拠や動機)とクライアントが持つ技術や顧客網を組み合わせると、どんな新商品が考えられるのか、とか。 他人を知ることが、自分を知ることにつながる ──文化人類学的なアプローチが機能したケースとしては、どんなものがありますか? 大川内 大手家電メーカーさんの家電修理サービスの調査なんですけど、商品の故障やトラブルに対して修理対応する部門があるので、もっと活躍させてアピールできるようにしたいというご相談でした。でも、調査でわかったのは、顧客は修理が必要になった時点でかなりマイナスの気持ちを抱くということだったんです。 修理サービスを提供する側としては、壊れたものを修理すれば喜ばれるという前提だったのが、顧客にしてみれば商品が壊れた時点で「不良品だったのでは?」と感じるし、直ったところで新商品を買ったときのような喜びもない。こうして問題のフレームから考え直す必要があるというところから議論できたときは、文化人類学のよさが活かせたなと思います。 ──先入観を捨てて立ち止まって考えたり、注意深く観察したりすることは、ものの見方や考え方を見直すためのちょっとしたヒントになるような気もしました。 大川内 人間の考えとか行動って経路依存性が強いので、ルーティン化されやすいんですよね。それは合理的に生きるために必要な進化だと思うんですけど、行き過ぎると凝り固まってしまう。そこで、あえてでき上がった“自分の中の経路”を変えてみる、つまり考え方の枠組みを変えてみることも重要だと思います。文化人類学がそういったアプローチに強いのは、さまざまな社会を調査してきたからなんです。 たとえば、西洋の文化人類学者によるアフリカの民族調査は、現地の常識などに捉われず観察できた一方で、自分たちの常識を見直す自己批判にもつながっていきました。人と比べることで自分もわかるというフィードバックを続けてきたんです。 私たちが日本で調査する場合、外部の視点は持てませんが、視座を変えたり広げたりするための工夫として、先入観を洗い出すようにしています。この人ならこういうことを言うだろう、こういうことが好きだろう、といった先入観を洗い出し、調査で答え合わせするんです。そこで覚えた違和感を掘っていくと、本質や発見にぶつかるというか。 ──そうやって一度先入観を見直すと、人に対する印象なども変わってきそうですね。 大川内 そうですね。人が生きる術としても、文化人類学は役立つんじゃないかと思っていて。私も個人的にはコミュニケーションってあまり得意じゃないんです……(笑)。でも、文化人類学者の心で他者を理解し、自分も理解することでなんとかやっていけている。 自分の中に「人間事典」みたいなものがあって、「この人はこういうカテゴリーの人かな?」「同じカテゴリーの人でもこういう違いがあるんだな」とか、書き込んだり書き換えたりしているんです。あまりいい趣味とはいえませんが……私はこの事典なしでは人間関係を構築できないと思いますね。 日常のルーティンを取っ払いたい ──大川内さんも、サボりたいなって思うことはありますか? 大川内 サボってる時間、仕事の時間、趣味の時間みたいなものが三位一体というか、あまり区別できていないかもしれません。仕事といっても、中長期的に会社の方向性とか依頼されている講演の内容とかを考えていることもあって。「こういうことをしたいな」って考える時間は、自由に頭を使って夢想している趣味の時間でありつつ、ある意味では事業計画にもつながっている。そういうイメージですね。 ──じっくり考える時間をリフレッシュにあてるようなこともあるのでしょうか。 大川内 場所や時間軸を変えるようなことはやっていますね。午前中にブルドーザーのように溜まったタスクをガーッと処理して、午後は場所を変えて2時間だけ本質的なことを考える時間にしよう、とか。両方うまくできるとリフレッシュになるし、満足感もあるんです。 ──では、単純にやっていて夢中になるもの、好きな時間などはありますか? 大川内 パズルがすごく好きで。数独やジグソーパズル、ナンプレ、フリーセルなんかを無心で解いている時間は好きですね。うすーく脳が冴えている状態でものを考える時間にもなっているので、安らいでいるのかわかりませんが。 ──この連載では、無心になる時間やぼーっとする時間を設けることで、ぼんやりとした考えがアイデアに結びつく、とおっしゃる方もいるのですが、それに近いのかもしれませんね。ほかに息抜きはありますか? 大川内 もともとはひとり旅が好きでした。場所を変えて自分の中の当たり前を洗い直して、考え方のパラダイムを変える、ある種の息抜きとして旅をしていたんです。子供が生まれてからはそうもいかなくなったので、土日だけ子供と田舎のほうに行って緑を楽しんだりしています。田舎育ちなので、「山に帰りたい」という衝動が常にあるんですよ。 ──慣れ親しんだ空気を感じたいというか。 大川内 たぶんそうですね。資本主義の最先端みたいな東京にいて、その合理性に適合している自分にイライラしてしまうというか。それこそ、経路依存的な状況に陥っているので、それを取っ払うために土日だけでもがんばっているんです。 ──ささやかでも、あえてルーティンを崩してみるのって、自分の中の枠組みをずらすことにちょっとつながりそうですね。 大川内 そう思います。いつも通り過ぎている駅で降りてみるとか、近所の知らない道を歩いてみるとか、そういうことでも気づきはあるというか、おもしろいですよね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「どんなときでも、人に寄り添う気持ちを忘れない」浅田智穂のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 近年、映画やドラマの世界では、性的描写などのセンシティブなシーン(インティマシー・シーン)において、俳優の安全を守りながらスタッフの演出意図も最大限実現できるようサポートするスタッフ「インティマシー・コーディネーター」の存在が注目されつつある。 今回は日本で数少ないインティマシー・コーディネーターである浅田智穂さんに、その仕事の内容や自身の働き方について聞いた。 浅田智穂 あさだ・ちほ 1998年、ノースカロライナ州立芸術大学卒業。帰国後、エンタテインメント業界に通訳として関わるようになり、日米合作映画『THE JUON/呪怨』などの映画や舞台に参加。2020年、Intimacy Professionals Association(IPA)にてインティマシー・コーディネーター養成プログラムを修了。日本初のインティマシー・コーディネーターとして、映画『怪物』、ドラマ『エルピス—希望、あるいは災い—』(カンテレ・フジテレビ系)、『大奥』(NHK)などの作品に参加している。 目次自分が新しいことに挑戦するとは思わなかった日本で活動するために設けた3つのガイドライン「安心できた」の声がうれしいリラックスするために、知っているところへ行く 自分が新しいことに挑戦するとは思わなかった ──どんなきっかけでインティマシー・コーディネーターになられたのでしょうか。 浅田 大学時代に舞台芸術を学んでいたこともあり、ずっとエンタテインメント業界で通訳の仕事をしてきました。それが、コロナ禍になって仕事がなくなってきたころに、以前一緒に仕事をしたことのあるNetflixの方からご連絡いただいて、『彼女』という作品で出演者もNetflixもインティマシー・コーディネーターの導入を希望しているのだけれども、日本にはいないので「浅田さん、興味ありますか?」とお声がけいただいたんです。 養成プログラムは英語圏でしか受けられず、応募するには現場経験も必要だったため、英語ができて現場も知っているということで、ご連絡いただけたんだと思います。 ──それまではインティマシー・コーディネーターについても知らなかったんですか? 浅田 そうなんです。当時40代半ばで子育てもしていましたし、自分が新しいことに挑戦するなんて思いもよりませんでした。絶対大変だと想像できたので悩みましたが、日本の映像業界の労働環境にはまだまだ問題があると感じるなかで、自分の手で少しでも改善できることがあるのなら意味のある仕事だなと思い、挑戦してみることにしました。 ──プログラムでは何を学ばれたのでしょうか。 浅田 ジェンダー、セクシャリティ、ハラスメントのほか、アメリカの俳優組合のルールや同意を得ることの重要性などについても勉強しました。監督や俳優とのコミュニケーションの取り方、ケーススタディ、あとは、前貼りのような性器を保護するアイテムの使い方や安全な撮影方法など、現場での具体的な対応についてもいろいろ学びました。 ──アメリカでも#MeToo運動(※)をきっかけに注目されたそうですが、それほどノウハウが確立しているんですね。 浅田 そうですね。海外の作品ってインティマシー・シーンも激しくやっているように思われがちなんですが、全然そんなことはなくて。触っているようでクッションを入れているとか、アンダーヘアが見えているようでウィッグを使っているとか、お芝居と割り切ってプロフェッショナルに徹しているんです。そういった実情は日本の現場でもよく話しています。 ※セクハラや性的暴行などの被害体験を、ハッシュタグ「#MeToo」を使用してSNSで告白・共有した運動。2017年にアメリカから世界に広がった。 日本で活動するために設けた3つのガイドライン ──浅田さんは実際にどのように作品に関わられているのでしょうか。 浅田 依頼が来た際には、まず私が設けている3つのガイドラインを一緒に守っていただけるプロダクションと仕事をしたいとお伝えします。アメリカのように細かい労働条件が決まっていない日本でインティマシー・コーディネーターのルールだけを持ち込んでもうまくいかないので、最低限のガイドラインを設けているんです。 それはまず、必ず事前に俳優の同意を得ること。強制強要しないということが第一です。次に、必ず前貼りをつけること。カメラのフレーム外であっても性器の露出をさせないということです。衛生面、安全面、それから共演者や周囲のスタッフへの配慮として必ずつけていただきます。3つめは、クローズドセットという必要最小限の人数しかいない現場で撮影をすること。映像をチェックするモニターも通常より減らします。この3つを一緒に守っていただける意思が感じられない作品はお断りしています。 ──撮影前の確認事項が大事なんですね。 浅田 はい、そうです。その上で台本を読み、インティマシー・シーンと思われる場面をすべて抜粋し、確認します。「そのままベッドへ」とあれば、その続きがあるのか、あるのなら布団をかけているのか、服を脱いでいくのかなど、監督にどういうシーンかお伺いするんです。 次にキャストのみなさんと面談し、各シーンについて確認します。そこで「そこまではできない」といった声があれば監督に戻し、撮影方法や内容を見直しながら双方が納得できるかたちを相談します。 あとは、同意書のサポートや、演出部、メイク部、衣装部といったスタッフとの打ち合わせ、共演者がいる場面でのお互いの許容範囲のすり合わせなどがあります。 ──それから撮影に入ると、現場も監修されるわけですよね。 浅田 はい。まずクローズドセットが守られているかなどをプロデューサーと確認します。あとは、キャストに不安がないか確認しつつ、現場の人数や体制によって、私が前貼りを担当したり、近くでバスローブを持ったりすることもあります。当然、現場で撮影していると演出上の課題が出てくることはあるので、監督が私を介してキャストに伝えたいことがあれば間に入ったりもしますね。 ──現場の方々に理解され、受け入れられるのも大変そうです。 浅田 そうですね。今までにないポジションの人間が急に入って、確認作業も増えるわけなので。俳優側には私に脱ぐように説得されるのでは、と思われる方もいましたし、監督側にも私にインティマシー・シーンを止められると思っていた方がいました。でも、それは想定の範囲だったので、なんとか乗り越えようと。 それに、「ルールを守らなきゃ」といったイヤな緊張感が現場に漂うこともありましたが、一度一緒に仕事をして、インティマシー・コーディネーターの役割を理解していただくと、そんなに神経質にはならなくなるもので。ルールさえ守っていれば普通に和やかに撮影して問題ないと、だんだんわかってもらえるようになりました。 「安心できた」の声がうれしい ──日本の現場に参加されるにあたって、心がけていることはありますか。 浅田 同意を得るにあたって、「ノー」と言いやすい環境を作ることですね。できないことをできないと言うからこそ、できることがあるわけで。面談をするときも、ちょっと悩まれている俳優が断りやすくなる環境を大切にしています。 現場でも「あれおかしいんじゃない?」と思ったら誰でも言えるような環境にしたいんです。クローズドセットで人数を制限していても、それをちゃんと理解されていない方がいるときもあります。そんなときも、まわりの人が告げ口じゃなくて「入っちゃいけない人だよね?」って私に聞けるような空気にしたいと思っています。 ──仕事とはいえ、センシティブなことについて人に話すのはなかなか難しいと思います。コミュニケーションにおいて意識していることなどはありますか。 浅田 私はたぶん、本当に人が好きなんですよね。新しく人と出会ってお話しできるのは財産だと思っています。ただ、いきなり「インティマシー・コーディネーターです」と言っても信頼してもらえるわけではありません。話せること、話せないこと、人それぞれです。俳優が監督の希望する描写をできないと言ったとき、まずは顔色を見て聞けそうなときに理由を聞くようにしています。そして解決できない理由なら、それ以上は詮索しません。 あとは、できるだけ知識を増やし、リサーチすること。年配の監督からしたら、私なんかは新参者の小娘なんですよね。だから、彼らと話す上で説得力を持たせるためにも、経験や知識を蓄えることは大切にしています。キリがないので全部は難しいんですけど、監督の過去作などもできるだけ観るようにしています。 ──そうした取り組みや働きかけが実を結び、やりがいを感じられる場面もあったのでしょうか。 浅田 俳優は、別の作品でやったことはできると思われてしまったりもするんですけど、作品ごとに役も話も違いますし、どのような不安をお持ちなのかわかりません。なので、私はこれまでのことは関係なくサポートして、「なんでも相談してください」とお伝えするようにしています。その結果、「不安がなかった、安心できた」と言ってもらえるとすごくうれしくて。 それに、過去のインティマシー・シーン撮影の経験で苦しんでいるスタッフの方もいます。おかしいと思うことがあっても、自分からは何も言えなかった、何もできなかったと告白されることもあります。でも、俳優の同意が取れているとわかっている現場なら、スタッフの不安も減って、安心して自分の仕事に集中できると思うんです。 ──結果として、作品に関わる人たちみんなにいい影響を与えられるんですね。 浅田 そういう意味で驚いたのは、作品を観たお客さんからの「インティマシー・コーディネーターがいてよかった」といった声がSNSに上がっていたことです。自分の好きなタレントや俳優が、安全な環境でイヤなことをさせられていないとわかると、すごく安心だしうれしいという反応があるとは思っていませんでした。それだけに、私の名前がプロダクションにとってのアリバイにならないよう、責任を持って仕事をしなくてはいけないとも思います。 ──では、インティマシー・コーディネーターという仕事や、ご自身についての今後の展望などはありますか? 浅田 今、日本には私を含めてふたりぐらいしかインティマシー・コーディネーターはいないんです。それだと、年間数十本くらいの作品しかカバーできないんですけど、日本映画だけでも年間で600本くらい作られている。絶対的にインティマシー・コーディネーターが足りていないので、私のほうで育成も進めようとしています。ただ、とにかく現場の仕事で忙しいので、思うように準備が進みません……。 リラックスするために、知っているところへ行く ──それだけお忙しいとサボるヒマなんてないですよね……。 浅田 そうなんですけど、そもそもワーカホリックなところがあるかもしれません。仕事とプライベートの切り替えが下手で。やっぱり好きなことを仕事にしていると、なんでも仕事につなげちゃうんです。仕事に関連する作品をチェックしている時間も、仕事なのかプライベートなのかよくわからないというか。 ──では、シンプルにリフレッシュできることはどんなことなのでしょうか。 浅田 最近はあまり行けていないのですが、家族旅行ですね。行ったことのないところに行こうとすると、またリサーチに夢中になってしまうので……リラックスしたいときはなじみのあるところに行きます。 一番リラックスできるのは、キャンプと温泉。温泉は宿さえ決めればあとは食事も出てくるので、出かけることもなく宿の中で過ごします。キャンプではケータイもできるだけ見ずに、自然の中でゆっくりコーヒーを淹れて飲む時間が好きです。コーヒーは大好きなので、普段からリラックスしたいときも、気合いを入れたいときも飲んでいます。 ──何も考えない時間が大切なんですね。 浅田 そうですね。普段は常に頭の中をフル回転させてしまうタイプなので、ぼーっとできないんですよ。答えが出ないようなことを考えるのが好きというか、何かを分析したいというか。無駄なことかもしれないけれど、それがどこかで役立っているところもあるような気がしています。 ──何も考えない時間がリフレッシュになるように、日常で無になれる、夢中になって何かを忘れるようなことはありますか? 浅田 やっぱり家族といるときですね。自分は仕事人間だと思いますが、忙しい中でも家族と一緒にごはんを食べたり、子供が寝たあとに夫とふたりで話をしたり。私が仕事をしている横で娘が勉強したりしている時間も大切にしています。ついつい「あとでね」とか言っちゃうんですけど、宿題の丸つけだけでも彼女と向き合おうと思ってみると、こんなに楽しくて素敵な時間なんだと改めて感じることもあるんです。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「なんでもおもしろがって、バカバカしいことに手数と熱を込める」藤井亮のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 映像作家の藤井亮さんは、石田三成をPRした滋賀県のCMやNHKの特撮番組『TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇』など、いわゆる“お笑い”とは異なる文脈で、ナンセンスな作品を数多く手がけている。藤井さん流の映像作品の作り方や、日常をおもしろがるためのヒントなどについて聞いた。 藤井 亮 ふじい・りょう 映像作家/クリエイティブディレクター/アートディレクター。武蔵野美術大学・視覚伝達デザイン学科卒業後、電通関西、フリーランスを経てGOSAY studiosを設立。滋賀県の石田三成CM、『ミッツ・カールくん』(Eテレ)、キタンクラブ『カプセルトイの歴史』、『TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇』(NHK)など、考え抜かれた「くだらないアイデア」で作られた遊び心あふれたコンテンツで数々の話題を生み出している。 目次初めて作った映像で、教室がどっと沸いたやりたいことをやるために、主張し続ける架空の世界を、実際にあるかのように作り上げたいおもしろがれるかどうかは、自分次第 初めて作った映像で、教室がどっと沸いた ──1979年生まれの藤井さんが手がけられるものからは、同世代の人たちが幼少期に触れていた昭和のコンテンツのムードを感じます。藤井さんご自身はどんな子供で、どんなものに影響を受けていたのでしょうか。 藤井 愛知県出身なんですけど、本当に普通の田舎の子供でした。当時の子供がみんな好きだった『週刊少年ジャンプ』、ファミコン、キン消し(キン肉マン消しゴム)が好きで、親は公務員で、3人兄弟の真ん中で、特筆すべきクリエイター的エピソードが全然ないんです。 ──何か変わったものが好きとか、ちょっと変わったところがあるわけでもなく。 藤井 全然。ただ、絵を描くことは好きで、小学生のころは隣の席のヤツを笑わせるために、先生を主人公にしたキャラクターがひどい目に遭う漫画を描いたりしていましたね。常に誰か見せたい対象がいて、自分の内面を掘り下げるようなもの作りをしたことがないという点は、今につながるかもしれません。 ──その結果、美大に進学するようになったんですね。美大ではどんなことを学んでいたのでしょうか。 藤井 武蔵野美術大学の視覚伝達デザイン学科は、いわゆるグラフィックデザインをやる学科で、入学当初はカッコいいグラフィックやCDジャケットを作りたいと思っていたんです。でも、「映像基礎」という授業をきっかけに、映像にズブズブとハマっていっちゃって。 機材の使い方もわからないまま、自分で絵コンテを描いてくだらないコントみたいな映像を作ったんですけど、それを流したら教室がどっと沸いたんですよ。今まで絵を描いたりしても味わえなかった体験で、気がつけば、4年生までずっと変な映像ばっかり作る生活になっていました。 ──授業と関係なく映像を作っていたんですか? 藤井 そうです。今考えるとどうかしてるなと思うんですけど。発表する場もなく、見せるあてもないのに、映画っぽい映像や手描きのアニメーションなど、節操なくあれこれ作っていました。 ──藤井さんの映像には、お笑い的なものとは少し異なるテイストのおもしろさがあると思うのですが、その点で影響を受けた人や作品はあるのでしょうか。 藤井 お笑いをあまり観てこなかったことがコンプレックスだったりもするんですけど、そういう意味ではマンガの影響はあるかもしれないです。学生のころは『伝染るんです。』や『バカドリル』など、不条理系といわれるマンガを読んで「こういうの作っていいんだ」と衝撃を受けました。 ──たしかに、自分の感覚的なおもしろさを理屈抜きで表現しているという意味では、藤井さんの作品にも通じるものを感じます。では、学生時代のもの作りとして、思い出深い作品などはありますか? 藤井 学園祭ですかね。学園祭が好きで、模擬店を「藤子Bar不二雄」という全員、藤子不二雄キャラのコンセプトカフェにするとか、無駄にがんばっていたんです。最終的には実行委員になって、学園祭のポスターや内装などを作ったりもしました。 デザイン部門として、作れるものは全部作って。テーマもバカバカしく戦隊ものにして、大学の入口に巨大ロボの顔をどーんと設置したり、教室を基地みたいにしたり、顔ハメ看板を置いたり。子供みたいにバカなことをやるのも、当時のまま変わってないですね。 ──バカバカしい思いつきを徹底して具現化させる執念みたいなものも、現在に通じるような気がします。 藤井 ベースの思いつきはしょうもないんですけど、作り込みでどうにかごまかそうとするところはありますね。当時から、自分には少ない手数でセンスのいい作品を作ることはできないと薄々わかってきていて。それで、数の暴力というか、とにかく手数と熱量でどうにか突破するしかないと思っているところがありました。 やりたいことをやるために、主張し続ける ──広告代理店に就職されたのも、映像を作るためだったのでしょうか。 藤井 映画やアニメなどの映像作品の最後には広告代理店のクレジットが入っているから、ここならいろいろな映像を作れるだろうと、ちょっと勘違いして受けちゃったんです。 でも、アートディレクター採用みたいな感じだったので、最初はポスターやロゴのデザインしかやらせてもらえませんでした。それでも、やっぱり映像を作りたくて入ったので、企画だけは出し続けていましたね。 ──自分の希望を声に出したり、かたちにしたりすることって大事ですよね。 藤井 そうですね。特に新人のときはおもしろいと思ってもらえる手段もないので、どうでもいい役割に力を入れるなど、とりあえず主張し続けていました。会社の宴会の告知のために、めちゃくちゃ凝ったバカバカしいチラシを作って会社中に貼ってみたり。結果、それが目に留まって、おもしろい仕事をしているチームから声がかかるようになったんです。 ──最終的にはCMを手がけられるようになった。 藤井 ただCMの場合、代理店のCMプランナーは、基本的には企画までしかやらせてもらえなかったんです。監督は制作会社のCMディレクターが担当していて。でも、僕は映像を考えるだけでなく作ることもやりたい。それで、自分でも監督する方向に勝手に変えていきました。 「全然やれますけど」みたいな雰囲気で、「今回、僕が監督やりますんで」って言っちゃう。内心は「どうやったらいいのかな……?」って思ってましたけど、まずはできるフリをしてやるしかないなと(笑)。 ──実際には監督経験がないわけで、そのギャップはどう埋めていったんですか? 藤井 冷や汗かきながら勉強したり、人に聞いたりしていました。それでも、やっぱり最初は演者さんに怒られたりしましたね。段取りも何もできていなかったので。失敗したら次はないと思うほど、どんどん空回りしてしまったというか。 ただ、現場と噛み合わなくても、本気で何かをやろうとしている気持ちは伝わるのか、そのCMを見た方が別の仕事で声をかけてくださることもあって。「あんまりヒットしてないけど、こいつは変なことを一生懸命やろうとしてるな」みたいな。 架空の世界を、実際にあるかのように作り上げたい ──現在は藤井さんの作風に惹かれた方々から、さまざまなコンテンツの依頼が来ているかと思いますが、企画の段階ではイメージが伝わりにくいものもあるんじゃないでしょうか。 藤井 僕は作っているものはおもしろ系なんですけど、プレゼンは低いテンションで淡々と進めることが多くて。企画の意図や構造を丁寧に説明していくので、ふざけたものを作ろうとしているとは思われないこともあって、意外とすぐに「いいですね」と言っていただけることが多いです。 それこそ、石田三成のCMは滋賀県のPRコンテンツのコンペで提案したんですけど、「怒られるんじゃないかな」と思いながら説明したら、その場で「これがいいですね、やりましょう」という話になって。選んでくれた方の度量がすごいんですけど。 石田三成CM<第一弾> ──制作自体もまじめに淡々と進めているんですか? 藤井 そうですね。作り手側はそんなにふざけていないというか、おもしろがっていないところはあります。作る側がおもしろがるのと、見た人がおもしろがるのはちょっと違うと思っていて。内輪で盛り上がっている感じが出ていると、僕はちょっと冷めちゃうんですよね。みんながまじめに作ったんだけど、結果的に変なものになってしまった、みたいなおもしろさが好きなんです。 ──作品のテイストとしても、世の中にある「まじめにやってるけど、どこかおかしい」といったズレに着目し、そのエッセンスを取り込まれていると思います。そのために日頃からアンテナを張っていたりするのでしょうか。 藤井 日常にある違和感を探すのは好きですね。そのうえで、自分がグッとくるものに対して「なぜグッとくるんだろう?」と深掘って考えるようにしています。そうやって深掘りしていくと、そのままパクるのではなく、エッセンスを取り出すことができる。パロディというよりシミュラークル(記号化)というか。何かをまねしたいのではなく、架空の世界を実際にあるかのように作っていくのが楽しいんでしょうね。 だから、企画のテーマが決まると「いかに本当にあったか」というディテールを詰めていきます。1970年代の特撮作品をモチーフにした『TAROMAN』を作ったときも、岡本太郎のことはもちろん、特撮文化についてもめちゃくちゃ調べました。そうしているうちに、当時の特撮にあったであろう何か、ディテールが見えてくるんです。 TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇 PR動画 ──『TAROMAN』はキャストのしゃべり方からして違いますよね。本当に1970年代に録音したんじゃないかと思いました。 藤井 最初は役者さんに昭和っぽくしゃべってもらおうと思っていましたが、初日にやめようと決めて、全部アフレコにしました。やっぱり役者さんでも昭和っぽくしゃべるのって難しいんですよ。だから、役者さんは昭和っぽい顔で選んで、声は声で昭和っぽくしゃべれる方を探しました。結果的に声と口の動きが微妙にズレているんですけど、それが逆に昭和の特撮っぽくなったというか。当時の特撮も実際にアフレコだったりするので。 ──そういったディテールをかたちにするために、『TAROMAN』ではご自身でどこまで担当されたんですか? 藤井 企画、脚本、監督のほかに、キャラクターデザインや絵コンテ、アニメーションのイラスト、背景作りなど、思いつくことはあらかたやっています。もちろん、撮影、編集、ジオラマ制作など、信頼できる人にやってもらった部分もたくさんありますけど。 とにかく世界観だけはブレないよう気をつけたので、膨大な手直しが必要でした。編集の段階に入ってからも、1カットずつ確認して背景を作り直したり、色を変えたり、タイミングをズラしたりして。 ──そのこだわりがあの世界観を支えていたんですね。では今後、同じくらい熱を入れてみたいこと、興味のあることなどはありますか? 藤井 基本的に「やったことのないことをやりたい」と思っているのですが、なかなか難しいですね。今は生活の半分くらいが育児になっているので。でも、子供向けのコンテンツをたくさん摂取していることも、インプットにはなっているんです。何かしらおもしろがれるところはあるし、「こうしたらいいんじゃないか」と考えることもある。それもどこかで活かせたらいいですね。 おもしろがれるかどうかは、自分次第 ──藤井さんは、仕事の手を止めてついついサボってしまうようなことはありますか? 藤井 Wikipediaのリンクを踏み続けて何かの事件をずっと調べるとか、延々とネットを見ちゃうことはありますね。ただ、直接仕事とは関係なくても、どこかでつながるような気もしているので、そういう意味では明確にサボりとは言えないというか、サボるのが上手じゃないかもしれません。根っこの部分では、生活が下手なタイプなんですけど。 ──生活が下手? 藤井 もともと怠惰な人間なので、仕事や育児をやることでギリギリ人のかたちをさせてもらってるというか。だから、家族がちょっといないだけで、洗いものが山積みのまま朝4時まで起きてるとか、一気に生活がぐちゃぐちゃになってしまうんです。休みを有意義に過ごすのも苦手で、無理して出かけることもありますが、気を抜くと家でダラダラとマンガを読んじゃったりします。 ──ダラダラするのもリフレッシュにはなっているんでしょうね。意識的に息抜きをするようなことはないのでしょうか。 藤井 いろんなものに依存したいなとは思っていて。コーヒーでカフェインを摂るとか、いろんなものに依存して、自分の「依存したい欲」、「責任を放り投げたい欲」を分散したいんです。というのも、普段は父親であったり監督であったりすることで、どうしても依存される側、責任者側になってしまうので。 ──ほかにどんなものに依存しているんですか? 藤井 最近はお酒も飲まなくなったので、人がハマっているものに付き合わせてもらったりしています。サウナ好きの人にサウナに連れていってもらうとか。あと、子供の趣味にも積極的に付き合うようにしています。電車が好きだったときは鉄道博物館に行ったり、新幹線を見に東京駅に行ったり、『ウルトラマン』にハマったときは一緒にショーに行ったり。 そうすると、それまでは何百回と東京・大阪間を往復しても何も考えずに新幹線に乗っていたのが、「お、今日はN700Sか!」と車両に注目するようになったりして。どうでもよかったことの解像度がぐっと上がるのがおもしろいんですよね。 ──先ほどのお子さんと子供番組を観ている話も同じというか、なんでも楽しもうと思えば楽しめる。 藤井 ある意味、何を見てもそんなに苦じゃないんですよね。おもしろがれるか、おもしろがれないかは自分次第で、おもしろがる力があれば何かしら楽しみ方は見つけられるものなので。 ──そういった経験が、結果的にお仕事にも役立っているんですね。では、シンプルに落ち着く時間、好きな時間はありますか? 藤井 風呂ですかね。「会社を辞めよう」とか、大きな決断はだいたい風呂場でしてるんですよ。それも家の風呂じゃなくて、銭湯とかで決断したり、考えたりすることが多くて。だから何かを決めた記憶は、たいてい風呂の天井のイメージと結びついてるんです。 ──それまでなんとなく考えていたことが、お風呂でかたちになるんですかね。逆に、何か結論を出そうとお風呂に行っても、うまくいかないかもしれないですね。 藤井 そうかもしれないですね。意識してやるとうまくいかない気がします。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「できることは全部やる──安定よりも異常で過剰に」中郡暖菜のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 コンサバティブな女性ファッション誌が全盛のなか、影をはらんだ独自の世界観を打ち出した雑誌『LARME』をヒットさせたのが、編集者の中郡暖菜さん。そんな中郡さんに、もの作りにおけるスタンスや、逃避しながら仕事をするという斬新なサボり方などを聞きました。 中郡暖菜 なかごおり・はるな 編集者/株式会社LARME代表取締役。大学在学中からギャル系ファッション誌『小悪魔ageha』の編集に携わり、2012年に女性ファッション誌『LARME』を創刊。編集長を4年務めたのち、女性ファッション誌『bis』の新創刊編集長を経て、2020年に株式会社LARMEを設立。『LARME』のM&Aを行い、編集長に復帰した。 目次下っ端の雑用係として飛び込んだ、編集の世界難しい壁を乗り越えられたときのほうが楽しいネガティブな要素も肯定的に取り入れた『LARME』ほかではやらないことをやってこそ意義がある「異常と異常の間」を走り続ける罪悪感を糧にすると、仕事に集中できる?行動からしか新しい出会いは生まれない 下っ端の雑用係として飛び込んだ、編集の世界 ──中郡さんが手がける雑誌『LARME』では、映画や小説などの世界観を企画のテーマにすることが多いかと思いますが、どんなカルチャーに影響を受けてきたのでしょうか。 中郡 本は全般的に好きでしたが、大きく影響を受けたのはマンガですね。中でも印象深いのは、中学生のときに読んだ竹宮惠子さんの『風と木の詩』。フランスの寄宿舎の話なんですけど、その世界観に衝撃を受けました。 ──では編集の道に進んだのも、本が好きだったからなんですね。 中郡 中学生のときから本に関わる仕事がしたくて、編集者になりたいと思っていました。でも、どの大学に行ったら編集者になれるのかもわからなかったので、音楽高校からそのまま音大に進みつつ、とりあえずマスコミスクールに通ってみたりして。それも「なんか違うな」と辞めてしまって、出版社のアルバイトに応募して入ったのが『小悪魔ageha』なんです。 ──リアルな編集の現場は、やっぱり違いましたか? 中郡 そうですね。一番下っ端だったので編集どころか雑用ばかりでしたが、学ぶことは多かったですし、その時期を乗り越えたことで自信もついたと思います。まだガラケーだしファイル転送サービスも普及してなかったので、手間がかかりましたけど。 読者アンケートのはがきを集計したり、読者に直接電話してアンケートを取ったり。「アイメイクに関するアンケートを50人分取って」と言われたら、ひたすら電話をかけてたんですよ。効率悪すぎますよね。色校正(印刷確認用の試し刷り)や入稿データも直接運んでました。飛脚ですよ(笑)。 難しい壁を乗り越えられたときのほうが楽しい ──下積み経験も糧になっているとのことですが、心が折れたりしなかったのでしょうか。 中郡 折れなかったですね。それよりも早く編集担当になって、ページを作りたいと思っていました。クリエイティブな職業って、下積みもけっこう重要じゃないですか。まわりがフリーの編集者とかだと、教育係がついて教えてくれるということもないので、自分で仕事を覚えていくしかないから。 ──そうして能動的に学んでいくうちに、だんだん会議で企画を提案できるような場面も増えていったとか。 中郡 大学生のころから編集会議には出ていて、企画も出していました。ただ、自分の企画が通っても、編集までは任せてもらえないんです。それが悔しくて。社会人になってようやく、自分の企画を担当できるようになりました。 初めての撮影はすごく印象に残っています。自分の思い描いていたものが、カメラマンさん、モデルさん、ヘアメイクさん、衣装さんたちのおかげでいい写真になったのがうれしくて。今でもあのときみたいに撮影したいと思っていますが、なかなかあそこまで感動できる撮影は多くないですね。 ──どんな企画だったんですか? 中郡 『セーラームーン』のヘアアレンジみたいな企画で、モデルさんたちにコスプレをしてもらいました。ネットでもけっこうバズったんですけど、それ以上に二次元の世界を三次元で表現するといった、難しそうな内容をかたちにできたことがうれしかったんですよね。 大変そうな壁を乗り越えられると楽しいし、チャレンジをしていくことで個性も磨かれていくんじゃないかなと思います。結果が見えるラクな撮影を続けていると、自分ができる範囲でしか仕事をしなくなって、結局どこかで行き詰まってしまうというか。成長の機会を逃してしまう気がします。 ネガティブな要素も肯定的に取り入れた『LARME』 『LARME』 ──ご自身で新たに『LARME』という雑誌を立ち上げた経緯を教えてください。 中郡 編集者として結果を出せるようになって、「編集長になりたい」「自分の本を作りたい」とアピールするようになったんです。そんなことを言う人がまわりにいなかったのもあり、『小悪魔ageha』の編集長があと押ししてくれて、『LARME』の企画を立ち上げました。 ところが、その編集長が会社を辞めてしまったら、企画自体もなかったことになってしまって……。すでに『LARME』の話は進めていたし、当時担当していた『姉ageha』の企画も最後だと思って気持ちを込めて作ったので、「もう続けられない、自分の雑誌をやる」という思いで、会社を辞めて別の出版社に『LARME』の企画を持ち込んだんです。 ──ほかにはない雑誌として、どのような点を意識していたのでしょうか。 中郡 当時の女性ファッション誌って、モテを重視したハッピーでコンサバティブな雑誌がほとんどだったんですけど、無理して笑顔を作らないようなものを求めている人もいるんじゃないかなって感じていたんです。 私自身、悲しいことが起きたとしても何も起きなかったよりはいいんじゃないか、みたいな気持ちがあったので、ネガティブなもの、マイナスなものも悪いものではないというスタンスの雑誌にしようと思っていました。それで、名前もフランス語で「涙」という意味の『LARME』にして。 ──そのスタンスが『LARME』のデザインや世界観をかたち作っているんですね。 中郡 色にはこだわりがあって、自分が嫌いな色は使わないようにしているので、ほとんどの号で水色、ピンク、ラベンダーがメインになっています。水色なら水色で、どこまでバリエーションを展開できるかという方向に力を入れているんです。 もうひとつの特徴は、男性がひとりも登場しないことですね。現実にはあり得ないことですが、この雑誌を読んでいるときだけは、現実とは異なるここだけの世界にしたいんです。そのために女の子を男性役にしたり、着ぐるみを登場させたりすることもあります。 ほかではやらないことをやってこそ意義がある ──企画のテーマを参照するにあたって、基準や作品の傾向などはありますか? 中郡 好みのものがあるというか、嫌いなものははっきりしてますね。お姫様が出てくるような作品は雰囲気的に近いと思われがちなんですけど、王子様ありきの物語が好きじゃないんですよ。『不思議の国のアリス』みたいな、自分の物語を生きて、冒険するような作品が好きなんです。 でも、『小悪魔ageha』に始まり、『bis』という雑誌も作っていましたし、『LARME』も50号以上出ていますから、自分の中にもうストックがなくて……。最近は、1号作り終えたらインプットの期間を設けて、必死に何かを読んだり観たりしています。それを次の号ですぐ使う、みたいな(笑)。 ──ご自身のセンスや価値観と、読者の求めるものや売れ行きとのバランスについては、意識されているのでしょうか。 中郡 最近はあまりバランスを気にすることがなくなってきました。長くやってきたから聞かなくてもなんとなくわかるんですよ、ビジュアルがメインの企画より実用性のある企画のほうが人気だとか。でも、それで実用性のある企画ばかりにしたら『LARME』ではなくなってしまうし、ほかの雑誌ではやらなそうな企画をやることに意義があるというか。 本が売れなくなってきて、雑誌は発売日に電子版が読み放題になっている。そんな状況で売り上げをどうにかしようとしても、気持ちが暗くなるだけじゃないですか。それよりも『LARME』をたくさんの人に知ってもらって、接触面を増やして、本だけの存在を越えたリアルなカルチャーのひとつとしてイベントなどにつなげていくほうが重要かなと思ってるんです。 「異常と異常の間」を走り続ける ──より広く、人に何かを届けるという点で大切にしていることはありますか? 中郡 何においても、自分にできることは全部やりたいと思っています。先日、知り合いの漫画家さんに新刊の宣伝について相談されて、いろいろと提案したんですけど、担当編集さんには「そこまでやらなくてもいいんじゃないか」と言われたらしくて。大手出版社の編集さんにとっては、がんばらなくても売れる作品だし、必死になって無理しても自分の何かが変わるわけでもないし、むしろリスクが増えるから、どうしても保守的になるというか。 私は安定したくないんです。漫画家の楳図かずおさんが「異常の反対は安定じゃなくて、また別の異常がある。その中心にあるのが安定だから、安定を目指すと内に入ってしまってよくない」といったことを言っていたのですが、すごくいい言葉だなって。私はその言葉を信じて異常と異常の間を行き来しているので、どうしても過剰になっちゃうんですよね(笑)。 ──常に難しそうなことにチャレンジする、というスタンスとも共通したものを感じます。では、会社の代表として今後チャレンジしてみたいことなどはあるのでしょうか。 中郡 すでに決まっていることとしては、新宿の東急歌舞伎町タワーで『LARME』10周年のイベントをやる予定で、それが楽しみですね。歌舞伎町って、今一番文化が生まれそうなカオスな場所で、『LARME』との相性のよさを感じていて。私はユートピアよりもディストピア派なので、安定してない混沌とした街と一緒に変化していけるのが、カルチャーとしてカッコいいなって思うんです。 罪悪感を糧にすると、仕事に集中できる? ──中郡さんは、動き続けて忙しさがピークになったとき、サボったり、息抜きをしたりすることはありますか? 中郡 辛いものとか、注射とか、刺激物が好きなんです。本当に忙しくなったり、仕事でイヤなことがあったりしたら、刺激物を求めてしまいますね。「からっ!」「いたっ!」みたいな刺激って、一瞬そっちで頭がいっぱいになるじゃないですか。それが私のストレス発散方法です。 ──刺激に慣れてくるようなことはないんですか? 中郡 今でも辛いものを食べた翌日は、普通にお腹が痛くなったりしますよ(笑)。あとは、飛行機や新幹線に乗るような長距離の移動が好きで。いきなり北海道や福岡に行ってしまうこともけっこうあります。 長距離を移動していると、その罪悪感ですごく仕事が捗るんですよ。移動中にやらなきゃいけないことを一気に解消しています。結果的に移動も楽しめて、マルチタスクをこなせたようでうれしいっていう。 ──仕事とサボりを同時に行うというのは斬新ですね。移動という制限がうまく働いている部分もあるのでしょうか。 中郡 そうですね。移動自体は遊びなんですけど、仕事をするために移動するようなところもあります。家とか会社だと、何かと連絡が来たりして集中できる時間が作りづらいじゃないですか。移動していると対応できなくなることも増えてハラハラするんですけど、そのぶん集中できるんです。 調子が悪くなるかもしれないのに辛いものを求めてしまう感覚と近いかもしれませんね。破滅的な行動が好きなんですよ。毎日同じルーティンを繰り返すような生活ができなくて、辛いものを食べて、めちゃくちゃお酒飲んで、なんか具合悪い、みたいな日常を送っています。 行動からしか新しい出会いは生まれない ──では、無心になる時間、心が休まる時間などもあまりないんですかね? 中郡 心の安らぎもあまり大事にはしてないですね。「安らいだら終わり」みたいな(笑)。ただ、寝る前にマンガを読んでいる時間は幸せで、安らいでいるような気がします。寝る前に読むのはエッセイ系のマンガが多くて、清野とおるさん、まんきつさん、山本さほさん、沖田×華さんといった漫画家さんの作品を繰り返し読んでいます。 ──仕事のためのインプットとはまた違う時間なんですね。 中郡 そうですね。インプットのほうは仕事感が強くて、サボりではないかもしれません。この前も必死になりすぎて、「何かあるかもしれない」と盆栽展を見に行って、特に何もなく帰ってきました。 でも、自分の目で見たもの、実際に体験したものについてしか、何も言えないと思っているので、行動するのは大事なことで。ネットで盆栽を見ても、好きなのかどうかもわからないじゃないですか。ピンとこなくても、そのことがわかっただけでいいんです。 ──やったことのない仕事が成長につながるように、実際に行動して経験することで、新しい刺激や感動に出会えるんですね。 中郡 先日、「ニセコにスノーボードをしに行こう」と誘ってくれた友人がいて、スノボはできないし、寒いのもイヤなのに、マイルで行けるなら行こうと思ったんです。でも結局、ちょうどいい飛行機がなくて断ってしまって。ただ、興味がなくても、チャレンジする機会があるなら前向きに検討してみるのはいいですよね。あくまでマイルで行けるのなら、っていうレベルですけど(笑)。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「遊ぶように働きながら、真剣に“ヒマを持つ”」ステレオテニスのサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回お話をうかがったのは、80年代テイストを取り入れたグラフィックデザインで注目を集め、企画やプロデュース業など、幅広い分野で活躍しているステレオテニスさん。精力的に活動を続ける一方で、「サボり」に対しても深い関心を向けているというが、ステレオテニス流のサボり論とは? ステレオテニス アートディレクター/プロデューサー。80年代グラフィックのトーン&マナーを取り入れた作風で、音楽やファッションなどカルチャーシーンを中心に広告表現や空間プロデュース、イベントの企画などを手がける。電気グルーヴやももいろクローバーZなどのアーティストのグッズ制作や、ハローキティなどのキャラクターとのコラボレーションを多数展開。宮崎県都城市で2拠点生活を2018年から開始、プロデュース業やクリエイティブディレクションにも積極的に取り組む。すべてデッドストックの80年代衣料を扱うアップサイクルブティック「マムズドレッサー」を主宰。 目次誰も見向きもしなかった80年代が、カッコよく見えてきた発想や視点は、矛先を変えても活かせる地元であって、地元でない、不思議な「よそ者感覚」サボりとは、贅沢のひとつである?お金から人生や哲学を考えるのも、遊びのひとつ書籍『よく働き、よくサボる。 一流のサボリストの仕事術』発売! 誰も見向きもしなかった80年代が、カッコよく見えてきた ──グラフィックデザインという分野でお仕事をされるようになった経緯について教えてください。 ステレオテニス 学生のころからデザインや絵を描くことが好きで、当時聴いていた音楽ジャンルの影響で、音楽をグラフィックで表す仕事があることを知って、京都の美大でデザインを学ぶようになったんです。卒業後もクラブでVJをしたり、フライヤーをデザインしたりしていましたね。当時は単純に表現することが楽しかったんですけど、もっとおもしろいことをしてみたいと思って、京都を出ることにしたんです。上京をきっかけに少し意識が変わって、ポートフォリオを作って持ち込みしてみたり、知り合いのデザイナーさんに作品を見てもらったりするようになりました。 あと、新宿二丁目のカルチャーと出会って、イベントでVJをさせてもらったりしていたことも大きかったです。自分の表現が広がり、音楽関係者といった方々との出会いもあり、デザインの仕事をもらえるようになって。だから、けっこうアンダーグラウンド出身の叩き上げなんですよ(笑)。 ──そうした活動の中で、どのように作風を確立されていったのでしょうか。 ステレオテニス まわりがやっていないことをやろうとしていて、VJの世界は男っぽくて裏方的なイメージが主流だったので、ちょっとギャルっぽいテイストを打ち出したりしていたんです。そうした奇をてらったアプローチとして、「80年代」を扱うようになって。 当時は今のように80年代のテイストが「アリ」だとされていなくて、古くてダサい、よくない意味で「ヤバい」ものだったんですよ。それをあえておもしろがっていたのが、だんだん「これ、もしかしてカッコいいのでは……?」と思うようになって。それからは、古本屋にある雑誌や、寂れた文房具屋さんに残っている商品、レンタルビデオ店の型落ちビデオなんかを掘り出して、すみっこに追いやられている存在から、自分なりにカッコよさを見出していました。 ──そうしたモチーフを、自分なりにアレンジするようになったと。 ステレオテニス そうですね。80年代をそのまま表現する懐古趣味ではなく、80年代というエッセンスを自分なりに調合して、その時代に落とし込んでアレンジするというか。お仕事の場合、クライアントの反応によってそのバランスやモチーフを自分の勘で変え、提案したりすることもあります。 発想や視点は、矛先を変えても活かせる ──中でも反響が大きかったもの、個人的に手応えのあったものとして、どんなお仕事があるのでしょうか。 ステレオテニス 2010年代前半の、SNSでの広がりは印象に残っています。好きなアイドルについて「グッズを作りたい!」と発信したら、それが拡散されて事務所の方から連絡が来るようなことがありました。そういった仕事をきっかけに依頼もどんどん増えていって、同時に80年代的なムードが理解されるようにもなったことで、小学生のころ愛読していたマンガ『あさりちゃん』のコラボグッズを作らせてもらったり、サンリオさんとコラボレーションさせてもらったりするようになりました。 『東京ガールズコレクション』のキービジュアルは、親でも知ってるお仕事だったので、多方面から反響も大きかったです。それからだんだん平面のデザインではなく、立体物も手がけるようになりました。中でも、東京ディズニーリゾートの施設「イクスピアリ」内のプリクラエリア「moreru mignon」のディレクションは、立体としての規模も大きくて、やりがいがありましたね。 あと、電気グルーヴさんのグッズ制作は個人的に大きかったです。私が中学生のころから聴いていたミュージシャンでしたし、今でも第一線で長く活動されている方に、自分の表現を受け入れてもらえたことで、ある種の達成感を覚えたというか。 『東京ガールズコレクション』(2018)キービジュアル moreru mignon 電気グルーヴ公式グッズ ──そんな80年代も、今やブームと言われるほどの扱いになっています。 ステレオテニス 個人的な印象では3回目ぐらいの80年代ブームなんですけど、ここまで市民権を得るとは思いませんでしたね。ブームが続くと、もう当たり前の存在として定着してきちゃっているような気がします。だから、手慣れた感じでしつこく80年代的なデザインをやればいいのにって思いますけど、素直におもしろいと思えなくて。 それで、次は手段というか、表現の先を変えようと思うようになりました。自分の中にある80年代のポップさとか、発想の楽しさは活かしつつ、その対象を一過性で流れていくものではなく、誰もやっていない分野にシフトするのが楽しくなってきたんですよね。 地元であって、地元でない、不思議な「よそ者感覚」 ──そんな表現の変化として、地方でのクリエイションなどは当てはまりますか? ステレオテニス そうですね。地方を行き来していると、「人が減ってるな」とか、「こういうものが不足していて、こういうものは余ってるんだな」とか、世の中の縮図として問題を知ることがいろいろある。そういった課題や気づきを、自分が80年代を再解釈してデザイン表現したときに培った視点で見てみると、解決につなげられるかもしれない。そうやって表現が変換できることにワクワクしました。 それで、私の地元にある呉服店の昭和のデッドストック服をリブランディングして販売する「MOM’s DRESSER」というブティックやったり、同じようにメガネ屋さんと組んだり、飲食店と組んだりしていると、自分にしかない視点が活かせるとわかって。「人の役に立ちたい」とか、「地域貢献」とかって、あまり好きな表現ではないんですけど、結果としてそれが人のためにもつながることに魅力を感じるようになりました。あくまで自分がおもしろがっているだけなんですけど。 MOM’s DRESSER ──地元である都城市では、どのように活動を広げていったのでしょうか。 ステレオテニス 都城には、おしゃれなお店はあっても、知的好奇心に応えてくれるような文化の発信基地といえるような場所が少ないなと思ったんです。そんなときに、「都城市立図書館」という大きな図書館ができて、最初は実家に帰ったついでに仕事をする場所として利用していました。そのうちに、イベントスペースがあることが気になって、職員さんに何かやる予定があるのか聞いたんですよ。そうしたら、場所はあるけど企画がないので、考えているところだと。 それで、企画を持っていってみることにしたんです。実家に帰ることが増えてから、地元におもしろい活動をしている人がいたら、会いに行ってインタビューする、というフィールドワークをしていたので、これをトークショーにできないかと。それが『おしえて先輩!』というレギュラーの企画として採用されたのがきっかけですね。 ──地元での活動も続けるなかで、意識していることはありますか? ステレオテニス もう何年も離れているし、ずっと住んでいるわけじゃないので、地元だけど、地元じゃない、適度によそ者感覚でいることを大事にしています。それで、地元に対して「懐かしい」とか、「変わらないなぁ」とか言ってるのって、視野が狭い捉え方かもしれないと思って。そうすると、逆に地元が新鮮に見えてきました。同時に問題も見えてきたり。地元感とよそ者感、ふたつの視点を両立させて、おもしろいものを見つけていきたいですね。 サボりとは、贅沢のひとつである? ──ステレオテニスさんは「サボる」ということに対して、どう考えていますか? ステレオテニス 最近、サボっていかに好パフォーマンスを出すか考えるようになったんですよ。もともとアイデアがどんどん湧くので行動的なタイプだったんですけど、サボっているときのほうが行動的なときにはないクリエイティブにつながることに気づいて。ぼーっとしたり、好きなことをしていると、インスピレーションが湧いたり、悩みに対して別角度のひらめきが降りてきたりする。サボりは、自分本来のペースに戻す時間だと思うんです。 ──仕事などはどうしても人のペースに合わせることになりますが、サボってる間は自分のペースになれる。 ステレオテニス そうなんです。サボってるときは自分が軸になるんですよ。だから、ヒマとかサボりとかって、ある種の贅沢というか。「ヒマしてる」「ヒマだ」とか言うと、すごく退屈な印象で、みんなヒマを恐れがちなんですけど、「ヒマがある」「ヒマを持っている」と言うと、ちょっと高貴な気分になれませんか(笑)。 リトリート(日常生活から離れた場所で心身をリラックスさせること)なんかも流行っていて、何もないところに出かけて、何もしないことがレジャーになっている。ヒマを買う人がいて、それがビジネスになってるんですよ。ヘンな話ですけど。そうやってヒマを買うような忙しい人たちも、自分の軸ではなく、誰かの軸を基本に生きているという感覚が拭えないんだと思います。 お金から人生や哲学を考えるのも、遊びのひとつ ──サボりともいえる好きな時間は、何をしているときなのでしょうか。 ステレオテニス 散歩したり、寝たり、コンテンツを観たり、温泉に行ったり、瞑想したり、いろいろありますけど、お金の勉強も趣味なんです。勉強というか、お金の世界を知るのが楽しい。仕事があるのに、お金の仕組みがわかる動画を観たりしちゃいます。遊びというか、仕事と直結しないことを一生懸命やってる感じですね。 その関心も、最初は「お金とは?」「経済とは?」といったところにあったんですけど、お金のことを考えていると、だんだん自分の価値観や生き方といったテーマに広がっていくのもおもしろくて。そんなに意識の高い話ではなくて、お金に縛られないでラクに生きる、発想の転換みたいなことなんですけど。 ──その結果、好きなことや趣味が仕事になって、夢中になっている人もいますよね。 ステレオテニス でも、仕事と遊びの時間は分けたほうがいいような気がするんですよね。私も遊んでお金をもらっているような感覚が仕事にあって、ずっと走り続けていても苦ではないんですけど、気がついたら背中から小さい槍(やり)で追い立てられてるように感じる走り方をしていることに、気づいてない場合もあると思うんです。それで結果的に、体にムリが出たりするのは違うのかなって。だから、ヒマを怖がってワーカホリックになったり、仕事が遊びだと言ったりするより、やっぱり遊びは遊び、真剣にヒマを持つっていう。そういうことがわかってきましたね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 書籍『よく働き、よくサボる。 一流のサボリストの仕事術』発売! この連載「サボリスト~あの人のサボり方~」が書籍化されることになりました。 これまでに登場した12名のインタビューに加筆したほか、書籍オリジナルの森田哲矢さん(さらば青春の光)インタビューも収録。クリエイターの言葉から、上手な働き方とサボり方が見えてくる一冊です。 『よく働き、よくサボる。 一流のサボリストの仕事術』(扶桑社)は2023年3月2日発売
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「好きなことでムリなく働くために努力する」佐久間宣行のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回は、テレビ東京で多くの人気バラエティを手がけ、現在はフリーのテレビプロデューサー、ラジオパーソナリティとして活躍する佐久間宣行さんが登場。クリエイターとしてのルーツや、ほかとは違う番組の作り方、仕事との向き合い方とサボり方などについて聞いた。 佐久間宣行 さくま・のぶゆき テレビプロデューサー/ラジオパーソナリティ。『ゴッドタン』『あちこちオードリー』(ともにテレビ東京)などを手がける。元テレビ東京社員。2019年4月からニッポン放送のラジオ番組『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)』のパーソナリティを担当。YouTubeチャンネル『佐久間宣行のNOBROCK TV』も人気。近著に『脱サラパーソナリティ、テレビを飛び出す』(扶桑社)がある。 目次SF小説、ドラマ……ルーツを掘り下げ、過去から学んだ番組作りに必要なのは、仮説の構築と少しのセンスエンタメはサボりのはずが、借金にしゃべる自分も、しゃべらない自分にもムリはない SF小説、ドラマ……ルーツを掘り下げ、過去から学んだ ──佐久間さんは、コンテンツの作り手である一方、エンタメ好きとして映画、マンガ、演劇など、さまざまなジャンルの作品を幅広い媒体で紹介していますが、エンタメ好きになったきっかけは、どんな作品との出会いなんでしょうか? 佐久間 やっぱり、中学のころにSFを好きになったのが大きいですね。SFって、ストーリー以前に作品の世界観や仕組みから作っていくんですよ。構造の部分で大きなウソはつくけど、それ以外のディテールはリアリティで埋めていく。そういった世界の仕組みごと作るような作品を好きになったことで、自分がものを作る上でもルールが美しいものや、どこかに新しさがあるものを目指すようになった。SFからの影響は大きいですね。 衝撃的だったのは、中学1年くらいのときに読んだ士郎正宗さんのマンガ『ブラックマジック』。その世界観にびっくりしたのと、まわりの同級生は読んでいなくて、僕だけが出会ったという意味でも特別な作品です。 ──そこからSF小説なんかも読むようになったんですか? 佐久間 中学高校のお小遣いだと、なかなかハード系のSFには手が出せなくて。大学受験が終わったあたりから、よりハードなSFを好きになっていった感じですね。僕が青春時代を過ごした1990年代前半は、音楽でもルーツをさかのぼることが盛んに行われていて、僕は小説やドラマのシナリオなどで過去の作品に触れ、ルーツをさかのぼっていました。古典といわれるSF作品を読むと、「(現在の作品につながる世界観、設定などが)ここに全部あったんだ」といった発見がたくさんあるんですよ。 ──お笑い系のカルチャーも当然好きだったんですよね? 佐久間 もちろん。僕が中高生のころはダウンタウンさんの勃興期で、みんなヤラれてましたから。でも、個人的に大きかったのは、雑誌カルチャーと深夜ラジオですね。特に深夜ラジオは、中学1年でオールナイトニッポン(ニッポン放送)の2部に出会って、毎日聴くようになって。そうすると日曜だけ放送がないから、チューニングをして放送している番組を探していたら、大阪の『誠のサイキック青年団』(ABCラジオ)を見つけたんですよ。海沿いの街だからか、福島県のいわき市でも聴けたんです。 北野誠さんがパーソナリティのすごくカルトなラジオで、番組を通じて大阪のお笑いに詳しくなっていきました。あとは、大槻ケンヂさんや水道橋博士さんといった方々が出ていて、サブカルチャーにも触れられた。深夜ラジオが、地方で暮らすカルチャー不足の僕を救ってくれたんです。 番組作りに必要なのは、仮説の構築と少しのセンス ──佐久間さんのテレビ番組作りについて伺いたいのですが、企画についてはMCとなるタレントありきで考えていると言われることも多いと思います。そうなった背景などはあるのでしょうか? 佐久間 それはあくまでアプローチのひとつなんです。ほかと被らない番組を作ろうとしたときに、ジャンルから考えることもあるし、社会でまだ気づかれていないものから考えることもあるし、そのタレントがほかでやっていないことから考えることもある。 企画を考えるときはだいたいそうですね。自分を掘り下げるか、社会を掘り下げるか、パートナーとなるタレントや企業を掘り下げるか。そこから「このタレントのこういう面って取り上げられてないよな」といった仮説を立てていくんです。 ──仮説を立てるまでが大変そうですね。 佐久間 大変ですけど、日常的に疑問を持ったり、考えたりしているので、そこから仮説が生まれる感じなんですよね。たとえば、「NFT(偽造・改ざんできない、所有が証明できるデジタルデータ)がブームになるって言われてるけど、いつもの怪しい人たちが持ち上げているだけなのか、文化になっていくのか、どっちなんだろう?」とか。 タレントに対しても同じです。フワちゃんがテレビに登場したときは一過性のタレントだと思われてましたけど、仕事をしてみたらそうは感じなかった。きっとそうやって人を油断させながら、しっかりした仕事をしていくんだろうなって。だから、フワちゃんに番組に出てもらうときは、単なる賑やかしじゃなくて、芯を食ったことを言ってもらうようにしています。 ──そういったご自身の見方・価値観と、世の中の価値観とのバランスについては意識しますか? 佐久間 世の中で流行っているものをそのまま扱うことはまずないですね。それは別に僕がやらなくてもいいというか、マーケティングで企画を作れる人が、どんどんアプローチするだろうから。流行っているものの中に、僕が好きになれたり、おもしろがれたりする要素が見つかれば企画にしますけど。 それは、僕がテレビ東京出身だからかもしれません。フジテレビとか電通出身の人なら、人気者のイメージをうまく利用してコンテンツが作れると思うんですけど、かつては、いろんな局の番組を2〜3周してからしか、人気者はテレ東に出なかった。だから、人気者の人気者たる要素から企画を考えるクセがついてないような気がします。 ──自分の価値観をもとに企画を考えると、自分がおもしろいと思うものと、世間がおもしろいと思ってくれるものとでギャップが生じたりしませんか? 佐久間 自分のセンスや価値観だけじゃ番組作りを続けられないだろうから、仮説をもとに仕組みから作ってるんですよね。それでたまたま続けていられるだけで。最終的に自分のセンスを信用しなきゃいけないんですけど、最初から自分のセンスを信用してるわけではないというか。 ──ちなみに、最近では佐久間さん自身がメディアに出演するケースも多くなっていますが、タレントとしてご自身をどう捉えているのでしょうか。 佐久間 表に出ることは、自分では全然考えてないんです。番組の役に立てそうなら出る、くらいの感じで。ラジオは別ですけどね。パーソナリティを数年やってみて、やっぱりラジオが好きだなと思って。仮に『オールナイトニッポン0(ZERO)』が続けられなくなっても、どこかでラジオ番組を持って、しゃべり続けたい、リスナーと触れ合える場にいたい。だから、ラジオを続けるために努力する時間はとっておきたいし、もっと自分の価値観を込めてうまくしゃべれるようになりたい。ラジオパーソナリティであることに対しては、しっかりとした気持ちがあるんです。 エンタメはサボりのはずが、借金に ──佐久間さんは「仕事サボっちゃったな」と思うようなことはありますか? 佐久間 ありますあります。「結局寝ちゃったな」みたいなこともあるし。あとは、サボりとは違うかもしれませんけど、「ここでリフレッシュしないとちょっとしんどいな」と思って、計画的に仕事をしない時間を組み込むことは多いですね。 ──そういった時間にエンタメを摂取しているんですよね。 佐久間 そうなんですけど、最近は観たいものが多すぎて追いつかないから、常に借金を抱えているような状態なんです。だから、サボろうと思って予定を入れるというより、その借金を返すために空いている時間が埋まっていくというか。「やべー、もう劇場公開が終わっちゃう……」みたいな感じで、映画館に行く時間を作ったり。 ──もはやお仕事みたいですけど、やっぱりエンタメに触れる時間自体は別物なんでしょうか。 佐久間 そうですね。作品を観ることについては「勉強のためだ」とかまったく思わず、普通に楽しんでます。自分では、たまたまエンタメを作る側の立場にいるだけ、というイメージなんですよ。常に作品を作り続けなきゃいけない業を背負ったような人たちが、本物のクリエーターだと思うんです。でも僕の場合、一生ゲームをやったり、本やマンガを読んだりするだろうけど、クリエーターでいるのは人生の中で30年ぐらいだろうなって。 しゃべる自分も、しゃべらない自分にもムリはない ──エンタメ以外に、佐久間さんが純粋に好きなことはありますか? 佐久間 人とごはんを食べることですね。本当に少人数で、仕事の話もしないような感じで。一緒に行くのは、大学時代の友人、会社で仲のよかった同僚、あとは後輩数人くらいですけど、おいしいお店でごはんを食べてるときが一番リフレッシュできているかもしれません。 ──仲のいい人といるときの佐久間さんは、どんな感じなんでしょうか。 佐久間 全然しゃべらないです。だいたい話を聞く側で。だから、みんな僕がラジオを始めたときに「こんなにしゃべるんだ!?」って驚いたと思います。誰かに言われたんですよね、「よく黙ってたね」って(笑)。そういう意味で僕のしゃべりに気づいたのは、秋元康さんですね。 秋元さんと『青春高校3年C組』(テレビ東京)という番組を一緒にやっていたとき、毎週定例会議があったんです。そこで秋元さんのひと言に対する僕の返しをおもしろがってくれたみたいで、秋元さんが『オールナイトニッポン』に僕を推薦してくださったんですよ。 ──そうなんですね。打ち合わせのやりとりから、ラジオパーソナリティもできるだろうという発想につながるのがすごいと思います。 佐久間 秋元さんも確信はなかったんでしょうけど、まず『AKB48のオールナイトニッポン』に中井りかさんのサポートとして「出てよ」って言われて。それがおもしろかったということだと思うんですけど。そこはさすが秋元さんだなと。 そんな佐久間さんのラジオでのトークなどがまとめられている 『脱サラパーソナリティ、テレビを飛び出す』(扶桑社) ──普段はあまりしゃべらないほうなのに、ラジオでは自然にキャラクターが切り替えられたのでしょうか。 佐久間 別にムリはしていなくて、キャラクターを作るというより「どの自分を出そうかな?」という感覚でしたね。そこでラジオ好きな自分を出していったっていう。ラジオでの人格も、自分の中にあるものではあるんです。年齢を重ねて、会社を辞めてフリーにもなって、自分にとって不自然なこと、メンタルにくるようなムリのある仕事はやめようと思って。できるだけ気が合う人と仕事をしていたい。そういう意味では、本当のプロフェッショナルではないかもしれません。イヤだったら辞めようと思って働いてるから。 ──オンとオフがあって、オフの状態がサボりということではなく、オンの状態もムリのないようにしていく。それもある意味で息抜きというか、サボりの技術かもしれませんね。 佐久間 基本的に、自分が信用できないんですよ。逆境やストレスの溜まる場所でもがんばれる人間だとは思えないというか。自分をマネジメントするもうひとりの佐久間としては、「佐久間という人間はイヤなことから逃げ出すぞ」ってわかるんですよね。だから、自分で自分のダメな部分をマネジメントする。スケジュールなんかも、「いやこれ、佐久間ムリなんじゃない?」とか、「スケジュールは詰まってるけど、楽しい仕事だから大丈夫そうだね」とか、自分を客観的に見て考えていますね。 撮影=難波雄史 編集・文=後藤亮平
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「心を動かしながら、遊ぶように働く」加藤隆生のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回は、さまざまな場所から謎を解いて脱出する「リアル脱出ゲーム」を生み出し、新たなエンタテインメントへと育て上げた、SCRAP代表の加藤隆生さんにお話を伺った。クリエイターと経営者、ふたつの顔をどのように行き来しながら、日々「ワクワク」を形にしているのだろうか。 加藤隆生 かとう・たかお 株式会社SCRAP代表取締役/バンド「ロボピッチャー」のギターボーカル。2004年にフリーペーパー『SCRAP』を創刊。同誌の企画として実施した「リアル脱出ゲーム」が評判を呼び、2008年、株式会社SCRAPを設立。多くのリアル脱出ゲームイベントを手がけ、その舞台は遊園地やスタジアム、海外にまで広がっている。また、新宿歌舞伎町の「東京ミステリーサーカス」をはじめ、常設店舗も全国各地に展開している。 ふとしたことから「物語の中に入る装置」を発明 ──リアル脱出ゲームは、2007年にフリーペーパーの企画として行ったのが最初だそうですが、きっかけはなんだったんですか? 加藤 僕が作っていたフリーペーパー『SCRAP』の企画だったのですが、このフリーペーパーはイベントで収入を得ていたんです。フリーペーパーに広告を載せて収益を得るビジネスモデルは崩壊していたので、フリーペーパーを豪華なチラシと捉え、イベントにつなげて集客して、入場料で収益を上げていました。 ある日、「どんなイベントを作ろうか?」という会議をしていたときに、スタッフに「最近、何かおもしろいことあった?」と聞いたら、「(ネットゲームの)脱出ゲームにハマってます」って言う人がいたので、「じゃあそれイベントにしよう」と。 第1回目のリアル脱出ゲーム『謎解きの宴。』 ──とはいえ、謎を作るのはもちろん、脱出ゲームをリアルに再現することなども難しかったのではないでしょうか。 加藤 意外と盲点だったのが、鍵の位置ですね。脱出ゲームって、密室の中で鍵を見つけて、最後にドアをガチャっと開けて出ていくんですけど、現実には部屋の内側に鍵穴のある部屋なんてないんですよ(笑)。外から人が入ってこないようにするものだから。でも、内側から鍵を開けるのが脱出ゲームの醍醐味だから、そこにはこだわろうと、段ボールやガムテープを使って即席の鍵を作ったりしましたね。 あとは、借りていたスペースにこちらが仕掛けた謎とは関係ないものがたくさん置いてあって、みんな、それもわーっとひっくり返しちゃうんですよ。で、そこにあったマンガの中から走り書きのメモみたいなものが出てきて、「これだーー!!」って(笑)。こちらとしては、「え、何それ!?」っていう。でもそれがきっかけで、謎解き目線で世の中を見れば、不思議なことはいっぱいあると気がつけたんです。 ──そういったお客さんの反応や、ご自身の手応えもあって、また開催しようという流れになっていったんですね。 加藤 そうですね。第1回を終えた夜には、「物語の中に入る装置を発明したんだ!」と感じて、謎をどんどん作りたいと思っていました。お客さんも大熱狂で、「興奮して眠れない」というメールが何十通と来て。ほかではできない体験だったので、飢餓感のようなものもすごかったと思います。 ──「早く次の謎をくれ!」みたいな(笑)。 加藤 でも、大事なのは謎じゃなかったんですよ。みんなでコミュニケーションを取りながら、協力して謎と向き合う空間、その仕組みが大事で。僕らは「物語体験」と呼んでいますが、物語を感じる場所、空気があれば、人は熱狂する。それは世界共通で、シンガポールでも、ニューヨークでも、どこでやってもお客さんの熱を感じました。 誰もやっていないことを、自ら切り拓いていく感覚だった ──それにしても、今ほどネットの拡散力が強くなかった時代に、どのように評判が広まっていったのでしょうか。 加藤 当時、mixiに「脱出ゲームコミュニティ」があったので、そこに「リアルでやります」と書いたら、コメントがブワーっとついたんですよね。コミュニティ参加者が6万人もいたので、そこで告知をしただけですぐにチケットが売り切れて。 それ以降は、100枚、200枚、400枚、1000枚と、倍々ゲームでチケットが売れていき、リアル脱出ゲームを思いついた日から4年後の2011年には東京ドームで『あるドームからの脱出』をやっていました。そのころにはTwitterもやっていましたが、東京ドームのときもTwitterとmixiで告知しただけで売り切れたんです。 ──ゲームとして楽しんでいた世界がリアルで体験できると聞いたら、ワクワクしますよね。それで、事業として展開していくようになったと。 加藤 そうですね。さまざまな企業からイベントの依頼や謎制作の依頼が来て、もう個人では対応できなくなり、2008年にSCRAPを設立しました。でも、1回目のイベントの時点で「もうこれは遊びじゃなくなるぞ」と思っていた気がします。そこからは見えるものがすべて謎に見え、日々新しいことを思いついたし、経験を重ねるほど次の経験が作れるようになっていったんです。 だから、ターニングポイント的な大きな出来事があったというより、毎日ターニングポイントを迎えているようなイメージでした。すごいスピードで成長していて、誰もやっていないことを自ら切り拓いて先頭に立っているような感覚で。「ここでは今、自分が世界一なんだ」と興奮してましたね。 ──ひとつずつイベントをこなしながら成長していくことで、東京ドームのような場所でも成立させられるスキルを身につけていったんですね。 加藤 考えてみると、東京ドームでリアル脱出ゲームをやったことは、ひとつのターニングポイントだったといえるかもしれません。小さな部屋だった会場がホール、学校、遊園地と、どんどん大きくなっていって。それが東京ドームになって、燃え尽きてしまった感覚がありました。ミュージシャンにとっての武道館のような場所ですし、名実ともに大きな場所はほかにないんじゃないかと。 そこで、「次は10人しか遊べない部屋を作ろう」と原点回帰して始めたのが、常設店舗です。アパートの一室を借りて、ルーム型のリアル脱出ゲームを展開していきました。イベントごとに会場を借りるのではなく、自分たちで店舗を運営する方向に舵を切ったんです。 「物語」が広げた、リアル脱出ゲームの世界 ──イベントとしての変遷だけでなく、ゲーム自体の変化や進化などはあったのでしょうか。 加藤 コルクという会社の佐渡島庸平さんが編集者として講談社にいらっしゃったときに、マンガ『宇宙兄弟』とコラボしたんです。そのときに、「本当に脱出できてよかった」と泣けるような物語にできないかと提案されて。僕はそれまで、物語は謎解きにとってジャマだとすら思っていたんです。でも、いざ物語をつけてみると、シビアな判断をして脱出しなければならないこともあり、謎が解けた興奮とは別の感動があった。お客さんがみんな泣いていて、それを見て僕も泣いて(笑)。物語性のあるリアル脱出ゲームを作ってみませんか、というのはすごくクリティカルなアドバイスだったと思います。 それをきっかけに、うちのスタッフも急に脚本を書き出すようになって。素人が脚本なんて書けないだろうと思っていたんですけど、みんなサラサラ書いちゃうんですよ。ゲームのシステムや設定を踏まえて、その世界、空間をよりよくするための文章なら、ある意味プロよりもそのゲームを作っている本人のほうがうまく書けるんですよね。 「無実の罪で刑務所に収監され、処刑が目前に迫り脱獄に挑む」というストーリーのある『ある刑務所からの脱出』。 ──やはりスタッフの方々も「リアル脱出ゲーム脳」が発達しているんですね。 加藤 当然、一緒にゲームを作ってきたスタッフたちも、僕と同じようにリアル脱出ゲームを作る力をつけていて、いつの間にか追い抜かれていました(笑)。僕はどうしても経営のほうに回らざるを得ないときもあるので、途中から「もう俺より先に行ってくれ」とゲーム作りを任せるようになっていったんです。 アイデアはパソコンの前に座っていても出てこない ──ご自身が最前線でリードされていたクリエイションを、人に任せることは簡単ではなかったんじゃないかと思います。 加藤 「俺が世界一だ」と思ってやってきたので、やっぱり最初は身を引き裂かれるような思いもありました。でも、47歳になった人間が最前線に立ってクリエイティブだなんだと言っていても、しょうがないなと思ったんです。若い人たちのほうが心の動きのストレッチもきくし、絶対量も多い。だったら、任せちゃったほうがいいんですよね。 今は「どんどんやってくれ」と思うし、スタッフが結果を出せば、自分がそのゲームを作ったかのようにはしゃげる。でも、心のどこかでは「俺のおかげだな」とも思っていて(笑)。彼らがアイデアを思いつけるような場所を用意したり、方法論を作ったりしてきたと、こっそり思ってきたからなんでしょうけど。 ──ゲーム作りのノウハウや知識はしっかり共有されているんですね。 加藤 僕が知っていることは、すべて会社で共有するようにしています。たとえば、謎作りのアイデアが浮かんだとき、すぐに専門家に相談して実現する方法を探ることができるのも、ひとつのアイデア力、企画力だと思うんですけど、そういったネットワークも共有していきました。 あとは、企画の作り方ですね。パソコンの前に座って考えていても、アイデアなんて思いつかないと思うんです。僕のイメージでは、「さあ、思いついて」って言われた瞬間に思いつけないともうダメ。日常的にアイデアにつながるインプットをしていれば、すぐに出てくるはずなんです。何も思いつかないのは、それまでの半年間サボっていたということ。だから、半年後にアイデアを思いつけるような努力を毎日していこうとは、みんなに話しています。 ──何からインプットするかは、やはり人それぞれなんですかね? 加藤 そうですね。マンガでもいいし、山登りでもいい。日常の中にヒントは転がっているはずだから、それを意識することが大切だと思います。ただ、好きなものじゃないと心は動かないので、何かを好きになる能力が高い人は、ゲームもたくさん作れるんですよね。自分の心が動くプロセスを観察できないと、人の心の動かし方もわからないんじゃないでしょうか。 サボりもどこかで仕事とつながっている ──加藤さんの「サボり」についても聞かせてください。 加藤 仕事をサボるほど忙しくないんですよ。1日5時間予定が入っていたら、「うわ、忙しいな……」と感じます。自分では、1日3~4時間で滞りなく業務をこなせる能力があるんだと思っているんですけど(笑)。それくらいの時間ですべてを処理できるようなチーム作りもしてきました。 そう言うとなんか偉そうですけどね(笑)。もちろん、空いている時間にもいろいろ話しかけられたりはするので、純粋に3~4時間しか会社にいないというわけじゃないんです。でも、それは仕事だと思ってないというか。 ──遊びを仕事にしているだけに、線引きが曖昧なのでしょうか。 加藤 はい。今だったらハマってるラジオについて早く社員と話したいんですけど、そう思っている時間も仕事といえば仕事なんです。だから、スマホのソーシャルゲームにハマってダラダラプレイするようなことにも、あまり罪悪感はなくて。絶対にどこかで仕事とつながっているはずだから。 ──常にスイッチをオンにした状態で遊んでいるとしたら、そういった意識もなく純粋に楽しんでいることはあるのでしょうか。 加藤 最近、やっと仕事と関係ない趣味だと思えるものができてきたんです。山登りが好きになって、社内に登山部があるので、その活動に子供と一緒に参加したりしています。あと、仕事っぽくはなりますけど、社内で発足したミステリー研究会にも参加しています。毎月みんなで課題図書を読んで、その感想戦的な飲み会をするんですよ。感想戦の1週間前からドキドキするくらい、それが楽しくて。 ──ひとりで楽しむよりも、みんなで楽しむことが好きなんですね。 加藤 単純に寂しがりなんですよね。会社設立当初は、よくみんなをごはんに誘っていたんですけど、反応が悪いと「もう会社辞める! 俺がなんで会社作ったかわかるか? ひとりになりたくないからや!」って(笑)。それで、みんなパソコンを閉じてごはんに行ってくれる。そんな時代もありました。 今はそうもいかないので、ミステリーとかラジオとか登山とか、共通する話題のある人たちとランチに行ったりしているんです。人と何かを共有するのが好きなんでしょうね。仕事のことをすぐに社内で共有するのも、業務として意識しているというより、単純に自分がそういうタイプなだけなんだと思います。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「普通からズレても、ブレずに自分の“好き”を貫く」中屋敷法仁のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回お話を伺ったのは、劇団「柿喰う客」の主宰として演劇シーンをにぎわせながら、2.5次元舞台なども積極的に手がけている劇作家・演出家の中屋敷法仁さん。幼少期からブレずに活動を続けてきた中屋敷さんの、妄信的なまでの「演劇愛」とは? 中屋敷法仁 なかやしき・のりひと 高校在学中に発表した『贋作マクベス』にて、第49回全国高等学校演劇大会・最優秀創作脚本賞を受賞。青山学院大学在学中に「柿喰う客」を旗上げ、2006年に劇団化。旗揚げ以降、すべての作品の作・演出を手がける。劇団公演では本公演のほかに「こどもと観る演劇プロジェクト」や、女優のみによるシェイクスピアの上演企画「女体シェイクスピア」などを手がける一方、近年では外部プロデュース作品も多数演出。 「自分が一番光る場所は、舞台しかない」と思っていた ──中屋敷さんは高校演劇の大会で賞を受賞されるなど、早くから活躍されていますが、演劇と出会ったきっかけから聞かせてください。 中屋敷 一応演劇をお仕事にさせてもらっていますが、思い返すと、5歳のお遊戯会の時点で「世に出てはいた」んです。僕は勉強もスポーツもできなかったんですけど、お遊戯会だけべらぼうに褒められていて。僕としては、演劇でデビューしているという意識でやっていたというか、「自分が一番光る場所は舞台だ」という認識はありました。 みんなにとっては日常が自然なもので、演劇は誰かを演じたり装ったりする世界だったと思うんですけど、僕は逆に役があることで人と会話ができた。実生活では、人とどうコミュニケーションを取ればいいのかわからなかったんです。普段はまったくしゃべらないのに、学芸会になると誰よりも大きい声でハキハキしゃべれたから驚かれていましたね。 ──でも10代になると、人前に出て演技をするにも自意識が邪魔をするというか、恥ずかしくなったりしませんでしたか? 中屋敷 僕は全然恥ずかしくなかったですね。むしろ、一番の地獄は高校の修学旅行でした。新幹線でボックス席になるとか、夜に部屋を行き来するとか、まったくついていけなくて。友達がいないわけでも、ひとりになりたいわけでもないけど、何をすべきかわからなかった。今思えば、雑談をするにしても100%おもしろくて素敵な話をしなければいけないと考えて、うまくできずに苦しんでいた気がします。 ──演じるだけでなく作る側に回ったのも、ご自身の中では自然な流れだったのでしょうか。 中屋敷 演劇部では脚本と演出と主演もやってましたが、とにかくお芝居を作ってみたい、演じてみたいと思っていました。ただ、ほかの部員とはあまりうまくいってなかったです。部活動って、みんなで楽しくやったり、思い出を作ったりすることにも価値があるはずなんでしょうけど、僕は「おもしろい芝居をやらなかったら、やる意味がない」くらいの気持ちでいたので。 おもしろいかどうかは、自分が決めることじゃない 柿喰う客『滅多滅多』(2021年5月) 撮影:神ノ川智早 ──大学時代には劇団「柿喰う客」を立ち上げていますが、当初から「圧倒的なフィクション」といったコンセプトも構想されていたんですか? 中屋敷 そこまで深く考えてませんでしたね。ただ、それまではどうすれば大会で勝てるかとか、同級生にウケるかとか、目的や観客ありきで逆算して作品を作ってきたところがあったので、もうちょっと自分の内面と向き合ってみようと思っていたくらいです。 それで、「妄想」をテーマに自分の頭の中をさらけ出すような作品を作ってみたら、すごくグロテスクなものができてしまって。ただ、演劇はおもしろいけど、自分という人間はつまらないと思っていたのが、「けっこう俺ってヘンだぞ」「人と違うところはあるけど、なかなか悪くないな」と、劇作を通じて自分を客観的に見るようにはなりました。 ──作品を継続的に発表し、劇団としての存在感を高めていくなかで、手応えを感じたり、思うようにいかなかったりしたような紆余曲折はあったのでしょうか。 中屋敷 20歳くらいで演劇をやっていると、「将来これで生きていけるのか?」って、まわりのみんなは悩むし病んでいました。でも、僕はそういうことで悩んだり、ブレたりしたことがない。作品のおもしろさどうこうではなく、演劇に対してこんなに狂信的で盲信的なのはすごいなと我ながら思ったりします。 お客さんが全然入っていないお芝居でも、人生が変わるくらい感動した人はいるかもしれないし、みんながおもしろいと言う作品でも、自分はノれないこともあるわけで。評価を気にしないことはないんですけど、自分の達成感とみんなの評価は違うものなので、そういう点でもブレませんでしたね。 柿喰う客『空鉄砲』(2022年1月) 撮影:サギサカユウマ ──作品作りに関する悩みやスランプも特になかったんですか? 中屋敷 これがないんですよ。先輩たちから「お前は葛藤がなさすぎる」「演技に関する考えが甘いぞ」なんて言われて、「悩んでなきゃまずいんじゃないか」と考えたこともあります。でも今は、「甘くてもいいじゃないか!」って思いますね。無理に悩む必要はないわけで。 「生みの苦しみ」って言葉も、僕はウソだと思ってます。書けないことや思いつかないことは、周囲の人に対して申し訳ないなという気持ちはあるけど、それ自体は苦しくないんですよ。出ないものは出ないし、出たものがたとえつまらないと思っても、とりあえずやってみる。自分ではおもしろいと思えなかった作品に限って、「最高傑作だ」ってみんなに褒められたりするんですから。自分ひとりで判断して、世に出す前にひとりで苦しんでも得がないなとは思いますね。 ──では、ブレずに作り続けた作品において、「演劇のフィクション性」を大事にされているのはなぜでしょうか。 中屋敷 お金と時間をかけて観劇していただくので、日常の延長ではなく、幕が開いた瞬間にすべてのルールが変わるような強い作品をお届けしたいんです。日常とはまったく異なるフィクションの世界に飛び込むことで、お客様の日常もラクになるんじゃないかなと思っていて。僕自身の実生活がそれほどおもしろくないと感じていたからかもしれませんけど。 ──非日常的な演劇を作る上でのこだわり、核となるものなどはあったりするんですか? 中屋敷 気持ち悪いですけど、やっぱり「愛」だなと思います。怒りや悲しみといったネガティブなもの、もしくは悩みや戸惑いといった揺らぎみたいなものって、実はそんなに表現に必要ないと僕は思ってるんです。自分たちがいかに演劇を愛しているか、いかにこの物語を通して世界を肯定的に見ているかを伝えたい。できる限り健康的で、健全で、誰かに対してポジティブな感情を持っていないと、表現を信じられないんじゃないかなと。 お客さんとイマジネーションを共有する2.5次元舞台 ──最近では、2.5次元舞台(マンガやアニメを原作とした舞台)の演出でも活躍されていますが、作品の作り方などに違いはあるのでしょうか。 中屋敷 マンガを読んでいてセリフが声で聞こえてきたり、絵が動いて見えたりしたことってあると思うんですけど、2.5次元舞台では、そういった人間のイマジネーションをくすぐるのが大事だと思っています。原作をそのまま再現しなくても、お客さんの想像力によって作品の世界は動いているはずだから、一緒にその世界を楽しんでいきたいんです。 キャラクターの再現率はあくまでもスタート地点でしかなくて、舞台で観る以上、そのキャラクターに会えたとか、そのキャラクターの感情に触れられたとか、そういう感動がないといけないなと思いますね。 ──イマジネーションを共有できる世界を、舞台上に作り上げていくんですね。演出を始められた当初から、そのような意識はあったんですか? 中屋敷 2.5次元は原作のイメージが強いので、「僕がお客さんなら絶対にこのシーンはやってほしいだろうな」みたいなことは考えてましたね。だからこそ、「どう(演出)するかわからないところほど、お客さんをびっくりさせないとな」という気持ちもあって。 初めて演出した『黒子のバスケ』だと、バスケットボールを舞台上でどう扱うかがまず問題になるんですけど、僕にとってはむしろ「お好み焼きをどう飛ばすか」のほうが難関だったりして。原作にお好み焼きを焼いていたら飛んじゃって、あるキャラクターの頭に乗っかるっていうシーンがあって、どう飛ばすかずっと考えていました。結果的にとてもくだらない飛ばし方を思いついて、本番でも大爆笑でしたね。 ──ボールよりお好み焼き(笑)。そういった細部へのこだわりのほかに、2.5次元舞台における中屋敷さん演出の特徴と呼べるものはあるのでしょうか。 中屋敷 僕は俳優さんが好きなので、彼らが埋もれるようなスケールのセットや大がかりな舞台転換なんかはあまり好きじゃなくて。このスタイルには称賛も批判もあると思うんですけど、できるだけ俳優さんに目が向くように心がけています。 『文豪ストレイドッグス』という舞台には、キャラクターがトラに襲われるシーンがあるんですけど、普通はトラをどう作り出すか考えるじゃないですか。でも、僕はアニメを観たときから、トラから逃げるキャラクターの動きが素敵だから、そこを描きたいと思っていました。トラは映像でいいので、俳優さんの心と体の動きにお客さんの注意が向くようにしたかったんです。 仕事を詰め込まないとパンクしてしまう? ──中屋敷さんのように常に動いていたいタイプの方だと、やはり仕事をサボりたいと思ってしまうようなことはないのでしょうか。 中屋敷 僕は演出家としては多作な部類なんですね。月に1本以上の作品を作っているので、台本を執筆しながら別の舞台の稽古をしたり、午前と午後で別の舞台の稽古に行ったりすることも多い。でも、そうしていないと苦しくなってしまうところがあって。なんか、「頭の中がパンクしちゃう」と思うんですよね。 ──普通は仕事を詰め込むことでパンクしちゃうものですが……。 中屋敷 ちょっとわかりにくいですよね(笑)。過去に一度だけ、ひとつの作品に集中しようと思って、創作に2カ月ぐらいかけたこともあったんですよ。でも、それが僕にとっては地獄の2カ月で、何がやりたくて、何がおもしろいのか見失ってしまって。結局、「もっとたくさんの演劇を観たい、もっとたくさんの俳優さんに会いたい」という気持ちが原点にあるんだと気づいた。だから、僕のサボりも、関係ない演劇作品について考えることだったりするんです。 ──常にたくさんの演劇に触れることが、ある種のサボりというか、息抜きになっているんですね。 中屋敷 「わ~! やることいっぱいある!」って言いながら、直接は関係ないシェイクスピアとかを読んだり、目の前に締め切りがあるのに、1年後に演出する舞台の台本を読んだりしてしまうんですよ。それってサボりなんですけど、自分の作品から離れることでその作品のよさがわかることもあるし、1年後にやる台本を読むことで「準備がいい」と言われることもある。だから、線引きが難しいんですよね。 でも、ごはんを食べに行ったり、山登りに行ったりしても、まったくサボれた気がしない。ちょっと思考が止まっていただけであって、作業を再開したときに何もリフレッシュできていないようなことはよくあります。 ──では、演劇以外で単純に好きな時間、好きなことはありますか? 中屋敷 怖いことに、これもあんまりなくてですね……。家族と過ごしたり、友達と遊んだりするのはすごく楽しいんですけど、没頭するほど好きなものってないなと思っていて。ドラマや映画で俳優さんを見ることは好きですけどね。演技をしている人間や、その芸を見るのは気持ちがいい。 あと最近は、ドラマのスタッフさんに注目しています。この人のプロデュースはいいなとか、このチームの撮り方はすごいとか、美術も作り込んでるなとか。俳優さんだけでなく、俳優さんの魅力をどういう人たちがどう引き出しているのかにも興味があるんです。 ──稽古や取材のときも常にピンクパンサーのぬいぐるみを持ち歩いているそうですが、日常的に大事にしていること、ルーティンなどはあるのでしょうか。 中屋敷 また演劇の話になりますが、“演出家らしさ”を装わないようにしていますね。演出家になりたかったのではなくて、学芸会が楽しかったという思い出が創作のエネルギーの基本にあるので、童心を忘れないようにしたい。ぬいぐるみを持っているのも、そのための警告だったりするんです。演出家ぶって偉そうなことを言っても、ぬいぐるみ持ってたら間抜けじゃないですか(笑)。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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兼清萌々香(Daily logirl #147)
兼清萌々香(かねきよ・ももか)2001年1月28日生まれ。埼玉県出身 Instagram:momoca0128 X:@momoca0128 TikTok:momoca.0128 撮影=石垣星児 ヘアメイク=池田ふみ 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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服部樹咲(Daily logirl #146)
服部樹咲(はっとり・みさき)2006年7月4日生まれ。愛知県出身 Instagram:misaki_hattttori 撮影=NAITO ヘアメイク=高良まどか 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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雪見みと(Daily logirl #145)
雪見みと(ゆきみ・みと)1997年5月1日生まれ。兵庫県出身 Instagram:yukimi_mito X:@yukimi_mito TikTok:yukimi_mito 撮影=石垣星児 ヘアメイク=渋谷紗矢香 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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LIGHTSUM、カムバックまでの1年5カ月は「空白期間ではない」6人を支えたファンの言葉
2021年に韓国でデビュー、心躍るハツラツとした楽曲でオーディエンスを魅了している6人組ガールズグループ・LIGHTSUM(ライトサム)。 (G)I-DLEなど人気の実力派グループを輩出している芸能事務所・CUBEエンターテインメントの系譜を受け継ぎ、パフォーマンス面でもK-POPファンから支持の厚いメンバーが集うことで知られている。 今回は、初の日本リリースイベントとlogirl新番組『ライトサムズアップ』収録で来日した彼女たちに、最新ミニアルバム『Honey or Spice』へ懸けた思いをはじめ、日本のファンとの交流について、これからの展望などを話してもらった。 目次実はおっちょこちょい?メンバーのかわいすぎる「反転魅力」「6人の努力は、私たちが知ってるよ」SUMITからのうれしい言葉ヒナの日本語講座「“牛タン”を教わりました!」 実はおっちょこちょい?メンバーのかわいすぎる「反転魅力」 ──今日はテレ朝動画logirlの新番組『ライトサムズアップ』の撮影があったそうですね。 ジュヒョン はい! 朝からの撮影だったのですが、いろいろな場所にメンバーと行けて、とても楽しい一日でした。 ──まず、10月に韓国でリリースされたミニアルバム『Honey or Spice』についてお話しいただけますか。 ヒナ タイトルどおり、“Honey=甘さ”と“Spice=刺激”がどちらも味わえるアルバムになっています。 表題曲「Honey or Spice」のパフォーマンスでは、明るくかわいらしい側面とカリスマティックな側面を表すため、笑顔のあとにキリッとした表情をしたり、衣装もキュートなものからシックなものまであるんです。 韓国では、人を惹きつけるギャップのことを「反転魅力」というのですが、そこに注目してステージを観ていただけたらうれしいです。 ──ではそんな『Honey or Spice』にちなんで、メンバー同士だからこそ知っているお互いの「反転魅力」を教えてください。 ナヨン はい、まずは私から! ジュヒョンちゃんはよく「しっかり者だね」と言われているのですが、意外とおっちょこちょいなところもあるんです。昨日も、飲んでいたコーヒーのカップをうっかり倒して慌てていたり(笑)。そんな姿をそばで見ていると、かわいいなって思います。 ジュヒョン チョウォンさんは、歌がとても上手で“クールなアーティスト”っていうイメージが強いんですけど、ステージを降りると愛嬌いっぱいなところにギャップを感じます。声や話し方、仕草がめっちゃキュートなんですよ。 チョウォン チョウォン ……(鼻の下をこすりながら、おどけた表情をしている)。 一同 アハハハハ!(笑) ジュヒョン ほら、わかりますよね⁉ まさにこんな感じ! チョウォン ありがとうございます。ヒナちゃんはキュートな印象が強い子なんですけど、「Honey or Spice」のステージでは“Spice=刺激的”なイメージをすごく上手に表現していて、ヒナちゃんの新たな表情を見られたのがうれしかったです。 ヒナ ユジョンちゃんはグループの末っ子メンバーなので、よく「お姉ちゃ〜ん」って甘えてくれるんです。でもパフォーマンス中は本当にカッコよくて、頼もしさもあるので、いつも見惚れちゃいます。 ユジョン サンアさんは“Spice=刺激的”な魅力があることで、SUMIT(サミット/LIGHTSUMファンのこと)の間でも有名だと思うのですが、実はすごくおもしろい人なんですよ。急に変なダンスをしたり、ハイテンションになったり、ギャグを言ったり。日本語のレッスンを受けているときも、先生から教わった単語を突然大声で言って、メンバーを爆笑させています(笑)。 サンア ステージ上では明るくかわいらしい姿を見せているナヨンちゃんですが、普段はタフで大胆な一面を見せることもあるので、SUMITはそういうところにハマっていくんじゃないかなと思いますね。 ナヨン たしかに……その自覚は、ちょっとあります(笑)。 ナヨン 「6人の努力は、私たちが知ってるよ」SUMITからのうれしい言葉 ──6人とも、本当に多様な魅力を持っていますね。アルバムの話に戻ると、本作にはジュヒョンさんが作曲、サンアさんが作詞に参加した「Skyline」も収録されています。おふたりは、この曲にどんな思いを込めたのでしょうか。 ジュヒョン 私は練習生のときから作詞作曲に興味があって、ずっと勉強し続けていたのですが、今回初めてSUMITに聴いてもらえる自作曲を発表できたのですごくうれしかったし、そのぶん緊張もしました。 この曲は、生きる上で苦労している人へ、その気持ちに寄り添って力を与えたいという気持ちを込めて作った曲です。なので、少しでも多くの方に届けばいいなと思います。 ジュヒョン サンア 「Skyline」は私にとって初めて本格的に作詞に取り組んだ曲だったので、その喜びを素直に表してみました。 サンア ──このアルバムは、約1年5カ月ぶりとなるLIGHTSUMの新作ですね。カムバックを果たすまでは簡単な道のりではなかったと思うのですが、この期間を経て、どんなところがグループとして進化したと感じていますか? ヒナ 私たちにとって、新作を出すまでは“空白期間”ではなく、練習を重ねたり語学勉強をしたりなど、アーティストとしてひたすら自分を磨く期間でした。その間は大変な思いもしたし、SUMITを待たせてしまっている申し訳なさも感じていたのですが、足を止めずに自分と向き合ったその一日一日が、今回のアルバムに表れていると思います。 SUMITも「6人の努力は、私たちが知ってるよ」と言ってくださったりして……がんばったかいがあったなと、すごくうれしかったです。 チョウォン 「私たち自身が満足できる作品にしないと」というプレッシャーも大きかったのですが、一生懸命に取り組んだぶんだけSUMITが喜んでくれたので、ありがたい気持ちでいっぱいです。もちろん、私たちも疲れることはあるのですが、そんなときはSUMITがくれる言葉を思い出して、がんばるエネルギーに変えています。 ──新作を通じて、ファンのみなさんとの絆を改めて確認できたのですね。今回の来日では初めての日本リリースイベントが実現しました。日本のSUMITとの交流はいかがでしたか。 ジュヒョン 想像していたよりも近い距離でお会いできたので、お話しするときもパフォーマンス中でも、みんなのエネルギーを感じられて本当に楽しかったです! SUMITのリアクションや表情も明るく、大きな歓声で迎えてくれて、ありがたかったですね。 ユジョン 私は日本語がまだ上手じゃないので、最初は不安もあったのですが、SUMITの反応を見て安心できました。むしろ「自分が韓国語をがんばって勉強するから、あまり心配しないでね」と優しい言葉をかけてくださる方もいて、すごく感動しました。 ヒナの日本語講座「“牛タン”を教わりました!」 ──来日中は、日本出身メンバーのヒナさんがグループを引っ張る存在になっているのでしょうか。 ナヨン そうなんです。日本での活動中は、私たちが言葉の面でヒナちゃんを頼ってしまうぶん苦労をかけてしまっているなと感じているのですが、いつも感謝しています。 チョウォン 日本語の曲を練習するときも、言葉の意味や発音の指導を丁寧にしてくれたり、すごく頼もしいです! いつも「これなに?(日本語で)」って質問しています(笑)。 ヒナ ユジョン 昨日は、ヒナさんから「牛タン」っていう言葉を教わりました。 ヒナ 私以外のメンバーは、今回初めて牛タンを食べたんです。みんな気に入ると思ったので、おすすめしました。 一同 めっちゃおいしかった! ジュヒョン ずっと牛タンのことばっかり考えてます(笑)。 ──滞在を楽しんでいるようで、なによりです! そろそろ2023年も終わりに近づきつつありますが、LIGHTSUMとして2024年に達成したい目標を教えてください。 ナヨン 日本に来ることができてうれしかったので、来年はぜひ日本デビューを実現させて、もっともっと日本のSUMITと会える機会を増やしたいです。 ジュヒョン 今年は初めて韓国でファンミーティングを開催できたので、日本でもやってみたいなと思います。 チョウォン 2024年は日本でコンサートができたらいいですね。 ヒナ 日本のSUMITもずっと待ってくれているので、日本語の曲をリリースしたり、みなさんともっと近い距離で交流できるとうれしいです。 ユジョン 海外へ行って、さらに多くのSUMITに会えたらいいなと思っています! ユジョン サンア 来年はもっと短いスパンでカムバックしたいと考えています。それから日本はもちろん、ヨーロッパなど遠くに住んでいるSUMITのもとへも会いに行きたいですね。実現できるように一生懸命がんばりますので、応援よろしくお願いします! 文=菅原史稀 撮影=山口こすも 編集=高橋千里 <INFORMATION> LIGHTSUMの素性を深掘りしていく番組『ライトサムズアップ』がテレ朝動画logirlに登場! ここでしか聞けない貴重なスタジオトークや、都内の話題のスポットを巡るロケを通じて、6人それぞれの魅力を2カ月にわたってお届け!・第1回 2023年12月27日(水)20時配信 無類のK-POP好き・林美桜アナが、独自の目線でメンバー6人をトークで深掘り!・第2回、第3回 2024年1月下旬配信予定 LIGHTSUMが東京の人気スポットを巡りながらトレンドを体感! カワイイ文化の発信地・原宿やコリアンタウン・新大久保を遊び尽くす!
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ふたりの主人公から教えられた“信じること”の大切さ──中島セナ×奥平大兼インタビュー
中島セナ(なかじま・せな) 2006年生まれ、東京都出身。2017年にスカウトされモデルデビュー後、モード系ファッション誌やCMなどを中心に活躍中。映画『クソ野郎と美しき世界/慎吾ちゃんと歌喰いの巻』(2018年)で女優デビューし、「ポカリスエット」CMの主演に抜擢され話題に。12月配信開始の『ワンダーハッチ -空飛ぶ竜の島-』(ディズニープラス)ではナギ役を演じ、奥平とW主演となる。 奥平大兼(おくだいら・だいけん) 2003年生まれ、東京都出身。『MOTHER マザー』(2020年)で映画デビューを果たし、同作で第44回日本アカデミー賞新人俳優賞や第63回ブルーリボン賞新人賞ほか受賞。2023年、映画『君は放課後インソムニア』や『ヴィレッジ』、『あつい胸さわぎ』、『映画 ネメシス 黄金螺旋の謎』、ドラマ『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(日本テレビ)と立て続けに出演。12月20日配信開始の『ワンダーハッチ -空飛ぶ竜の島-』(ディズニープラス)ではタイム役を演じる。2024年3月8日には主演映画『PLAY! ~勝つとか負けるとかは、どーでもよくて~』が公開。 12月20日より、ディズニープラスで独占配信される『ワンダーハッチ -空飛ぶ竜の島-』は、“実写”と“アニメ”が交錯する壮大なふたつの世界で、ふたりの主人公が躍動するオリジナルファンタジー・ アドベンチャー大作。予告映像は公開されているものの、全貌は明かされず謎のベールに包まれた本作。W主演の中島セナと奥平大兼のふたりに演じるおもしろさや難しさ、そして本作で伝えたいメッセージについて語ってもらった。 目次実写もアニメも思いっきり演じられた(奥平)奥平大兼から見た中島セナの魅力 “やり続けること”が大事だと学んだ(中島セナ) 実写もアニメも思いっきり演じられた(奥平) ──本作の主人公は、現実世界の横須賀に暮らす空想好きな女子高生・ナギ(中島セナ)と、異世界のウーパナンタから突然、現実世界にやってきた半人前のドラゴン乗り・タイム(奥平大兼)。それぞれの世界で生きづらさを感じていたふたりが出会い、ともに世界を救うために命がけの冒険の旅に出る物語です。 奥平 最初にお話をいただいたときは、ほかにはない世界観なので、具体的なイメージが湧かなかったんです。まずは、この物語をちゃんと理解するところから始めました。それこそ今作は“ドラゴン”や“冒険”など、男の子の好きな要素が詰まっている作品。監督(萩原健太郎)さんやプロデューサーさんと初めてお会いしたときに「必ず魅力的な作品にしてやる」という気合いが伝わってきて「この人たちだったら、難しい世界観でもちゃんと届けることができるはずだ」と思ったのと同時に、ふたりの凄まじい熱量に背中を押されましたね。 中島 私も初めて台本に目を通したときは、映像でどうなるのかがよくわからなかったです。特に、アニメと実写のパートがどのように交錯していくのかが、想像できなくて。まずは撮影に臨むにあたって、演じる役のことを理解しようとしました。あと、なんといっても子供のころから観ていたディズニー作品に関われるのは、すごくうれしかったです。 (C)2023 Disney ──おふたりが演じる役の印象を教えてください。 中島 ナギは、自分の考えを人に理解されないことに、苦しみを感じている子で。人生に期待をせず、夢を持つことをあきらめていましたが、タイムやナギの親友の男子高生・ソン(エマニエル由人)のおかげで、次第に成長をしていきます。 ──ナギは中島さんと同じ17歳ということで、シンパシーを感じたところはありましたか? 中島 私も、生きづらさや窮屈さを感じることがあるので、そういうところは共感できました。ナギを演じるにあたって、等身大で挑もうと意識したのと、彼女の苦悩が現れるように臨みましたね。 ──世の中に対して、期待せず割り切っている感じは、表情からも伝わってきました。些細な表情の作り方や佇まいも、相当意識されていたのかなと。 中島 そうですね。ただ、私もそういう部分があると思うので、そこまでまったく真反対の役をやっているわけではなかったから、わりとナチュラルに出せたのかなと思います。 奥平 僕が演じるタイムは、絵に描いたような純粋な人間で。あきらめることを知らないし、人を疑うこともない。もちろん物語が進むにつれて、タイムの人間性が少しずつ変わっていくんですけど、自分が信じているものに対しては、なんの疑いもなく純粋に突っ走ることができる。この現実世界ではいないような、ちょっと珍しい子だと思います。 ──タイムを演じるにあたって、大事にされたことはなんでしょう? 奥平 タイムが憧れているドラゴン乗りの英雄・アクタ(新田真剣佑)は、小さいころから異世界で過ごしてきたから、異世界の常識が自分の中に根づいているんですよね。異世界ならではの文化や社会を通して、タイムの性格が形成されたはずだから、そこを知ることに少しでも手を抜いてしまうと、役のリアリティがなくなってしまうと思い、監督と話をしながら、徹底して役のイメージを固めていきました。 ──今回、奥平さんは実写とアニメで同じ役を演じられましたね。 奥平 実写パートを撮影したあとに、アニメパートを録りまして。「実写の雰囲気にアニメのタイムを寄せよう」とおっしゃってくださったので、変にアニメパートのことを考えることはなかったです。先に実写の撮影で思いっきりやって、それに合わせてアニメのアフレコができたのは、すごく助かりました。そもそもアニメのお芝居はまったく経験がないですから、アニメーション監督(大塚隆史)にテイストはお任せして、できるだけ実写で作ったタイム像を忘れずにいようと心がけましたね。 奥平大兼から見た中島セナの魅力 ──せっかくの対談ということで、お互いのご印象も伺えたらと思うんですけど。 奥平 ええ! どうだろう……? 最初の印象って覚えてるかな(笑)。 中島 ふふふ。 奥平 今の印象になってしまうんですけど、セナさんに加えてエマくんとのシーンが多かったので、基本的に3人一緒にいたんです。みんな年齢がバラバラだったので、最初はちゃんとしゃべれるか不安だったんですけど、意外と話せるようになっていって。なによりエマくんが現場の雰囲気を明るくしてくれて、すごく助かりました。エマくんがふざけて、それに僕も乗っかったら、意外とセナさんも乗ってくれて。セナさんにそういうイメージがなかったから、エマくんと「うれしいですね!」と話していたのが記憶に残っています。 ──中島さんの人柄についてはどう見えていますか? 奥平 最初にセナさんを見たのは、とあるCMで。お会いする前はクールなイメージが強かったんですけど、いざ話してみたら年相応のかわいらしさがあって。そんなに年齢の壁を感じることもないな、と思いました。だからこそ、ふざけている場面で乗ってきてくれたのかなと思います。けど、3人の中だったら一番大人だったかもしれないです。 中島 ははは(笑)。 ──中島さんは奥平さんと初めて会ったときの印象って覚えています? 中島 最初は、みんなで台本の読み合わせをしましたよね? 奥平 あ、あった! そうだ、そうそう! 中島 そこで感じたのは、演じる役に対して自分の答えがちゃんとある方なんだなと。基本的に撮影も一緒だったんですけど、タイムも奥平さんも自然体で素敵な方だなって思いました。演技に対してすごく熱があるし、みんなで明るく話したりして、とても楽しかったです。ただ、最初は私もクールというか静かな方だと思っていたんですよ。でも、エマくんと一緒にしゃべっているときはすごく楽しそうで。 奥平 この場にエマくんがいてほしいね(笑)。 中島 演技に対しての刺激も受けましたし、楽しい時間を過ごさせていただきました。 ──俳優・中島セナさんの特性って、どう見えていますか? 奥平 一番強く思うのは、セナさんにしか出せない魅力があるんです。それは、俳優さんとしてすごく素晴らしいことだと思いますし、持って生まれた武器だと思います。それこそ最近、誰かと話していたんですけど、どういう役であれ、すごく見入っちゃう人っているじゃないですか。セナさんはそういうタイプの方。意識せずとも、なんか目で追っちゃう。そういう魅力を持っているのは本当に素晴らしいことだし、誰しもが持っているものではなくて。お芝居をご一緒して、すごく新鮮でした。今回は僕も含めて、演技経験が少ない3人だったんですよね。とはいえ、今作の物語を進めていく上で、重要なカギになる大役で。そういう役割を担うのはエマくんも初めてだったから、最初は相当緊張していたと思うんです。ディズニー作品の主演をやると聞いて、僕自身もかなりのプレッシャーがありましたし、みんなプレッシャーがあったなかで、どんどん場数を重ねていって。こんなこというと、上からみたいで嫌なんですけど、ふたりの成長が一番間近で見られたなと思うんです。お芝居もそうですけど、現場での所作など役者さんとして成長していく姿を見られてうれしかったので、これからほかの役も見てみたいなと思います。 ──森田剛さん、田中麗奈さん、新田真剣佑さん、成海璃子さんなど、そうそうたる方々が脇を固めるなか、ダブル主演を務めたお気持ちはどうですか? 奥平 主演を任せていただく機会は、今までもあったんですけど「主演だからがんばるぞ」よりも、どんな役でも「そういえば、僕が主演じゃないのか?」とハッとする瞬間があるぐらい、自分がメインだと思って作品に参加してきたんです。逆に、そのおかげで今作も“主演だから”と変に責任を感じることがなかったです。素晴らしい先輩方に囲まれつつ、引けを取らないようにがんばろうと思いました。 中島 やっぱりプレッシャーもありましたし、そもそも長期間の撮影が初めてだったんです。どうなるのかわからない部分もあったんですけど、奥平さんと一緒だったのがとても頼もしかったですし、まわりのみなさんに助けてもらいながら、やりきることができました。 “やり続けること”が大事だと学んだ(中島セナ) ──まだ物語の全貌が明かされていませんが、この作品が視聴者に訴えているメッセージはなんでしょうか? 奥平 タイムは良くも悪くも、普通の人と感覚が違うので、彼に共感できるかといったら、おそらくあまりできないかもしれないです。でも僕が演じていて思ったのは、簡単な言葉になってしまいますけど、“信じることの大切さ”なんですね。タイムって「この人には、こういう接し方をしよう」という感覚がないので、全員平等に接する。誰のことも区別しないで、温かく接してあげられるんです。そんな中で、すごくタイムのよさが出ていたと思う場面がありまして。たとえば、困っている方がいたら、多くの方は近寄りがたいと思ってしまう気がするんですけど、タイムはなんの躊躇もなく寄り添ってあげる。映像ではさらっと描かれているのかもしれないですけど、そこが僕は好きなんですよね。「すぐに同じようなことができるか?」といわれたら、難しいかもしれないですけど、そういう温かさは大事だよなって。ほかにも、この作品にはいろんなメッセージが込められていると思いますし、観た方によって感じ方も違うと思うんですけど、個人的にはただ単に映像作品として楽しんでほしい気持ちも強くあります。 中島 私も“信じること”というのは大きなテーマに含まれていると思いますし、ナギという子はさまざまなことをあきらめてしまって、自分のことも他人のことも信じられていない状況から、タイムと出会って変わっていく。そして自分と人を信じてみようと前を向こうとする姿に注目していただきたいですし、それぞれの正義や主張があるなかで、何を選んで信じていくのかは、物語の中で重要なポイントかなと思います。 ──おふたりが今作を通して、俳優として人間として得たものはありますか? 中島 タイムのまっすぐな人間性は、本当に魅力的だと思いますし、もしも自分の中に取り入れることができたら人生観が変わるのかなって。私もナギとは同じ方向性の人間だと思うので、信じることはすごく大事だと今一度思いましたし、3〜4カ月という長い撮影を初めて経験して、人間的な成長もあったかなと思います。 ──その人間的な成長の部分って、言葉にできますか? 中島 “やり続けること”ですね。常に仕事に対して誠実に向き合う姿勢は、とても大事だなと改めて学びました。 奥平 17歳でそれが言えるってすごいですよ! 中島 いえいえ(照笑)。奥平さんはどうですか? 奥平 ゆっくり時間をかけて撮影していたぶん、照明の角度だったりカメラの位置だったり、本当に細かくこだわっていた現場で。自分だけじゃなくてまわりのスタッフさんがいかにやりやすくできるかを考える姿勢は、この現場ですごく勉強になりました。それと監督が「こういう画を撮りたい」と話したら、カメラマンさんが「じゃあ、こう撮りましょう」と提案しているなかで、僕もお芝居に影響がない程度に「これはどうですか?」と言わせてもらう機会がたびたびありました。今回はスタッフさんが若い方が多いのと、距離が近かったので意見を出しやすかったんですよね。現場でただ芝居をするだけじゃなくて、まわりを見てスタッフさんとコミュニケーションを図ることも大事だなと学びました。人間的に得たものでいうと、最近、二十歳になりまして。改めて、タイムのように純粋さを持っておくことは大事だなと。役者というお仕事をしているからこそかもしれないですけど、大人になるにつれて考えることとか責任も大きくなっていく。それでもタイムのように何も考えないで純粋に楽しむことや、何も疑わないで突き進むことも、時にはすごく大事な選択肢なのかなと思いました。 ──ちなみに、撮影を通して「ディズニー作品ならではの現場だな」と感じたことはありましたか? 奥平 特に、視覚的なこだわりにディズニーらしさを感じましたね。ファンタジーの作品だからというのもあると思うんですけど、予告を観たときにディズニーならではの魅力が詰まっている画だなって。衣装やセットもそうですし、そこはほかの作品と大きく違いましたね。 中島 セットやスケール感は「やっぱりディズニーだな」と思いましたし、奥平さんの言ったようにファンタジー作品というのもありますけど、色使いも独特ですごく好きです。そういうところは、“ディズニーならでは”だなと思いました。 ──おふたりが言うように、壮大な世界観と色彩豊かな映像美で。稚拙な表現ですけど、予告だけでワクワクしますよね。 奥平 そうなんですよね! 子供心をくすぐられるというか、ああいう映像を大人が本気で作っているところがすごくいいですよね。 ──そういえば、スタジオに入ってきたときにおふたりとも“懐かしの再会感”があったんですけど、顔を合わせるのはいつ振りなんですか? 奥平 実は、会うのがすごく久しぶりなんです。撮影が終わったのは昨年の12月とかで。そのあとにみんなで少し会ったりしましたけど、こうしてちゃんとお話しするのは1年以上振りで。なんか……気持ち(中島の)背が大きくなったなと思って。 中島 親戚のお兄さんみたい(笑)。 奥平 気のせいかもしれないですけど(笑)。僕は僕で二十歳になってから初めて会いますし、ちょっと不思議な感覚なんですよね。そういえば、今も絵は描いてます? 中島 あ、描いてます。 奥平 撮影現場でエマくんが絵を描いていたんですけど、それがすっごい下手で(笑)。演じているソンは絵が上手な役なんですけど、エマくん自身は下手なんです。セナさんはすごく上手なんですよ! 「絵をよく描くんです」とおっしゃっていたから、今も描かれているのかちょっと気になりました。 中島 ほぼ毎日描いています。 奥平 あ、そうなんだ! いつか『ワンダーハッチ -空飛ぶ竜の島-』の絵も描いてほしいです。 (C)2023 Disney 『ワンダーハッチ -空飛ぶ竜の島-』 2023年12月20日(水)よりDisney+(ディズニープラス)で独占配信開始。【出演】 中島セナ、奥平大兼、エマニエル由人、SUMIRE 津田健次郎、武内駿輔、嶋村侑、三宅健太、福山潤、土屋神葉、潘めぐみ、宮寺智子、大塚芳忠 田中麗奈、三浦誠己、成海璃子/新田真剣佑(友情出演)、森田剛【スタッフ】 監督:萩原健太郎 アニメーション監督:大塚隆史 脚本:藤本匡太、大江崇允、川原杏奈 原案:solo、日月舎 キャラクター原案・コンセプトアート:出水ぽすか プロデューサー:山本晃久、伊藤整、涌田秀幸 制作プロダクション:C&Iエンタテインメント アニメーション制作:Production I.G (C)2023 Disney 取材・文=真貝 聡 撮影=友野 雄 編集=宇田川佳奈枝 スタイリスト=柴原コトミ(中島セナ)、伊藤省吾/sitor(奥平大兼) ヘアメイク=SHUTARO/vitamins(中島セナ)、速水昭仁/CHUUNi Inc.(奥平大兼)
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アニメを愛するふたりがひも解く、ヒット作が生まれる理由──DJ・KO KIMURA×アニメ評論家・藤津亮太
KO KIMURA 木村コウ(きむら・こう) 国内ダンスミュージック・シーンのトップDJ。クラブ創成期から現在までシーンをリードし、ナイトクラブでの活動のみならず、さまざまなアーティストのプロデュース、リミックス、J-WAVE『TOKYO M.A.A.D SPIN』にてラジオDJとしてなど、国内外で活躍中。 藤津亮太(ふじつ・りょうた) アニメ評論家。地方紙記者、週刊誌編集を経てフリーのライターとなる。主な著書として『「アニメ評論家」宣言』(2003年/扶桑社、2022年/ちくま文庫)、『アニメと戦争』(2021年/日本評論社)、『アニメの輪郭』(2021年/青土社)などを出版。 『葬送のフリーレン』含め、数々の注目作品が並ぶ10月クールのアニメ。今回logirlでは、毎クール何十番組以上ものアニメを観ている大のアニメ好きであるDJ・KO KIMURAとアニメ評論家・藤津亮太とのアニメ対談を実現させた。ふたりが観てきたアニメ遍歴をたどりながら、アニメの在り方やこれからのシーンの変化、そして10月クールアニメの注目作など思う存分語ってもらった。 目次深夜アニメの始まりと現在異世界転生モノはおもしろい!?リアリティと丁寧さが求められるアニメ10月クールアニメの注目作は? 深夜アニメの始まりと現在 ──今回はアニメ対談ということで、おふたりにアニメについてのお話をたくさん伺えたらと思います。まずDJとしてご活躍中の木村コウさんの経歴から知りたく、音楽にハマるきっかけとは? 木村 初めは特撮の主題歌などのアニソンから音楽を好きになりました。小さいころ『超人バロム・1』(1972年)や『愛の戦士レインボーマン』(1982〜1983年)の曲のドーナツ盤を親に買ってもらったりして。実家が花屋なんですが、手伝いをすると時給が出るので、貯めたお金でレコードを買うというのを子供のころからしてました。まわりはキャンディーズとかを好きな人が多かったけど、僕はなんとなく反発する子で違うほうに行きたくて。だんだんアニソンから映画音楽を好きになってきたのが小学校高学年ぐらいですね。高学年になると学校で放送委員会を担当できるようになるので、給食のときに自分の好きな映画音楽『タワーリング・インフェルノ』(1974年)とか『ポセイドン・アドベンチャー』(1969年)、『ロッキー』(1977年)のテーマなどを流して、給食をまずくしてました(笑)。そこからフュージョン音楽、当時のバンドだとカシオペアとかほかの小学生が聴いてない音楽を掘ってました。CMで流れているフュージョンとかカッコよかったので。 藤津 どれも世代的にわかります! ちょうど80年前後に、音楽だけじゃなくてデジタルっぽいビジュアルのCMも出てきて。 木村 あと、SHŌGUN(ショーグン)のようなスタジオミュージシャン系音楽も聴いてました。なるべく同級生と被らない方向になんとなく……。 藤津 そのころからもう、今の道が決まってきてる感じなんですね。 木村 放送委員会をやってたときが楽しくて、だんだん音楽のことをやりたいなと思い始めてて。音楽を掘っていくにつれてファッションも好きになっていき、ヴィヴィアン・ウエストウッドなどのデザイナーの服がかっこよくて、次第に自身のファッションも決まっていきました。自分の知ってる知識をどうにかして活かせないかなと思ったとき、NYのHIP-HOPシーンで、DJのスクラッチが流行っているらしいと噂が流れてきて。僕も始めたかったけど、当時ターンテーブルは1台7万円くらいしてすぐ買えなくて……。中学校3年生の少年だったので、実家の手伝いをしてなんとかターンテーブルとDJミキサー1台を買えて。高校生になって夏休みにダムを埋めに行くバイトをして、もう1台を買って。貴重な夏休みを工事現場のおじさんと過ごしました(笑)。 藤津 レコードは大切に扱わないといけないものだから、スクラッチという技を初めて知ったときは「痛む!」って思った記憶があります。そういう使い方もあり得るんだ、と驚きました。 木村 DJするときには、違う2曲がキレイに重なってたりするんですよね。最初はそれがどういうことがわからなくて、小節のルールもよくわからなかったし。音楽的知識がないと2曲がうまく混ざらなくて、BPM(※曲のテンポ)を合わせるのも難しいので初めは手探りでした。教本とかもないので、いろんなMVとかを何度も止めて超チェックして。でもその元の音楽がなんなのかわからないから、一瞬映るレコードを見て「アメリカの〇〇というレーベルの曲だ」ってお店で探して。 ──当時のDJシーンはどんな感じだったんですか? 木村 チャラい系のユーロビートを流すところがほとんどでした。でも、僕はそこには行きたくなかったので、洋服屋さんで流すカセットを作ったり小さなNY風のDJバーでDJをさせてもらったり。音楽でいうとニュー・ウェーブからセックス・ピストルズからブラック・コンテンポラリー、Chicとかをかけたり。地元が岐阜県大垣市で、町内でも信号機がひとつしかないような地域で、町の小さいレコード屋には欲しいレコードがなかったので、長い時間かけて名古屋まで買いに行ってました。 藤津 僕はDJシーンに全然詳しくなくて、知り合いにアニソンDJをやってる人はいますけど。 木村 僕もアニソンは放送委員会時代からかけてました! 藤津 僕らの世代もですが、アニメが盛り上がるタイミングがあって、そのあと一度アニメシーンが切り替わるんですよ。あのころアニメが好きだったけどアニメから離れてしまった人が一定数いた時代があって。 木村 『機動戦士ガンダム』(1979〜1980年)が終わったぐらいですかね? 藤津 もう少しあとの1984年いっぱいでアニメブームが去ったということが、いろんなデータを突き合わせていくと見えてくるところがあって。だいたいどんなころかというと1983年の春が『幻魔大戦』、『クラッシャージョウ』、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』。1984年が春に『風の谷のナウシカ』、夏に『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』。 木村 1990年代の半ば、『新世紀エヴァンゲリオン』(1995〜1996年)や『天空のエスカフローネ』(1996年)のころからまた盛り上がったんですかね? 『銀河英雄伝説』のビデオっていつでしたっけ? 藤津 たしか1988年にスタートですね。 木村 『銀河英雄伝説』の時代はよかったですよね。まだ深夜にアニメ放送もやってなくて、ビデオで販売したあとにテレビ放送が始まって。そのあたりから深夜アニメ枠がちょっとずつ忙しくなってきた感じ。あかほりさとる先生(※小説家/マンガ原作者)が原作のアニメ『セイバーマリオネット』(1996年)、『MAZE☆爆熱時空』(1997年)が放送され始めたあたりからまた盛り上がりましたよね。 藤津 1984年でシーンが切り替わったあと、当時、幼かった視聴者が中学生になったころに『エヴァ』が現れた感じです。その直前に『美少女戦士セーラームーン』(1992〜1997年)が大ヒットして、その熱気が『エヴァ』につながる感じです。『セーラームーン』がすごいのは、オタクも小学生の女の子も、男女問わず熱狂してましたからね。実はエヴァとセーラームーンは、キャストが被ってるんですよ。 木村 ああああ! たしかにそうですね。 藤津 『エヴァ』の庵野秀明監督はすごく『セーラームーン』が好きで、制作にも参加してたりするんです。『エヴァ』は、1997年春に劇場版『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』の公開が決定して、テレビシリーズが深夜帯で再放送されたんですよ。それの数字がめちゃくちゃよくって! テレビ東京が「じゃあ深夜に積極的にアニメ枠を設けよう」と判断して、そこから深夜アニメが増えていくんです。今のようなかたちの深夜アニメが増えたきっかけのひとつが、『エヴァ』再放送だったんですね。 木村 今は深夜アニメを観るのでどんどん忙しくなってます(笑)。逆に子供向けアニメが少なくなってきましたもんね。『「鬼滅の刃」竈門炭治郎 立志編』(2019年)は深夜放送が先でしたし、昔は夕方に放送されてたアニメ自体がほぼ深夜になっちゃって。とはいえ、今の子はNetflixとか配信サイトで観れちゃいますからね。 藤津 あとハードディスクレコーダーが出てきて、録画が便利になりましたよね。我々、VHS(※ビクターなどが販売していた家庭向けビデオテープレコーダ)や、ベータマックス(※ソニーが販売していた家庭向けビデオテープレコーダ)のころから体験している世代からすると、こんなに便利かと……。 木村 本当に超便利ですよね。ビデオでいう3倍的な感じで録っててもすぐいっぱいになるぐらいアニメ録画してますけど(笑)。録画してるアニメをずっと観なきゃいけなくて、毎日録画を消化するのが大変で。毎期、新しいアニメは50番組ぐらいあるじゃないですか。全部観なきゃいけないとなると……。完全に子供向きのものと、僕が音楽の仕事をしてるので音楽絡みのアニメは省いてますが。 藤津 とはいえ、そのジャンルを省いても、かなりの数ありますよ(笑)。実際に木村さんの録画リスト画像を見せてもらいましたけど、絨毯爆撃的にご覧になってる感じで、すごいなって。 木村コウの実際の「録画リスト」の一部 木村 とりあえず1話だけは全アニメ観てます。観なきゃいけないというか、観てないと不安になるというか。誰と話をするわけではないけど、知らないって悲しいですよね。音楽では“学者聴き”っていうんですけど──学者の人は、自分の守備範囲より2割ぐらい広く知識を入れるみたいな。 藤津 チェックをしておこうってことですね。 木村 何かのときに合わせられますからね。あと、アニメ好きって全員同じだと思われません? アニメ好きの人はたくさんいるけど、それぞれ趣味が違って。クラブ音楽も同じで、クラブ音楽好き=クラブ好きといわれてしまって。「君たち話してみたら」って、知らないふたりをくっつけようとする人がけっこういるんですよね。アニメ好きと言うと、よくそうされて。話し出してみるけど、お互い腹の探り合いがいつも始まります(笑)。 藤津 どの範囲が好きなのか、わからないですもんね。 木村 だから会話が平行線なんですよ。この間も初めて会った人とアニメの話をしたら、途中からちょっと守備範囲が違うかなと思って。過去観てたアニメを遡りながら接点を探して、結果『少年アシベ』(1991年)とかになるみたいな。相手は「コウさんとアニメの話ができておもしろかったです! またお願いします!」と言ってくれたけど、僕は「次は何を話せば……」って(笑)。藤津さんは評論家をされていらっしゃるから、とにかくたくさん知ってないとで大変ですよね? 藤津 できるだけ観ようと思ってますが、数が多いのでね……。仕事関係で、過去作品で観直さなければならないものもわりとありますし。配信だと最新でアップされた作品を2話ずつぐらいまとめて観ていくようにしてます。1話ずつ連続していろんな作品を観るとほかの作品と印象が混ざってしまうので、ひとつの作品を連続して観たほうがしっかり覚えられます。 木村 少なくとも3話ぐらい連続で観たいですね。 異世界転生モノはおもしろい!? 藤津 僕、よく言うんですけど、「好きなアニメがある」と「アニメが好き」は違っていて。多くは「好きなアニメがある」人なんです。ただ、僕らはジャンル自体に興味があるといいますか。好きなジャンルの山の形を確認したいのであって、その山を形成している一つひとつへの関心とはまた別に、少し違う見方でアニメを観てるんです。ただ、個別のアニメをちゃんと観続けてないと、その山は何年かごとに形が変わってしまうんですよね。 木村 僕は昔からSFっぽいのが好きなのもあって、今はやっぱり異世界転生モノが好きですね。原作がマンガやラノベのものが多いですけど、そこまでは追えてないです。 藤津 異世界転生モノって、もともと小説投稿サイト『小説家になろう』などからスタートしているものが多いんですが、聞くと、あそこは『(週刊少年)ジャンプ』(集英社)よりも過酷ですね。デイリーでランキングが出るので、毎日読者を飽きさせずに更新をするのにすごく特化していて。だから流行の伝播と進化の度合いが早いんです。早すぎるぐらい。そのあたりのトレンドが、数年遅れでアニメ業界に現れてくるんです。異世界転生モノは、“普通に転生して、強い能力でうまくやっていく”というストーリーだったのが、最近だと転生して自動販売機になったりとか、スローライフを送ったりとか、変化球もいろいろあって(笑)。その進化の速度にアニメ業界が振り回されてる感はありますね。 木村 なるほど、だからラノベ作品が多いんですね。アニメでおもしろかったら原作も読む人もいますが、そっちまで手を出しちゃうと忙しすぎて……。 藤津 そっちはそっちで量がたくさんありますからね(笑)。 木村 買いまくらないといけなくなるから「異世界破産になる」と僕の友人が言ってました(笑)。異世界転生モノだけじゃなくてもってなるとよけいに。 藤津 僕もよっぽどのことがない限り、原作には手を出さないようにしてます。マンガ原作で原稿書くときに照らし合わせてアニメがどう工夫してるか確認したいときは買いますけど。それ以上のことをすると、大変なことになっちゃいます(笑)。 木村 原作はあんまりでもアニメになっておもしろくなる作品も多いですよね。『鬼滅の刃』はアニメになってさらにおもしろくなったと思います。 藤津 『鬼滅の刃』はアニメで跳ねましたね。原作は、連載当初はそこまでバカ売れしていたわけではなかった印象です。 ──木村さんは、異世界転生モノ以外だと、最近気になるジャンルは? 木村 やっぱりSFモノが好きですね。あと、キャラ萌えしない系が好きかな。好きな方向のキャラはありますが、この声優さんだからほかの作品を観ようとか、トークライブに行こうとかはできてないですね(笑)。 藤津 そっちはそっちで沼ですからね(笑)。SFモノが好きというのは世代的なところもありますよね。当時、映画『スター・ウォーズ』が流行っていましたし。1970年代後半から1980年代初頭に多感な時期だった世代は、SF好きが多いと思います。 木村 僕はもう50歳超えてるんですけど、こういう年齢になっても、アニメを観てられるような時代になったのはよかったと思います。音楽でもナイトクラブのような場所で最先端音楽をやってられますし。先日ナイトクラブでDJしていたら20歳ぐらいの女の子に「コウさんっていくつなんですか?」と言われて。すでにアラフィフですらないし、アラカンだけど微妙な感じで、だから「四捨五入して100歳」と伝えるようにしてますけど(笑)。 藤津 僕も、もうまわりが若いと、ひとりで平均年齢上げてると思っちゃいますよね(笑)。1960年前後生まれの人たちが、アニメを観るのが自然な最初の世代なんです。わかりやすくいうと庵野秀明監督とか、今上天皇と同世代で、子供のころ買ってもらった本が『図解 怪獣図鑑』(1967年/秋田書店)みたいな世代ですね。1963年に本格的テレビアニメ第1号の『鉄腕アトム』が放送開始なんですが、そこからテレビアニメや特撮番組が作られていく過程で、彼らが一緒に年齢を重ねていきます。そして、この人たちが大学生になるタイミングで『ガンダム』が来る。彼らが視聴者・ファンの中核を形成して、アニメを観る年齢を少しずつ上げていってくれてるんです。 木村 それはありがたいですよね。ここ数年、エヴァをやっている鷺巣詩郎(※さぎす・しろう/音楽家:『エヴァンゲリオン』シリーズ全作のアニメ音楽、映画『あぶない刑事』や『シン・ゴジラ』などあらゆる映像音楽を手がける)さんの音楽を、今時のダンスミュージックにするという仕事をやってます。余談ですけど、鷺巣さんは実際に特撮のスタジオにいることで作曲をすることになった、という話を伺いました。 藤津 鷺巣さんは『マグマ大使』(1967〜1968年)などを作っていた、ピープロ(※日本のテレビアニメ・テレビ番組・特殊映像の製作会社「株式会社ピー・プロダクション」)の社長(うしおそうじ)さんの息子さんなんですよね。 木村 だから小学生のころからスタジオで手伝いをしていたみたいですね。「みんな人生のターニングポイントあると思うけどいつ?」という話になったんだけど、鷺巣さんは「生まれたときがターニングポイントでした」っておっしゃっていて(笑)。すごいな、時代を作ってきた人だなと。 リアリティと丁寧さが求められるアニメ ──作品のジャンルはもちろん、アニメ音楽もどんどん変わってきてますよね? 木村 最近のアニメはレコード会社が推してるアーティストをアニメに入れ込もうと、少し製作委員会っぽい匂いがしますよね。20年ぐらい前の『交響詩篇エウレカセブン』(2005〜2006年)だと、京田知己監督や脚本家・佐藤大さんがダンスミュージック好きで、作品の中でテクノを流して注目されてたんですよね。僕も1曲だけ作らせてもらったんですが、のちに映画版を作る際は「アニメ具合がいろいろと変わって、自分がかけたい音楽を作中でかけられなくなった」と監督から聞きました。 藤津 『エウレカセブン』の全音楽を集めたCDが販売されてますが、テクノしか入ってないディスクもありますからね。 木村 作中に代々木公園みたいな場所でDJパーティーをやるシーンがあるんですけど、実際にそういうイベント(※1998年より代々木公園で開催されている野外フリーフェス『春風』)があって、現実とリンクしてるんです。 藤津 僕は『エウレカセブン』を何回か取材をしてるんですけど、公園のシーンは「明け方までみんなで騒いだあと、、ダルダルになっている空気の中で曲がかかってる」というイメージで作られているそうなんですよ。 木村 とりあえずその場でヘラヘラ動いてると楽しくなってくるみたいなシーンで、まさに実際もそうですし、リアルでとてもいいシーンでした。最近、DJアニメがたくさん出てきてますが、少しリアルから離れているかなと。「このグルーヴが〜」とか「バイブスが〜」とか実際は言わないですから(笑)。 藤津 (笑)。そういう意味ではDJがキャラ化したんですかね。「こういうことを言ってそう」みたいなね。ほんと音楽系のアニメ増えましたよね。 木村 最近はアニソン音楽にいろんなシーンの方が入ってきて、話題にはなりますけど、定番のアニソンが懐かしくてたまに聴きたくなってしまいますよね。 ──木村さんは本当に多くの作品を観られていますが、好きな監督の作品はあるんですか? 木村 そこはあまり関係なく観ています。逆に製作会社のほうが気になります。でも、基本的にはそういうのには縛られずになんでもチェックするようにしてます。SF以外だと、たとえば『君に届け』(2009〜2010年)はよかったですね。『四月は君の嘘』(2014〜2015年)や、最近では『わたしの幸せな結婚』(2023年)もストーリーがいいなと。『わたしの幸せな結婚』といえば、友達がフランス人の女性と結婚したんだけど、奥さんが『わたしの幸せな結婚』が好きなんですって。「Crunchyroll」(※海外の定額制ネット配信サービス)があるから、日本の最新アニメを観られるみたいで。普通に『SPY×FAMILY』(第1期:2022年、第2期:2023年)がいいとか、『モブサイコ100』(2018年)がいいとか言ってて、アニメの話をしているんです。改めて世界でアニメが流行ってるんだなと実感しました。 藤津 2015年ころから配信ビジネスが世界的に拡大して、日本のアニメがほぼ時間差なしで海外に届くようになったんですよね。以前は、海外のアニメファンはすぐには日本の作品を観られなかったので「日本でこういう新作アニメがあるらしい」という情報だけあって、そこを海賊版が補ってたんです。 木村 だから古いアニメとかだと、外国語字幕がついてるものがあるんですね。 藤津 80年代から海外では供給と需要のギャップがずっとあったのが、配信ビジネスでかなり解消されて、世界の配信会社に大量のアニメが売れていて。だから、現在アニメが活況なんです。たとえば『転生したらスライムだった件』(第1期:2018年、第2期:2021年)なども北米ですごい人気があるんですよ。その売り上げが次の作品の費用になるので、作品が増えていく仕組みになってるんですね。 木村 『ジャンプ』も「MANGA Plus」(※海外向けマンガ誌アプリ)で読めるようになりましたもんね。それぐらい海外では流行ってますからね。 藤津 アニメが売れると原作が紙で売れる。『NARUTO -ナルト-』(原作:岸本斉史)がまさにそのパターン。だけど今、出版社は「MANGA Plus」で英語でも読めるようにして、おそらくは最初のタッチポイントをマンガに切り替えたいと思ってるんです。その後にアニメが人気になったほうが出版社にとってはうれしいわけで。今、アニメビジネスは転換期だなと思っています。 木村 本当にそうですよね。 藤津 僕は大学で20歳ぐらいの学生にアニメ産業の歴史を教えているんですが、彼らは子供のころから動画共有サイトが当たり前で、中学生ぐらいからは配信サイトが主流になってる。テレビを観る習慣がない子ばっかりなわけですよ。「君たちはこれが当たり前だと思ってるかもだけど、この10年ぐらいで急激に起きたことで、このあとまだどうなるかわからない。今がめちゃくちゃ過渡期だよ」という話をしてます。テレビという柱がしっかりあって、そこにいろんな枝がついてるという状況じゃなくなったんです。テレビ局も放送外収入を求められる時代で、もっと積極的にアニメにコミットして自社の収入として入れられるように各社動いてる感じですよね。だから、地上波でアニメの枠が増えてるのは、視聴率が取れるからではないんですよね。この作品にコミットして長く運用していくとか、何回か続けているうちにそのうち大当たりが出るかも、という期待なんですよね。 木村 先行投資みたいなもんですよね。 藤津 それこそテレビ朝日だと「NUMAnimation」(※2020年から“沼落ち”をコンセプトに設けられた深夜アニメ枠)がありますよね。おそらく『ユーリ!!! on ICE』(2016年)が大ヒットしたことを機に、設けられた枠なんだと思います。 木村 『ユーリ!!! on ICE』は、おもしろかったですよね。 藤津 フィギュアスケートをあそこまでアニメで描くのはすごい。フィギュアスケートを全12話で描く上で3回は大きい試合がないとダメだろうと僕は思ってたんですよ、練習シーンを除いて。それをやりきれるの?って思っていたら、『ユーリ!!! on ICE』はやりきりましたね。ただ大変なのは、ビジュアル表現含めそういうふうに、「すごいことをやった」のが、その後のアニメの当たり前になっていくのは、ファンとしてはうれしいけど、同時に大変そうで。たとえば『黒子のバスケ』(2012〜2015年)とかも『SLAM DUNK』(1993〜1996年)よりも遥かに丁寧にバスケシーンが描かれるようになっているわけで、アニメの現場は大変そうだなと思います。 木村 2003年、『LAST EXILE』のころからやたらキレイな絵が出てきて驚いきました。キレイな絵だとより引き込まれやすい傾向はありますよね。 藤津 インパクトがありますからね。この間、大学生の息子に『呪術廻戦』(MBS/TBS系)の渋谷でのバトルの絵がすごかったから「観て!」って言われましたよ。家族がよく使う渋谷駅も出てるからって。そのシーンだけ見せられましたよ(笑)。 木村 それでいうと、聖地巡礼が『らき☆すた』(2007年)や『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006年)のときから一般的になりましたよね。聖地を巡ることを考えて作られてるなって思うこともあります。実家(岐阜県大垣市)の近くが『聲の形』(2016年)の聖地なんですけど、まさにここで遊んでたなっていうシーンがあって。 藤津 親水公園みたいなところ出てきますよね。 木村 自分も『灼眼のシャナ』(2005〜2006年)の聖地・大宮や『らき☆すた』の聖地は行きたいって思って行ってしまいました。『ノエイン もうひとりの君へ』(2005〜2006年)のために函館まで行って、「本当にハリストス正教会がある!」って興奮しました(笑)。 藤津 それはすごいですね(笑)! 2000年代に入って、アニメでもロケハンするのが当たり前になったんです。最終的に書く風景は架空でも、想像で描くより実際にその土地の街路樹や古い建物の古び方を見て、街の雰囲気から丁寧に作るとアニメのリアリティが増すんです。あと厳密にいうと、シナリオハンティングにも少し近いものでもあります。こういう空間があるなら、こういうシーンに使えるとかを見つけたり。あと、デジカメのおかげで資料写真を大量に手に入れられるようになり、場合によっては、撮ってきた写真をそのまま画面の中に反映することも増えました。 木村 リアルと重なるとやっぱり視聴者として、現実で見つけるとうれしいですもんね。田園調布に行ったとき『フルーツバスケット』(2001年)のシーンがあってうれしかったですし。 藤津 実写や映画のロケ地と違うのは、アニメの聖地巡礼に行くと二重映しになるんですよ。拡張現実じゃないですけど、実写だと「ここだな」で終わるんですが、アニメだと「ここが実際の風景で、アニメだとこうなってるのか」に加えて、そこにさらにキャラクターが重なって見えてきて、いろんなレイヤーが重なる感じが楽しいところなんですよね。 木村 現実世界では年月が経っていても、アニメの中だと描かれた時代の景色に一瞬で戻ることができるのもいいですよね。 藤津 原恵一監督の『カラフル』(2010年)という映画は、再開発中だった二子玉川が舞台なんです。だから今はもうない景色なんだけれど、映画の中には作ってる最中の工事現場が残ってるという。当時、そのあたりを車で通ったときに「ああああ! 『カラフル』に出てきた交差点だ!」と驚きましたもん。 木村 たしかに土地を見たら、作品がパッと浮かぶというか。本当におもしろいですよね。 10月クールアニメの注目作は? ──ここまでにいろんな作品が出てきましたが、現在放送中の10月クールの作品も魅力的な作品が多いですよね。 木村 『葬送のフリーレン』(日本テレビ系)が話題になってましたが、ほかに話題になってるものってどの作品なんですか? 藤津 まわりで出来栄えがいいよね、と話題になっているのは『オーバーテイク!』(TOKYO MXほか)ですね。 木村 『オーバーテイク!』はおもしろいですよね! 藤津 この作品はオリジナルなので期待が高いというか。 木村 僕はF1が好きなので観ちゃいますね。これ原作ないんですか? 藤津 ないんですよ。取材してゼロから作ってるので、観てる側も先の展開もわからないから新鮮ですよね。大変そうなレースシーンもとても丁寧に作っていて、すごいなと思います。あとは『薬屋のひとりごと』(日本テレビ系)ですね。ちょっとミステリーっぽい謎解き要素もあって。 木村 初回はスペシャルで90分ほどありましたよね。初回90分放送は『【推しの子】』(2023年4〜6月/TOKYO MXほか)のときからやってますし、『葬送のフリーレン』もそうでしたが、番組サイドが推したいからなんですかね? 藤津 狙って初回ロング放送にしてる作品もあると思います。『【推しの子】』は序盤のストーリーをまとめて観てもらったほうが、その後の新展開に入っていきやすいので、まとめて放送したのかなと思います。物語のセッティングとしてまずはここまで観てほしい、と。『金曜ロードショー』枠で放送した『葬送のフリーレン』は狙ってると思います。できるなら『鬼滅の刃』ぐらい大きく育てていきたいという期待があってのことだと思います。 木村 ヒットが出たらアニメの主題歌は儲かったりするみたいで。僕の知り合いが某アニメの主題歌を作ってるんですが「コウくん、アニメって儲かるね(※小声で)」って(笑)。シリーズものだったんだけど、シリーズ1で家が建ったと言ってました。僕はお金儲けというより、とにかくアニメが好きなのでアニメの仕事はいつもやりたいなと思っているんですが、仕事じゃなくて趣味としてやりたい。アニソンDJをやればと言われることもあるけど自分の手の内を見られてる感じがして。「ああ、こういうの好きなんだ……」とオタクの人に超上から目線で見られる気がして恥ずかしくてできません(笑)。けど、アニメには何かで参加したいです。 ──このあとの展開において、期待値が高い作品はどれでしょうか? 木村 『アンダーニンジャ』(TBS)はどうなるんだろうって、気になりますね。だんだん話がつながってきたけど、最終的に何が目的かまだわからないからよけい気になります。 藤津 あれは、どうなるんでしょうね(笑)? 『アンダーニンジャ』の笑いはけっこうオフビートじゃないですか(笑)。深夜アニメの中ではけっこう攻めてる企画だなって思います。あと、想像よりずっとジャンプっぽくておもしろいなと思ったのは『アンデッドアンラック』(MBS/TBS系)。 木村 キャラも含めてジャンプっぽいですよね。やっぱりジャンプ作品は外さないというか。 藤津 設定がかなり変なのにツボを押さえてあるのと、「ナンバリングされてる幹部と次々戦っていく」という展開に持ち込むあたりがいかにもジャンプで。そういう外枠がしっかりしているからキャラクターも楽しめるし。あとカラーの違いでいうと、『SHY』(テレビ東京系)もおもしろい。これは『(週刊少年)チャンピオン』(秋田書店)なんですよね。ジャンプでスーパーヒーローを日本版にアレンジすると『僕のヒーローアカデミア』(2016〜2023年)なんだけど、チャンピオンだと『SHY』なんだなって。 木村 たしかに! チャンピオンや『(週刊少年)サンデー』になるとヒーロー像が変わってきますもんね。それでいうと『NARUTO』もヒットしましたよね。DJしてると、DJブースの向こうから携帯画面を見せてきて曲のリクエストをしてくる人がいるんですが、海外で、この10年ぐらい「NARUTO」って文字をタイプして、「お前、日本人ならNARUTO知ってるだろ?」ってアピってくる人が増えたんです。 藤津 10年前ぐらいかな、動画投稿サイトとか見てると『NARUTO』の走り方をマネをしてるアメリカの若者がけっこういるんですよ。そこまで普通に伝わってるんだって思いましたけど。80年代にビデオが海外にも流通することになり、日本アニメにもおもしろい作品があるぞ、とアメリカの業界内で話題になるんです。『トイ・ストーリー』(1995年)のジョン・ラセターとかも、1980年代初頭に、宮崎駿監督の存在を知ってたんですよ。だから『となりのトトロ』(1988年)の制作段階で、ジョン・ラセターはジブリを訪ねてるんですよ。『広島国際アニメーションフェスティバル』に自分の初期のCG『レッズ・ドリーム』(1987年/ピクサー・アニメーション・スタジオが制作した短編アニメ)を持ってくるときだと思うんですが「ジブリに行きたい」と、尋ねてたと。その流れで『AKIRA』(1988年)とか『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年)とか、向こうの一般的な人たちは知らないけど、“ミュージシャンズ・ミュージシャン”的にマニアックな人たちは知っているという。 木村 海外の人は『攻殻機動隊』系のジャンル好きですもんね。それこそウォシャウスキー兄弟監督の映画『マトリックス』(1999年)を観たときに「そのまんまやってるな」って思いました(笑)。 藤津 グリーンの文字でちょっとずつ決まるタイトルバックとか、『攻殻機動隊』の雰囲気を自己流にうまく持っていった感じですよね。話は逸れましたが、10月クール作品がほかにも……。 木村 『はめつのおうこく』(MBS/TBS系)もおもしろかったですね。 藤津 おお、僕はまだチェックしきれてないですね。いや、全然話が尽きないですね(笑)。 木村 毎クール、話をしたいぐらいです(笑)。本当にアニメは心を豊かにしてくれます。 撮影=服部健太郎 取材・文・編集=宇田川佳奈枝
BOY meets logirl
今注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開
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市村優汰(BOY meets logirl #039)
市村優汰(いちむら・ゆうた)2008年5月10日生まれ。東京都出身 Instagram:@yuta__notsorry14 ドラマ『からかい上手の高木さん』(TBS系/毎週火曜23:56〜)高尾役で出演中 音楽劇『プリンス・オブ・マーメイド~海と人がともに生きる~』主演(8/8〜8/12東京・有楽町よみうりホールにて上演) 撮影=まくらあさみ 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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植村颯太(BOY meets logirl #038)
植村颯太(うえむら・そうた)2002年年11月26日生まれ。大阪府出身 Instagram:souta.uemura1126 X:@souta11260911 撮影=矢島泰輔 編集=高橋千里 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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夏生大湖(BOY meets logirl #037)
夏生大湖(なつき・おみ)2001年4月5日生まれ。大分県出身 Instagram:omi.natsuki.official X:@omi_natsuki0405 ドラマ『闇バイト家族』(テレビ東京系/毎週金曜深夜24:12〜)轟大介役で出演中 映画『PLAY!〜勝つとか負けるとかは、どーでもよくて〜』2024年3月8日全国公開予定 撮影=矢島泰輔 編集=高橋千里 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>
「初舞台の日」をテーマに、当時の期待感や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語る、インタビュー連載
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目標に捉われず“今”を楽しむ? ぱーてぃーちゃんのネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#27(後編)
コロナ禍のテレビに突如として現れ、ノーテンキなギャル漫才でブレイクしたぱーてぃーちゃん。 そんな彼らが、一介のお笑い好きから芸人になった初舞台について、聞いていく。前編ではリーダー的存在であるすがちゃん最高No.1がまさかの大遅刻で、信子と金子きょんちぃのみの展開に。 さて、すがちゃんは無事インタビュー現場にたどり着くのか? ぱーてぃーちゃんの現在地はいったいどこだ。 【インタビュー前編】 ぱーてぃーちゃん結成前夜、ギャルふたりがコンビで立った初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#27(前編) 目次すがちゃん、未だ到着せず遅れてきた男が説明する、ぱーてぃーちゃん結成話アオハルだったブレイク前夜賞レースは一回休み……?自信満々でスベった初舞台アイツらのこと嫌いになりそうだった すがちゃん、未だ到着せず 左から:信子、金子きょんちぃ、(撮影には間に合った)すがちゃん最高No.1 ──前編に続き、すがちゃんさんがまだ到着されていません。なので、もう少しおふたりに話を聞きたいんですが、そもそもすがさんとの関係はどんな感じだったのでしょうか。 信子 もともと(信子&きょんちぃのコンビ)「エンぷレス」のネタを書いてもらってたんです。私が「こんなことやりたいんだよね」って伝えて、おしゃべりしながら95%くらい作ってもらってた。 きょんちぃ アイツのシェアハウスに居座って「ネタ書かないんなら、ウチらは帰らないぞ!」って脅してた。 信子 面倒見いいんだよね。ワタナベに所属して最初にごはん連れてってくれたのもすがちゃんだし。それからは「月一すがの会」でごはん連れてってもらった。 ──そんな3人が、すがちゃんの元のコンビ解散をきっかけに合流するわけですけど、初舞台って覚えてますか? 信子 それが2020年の11月かな? すがちゃんが解散したのが10月なんで。その時期って解散する芸人が多くて。 きょんちぃ 毎年、賞レースの予選で負けて、解散する芸人が多い時期。でも、あの年はコロナだったから特に多かった。 信子 そうそう。で、そういう解散してこれからどうしようって芸人を集めて、即席ユニットを作るライブがあった。そこで初めて3人でやったんだよね。あの日がぱーてぃーちゃん史上一番スベったけど、なんか遊びでやっただけだから、あんまり思い出はないかも。 遅れてきた男が説明する、ぱーてぃーちゃん結成話 ──そこからどうやって正式に組むことになったんですか? 信子 えっと……。 きょんちぃ あれ? アイツ来たんじゃね? すが 本当に申し訳ございません……! 今、地球で一番申し訳ないと思ってる男です。 信子 遅すぎ〜(笑)。てか急に入ってくるなし。何しゃべろうとしてたか忘れたじゃん! きょんちぃ 正式に組んだのはいつかって話。 すが わかりました、全部私が説明いたします。正式に組んだのは2021年の4月ですね。その前は2〜3回一緒にライブ出たり、ネタ番組のオーディション動画を送ったりするだけだったんですが、そのタイミングでぱーてぃーちゃんのポーズ漫才ができて、それがハマって北海道放送の『知らなくて委員会』の「芸人ショートネタ選手権」に出られることになったんです。そこで初めて人生で一度もがんばったことなかった我々が本気で準備しました。 信子 めっちゃがんばったよね! ──今のすがさんって分析家なイメージがありますが、当時はノリでぶつかるタイプだったんですね。 すが 人がいいって言うことは全部やらないっていう、ちょっとトガッた感じでした。でも『知らなくて』のときは、ちゃんとハマるためにめちゃめちゃシミュレーションして備えたんです。結果的に本番の出来がめちゃくちゃよくて優勝させてもらって、その日のうちに、APさんから「ほかの番組にも出てくれない?」って言われましたね。テレビって、ハネたらほかにつながるって本当なんだなって実感した。 ──『知らなくて委員会』をきっかけに、正式にぱーてぃーちゃんを結成した? すが 端的に言うとそうですね。僕ら、きょんちぃのバイト先のバーでネタ合わせをすることが多かったんですけど、ある日ふたりがそこに僕を呼び出したんです。これは「組もう」って誘われるなっていうのは察してたんですよ。っていうのも、僕のシェアハウスの同居人がテレビマンなんですけど、そいつは僕らが組むのを勧めてて。ギャルたちにも「後輩のお前らから一緒にやろうって言ったほうがいい」って言ってたらしい。 信子 そうだね。 すが だから僕もそういう心づもりだったんだけど、店に入ったらコイツらタバコ吸いながら白々しく「おはよ〜」って言ってて。いつまで経っても言い出さないから結局僕が折れて「いったんやってみるか?」って言ったら「ナオトがそう言うんだったらいいよ〜」とか言ってきやがった。こいつらマジ、シャバかったですよ。 きょんちぃ もう遅刻反省モード終わってんじゃん。 すが くっ……申し訳ありません。 アオハルだったブレイク前夜 ──正式に組んだ2021年の終わりに出た『おもしろ荘』でブレイクしますが、その前に売れると確信したタイミングはありましたか。 すが ぱーてぃーちゃんのポーズができて、K-PROのライブで初めて披露したときは初めてイケるかもって思いましたね。 信子 耳がキーンってするくらいウケたもんね。 きょんちぃ 私たちがポーズ取った2秒後に笑いが来た。 すが あの笑いは「おもしろい」だけじゃなくて「新しいものを見た!」っていう興奮も入ってたな。 ──『おもしろ荘』の出演ってどうやって決まるんですか? すが 秋くらいにオーディションが始まるんですよ。だから4月に組んでからはそこを目がけてがんばってました。一次審査は通ったんですけど、二次から総合演出の名物おじさんが出てきて、「ガチャガチャやりすぎだな。シンプルなギャルとチャラ男の漫才が見たかった」って反応が悪かった。たしかにそのときは、とにかくブチかませばいいと思ってたんですよね。で、今回は落ちたかなって思ってたら、たまたま若手のスタッフが僕らを好きって言ってくれて、なんとか最終まで残った。それで次が最終。日テレの会議室にお客さん入れてやるんですよ。 信子 めちゃめちゃ緊張した! きょんちぃ 空気が重いっていうか、変な感じだった。お客さんも審査員みたいな顔してるから。 すが ははは(笑)。 きょんちぃ ちゃんぴおんず、ぱーてぃーちゃんの順だったんだけど、ちゃんぴおんずがあり得ないくらいスベってて。 すが 「ちょんってすなよ」を見つける前だから。僕らはまぁスベってないくらいで、結果的に受かった。それで翌日また日テレに呼ばれるんですけど、そこからがまた地獄だった。 すが しっくりこなくて結局ネタ全部作り直したりとか。たまたましんどいロケが重なったりライブ詰め込みすぎたりしたせいで死ぬほど忙しかった。 きょんちぃ すがちゃん、めっちゃじんましん出てたよね。 信子 ヤバかった。一瞬、目を離してまた見たらプツプツプツって出てた。あのころはすがちゃんを労ってジュース買ってあげたりしてた。懐かしすぎる! すが でもなんか青春っぽかったよな。 信子 うん、マジでアオハルだった。 賞レースは一回休み……? ──もうお時間もそろそろなんですが、最後に3人はこの先どうなっていきたいのか聞かせてください。 きょんちぃ 私はM-1(グランプリ)チャンピオン。 信子 賞レースは勝ちたいね。来年は『R-1(グランプリ)』決勝行くから! 『THE W』(女芸人No.1決定戦 THE W)もがんばる! ──賞レースも出られるものは全部出て、決勝の舞台を狙っていく。 すが いや、うーん……それも悩みどころですねぇ。 きょんちぃ はぁ? 早くM-1獲ろうよ。 信子 『キングオブコント』も! すが いや、真剣な話、テレビに出ながら賞レースのネタを仕上げるってめちゃめちゃ難しいなって痛感してるんだよ。俺らくらいの露出度だと一回のテレビ出演で世間のイメージもガラッと変わるから、そこを微調整しながらネタに落とし込むのが難しい。実際、テレビにたくさん出ながら、賞レースに挑戦してる人は異常ですよ。 僕らは今後、タレント活動がメインとなるタイプの芸人だと思うんで、タレントとして成長しながらネタも作ってライブで仕上げていくやり方は、正直見えてない。 ──今年は賞レースに出ない選択もあり得る? すが どうしよっかな……。 信子 ぱーてぃーちゃんは違うよ! きょんちぃ ウチらが休んだら終わりだよ。コイツら芸人辞めたんだって思われるから。 すが もうニン(漫才における“人柄”)は出せたし、のびのび自分らのよさを出すところはクリアできた。新たなシステムが必要で。そこさえ思いつけば準決勝、決勝も見えてくるとは思うんですけど。 信子 えー、どんなかたちであれ、絶対出続けるべきだよ。 すが 要検討ですね。 ──過渡期にあるぱーてぃーちゃん、興味深いです。今日はありがとうございました。ここでお時間が来てしまったので、撮影に移りましょう。 信子 すがちゃんは後日、補習だから! ──そうですね。少しリモートで追加取材お願いします。 すが 全然なんでもやります! 自信満々でスベった初舞台 ──(後日)改めまして、すがさん。今日は取材お願いします。ご自宅ですか? すが そうですね。確定申告してました。 ──年度末の忙しいタイミングで追加取材ありがとうございます。今日はすがさんが芸人としてどんな初舞台を踏んだのかを聞かせてください。そもそも芸人になろうと思ったきっかけはなんだったんですか? すが もともとテレビ番組のADをやってたんです。そこでキャリアアップを図ろうとしたんだけど、採用試験に落ちちゃって。そのタイミングで専門学校時代の同級生に呼び出されて「芸人にならねぇか?」と誘われたんです。 自分が表に出る仕事なんて無理だって最初は言ったんですけど、即興で一回やろうと言われるがままに深夜のカラオケでネタのまね事したら「イケるんじゃね?」と勘違いしてしまった。満員のお客さんの前で爆笑を取る自分たちが浮かんだんです。 でも、芸人になろうと思ったタイミングが5月とか中途半端な時期で。NSCに入るには1年待たなきゃいけないから他事務所を探して、最初はマセキ(芸能社)に行きました。だから芸人としての初舞台はマセキのオーディションですね。「俺ら絶対ウケるっしょ」って自信満々だったけど、あり得ないくらいスベリましたね。 ──どんなネタをやったんですか。 すが 相方が書いたネタだったんですけど、くまのプーさんのマラソン大会みたいなテーマの漫才でした。プーさんってかわいらしいけど、実際はクマだからヤバいぞ、みたいな。僕はツッコミでしたね。それで結局マセキはあきらめて、半年後に秋入学でワタナベ(エンターテインメント)に入りました。「君たちは天才だ。第二のハライチになれるよ」ってめっちゃ褒められて天狗になって行ったら、第二のハライチが100人ぐらいいた。 ──全員に同じことを言ってたと(笑)。 すが 騙されたなとは思ったけど、まぁ事務所入んないと仕事はなかなか来ないだろうなと思ったんで、そのまま入りましたね。 次々と後輩に抜かされたコンビ時代 ──2013年秋に入学したワタナベの養成所はどうでしたか? すが めっちゃ調子よかったです。当時僕らが養成所ライブで作った連勝記録は、10年経った今でも破られてないんですよ。1回だけ、“Why Japanese people!?”を産みたての厚切りジェイソンに負けましたけど、それ以外は全勝。でもあっという間にジェイソンに抜かれましたね。 ──とはいえ、養成所時代にそれだけ活躍すると将来を嘱望されるんじゃないですか。 すが 「第二のキングコングが来るらしいぞ」って言われてたみたいで、お笑いちょろいなって調子乗ってました。結局、所属してからは事務所ライブでは勝てるものの、テレビのオーディションに受からなくて。後輩のブルゾンちえみ、四千頭身、丸山礼が売れて、先輩でもサンシャイン池崎さん、平野ノラさん、クマムシさんがブレイクして、自分らはさんざんでしたね。 ──鳴かず飛ばずで、数年後に一緒に事務所に入った相方とのコンビを解散します。 すが 5年目ぐらいまでは同じ方向見て歩いてたんですけどね。第7世代が出てきたタイミングで、僕がそろそろ売れなきゃなと思って、「まだ迎合しないぞ」ってトガッてた相方と考え方がズレていきました。 ──それでぱーてぃーちゃんを組むことになると。 すが そうですね。個人的にはピンで10年目までは本気でがんばってみようかなって思ったときに、軽い気持ちでギャルたちとネタやったらこんなことになりました。 ──もともとふたりには芸人としての魅力を感じていて組んだんですか? すが 芸人としておもしろいと思ったことはなかったですね。人としてはめちゃめちゃおもしろかったけど。アイツら、本当どうしようもないチンピラだったんですよ。芸人界に初めて舞い降りた養殖じゃない天然のギャルだったから、そりゃ合わないですよね ──ギャルでありながら、お笑いへの愛も人一倍強いふたりですよね。 すが 当時はそこがまた厄介でした。お笑い憧れが強烈なぶん、舞台に上がると芸人っぽく振る舞わなきゃいけないって気持ちが前面に出ちゃって身動き取れないみたいな。アイツらは本当にテレビに鍛えてもらった感じです。 アイツらのこと嫌いになりそうだった ──この間、3人インタビューした際に、賞レースに消極的な発言をしてたじゃないですか。ちょっと前までのすがさんは、年間計画をきっちり立てて、賞レースの目標もしっかり決めていましたが、今はそういうモードじゃないんですか? すが そうですね。前は本当に細かくビジョンを決めて、どういう見え方をすればテレビ出演やCMがゲットできるか考えて動いてたんですけど……3人ともストレスが溜まりすぎたんで、去年の夏前くらいから綿密に計画を立てるのはやめたんです。ちょっと売れるスピードがゆるやかになっても、なんか楽しいほうがいいかなって僕も思うようになりました。 ──ブレイクの波に乗ってるときに、シフトダウンするのは勇気がいりませんか。 すが たしかに勇気いりましたけど、でもそのまま行くほうがしんどかったっすね。正直、毎日アイツらのこと嫌いになりそうだったし。組んでから3年近くになりますけど、4回ぐらい解散しようと思ったこともある。でもそれは僕が立てた目標や、ふたりを急かす感じが原因だったなって気づいたんです。ぱーてぃーちゃんにおいて一番大事なのは、自分らが楽しくやれること。未来のためじゃなくて今が楽しいってほうを選んでるので、今は全然愉快にやってますね。 ──前はきょんちぃさんが急に髪色変えたとかでバトルしてましたもんね。 すが もうそういうの疲れちゃったんです。俺、別に生活指導じゃねぇんだからさって(笑)。もうみんな好きにして、楽しくやろう、それでいいんだと。アイツらもそっちのほうが性に合ってるんですよ。見てるほうもストイックな僕らより、バカみたいに楽しそうなぱーてぃーちゃんのほうが好きだろうし。とりあえず愉快な感じで続けてれば、俺らはおもしろいんじゃないかなって今は思ってます。 ぱーてぃーちゃん すがちゃん最高No.1(1991年8月21日、山形県出身)、信子(1992年8月1日、大分県出身)、金子きょんちぃ(1993年9月19日、神奈川県出身)のトリオ。2021年、コンビを組んでいた信子ときょんちぃに、すがちゃんが合流して結成。同年末の『ぐるナイおもしろ荘』(日本テレビ)への出演をきっかけにブレイク。賞レースに挑戦しながら、個人としても活躍する。YouTubeチャンネル『ぱーてぃーちゃんの今夜はなにパ?』は、“ガチガチに決めちゃうとイヤになっちゃうから”不定期更新中。 テレビ朝日『ももクロちゃんと!』出演アーカイブ ももクロちゃんとぱーてぃーちゃん ももクロちゃんとぱーてぃーちゃん~ぱーてぃーちゃんが裁判!?~ 【後編アザーカット】
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ぱーてぃーちゃん結成前夜、ギャルふたりがコンビで立った初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#27(前編)
生粋のギャルふたりと、彼女たちに挟まれたチャラ男。コロナ禍のテレビに颯爽と現れたぱーてぃーちゃんは、純度100%のギャルとして人々に笑いと衝撃を与えた。 そんな彼らに初舞台について聞く……予定だったのだが、なんとリーダー的存在である、すがちゃん最高No.1が大遅刻! そこでこの前編では、ギャルの信子と金子きょんちぃに、お笑いとの出会いや、トリオになる前にふたりが組んでいた「エンぷレス」の初舞台について聞いた。 果たして、インタビュー終了までにすがちゃんは間に合うのだろうか……! 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次すがちゃん最高NO.1、まさかの大遅刻「芸人は医者より偉いと思った」マイナスイオン姉さん”と“相方ビッチ”きょんちぃの初舞台は時事ネタ漫才コンビがうまくいった秘訣は、丸投げしたこと初舞台のあとは大号泣&ブチギレ すがちゃん最高NO.1、まさかの大遅刻 左から:金子きょんちぃ、(撮影には間に合った)すがちゃん最高No.1、信子 ──お忙しいところありがとうございます。ところでひとり欠けてますが……。 信子 「菅野、遅刻してんじゃねぇよ!」って書いといてください(笑)。 ──すがさんの遅刻はよくあるんですか。 きょんちぃ あと40〜50分かかるんですよね? ここまで遅れるのは珍しい。 ──勝手なイメージですけど、おふたりのほうが遅刻しそうなイメージがありました。 信子 ナメてもらっちゃ困ります。昨日同じ飲み会に行ってて、私は終電で帰ったんですよ! きょんちぃ ギャルなのにお利口〜。 信子 そう、ウチはちゃんと帰ってエラい。まぁ遅刻もしますけど(笑)。 「芸人は医者より偉いと思った」 ──次のお仕事もあると思うので、すがさん抜きで先にインタビューを始めさせてください。芸人としての初舞台について聞きたいんですが、そもそもお笑いに興味を持ったのはいつごろですか? きょんちぃ すみません、私、メイクしたいんで、先に信子から聞いてもらっていいですか。 信子 オッケー! 私、バッチリなんで。私が芸人に興味持ったキッカケは、吉本新喜劇かも。大分出身なんですけど、土曜の昼に吉本新喜劇の放送があったんですよ。午前で学校が終わるから、帰ってお昼ごはん食べながら吉本新喜劇を観て、終わったら友達と合流して、新喜劇ごっこやってました。 ──「新喜劇ごっこ」って初めて聞きました。 信子 めっちゃ楽しかったですよ。うちはポコポコヘッド(島木譲二)か、茂じい(辻本茂雄)やってた。でも茂じいは人気で奪い合い。あと、アスパラガス(中條健一)もやってたなぁ。クラスにお笑い好きな子が多かったんですよ。最初はウチとサトウユウくんのふたりだったけど、どんどん仲間が増えていった。あとは『バカ殿』(志村けんのバカ殿様/フジテレビ)も好きでした。 ネタでいうと2004年のM-1で南海キャンディーズさんを初めて見て、「こんな革命的なツッコミする人いるんだ……!」って思った。あと、テレビで「笑うことでがん細胞を減らせる」みたいな情報を見て「じゃあ芸人って医者よりすごくね??」って芸人リスペクトになりました。医者は病気を治すけど、芸人はそもそも病気を発生させないってすごいじゃないですか。 話してたら、いろいろ思い出してきた! 中高生のころは、『リンカーン』(TBS)とかの有名なバラエティ番組観てて、『ごっつ』(ダウンタウンのごっつええ感じ/フジテレビ)もDVDで観てました。あとは、南海キャンディーズさんの漫才とか、バナナマンさんの単独ライブもツタヤで借りて観てたな。これ初めて言うかも。 ──能動的に見てたんですね。 信子 『ごっつ』だけ高校時代の彼氏の影響でした。一緒にごはん食べてるときに、急に変なことやりだして、聞いたらそれが「キャシィ塚本」のマネだって。彼氏に「なんで知らないんだよ、これ観ろ」って言われた。 高校卒業したときは芸人になろうなんて思ってなくて。上京して飲食店で働きながら、次は自分で店出すかフランスに留学するか迷ったときに、初めて「芸人になろう」って決めたんです。独立とか留学しちゃったら、その後の人生ってそれだけがんばらなくちゃいけないじゃないですか。やり残したことなんだろうなって考えたら芸人だったんです。 マイナスイオン姉さん”と“相方ビッチ” ──新喜劇でお笑いを好きになった信子さんが、吉本興業ではなくワタナベエンターテインメントに入ったのはなぜ? 信子 一応いろいろ調べてたら、ワタナベがやってた「オモ女オーディション」っていうのを見つけたんですよ。当時、バービーさんとかイモト(アヤコ)さん、にしおかすみこさん、平野ノラさんってたくさんピンの女芸人さんが活躍し始めてて、私もピンでやろうって思ってたから、合うかもって。 ──それでオーディションに行った? 信子 最初はとりあえず話聞いてみようって説明会に行ったんですけど、「次来るときネタやってみて」って言われて急いで作りました。人前で初めてネタやったのが、そこですね。「マイナスイオン姉さん」っていうネタ。銀色の全身タイツ着て「アンタ、森に返してやろうか!」とか言ってた(笑)。あれ、きょんちぃも見てたよね。 きょんちぃ 全然意味わかんなかった。 信子 擬人化するのがセンスあると思ってたの。 ──ピンでやりたかったのはなぜ? 信子 誰かの失敗を許せないだろうなって思ったからかな。でも変わった女の子に捕まって「私たち、もうコンビだよね!」って言われておもしろかったので組みました。結局、外国人の男の子も入って3人でやったんですよ。でも、ゲボゲボつまんなくて。きょんちぃには、そういうグチをずっと聞かせてました。週3〜4で飲みに行ってたよね。 きょんちぃ うん。 信子 ウチらマジでただのプライベート友達みたいだったよね。だから私がトリオを解散したあとで、きょんちぃと組むことにしたんですよ。そしたら講師が「お前ら、やっと組んだのか」って言ってました。事務所的には最初っからウチらを組ませたかったみたいなんだけど、「だったら言えし!」って感じ。そしたらもっと早く組んでたかもしれないのに。 当時のきょんちぃって“相方ビッチ”だったんですよ! ウチが思い出せる範囲でも8人と組んでた。私たちが組んだのが9月なんで、4月の入学から半年で8人。ひとり1カ月も持ってない(笑)。 きょんちぃ 私、基本的に性格が合う人がめっちゃ少ないんですよ。当時はめっちゃワガママだったし。自分でネタ書くのは絶対イヤで毎回相方に書いてもらってたんですけど、いつも「コイツ性格も合わないし、ネタも微妙だな」ってめっちゃ思ってて。お笑いが好きすぎて、劇場にもめっちゃ行ってたんで、そのプロのレベルが基準になっちゃってたんですよね。めっちゃ生意気だったんで申し訳ないです。 でも信子とは毎日飲んでたし、人間としては合うんだろうなって思って組みました。あ、メイク終わりました。 きょんちぃの初舞台は時事ネタ漫才 ──きょんちぃさんがお笑い好きになったのも子供のころですか。 きょんちぃ はい。パパがめっちゃお笑い好きだったんですよ。『クレヨンしんちゃん』(テレビ朝日)は下品だからって見せてくれなかったけど。 信子 えっ!? 最悪、ウチの師匠なのに。 きょんちぃ あんまりにもマネしすぎるからダメだって言われてた。でもお笑いだったらどんなに下品なものでも見せてくれました。 養成所に入ったのは22歳。卒業してからキャバクラで働いてたんだけど、みんなが大学卒業して就職したり、中卒高卒の子たちが落ち着いてるの見て、「自分、このままだと終わるぞ」って不安になったんです。そんなときに友達と話してたら「てかさ、お笑い芸人やるって言ってなかった〜?」って言われて、芸人になりました。 ──「お笑い芸人やる」って言ったのはいつごろですか。 きょんちぃ 中学のときです。高校のときも、なんかのイベントで友達と漫才したことあるんですよ。 信子 その初舞台、マジ見たいんだけど(笑)。映像ないの? きょんちぃ ない! 時事ネタやりました。ちょうどマイケル・ジャクソンが亡くなった年だと思うんですけど、それに絡めてなんかやりました。 信子 なんか覚えてるワードとかないの? きょんちぃ ない、覚えてても絶対言わない。 信子 ちょっとこれ取材なんだけど!(笑) ──ボケツッコミはどちらでしたか? きょんちぃ 私はツッコミでした。まぁもうこれ以上話せることはないですね。 信子 その子とは一回しかやらなかったの? きょんちぃ うん。「またやる?」って聞いたら「やるわけなくねぇ?」って言われた。養成所入るときも「一緒に行く?」って声かけたけど、「誰が? ウチが? え、無理」って即答だった。 ──きょんちぃさんはなぜワタナベに? きょんちぃ 本当は吉本行きたかったんですよ。漫才とM−1がめっちゃ好きで。お笑いはもちろん好きだけど、M-1チャンピオンになりたい気持ちが一番だったから、絶対吉本じゃんと思ってて。でも一応吉本もワタナベも説明会には行ってて。そしたらワタナベから「もう一回だけ来てくれないか、どうしても会わせたい子がいるんだ」って言われたんです。 ──「会わせたい」とまで言われてたんですね。 きょんちぃ 言われてました。「合うと思うんだよねぇ」って。でも最初に会ったときは別にしゃべらなくて。養成所に入ってからたしかに人間としては合うなと思ったんですけど、信子は「ピンでやりたい」って言ってたので誘わなかった。まぁ入ったらトリオになってて意味わかんなかったけど。 信子 ははははは(笑)。 コンビがうまくいった秘訣は、丸投げしたこと きょんちぃ 話戻るんですけど、しばらく事務所選びで悩んでたら、ワタナベコメディスクールが営業上手でめっちゃ電話かけてきて。それで「こりゃ条件いいぞ」ってなって、じゃあまぁ場所もいいしってことで、ワタナベにしました。 ──立地ですか。 きょんちぃ はい。中目黒に養成所があって、ワタナベコメディスクールとLDHの事務所がめっちゃ近いんですよ。私、LDH大好きなんで、中目に毎日いたら、絶対誰かに会えるじゃんと思って、ワタナベにしました。 ──会えました? きょんちぃ たまに会えました ──そういうときって声かけるんですか。 きょんちぃ さすがに声はかけないです。私、すごくいいファンなので。 信子 はははは(笑)。 きょんちぃ いつか仕事するぞと思って。実際、GENERATIONSさんが一番好きなんですけど、ABEMAの『GENE高』(GENERATIONS高校TV)に出させてもらいましたし、『御殿』(踊る!さんま御殿!!/日本テレビ)でTAKAHIROさんにも会えた。(山下)健二郎さんと、NAOTOさんにも会いましたね。うれぴぃ。 ──連絡先とかは? きょんちぃ 絶対交換しないです。私、すごくいいファンなので。 信子 あはははは(笑)。 ──きょんちぃさんと信子さんのコンビ関係はなぜ長続きしたんでしょうか? きょんちぃ いろいろ考えても無駄だって思ったんですよ。おもしろいことはしたいけど、どうせ私はネタ書けないんだし丸投げするんだったら文句言うのもやめようって。 そしたら案の定、信子は山里(亮太)さんに憧れてるから、全然向いてないのにたとえツッコミをしてて。全然向いてないんですよ。でも、いったんやりたいことやらせようと思って、ほっときました。私も「世界で一番自分がかわいい」っていうぶりっ子キャラさせられたし。 信子 それはきょんちぃが「私は石原さとみ以外の女優には、勝てる部分がある」って言ってたからだよ。 きょんちぃ まわりの芸人からは「楽屋でしゃべってればおもろいのに、ネタはまったくおもしろくない」って言われてました。 初舞台のあとは大号泣&ブチギレ ──ふたりは、エンぷレスというコンビ名で活動しますが、初舞台は覚えていますか? きょんちぃ 私はネタを飛ばして号泣しました。養成所のネタ見せだったんですけど、ネタが終わって、エンディングで泣いて。そのあともずっと泣いてた。 信子 で、ウチがブチギレ。ネタ飛ばしたり、泣いたりしたのはいい。でも終わってすぐに化粧直ししたのがムカついた。「それはちげえだろ!」って(笑)。 きょんちぃ そのあとに次のライブの手伝いがあったから、メイク崩れた顔見られたくなくて。でも結局手伝いもしないで、ふたりでダベってるだけでした。何話したかも覚えてないけど。 信子 どんなネタやったかも覚えてないね。組んでから1週間もなくて、とりあえずこなすだけで。思い入れのないネタやっちゃったから。 ──2017年に養成所を卒業します。芸歴が始まってからの初舞台は覚えてますか? 信子 全然覚えてねぇ。 きょんちぃ 外のライブもあんま出てなかったね。事務所ライブもネタ見せに通らなくて、1年近く出られてない。芸歴3年超えてから、少しずつ事務所ライブに出られるようにはなりました。でも、ぱーてぃーちゃん組む直前は、芸人辞めようかなって思ってた。 コロナでライブが全部なくなって、なんの活動もしなくなって、コロナがいつか明けるとも思えなくて、気持ち的にも沈んでて。感染するのが怖くてキャバクラのバイトも辞めたし、引きこもりみたいになって誰とも会わなくて、全部イヤになってました。人と人が触れ合わなくなったら、やってる意味ないわと思った。 信子 きょんちぃの辞めそうなオーラ感じてたから、ピンネタ作らなきゃなっては思ってたよ。そしたら本当に電話来て「辞めたい」って言われて……そっからなんて言ったんだっけ?(笑) きょんちぃ 「もうちょい様子見てもいいんじゃない?」って。 信子 そっか。ウチはコロナ明けると思ってたから。最悪、芸人じゃない活動で注目浴びて、芸人に戻るのもアリだなとか考えてたし。 きょんちぃ それが2020年の夏だね。その直後に事務所の先輩のすがちゃんが前のコンビを解散して、お試しで「ぱーてぃーちゃん」をやったおかげで、まだ芸人続けてるって感じ。 信子 っていうかもうぱーてぃーちゃん結成まで話したのに、まだアイツ来ないじゃん! ぱーてぃーちゃん すがちゃん最高No.1(1991年8月21日、山形県出身)、信子(1992年8月1日、大分県出身)、金子きょんちぃ(1993年9月19日、神奈川県出身)のトリオ。2021年、コンビを組んでいた信子ときょんちぃに、すがちゃんが合流して結成。同年末の『ぐるナイおもしろ荘』(日本テレビ)への出演をきっかけにブレイク。賞レースに挑戦しながら、個人としても活躍する。YouTubeチャンネル『ぱーてぃーちゃんの今夜はなにパ?』は、“ガチガチに決めちゃうとイヤになっちゃうから”不定期更新中。 テレビ朝日『ももクロちゃんと!』出演アーカイブ ももクロちゃんとぱーてぃーちゃん ももクロちゃんとぱーてぃーちゃん~ぱーてぃーちゃんが裁判!?~ 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 目標に捉われず“今”を楽しむ? ぱーてぃーちゃんのネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#27(後編)
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結成直後から大躍進のはるかぜに告ぐが、じっくり見据えるネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#26(後編)
「おもろない女芸人が、一番恥ずかしい」 『女芸人No.1決定戦 THE W 2023』のファイナリストとして、一躍脚光を浴びた芸歴1年目のコンビ「はるかぜに告ぐ」。ヤンキー風のとんずと、清楚な一色といろ。いびつなふたりが織りなす、偏見混じりのしゃべくり漫才は痛快だ。 そんなふたりは、もともと男女コンビとピン芸人だった。女性が1割にも満たない芸人の世界。そのヒエラルキーを実感してきたふたりは、はるかぜに告ぐを組んだ瞬間、飛躍した。 芸人界に吹き荒れる一陣のはるかぜ、その声を聞いてみた。 【インタビュー前編】 『THE W』決勝で注目のはるかぜに告ぐの初舞台は、NSC入学前の腕試し|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#26(前編) 目次芸人になる気はないのに、養成所に入学した理由余りもの同士で組んだコンビ結成直後に大躍進大阪ではキャラ漫才だと思ってたけど、東京では正統派?テレビ朝日『ももクロちゃんと!』出演決定!! 芸人になる気はないのに、養成所に入学した理由 左から:とんず、一色といろ ──現在、といろさんが26歳、とんずさんが25歳ですが、ふたりとも社会人経験を経てから芸人になったんですか? とんず いや、私は大学1回留年してからNSCですね。私はもともとお笑い好きやって、学生のころからライブも通ってたんですよ。前編で話したように、友達とM-1の予選に出て、全然うまくいかんかったのが悔しくて、芸人ちゃんとやってみようと思って養成所行きましたね。 といろ 私ももともとは2年間正社員をしてて、NSC入るときに辞めました。 ──といろさんもお笑いにはずっと興味があった? といろ 芸人になりたいと思ったことは人生で一回もないです。 とんず なんならまだ「自分は芸人」っていう自覚も芽生えてないよな。 といろ 私、NSCに入ったのも運動不足解消のつもりだったんです。仕事始めたのがコロナ禍だったから在宅で仕事ができちゃって。出社も数えるくらいしかしたことなくて、体動かす機会がなかったんで、楽しそうやし、NSCに通ってみようかなと。 ──ジムに行くとかじゃないんですね。 といろ 行ったけど続かないんですよ。でもNSCはけっこうまとまった入学金払うんで、元取りたくて通うじゃないですか。週5で授業があるんで、学校感覚で通えるんちゃうかなって。ホントに全部の授業出ましたからね。 とんず 普通は行くのがめんどくさくてサボるねん。 といろ あと「芸人になるつもりがなくても、NSCはけっこう楽しい」って話をよく聞いてたんですよ。大学生のときにWEBライターをやってたんですけど、そこの編集長が15年間よしもとにいた人で、その人が言ってました。 とんず 最初はピン芸やってたやんな。 といろ そうですね。芸人になる気もないのに、誰かと組むのはおこがましいかなって。当時は「お嬢様のことわざ」みたいなフリップ芸をしてました。言葉遊びみたいな。 とんず めっちゃヘンやったよなぁ。金太郎の格好して紙芝居みたいなこともしてた。おもんなかったなぁ(笑)。 余りもの同士で組んだコンビ ──とんずさんはコンビを組んでいましたか? とんず そうっすね、全然うまくいかなかったですけど。 といろ なんかアクロバット系漫才してたんでしょ? とんず えらい回転させられてたな。110キロくらいの巨漢と組んでて、舞台上でぶん回されてた。めっちゃ変わった子で、お互いにお互いのネタをけなす感じやったんで解散しましたね。 ──なんで組んじゃったんですか。 とんず これはマジで余りもの同士やったからです。男で芸人になろうとするヤツって、女と組む想定してないじゃないですか。だから女側がどんなにおもしろくしゃべれたとて、組もうってならんみたいで。それでずっと振られ続けて、余りもの同士組んだんですよね。そのあとも何人か男に声かけたんやけどダメやって。 ──男女コンビにこだわっていたとんずさんが、なぜといろさんと組んだのでしょうか。 といろ それは私が余ってたから? とんず といろさんって、ネタはおもろくないんやけど、なんか目離せない感じがあったんで誘ってみたんです。そしたら「私もうネタ書きたくない! 誘ってくれてむしろ助かる!」くらいの感じで乗ってくれた。 といろ ちょうど「ネタ書くの面倒だな」と思ってたころだったので。 とんず まぁ最初はユニットでって感じだったんですけど、ある程度結果出たんで続けてみようかと。これまで私を断ってきたヤツらには「ざまぁみろ! 組んどきゃよかったやろ!」って思ってます。 結成直後に大躍進 ──はるかぜに告ぐとしての初舞台はいつでしたか? とんず 組んだのが2022年の7月で、それからわりとすぐでした。うちらの最初はテレビか。 といろ BSよしもとでコットンさんがやってた『新宿音響ラボ』ですね。とんずがギター持って、歌ネタやりました。「蛍光スニーカー履いてる男は、ほにゃらら〜」みたいな偏見を歌うネタ。 昨日オンエアの新宿音響ラボ⚡️観てくれたかーーー!!??見逃し配信もあるで👀 はるかぜに告ぐ結成して初のネタ見せがこれなので、実質あーしら新宿音響ラボ所属の芸人🙃🙃また行きます💨💨 https://t.co/1FdrrEgPNi — はるかぜに告ぐ とんず (@tontokotonez_) October 2, 2022 とんず 予選突破したよな。あの時期、なぜか週1で何かしらのイベントやらテレビやらに出してもらって、ありがたかった。M-1も3回戦まで行って。 ──NSC在学中で、その活躍はすごいですね。 とんず いや、うちらだけじゃなくて、大阪の45期はけっこうすごくて。私の分析なんですけど、コロナで入学をちょっと待ってた経験者組が一気に入ってきてるんですよ。45期内ですでに先輩後輩(関係が)あるヤツもいますから。 といろ インディーズ時代に関係性ができてる。 とんず そうそう。大卒1〜2年目の社会人経験者がわりと多い。 といろ 私たちと同じ25歳付近がけっこういますね。 ──そうはいっても、3回戦進出はざわつくんじゃないですか。 といろ そうですね。私たちと「千年ぶり」っていうコンビの2組だけでした。そのおかげで、『深夜のハチミツ』(フジテレビ)に出させてもらえて。 とんず いきなり局のテレビ出してもらえたのは、すごいよな。でも最初の収録はめちゃくちゃでした。「千年ぶり」と一緒に東京に来て「帰りは歌舞伎町で遊ぼうな」ってウキウキしてたのに、2組とも収録でガチゴチになっちゃって。 といろ 何もできなかった。 とんず 千年ぶりってずっとエリートなんですよ。もともとワタナベ(エンターテインメント)にいて、45期の中でもずっと1位だった。だから、あの千年ぶりが、収録中にひと言もしゃべれてなかったのは衝撃でしたね。 といろ テレビ初出演の人たちも多い現場だったので、助け合うこともできなくて悲惨でした。 とんず 千年ぶりはホテル取ってたのに寝れなくて始発で帰ったらしいですから(笑)。でも、あの経験があったから、THE Wでエゲツない緊張してもなんとか耐えられたとこはある。 といろ THE Wが最初やったら死んでたな。 大阪ではキャラ漫才だと思ってたけど、東京では正統派? ──ここまでの活躍は自分でも予想してなかったと思うのですが、2024年はどんな年にしたいですか。 といろ 個人としてはナレーションの仕事をしたいです。それか奈良テレビとかで神社仏閣を巡りたい。あと、前回のTHE Wは失敗しないでおこうみたいな気持ちばっかりで勝敗まで意識できなかったので、次は勝てるようにがんばりたいですね。 とんず といろさんはやっぱ芸人としてじゃなくて「一色といろ」としての目標が先に来るんですよ(笑)。私は賞レース優勝が目標なんでネタをしっかり書き続けたいです。 といろ 私もなんらかの賞レース早く獲りたいよ。大阪にも10年未満とかの大会があるので。 ──東京進出は考えてますか。 とんず 3年くらいですかね? そのうち行きたいんですけど……。うちらってこんな感じやから“キャラ漫才”って言われてもいいぐらい目立つと思ってたのに『深夜のハチミツ』出たら全然目立ってなかったのが引っかかってて。 といろ むしろ正統派だった(笑)。 とんず だから東京行ってキャラ強くしたほうがネタも書きやすくなるんちゃうかなと最初は思ってたんです。でも、大阪には大阪のよさがあって、勉強できるところもあるだろうから、それをまずは見つけたいなと。大阪と東京の違いを自分らなりに探して、それを吸収できたら東京行っちゃえばいい。 といろ 今はどっちにも土壌がないから、とりあえず大阪でがんばりたいな。今、大阪では女性同士のコンビが少ないので、そういう意味では仕事が回ってきやすい。なので大阪でしか積めない経験もあるかなと。 とんず 大阪で強くなってから上京したほうが、東京の人からの見られ方もよくなるやろうし。そのあたり、ちゃんと言語化してからじゃないともったいないかなぁと思ってます。あと、2024年の目標でいうとバイトをやめたいっすね。 ──まだバイトしてるんですね。 とんず 夜カフェしてます。知り合いのところで働いてて。いつも「コント、夜カフェ」ってテンションでやってますね。ちょっときれいめの格好して、伊達メガネかけて、髪の毛くくって、高い声で「いらっしゃいませぇ〜」って。 といろ 東京行くと家賃も高いしね。今は実家暮らしなんでいいですけど。 とんず 私はもうパッツパツ。おとといも普通にバイトしてましたから。早く芸人で売れたいです。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平、田島太陽 はるかぜに告ぐ とんず(1998年11月27日、兵庫県出身)と一色といろ(1997年1月13日、大阪府出身)のコンビ。ともに大阪NSC45期(2021年4月入学)で、2022年にコンビ結成。芸歴1年目にして『女芸人No.1決定戦 THE W 2023』ファイナリストとなり、話題に。YouTubeチャンネル『はる告ぐちゅーぶ byはるかぜに告ぐ』は「とりま週1更新頑張れ」の精神で更新中。 テレビ朝日『ももクロちゃんと!』出演決定!! <出演情報> テレビ朝日『ももクロちゃんと!』 3/23(土)3/30(土)2週連続 深夜3:20~3:40 ※詳しくは、番組ホームページで 【後編アザーカット】
focus on!ネクストガール
今まさに旬な、そして今後さらに輝いていく「ネクストガール」(女優、タレント、アーティスト等)を紹介していく、インタビュー連載
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女優・桜田ひより、二十歳を迎えて、変わったこと、変わらないこと
旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 桜田ひより(さくらだ・ひより)。『明日、ママがいない』(2014年/日本テレビ)などへの出演を経て、『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』(2017年/MBS・TBS)でドラマ初主演を果たす。近年では『卒業タイムリミット』(2022年/NHK)、『彼女、お借りします』(2022年/朝日放送・テレビ朝日)、『生き残った6人によると』(2022年/MBS・TBS)などで、ヒロイン役を連投。映画『交換ウソ日記』(2023年)では主演を務めた。現在『家政夫のミタゾノ』(テレビ朝日系/毎週火曜よる9時〜)、『あたりのキッチン!』(東海テレビ・フジテレビ)に出演中。 インタビュー【前編】 目次お腹は空きつつ、心は満たされる『あたりのキッチン!』殺人鬼を演じてみたいけど、追われる役が多い二十歳を迎えて、変わったこと、変わらないこと お腹は空きつつ、心は満たされる『あたりのキッチン!』 ──放送中の主演ドラマ『あたりのキッチン!』について伺いたいです。どのような作品ですか? 桜田 はい、今も絶賛撮影中で、お腹が空きます(笑)。撮影中は、本当にお腹がすごく空くんです。 ──(笑)。料理については、どうですか? 桜田 作品内の料理は手軽に作れるもの、家庭料理が多いので、視聴者の方々もまねしていただきやすいかなと思います。この作品自体はグルメに焦点を当てるというより、グルメとハートフルなドラマの要素が組み合わさっているんですよね。 主人公の辺(あたり)「清美」ちゃんはコミュニケーション能力がゼロの大学生で、話が進むにつれて、関わっていく人々によって成長していく過程や、将来の自分についての悩みにもがく姿など、大学生ならではの胸に迫る瞬間も描かれています。観ていただければ、お腹も空きつつ、でも心は満たされる素敵な作品だと思います。 ──『あたりのキッチン!』ではメガネをかけていましたが、今までも桜田さんが演じるのはメガネをかけたキャラクターが多い印象があります。 桜田 メガネをかけてお芝居するのって意外と難しいと思っていて。技術的な問題になっちゃうんですけど、反射でどうしても顔が撮れなかったり、フレームで目が隠れたりということがあって。顔の角度とかも、意識しないとちょっと難しいんです。 ──たしかに。お顔も小さいので、合うメガネを見つけるのも難しいでしょうし。 桜田 メガネの形で、雰囲気も変わってきますし。 ──『家政夫のミタゾノ』の「実優」ちゃんと『あたりのキッチン!』の「清美」ちゃんは、キャラクター的にもかなり違いますが、その演じ分けはどうでしたか? 桜田 楽しいです。どちらもやっぱり演じていて楽しいですし。「実優」ちゃんのように相手のパーソナルスペースにすんなり入り込むことも楽しいですし、「清美」ちゃんのちょっとずつ成長していく姿は親目線というか、がんばれがんばれっていう気持ちで演じているので、それも楽しいです。観ていただく方々に変化を感じていただけることを期待しています。 殺人鬼を演じてみたいけど、追われる役が多い ──今後、挑戦してみたい役柄はありますか? 桜田 今後……そうですね。まだ制服を着る役にも挑戦できるかなと思うので、制服を着た役や、若さならではの恋愛に焦点を当てた役とか、それと! 刺激的な殺人鬼のような役にも挑戦してみたいと思っています。二十歳を過ぎてから、役の幅もますます広がると思っているので、さまざまな役に挑戦していきたいです。 ──若い女優さんにこの質問をすると、みなさん、殺人鬼の役を挙げるんですよね(笑)。 桜田 わぁー。みなさん、思考がちょっと変わってるのかもしれないですね。私もだけど(笑)。 ──殺人鬼の役を演じたいということですが、今までって、逆に何かに追われる役のほうが多かったりしません? 桜田 たしかに! 追われる役、多いですね。よく森に逃げて、森の中を走り回るシーンが多かったです。 ──ですよね。それと、プライベートの話も伺いたいのですが、最近ハマっているものや気になっていることはあります? 桜田 私、最近何してるんだろう……(笑)。思い出せない……台本を読んでいることくらいしか思い浮かばないです。楽しみを見つけたいと思います。 ──(笑)。何かやってみたいことはありますか? 桜田 マイナスイオンがたくさん出ているような森に行って、癒やされる系の旅館に泊まってみたいです。鳥のさえずりを聞きながら、リラックスできる場所で過ごしてみたいです。私はインドア派なので、思いきって外に出てみたいですね。 ──ちょうど1年くらい前に取材で話を伺ったときには、スカイダイビングをやりたい、と。 桜田 ああー(笑)。スカイダイビングは、ずっとやりたいんです。機会があれば挑戦したい。気球にも乗ってみたいです! 二十歳を迎えて、変わったこと、変わらないこと ──去年の12月に二十歳を迎えてもうすぐ1年が経ちますけど、どうですか? 何か変わりました? 桜田 なんにも変わっていません(笑)。仕事は本当に充実した1年で、着実にステップアップしている感覚はあるんですけど、プライベートでは何も変わりませんでした。 ──たとえば、お酒を飲むようになったり……。 桜田 そうですね……お酒も本当にたまにしか飲まないので。しかも基本的に家族と乾杯することが多いです。 ──なるほど。まわりからの期待など、二十歳になって変わったと思うことはありますか? 桜田 そうですね、仕事先で、作品を観たよ、よかったよ、と褒めていただく機会が増えたと思います。すごくうれしいです。 ──あと、現在思っている(スカイダイビング以外に)今後、挑戦してみたいことってあります? 桜田 冬に「かまくら」をつくってみたいです! これまで「かまくら」をつくったことがないので、試してみたいです。家の中でやりたいことは、だいたいやってきたと思うので。連れ出してくれる何かがないと、外に出られないんです(笑)。だから「かまくら」をつくりに行きたいですね。 ──「かまくら」づくりは、けっこうコツがいるんですよね。 桜田 崩れないようにがんばりたいです。手先が器用だと思うので、できる気がします(笑)。 ──体力も……。 桜田 体力も意外とあると思うので……がんばります! ──具体的にこのあたりへ行きたいとか、考えている場所はありますか? 桜田 北海道でおいしいものを食べたいですね。特に海鮮系。 ──北海道でおいしいものを食べて、「かまくら」をつくって、気球に乗って……。 桜田 森の鳥のさえずりを聞きながら(笑)。 ──ぜひ、そういう仕事を。 桜田 お待ちしております(笑)。 ──(笑)。最後に……日常生活で気をつけていることとか、普段やっていることはありますか? 桜田 撮影中はお弁当を食べることが多いので、時間があるときは、サラダや野菜を摂取して身体のバランスを保つようにしています。睡眠にも気をつけています。睡眠不足になると肌が荒れたりするので、スキンケアや身体のメンテナンスは、ゆとりがあるときに心がけていますね。最近は特に。 ──料理とかも? 桜田 たまに自炊もします。家族が食べたいものをつくったりしています。簡単なスープをつくったりすることが多いですね。 ──いわゆる冷蔵庫にあるものを使って……。 桜田 レシピさえあれば、基本なんでも! 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=菅井彩佳 編集=中野 潤 ************ 桜田ひより(さくらだ・ひより) 2002年12月19日生まれ。千葉県出身。『明日、ママがいない』(2014年/日本テレビ)などへの出演を経て、『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』(2017年/MBS・TBS)でドラマ初主演を果たす。映画『交換ウソ日記』(2023年)では主演を務めた。現在『家政夫のミタゾノ』(テレビ朝日系/毎週火曜よる9時〜)、『あたりのキッチン!』(東海テレビ・フジテレビ)に出演中。写真集『my blue』(集英社)が11月29日に発売予定。W主演を務める映画『バジーノイズ』が2024年初夏に公開予定。
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『ミタゾノ』に新しい風を吹かせたい。女優・桜田ひよりの役づくり
#17 桜田ひより(前編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 桜田ひより(さくらだ・ひより)。『明日、ママがいない』(2014年/日本テレビ)などへの出演を経て、『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』(2017年/MBS・TBS)でドラマ初主演を果たす。近年では『卒業タイムリミット』(2022年/NHK)、『彼女、お借りします』(2022年/朝日放送・テレビ朝日)、『生き残った6人によると』(2022年/MBS・TBS)などで、ヒロイン役を連投。映画『交換ウソ日記』(2023年)では主演を務めた。現在『家政夫のミタゾノ』(テレビ朝日系/毎週火曜よる9時〜)、『あたりのキッチン!』(東海テレビ・フジテレビ)に出演中。 「focus on!ネクストガール」 今まさに旬な方はもちろん、さらに今後輝いていく「ネクストガール」(女優、タレント、アーティスト等)を紹介していく、インタビュー連載。 目次中学3年生で“役”に没入する感覚を経験作品を通して“青春時代”を擬似体験『ミタゾノ』に新しい風を吹かせたい 中学3年生で“役”に没入する感覚を経験 ──桜田さんがこの世界に入ってからの、初仕事は覚えていますか? 桜田 本当の意味で最初に行った仕事というと、詳しく思い出せないんですけど……でも小さいころから演技のレッスンに通っていて、気づいたらドラマや映画に出ていた気がします。 ──こんなふうになりたいと憧れた女優の方などはいました? 桜田 女優さん……5歳くらいから始めているので、そのころはまだ将来像まで考えることはありませんでしたね。習い事の延長のような……仕事というより、楽しいものとして、演技を楽しんでいました。 ──なるほど。経験を重ねる中で、特に印象に残っている作品はありますか? 桜田 中学3年生のときに出演した映画『祈りの幕が下りる時』(2018年)です。初めて“役”に没頭したという経験がとても印象に残っていて、鮮明に覚えています。いい意味で“役”と一体化する感覚を得ることにつながったんですけど、逆な意味では(演じていた)記憶がなくなるのは怖いなと感じたりもしました。 ──印象に残っている共演者の方はいますか? 桜田 小日向(文世)さん、お父さん役でした。とても印象に残っています。 ──まわりの反応はどうでした? 桜田 反応はスゴかったです。たくさんの反響をいただき「大ヒット御礼の舞台挨拶」にも登壇させていただいたので。本当に多くの方から、印象に残ったと言っていただけました。 ──その後もいろいろなドラマに出演されていますが、「役づくり」について、ルーティン的なものはできたりしましたか? 桜田 そうですね。役づくりの際に大切にしているのは、自分自身が、演じる役の一番の理解者であることです。たとえば、殺人鬼のような役を演じる場合、通常の感覚ではその役の行動に共感できないじゃないですか……なんでこんなことするんだろう?とか、普通の人じゃ考えられないようなことをするという。そういう非日常的な役を演じるにあたって、実際には経験したこともないし、その思考回路に入ることもできません。だからこそ、演じる役の過去や背景を想像し、役の立場や行動を理解するよう努めます。 たとえば、幼少期に何があったのかとか、どのような経験からこうなったのかとか……こういったアプローチをして理解を深めることによって、その役の立場や意味を理解できるようになると思っています。役割も明確になりますし。 ──たとえば……女子高生役やリアルな彼女の役、またはSFや架空設定の役など、それぞれ異なる役を演じる際には、どのように? 桜田 私は原作のある作品に出させていただくことが多いので、そのときは原作を入念に読み込んで、その世界に入り込むことから始めたり。あと、洋画や海外の作品も好きなので……現実離れした作品とか多いので、架空の設定にも抵抗感が薄いですし、想像力を広げることも無限大だと考えているので。なので、役づくりで苦労することはあまりありません。作品の世界にスムーズに入り込めるほうだと思っています。 ──海外の作品で、特に好きなものはありますか? 桜田 SF、ファンタジー、アクションとかすごく好きですね。 ──具体的な作品を挙げるとしたら? 桜田 ありきたりなんですけど『スター・ウォーズ』『ハリー・ポッター』『ミッション:インポッシブル』『バイオハザード』などが好きです。ほとんどアクションとSFですね(笑)。 作品を通して“青春時代”を擬似体験 ──最近では、映画『交換ウソ日記』がありましたけど、この作品はどうでした? 高校生役でしたね。 桜田 そうですね。青春ものを演じることは、自分の人生の中で限られた期間しかないと思っています。大人になっちゃうとできないし、子供すぎても難しかったし。だからこそ、今の絶妙なラインでいるからこそ、この作品が成立すると感じました。 同世代の俳優の方々と共演することは刺激になりますし、制服を着て青春ものを演じることは、高校時代や中学時代に基本的に仕事をしていた私にとって、青春を味わう機会でしたね。 ──なるほど、手応えはどうでした? 桜田 手応え……実際には試行錯誤が多かったです。作品をつくる側として、観てくださる方にどれだけキュンキュンしてもらえるかがすごく重要だと思っているので、本当に、表情の微妙な変化など、それらを監督、プロデューサー、カメラマン、そして共演者と協力してつくり込みました。けっこう緻密な計算はありましたね。 ──まわりからの反響は? 桜田 はい、ありました。特に女性のファンの方からの反応が増えたように感じました。これが初めての恋愛映画で、ヒロインを務めることになったので、ファンのみなさんもすごく喜んでくれて。 ──ご自身、映画館で鑑賞されたりとか……。 桜田 観ました! 実際に映画館に行って観ました。みなさん、意外なところにキュンキュンしてくれてたりとか……え? ここでキュンキュンするんだ、とか。私たちが演じた作品に真摯に向き合ってくれている様子を見て、とても印象に残っています。 『ミタゾノ』に新しい風を吹かせたい ──近々のドラマ出演について伺わせてください。『家政夫のミタゾノ』のオファーを受けたとき、どうでした? 桜田 シリーズとして続いている作品だったので、それに伴う責任も感じました。単にシリーズの一環として捉えるのではなく、この『家政夫のミタゾノ』という世界観に新しい風を吹かせられる機会と思い、挑んだんです。現場はすごく明るく、松岡(昌宏)さんや伊野尾(慧)さんが温かく迎えてくださったので、とても楽しかったです。 ──桜田さんが演じるのは、どのような役柄なんでしょう? 桜田 私が演じている矢口「実優」ちゃんは感情が激しくて、シーンごとに、喜び、怒り、悲しみがジェットコースターのようにコロコロ変わるキャラクターだったので、演じるのがすごく楽しかったです。「実優」ちゃんに振り回される周囲のキャラクターたちとの関係性の在り方も、この作品ならではだと思います。 ──撮影中、印象に残ったエピソードや、共演者とのエピソードはありますか? 桜田 めちゃくちゃ暑かったですし、ロケ地が全部遠かったんです。移動距離がかなり長かったので、この夏は『ミタゾノ』に捧げていたな(笑)と感じています。 ──松岡さんや伊野尾さんはどうでした? 桜田 おふたりとは、撮影の合間に本当に他愛もない会話をさせていただきました。生で見る「ミタゾノ」さんは、画面で見る「ミタゾノ」さんより迫力満点です(笑)。大きさ含めて、ぜひとも生で見てほしいって思いました。 ──放送回の中で「実優」さんが活躍するエピソードはあります? 桜田 はい、「実優」ちゃんが活躍するエピソードも、もちろんあります! あと、全編を通してなのですが、「実優」ちゃんは基本的にゲストの方々にツッコミを入れていくタイプなので……ワーッてやっている中に、ポンポンおもしろいツッコミを入れたり、物語が進行する中で瞬時におもしろいツッコミを考えたり、テンポを崩さずにセリフを言う必要がありました。このリズムを崩さないようにしたり、「実優」ちゃんのツッコミが笑いを誘導できるようにバランスを取ることは、今回の撮影で難しい部分でしたね。 ──今回、初めて『家政夫のミタゾノ』を観る方にとっての見どころは? 桜田 やっぱり「ミタゾノ」さんが存在することによって、作品内の謎が次第に明らかにされていく過程が楽しいところです。それと、登場するゲストの方々が、本当にこんなにやっちゃっていいんですか?っていうくらい、もうハチャメチャに作品の中で暴れてくださっているので、その中に、合いの手を入れていく「実優」ちゃんだったりとか。うまくお茶の間に笑いを届ける役割を果たせていればいいなと思います。 ──特に印象に残っているエピソードはあります? 桜田 やっぱり第1話は印象的でした。私自身も初めて『家政夫のミタゾノ』の世界に入った瞬間でしたし。第1話では、ゲストとして松本まりかさんが登場して(演技的に)暴れ回っているパフォーマンスがすごく印象深かったです。さすがだな、と。その空気感をベースに『家政夫のミタゾノ』の世界観へ、私も一気に入り込むことができました。 ──ありがとうございます。各エピソードとも、楽しみです。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=菅井彩佳 編集=中野 潤 ************ 桜田ひより(さくらだ・ひより) 2002年12月19日生まれ。千葉県出身。『明日、ママがいない』(2014年/日本テレビ)などへの出演を経て、『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』(2017年/MBS・TBS)でドラマ初主演を果たす。映画『交換ウソ日記』(2023年)では主演を務めた。現在『家政夫のミタゾノ』(テレビ朝日系/毎週火曜よる9時〜)、『あたりのキッチン!』(東海テレビ・フジテレビ)に出演中。写真集『my blue』(集英社)が11月29日に発売予定。W主演を務める映画『バジーノイズ』が2024年初夏に公開予定。 【インタビュー後編】
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“恐竜推し”女優の山谷花純、3度目の朝ドラ出演への思い
#16 山谷花純(後編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 山谷花純(やまや・かすみ)。オーディションを経て、ドラマ『CHANGE』(2008年/フジテレビ)で女優デビュー。2015年『手裏剣戦隊ニンニンジャー』(テレビ朝日)に“モモニンジャー”役として出演。女優としてドラマ、映画への出演を重ね、主な出演作は映画『劇場版コード・ブルー ―ドクターヘリ緊急救命―』(2018年)、映画『フェイクプラスティックプラネット』(2020年)、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022年/NHK)、『親友は悪女』(2023年/BSテレ東)など。現在、NHK連続テレビ小説『らんまん』に“宇佐美ゆう”役として出演中。後編では、最近の仕事からプライベートまでを伺った。 インタビュー【前編】 目次「悪女」を演じて、気づいたこと3回目となる朝ドラへの出演好きな恐竜は、スピノサウルス 「悪女」を演じて、気づいたこと ──最近のお仕事について伺いたいのですが、『親友は悪女』で主演されていましたね。不思議というか、独特な役で……まるで原作からそのまま抜け出てきたような空気感で演じられていました。 山谷 そうですね。本当にみんなから「意地悪」って言われて! 「性格が悪そう」とも(笑)。 『親友は悪女』ではダブル主演ということもあり、役づくりにおいては相手役との関係性を重視しました。もし私ひとりが主演だったら、違ったアプローチをしたかもしれません。でも、ダブル主演という表記がされていたことから、お互いに強く叩かれなければ受けきれない部分もあると考えました。私が弱かったら(「堀江真奈」役を演じる)清水くるみさんの苦しみも立たないだろうなと。相手をかわいそうと思わせなければ、私も活きてこないだろうと思いましたし。それならば、容赦なくやったほうがお互いにとってすごくいいだろうなと思って、けっこうひどいことをしましたね(笑)。 もちろん負けたくない気持ちもありましたが、お芝居は相手のために行うものだと思います。ただ、私がパンッと叩くとき、叩かれた側も痛いですし、叩く手も痛い。だから、撮影中は家に帰ってくると疲れがどっと出てましたね。叩くことの痛みを実感しました。ちょっと時間が経ってから、自分が疲弊していたことに気づく。 ──ダブル主演……なるほど。それは考えたことがありませんでした。 山谷 ある意味、親友関係や、いじめられっ子いじめっ子などの作品は、お互いが弱かったり強かったりしないと成立しないんじゃないかと思います。 ──伝わりにくいかもしれませんが、プロレスのような感じですかね? 山谷 まさにそんな感じです(笑)。格闘技のような感覚。 ──まわりの感想は、どんな感じでしたか? 山谷 親からは、「すごく嫌な子だねぇ」って言われたり、「そんな娘に育てた覚えはないよ」と言われたりしました(笑)。でも「強い役が似合うね」とも言われます。実は、読んだときに共感したのは清水くるみさんが演じた役のほうでした。撮影が終わって時間が経つと、私が演じた「高遠妃乃」と共通する部分も少しずつ見つかってきて、実は承認欲求が強い部分や負けず嫌いな部分が似ているのかもと気づきました。 3回目となる朝ドラへの出演 ──なるほど。次に『らんまん』についても伺わせてください。役柄については、どうですか? 山谷 長屋の住人という設定で、たくさんのキャストがいる中で、自分がどのようなバランスを取って存在感を出していくか、台本を読んだときに考えました。長屋にはワケありの人が多くて(笑)、皆さまざまなものを抱えて十徳長屋にたどり着いたという背景があります。 私が演じる「おゆう」さん(宇佐美ゆう)は、恋愛や異性へのバックボーンを抱えて唇を噛みしめながら生きてきた強い女性です。物語の中で(「おゆう」さんが自らの)過去をオープンにする回があるのですが、そのときには絶対にかわいそうと思われたくないと思いました。脚本家の長田育恵さんは、女性から見てもかっこいいと思える女性を描くのが得意で、素敵な言葉で物語を紡いでくださるので、その世界に恥ずかしくない存在でありたいと思いました。どんなに悲しいことがあっても、私はその過去を抱きしめながら、明日を生きているし、今は笑っているんだよ、それが幸せだと思うんだという気持ちを視聴者に届けたいと思い、役作りに取り組んでいます。地に足をつけて踏ん張ることだけを意識していますが(笑)、自分の中の強い部分や負けず嫌いな部分にも意識を向けながら、役に向き合っていますね。 ──連続テレビ小説(朝ドラ)は何回か経験していると思うのですが、作品によって現場に違いがあったりしますか? 山谷 最初のころの『おひさま』(2011年)の記憶はほとんどなくて……。『あまちゃん』(2013年)の現場のことは、うっすらと覚えています。ただ、そのときは作業着を着ることができてうれしかったという記憶くらいで(笑)。海女(あま)の学校に行って「じぇじぇじぇ!」って言えるみたいな(笑)。海女のダンスを踊るのが大変だったとか、そういう部分的な記憶はありますが、具体的に何が起きたとか、話したことはほとんど覚えていません。 ──では、今回の『らんまん』で、しっかりと朝ドラの現場を経験されたという……。 山谷 そうですね。当時(『おひさま』『あまちゃん』の撮影時)は、まだ中学生や高校生で、お仕事という感覚がそれほど強くありませんでした。好きなことをしているだけで、習い事のような感覚でお芝居をしに行っていました。だからこそ、今になって朝ドラの現場での撮影方法や進行の仕方などを初めて経験するような感じなんです。 ──『らんまん』の撮影中に、共演者の方々とこんなことをしているみたいなことは、何かありますか? 山谷 将棋をやっていましたね、子役の子と。将棋は年代を問わず楽しめるゲームだし、大人も一緒に遊べるんだなと。それと、この作品は明治時代の設定なので、撮影現場に金平糖とかあやとりがあったりするんです。カメラが回っていないところでも、みんなが着物姿で金平糖を食べている様子は素敵です(笑)。渋谷のど真ん中で、スタジオに来るまではセンター街を抜けてくるのに、スタジオに入ったら着物姿になってかつらをかぶり、下駄を履いて……みたいな。で、撮影が終わると、またネオン街を抜けて駅へ向かう。不思議な感覚です。でも、それもこの仕事の楽しさのひとつだと思います。 ──たしかに。楽しそうな現場ですね。『らんまん』での山谷さんのココを見てほしいという、見どころをぜひ。 山谷 人間は失敗を重ねて、今があるんだと思います。その中で、悔いていることがたくさんあると思うんです。でもそれでも乗り越えて、たとえわずかな後悔があったとしても、「悔いていないよ。今が一番楽しいし、あのときに戻れるなら同じ道を選ぶ」と言えるような「おゆう」さんの姿を見てほしいです。 好きな恐竜は、スピノサウルス ──ありがとうございます。プライベートも少し伺いたいのですが、最近ハマっていることは何かありますか? 山谷 最近はインドアを卒業しようと思っています。去年までは映画を観たり、本を読んだり、マンガを読んだりと、すべてを家の中で楽しむことに没頭して、インドアを極めようとしていましたが、さすがにそれは不健康だなと思って。最近は散歩をしたり、コーヒーを片手に外で過ごすこともあります。 あと、もう一度恐竜にハマってみようと思って! 子供のころから恐竜や動物が大好きで、絵本を読んでもらうよりも、図鑑を見せてもらって育ちました。おばあちゃんと一緒に、図鑑の中の恐竜で物語を作る遊びをずっとしていました。最近はそれを思い出して、恐竜の映画やアニメも、改めて楽しんでいます。恐竜展にも行って、子供のころと同じ気持ちになりました。本物の恐竜が存在していたことを再確認して、いつか本物の恐竜に会えるかもしれないと思ったり。久しぶりに仕事を忘れて楽しむ時間を取り戻せて、リフレッシュできたのはとてもよかったです。 ──恐竜展というのは、恐竜の骨が飾られている展示ではなく……。 山谷 いや、飾ってました。本物の。 ──最近よくある、ロボット的に動くやつではなく? 山谷 私、恐竜の骨が好きなんですよ(笑)。恐竜の保存状態が素晴らしく、皮膚の断面なども残っているんです。最近は新種の「ズール」という恐竜が日本に来ていて、それが目玉でした。本当に存在していたことを実感できて、とても楽しかったです。 ──恐竜に関しては、途中で新たな発見があったりしますよね。実はカラフルだったとか。 山谷 そうです、そういう発見もあります。恐竜にヒレがあったのではないかとか、水陸両用だったのではないかとか、爪の長さとか、いろいろ。 ──それを、まわりの方とも話されるんですか? 山谷 ほとんどの人には共感されないですね(笑)。ただ、山谷家では姉妹そろって恐竜が好きだったので、マンモスとか、古代のモノとか……家族の中では盛り上がります。 ──おすすめの恐竜は先ほど言っていた「ズール」? 山谷 いや、私のおすすめはスピノサウルスですね。ゲラノサウルスとライバル関係にあったんですよ。スピノサウルスはティラノサウルスよりもシュッとしていて、ゴツくはないですが、爪が鋭かったり。 ──……肉食? 山谷 肉食です(笑)。この前、恐竜展に行ったときにフィギュアが売られていて、つい買っちゃいそうでしたが、まだ早いかなと思って我慢しました。 ──いずれは……? 山谷 私は熱しやすく冷めやすい性格なので、一瞬で手に入れてしまったら冷めてしまうだろうなと思って、我慢して帰りました(笑)。 ──なるほど。インドアのほうについても伺いたいのですが、WEB(『smart Web』)で映画評の連載(「All IS TRUE」)をされていますよね。ご自分で執筆したり、俳優の吉田鋼太郎さんや、のんさんとの対談をしたりというのは、本職の仕事とは違う経験だと思いますが、実際にやってみてどうですか? 山谷 いやぁ、難しいけど楽しいですね。すごく新しい挑戦です。 ──もともと、執筆などの表現も好きだったりします? 山谷 私は文章を書くのがとても好きで、小さいころから作文が大好きでした。国語のテストの「この作品を読んだ感想を述べよ」という問題でも、私の回答はたいてい独創的すぎて「×」になってしまうんです。感想を述べたのになぜ×をつけるのかと抗議して○をもらったこともあります(笑)。本当に生意気な小学生でした。ただ、文章で表現することは、演技のときには言葉で表せない表情や感情を、文字で表すということにもつながっていて。うれしい気持ちひとつ取っても、どのようにうれしかったのか、何を伝えたいのか、どのような文章にしたら相手がすんなりと気持ちを理解してくれるのか……そういうことを考えて、表現方法を工夫することがとても楽しいです。 ここのところずっと小説を読むことを怠っていたんですが、年明けから読書を復活させて、いろいろな作品を読んでいます。作家さんによって言葉の使い方や文章の組み立て方が違うので、参考にもなります。 ──最近読まれた小説で、これは!という作品はありますか? 山谷 湊かなえさんの『絶唱』(新潮社)です。ちょうどこのあいだ読み終わったんですが、阪神・淡路大震災とトンガ王国という国を絡めた物語で、善意の二面性や被災者への思いなどが描かれています。湊かなえさんは登場人物の視点を分けて描くので、一冊の本でも短編集を読んでいるような感覚になって、私はとても好きですし、素敵だなと思います。 ──山谷さん自身が出演された映画の原作『告白』(双葉社)も読まれたんですね。 山谷 もちろん、大好きです。『告白』も大好きですし、『母性』(新潮社)もとてもおもしろかったです。 ──その『告白』での学生役など、今までいろいろな役を演じてきていますが、今後やってみたい役柄はありますか? 山谷 そうですね、準備してから挑まないといけないような、役職的な役に挑戦してみたいと思っています。今までは患者の役など、お世話をしていただく……何かエピソードを持ってくる役が多かったのですが、ちょっと年齢も上がってきたこともあり、医者や弁護士など、さまざまなゲストを受け止める役に挑戦してみたいと思っています。 何度も病気をして手術を受けた役を演じたことはあるのに、医者として手術着を着たこともないんです。たぶん専門用語もたくさんあって大変だと思うんですけど、しっかりと勉強し準備をして役に入る経験をしたいと思っています。 ──楽しみにしています。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=永田紫織 編集=中野 潤 ************ 山谷花純(やまや・かすみ) 1996年12月26日生まれ。宮城県出身。オーディションを経て、ドラマ『CHANGE』(2008年/フジテレビ)で女優デビュー。2015年『手裏剣戦隊ニンニンジャー』(テレビ朝日)に“モモニンジャー”役として出演。女優としてドラマ、映画への出演を重ね、主な作品は映画『劇場版コード・ブルー ―ドクターヘリ緊急救命―』(2018年)、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022年/NHK)、ダブル主演を務めた『親友は悪女』(2023年/BSテレ東)など。2019年『フェイクプラスティックプラネット』で、マドリード国際映画祭2019「最優秀外国語映画主演女優賞」を受賞。現在、NHK連続テレビ小説『らんまん』に“宇佐美ゆう”役として出演中。
エッセイアンソロジー「Night Piece」
気持ちが高ぶった夢のような夜や、涙で顔がぐしゃぐしゃになった夜。そんな「忘れられない一夜」のエピソードを、オムニバス形式で届けるエッセイ連載
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自分の好きな場所にいたかった。小さな書店で過ごす夜(石山蓮華)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 石山蓮華(いしやま・れんげ) 1992年、埼玉県出身。電線愛好家・文筆家・俳優。日本電線工業会公認・電線アンバサダー。テレビ番組『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)や、映画、舞台に出演。著書に『犬もどき読書日記』(晶文社)、『電線の恋人』(平凡社)。TBSラジオで毎週月曜〜木曜14時から放送中の『こねくと』にメインパーソナリティとして出演中。 早稲田にある小さな書店の閉店時間は24時だった。 算数のできない私がレジ締めの係になると、同じシフトの人はいつまでも帰れない。 バイトの先輩である学生さんに「石山さん、そろそろできましたかー?」と言われ、「できてる気がするんですが……ちょっとエラーが出てしまって……」と、まじめにやっている感だけでも受け取ってほしく、もごもご言った。私だって帰りたかった。 20代半ばのころ、同棲相手に家賃を払ってもらっていた。レギュラーのお仕事でもらえるギャラを所属事務所と分配し、手元に入る金額をロケの拘束時間で時給換算してみると、最低賃金は豪快に割っている。行き倒れにはならないが、ひとり暮らしは見込めない私の稼ぎ。それでも外で酒を飲み、悩んで悩んで服を買い、収支の合わない暮らしをしていた。 同じ番組に出演している華のある女の子たちはテレビに出ているときもそうでないときも小綺麗な格好をして、デパートで売っている化粧品をそろえ、カフェでは1500円のプレートに700円のスムージーをためらわず頼んだ。 私は借り物の衣装を着ていないときは、古着屋で買った服をよく着ていた。テレビに出るときにしか使わない化粧下地を買うのが面倒だったので、テレビ局のメイク室でいつも同じ下地を借りていた。カフェでブレンドコーヒーを頼むのは、おかわり無料だからだった。マネージャーさんからは、苦学生のようだと言われていた。 同じ仕事をしているはずなのに、まわりの人はなぜ優雅なのか、私にも優しいのか、こんなにキレイなのか、近くで見ても不思議でうらやましく、どうしたって同化できない。 「れんちゃんは個性的だね」と言われても、私が選べるものを選んだらこうなっていた。 本が好きな人は、本も書店も書店員のこともかっこいいと思っていると、私は思っている。 この本が欲しいんですと在庫を聞くと、その本がある棚まで案内してくれる。こんなにたくさん本が並んでいるのに、どこにどの本があるかすぐわかる。きっと新刊本も名作本もちゃんと読んでいるのだろう。優雅な女の子になるのは、仕事で頼りになる先輩の実家が田園調布にあると聞いたときからあきらめていたが、私もできる範囲でかっこいい人になりたい。それに、アルバイトでいいから自分が好きな場所にいたかった。 近所の書店でバイト募集の貼り紙を見つけ、いそいそと電話をかけ、面接を受けた。夜遅いシフトに入ればちょっと時給が上がるし、日中はロケやオーディションにも行ける。店に入ってすぐ右隅に設置されたレジの前に立ち、本に挟まれた短冊形の売上スリップの整理をしたり、レジ打ちをしたり、棚の整理をしたりする書店員さんにずっと憧れていた。バイトを辞めて何年も経つ今だって、書店員さんに憧れがある。 店長もバイトの同僚もみな親切で、少しずつ仕事も覚え、自信を持って店に立てるようになった。お客さんがいないときは、文庫やハードカバーなどにかける紙製のブックカバーを折る。レジ横の黒いペン立てにはブックカバーを折るときに使うためのマーカーペンが差してあった。このマーカーを麺棒のようにスライドさせると、不器用な私もまっすぐな折り目をつけられる。そのカバーには赤いインクで象の絵が印刷されていて、店に並んだ深緑色の棚と補色になっているのがおしゃれで気に入っていた。 月に何時間かのささやかなシフトではあったが、そのバイト代によって店で本を買い、近所の喫茶店でコーヒーを飲むというささやかな貴族暮らしが楽しめた。この貴族は、鳥貴族にいる貴族である。 調子に乗って口座のお金をすべて使い、奨学金の引き落としができずに催促の電話がかかってくることもあった。今年やっと返済できたけれど、借金をせずに大学まで行ける国でやっていきたかった。 木曜の夜、いつもひとりでしゃべりながら雑誌のコーナーを眺めていく人、マンガの新刊を発売日に買っていく人、親と一緒に付録いっぱいの雑誌を持ってくる子、私が読んだことのない翻訳小説を買っていく人。街の本屋にはいろいろな人が来る。本屋が好きだし、本屋に来る人も好きだった。お客さんが買った本を見て「私もこの小説、好きですよ」と思う。口に出すのはやりすぎなので、教わったとおり接客する。 ある日、お客さんにささいなことで怒鳴られた。ほとんど同い年くらいに見えるその人は、私が謝っても「謝り方が悪い」とスマホのレンズを向け、さらに謝罪を要求した。私は頭を下げながら、顔が熱くなり、手は冷たく、足は震えた。内線で呼び出された店長と深々謝り、その人は帰っていった。 涙が出てもシフトは続く。そのままレジに立っていたら、店中のお客さんが本やボールペンなどを買って「大変だったね」と次々に声をかけてくれ、私はまた深々と頭を下げた。「私は池袋のジュンク堂で働いているのでわかります。いろんな人がいますから」と伝えてくれた人は本を買ったあとにすぐまた店に来て、「プレゼントです」と包装紙に包まれた分厚い本をくれた。聖書をもらったのは、あとにも先にもこの一度きりだ。 閉店時間の少し前に、同じシフトのバイトさんが有線放送を「蛍の光」に変える。 黒いノートパソコンの画面に、レジ締め用のエクセルが表示されている。その日の売り上げを記入する大事な作業。まさに帳尻合わせだ。 私は算数が苦手だ。年下の先輩バイトさんは人並みの計算能力があり、私より早く正答が出せる。代わりにやってくれればいいのにと思ってはいるが、口には出せない。私がレジ締め係になってしまっているので、これはやるまで帰れない。それに、この作業自体はもう何度も教えてもらっていて、覚えられない私がいけないのだという申し訳なさがある。 その日の閉店時にレジにあるお札や硬貨の枚数を数えることそのものは案外難しくはない。細長いコインサイズのくぼみに硬貨をはめ込んでいくだけで、何枚分重なっているかを教えてくれる親切な道具があるからだ。 並んだ表のコマをにらみ、数を数え、電卓で計算し、これっぽい、きっとかなりの確率でこれだという数字を入れ、エラーが出て、計算し直し、また数字を入れてみて、エラーが出なければよしとして帰る。 バックヤードで待っている先輩に「遅くなってすみません」と謝りながら、店の電気を消し、鍵を閉め、閉じかけたシャッターの隙間をくぐって外へ出る。この時間、開いている店はあまりない。お疲れ様でしたと声をかけ、坂道をのぼって家へ帰った。 文・写真=石山蓮華 編集=宇田川佳奈枝
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蕎麦屋で見つけた安らぎ、運命を感じた夜(葉山莉子)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 葉山莉子(はやま・りこ) 1993年東京生まれ、東京育ち。2022年より執筆活動を行う。ティンダー上で交わされた日記をまとめた『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』(タバブックス)を刊行。美術館によく行く。 instagram:@nikki.tin X:@n_i_kk_i_tin その夜、彼はわたしが残した海老の尻尾を取り上げた。そのとき、この人ならば安心して自分を見せられるかもしれないと思った。 運命、なんて言葉と恋を安易に結びつけてしまうのはあまりにも安っぽい。けれど、彼がわたしの目の前に現れたときに、わたしは運命という言葉を使わざるを得ないほど、何か得体の知れないものを感じた。全身の細胞が湧き立っていくような、そんな高揚を感じた。 その出会いは突然のことだった。わたしにとって彼は別世界の人で、わたしに興味を持つなんてそんなことは考えられなかった。想像するのも、馬鹿馬鹿しく思えた。だから、そんなふうに感じたのは自分だけだったに違いないと思い、即座にその気持ちを封印した。一瞬の出来事に舞い上がってしまっただけだと、自分に言い聞かせた。 けれども、彼は軽々しく、わたしの前に手を差し出した。わたしはおっかなびっくりしながら、その手を握ると、ふわふわとわたしを連れ出していった。その展開はあまりに早く、思考を挟む余地がなかった。この波に身を任せたいと思った。彼のことを警戒していたはずなのに、あのときの直感がわたしだけのものではなかったと信じてみたいと思ってしまった。彼がどう思っていたのかはわからない。けれど、彼のまなざしから向けられる好意、それが確かなものであってほしいと願っていた。 その夜は、何度目かのデートだった。出会ってから日も経たず、なにかと理由をつけてしょっちゅう会っていた。今日も昨日からずっと一緒にいるのに、解散するのが惜しくなってしまっていた。こんなにも一緒にいたら、早々に飽きられてしまうんじゃないかとわたしは不安になって、今日は帰ると彼に何度か切り出した。でも、帰らなければならない理由はなく、彼はそのたびわたしを引き留めた。結局帰らないまま夜になった。だから、夕飯を食べよ、という彼の提案に乗って、彼が運転する車の助手席に乗った。 わたしたちはお店を探すことにした。でも、場所がよくないのか、Googleマップを開くと、近くの店はもうすでにラストオーダーを終えていた。どうしようかと言いながら、お店を探す。だけど、話が脱線してけらけらと笑っているうちに、どこまでも夜が引き伸ばされていく。彼のお気に入りの音楽をかけながら、無闇に夜の道をぐるぐると回る。わかっている。本当は離れがたくて、わたしはお店なんか探したくなかったのだ。 しばらくして、彼があっと声を上げた。あそこに行こうと言って連れていってくれたのは、お蕎麦屋さんだった。モダンで天井の高いおしゃれな店内。広々とした店内に、親子連れとカップルが何組かいる。わたしたちは隅の席に通された。 恋をすると、わかりやすく食欲がなくなるわたしは、普段ならぺろりと平らげてしまうはずの天せいろを食べきれるかどうかで悩んでいた。「じゃあ天ぷら盛り頼むから好きなのだけ食べなよ、余ったの食べるから」と彼が提案して、天ぷら盛りとわたしはせいろ、彼は鴨南蛮を頼んだ。 その日一日を通して、彼の様子はいつもと少し違っていた。いつもの彼は、はつらつとした、気ままな自由人で、大好きな人や物に囲まれている生活を楽しげに話した。けれどその日はなんだか元気がなかった。「俺なんか」と口にして、背中を小さく丸めた。彼の中にある弱さや寂しさを感じた。これまで見せてくれていた元気さは仮のもので、これが本来の彼なのだろうと思った。その片鱗はずっと感じていた。それも含めて彼なのだから、わたしは彼のことをもっと知りたいと思った。 蕎麦を待っている間、彼は怖いんだと話した。その怖さは具体的な恐怖ではなく、彼の前に立ちはだかっている形のない恐怖のように思えた。それがなんなのか、彼もはっきりと理解してはいないのかもしれない。途方もない暗さに自分自身が覆われてしまうことがあるのだろう。初めて見た彼の姿に不安になった。わたしはそんな恐怖を抱える彼を理解できるだろうか、ちゃんと受け止められるだろうか。どんな表情で彼を見たらいいのかわからない。わたし自身もその覚悟が決まったわけではなかったけど、その放り出された彼の手をわたしは握りたくなった。その手の温かさに安心した。同じように安心してほしかったのだ。彼もゆっくり握り返す。そして、所在なさげにぽつりぽつりと彼はまた話し始めた。彼を見つめる。こういうときに人は愛おしいと感じるのだなと思った。 そんなふうに見つめ合っていると、蕎麦が届く。テーブルで手を握り合っているのを店員さんに見られて、恥ずかしくなり、ふたりでパッと手を離した。気まずそうにふたりで笑う。バカップルだと思ってもらえるといい。 そして、わたしも彼に初めて自分の家族の話をした。これまで誰にも言ったことはなかった。いや、あったけれど、自分の心の重荷になっている問題として、誰かに打ち明けられたことはなかった。話している間、体が緊張して、蕎麦をすすり上げる手の震えが止まらない。口の中で蕎麦がぼろぼろとほぐれ、うまく飲み込むことができない。どのように話していいかわからず、口が回らなくて、言葉が途切れ途切れになる。 その灰色の麺と深い赤茶のつゆに視線を往復させながら、わたしはボソボソと話していた。ふと見上げると、自分の話をしているとき、虚ろだった彼の目が温かい視線に変わっていた。彼がそのときなんて言ってくれたのか、わたしは覚えていない。だけど、そのまなざしで、自分を受け止めてもらえた気がした。 そのとき、彼が皿の端にあった、わたしが食べ残した海老の尻尾を取り上げて、バリバリと音を立てながら食べた。大げさに口を動かして、ニコニコと子供がおどけるみたいに笑う彼は、いつものはつらつとした彼だった。 実はわたしも普段は海老の尻尾まで食べている。だけど、あまり上品ではないから彼の前ではそれを控えていたのだ。だけど、この人の前ならそんなこと気にしなくてもいいのかもしれない。彼になら、本当の自分を見せてもいいのかもしれない。そう思えた。 わたしが「おいしい?」と尋ねると、彼はうれしそうにうなずく。お互いが抱えていた緊張が解けていく。この人のこと、信じてみようとわたしはこの夜に決意したのだった。そんなわたしの決意をよそに、彼はまだ海老の尻尾を咀嚼する。 次に彼と天ぷらそばを食べるときには、わたしは堂々と海老の尻尾を食べよう。2本あったならば、1本ずつ分け合おう。バリバリと音を立てながらふたりで尻尾まで食べよう。そう、心に誓った。 けれど、わたしと彼が天ぷらそばを食べることはもうないのかもしれない。わたしが感じた運命とやらはどうやらまやかしだったようだ。なのに、うっかり海老の天ぷらを頼んでしまうたびに思い出してしまう。だから、わたしはそのたびにバリバリと海老の尻尾を飲み込む。喉に刺さった生々しい傷が癒えていくように、思い出へと着地させるため、わたしはそれを飲み込み続ける。 文=葉山莉子 写真=Cho Ongo 編集=宇田川佳奈枝
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世界の中心が変わった、子猫が来た日の初めての夜(若菜みさ)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 若菜みさ(わかな・みさ) 2001年3月8日、長野県産まれ。2016年、SMAオーディション「アニストテレス」ファイナリスト。2021年よりフリーで画家として活動を開始、2023年5月に初の個展を開催。現在は総合24万人のフォロワーを抱え、自身のコラムや動画発信など幅広く活動を行っている。 Instagram:neko_ne_ko1/ misa_art38 X:@Neko_ne_ko1 人間は自分のことを人間と信じてやまず、まさか自分が宇宙人だとは疑いもしないのだろう。 動物から見たら、この世で最も摩訶不思議なのは人間という生物の存在であり、その姿はまさしく宇宙人そのものであると私自身は感じる。 今から書くのは3年前の5月、子猫を迎えた夜のことだ。 その日は、家の近くにあるビリビリに破壊されたカラーコーンも、営業しているところを一度も見たことがない歯医者も、なにもかもが私に拍手と歓声を送ってきているようであった。 家族を迎えるということが、これほどまでに光を帯びることだとは想像もつかなかった。 家に到着したのは20:00ごろだった。 ほんのり肌寒く心地のいい、夏の序章の最中にいた。 いつもよりもドアを静かに開け、できるだけよけいな音を立てないように靴を脱いだ。 リビングに着くなり、子猫を入れたバッグをなるべく傾かないように肩から降ろし、そっと床に置いた。 「大丈夫だよ」と声をかけながら、ファスナーのつまみを静かに、丁寧に、ゆっくりと横にスライドさせた。 だんだん奇妙な緊張感が走り始めた。 人を上げることは一切ない部屋に、子猫が解き放たれる日が訪れるとは。 あまり近くにいないほうがいいかもしれないと思い、子猫が出てくるまで少し離れた距離から見守ることにした。 それでもしばらく出てくる様子がなく、相当おびえているのだと察した。それはそうだろう、私だったら急に巨大生物の家に到着したら死を覚悟する。 のちに「スンスン、スンスン」と音が聞こえ始めた。 子猫は大きな目で周囲を確認しながら、バッグから体を出し、ゆっくりとおぼつかない足取りでフローリングの上を歩き始めた。 「よちよち」という効果音がこれほどまでにマッチする光景を見たことがあっただろうか。 肉球の色は柔らかなピンクで、全身を覆う毛は幻のように白かった。 子猫のまんまるな眼は、いかにその魂が純粋であるかを私に魅せつけてくるようだった。 部屋に落ちていた私の服が気に入ったのか、ピンクの鼻先をぴくりぴくりとさせながら何度も匂いを嗅ぐ、かと思ったら突然奥歯でギシギシと噛み始めた。 なんてかわいくて、意味不明なのだろう。 困惑と興味のせめぎ合いの中で、何から手をつけるべきかわからない様子にも見えた。 嗅いでは、飽きたかのように次の物を嗅ぎ、また飽きた様子で別の物を探す。 このときは、まさかそれが猫のスタンダードであるとは想像もできなかったのである。 2時間も経つと、子猫はだいぶなれなれしくなった。まるで最初からここに住んでいたかのような態度で、私が招かれた側なのだと錯覚をするほどであった。 腹を仰向けにして寝転がったり、イヤホンを破壊したり、思い出したかのようにトイレをし始めた。 本来ならイヤホンが壊れることは嫌だが、そんなことがどうでもよくなるほどに猫のすべての行動がおもしろく、怖いほどに魅力的だった。 尻尾がふにょん、ふにょん、と動いたり、時々耳がぴくっと横に傾く。すべての動作には同じ地球に産まれたとは思えない違和感があった。 そもそもなぜこんなに小さいのか、なぜこんなにかわいいのか、その尻尾は自分でかわいいとわかっているのだろうか。 愛おしいという気持ちは、時間をかけずとも案外すぐに湧くものなのだろうか。 そういえばこの子はまだ生後2カ月だ。 地球の姿も知らないのだろうし、世界のことも何も知らないはずだ。 この場所は私にとっては家、しかしこの子にとっては世界のすべてになるだろう。 5畳の部屋は世界にしては狭く、薄暗く、なんだかものすごく寂しい。ベッドと、キッチンと、トイレ以外に何もない。牢屋に少し課金したような部屋だ。 この子が、もっと広い部屋で走り回ったり、ゴロゴロしたりする姿を単純に見てみたいと思った。喜んでくれるかわからないが、生き生きとした姿を見られれば誰よりも私が満足するだろう。 その日の夜、ベッドでアニメを観ていた。 すると子猫が私の膝の上に乗っかってきて、すぐに小さな寝息が聞こえてきた。 私の膝の上で安心してくれているのだろうか。なんだか愛おしさとうれしさと視覚的なかわいさとで、壊れそうなくらいに気持ちが高まった。 脚に変な感覚が走った。 同じ体制で座っていたせいで、脚と腰に絶妙な痛みと不快感を感じ始めた。 じわじわ、と何かが骨を蝕んでいくような、鈍い不快感だった。次の瞬間ズキーン!と強い痺れが身体中を巡った。 私が動けば子猫が起きてしまう。 今日は一日疲れただろう、ようやく眠れたのに私の都合で起こすことはできなかった。痺れた足腰から意識を逸らして、そのままじっと耐え続けた。 ふと、おかしな気持ちになった。 自分の足腰のことよりも、この子にいい夢を見てほしいと思う気持ちが優先しているではないか。あんなに自己中心的だった私が、自分ではない何かを想って、しっかりと遠慮しているのだ。 そのとき、私は私が自覚している以上に大切な何かを得たのではないかと感じた。 それがたまらなくうれしくもあり、偉大な力のようで怖くもあった。 カーテンをめくって窓を見ると、外はもうすっかり深い夜の色になっていた。 いつもならば、ひとりで考え事ばかりしてしまう窮屈な夜を過ごして、朝が来そうになると焦り始める、むごいルーティンがあったはずだ。 その晩、小さな部屋の中で夢を見た。 それは幻想や無自覚に見る夢などではなく、子猫とのこれからの生活や、未来を自分の胸で描いた、本当の夢だ。 おやすみ、と明日も明後日も、1年後もこの子に伝えることができて、一緒に朝を迎える未来が今日この瞬間から始まったのだ。 ダイヤモンドのような夜だった。 あれから3年が経った今、もう1匹家族が増えて、ずいぶんと愉快になった。 朝は猫たちが暴れる音が目覚まし時計だ。 そしてこれを書いている現在、猫が「なぜ、撫でない?」とわかりやすく苛立った目でプレッシャーを与えてきている。 猫、君たちにとって私たち人間はどんな存在なのだろう。宇宙人か、大きな猫か、親か。 魂の大きさや、脳の仕組みが違っても、幸せを共有し、感情を伝え合うことはじゅうぶんに可能だと猫が教えてくれた。 きっと我々は人間同士であっても、本質的には宇宙人同士なのだろう。 私にとって君たち猫は、宇宙生物である。 猫が宇宙生物なら、私たち人間も宇宙生物であるはずだ。 文・写真=若菜みさ 編集=宇田川佳奈枝
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~
人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など──漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記
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バカにされても突き進む、カッコいい男の“生き様”を描く──湊寛『無理しない ケガしない 明日も仕事! 新根室プロレス物語』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 “新根室プロレスは競技を見せているのではなく生き様を見せている” 『無理しない ケガしない 明日も仕事! 新根室プロレス物語』は、北海道文化放送によって制作されたドキュメンタリー映画で、北海道根室市で活動する「新根室プロレス」を追った作品だ。 新根室プロレスは、おもちゃ屋を営むサムソン宮本を中心に地元のプロレス愛好家たちが集まって2006年に旗揚げされたアマチュアプロレス団体だ。所属メンバーは地元の会社員、漁師、酪農家、派遣社員など日々を生きる社会人ばかり。 創設者であるサムソン宮本は「無理しない ケガしない 明日も仕事!」を、モットーに掲げている。 本映画では新根室プロレスの活動の軌跡と、創設者であるサムソン宮本が平滑筋肉腫(※癌の一種)と診断され、55歳の若さでこの世を去るまでの生き様を主軸として描いている。 プロレスといわれて世の中の人は何を思い浮かべるのだろうか。私は恥ずかしながらプロレスという文化に疎く、バラエティ番組で目にしたことがある毒霧やパイプ椅子の映像から「なんかよくわからないけど痛そうだから見たくない」とさえ思っていた。しかし安心してほしい。新根室プロレスは“エンタテインメント全振り”だ。サムソン宮本が「老若男女誰でも楽しめるプロレスを目指す」と発言しているように、新根室プロレスは思わず笑顔になってしまうようなおもしろさを売りにしている。 所属するメンバーも、レジェンドプロレスラーの「アンドレ・ザ・ジャイアント」にちなんだ、身長3メートルの「アンドレザ・ジャイアントパンダ」、同じくレジェンドプロレスラーの「ハルク・ホーガン」にちなんだ豊満な体型の「ハルク豊満」など、くすりと笑えるものばかり。 サムソン宮本は、ロープ渡りを失敗してお股にロープが直撃……なんていう、コミカルな動きで観客を笑わせる。必殺技も“相手の頭をパンツの中に突っ込む”とか“カンチョー”とか、とても上品とはいえないものばかり。サムソン宮本の娘も「(最初は)恥ずかしかった」と語っている。 そんな新根室プロレスのメンバーたちには、ある共通点がある。 それは“学生時代イケてなかった”ことだ。たしかに作中に登場するメンバーは優しそうな、悪くいうと気弱そうな、一見格闘技などしなそうに見える面々だ。最年少であるTOMOYAの異名も「メガネのプリンス」、「ラブライバー」(※メディアミックス作品『ラブライブ!』ファンの総称)といったとおり。 所属メンバーにとって新根室プロレスがどういう存在であったのかは、映画パンフレットに記載されている新根室プロレス選手名鑑を見ると、ひと目で理解できる。職業や得意技と合わせて、「新根室プロレスとは?」という項目があるのだ。 「家族」「恩人」「居場所」「遅れてきた青春」。「自立支援団体」や「精神安定剤」と回答しているメンバーもいる。 サムソン宮本の弟である「オッサンタイガー」は次のように語る。 「ズレている人ばっかでしたね。マトモな人は入れないです。(中略)いかにイケてないかとか、ダサいとか、ちょっと社会に適合していないとかが基準なんですよね。そういう人たちに惹かれるんですよ、サムソンは」(※「新根室プロレス映画化記念メンバー座談会」より引用) かくいう私も、いわゆる“イケてない”、“ダサい”、“社会に適合していない”と言われるような人たちに惹かれる性分だ。自分自身がそうだから、というのももちろんあるし、そういう人たちにスポットライトが当たりづらい世間の風潮に対する反骨精神もある。これは私が今、漫画家として仕事をしている理念の部分になっているし、きっとドキュメンタリー映画が好きな人にはそういう性分の人間が多いのではないだろうか。普段スポットライトが当たりづらい人たちにカメラを向け、誤解されやすい、理解されづらい彼らの生き様をまざまざと描く。これは私がドキュメンタリーというものに感じているよさの、最も大きい部分と言っても過言ではない。 普段はイケてない人たちが仮面を被って別の名前を名乗ることで「カッコよく」変身するというのもよい。冴えないオタクがヒーローに変身して活躍するのは、マンガやアニメの王道だ。 まあ、つまり、ひと言で言うと私は『新根室プロレス』のような物語が好きでたまらないのだ。 映画としての編集もニクい。本作では「サムソン宮本として死にたい」という本人の発言を尊重し、最後までサムソン宮本の素顔を映さないように編集している。若いころの写真にも闘病中の家族との写真にも、たとえ家族の素顔が映っている場面でも、サムソン宮本に対しては徹底してマスクを合成する編集がされている。制作陣のサムソン宮本への多大なリスペクトが感じられる。 2019年9月。根室・三吉神社のお祭り興行でサムソン宮本から衝撃の告白が飛び出す。「難病・平滑筋肉腫と診断され……新根室プロレスを解散します」 平滑筋肉腫は10万人に3人の難病で、治療法も確立されていないという。 2019年10月。東京・新木場1stRINGにて、新根室プロレス最初で最後の興行が開かれた。1stRINGはインディ興行の聖地ともいわれる場所。約300人のファンが詰めかけ、会場は超満員となった。 次々とメンバーたちの試合が進み、第二部。場内スクリーンには「生か死か サムソン宮本13番勝負」の文字、サムソン宮本が新根室の面々と13番勝負をするという企画だ。本映画の編集マン・堀威の取材日記によると、大会当日のサムソンは「本当につらそう」だったという。また、13番勝負12戦目のセクシーエンジェル・ねね様戦でサムソン宮本が助骨を骨折していたということも明かしている。身体がボロボロになりながらも「プロレスラー・サムソン宮本」として戦う姿に、私は涙が止まらなかった。サムソン宮本は必ずまた新木場のリングに戻ってくると宣言するが、翌年9月、55歳の若さでこの世を去ってしまう。 制作した北海道文化放送の吉岡史幸プロデューサーは北海道新聞の取材に対し「(サムソン宮本は)自分の死すらもエンタテインメントにするほど徹底したプロデューサー」であると語った。 サムソン宮本は、うつ病や仕事の悩みを抱えるメンバーたちの悩み事を魅力にして人気者にし、観客たちを楽しませたように、自らの病気や死も観客を楽しませるためのネタにする男なのだ。 「新根室プロレスにおいて重要なのは、強さ、うまさではなく、観ている人の感情を揺さぶれるかどうか。それが本当の勝者」 新根室プロレス結成当時のサムソン宮本の言葉だ。 この映画はドキュメンタリーとしてはもちろん、題名どおり物語として非常によくできている。 というのも、プロレス自体、競技とエンタテインメントの両方の特性を併せ持つものであるし、登場人物たちもまた本人と、それとは別にプロレスラーとしてのキャラクターも持っている。自分の人生さえもさらけ出して「サムソン宮本として死にたい」とまで言っていた彼を追った映画なのだから、“物語”になるのは必然なのかもしれない。 本映画の後半では、残されたメンバーたちで新根室プロレスを再結成し、復活させる様子が描かれている。 先頭に立ったのは、小学3年生のときに新根室プロレスに魅了され、一度は入門を断られながらもメンバーとなった最年少のTOMOYAだ。サムソン宮本を敬愛していたメンバーの中には、TOMOYAだけで大丈夫なのだろうかと心配するメンバーもいたが、支え合いながら復活に向けて動いていく。 みんなの大黒柱だったサムソン宮本が亡くなって解散してしまった新根室プロレスが、メンバーの中でいわば末っ子であるTOMOYAの強い気持ちで再び集まっていく様子は、胸が熱くなるものがある。 「人生一度きり。やりたいことをやれ。カッコ悪くてもいい。バカにされてもいい。いつかわかってくれる。Don’t give up! Do your best!」 サムソン宮本の最後の言葉だ。 上映が終わったあと、映画館には涙を啜る音が響いていた。少なくとも映画を観た人たちの中に、サムソン宮本をカッコ悪いだとかダサいとかいう人間はいないだろう。 これは、北海道根室市に新しい文化を作ったカッコいい男の物語だ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2023年9月より、ウェブコミック配信サイト『サイコミ』にて『感受点』(原作:いつまちゃん)連載中。さらに、2024年3月、『ビッグコミックスペリオール』(小学館)にて読切『下北哀歌。』を掲載。 配給:太秦 (C)北海道文化放送
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偶然で必然の出会い、渋谷に響くひとつの歌声──島田隆一『ドコニモイケナイ』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 『ドコニモイケナイ』は2012年に公開され、第53回日本映画監督協会新人賞を受賞したドキュメンタリー映画である。 物語は2001年の渋谷から始まる。1996年生まれの自分には当時の渋谷の空気は想像でしかわからないが、ギャルブームやメディアの注目もあり若者のファッション・トレンドの街だったという。本作のパンフレットによるとゼロ年代初期の渋谷は「行き場のない若者が集まっては、ただひたすらにたむろしている場所」であったと書いてある。今でいう「トー横(※新宿の歌舞伎町にある東宝ビル横のこと)」のような位置づけだったのだろうか。 監督の島田隆一は2001年当時、映画専門学校に通う学生だった。本作は当初、専門学校の実習課題として撮影され始めたものだった。ほかの学生より大人しく、課題を探しあぐねていた島田に講師が「渋谷へでも行ってみたら?」と提案したことがきっかけだった。 2001年10月23日、ひしめく若者たちの中で島田とスタッフたちはひとりの女性と出会う。あまり上手とはいえない声で歌う彼女は、佐賀からヒッチハイクでやってきたストリートミュージシャンの吉村妃里(よしむら・ひさと/当時19歳)であった。 「元気で行こう 精一杯の力を出して 元気で行こう 無理しなくて いい 元気で行こう 気楽な気持ちでリラックスして」 そう歌う彼女に惹かれた島田とスタッフたちは彼女を追いかけて撮影をすることに決める。 (C)JyaJya Films 妃里は、新宿で出会った芸能事務所の社長という人間からスカウトをされ、事務所が借りたウィークリーマンションに住むようになる(最終的には妃里は「貧血」を理由にわずか1カ月ほどで切り捨てられ、住む場所を失ってしまう)。そのあと路上で知り合った友人・幸香の家に居候したりと妃里を取り巻く環境が不安定に変わっていくなか、2001年12月13日、島田らスタッフの元に幸香から連絡が届く。 「妃里の様子がおかしい」 妃里は統合失調症を発症していた。 翌々日の12月15日には妃里は都内の病院に緊急入院し、翌年3月には故郷である佐賀の病院に転院することとなる。こうして映画の撮影は中断され、妃里を映したテープは放置されたまま、島田らスタッフは映画専門学校を卒業してしまう。 私個人の話で恐縮だが、私の祖母は私が物心ついたころ、すでに統合失調症を患っていた(母から聞いた話だと、母が小学生のころにはすでに発症していたという)。 当時はまだ統合失調症という病名に改称されて日も浅かったからか、母からは「ばーちゃんは精神分裂病だから」と言われて育った。家族で帰省したときには祖母が私を罵倒することもあったようだから、「精神分裂病だから、ばーちゃんの言うことは気にしなくていいよ」という母から子への思いやりから出ていた言葉だと思う。私の中の祖母の記憶は、誰かに怒っているか、上のほうの何もない一点を見つめて何かぶつぶつと話している姿しかない。 母には「神様と話してるらしいよ」と教えられた。祖母は歩くことも難しかったので、母は祖母を風呂に入れることにすごく苦労していたような記憶がある。もちろん、統合失調症の症状はさまざまで、これは私の祖母の話でしかないので主語を大きくするつもりはない。 私は、発症する前の祖母を知らないので祖母とはそういうものだと思っていたし、祖母の話す言葉は方言がきつかったこともあり罵倒されても特別傷つくということはなかったが、母が「母さんも発症したらどうしよう」、「遺伝かもだから」とひどく心配していたのは今でも強く印象に残っている(実際、遺伝的要素は示唆されているものの、未だ解明はされていないようだ)。 母は発症前の祖母を知っている。母にとって統合失調症は「突然、自分にも起こってしまうかもしれないこと」なのだと思う。私もそうなんだろうな、と思う。人間は現実に物語性を見出したくなってしまうが、それは必ずしも正しくない。 本作のパンフレットでも精神科医の春日武彦は統合失調症の発症について「率直に述べるなら、運が悪かったとしか表現できない」(『ドコニモイケナイ』パンフレットより引用)と述べている。 監督である島田は語る。 「吉村妃里を統合失調症にまで追い込んだのは、カメラを回し続けた自分の責任ではないだろうか」 (C)JyaJya Films 以前、『監督失格』について書いた記事でも引用したが『ゆきゆきて、神軍』の監督である原一男は「ドキュメンタリーをやる人間は畳の上で死ねない」と述べている。 『監督失格』の監督である平野勝之も「人の死で金儲けしていると言われるかもしれない」と心配していた。 (文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ #1:https://www.tv-asahi.co.jp/reading/logirl/2894/) 『監督失格』も『ドコニモイケナイ』も不安定な、美しい女性とそれに惹かれた監督がカメラを通してコミュニケーションを取る、カメラを通してしかコミュニケーションを取れない、という構造で物語が進む。もちろん取り巻く状況や彼女らのキャラクターはまったく違うものなので単純に比較はできないが『監督失格』の被写体である林由美香は売れっ子のAV女優だ。どんな激しい場面でも撮りなさいと平野に言った。監督である平野もプロのAV監督であるから、悩みながらも彼女の言葉に従った。しかし『ドコニモイケナイ』の被写体である吉村妃里は歌手志望の19歳の若者でしかない。監督である島田も、当時20歳そこらの映画学校の学生だ。 本作の後半では、撮影を中断してから9年後、佐賀で暮らす妃里が描かれている。 妃里が佐賀に渡り撮影を中断してから島田やスタッフはそれぞれの道を歩んでいた。島田も起業用のPR映像の制作に携わるなど映画業界で仕事をするようになる。ただ、そうしている間にも島田の胸にはしこりのように妃里さんを映した映像のことが残っており、細々と編集作業もしていたという。2007年、冒頭で島田に「渋谷へでも行ってみたら?」と提案した映画学校の講師から「あれをまとめてみないか」と電話を受ける。講師から「現在の吉村妃里を描くべきだ」という言葉もあり、悩みながらも島田はカメラを持って現在の妃里に会いにいく。 (C)JyaJya Films そこでは、母とふたりで暮らしながらNPO法人・鹿陽会チャレンジド支援センター「ザ・鹿島」に通っている妃里の姿があった。そこで軽作業(服をたたんでビニール袋に詰めるなどの単純作業)にも取り組んでいる。 2001年との渋谷とはあまりにも正反対の妃里の故郷の風景は、一種のやるせなさというか切なさのようなものを感じさせる。そして同時に映画を完成させるために、その対比を映さなければならないというドキュメンタリー監督という職業の業も感じさせられる。物語の終盤、彼女が博多の駅で再び「元気で行こう」を歌うシーンがある。道ゆく人は誰も彼女とコミュニケーションを取ろうとしない。 ただ、切なく感じてしまうというのも現実に物語性を求めてしまう鑑賞者である私たちの悪癖でしかなく、妃里の人生も島田の人生も続いているのだ。妃里は本作についてこう語る。 「50歳くらいになったら、この作品を持って講演をしたいな」 島田がこの作品を撮ることができたのはある意味“偶然”なのだろうと思う。当時の島田にとっては悪い偶然だったのだろうと思うし、自責の念を抱えていたことも窺える。だが、その映像を『ドコニモイケナイ』という一本の映画にまとめるに至ったのは、島田のドキュメンタリー監督としての性なのだと思う。 デリケートな題材であるがゆえ、すべての人が観るべきだとは思わない。だが、少なくとも私はこの映画を観ることができてよかったと思う。公開10周年を記念して再上映をしてくれたポレポレ東中野にも感謝でいっぱいだ。 この映画を必要とする人に届いてくれたらいいなと思う。そして願わくば、ふたりにとってもいいものであったらいいな、と思う。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2023年9月より、ウェブコミック配信サイト『サイコミ』にて『感受点』(原作:いつまちゃん)の新連載がスタート。 (C)JyaJya Films 出演 吉村妃里 吉村はる子 撮影・録音 朝妻雅裕 島田隆一 城阪雄一郎 佐賀編撮影 山内大堂 編集 辻井潔 音楽 AMADORI モリヒデオミ 宣伝 酒井慧 配給 JyaJya Films 製作 JyaJya Films 監督 島田隆一
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生きづらさから芽生える創作意欲──漫画家・文野 紋×ドキュメンタリー監督・圡方宏史
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記。 logirl記事コンテンツのコラム連載として、ドキュメンタリーへの愛を語っている漫画家・文野紋。かねてより東海テレビが作るドキュメンタリーの大ファンとのことで、今回『ホームレス理事長』『ヤクザと憲法』『さよならテレビ』を手がけた監督・圡方宏史を招き、対談を敢行。お互いの印象や作品づくりにおける苦悩や信念など、対談の中で見えてきた、ふたりの共通点とは。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2023年9月より、ウェブコミック配信サイト『サイコミ』にて『感受点』(原作:いつまちゃん)の新連載がスタート。 圡方宏史(ひじかた・こうじ) テレビディレクター、東海テレビ所属。2014年に公共キャンペーン・スポット『震災から3年~伝えつづける~』でギャラクシー賞CM部門大賞を受賞。同年2月、映画『ホームレス理事長 ~退学球児再生計画~』で、ドキュメンタリー映画を初監督。2016年に映画『ヤクザと憲法』、2020年に映画『さよならテレビ』を公開。 互いの作品から見えてきた共通点 ──今回は、文野さんが東海テレビのドキュメンタリーが好きということで実現した対談ですが、そもそも文野さんがドキュメンタリーを好きになったきっかけは、原一男監督作品だったそうで。 圡方 ええ、そうなんですか! どうやって知ったんですか? 文野 アルバイト先にドキュメンタリー映画に詳しい先輩がいて、「これは観なきゃダメだよ」と言われて。『ゆきゆきて、神軍』のDVDを買ったらハマってしまい、『全身小説家』も観たりしました。 圡方 そっから入るってすごいですね! ──東海テレビのドキュメンタリーシリーズと出会ったのは? 文野 マンガの題材としてテレビ局を検討していたときに、参考になるものがないかなと思って調べていくなかで、『さよならテレビ』の存在を知りました。 圡方 『さよならテレビ』はなかなか観られないはずですが、どうやって観たんですか? 文野 本当に申し訳ないんですけど……テレビ局に就職した知り合いがいて、その人が偶然持っていたので観せてもらいました。そのあと映画版も観たんですけど、映画版は上映後にプロデューサーの阿武野(勝彦)さんの講演があると聞いて、兵庫県民会館まで観に行きました。ほかの作品はポレポレ東中野で東海テレビさんのドキュメンタリー特集とかを上映してくださっているので、そこでまとめて観たりとかして。 圡方 ありがとうございます。 ──圡方さんは、今回こういうお話が来てどう感じましたか? 圡方 基本的にはサラリーマンというか、毎日普通に会社に行って、たまにドキュメンタリーを撮る以外はニュース制作の1スタッフなので、なぜ自分がここに呼ばれているのかよくわからないというのが正直なところですね(笑)。普段は取材する側なので不思議な気持ちですし、漫画家の方にお会いするは初めてで。あと、ドキュメンタリー好きな若い人って少ないんですよね。たまに若い人からパンフレットにサインを求められたりするんですが、「実は私……」って名刺を出してきて。「あぁ、同業者か」みたいな。 文野 実は私、阿武野さんにサインしてもらったことがあります! 圡方 そうそう! 阿武野にも今回の取材の話をしたら、「あぁ、知ってる知ってる! 変わってるよね(笑)。よろしく言っておいて」と、伝言を承りました。 文野 ありがとうございます(笑)。 圡方 文野さんはドキュメンタリーについて語り合える方は身近にいらっしゃるんですか? 文野 マンガの編集さんには新聞系の週刊誌から異動されてきた方とかもいらっしゃって、東海テレビの話をできる方もいます。 圡方 東海テレビの作品をご覧になって、どう感じていらっしゃるんですか? 文野 やっぱり人を映すことに長けていらっしゃるなと。いい人とか悪い人とか職業みたいなものではなくて、東海テレビさんの作品は、それこそ『ヤクザと憲法』が顕著ですが「ヤクザ=悪い人」と決めつけることなく、ちゃんとその人を映している。マンガを描く上でも意識しているので、1視聴者としても尊敬しますし、すごくおもしろいなと思います。 圡方 今日は(文野さんが)マンガの主人公とキャラが似ている方なのかなと思って来たのですが、ご自分の考えを理路整然と話される方で驚きました。ご自身をキャラクターに投影されているわけではないんですか? 文野 投影している部分もありますが、私は人の話を聞くのもすごく好きなので、取材したことと自分のことを組み合わせて描いています。 圡方 なるほど。『ミューズの真髄』の1巻の最初のほうで、お母さんがめっちゃ怒るところがあったじゃないですか。 文野 窓から飛び降りるところですかね? 圡方 ああいう描写は普段なかなか見ないので、おもしろいなと思って。ほかにもいくつかそういう底なしの怖さみたいなところが出てきて、ゾゾゾってするところがあったんで、「あ、こういうところがドキュメンタリー好きな部分なのかな」と勝手に推測してきたんです。文野さんはご自身の作品において、ドキュメンタリーの影響は大きいと感じていますか? 文野 個人的には大きいと思うんですけど、どれくらい現れているのかはわからないです。マンガではわかりやすくかわいいキャラとか、かっこいいキャラが人気になりやすいというのが鉄則なんですが、自分は多面性を描きたくて、そこはドキュメンタリー好きなことと影響しているのかなって思います。 圡方 僕は、社会とか所属している組織の中ではまったく認められていないのは自分でも理解しているんだけど、どこかドキュメンタリーを「自分にもできるんだよ」って主張するための材料にしているというか、自分のことを認めてほしくてやっている部分があるんだろうなって思うんですね。生きづらさの反動みたいな。それは、文野さんのマンガを読んでいてもすごく感じました。 文野 生きづらさはすごく感じています。世の中に対する漠然とした怒りみたいなものが、私の中でマンガを描く上での原動力としてあるので。その漠然とした怒りの昇華の先として、マンガがあるというか。 圡方 僕の撮った作品の中では、生きづらさを抱えている人がバカにされるんです。『ホームレス理事長』なんかも、もしかしたら彼にしかできないことがあるかもよって思っている部分もありますし、取材対象に自分を投影しているところもあるかなと思っています。 文野 私も事務作業が苦手なので、『さよならテレビ』の渡邊さんや『ヤクザと憲法』だったら部屋住みの若い彼に感情移入して観ていたところがあります。 圡方 僕の中では『さよならテレビ』の渡邊くんだし、『ヤクザと憲法』の部屋住みの彼が主人公なんですけど、どっちも作品としては主人公たり得ないもんだから、ふたりに寄るとカメラマンやプロデューサーは正直「うっ!」となるというか……。取材対象も主役級じゃないと「なんであいつを取材するんだ?」って言われることが多かったんです。文野さんの作品ではどうですか? 文野 『ミューズの真髄』の場合は主人公が主人公っぽくないというか、むしろ脇役っぽいキャラクターが主人公になっているのかなと。一般的には前向きでエネルギッシュで、才能にあふれていて、人生うまくいくようなキャラクターが主人公になりやすいと思うんですけど、(瀬野)美優は才能があまりなくて、途中で人のマネをしちゃったりとか、髪を切っただけで変わった気になっちゃったりとか、読者から見ると「それは違うだろう」って思うようなことをやっちゃう主人公なので。「こういうキャラの魅力もわかってほしいな」みたいな気持ちで描いていました。 圡方 「自分は凡人だ」みたいな描写がすごくあるじゃないですか。天才は別にいて、その人には絶対に勝てないのがおもしろいなと思いました。自分にもそういう感覚があるし、若くして圧倒的な才能を持っていながら早くから認められている。そういう人たちとの違いに気づいてしまう自分……みたいなところにすごくリアリティがあるなと思いながら読んでいました。僕自身がまさに放っておくと自滅していくようなタイプなので(笑)。 文野 私も自分はまだまだ足りてないなと思います。圡方さんはドキュメンタリーを作るとき、ひとりで考えていますか? 圡方 僕の場合は、カメラマンとしゃべりながら作っていく感じです。おそらく漫画家さんにとっての編集者の役割を、カメラマンが担っているんじゃないかなと。自分がおもしろいと思っている対象が、本当におもしろいのかどうかを客観的に判断する人が必要になってくるんです。もちろんカメラマンと意見が食い違うときもありますけど。それこそ渡邊くんなんかは僕自身はめちゃくちゃおもしろいと思ったし、彼で表現できるなと思ったんだけど、カメラマンは「えー! そこ行くか?」と思ってて。そのときは自分の中で確信があったからそのまま行きましたけど。逆にカメラマンに「これは絶対に外すなよ」ってけしかけられることもあるんですが、こちらとしてはそこに行くといろいろ傷つきそうだし、めんどくさそうだし、正直「行きたくないな」って思うんだけど。文野さんにもきっとそういう存在はいますよね? 文野 実はそうでもなくて……(笑)。 圡方 あ、そうでもないですか? 文野 『ミューズの真髄』に関しては、序盤以外はほとんど自分で決めていることが多いかもしれません。もちろん編集部の許可がないと雑誌には載らないので、「こういう感じで」という企画書みたいなのを書いたりはしました。もともと私は同人即売会で自費出版でマンガを描いていて、それを見た編集長が「描きたいものを描いていいよ」と声をかけてくださったので、自分の意見が通りやすかったと思います。エンタメとして成立させるために「もう少し恋愛要素を……」みたいなアドバイスをされることはありますし、毎話ネームを上げたあとに編集者と打ち合わせはします。 作品づくりにおける苦悩とは? 文野 圡方さんも企画を通すために、プロットを出したりされますか? 圡方 それでいったら僕もすごい恵まれていますね。プロデューサーの阿武野さんという人は、ものすごい器が大きくて、「テーマにタブーはないよ」「やりたきゃ違う地方のネタでもいいよ」って言ってくれます。自分が本当に興味があって、世の中が見えてくるようなものであれば、なんでもいいって。さらに通常は放送エリア内の取材対象に限られてるんですけど、東海地方じゃなくてもいいよとも。実際『ヤクザと憲法』は大阪ですし。もしそれが企画書をしっかり書いて、ある程度視聴率が取れるとかっていう算段がないと通らないような環境だったら、絶対 1作品も撮れていないと思いますね(笑)。ましてや『ホームレス理事長』なんて、どういう結末になるかもわからない状態で入ってるんで。そういう意味では、すごく縁に恵まれていたと思います。 文野 マンガも編集者との間ではOKが出ていた企画でも、法務部からコンプライアンス的に問題があるとダメ出しされることもありまして……。そうすると「そこを変えたら違うだろ」「言いたいことなんも伝わんないだろ」みたいな根本的な直しが入るんですね。「これがもしドキュメンタリーだったらやってもいいけど、マンガは創作だから作者がそう思っていると思われてしまう。若い未来ある作家にリスクがあることはさせられない」という感じで言われてしまって。マンガとドキュメンタリーの差について自分なりに考えたんですが、ドキュメンタリーも作者の視点や意図が入るという意味では創作物になりますよね。 圡方 もちろんドキュメンタリーも創作物ですね。 文野 圡方さんの作品は、題材からして攻めているというか、斬り込んでいる印象があります。 圡方 これは反動ですね(笑)。普段の僕はサラリーマンで、外部のディレクターさんが作ってくれたものをチェックする係なんですよ。たとえば赤信号で渡っている人がいたりとか選挙ポスターがあったりとか、その人が不利益を被るかもしれない部分をカットしたり。どちらかいうと編集者に近い立場の仕事をしているんです。ローカル局だから、編集者と法務部を兼ねていて。で、いざプロデューサーから「何をやってもいいぞ」って言われると、「えーっ!?」てなっちゃって、閉じ込めていたパンドラの箱みたいなのがズドーンって開いちゃうことが多いんですよね(笑)。普段はすごくストレスがかかる仕事なので。 文野 それは意外でした。『さよならテレビ』を撮る前からそうですか? 圡方 もちろんです。『さよならテレビ』なんて、まさにそれが詰まったような作品です(笑)。 ──周囲から「こんなの撮るの?」みたいな反発はないんですか? 圡方 もちろん反発はあります。でもチャンスはなかなか巡ってこないですから、「もういいや」ってどこか割り切っているところもあります。もともと組織には染まれていないわけで、どこまでいったって自分は優等生グループには入れないので。机も汚いですし(笑)。文野さんはドキュメンタリーを撮ろうと思われたことはないんですか? 文野 いや(笑)。私はマンガの技法的な、マンガならではの表現に興味があるので、「マンガでできないならドキュメンタリーを撮ろう!」とは今はまだ思わないですし、私の場合は“絵を描くのが好き”というところからスタートしているので、できる限りマンガで表現したいと思っています。けど、いつか自分が本当にやりたいことが、マンガという媒体だと伝わらないと思ったときに、やり方を変えることはあるのかもしれないです。 圡方 なるほど。たしかにそうですよね。 文野 ドキュメンタリーって情報量がめちゃくちゃ多いですよね? フィクションだとセットを用意して撮るから、意図的に物を配置する必要がありますけど──たとえばキッチンを撮るとなったときに、わざと汚れをつけないと汚れないとか。マンガも同じで、汚れを描写しないと汚れがつかないんです。でも、ドキュメンタリーは自然なかたちでキャラクターの背景を見せられるし深みを出せる。それがドキュメンタリーの好きなところでもあり、そういう部分をマンガにも入れ込めたらいいなと思いながら描いています。 圡方 でもドキュメンタリーはフラストレーションもすごくあって……絶対に思いどおりの展開にはならないですからね。それこそ『ホームレス理事長』はその典型で。僕はストーリーが好きな人間だから最後はキレイに終わりたいと思っちゃうほうなので、フラストレーションはめちゃくちゃありましたね。いまだに『ホームレス理事長』はあの終わり方でよかったのかって自問自答しています。 文野 理事長に借金を申し込まれるのは予期していないことだったんでしょうか? 圡方 もちろんです。「よし!」っていう気持ちもどこかにあるんだけど、自分が思い描いていたストーリーからはみ出しちゃってて。どうやってこれを作品の中に入れ込んだらいいものかと悩みました。ただ、自分の想像の範囲を超えたことが起きて、それをなんとか作品の中に入れ込もうとしたときのほうが、心に残るものができる気がします。全部自分の手のひらの上で描いたとおりになるものって、あまりおもしろくならないので。 文野 その後、闇金で借りるじゃないですか。それについてはどう感じていたんですか? 圡方 ずっと毎日一緒にいると、それがもう日常なんですよね。「そりゃ借りるよね」って。人にもよりけりですけど、シンパシーを持ちすぎてしまうと、描けなくなってきてしまうので、取材対象との距離感は意識するようにはしていますね。あんまり一緒にご飯食べに行かないとか。あまり仲よくなりすぎると、関係性が画にも出ちゃうので。 文野 それこそ『ホームレス理事長』でいじめられていた子が監督にビンタされる場面は、もしも自分だったら止めに入ってしまいそうだなと思いながら観ていました。 圡方 あそこは僕もすごく居たたまれないというか、背景も知っていたし、どっちにも思いがあるから。でも、あんまり思い入れすぎてもよくないのかなと思いながら、いつも現場にはいるようにしています。 文野 やはりドキュメンタリーでは、取材相手に介入してはいけないものなんですか? 圡方 そう思っています。だから理事長に土下座をされて「お金を貸してください」と言われたときに貸さなかったのかな。それは取材者としてやっちゃダメだと思いましたし。 文野 中には家族が撮っているドキュメンタリーもありますが……? 圡方 そういう場合は、前提となる部分もちゃんと描写して作品の中に入れ込むようにします。それでいえば『さよならテレビ』で僕が渡邊くんにお金を貸している場面があるんですけど、彼に「お金を貸してくれ」と頼まれたとき「貸すけど、撮らせてね」と言いました。 文野 「しめしめ」とは思わなかったんですか? 圡方 僕も悪い人間なので、「しめしめ」とは思いましたけど(笑)。最後のネタバラシがなければ、途中も使っちゃダメというか。 文野 すごく興味深いです(笑)。 ドキュメンタリーもマンガも自分の切り売り(圡方) 圡方 マンガは自分の思いどおりになっていくものなんですか? 文野 いや、なっていかないです。『ミューズの真髄』の中で、主人公が憧れている人の容姿や絵をそのまんまマネするというシーンがあるのですが、これは一般的にはいいことだといえないと思っていて。美優が月岡(未来)先生のマネを始めたときは、「あ、これはおもしろくなるぞ!」と思いました。主人公が他人の猿真似をするマンガは見たことがないぞ、と。 圡方 やっぱり描きながら変わっていくところがあるんですね。ここまで話をしてきて、なんだかんだ文野さんと似ている部分もあるのかなと思っています。 文野 そうかもしれないですね。 圡方 全然関係ないですが、星新一が好きってどこかで書かれていましたよね? 僕も星新一とか筒井康隆とか好きで。文野さんの作品を見ていても自分の中の「普通さ」と「でも自分にしかできないこともある」みたいな、そういうエゴとの闘いみたいなことを毎日やっていそうな人だなと思って。そういう生きづらさが僕にもすごくあるので。個人的なアドバイスをするとしたら、やっぱり自分を活かしてくれる環境に巡り合えたらいいですよね。あまり自分で調整して丸くなりすぎずにやっていけば絶対巡り合わせみたいなものが来るときがあると思うので。自分の生きづらさみたいなものを大切にしてほしいです。 文野 ありがとうございます。ちなみに、圡方さんは自分の信念みたいなものをどこまで貫けますか? 私は、先のコンプライアンスの件で「編集部にクレームが来るかもしれない」と言われて、「じゃあやめます」と言ってしまいました。 圡方 僕も本当にダメですね。基本、主張はできないです。だからこそ作品の中で自分の言いたいことを表現できるドキュメンタリーを作ってるかな。普段は思っているだけで口に出しては言えないから、こういうことやってるんですよね。 文野 言いたいことをSNSなどで伝える漫画家さんも多いと思うんですけど、自分はできないので。いつかちゃんと作品で昇華しようと思っています。 圡方 思っていることが全部言えたら、描く理由がなくなる日が来ると思うので、それでいいと思います。 文野 ある漫画家さんが、作品を批判されたときに「自分が批判された」と思える作品じゃないといい作品とはいえないし、「次のマンガは全部、前のマンガで後悔していることや批判への仕返しだ」というようなことをおっしゃっていて。自分もそういう気持ちで作品を作ろうと思っています。 圡方 本当にそのとおりですね。ドキュメンタリーもマンガも自分の切り売りだと思うんですよね。自分の考えがバレちゃうから恥ずかしいし。でも、そういうものじゃないと意味がないというか。同じようなことを思っていても言えない人たちが作品を観て、「ああ自分も生きていていいんだ」と思ってくれたら、やる価値があるなと思うので同感ですね。ちなみに読者からの声は、ダイレクトに届きます? 文野 手紙とかは編集者が中を見て大丈夫なものだけを転送してくれるので、いいことが書いてあるものしか来ないです(笑)。けど、SNSとかは見られるので……。東海テレビさんの場合、ホームページに感想が書き込めるようになってますけど全部見るんですか? 圡方 いや、見ない。“東海テレビのドキュメンタリー”というだけでいい意見が多いんですよ。それが個人的にはすごい気持ち悪いなと思ってて、だからあんまり見ないようにしてますね。というのも、さっき言ったみたいにいろんな関係、環境があって初めてやれてるっていうだけで、自分の力じゃないのに「がんばった」みたいなコメントを見ると勘違いしちゃうなと思って。それ一番怖いじゃないですか。自分の力量以上の評価をされるのは。 ──でも、そもそも認めてほしくて作品を作っているところもあるんじゃないですか? 圡方 おっしゃるとおりですね。でも、自分の中では「ちゃんと表現できた」と自分で認められているんで、意外と人の意見はそんなに気にならないというか。 文野 私は褒められるのが苦手なので、サイン会とかありがたいですけど、本当にやめてくれという感じで(笑)。 圡方 それはなぜですか(笑)? 文野 いやじゃないですか! 描いただけで先生とか呼ばれるの(笑)。 圡方 その根底には何があるんですかね? 文野 あまり自信がないからですかね。自分の作品を「どこに出しても恥ずかしくない」とは思っていないところもあるかなと。あと、あまり褒められても気を遣っちゃいますし。 圡方 作り続けねばならないと思うと、それがまたプレッシャーになってきますよね。過去の自分が自分の圧になってくるっていうか、勝手に自分で自分の作品性みたいなものを限定しちゃうというか。「お前はこれが得意なんだから、こっちの路線行けよ」とか「こういうものをやってくれよ」って言われると、「期待されてるならそっちに行かなきゃ」とかって思っちゃうんですけど。でもあまりそうならずに、自分が表現したいと思ったものを表現するほうがいいのかもしれない。表現したいものがないのに「なんかやらなきゃ」ってなると、あんまりよくないなと思うので。 ──でも、逆にフラストレーションが溜まらないと作品につながらないとか。 圡方 生きづらさみたいなものは、ずっとつきまとうので。生まれつきのものではあると思います。 文野 私もなくならない気がします。 圡方 外に出してる自分と実際の自分とのギャップみたいなものはどこまでいってもあるんで、それを作品のほうに出したいなと。 ふたりが惹かれる“おもしろい”と思える存在 ──そのほか作品づくりにつながることはありますか? 文野 う~ん……。世の中に対して「それはどうなんだ?」と思っていることとか、みんな当たり前みたいに言ってるけど、「それって偏見なんじゃないの?」みたいなことがきっかけになるかもしれないですね。 圡方 僕も似てますね。世の中的には絶対間違ってるぞって言われているけど、本当にそうなのかな?みたいなところがあって。物語とリアリティというか、「こんなのおかしいよ!」ってだけじゃないもの、ドキュメンタリーだから描けるものを組み合わせて作っていこうとは思っています。僕は会社になじめない人なので、その僕が会社に居続けることで感じる生きづらさみたいなものが、作品のモチベーションになっているので当面は辞めないと思います。『ホームレス理事長』は劇場に一番お客さんが入っていないんですけど、それでも会社員だから作り続けられているところもあったりするので。 文野 あと私は、自分に不幸なことが起きたときに創作意欲が湧くのですが、圡方さんはいかがですか? 圡方 そうですね……もし不治の病になったら自分のことは撮るかもしれないです。 文野 東海テレビ取材班として取材記を出されてはいますが、圡方さんは本を出したりされないんですか? 圡方 文章はダメで……。阿武野さんはライター寄りで、文章もめちゃくちゃ読ませますよね。あの人にVTRを見せるとすぐにナレーションを書かれちゃうんです(笑)。ナレーションで語るのが上手だから。でも、僕はなるべくナレーションを入れたくなくて、そこの攻防はすごくありますね。 文野 圡方さんはナレーションを入れたくないんですね。 圡方 もともと自分はそういうのが苦手だから、一生懸命撮っているところがあって。ナレーションを入れると努力が水の泡になってしまうというか。ナレーションがなくても伝わるものを自分で作りたいなと。やっぱりナレーションで語ると、自分で思っていることがバレちゃうじゃないですか(笑)。でも僕、文野さんのマンガで吹き出しの中に長文のセリフがブワーって書いてあるのは好きですよ。あそこは作者の思いが詰まった表現だなと思いながら読んでました。実際にああいう人いますよね。 文野 あれはマンガ表現的にやっているのもあります。本をパッと開いたときにあれが目に飛び込んできたらおもしろいかなと。でも、実際に私もそういうタイプの人なのかもしれないです(笑)。そういえば、マンガ用に取材をしているなかで、どれぐらいそのまま描いていいんだろうと悩むことがあるんです。あまりにもそのまま描くと失礼かなとか。 圡方 マンガを描くときも取材するんですね。 文野 人によると思いますが、私はたくさんしています。土方さんは「このカットは使わないでください」と言われたら、使わないですか? 圡方 断言はせず「一応考慮はします」って言います。だから今回の自分のカッコつけてる写真も、もし最悪使われちゃったとしても、「あ~、わかるわかる!」と言うと思います。やっぱり撮られた以上は、覚悟しなきゃいけないと思うので(笑)。そういえば、最初に話していたテレビ局を舞台にしたマンガはどうなったんですか? 文野 あれは頓挫してしまいました……。 圡方 そうなんですね。でも取材は無駄にならないじゃないですか。滅びゆくものっていうのは題材になりやすいですし、おもしろいですよ。今、NetflixとかABEMAとかやってもおもしろくないと思うんですけど、「負けゆく者たち」っていうのは対象としておもしろいですよ。時代から退場させられていく人たちっていうのは。そこに美学みたいなものがあるし。 文野 たしかに、私も散り際みたいなものには惹かれます。もし再始動したら、圡方さんに取材を申し込んでもいいですか? 圡方 もちろん、取材受けますし、監修もしますよ! もしやるとなったら声かけてくださいね。そのためにも会社に居続けます! 取材・文=渡邊 玲子 撮影=服部健太郎 編集=宇田川佳奈枝
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林 美桜のK-POP沼ガール
K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム
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RIIZEが登場『M:ZINE』と一緒に成長したい!MC・林美桜の新たな決意|「林美桜のK-POP沼ガール」第15回
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム お久しぶりです。最近、誕生日を迎えまして、30歳になりました。 なんだか文字にすると急に実感が湧くのが不思議。K-POPファン歴はこれで人生の半分くらいになるのか……! ファン歴がどんどん伸びていくんだと思えば、歳を取るのも悪くないかもしれないです(笑)。 季節の変わり目で忙しく、なかなかライブに行けない日々が続いていますが…… 私がMCを務める新番組『M:ZINE』が始まりました! 『M:ZINE』とは…… アーティストの方、芸人さん、私が、「ZINE」(同人雑誌)の編集スタッフとして ひと組のアーティストの特集記事を作っていくというコンセプトの音楽バラエティです。 記念すべき第1回のゲストには、今大注目のボーイズグループ「RIIZE」(ライズ)(*1)をお迎えしています。 そして編集スタッフには、韓国語がお得意なMrs. GREEN APPLEの若井滉斗さん、マヂカルラブリーの村上さん! 豪華すぎます!! まさか私が!? 新番組へのプレッシャーと下準備 今回、この番組の企画の話を聞いたときは、 K-POPと初めて出会った高校時代から、今までの推し活の記憶が脳内に降り注いで、思い出再生以外のすべての機能が停止。 ああ、あのときの……ハイタッチ…… K-POPで哲学した卒論…… 韓国でJ.Y.Parkさんに手を振ったあの日…… 一気に巡って、一瞬窒息するくらい驚きました。 うれしかったのも束の間、襲ってきたのは、全身が埋め尽くされるほどの不安。 私なんかに務まるのか。だけど、やるからには精いっぱいがんばって番組に貢献したい! 収録までに、日本の地上波番組、公式YouTube、音楽番組、SNSのファンの声を集めるなど、今の自分にできる限りの下準備をしました。 ミセス若井×RIIZEの特別コラボに感動! 迎えた収録当日。 RIIZEのみなさん、目が覚めるほどのキラキラしたオーラをまとわれていて、心が洗われるほど礼儀正しくて……(泣)。 収録の序盤は、私をはじめ番組スタッフの緊張感が半端なかったのですが、 RIIZEのみなさんのあたたかい存在、丁寧な受け答えに早い段階で緊張がほぐれ、 終始和やかなムードでした。 すべてがおすすめのシーンなんですが、 中でも若井さんとRIIZEの特別コラボ『Get A Guitar』が最高でした!! 若井さんのギター演奏に合わせて、ショウタロウさん・ウォンビンさんがキレッキレのパフォーマンス。 初めて合わせたと思えないほど息ピッタリでした。 若井さんの弾き姿と音色、軽やかに舞うおふたりに、村上さんと一緒にうっとり。 「私は今、ものすごい瞬間を目撃している」と直感しました。 全K-POPファンに観ていただきたいシーンです。 「見たい・知りたい・聞きたい」を叶えられる番組に 収録後、私はナレーションも担当しているので、 放送の少し前に、ナレーションをつけながら内容を観ることができるんですが、 センスが光るパワーワードの数々、表情一つひとつに 時折ナレーションをつけ忘れるくらい見入っちゃう。 ただ一方で、自分に着目すると、 なんでもっとうまい返しができないのか、あの質問はもっとこうすべきだったよね、何回同じリアクションを……。 弱々しいワードの連発に、完全に自分の中の“陰モード”に引きずり込まれ……。 脳内大反省会。 でも、こんなふうになってしまうのも、K-POPが大好きで、番組を楽しみにご覧になる視聴者の皆様と同じく、私自身も推し活に命を注いでいるからだと思います。 初めて聞く推しのエピソード、見たことのないリアクション、出演者とのかけ合い。 そんなものが見られた日には、元気に学校へ行けたり、仕事がつらくても踏ん張れたあのときの私を思い出して…… 観てくださる皆様の「見たい・知りたい・聞きたい」を叶えられる番組にしたい、その中で少しでも役に立ちたいと思ったんです。 下調べ、話の聞き方、話し方、タイミング。 アナウンサーの原点に立ち帰って精進。 反省は必ず次に活かす。 番組と一緒になるべく早く、成長していきたいです! 林美桜のチョアチョア♡メモ *1/RIIZE 2023年9月にデビュー。デビュー曲「Get A Guitar」が1週間でミリオンセラーを突破するなど、世界が注目するアーティストです! 抜群のパフォーマンス力、圧巻です。ぜひMVを観てから『M:ZINE』をご覧ください。ギャップがたまりません INFORMATION テレビ朝日『M:ZINE』 毎週金曜深夜1:30〜放送CSテレ朝チャンネル1(有料放送) 『M:ZINE 完全版~K-POPアーティストRIIZEの魅力大全開SP』 4月28日(日)12:00~13:30放送 ※3回にわたって放送された地上波回に、未公開を加えた番組 文=林 美桜 編集=高橋千里
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アン・ヒョソプ日本ファンミーティングに参戦!韓国俳優の“素顔”をのぞき見|「林美桜のK-POP沼ガール」第14回
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 先日、韓国の俳優さんのファンミーティング始めをしました 『2023 AHN HYO SEOP ASIA TOUR〈THE PRESENT SHOW in TOKYO〉here and now』。 私がアン・ヒョソプさん(*1)を知ったきっかけはドラマではありませんでした。 『ワイド!スクランブル』の出演が終わり、会社でほっとひと息『徹子の部屋』を観ていたら、突然スタジオに登場……!! ドラマを観ていて出会うのではなく、まさかの日本のトーク番組で知った俳優さんです。こんな出会い方もあるんですねぇ。不思議な感じです。 どうしてもリアルに見てみたいと思って、今回ファンミに参戦しました。 もう……美しかったです。私、ずーっと小さく拍手してました。本能的に。 どの角度も完璧、顔を動かすだけで私の中の賞賛があふれ出る。 そして歌がうますぎる、の域でした。 魂から出るようなまっすぐな歌声が素晴らしくって、心の奥の奥まで染み渡る。 バンドのメンバーと時折目を合わせてにっこり笑い合う、なかなか普段は見られないシーンにキュンとしたりして、盛りだくさんなファンミでした。 話し方やゲームで「個性が見える」ファンミの魅力 2024年のスタートはアン・ヒョソプさんでしたが、去年も何回かほかの方のファンミに参加しました! ジニョンさん(GOT7)、カン・ハヌルさん、テギョンさん(2PM)、チョン・イルさん、アン・ボヒョンさん、チョン・ヘインさん、チェ・ウシクさんなど K-POPイベントも好きなんですが、韓国の俳優さんのファンミも好きです。 韓国ドラマの中で気になった俳優さんが、画面の中ではなく私たちと同じ空間に存在している……それだけでも感動的な時間を過ごせます。 しかも! 何かの役を演じているわけではない、素の姿で!!です。 アーティストと違って俳優さんはコンテンツにあふれているわけではないため、本当に貴重。 歌がうまい方、シャイな方、お話し上手な方など、2時間くらい見ているだけでもだいぶ個性が見えてきます。 司会とのコミュニケーションの取り方で、ツッコミなのかボケなのか。 ファンからの質問が書かれた紙を、じっくり読みながら選ぶのか、はたまたパッと目についたものを選ぶのか。 ゲームをすれば、負けず嫌いなタイプなのか……などなど。 その方らしさあふれるファンミになるからおもしろいです。 多忙な韓国俳優さんの日常に思いを馳せる 俳優さんもなかなかこういった機会がたくさんあるわけではないと思うので、緊張されている方も多くて、ファンも距離感がわからない……。 最初の数十分、なんだか恥ずかしくて、お互いウフフみたいな時間が生まれたりするのも初々しさがあふれて最高。 また、普段の生活をお話ししてくださる中で、落ち込んだときの立ち直り方、ストレス発散法なんかは特に興味深く聞いちゃいます。 韓国は日本と違い、テレビで流れるドラマは週2回放送なので、忙しい中そんな過ごし方をしているのかぁと思いを馳せたり。 ときめきで胸いっぱいの帰り道、仲間と語り尽くして、家に帰ったらお酒を飲みながら、今日出会えた俳優さんの出演ドラマを観る。 これが本当に最高な瞬間です。 今年もたくさんのファンミに足を運べるよう、仕事をがんばろうと思っています。 林美桜のチョアチョア♡メモ *1/アン・ヒョソプ 韓国ドラマ『恋する指輪〜三つ色のファンタジー〜』『30だけど17です』などに出演。2022年に放送された『社内お見合い』の主演で人気に火がつきました。Netflixでも観られます。 INFORMATION CSテレ朝チャンネル1 3月10日(日)12:00~14:10 <アンコール放送>『2023 アン・ヒョソプ ASIA TOUR〈THE PRESENT SHOW in JAPAN〉here and now』 視聴方法はこちら(https://www.tv-asahi.co.jp/ch/method/) 文=林 美桜 編集=高橋千里
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メイクショップで“韓国アナウンサー”に変身!2023夏の渡韓レポ・その3|「林美桜のK-POP沼ガール」第13回
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム LIGHTSUM回を挟みましたが…… 2003年夏の渡韓レポ、今回が最終回です。 以前、韓国アイドルメイクをするべくTWICE御用達メイクショップ「Bit&Boot」に行きましたが、今回は……!! 話題のメイクショップ【@theclassmakeup】で“韓国アナウンサーメイク”(拍手)。 Instagramなどで、韓国のアナウンサーやアナウンサー志望の方のメイクを見て、ずっと気になっていたんです。 「韓国のアナウンサーになりたい」。 今回の旅の一番の目的と言っても過言ではありませんでした。 ……と意気込んで韓国に行ったものの、朝早くからの予約しか取れなかったため朝6時に起き、眠気に負けてアナウンサーメイクアップへの士気が下がりっぱなしの3人。 朝日を浴びながらタクシー移動。 メイクショップに到着。 こんなたくさんの化粧品、テンション上がる〜! 一気に目が覚めました。 「韓国の“人気”アナウンサーにしてください」。 ほぼ脅迫のようなオーダーで、でき上がった顔がこちら ムラのない陶器のような肌、ぱっちりとしたまつ毛。 韓国の人気アナウンサーです。 アイドルメイクよりもナチュラル、でもアイラインやリップラインなどは、はっきりくっきり。 メイク中、韓国の本物のアナウンサーさんかアナウンサー志望らしき方(?)が何人もいらっしゃって、「かわいい〜」と心の中で叫びまくりました。 普段、テレビ朝日のアナウンサーは、髪型はメイクさんに作っていただきますが、顔は自分でメイクしています。 自分で完全再現は難しいですが、いろいろ学べました。 メイクアップアーティストの方も優しくて、楽しくお話しさせていただけてうれしかったです。 韓国の人気アナウンサー、新沙のカフェへ! 韓国の人気アナウンサーになった3人は、街に繰り出します。 韓国の人気アナウンサーに、わんちゃんもびっくり。 NUDAKE SINSA THE CROISSANT NUDAKEはどこの店舗も斬新でおしゃれなんですが、 今回は新沙(シンサ)の新しい店舗へ。 おにぎり型クロワッサンが推し。 洗練された店内。 至るところにクロワッサン。 全力でかわいい!! ちょっとしたシュールさも兼ね備えたキュートは、脳内をかわいいで埋め尽くします。 紙袋にまでこだわりが。 「大満足」な韓国の人気アナウンサー。 撮影が楽しい! メイクアップが無敵すぎる。 早起きの苦労をここで完全に回収できました。 新感覚なおしゃれカフェ、韓国カフェの最先端を感じたので皆様もぜひ! 聖水エリアで、友人たちと最後の時間 その後は、聖水(ソンス)エリアに移動。 小物や洋服を見たり、以前訪れた店を再訪してみたり。 NewJeansのうさぎちゃん。 2PMのテギョンさんが出演していたドラマ『ヴィンチェンツォ』のロケ地巡りも。 歩き疲れてストレッチ。 韓国ドラマを観る方はよく目にする、公園の運動機器(*1)。 最後は 金豚食堂。 アーティストがよく訪れるというだけあって、日本や海外のファンがいっぱいでした。 友人たちと韓国旅行を振り返りながらサムギョプサル。 ここで友人たちとはお別れ。 旅行に行くと目の色が変わってスケジュールの鬼になる林についてきてくれて、ありがとう。 ほかの人だったら呆れて帰国してるよ、本当に……。 急激に寂しさに襲われる林、その後、半日寝込みました。 JYP新社屋に、心から「ありがとう」 次の日は 新しくなったJYP社屋(*2)へ。 電車に揺られて1時間弱。 普段の行動範囲から離れて、駅からも遠いし 合っているのか……? と引き返しそうになった瞬間、 見えました。 輝くJYP 。 前の社屋はよく訪れていたのですが、初の新社屋。 スタイリッシュになっちゃって……。 昔は事務所前のダンキンドーナツからJYPを眺めたなぁ。 少し立ち止まって見ていたら、練習生のような方がちらほら。 「練習がんばって」と親のような気持ちで登校を見送り、「2PMをはじめ、素晴らしいアーティストを世に送り出してくださってありがとうございます。そのおかげで私は生かされています」。 きらめくJYPの文字に手を合わせて帰りました。 旅の最後は、リウム美術館へ そのあとは、リウム美術館にも行ってみました。 コンパクトで見やすく、歴史を感じるものからポップなものまでいろいろな展示があり、楽しめました。 作品の色や素材にその土地らしさを感じられるからおもしろいですよね。 ランチは、美術館近くのこのお店にしました。 韓国のお友達のおすすめ。 スタイリッシュなキムチチャーハン。 ハムカツもおすすめだそうです! とってもおいしかった。 ちょっとブラブラして帰国。 最後に2PMジュノを発見。 また来るね、韓国。 長々と書いてしまいましたが…… 夏の韓国旅行編、おしまい。 林美桜のチョアチョア♡メモ *1/公園の運動機器 韓国ドラマでよく目にする運動機器。無料でトレーニングできます *2/新しくなったJYP社屋 TWICEや2PMなどが所属しているJYPエンターテインメントの新社屋が2020年に建設されました。以前の社屋の10倍の面積だと話題に……! 昔は所属アーティストの写真が社屋の壁にずらっと貼られていたんですが、新社屋にはありませんでした。懐かしいです 文=林 美桜 編集=高橋千里
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“萌え断”たまごトーストが絶品!半世紀前の味を引き継ぐ古民家カフェ「喫茶 ばらーど」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第4杯
「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート “萌え断”たまごトーストが絶品!半世紀前の味を引き継ぐ古民家カフェ「喫茶 ばらーど」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第4杯 月に一度、喫茶店について記事を書くようになったが、私生活でも月の半分くらいは喫茶店に足を運んでいる。 コーヒーが好きなのはもちろんあるが、喫茶店特有のゆったりとした温かみのある空間を求めているというのが大きい。年季の入った道具やレトロな雑貨、素敵な照明や家具が愛おしくて好きだ。 そこで最近、私は自分の部屋を喫茶店のような空間にしようと決めた。喫茶店に行く頻度がさすがに高いので、少しは家で落ち着いてコーヒーを飲むようにしたいという思いもある。 そうと決めたら家具屋や雑貨屋を巡るようになるわけだが、アンティークショップで大量に並んでいる雑貨を見ていると、喫茶店らしい部屋には何が必要なのかだんだんとわからなくなってしまうのだ。 そして、「部屋の参考にするため」という口実でまた喫茶店に行っている。ここ数週間はむしろこれまでの3割増しくらいの頻度で喫茶店を巡るようになった。歯止めがかからないのだとわかった。 外観は普通の一軒家。中に入ると…? 今回は、中野駅と高円寺駅のちょうど間のあたりにあるお店へ。お笑いライブや古着も趣味なので、個人的には親しみ深い地域だ。 中野駅からだと、北口を出て中野セントラルパークを通って早稲田通りまで歩いて行くコースで15分ほど。公園の景色を見ながらだと、思いのほかあっという間だった。 地図アプリを見ていたら通り過ぎてしまいそうになったのだが、緑の看板が目印。看板脇の小道を進んだ先にあるのが、今回の目的地である「喫茶 ばらーど」さんである。 外観は普通の一軒家で、小学生のころに友達の家に遊びに行っていた光景を思い出す。 玄関で靴を脱ぎ、すぐ手前の部屋に入ると、そこは落ち着いた空気の流れる喫茶店。窓の外から光も差し込み、席に着いたとたん穏やかな気持ちになる。 手が止まらない!たまごトーストとアイスカフェオレ 人気のメニューだというたまごトーストと、アイスカフェオレを注文。冬のつもりの格好で家を出たら、思いのほか暖かくて少し汗をかいてしまった。アイスを頼み始めたらもう春だ。 たまごトーストはホットサンドのようなものなのか、トーストにペーストたまごが乗っているものなのだろうか、と考えていたところに届いた。 これはいわゆる「萌え断」というやつではないだろうか。トーストに挟まれた美しい黄色のたまごは分厚い。 テーブルには塩とコショウも置いてもらったが、何もつけずにいただいてみる。ふわっふわのたまご焼きが極上で、バターがしみたトーストも最高においしい。 外側はカリカリだが、パン自体もふんわりとしていて手が止まらなかった。あと3つ同じものを頼んでもよかったくらいにはおいしかった。 喫茶店で聞こえるコーヒー豆を挽く機械の音も好きだ。店内で流れるクラシックとグラインダーの音が、喫茶店に来たなぁという気持ちにさせてくれる。 カフェオレはミルクの味がしっかりとあるが、コーヒーの香りも強く感じる。飲みやすく食事にも合う味だった。グラスが少し大きめで、しばらくはこの店内でゆっくりしていこうと思わされた。 「コーヒーの神様」直伝の味を引き継ぐ マスターである西島さんにお話を伺った。店内の内装は比較的新しく感じられるのだが、オープンは9年ほど前だという。 昭和37年に建てられた日本家屋の自宅を改装して、1階部分を客席にしたそうだ。よく見るとふすまや押し入れがあったところがわかる。しかし、それはあくまでも現在営業している場所のお話。 「喫茶 ばらーど」というお店自体は、1966年に西島さんが神田でオープンした。そこから神田、上野、京橋と移転しながら、1代でずっと営業をしているそう。 マスターは取材日時点で81歳とのことで仰天した。今も奥様とふたりで月曜日から土曜日まで毎日午前9時から午後5時まで営業されている。おふたりともご健康でいらっしゃるようで、本当に素敵なご夫婦だと思った。 西島さんは昭和36年から有楽町の「メッカ」というコーヒー店で修行をされていたそう。当時「コーヒーの神様」と呼ばれていた罇(もたい)広志さんのお店で、大勢いたお弟子さんの中で西島さんは最後の弟子だったとのこと。 今も当時と同じくコロンビア、モカ、ブラジル、グアテマラを3:3:3:1の割合でブレンドしているそうだ。取り寄せたコーヒー豆を一度トレーに出し、うまく実っていない粃(しいな)という豆を挽く工程も手作業でしているらしい。 ほかにそのような作業をしているお店はあまりないですよねと訪ねたところ、普通はそのまま挽くことが多いが、修行時代のままのやり方でコーヒーを煎れるようにしているとおっしゃっていた。半世紀以上前の名店の味を未だに引き継いでいる日本唯一のお店であろう。 奥様が守り続ける「パンへの熱いこだわり」 トーストやサンドイッチに使われているおいしいパンは、浅草の「パンのペリカン」のものだそうだ。 もともとは浅草とあまり遠くない場所で営業していたため、毎日配送してもらって使っていたとのこと。しかし移転してお店が中野になったため、さすがに毎日配送してもらうことはできなくなってしまったそうだ。 何十年も使ってきたというこだわりはあるが、新鮮な状態のパンを使うには毎日仕入れなくてはならない。そこで奥様が「それなら毎日買いに行く」とおっしゃったそうで、今は毎朝4時半起きで店内の清掃をしてから浅草まで買いに行っているという。 お店で仕事されている様子からクールなお方に見えたのだが、このエピソードから、とても熱い方なのだろうと伝わってきた。カッコいい。 「今日の日はさようなら」作詞家・金子詔一も訪れる 店内の机や椅子や家具は、以前の店舗で使っていたものをそのまま置いているそうだ。たしかによく見ると年季が入っているが、どれもきれいで大切に使われてきた歴史がうかがい知れる。 シュガーポットやミルクピッチャーも、昭和の時代からずっと使っているものだという。銅製のものは味が出ていて、人の力では作り出すことのできないレトロさを感じられるから好きだ。あまり見たことのない照明や時計もあって、好奇心をくすぐられた。 店内中央に飾られている大きな書には「今日の日はさようなら」の歌詞が書かれている。これは書道が趣味の奥様が、作詞された金子詔一さんに承諾を得て書いたものだという。 この書をコンクールに出したそうで、持ち帰ってみたところ見事に店内のスペースにぴったり収まったそうだ。まさにシンデレラフィット。ちなみに金子さんも、このお店に訪れるお客さんとのこと。 「お店を辞めようかと思った」それでも中野で続ける理由 場所は何度か変わっているが、オープン当初からずっと来続けているお客様もいるそう。 神田の店舗に20歳のころに来ていた方は、70代になった今も毎週中野まで足を運んでいるらしい。母から子へと2代で来店している方や、遠方から来るお客さんも多いようで、「ばらーど」がたくさんの人に愛されるお店だということがよくわかった。 お店の歴史やコーヒーについて、たっぷりとお話ししてくださったマスター。10年前に京橋のテナントが開発のため移転せざるを得なくなったときに、お店を辞めようかとも思ったそうだ。 しかし、ずっと愛してくれるお客さんがいることと、まだまだ自分も元気でいるために中野の自宅で営業することを決めた。 コーヒーも人も好きな方が店主のお店は、とても居心地がいい。ご夫婦の二人三脚で営業している「ばらーど」はこれからも続いていくことであろう。また必ず訪れたい。 東京都内で小道を進んだ先にある温かな空間。ほっとひと息つきたいときにおすすめしたい素敵なお店だった。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 喫茶 ばらーど 9時〜18時、不定休 東京都中野区野方1-44-1 中野駅から徒歩15分 高円寺駅から徒歩13分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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まるで夢の国?お城でアートと自家焙煎コーヒーが堪能できる「パペルブルグ」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第3杯
「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート 少し前に引っ越しをした。長らく住んだ街を離れるのはやはり寂しかったが、新たな土地の喫茶店を開拓できているのはとても楽しい。 これまで使っていなかった路線沿いにも多くの喫茶店があることがわかったので、寂しさはあっという間に飛んでいき、今は喫茶店を巡る日を楽しみにしている。 インターネットや本や友人からのおすすめで、行きたい喫茶店は日に日に増えていく。それらはすべてスマートフォンのメモに記録しており、実際に足を運んだらチェックマークをつけるようにしている。 ただ、遠方や慣れない土地はどうしても腰が重く、なかなか行けない。 そこに差し込んだひと筋の光が、この連載だ。記事に書くという大きな目的があることで、普段なら行けない場所へもスキップで向かえる。 八王子に現れた、お城のような喫茶店 今回、私は新宿から京王線で京王片倉駅へ。そこからさらにバスで15分ほど御殿山のほうへ進み、八王子と橋本のちょうど間のあたりの自然公園前というバス停で降りる。 バス停を降りてすぐ目の前に現れる、別世界のお城のような建物。ここがお目当てのお店「Pappelburg(パペルブルグ)」さんだ。 さっそく店内に入ろうとするのだが、まずお店の入口の扉から空気が違う。引き合いに出すものでもないが、夢の国にいるときのようなワクワクとした世界を感じられた。ほんの少し息を吸って立派な木の扉を開く。 遊園地に来た子供さながら、「わぁ〜!」という声を抑えられなかった。 高い天井に大きな壁画、鹿の剥製やアンティーク調の照明や家具たちがお迎えしてくれる広い空間は、おとぎ話の中に入ってしまったかと錯覚する。 SNSで写真は見たことがあったが、その何十倍も圧倒される空間だ。窓際の席に案内してもらい、温かみのある木の椅子に座る。 魔法の書のようなかわいらしいメニューを開くと、コーヒーはもちろん、食事もデザートも種類豊富。注文を決めるのについ悩んでしまうが、優しい音楽が流れるゆったりとした店内にいると、優柔不断でよかったとも思えた。 ランチの時間に伺ったので、今回はランチセットの日替わりセットをいただくことにした。 平日の14時過ぎだったもののお客さんは何組もおり、途切れることなく常に人がいた。休日は満員で、店内に入るために外で数組待っている日もあるとのこと。 昼下がりの店内には陽の光が差し込み、柔らかな空気が流れていた。開店してすぐの時間帯や、陽が落ちたころもそれぞれ違う表情があるのだろうと思うと、訪れてまだ何分も経っていないのにまた来たいと感じる。 春の訪れを感じる、本格クリームパスタ 彩り鮮やかなランチセットのサラダ。サラダにパプリカが入っているとうれしいし、ナッツが乗っているともっとうれしい。これはとてもうれしいサラダ。さっぱりとしたドレッシングもおいしかった。 この日の日替わりは菜の花とサーモンのクリームパスタ。店員さんいわくパスタは人気メニューのひとつらしい。 春の訪れを感じる、とてもおいしいメニューだった。クリームが濃厚で、具材もたっぷり。オリーブとチーズも相まって絶妙な味わい。 セットでついてくるバゲットでクリームを食べるのもまたおいしい。喫茶店のメニューというよりは、専門店で食べているような本格的なパスタだった。 ランチにプラス500円でドリンクデザートセットを追加できる。ランチのコーヒーは、ランチ用にブレンドされたものだという。香りがよく苦味が強めのコーヒーは食後にぴったり。なにより甘いデザートによく合う味わいだ。 デザートは焼き菓子とオレンジのジュレ。食後にちょうどよいサイズで、コーヒーを飲みながらゆったりできる最高のセットだ。 建築時から30年以上続く、アトリエのような店内 店長さんに、お店についていろいろと伺った。 パペルブルグは1991年に先代がオープンしたお店で、一から建てられた喫茶店だそう。素晴らしい外装や内装は、2年ほどかけて国内外からこだわって集めたレンガや木材を使って、イギリスやドイツの建築をモチーフにデザインされている。 床板に船の甲板の板が使われていたり、日本家屋の廃材に彫刻を施したものを柱にしていたり、細部までとことんこだわられているらしい。 店内の家具も統一感があって素敵だったのだが、これらはすべてオープン時に職人さんに一から作ってもらったとのこと。 それ以降、新しい家具を買い足したりすることなく30年以上営業しているそうで、お店全体がひとつの物語のように感じられるのはこの影響だろうと感じた。 店内でひときわ目立つ大きな壁画は多摩美術大学の先生が描いたもので、グリム童話の『命の水』のクライマックスシーンを描いているのだそう。 外壁にも絵があるのだが、そこからストーリーがつながっていて、店内のクライマックスに向かっているとのこと。教えていただかなければ気づかなかっただろう。 店内のドアノブのタペストリーに至るまで、隅から隅までお店を形成するものはお店のために作られたものなのだ。 6人のアーティスト・職人が携わって完成したのが、このパペルブルグ。アート作品も飾られていて、アトリエのような側面もある。 都心の喫茶店では味わえない魅力がたくさん詰まった喫茶店。各テーブルの間隔が広く、贅沢に空間が使われている。 お店の賑わいを考えると席数を増やしてもいいところだが、お客さんにゆっくり過ごしてほしいという思いからゆとりのある客席にしているのだそう。 鮮度の高い自家焙煎コーヒーも また、お店のもうひとつのこだわりはコーヒー。 厚木の「ポプラ館珈琲」という名店ののれん分けで先代がオープンしたのがパペルブルグで、コーヒーはすべて自家焙煎。週に3回ほど焙煎をしており、鮮度の高いコーヒーがいただける。 店長いわく、鮮度が落ちたコーヒーは油が出て表面がテカテカしたり、酸味が強くなったりするそう。たしかにこちらのコーヒーは酸味がなくすっきりとした味だった。新鮮なコーヒーというものをあまり知らなかったため、とても勉強になった。 焼き菓子の販売もされており、かわいらしいパッケージに惹かれてお土産に買って帰った。焼き菓子の販売は昨年から始まったそうで、こちらもパペルブルグのコーヒーに合うものをレシピから作ったとのこと。 パッケージもオリジナルでお店のイメージにあったものが描かれている。オープン当初から完成されていた世界を引き継ぎ、その世界のままより広げるような新たな試みがされているのがとても素敵だと感じる。 一から作られているお店だからこそ、何もかもがパペルブルグ仕様なのだとよくわかった。 都心では体験できない特別な時間。少し足を延ばしてでも行くべき名店だった。一度はこの素晴らしい世界の扉を開いてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 Pappelburg(パペルブルグ) 10時〜19時(ラストオーダー:18時30分)不定休 東京都八王子市鑓水530-1 神奈川中央交通バスで「自然公園前」下車すぐ 八王子みなみ野駅から徒歩30分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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厚切りピザトースト×ゴージャスプリンに食欲が止まらない!長年愛される純喫茶「珈琲道場 侍」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第2杯
「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート 指先が冷えるようになってきて、注文はアイスからホットに変わる。 喫茶店に行った写真をまとめたフォルダを開くと、グラスが並ぶ時期とカップが並ぶ時期がくっきり分かれていて少しおもしろい。 変化の多すぎる世の中で、変わらない空間を求めて喫茶店に向かっているのかもしれないと最近思った。 そのなかで、焼きリンゴやホットココアなどの冬季メニューや雪だるまの置物を見ると、小さな変化にほっこりする。 一度見たら忘れられない「珈琲」と「道場」の組み合わせ 今回伺ったのは東京亀戸の「珈琲道場 侍」さん。1978年に行徳でオープンし、30年ほど前に亀戸で引き継がれた、長年愛されているお店だ。 亀戸駅東口を出るとすぐに目に入る「侍」の文字が目印。ずいぶんと前に読んだ喫茶店を紹介する本に載っていて、「道場」「侍」という喫茶店とかけ離れたような単語に心が躍った。 「〇〇珈琲」「喫茶〇〇」は店名の定番のかたちだと思うのだが、「珈琲」と「道場」の組み合わせは一度見ると忘れられなくなる。 亀戸という土地に行く機会がなかなかなく、このお店にも行けていなかったのだが、今回ようやく訪れることができてうれしい。 階段で2階へ上がると、やはり侍の字が目に入る。侍という1文字を見ることがあまりないので、たしかにこんな字だなと思いながら扉を開いた。 いきなり驚いた。扉を開けた目前には立派な甲冑(かっちゅう)と水出しコーヒーのドリッパー。まさに侍と珈琲だ。たった一瞬なのにお店の空気感に圧倒されてしまった。 喫茶店の内装・照明が大好きなのだが、とにかくこのお店はたまらなかった。土壁のような塗り壁で、灯篭(とうろう)風の照明が店内のあちこちにある。 和のテイストが基調とされているが、ダークブラウンのカウンターやソファの席には喫茶店特有の魅力があり、見事なまでに調和した居心地のいい空間となっている。近くにあれば毎日でも通いたいくらいだ。 チーズも野菜もたっぷり!厚切りピザトースト ランチセットがあったのでピザトーストのセットを注文。ドリンク・サラダ・ヨーグルトつきで950円というお手頃な価格。 ちなみに店内に貼られているメニューには「円」ではなく「両」と書かれていた。どこまでもコンセプトが守られている。 ピザトーストはチーズがたっぷりで、玉ねぎ・ピーマン・ベーコンもしっかりと乗っていてとてもおいしい。厚切りのトーストがふわふわで、しっかりとした食べ応えもあった。 ピザトーストにピーマンが乗っていてうれしいのは大人の証だろうか。おいしさに夢中で、あっという間に食べきってしまった。 コーヒーも飲みやすいほどよい苦さと香ばしい香りでおいしい。 カウンターにカップとソーサーがたくさん並んでいて、これも素敵だった。今回の私はメリーゴーランドのようなかわいいカップ。 食事のあとでも食べられる、ゴージャスな自家製プリン そしてもうひとつ人気のものを注文。近くにいらした女性のグループのお客さんもみんなで食べていたのが自家製プリンだ。 メニュー名はプリンなのだが、このプリンはホイップとフルーツで飾りつけられているゴージャスなプリンだ。 たまごを感じられる少し固めのプリンと、苦味のあるカラメルがホイップによく合う。フルーツのさっぱり感も相まって、こちらもスプーンをすくう手が止まらなかった。 食事を楽しんだあとでも食べられる。人気の理由がよくわかった。 カウンター席はすべてロッキングチェア! 今回はテーブル席に座らせてもらったが、実は「珈琲道場 侍」にはカウンターにも珍しいものがある。カウンター席はすべてロッキングチェアなのだ。 取材時はお昼時を少し過ぎたくらいの時間帯だったが、ロッキングチェアの席は常にほぼすべて埋まっていた。落ち着いた空間であのイスに揺られたらさぞかし気持ちがいいだろう。 ちなみにお店は8時から23時(金・土は24時)まで営業しており、カクテルのメニューもある。お酒が飲めるようになったら、あのロッキングチェアでカクテルもいただきたい。 「珈琲道場 侍」のおかげで、亀戸が好きになった 珈琲と侍という珍しいコンセプトが生んだ、どこを探してもない特別な空間。 店内は老若男女を問わずさまざまで、学校帰りのような学生もいた。店員さんも皆様とても素敵な方で、このお店が愛される理由がよくわかった。 亀戸というと餃子くらいしか知らなかったが、これからは「侍」がある土地という認識になりそうだ。 どの時間に訪れてもそれぞれのよさがあるだろう。どんな人にでもおすすめしたいお店だ。 好きな喫茶店があるとその街も好きになる。次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 珈琲道場 侍 8時〜23時(金・土は24時まで)日曜は定休日 東京都江東区亀戸6-57-22 サンポービル2階 亀戸駅東口より徒歩1分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
奥森皐月の公私混同<収録後記>
「logirl」で毎週配信中の『奥森皐月の公私混同』。そのスピンオフのテキスト版として、MCの奥森皐月が自ら執筆する連載コラム
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涙の最終回!? 2年半の思い出を振り返る|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第30回
転んでも泣きません、大人です。奥森皐月です。 この記事では私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』の収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを毎月書いています。今回の記事で最終回。 『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の9月に配信された第41回から最終回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがすべて視聴できます。過去回でおもしろいものは数えきれぬほどあるので、興味がある方はぜひ観ていただきたいです。 「見せたい景色がある」展望タワーの存在意義 (写真:奥森皐月の公私混同 第41回「タワー、私に教えてください!」) 第41回のテーマは「タワー、教えてください!」。ゲストに展望タワー・展望台マニアのかねだひろさんにお越しいただきました。 タワーと聞いてやはり思い浮かべるのは、東京タワーやスカイツリー。建築のすごさや造形美を楽しんでいるのだろうかとなんとなく考えていました。ところが、お話を聞いてみるとタワーという概念自体が覆されました。 かねださんご自身のタワーとの出会いのお話が本当におもしろかったです。20代で国内を旅行するようになり、新潟県で偶然バス停として見つけた「日本海タワー」に興味を持って行ってみたとのこと。 実際の画像を私も見ましたが、思っているタワーとはまったく違う建物。細長くて高い、あのタワーではありません。ただ、ここで見た景色をきっかけにまた別のタワーに行き、タワーの魅力にハマっていったそうです。 その土地を見渡したときに初めてその土地をわかったような気がした、というお話がとても素敵だと感じました。 たとえば京都旅行に行ったとして、金閣寺や清水寺など名所を回ることはあります。ただ、それはあくまでも京都の中の観光地に行っただけであって「京都府」を楽しんだとはいえないと、前から少し思っていました。 そこでタワーのよさが刺さった。たしかに、その地域や都市を広く見渡すことができれば気づきがたくさんあると思います。 もちろん造形的な楽しみ方もされているようでしたが、展望タワーからの景色というものはほかでは味わえない魅力があります。 かねださんが「そこに展望タワーがあるということは、見せたい景色がある」というようなことをお話しされていたのにも感銘を受けました。 いわゆる“高さのあるタワー”ではないところの展望台などは少し盛り上がりに欠けるのではないか、なんて思ってしまっていたけれど、その施設がある時点でその景色を見せたいという意思がありますね。 有効期限がたった1年の、全国の19タワーを巡るスタンプラリーを毎年されているという話も興味深かったです。最初の印象としては、一度訪れたところに何度も行くことの楽しみがよくわからなかったです。 でも、天気や季節、建物が壊されたり新しく建築されたりと常に変化していて「一度として同じ景色はない」というお話を聞いて納得しました。タワーはずっと同じ場所にあるのだから、まさに定点観測ですよね。 今後旅行に行くときはその近くのタワーに行ってみようと思いましたし、足を運んだことのある東京タワーやスカイツリーにもまた行こうと思いました。 収録後、速攻でかねださんの著書『日本展望タワー大全』を購入しました。最近も、小規模ではありますが2度、展望台に行きました。展望タワーの世界に着々と引き込まれています。 究極のパフェは、もはや芸術作品!? (写真:奥森皐月の公私混同 第42回「パフェ、私に教えてください!」) 第42回は、ゲストにパフェ愛好家の東雲郁さんにお越しいただき「パフェ、教えてください!」のテーマでお送りしました。 ここ数年パフェがブームになっている印象でしたが、流行りのパフェについてはあまり知識がありませんでした。 このような記事を書くときはたいていファミレスに行くので、そこでパフェを食べることがしばしばあります。あとは、純喫茶でどうしても気になったときだけは頼みます。ただ、重たいので本当にたまにしか食べないものという存在です。 東雲さんはもともとアイス好きとのことで、なんとアイスのメーカーに勤めていた経験もあるとのこと。〇〇好きの範疇を超えています。 そのころにパフェ用のアイスの開発などに携わり、そこからパフェのほうに関心が向いたそうです。お仕事がキッカケという意外な入口でした。それと同時に、パフェ専用のアイスというものがあるのも、意識したことがなかったので少し驚かされました。 最近のこだわり抜かれたパフェは“構成表”なるものがついてくるそう。パフェの写真やイラストに線が引かれていて、一つひとつのパーツがなんなのか説明が書かれているのです。 昔ながらの、チョコソース、バニラソフトクリーム、コーンフレークのように、見てわかるもので作られていない。野菜のソルベやスパイスのソースなど、本当に複雑なパーツが何十種も組み合わさってひとつのパフェになっている。 実際の構成表を見せていただきましたが、もはや読んでもなんなのかわからなかったです。「桃のアイス」とかならわかるのですが、「〇〇の〇〇」で上の句も下の句もわからないやつがありました。 ビスキュイとかクランブルとか、それは食べられるやつですか?と思ってしまいます。難しい世界だ。難しいのにおいしいのでしょうね。 ランキングのコーナーでは「パフェの概念が変わる東京パフェベスト3」をご紹介いただきました。どのお店も本当においしそうでしたが、写真で見ても圧倒される美しさ。もはや芸術作品の域で、ほかのスイーツにはない見た目の豪華さも魅力だよなと感じさせられました。 予約が取れないどころか普段は営業していないお店まであるそうで、究極のパフェのすごさを感じるランキングでした。何かを成し遂げたらごほうびとして行きたいです。 マニアだからとはいえ、東雲さんは1日に何軒もハシゴすることもあるとのこと。破産しない程度に、私も贅沢なパフェを食べられたらと思います。 1年間を振り返ったベスト3を作成! (写真:奥森皐月の公私混同 第43回「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」) 第43回のテーマは「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」ということで、久しぶりのラジオ回。昨年の10月からゲストをお招きして、あるテーマについて教えてもらうスタイルになったので、まるまる1年分あれこれ話しながら振り返りました。 リスナーからも「ソレ、私に教えてください!」というテーマで1年の感想や思い出などを送ってもらいましたが、印象的な回がわりと被っていて、みんな同じような気持ちだったのだなとうれしい気持ちになりました。 スタートして4回のうち2回が可児正さんと高木払いさんだったという“都トムコンプリート早すぎ事件”にもきちんと指摘のメールが来ました。 また、過去回の中で複雑だったお話からクイズが出るという、習熟度テストのようなメールもいただいて楽しかったです。みなさんは答えがわかるでしょうか。 この回では、私もこの1年での出来事をランキング形式で紹介しました。いつもはゲストさんにベスト3を作ってもらってきましたが、今度はそれを振り返りベスト3にするという、ベスト3のウロボロス。マトリョーシカ。果たしてこのたとえは正しいのでしょうか。 印象がガラリと変わったり、まったく興味のなかったところから興味が湧いたりしたものを紹介する「1時間で大きく心が動いた回ベスト3」、情報番組や教育番組として成立してしまうとすら思った「シンプルに!情報として役立つ回ベスト3」、本当に独特だと思った方をまとめた「アクの強かったゲストベスト3」、意表を突かれた「ソコ!?と思ったランキングタイトルベスト3」の4テーマを用意しました。 各ランキングを見た上で、ぜひ過去回を観直していただきたいです。我ながらいいランキングを作れたと思っています。 ハプニングと感動に包まれた『公私混同』最終回 (写真:奥森皐月の公私混同最終回!奥森皐月一問一答!) 9月最後は生配信で最終回をお届けしました。 2年半続いた『奥森皐月の公私混同』ですが、通常回の生配信は2回目。視聴者のみなさんと同じ時間を共有することができて本当に楽しかったです。 最終回だというのに、冒頭から「マイクの電源が入っていない」「配信のURLを告知できていなくて誰も観られていない」という恐ろしいハプニングが続いてすごかったです。こういうのを「持っている」というのでしょうか。 リアルタイムでX(旧Twitter)のリアクションを確認し、届いたメールをチェックしながら読み、進行をし、フリートークをして、ムチャ振りにも応える。 ハイパーマルチタスクパーソナリティとしての本領を発揮いたしました。かなりすごいことをしている。こういうことを自分で言っていきます。 最近メールが送られてきていなかった方から久々に届いたのもうれしかった。きちんと覚えてくれていてありがとうという気持ちでした。 事前にいただいたメールも、どれもうれしくて幸せを噛みしめました。みなさんそれぞれにこの番組の思い出や記憶があることを誇らしく思います。 配信内でも話しましたが、この番組をきっかけにお友達がたくさん増えました。番組開始時点では友達がいなすぎてひとりで行動している話をよくしていたのですが、今では友達が多い部類に入ってもいいくらいには人に恵まれている。 『公私混同』でお会いしたのをきっかけに仲よくなった方も、ひとりふたりではなく何人もいて、それだけでもこの番組があってよかったと思えるくらいです。 番組後半でのビデオレターもうれしかったです。豪華なみなさんにお越しいただいていたことを再確認できました。帰ってからもう一度ゆっくり見直しました。ありがたい限り。 この2年半は本当に楽しい日々でした。会いたい人にたくさん会えて、挑戦したいことにはすべて挑戦して、普通じゃあり得ない体験を何度もして、幅広いジャンルを学んで。 単独ライブも大喜利も地上波の冠ラジオもテレ朝のイベントも『公私混同』をきっかけにできました。それ以外にも挙げたらキリがないくらいには特別な経験ができました。 スタートしたときは16歳だったのがなんだか笑える。お世辞でも比喩でもなくきちんと成長したと思えています。テレビ朝日さん、logirlさん、スタッフのみなさんに本当に感謝です。 そしてなにより、リスナーの皆様には毎週助けていただきました。ラジオ形式での配信のころはもちろんのこと、ゲスト形式になってからも毎週大喜利コーナーでたくさん投稿をいただき、みなさんとのつながりを感じられていました。 メールを読んで涙が出るくらい笑ったことも何度もあります。毎回新鮮にうれしかったし、みなさんのことが大好きになりました。 #奥森皐月の公私混同 最終回でした。2021年3月から約2年半の間、応援してくださった皆様本当にありがとうございます。メールや投稿もたくさん嬉しかったです。また必ずどこかの場所で会いましょうね、大喜利の準備だけ頼みます。冠ラジオは絶対にやりますし、馬鹿デカくなるので見ていてください。 pic.twitter.com/8Z5F60tuMK — 奥森皐月 (@okumoris) September 28, 2023 『奥森皐月の公私混同』が終了してしまうことは本当に残念です。もっと続けたかったですし、もっともっと楽しいことができたような気もしています。でも、そんなことを言っても仕方がないので、素直にありがとうございましたと言います。 奥森皐月自体は今後も加速し続けながら進んで行く予定です。いや進みます。必ず約束します。毎日「今日売れるぞ」と思って生活しています。 それから、死ぬまで今の好きな仕事をしようと思っています。人生初の冠番組は幕を下ろしましたが、また必ずどこかで楽しい番組をするので、そのときはまた一緒に遊んでください。 私は全員のことを忘れないので覚悟していてください。脅迫めいた終わり方であと味が悪いですね。最終回も泣いたフリをするという絶妙に気味の悪い終わり方だったので、それも私らしいのかなと思います。 この連載もかれこれ2年半がんばりました。1カ月ごとに振り返ることで記憶が定着して、まるで学習内容を復習しているようで楽しかったです。 思い出すことと書くことが大好きなので、この場所がなくなってしまうのもとても寂しい。今後はそのへんの紙の切れ端に、思い出したことを殴り書きしていこうと思います。違う連載ができるのが一番理想ですけれども。 貴重な時間を割いてここまで読んでくださったあなた、ありがとうございます。また会えることをお約束しますね。また。
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W杯で話題のラグビーを学ぼう!破壊力抜群なベスト3|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第29回
季節の和菓子が食べたくなります、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の8月に配信された第36回から第40回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組も、もちろん観られます。 「おすすめの海外旅行先」に意外な国が登場! (写真:奥森皐月の公私混同 第36回「旅行、私に教えてください!」) 第36回のテーマは「旅行、教えてください!」。ゲストに、元JTB芸人・こじま観光さんにお越しいただきました。 仕事で地方へ行くことはたまにありますが、それ以外で旅行に行くことはめったにありません。興味がないわけではないけれど、旅行ってすぐにできないし、習慣というか行き慣れていないとなかなか気軽にできないですよね。 それに加え、私は海外にも行ったことがないので、海外旅行は自分にとってかなり遠い出来事。そのため、どういったお話が聞けるのか楽しみでした。 こじま観光さんはもともとJTBの社員として働かれていたという、「旅行好き」では済まないほど旅行・観光に詳しいお方。パッケージツアーの中身を考えるお仕事などをされていたそうです。 食事、宿泊、観光名所、などすべてがそろって初めて旅行か、と当たり前のことに気づかされました。 旅行が好きになったきっかけのお話が印象的でした。小学生のころ、お父様に「飛行機に乗ったことないよな」と言われて、ふたりでハワイに行ったとのこと。 そこから始まって、海外への興味などが湧いたとのことで、子供のころの経験が今につながっているのは素敵だと感じました。 ベスト3のコーナーでは「奥森さんに今行ってほしい国ベスト3」をご紹介いただきました。海外旅行と聞いて思いつく国はいくつかありましたが、第3位でいきなりアイルランドが出てきて驚きました。 国名としては知っているけれど、どんな国なのかは想像できないような、あまり知らない国が登場するランキングで、各地を巡られているからこそのベスト3だとよく伝わりました。 1位の国もかなり意外な場所でした。「奥森さんに」というタイトルですが、皆さんも参考になると思うので、ぜひチェックしていただきたいです。 11種類もの「釣り方」をレクチャー! (写真:奥森皐月の公私混同 第37回「釣り、私に教えてください!」) 第37回は、ゲストに釣り大好き芸人・ハッピーマックスみしまさんにお越しいただき「釣り、教えてください!」のテーマでお送りしました。 以前「魚、教えてください!」のテーマで一度配信があり、その際に少し釣りについてのパートもありましたが、今回は1時間まるまる釣りについて。 魚回のとき釣りに少し興味が湧いたのですが、やはり始め方や初心者は何からすればいいかがわからないので、そういった点も詳しく聞きたく思い、お招きしました。 大まかに海釣りや川釣りなどに分かれることはさすがにわかるのですが、釣り方には細かくさまざまな種類があることをまず教えていただきました。11種類くらいあるとのことで、知らないものもたくさんありました。釣りって幅広いですね。 みしまさんは特にルアー釣りが好きということで、スタジオに実際にルアーをお持ちいただきました。見たことないくらい大きなものもあるし、カラフルでかわいらしいものもあるし、それぞれのルアーにエピソードがあってよかったです。 また、みしまさんがご自身で○と×のボタンを持ってきてくださって、定期的にクイズを出してくれたのもおもしろかった。全体的な空気感が明るかったです。 「思い出の釣り」のベスト3は、それぞれずっしりとしたエピソードがあり、いいランキングでした。それぞれ写真も見ながら当時の状況を教えてくださったので、釣りを知らない私でも楽しむことができました。 まずは初心者におすすめだという「管理釣り場」から挑戦したいです。 鉄道好きが知る「秘境駅」は唯一無二の景色! (写真:奥森皐月の公私混同 第38回「鉄道、私に教えてください!」) 第38回のテーマは「鉄道、教えてください!」。ゲストに鉄道芸人・レッスン祐輝さんをお招きしました。 鉄道自体に興味がないわけではなく、詳しくはありませんが、好きです。移動手段で電車を使っているのはもちろん、普段乗らない電車に乗って知らない土地に行くのも楽しいと思います。 ただ、鉄道好きが多く規模が大きいことで、楽しみ方が無限にありそう。そのため、あまりのめり込んで鉄道ファンになる機会はありませんでした。 この回のゲストのレッスン祐輝さん、いい意味でめちゃくちゃに「鉄道オタク」でした。あふれ出る情報量と熱量が凄まじかった。 全国各地の鉄道を巡っているとのことで、1日に1本しか走っていない列車や、秘境を走る鉄道にも足を運んでいるそうです。 「秘境駅」というものに魅了されたとのことでしたが、たしかに写真を見ると唯一無二の景色で美しかったです。山奥で、車ですら行けない場所などもあるようで、死ぬまでに一度は行ってみたいなと思いました。 ベスト3では「癖が強すぎる終電」について紹介していただきました。レッスン祐輝さんは鉄道好きの中でも珍しい「終電鉄」らしく、これまでに見た変わった終電のお話が続々と。 終電に乗るせいで家に帰れないこともあるとおっしゃっていて、終電なんて帰るためのものだと思っていたので、なんだかおもしろかったです。 あのインドカレーは「混ぜて食べてもOK」!? (写真:奥森皐月の公私混同 第39回「カレー、私に教えてください!」) 第39回は、ゲストにカレー芸人・桑原和也さんにお越しいただき「カレー、教えてください!」をお送りしました。 私もカレーは大好き。インドカレーのお店によく行きます、ナンが食べたい日がかなりある。 「カレー」とひと言でいえど、さまざまな種類がありますよね。日本風のカレーライスから、ナンで食べるカレー、タイカレーなど。 近年流行っている「スパイスカレー」も名前としては知っていましたが、それがなんなのか聞くことができてよかったです。関西が発祥というのは初めて知りました。 カレー屋さんは東京が栄えているのだと思っていたのですが、関西のほうが名店がたくさんあるとのことで、次に関西に行ったら必ずカレーを食べようと心に決めました。 インドカレーにも種類があるらしく、たまにカレー屋さんで見かける、銀のプレートに小さい銀のボウルで複数種類のカレーが乗っていてお米が真ん中にあるようなスタイルは、南インドの「ミールス」と呼ばれるものだそうです。 今まで、ミールスは食べる順番や配分が難しい印象だったのですが、桑原さんから「混ぜて食べてもいい」というお話を聞き、衝撃を受けました。銀のプレートにひっくり返して、ひとつにしてしまっていいらしいです。 違うカレーの味が混ざることで新たな味わいが生まれ、辛さがマイルドになったり、別のおいしさが感じられるようになったりするとのこと。次にミールスに出会ったら絶対に混ぜます。 ランキングは「オススメのレトルトカレー」という実用的な情報でした。 レトルトカレーで冒険できないのは私だけでしょうか。最近はレトルトでも本当においしくていろいろな種類が発売されているようで、3つとも初めてお目にかかるものでした。 自宅で簡単に食べられるおいしいカレー、皆さんもぜひ参考にしてみてください。 9月のW杯に向けて「ラグビー」を学ぼう! (写真:奥森皐月の公私混同 第40回「ラグビー、私に教えてください!」) 8月最後の配信のテーマは「ラグビー、教えてください!」で、ゲストにラグビー二郎さんにお越しいただきました。 9月にラグビーワールドカップがあるので、それに向けて学ぼうという回。 私はもともとスポーツにまったく興味がなく、現地観戦はおろかテレビでもほとんどのスポーツを観たことがありませんでした。それが、この『公私混同』をきっかけにサッカーW杯を観て、WBCを観て、相撲を観て、と大成長を遂げました。 この調子でラグビーもわかるようになりたい。ラグビー二郎さんはラグビー経験者ということで、プレイヤー視点でのお話もあっておもしろかったです。 ルールが難しい印象ですが、あまり理解しないで観始めても大丈夫とのこと。まずはその迫力を感じるだけでも楽しめるそうです。直感的に楽しむのって大事ですよね。 前回、前々回のラグビーW杯もかなり盛り上がっていたので、要素としての情報は少しだけ知っていました。 その中で「ハカ」は、言葉としてはわかるけれど具体的になんなのかよくわからなかったので、詳しく教えていただけてうれしかったです。実演もしていただいてありがたい。 ここからのランキングが非常によかった。「ハカをやってるときの対戦相手の対応」というマニアックなベスト3でした。 ハカの最中に対戦相手が挑発的な対応をすることもあるらしく、過去に本当にあった名場面的な対応を3つご紹介いただきました。 どれも破壊力抜群のおもしろさで、ランキングタイトルを聞いたときのわくわく感をさらに上回る数々。本編でご確認いただきたい。 今年のワールドカップを観るのはもちろん、ハカのときの対戦相手の対応という細かいところまできちんと見届けたいと強く感じました。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 奥森皐月の公私混同ではメールを募集しています。 募集内容はX(Twitter)に定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは毎週アフタートークが公開されています。 最近のことを話したり、あれこれ考えたりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式X(Twitter)アカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! 今週は!1年間の振り返り放送です!!! コーナーリスナー的ベスト3 奥森さんへの質問、感想メール募集します! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は9/19(火)10時です! pic.twitter.com/nazDBoFSDk — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) September 18, 2023 奥森皐月個人のX(Twitter)アカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 キングオブコントのインタビュー動画 男性ブランコのサムネイルも漢字二文字だ、もはや漢字二文字待ちみたいになってきている、各芸人さんの漢字二文字考えたいな、そんなこと一緒にしてくれる人いないから1人で考えます、1人で色々な二文字を考えようと思います https://t.co/dfCQQVlhrg pic.twitter.com/LMpwxWhgUF — 奥森皐月 (@okumoris) September 19, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は、なんと収録後記の最終回です。 番組開始当初から毎月欠かさず書いてきましたが、9月末で番組が終了ということで、こちらもおしまい。とても寂しいですが、最後まで読んでいただけるとうれしいです。
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宮下草薙・宮下と再会!ボードゲームの驚くべき進化|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第28回
ドライブがしたいなと思ったら車を借りてドライブをします、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の7月に配信された第32回から第35回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組ももちろん観られます。 かれこれ2年半もこの番組を続けています。もっとがんばってるねとか言ってほしいです。 宮下草薙・宮下が「ボードゲームの驚くべき進化」をプレゼン (写真:奥森皐月の公私混同 第32回「ボードゲーム、私に教えてください!」) 第32回のテーマは「ボードゲーム、教えてください!」。ゲストに、宮下草薙の宮下さんにお越しいただきました。 昨年のテレビ朝日の夏イベント『サマステ』ではこの番組のステージがあり、ゲストに宮下草薙さんをお招きしました。それ以来、約1年ぶりにお会いできてうれしかったです。 宮下さんといえばおもちゃ好きとして知られていますが、今回はその中でも特に宮下さんが詳しい「ボードゲーム」に特化してお話を伺いました。 巷では「ボードゲームカフェ」なるものが流行っているようですが、私はほとんどプレイしたことがありません。『人生ゲーム』すら、ちゃんとやったことがあるか記憶が曖昧。ひとりっ子だったからかしら。 そんななか、ボードゲームは驚くべき進化を遂げていることを、宮下さんが魅力たっぷりに教えてくださいました。 大人数でプレイするものが多いと勝手に思っていましたが、ひとりでできるゲームもたくさんあるそう。ひとりでボードゲームをするのは果たして楽しいのだろうかと思ってしまいましたが、実際にあるゲームの話を聞くとおもしろそうでした。購入してみたくなってしまいます。 ボードゲームのよさのひとつが、パーツや付属品などがかわいいということ。デジタルのゲームでは感じられない、手元にあるというよさは大きな魅力だと思います。見た目のかわいさから選んで始めるのも楽しそうです。 ランキングでは「もはや自分のマルチバース」ベスト3をご紹介いただきました。宮下さんが実際にプレイした中でも没入感が強くのめり込んだゲームたちは、どれも最高におもしろそうでした。 「重量級」と呼ばれる、プレイ時間が長くルールが複雑で難しいものも、現物をお持ちいただきましたが、あまりにもパーツが多すぎて驚きました。 それらをすべて理解しながら進めるのは大変だと感じますが、ゲームマスターがいればどうにかできるようです。かっこいい響き。ゲームマスター。 まずはボードゲームカフェで誰かに教わりながら始めたいと思います。本当に興味深いです、ボードゲームの世界は広い。 お城を歩くときは、自分が死ぬ回数を数える (写真:奥森皐月の公私混同 第33回「城、私に教えてください!」) 第33回は、ゲストに城マニア・観光ライターのいなもとかおりさんお越しいただき、「城、教えてください!」のテーマでお送りしました。 建物は好きなのですが歴史にあまり詳しくないため、お城についてはよくわかりません。お城好きの人は多い印象だったのですが、知識が必要そうで自分には難しいのではないかというイメージを抱いていました。 ただ、いなもとさんのお城のお話は、本当におもしろくてわかりやすかった。随所に愛があふれているけれど、初心者の私でも理解できるように丁寧に教えてくださる。熱量と冷静さのバランスが絶妙で、あっという間の1時間でした。 「城」と聞くと、名古屋城や姫路城などのいわゆる「天守」の部分を想像してしまいます。ただ、城という言葉自体の意味では、天守のまわりの壁や堀などもすべて含まれるとのこと。 土が盛られているだけでも城とされる場所もあって、そういった城跡などもすべて含めると、日本に城は4万から5万箇所あるそうです。想像していた数の100倍くらいで本当に驚きました。 いなもとさん流のお城の楽しみ方「攻め込むつもりで歩いたときに何回自分がやられてしまうか数える」というお話がとても印象的です。いかに敵に対抗できているお城かというのを実感するために、天守まで歩きながら死んでしまう回数を数えるそう。おもしろいです。 歴史の知識がなくてもこれならすぐに試せる。次にお城に行くことがあれば、私も絶対に攻める気持ち、そして敵に攻撃されるイメージをしながら歩こうと思います。 コーナーでは「昔の人が残した愛おしいらくがきベスト3」を紹介していただきました。 お城の中でも石垣が好きだといういなもとさん。石垣自体に印がつけられているというのは今回初めて知りました。 それ以外にも、お城には昔の人が残したらくがきがいくつもあって、どれもかわいらしくおもしろかったです。それぞれのお城で、そのらくがきが実際に展示されているとのことで、実物も見てみたいと思いました。 プラスチックを分解できる!? きのこの無限の可能性 (写真:奥森皐月の公私混同 第34回「きのこ、私に教えてください!」) 第34回のテーマは「きのこ、教えてください!」。ゲストに、きのこ大好き芸人・坂井きのこさんをお招きしました。 きのこって身近なのに意外と知らない。安いからスーパーでよく買うし、そこそこ食べているはずなのに、実態についてはまったく理解できていませんでした。「きのこってなんだろう」と考える機会がなかった。 坂井さんは筋金入りのきのこ好きで、幼少期から今までずっときのこに魅了されていることがお話を聞いてわかりました。 山や森などできのこを見つけると、少しうれしい気持ちになりますよね。きのこ狩りをずっとしていると珍しいきのこにもたくさん出会えるようで、単純に宝探しみたいで楽しそうだなぁと思いました。 菌類で、毒があるものもあって、鑑賞してもおもしろくて、食べることもできる。ほかに似たものがない不思議な存在だなぁと改めて思いました。 野菜だったら「葉の部分を食べている」とか「実を食べている」とかわかりやすいですけれど、きのこってじゃあなんだといわれると説明ができない。 基本の基本からきのこについてお聞きできてよかったです。菌類には分解する力があって、きのこがいるから生態系は保たれている。命が尽きたら森に葬られてきのこに分解されたい……とおっしゃっていたときはさすがに変な声が出てしまいました。これも愛のかたちですね。 ランキングコーナーの後半では、きのこのすごさが次々とわかってテンションが上がりました。 特に「プラスチックを分解できるきのこがある」という話は衝撃的。研究がまだまだ進められていないだけで、きのこには無限の可能性が秘められているのだとわかってワクワクしちゃった。 この収録を境に、きのこを少し気にしながら生きるようになった。皆さんもこの配信を観ればきのこに対する心持ちが少し変わると思います。教育番組らしさもあるいい回でした。 「神オブ神」な花火を見てみたい! (写真:奥森皐月の公私混同 第35回「花火、私に教えてください!」) 7月最後の配信のテーマは「花火、教えてください!」で、ゲストに花火マニアの安斎幸裕さんにお越しいただきました。 コロナ禍も落ち着き、今年は本格的にあちこちで花火大会が開催されていますね。8月前半の土日は全国的にも花火大会がたくさん開催される時期とのことで、その少し前の最高のタイミングでお越しいただきました。 花火大会にはそれぞれ開催される背景があり、それらを知ってから花火を見るとより楽しめるというお話が素敵でした。かの有名な長岡の花火大会も、古くからの歴史と想いがあるとのことで、見え方が変わるなぁと感じます。 それから、花火玉ひとつ作るのに相当な時間と労力がかけられていることを知って驚きました。中には数カ月かかって作られるものもあるとのことで、それが一瞬で何十発も打ち上げられるのは本当に儚いと思いました。 このお話を聞いて今年花火大会に行きましたが、一発一発にその手間を感じて、これまでと比べ物にならないくらいに感動しました。派手でない小さめの花火も愛おしく思えた。 安斎さんの花火職人さんに対するリスペクトの気持ちがひしひしと伝わってきて、とてもよかったです。 最初は、本当に尊敬しているのだなぁという印象だったのですが、だんだんその思いがあふれすぎて、推しを語る女子高校生のような口調になられていたのがおもしろかったです。見た目のイメージとのギャップもあって素敵でした。 最終的に、あまりにすごい花火のことを「神オブ神」と言ったり、花火を「神が作った子」と言ったりしていて、笑ってしまいました。 この週の「大喜利公私混同カップ2」のお題が「進化しすぎた最新花火の特徴を教えてください」だったのですが、大喜利の回答に近い花火がいくつも存在していることを教えてくださっておもしろかったです。 大喜利が大喜利にならないくらいに、花火が進化していることがわかりました。このコーナーの大喜利と現実が交錯する瞬間がすごく好き。 真夏以外にも花火大会はあり、さまざまな花火アーティストによってまったく違う花火が作られていることをこの収録で知りました。きちんと事前にいい席を取って、全力で花火を楽しんでみたいです。 成田の花火大会がどうやらかなりすごいので行ってみようと思います。「神オブ神」って私も言いたい。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 『奥森皐月の公私混同』ではメールを募集しています。 募集内容はTwitterに定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは、毎週アフタートークが公開されています。 ゆったり作家のみなさんとおしゃべりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式Twitterアカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! テーマは【カレー🍛】【ラグビー🏉】です! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼ゲストへの質問▼大喜利公私混同カップ2▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は8/22(火)10時です! pic.twitter.com/xJrDL41Wc9 — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) August 20, 2023 奥森皐月個人のTwitterアカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 大喜る人たち生配信を真剣に見ている奥森皐月。お前は中途半端だからサッカー選手にはなれないと残酷な言葉で説く父親、聞く耳を持たない小2くらいの息子、黙っている妹と母親の4人家族。啜り泣くギャル。この3組がお客さんのカレー屋さんがさっきまであった。出てしまったので今はもうない。 — 奥森皐月 (@okumoris) August 20, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は「未体験のジャンルからやってくる強者たち」を中心にお送りします。お楽しみに。
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生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」
仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載(文=山本大樹)
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「才能」という呪縛を解く ミューズの真髄
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 『ブルー・ピリオド』をはじめ美大受験モノマンガがブームを呼んでいる昨今。特に芸術というモチーフは、その核となる「才能とは何か?」を掘り下げることで、主人公の自意識をめぐるドラマになりやすい。 文野紋『ミューズの真髄』も、一度は美大受験に失敗した会社員の主人公・瀬野美優が、一念発起して再び美大受験を志し、自分を肯定するための道筋を探るというストーリーだ。しかし、よくある美大受験マンガかと思ってページをめくっていくと、「才能」の扱い方に本作の特筆すべき点を見出すことができる。 「美大に落ちたあの日。“特別な私”は、死んでしまったから。仕方がないのです。“凡人”に成り下がった私は、母の決めた職場で、母の決めた服を着て、母が自慢できるような人と母が言う“幸せ”を探すんです。でも、だって、仕方ない、を繰り返しながら。」 (『ミューズの真髄』あらすじより) 主人公の美優は「どこにでもいる平凡な私」から、自分で自分を肯定するために、少しずつ自分の意志を周囲に示すようになる。芸術の道に進むことに反対する母親のもとを飛び出し、自尊心を傷つける相手にはNOを突きつけ、自分の進むべき道を自ら選び取っていく。しかし、心の奥深くに根づいた自己否定の考えはそう簡単に変えることはできない。自尊心を取り戻す過程で立ち塞がるのが「才能」の壁だ。 24歳という年齢で美術予備校に飛び込んだ美優は、最初の作品講評で57人中47位と悲惨な成績に終わる。自分よりも年下の生徒たちが才能を見出されていくなかで、自分の才能を見つけることができない美優。その後挫折を繰り返しながら、予備校の講師である月岡との出会いによって少しずつ自分を肯定し、前向きに進んでいく姿には胸が熱くなる。 「私は地獄の住人だ あの人みたいにあの子みたいに漫画みたいに 才能もないし美術で生きる資格はないのかもしれない バカで中途半端で恋愛脳で人の影響ばかり受けてごめんなさい でももがいてみてもいいですか? 執着してみていいですか?」 冒頭で述べたとおり、本作の「才能」への向き合い方を端的に示しているのがこのセリフである。才能がなくても好きなことに執着する──功利主義の社会では蔑まれがちなこのスタンスこそが、他者の否定的な視線から自分を守り、自分の人生を肯定していくためには重要だ。才能に執着するのではなく、「絵」という自分の愛する対象に執着する。その執着が自分を愛することにつながるのだ。それは「好きなことを続けられるのも才能」のような安い言葉では語り切れるものではない。 才能と自意識の話に収斂していく美大受験マンガとは別の視座を、美優の生き方は示してくれる。そして、美優にとっての「美術」と同じように、執着できる対象を見つけることは、「才能」の物語よりも私たちにとっては遥かに重要なことのはずである。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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勝ち負けから離れて生きるためには? 真造圭伍『ひらやすみ』
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 30代を迎えて、漠然とした焦りを感じることが増えた。20代のころに感じていた将来への不安からくる焦りとはまた種類の違う、現実が見えてきたからこその焦りだ。 周囲の同世代が着々と実績を残していくなか、自分だけが取り残されているような感覚。いつまで経っても増えない収入、一年後の見通しすらも立たない生活……焦りの原因を数え始めたらキリがない。 真造圭伍のマンガ『ひらやすみ』は、30歳のフリーター・ヒロト君と従姉妹のなつみちゃんの平屋での同居生活を描いたモラトリアム・コメディだ。 定職に就かずに30歳を迎えてもけっして焦らず、のんびりと日々の生活を愛でながら過ごすヒロト君の生き方は、素直にうらやましく思う。身の回りの風景の些細な変化や季節の移り変わりを感じながら、家族や友達を思いやり、目の前のイベントに全力を注ぐ。どうしても「こんなふうに生きられたら」と考えてしまうくらい、魅力的な人物だ。 そんなヒロト君も、かつては芸能事務所に所属し、俳優として夢を追いかけていた時期もあった。高校時代には親友のヒデキと映画を撮った経験もあり、純粋に芝居を楽しんでいたヒロト君。芸能事務所のマネージャーから「なんで俳優になろうと思ったの?」と聞かれ、「あ、オレは楽しかったからです!演技するのが…」と答える。 「でも、これからは楽しいだけじゃなくなるよ──」 「売れたら勝ち、それ以外は負けって世界だからね」 数年後、役者を辞めたヒロト君は、漫画家を目指す従姉妹のなつみちゃんの姿を見て、かつて自分がマネージャーから言われた言葉を思い出す。純粋に楽しんでいたはずのことも、社会では勝ち負け──経済的な成功/失敗に回収されていく。出版社にマンガを持ち込んだなつみちゃんも、もしデビューすれば商業誌での戦いを強いられていくだろう。 運よく好きなことや向いていることを仕事にできたとしても、資本主義のルールの中で暮らしている以上、競争から距離を置くのはなかなか難しい。結果を出せない人のところにいつまでも仕事が回ってくることはないし、自分の代わりはいくらでもいる。嫌でも他者との勝負の土俵に立たされることになるし、純粋に「好き」だったころの気持ちとはどんどんかけ離れていく。 「アイツ昔から不器用でのんびり屋で勝ち負けとか嫌いだったじゃん? 業界でそういうのいっぱい経験しちまったんだろーな。」 ヒロト君の親友・ヒデキは、ヒロトが俳優を辞めた理由をそう推察する。私が身を置いている出版業界でも、純粋に本や雑誌が好きでこの業界を志した人が挫折して去っていくのをたくさん見てきた。でも、彼らが負けたとは思わないし、なんとか端っこで食っているだけの私が勝っているとももちろん思わない。勝ち/負けという物差しで物事を見るとき、こぼれ落ちるものはあまりに多い。むしろ、好きだったはずのことが本当に嫌いにならないうちに、別の仕事に就いたほうが幸せだと思う。 私も勝ち負けが本当に苦手だ。優秀な同業者も目の前でたくさん見てきて、同じ土俵に上がったらまず自分では勝負にならないということも30歳を過ぎてようやくわかった。それでも続けているのは、勝ち負けを抜きにして、いつか純粋にこの仕事が好きになれる日が来るかもしれないと思っているからだ。もちろん、仕事が嫌いになる前に逃げる準備ももうできている。 暗い話になってしまったが、『ひらやすみ』のヒロト君の生き方は、競争から逃れられない自分にとって、大きな救いになっている。なつみちゃんから「暇人」と罵られ、見知らぬ人からも「みんながみんなアナタみたいに生きられると思わないでよ」と言われるくらいののんびり屋でも、ヒロト君の周囲には笑顔が絶えない。自分ひとりの意志で勝ち負けから逃れられないのであれば、せめてまわりにいる人だけでも大切にしていきたい。そうやって自分の生活圏に大切なものをちゃんと作っておけば、いつでも競争から降りることができる。『ひらやすみ』は、そんな希望を見せてくれる作品だった。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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克明に記録されたコロナ禍の息苦しさ──冬野梅子『まじめな会社員』
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 5月に『コミックDAYS』での連載が完結した冬野梅子『まじめな会社員』。30歳の契約社員・菊池あみ子を取り巻く苦しい現実、コロナ禍での転職、親の介護といった環境の変化をシビアに描いた作品だ。周囲のキラキラした友人たちとの比較、自意識との格闘でもがく姿がSNSで話題を呼び、あみ子が大きな選択を迫られる最終回は多くの反響を集めた。 「コロナ禍における、新種の孤独と人生のたのしみを、「普通の人でいいのに!」で大論争を巻き起こした新人・冬野梅子が描き切る!」と公式の作品紹介にもあるように、本作は2020年代の社会情勢を忠実に反映している。疫病はさまざまな局面で社会階層の分断を生み出したが、特に本作で描かれているのは「働き方」と「人間関係」の変化と分断である。『まじめな会社員』は、疫禍による階層の分断を克明に描いた作品として貴重なサンプルになるはずだ。 2022年5月末現在、コロナがニュースの時間のほとんどを占めていた時期に比べると、世間の空気は少し緩やかになりつつある。飲食店は普通にアルコールを提供しているし、休日に友達と遊んだり、ライブやコンサートに出かけることを咎められるような空気も薄まりつつある。しかし、過去の緊急事態宣言下の生活で感じた孤独や息苦しさはそう簡単に忘れられるものではないだろう。 たとえば、スマホアプリ開発会社の事務職として働くあみ子は、コロナ禍の初期には在宅勤務が許されていなかった。 「持病なしで子供なしだとリモートさせてもらえないの?」「私って…お金なくて旅行も行けないのに通勤はさせられてるのか」(ともに2巻)とリモートワークが許される人々との格差を嘆く場面も描かれている。 そして、あみ子の部署でもようやくリモートワークが推奨されるようになると、それまで事務職として上司や営業部のサポートを押しつけられていた今までを振り返り、飲食店やライブハウスなどの苦境に思いを巡らせつつも、つい「こんな生活が続けばいいのに…」とこぼしてしまう。 自由な働き方に注目が集まる一方で、いわゆるエッセンシャルワーカーはもちろん、社内での立場や家族の有無によって出勤を強いられるケースも多かった。仕事上における自身の立場と感染リスクを常に天秤にかけながら働く生活に、想像以上のストレスを感じた人も多かったはずだ。 「抱き合いたい「誰か」がいないどころか 休日に誰からも連絡がないなんていつものこと おうち時間ならずっとやってる」(2巻) コロナによる分断は、働き方の面だけではなく人間関係にも侵食してくる。コロナ禍の初期には「自粛中でも例外的に会える相手」の線引きは、限りなく曖昧だった。独身・ひとり暮らしのあみ子は誰とも会わずに自粛生活を送っているが、インスタのストーリーで友人たちがどこかで会っているのを見てモヤモヤした気持ちを抱える。 「コロナだから人に会えないって思ってたけど 私以外のみんなは普通に会ってたりして」「綾ちゃんだって同棲してるし ていうか世の中のカップルも馬鹿正直に自粛とかしてるわけないし」(2巻) 相互監視の状況に陥った社会では、当事者同士の関係性よりも「(世間一般的に)会うことが認められる関係性かどうか」のほうが判断基準になる。家族やカップルは認められても、それ以外の関係性だと、とたんに怪訝な目を向けられる。人間同士の個別具体的な関係性を「世間」が承認するというのは極めておぞましいことだ。「家族」や「恋人」に対する無条件の信頼は、家父長制的な価値観にも密接に結びついている。 またいつ緊急事態宣言が出されるかわからないし、そうなれば再び社会は相互監視の状況に陥るだろう。感染者数も落ち着いてきた今のタイミングだからこそ本作を通じて、当時は語るのが憚られた個人的な息苦しさや階層の分断に改めて目を向けておきたい。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
L'art des mots~言葉のアート~
企画展情報から、オリジナルコラム、鑑賞記まで……アートに関するよしなしごとを扱う「L’art des mots~言葉のアート~」
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【News】西洋絵画の500年の歴史を彩った巨匠たちの傑作が、一挙来日!『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が大阪市立美術館・国立新美術館にて開催!
先史時代から現代まで5000年以上にわたる世界各地の考古遺物・美術品150万点余りを有しているメトロポリタン美術館。 同館を構成する17部門のうち、ヨーロッパ絵画部門に属する約2500点の所蔵品から、選りすぐられた珠玉の名画65 点(うち46 点は日本初公開)を展覧する『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が、11月に大阪、来年2月には東京で開催されます。 この展覧会は、フラ・アンジェリコ、ラファエロ、クラーナハ、ティツィアーノ、エル・グレコから、カラヴァッジョ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、レンブラント、 フェルメール、ルーベンス、ベラスケス、プッサン、ヴァトー、ブーシェ、そしてゴヤ、ターナー、クールベ、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌに至るまでを、時代順に3章で構成。 第Ⅰ章「信仰とルネサンス」では、イタリアのフィレンツェで15世紀初頭に花開き、16世紀にかけてヨーロッパ各地で隆盛したルネサンス文化を代表する画家たちの名画、フラ・アンジェリコ《キリストの磔刑》、ディーリック・バウツ《聖母子》、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ヴィーナスとアドニス》など、計17点を観ることが出来ます。 第Ⅱ章「絶対主義と啓蒙主義の時代」では、絶対主義体制がヨーロッパ各国で強化された17世紀から、啓蒙思想が隆盛した18世紀にかけての美術を、各国の巨匠たちの名画30点により紹介。カラヴァッジョ《音楽家たち》、ヨハネス・フェルメール《信仰の寓意》、レンブラント・ファン・レイン《フローラ》などを御覧頂けます。 第Ⅲ章「革命と人々のための芸術」では、レアリスム(写実主義)から印象派へ……市民社会の発展を背景にして、絵画に数々の革新をもたらした19世紀の画家たちの名画、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む》、オーギュスト・ルノワール《ヒナギクを持つ少女》、フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く果樹園》、さらには日本初公開となるクロード・モネ《睡蓮》など、計18点が展覧されます。 15世紀の初期ルネサンスの絵画から19世紀のポスト印象派まで……西洋絵画の500 年の歴史を彩った巨匠たちの傑作を是非ご覧下さい! 『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』 ■大阪展 会期:2021年11月13日(土)~ 2022年1月16日(日) 会場:大阪市立美術館(〒543-0063大阪市天王寺区茶臼山町1-82) 主催:大阪市立美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社、テレビ大阪 後援:公益財団法人 大阪観光局、米国大使館 開館時間:9:30ー17:00 ※入館は閉館の30分前まで 休館日:月曜日( ただし、1月10日(月・祝)は開館)、年末年始(2021年12月30日(木)~2022年1月3日(月)) 問い合わせ:TEL:06-4301-7285(大阪市総合コールセンターなにわコール) ■東京展 会期:2022年2月9日(水)~5月30日(月) 会場:国立新美術館 企画展示室1E(〒106-8558東京都港区六本木 7-22-2) 主催:国立新美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社 後援:米国大使館 開館時間:10:00ー18:00( 毎週金・土曜日は20:00まで)※入場は閉館の30分前まで 休館日:火曜日(ただし、5月3日(火・祝)は開館) 問い合わせ:TEL:050-5541-8600( ハローダイヤル) text by Suzuki Sachihiro
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【News】約3,000点の新作を展示。国立新美術館にて「第8回日展」が開催!
10月29日(金)から11月21日まで、国立新美術館にて「第8回日展」が開催されます。日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5部門に渡って、秋の日展のために制作された現代作家の新作、約3,000点が一堂に会します。 明治40年の第1回文展より数えて、今年114年を迎える日本最大級の公募展である日展は、歴史的にも、東山魁夷、藤島武二、朝倉文夫、板谷波山など、多くの著名な作家を生み出してきました。 展覧会名:第8回 日本美術展覧会 会 場:国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2) 会 期:2021年10月29日(金)~11月21日(日)※休館日:火曜日 観覧時間:午前10時~午後6時(入場は午後5時30分まで) 主 催:公益社団法人日展 後 援:文化庁/東京都 入場料・チケットや最新の開催情報は「日展ウェブサイト」をご確認下さい (https://nitten.or.jp/) 展示される作品は作家の今を映す鏡ともいえ、作品から世相や背景など多くのことを読み取る楽しさもあります。 あらゆるジャンルをいっぺんに楽しめる機会、新たな日本の美術との出会いに胸躍ること必至です! 東京展の後は、京都、名古屋、大阪、安曇野、金沢の5か所を巡回(予定)します。 日本画 会場風景 2020年 洋画 会場風景 2020年 彫刻 会場風景 2020年 工芸美術 会場風景 2020年 書 会場風景 2020年 text by Suzuki Sachihiro
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【News】和田誠の全貌に迫る『和田誠展』が開催!
イラストレーター、グラフィックデザイナー和田誠わだまこと(1932-2019)の仕事の全貌に迫る展覧会『和田誠展』が、今秋10月9日から東京オペラシティアートギャラリーにて開催される。 和田誠 photo: YOSHIDA Hiroko ©Wada Makoto 和田誠の輪郭をとらえる上で欠くことのできない約30のトピックスを軸に、およそ2,800点の作品や資料を紹介。様々に創作活動を行った和田誠は、いずれのジャンルでも一級の仕事を残し、高い評価を得ている。 展示室では『週刊文春』の表紙の仕事はもちろん、手掛けた映画の脚本や絵コンテの展示、CMや子ども向け番組のアニメーション上映も予定。 本展覧会では和田誠の多彩な作品に、幼少期に描いたスケッチなども交え、その創作の源流をひも解く。 ▽和田誠の仕事、総数約2,800点を展覧。書籍と原画だけで約800点。週刊文春の表紙は2000号までを一気に展示 ▽学生時代に制作したポスターから初期のアニメーション上映など、貴重なオリジナル作品の数々を紹介 ▽似顔絵、絵本、映画監督、ジャケット、装丁……など、約30のトピックスで和田誠の全仕事を紹介 会場は【logirl】『Musée du ももクロ』でも何度も訪れている、初台にある「東京オペラシティアートギャラリー」。 この秋注目の展覧会!あなたの芸術の秋を「和田誠の世界」で彩ろう。 【開催概要】展覧会名:和田誠展( http://wadamakototen.jp/ ) 会期:2021年10月9日[土] - 12月19日[日] *72日間 会場:東京オペラシティ アートギャラリー 開館時間:11:00-19:00(入場は18:30まで) 休館日:月曜日 入場料:一般1,200[1,000]円/大・高生800[600]円/中学生以下無料 主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団 協賛:日本生命保険相互会社 特別協力:和田誠事務所、多摩美術大学、多摩美術大学アートアーカイヴセンター 企画協力:ブルーシープ、888 books お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル) *同時開催「収蔵品展072難波田史男 線と色彩」「project N 84 山下紘加」の入場料を含みます。 *[ ]内は各種割引料金。障害者手帳をお持ちの方および付添1名は無料。割引の併用および入場料の払い戻しはできません。 *新型コロナウイルス感染症対策およびご来館の際の注意事項は当館ウェブサイトを( https://www.operacity.jp/ag/ )ご確認ください。 ▽和田誠(1932-2019) 1936年大阪に生まれる。多摩美術大学図案科(現・グラフィックデザイン学科)を卒業後、広告制作会社ライトパブリシティに入社。 1968年に独立し、イラストレーター、グラフィックデザイナーとしてだけでなく、映画監督、エッセイ、作詞・作曲など幅広い分野で活躍した。 たばこ「ハイライト」のデザインや「週刊文春」の表紙イラストレーション、谷川俊太郎との絵本や星新一、丸谷才一など数多くの作家の挿絵や装丁などで知られる。 報知映画賞新人賞、ブルーリボン賞、文藝春秋漫画賞、菊池寛賞、毎日デザイン賞、講談社エッセイ賞など、各分野で数多く受賞している。 仕事場の作業机 photo: HASHIMOTO ©Wada Makoto 『週刊文春』表紙 2017 ©Wada Makoto 『グレート・ギャツビー』(訳・村上春樹)装丁 2006 中央公論新社 ©Wada Makoto 『マザー・グース 1』(訳・谷川俊太郎)表紙 1984 講談社 ©Wada Makoto text by Suzuki Sachihiro
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「誰も観たことのないバラエティを」。『ももクロChan』10周年記念スタッフ座談会
ももいろクローバーZの初冠番組『ももクロChan』が昨年10周年を迎えた。 この番組が女性アイドルグループの冠番組として異例の長寿番組となったのは、ただのアイドル番組ではなく、"バラエティ番組”として破格におもしろいからだ。 ももクロのホームと言っても過言ではないバラエティ番組『ももクロChan』。 彼女たちが10代半ばのころから、その成長を見続けてきたプロデューサーの浅野祟氏、吉田学氏、演出の佐々木敦規氏の3人が集まり、番組への思い、そしてももクロの魅力を存分に語ってくれた。 浅野 崇(あさの・たかし)1970年、千葉県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan』 『ももクロちゃんと!』 『Musee du ももクロ』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』、など 吉田 学(よしだ・まなぶ)1978年、東京都出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~』 『ももクロちゃんと!』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』 『Musée du ももクロ』、など 佐々木 敦規(ささき・あつのり)1967年、東京都出身。ディレクター。 有限会社フィルムデザインワークス取締役 「ももクロはアベンジャーズ」。そのずば抜けたバラエティ力の秘密 ──最近、ももクロのメンバーたちが、個々でバラエティ番組に出演する機会が増えていますね。 浅野 ようやくメンバー一人ひとりのバラエティ番組での強さに、各局のディレクターやプロデューサーが気づいてくれたのかもしれないですね。間髪入れずに的確なコメントやリアクションをしてて、さすがだなと思って観てます。 佐々木 彼女たちはソロでもアリーナ公演を完売させるアーティストですけど、バラエティタレントとしてもその実力は突き抜けてますから。 浅野 あれだけ大きなライブ会場で、ひとりしゃべりしても飽きがこないのは、すごいことだなと改めて思いますよ。 佐々木 そして、4人そろったときの爆発力がある。それはまず、バラエティの天才・玉井詩織がいるからで。器用さで言わせたら、彼女はめちゃくちゃすごい。百田夏菜子、高城れに、佐々木彩夏というボケ3人を、転がすのが本当にうまくて助かってます。 昔は百田の天然が炸裂して、高城れにがボケにいくスタイルだったんですが、いつからか佐々木がボケられるようになって、ももクロは最強になったと思ってます。 キラキラしたぶりっ子アイドル路線をやりたがっていたあーりんが、ボケに回った。それどころか、今ではそのポジションに味をしめてる。昔はコマネチすらやらなかった子なのに、ビックリですよ(笑)。 (写真:佐々木ディレクター) ──そういうメンバーの変化や成長を見られるのも、10年以上続く長寿番組だからこそですね。 吉田 昔からライブの舞台裏でもずっとカメラを回させてくれたおかげで、彼女たちの成長を記録できました。結果的に、すごくよかったですね。 ──ずっとももクロを追いかけてきたファンは思い出を振り返れるし、これからももクロを知る人たちも簡単に過去にアクセスできる。「テレ朝動画」で観られるのも貴重なアーカイブだと思います。 佐々木 『ももクロChan』は、早見あかりの脱退なども撮っていて、楽しいときもつらいときも悲しいときも、ずっと追っかけてます。こんな大事な仕事は、途中でやめるわけにはいかないですよ。彼女たちの成長ドキュメンタリーというか、ロードムービーになっていますから。 唯一無二のコンテンツになってしまったので、ももクロが活動する限りは『ももクロChan』も続けたいですね。 吉田 これからも続けるためには、若い世代にもアピールしないといけない。10代以下の子たちにも「なんかおもしろいお姉ちゃんたち」と認知してもらえるように、我々もがんばらないと。 (写真:吉田プロデューサー) 浅野 彼女たちはまだまだ伸びしろありますからね。個々でバラエティ番組に出たり、演技のお仕事をしたり、ソロコンをやったりして、さらにレベルアップしていく。そんな4人が『ももクロChan』でそろったとき、相乗効果でますますおもしろくなるような番組をこれからも作っていきたいです。 佐々木 4人は“アベンジャーズ"っぽいなと最近思うんだよね。 浅野 わかります。 ──アベンジャーズ! 個人的に、ももクロって令和のSMAPや嵐といったポジションすら狙えるのではないか、と妄想したりするのですが。 浅野 あそこまで行くのはとんでもなく難しいと思いますが……。でも佐々木さんの言うとおりで、最近4人全員集まったときに、スペシャルな瞬間がたまにあるんですよ。そういう大物の華みたいな部分が少しずつ見えてきたというか。 佐々木 そうなんだよねぇ。ももクロの4人はやたらと仲がいいし、本人たちも30歳、40歳、50歳になっても続けていくつもりなので、さらに化けていく彼女たちを撮っていかなくちゃいけないですね。 早見あかりが抜けて、自立したももクロ (写真:浅野プロデューサー) ──先ほど少し早見あかりさん脱退のお話が出ましたけど、やはり印象深いですか。 吉田 そうですね。そのとき僕はまだ『ももクロChan』に関わってなかったんですが、自分の局の番組、しかも動画配信でアイドルの脱退の告白を撮ったと聞いて驚きました。 当時はAKB48がアイドル界を席巻していて、映画『DOCUMENTARY of AKB48』などでアイドルの裏側を見せ始めた時期だったんです。とはいえ、脱退の意志をメンバーに伝えるシーンを撮らせてくれるアイドルは画期的でした。 佐々木 ももクロは最初からリミッターがほとんどないグループだからね。チーフマネージャーの川上アキラさんが攻めた人じゃないですか。だって、自分のワゴン車に駆け出しのアイドル乗っけて、全国のヤマダ電機をドサ回りするなんて、普通考えられないでしょう(笑)。夜の駐車場で車のヘッドライトを背に受けながらパフォーマンスしてたら、そりゃリミッターも外れますよ。 (写真:『ももクロChan』#11) ──アイドルの裏側を見せる番組のコンセプトは、当初からあったんですか? 佐々木 そうですね、ある程度狙ってました。そもそも僕と川上さんが仲よしなのは、プロレスや格闘技っていう共通の熱狂している趣味があるからなんですけど。 当時流行ってた総合格闘技イベント『PRIDE』とかって、ブラジリアントップファイターがリング上で殺し合いみたいなガチの真剣勝負をしてたんですよ。そんな血気盛んな選手が闘い終わってバックヤードに入った瞬間、故郷のママに「勝ったよママ! 僕、勝ったんだよ!」って電話しながら泣き出すんです。 ああいうファイターの裏側を生々しく映し出す映像を見て、表と裏のコントラストには何か新しい魅力があるなと、僕らは気づいて。それで、川上さんと「アイドルで、これやりましょうよ!」って話がスムーズにいったんです。 吉田 ライブ会場の楽屋などの舞台裏に定点カメラを置いてみる「定点観測」は、ももクロの裏の部分が見える代表的なコーナーになりました。ステージでキラキラ輝くももクロだけじゃなくて、等身大の彼女たちが見られるよう、早いうちに体制を整えられたのもありがたかったですね。 ──番組開始時からももクロのバラエティにおけるポテンシャルは図抜けてましたか? 佐々木 いや、最初は普通の高校生でしたよ。だから、何がおもしろくて何がウケないのか、何が褒められて何がダメなのか。そういう基礎から丁寧に教えました。 ──転機となったのは? 佐々木 やはり早見あかりが抜けたことですね。当時は早見が最もバラエティ力があったんです。裏リーダーとして場を回してくれたし、ほかのメンバーも彼女に頼りきりだった。我々も困ったときは早見に振ってました。 だから早見がいなくなって最初の収録は、残ったメンバーでバラエティを作れるのか正直不安で。でも、いざ収録が始まったら、めちゃめちゃおもしろかったんですよ。「お前らこんなにできたのっ!?」といい意味で裏切られた。 早見に甘えられなくなり、初めて自立してがんばるメンバーを見て、「この子たちとおもしろいバラエティ作るぞ!」と僕もスイッチが入りましたね。 あと、やっぱり2013年ごろからよく出演してくれるようになった東京03の飯塚(悟志)くんが、ももクロと相性抜群だったのも大きかった。彼のシンプルに一刀両断するツッコミのおかげで、ももクロはボケやすくなったと思います。 吉田 飯塚さんとの絡みで学ぶことも多かったですよね。 佐々木 トークの間合いとか、ボケの伏線回収的な方程式なんかを、お笑い界のトップランナーと実戦の中で知っていくわけですから、貴重な経験ですよね。それは僕ら裏方には教えられないことでした。 浅野 今のももクロって、収録中に何かおもしろいことが起きそうな気配を感じると、各々の役割を自覚して、フィールドに散らばっていくイメージがあるんですよね。 言語化はできないんだろうけど、彼女たちなりに、ももクロのバラエティ必勝フォーメーションがいくつかあるんでしょう。状況に合わせて変化しながら、みんなでゴールを目指してるなと感じてます。 ももクロのバラエティ史に残る奇跡の数々 ──バラエティ番組でのテクニックは芸人顔負けのももクロですが、“笑いの神様”にも愛されてますよね。何気ないスタジオ収録回でも、ミラクルを起こすのがすごいなと思ってて。 佐々木 最近で言うと、「4人連続ピンポン球リフティング」は残り1秒でクリアしてましたね。「持ってる」としか言えない。ああいう瞬間を見るたびに、やっぱりスターなんだなぁと思いますね。 浅野 昔、公開収録のフリースロー対決(#246)で、追い込まれた百田さんが、うしろ向きで投げて入れるというミラクルもありました。 あと、「大人検定」という企画(#233)で、高城さんがタコの踊り食いをしたら、鼻に足が入ってたのも忘れられない(笑)。 吉田 あの高城さんはバラエティ史に残る映像でしたね(笑)。 個人的にはフットサルも印象に残ってます。中学生の全国3位の強豪チームとやって、善戦するという。 佐々木 なんだかんだ健闘したんだよね。しかも終わったら本気で悔しがって、もう一回やりたいとか言い出して。 今度のオンラインライブに向けて、過去の名シーンを掘ってみたんですが、そういうミラクルがたくさんあるんですよ。 浅野 今ではそのラッキーが起こった上で、さらにどう転していくかまで彼女たちが自分で考えて動くので、昔の『ももクロChan』以上におもしろくなってますよね。 写真:『ももクロChan』#246) (写真:『ももクロChan』#233) ──皆さんのお話を聞いて、『ももクロChan』はアイドル番組というより、バラエティ番組なんだと改めて思いました。 佐々木 そうですね。誤解を恐れずに言えば、僕らは「ももクロなしでも通用するバラエティ」を作るつもりでやってるんです。 お笑いとしてちゃんと観られる番組がまずあって、その上でとんでもないバラエティ力を持ったももクロががんばってくれる。そりゃおもしろくなりますよね。 ──アイドルにここまでやられたら、ゲストの芸人さんたちも大変じゃないかと想像します。 佐々木 そうでしょうね(笑)。平成ノブシコブシの徳井(健太)くんが「バラエティ番組いろいろ出たけど、今でも緊張するのは『ゴッドタン』と『ももクロChan』ですよ」って言ってくれて。お笑いマニアの彼にそういう言葉をもらえたのは、ありがたかったなぁ。 誰も見たことのない破格のバラエティ番組を届ける ──そして11月6日(土)には、『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』を開催しますね。 吉田 もともとは去年やるつもりでしたが、コロナ禍で自粛することになり、11周年の今年開催となりました。これから先『ももクロChan』を振り返ったとき、このイベントが転機だったと思えるような特別な日にしたいですね。 浅野 歌あり、トークあり、コントあり、ゲームあり。なんでもありの総合バラエティ番組を作るつもりです。 2時間の生配信でゲストも来てくださるので、通常回以上に楽しいのはもちろん、ライブならではのハプニングも期待しつつ……。まぁプロデューサーとしては、いろんな意味でドキドキしてますけど(苦笑)。 佐々木 ライブタイトルに「バラエティ番組」と入れて、我々も自分でハードル上げてるからなぁ(笑)。でも「バラエティを売りにしたい」と浅野Pや吉田Pに思っていただいているので、ディレクターの僕も期待に応えるつもりで準備してるところです。 浅野 ここで改めて、ももクロは歌や踊りのパフォーマンスだけじゃなく、バラエティも最高におもしろいんだぞ、と知らしめたい。 さっき佐々木さんも言ってましたけど、まだももクロに興味がない人でも、バラエティ番組として楽しめるはずなので、お笑い好きとか、バラエティをよく観る人に観てもらいたいです。 佐々木 誰も見たことない、新しくておもしろい番組を作るつもりですよ。 浅野 『ももクロChan』が始まった2010年って、まだ動画配信で成功している番組がほとんどなかったんですね。そんな環境で番組がスタートして、テレビ朝日の中で特筆すべき成功番組になった。 そういう意味では、配信動画のトップランナーとして、満を持して行う生配信のオンラインイベントなので、業界の中でも「すごかった」と言ってもらえる番組にするつもりです。 吉田 『ももクロChan』スタッフとしては、番組が11周年を迎えることを感慨深く思いつつ、テレビを作ってきた人間としては、コロナ以降に定着してきたオンライン生配信の意義を今改めて考えながら作っていきたいです。 (写真:『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』は、11月6日(土)19時開演 logirl会員は割引価格でご視聴いただけます) ──具体的にどういった企画をやるのか、少しだけ教えてもらえますか? 浅野 「あーりんロボ」(佐々木彩夏がお悩み相談ロボットに扮するコントコーナー)はやるでしょう。 佐々木 生配信で「あーりんロボ」は怖いですよ、絶対時間押しますから(笑)。佐々木も度胸ついちゃってるからガンガンボケて、百田、高城、玉井がさらに煽って調子に乗っていくのが目に見える……。 あと、配信ならではのディープな企画も考えていますが、ちょっと今のままだとディープすぎてできないかもしれないです。 浅野 配信を観た方は、ネタバレ禁止というルールを決めたら、攻められますかねぇ。 佐々木 たしかに視聴者の方々と共犯関係を結べるといいですね。 とにかく、モノノフさんはもちろんですが、少しでも興味を持った人に観てほしいんですよ。バラエティ史に残る番組の記念すべき配信にしますので、絶対損はさせません。 浅野 必ず、期待にお応えします。 撮影=時永大吾 文=安里和哲 編集=後藤亮平
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logirlの「起爆剤になりたい」ディレクター・林洋介(『ももクロちゃんと!』)インタビュー
ももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第5弾。 今回は10月からリニューアルする『ももクロちゃんと!』でディレクターを務める林洋介氏に話を聞いた。 林洋介(はやし・ようすけ)1985年、神奈川県出身。ディレクター。 <現在の担当番組> 『ももクロちゃんと!』 『WAGEI』 『小川紗良のさらまわし』 『まりなとロガール』 リニューアルした『ももクロちゃんと!』の収録を終えて ──10月9日から土曜深夜に枠移動する『ももクロちゃんと!』。林さんはリニューアルの初回放送でディレクターを務めています。 林 そうですね。「ももクロちゃんと、〇〇〇!」という基本的なルールは変わらずやっていくんですけど、画面上のCGやテロップなどが変わるので、視聴者の方の印象はちょっと違ってくるかなと思います。 (写真:「ももクロちゃんと!」) ──収録を終えた感想はいかがですか? 林 自粛期間中に自宅で推し活を楽しめる「推しグッズ」作りがトレンドになっていたので、今回は「推しグッズ」というテーマでやったんですが、ももクロのみなさんに「推しゴーグル」を作ってもらう作業にけっこう時間がかかってしまったんですよね。「安全ゴーグル」に好きなキャラクターや言葉を書いてデコってもらったんですが、本当はもうひとつ作る予定が収録時間に収まりきらず……それでもリニューアル1発目としては、期待を裏切らない内容になったと思います。 ──『ももクロちゃんと!』を担当するのは今回が初めてですが、収録に臨むにあたって何か考えはありましたか? 林 やっぱり、リニューアル一発目なので盛り上がっていけたらなと。あとは、ももクロは知名度のあるビッグなタレントさんなので、その空気に飲まれないようにしないといけないなと考えていましたね。 ──先輩スタッフの皆さんからとも相談しながらプランを立てていったのでしょうか? 林 そうですね。ももクロは業界歴も長くてバラエティ慣れしているので、トークに関しては心配ないと聞いていました。ただ、自分たちで考えて何かを書いたり作ったりしてもらうのは、ちょっと時間がいるかもしれないよとも……でも、まさかあそこまでかかるとは思いませんでした(笑)。ちょっとバカバカしいものを書いてもらっているんですけど、あそこまで真剣に取り組んでくれるのかって逆に感動しました。 (写真:「ももクロちゃんと! ももクロちゃんと祝!1周年記念SP」) 「まだこんなことをやるのか」という無茶をしたい ──ももクロメンバーと仕事をする機会は、これまでもありましたか? 林 logirlチームに入るまで一度もなくて、今回がほぼ初対面です。ただ一度だけ、DVDの宣伝のために短いコメントをもらったことがあって、そのときもここまで現場への気遣いがしっかりしているんだという印象を受けました。 もちろん名前はよく知っていますが、僕は正直あまりももクロのことを知らなかったんですよね。キャリア的に考えたら当然現場では大物なわけで、そのときは僕も時間を巻きながら無事に5分くらいのコメントをもらったんですが、あとから撮影した素材を見返したら、あの短いコメント取材だけなのに、わざわざみんなで立ち上がって「ありがとうございました」と丁寧に言ってくれていたことに気がついて、「めっちゃいい子たちやなあ」って思ってました。 ──一緒に仕事をしてみて、印象は変わりましたか? 林 『ももクロちゃんと!』は、基本的にその回で取り上げる専門的な知識を持った方にゲストで来ていただいてるんですが、タレントさんでない方が来ることも多いんですよね。そういった一般の方に対しても壁がないというか、なんでこんなになじめるのかってくらいの親しみ深さに驚きました。そういう方たちの懐にもすっと入っていけるというか、その気遣いを大切にしているんですよね。しかもそれをすごく自然にやっているのが、すごいなと思いました。 ──『ももクロちゃんと!』は2年目に突入しました。今後の方向性として、考えていることはありますか? 林 「推しグッズ」でも、あそこまで真剣に取り組んでるんだったら、短い収録時間の中ではありますが、「まだこんなことをやってくれるのか」という無茶をしてみたいなと個人的には思いました。過去の『ももクロChan』を観ていても、すごくアクティブじゃないですか。だから、トークだけでは終わらせたくないなっていう気持ちはあります。 (写真:「ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~」) 情報番組のディレクターとしてキャリアを積む ──テレビの仕事を始めたきっかけを教えてください。 林 大学を卒業して特にやりたいことがなかったので、好きだったテレビの仕事をやってみようかなというのが入口ですね。最初に入ったのがテレビ東京さんの『お茶の間の真実〜もしかして私だけ!?〜』というバラエティ番組で、そこでADをやっていました。長嶋一茂さんと石原良純さんと大橋未歩さんがMCだったんですが、初めは知らないことだらけだったので、いろいろなことが学べたのは楽しかったですね。 ──そこからずっとバラエティ畑ですか。 林 AD時代は基本的にバラエティでしたね。ディレクターの一発目はTBSの『ビビット』という情報番組でした。曜日ディレクターとして、日々のニュースを追う感じだったんですが、そもそもニュースというものに興味がなかったので、そこはかなり苦戦しました。バラエティの“おもしろい”は単純というか、わかりやすいですが、ニュースの“おもしろい”ってなんだろうってずっと考えていましたね。たとえば、殺人事件の何を見せたらいいんだろうとか、まったくわからない世界に入ってしまったなという感じがしていました。 ──情報番組はどのくらいやっていたんですか? 林 『ビビット』のあとに始まった、立川志らくさんの『グッとラック!』もやっていたので、6年間ぐらいですかね。でも、最後まで情報番組の感覚はつかめなかった気がします。きっとこういうことが情報番組の“おもしろい”なのかなって想像しながら、合わせていたような感じです。 番組制作のモットーは「事前準備を超えること」 ──ご自身の好みでいえば、どんなジャンルがやりたかったんですか? 林 いわゆる“どバラエティ”ですね。当時でいえば、めちゃイケ(『めちゃ×イケてるッ!』/フジテレビ)に憧れてました。でも、情報バラエティが全盛の時代だったので、結果的にAD時代、ディレクター時代を含めてゴリゴリのバラエティはやれなかったですね。 ──情報番組のディレクター時代の経験で、印象に残っていることはありますか? 林 芸能人の密着をやったり、街頭インタビューでおもしろ話を拾ってきたりと、仕事としては濃い時間を過ごしたと思いますが、そういったネタよりも、当時の上司からの影響が大きかったかなと思います。『ビビット』や『グッとラック!』は、ワイドショーだけどバラエティに寄せたい考えがあったので、コーナー担当の演出はバラエティ畑で育った人たちがやっていたんですよね。今思えば、バラエティのチームでワイドショーを作っているような感覚だったので、特殊といえば特殊な場所だったのかもしれません。僕のコーナーを見てくれていた演出の人もなかなか怖い人でしたから(笑)。 ──その経験も踏まえ、番組を作るときに心がけていることはありますか? 林 どんなロケでも事前に構成を作ると思うんですが、最初に作った構成を越えることをひとつの目標としてやっていますね。「こんなものが撮れそうです」と演出に伝えたところから、ロケのあとのプレビューで「こんなのがあるんだ」と驚かせるような何かをひとつでも持って帰ろうとやっていましたね。 自由度の高い「配信番組」にやりがいを感じる ──logirlチームには、どのような経緯で入ったんでしょうか? 林 『グッとラック!』が終わったときに、会社から「次はどうしたい?」と提示された候補のひとつだったんですよね。それで、僕はもう地上波に未来はないのかなと思っていたので、詳細は知らなかったんですけど、配信の番組というところに興味を持ってやってみたいなと思い、今年の4月から参加しています。 ──参加して半年ほど経ちますが、配信番組をやってみた感触はいかがですか? 林 そうですね。まだ何かができたわけじゃないんですけど、自分がやりたいことに手が届きそうだなという感じはしています。もちろん、仕事として何かを生み出さなければいけないですが、そこに自分のやりたいことが添えられるんじゃないかなって。 具体的に言うと、僕はいつか好きな「バイク」を絡めた企画をやりたいと思っているんですが、地上波だったら一発で「難しい」となりそうなものも、企画をもう少ししっかり詰めていけば、実現できるんじゃないかという自由度を感じています。 ──そこは地上波での番組作りとは違うところですよね。 林 はい、少人数でやっていることもありますし、聞く耳も持っていただけているなと感じます。まだ自分発信の番組は何もないんですけど、がんばれば自分発信でやろうという番組が生まれそうというか、そこはやりがいを感じる部分ですね。 logirlを大きくしていく起爆剤になりたい ──logirlはアイドル関連の番組も多いです。制作経験はありますか? 林 テレビ東京の『乃木坂って、どこ?』でADをやっていたことがあります。本当に初期で『制服のマネキン』の時期くらいまでだったので、もう9年前くらいですかね。いま売れている子も多いのでよかったなと思います。 ──ご自身がアイドル好きだったことはないですか。 林 それこそ、中学生のころにモーニング娘。に興味があったくらいですね。ちょうど加護(亜依)ちゃんや辻(希美)ちゃんが入ってきたころで、当時はみんな好きでしたから。でも、アイドルに熱狂的になったことはなくて、ああいう気持ちを味わってみたいなとは思うんですけど、なかなか。 ──これからlogirlでやりたいことはありますか? 林 先ほども言ったバイク関連の企画もそうですが、単純に何をやればいいというのはまだ見えてないんですよね。ただ、logirlはまだまだ小さいので、僕が起爆剤になってNetflixみたいにデカくなっていけたらいいなって勝手に思っています。 ──最後に『ももクロちゃんと!』の担当ディレクターをとして、番組のリニューアルに向けた意気込みをお願いします。 林 『ももクロちゃんと!』はこれから変わっていくはずなので、ファンのみなさんにはその変化にも注目していただければと思います。よろしくお願いします! 文=森野広明 編集=中野 潤
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言葉を引き出すために「絶対的な信頼関係を」プロデューサー・河合智文(『でんぱの神神』等)インタビュー
ももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第4弾。 今回は『でんぱの神神』『ナナポプ』などのプロデューサー、河合智文氏に話を聞いた。 河合智文(かわい・ともふみ)1974年、静岡県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『でんぱの神神』 『ナナポプ 〜7+ME Link Popteen発ガールズユニットプロジェクト〜』 『美味しい競馬』(logirl YouTubeチャンネル) 初めて「チーム神神」の一員になれた瞬間 ──『でんぱの神神』には、いつから関わるようになったんでしょうか? 河合 2017年の3月から担当になりました。ちょうど、でんぱ組.incがライブ活動をいったん休止したタイミングでした。「密着」が縦軸としてある『でんぱの神神』をこれからどうしていこうか、という感じでしたね。 (写真:『でんぱの神神』) ──これまでの企画で印象的なものはありますか? 河合 古川未鈴さんが『@JAM EXPO 2017』で総合司会をやったときに、会場に乗り込んで未鈴さんの空き時間にジャム作りをしたんですよ。企画名は「@JAMであっと驚くジャム作り」。簡易キッチンを設置して、現場にいるアイドルさんたちに好きな材料をひとつずつ選んで鍋に入れていってもらい、最終的にどんな味になるのかまったくわからないというような(笑)。 極度の人見知りで、ほかのアイドルさんとうまくコミュニケーションが取れないという未鈴さんの苦手克服を目的とした企画でもあったんですが、@JAMの現場でロケをやらせてもらえたのは大きかったなと思います。 (写真:『でんぱの神神』#276/2017年9月22日配信) 企画ではありませんが、ねも・ぺろ(根本凪・鹿目凛)のふたりが新メンバーとしてお披露目となった大阪城ホール公演(2017年12月)までの密着も印象に残っていますね。 ライブ活動休止中はバラエティ企画が中心だったので、リハーサルでメンバーが歌っている姿がとても新鮮で……その空間を共有したとき、初めて「チーム神神」の一員になれたという感じがしました。 そういった意味ではねも・ぺろのふたりに対しては、でんぱ組.incという会社の『でんぱの神神』部署に配属された同期入社の仲間だと勝手に感じています (笑)。 でんぱ組.incが秀でる「自分の魅せ方」 ──でんぱ組.incというグループにどんな印象を持っていますか? 河合 僕が関わり始めたころは、2度目の武道館公演を行うなどすでにアイドルグループとして大きく、メジャーな存在だったんです。番組としてもスタートから6年目だったので、自分が入ってしっかり接していけるのかな、という不安はありました。 自分の趣味に特化したコアなオタクが集まったグループ……ということで、それなりにクセがあるメンバーたちなのかなと構えていたんですけど、そのあたりは気さくに接してもらって助かりました。とっつきにくさとかも全然なくて(笑)。 むしろ、ロケを重ねていくうちにセルフプロデュースや自己表現がすごくうまいんだなと思いました。自分の魅せ方をよくわかっているんですよね。 ──そういったご本人たちの個性を活かして企画を立てることもあるのでしょうか? 河合 マンガ・アニメ・ゲームなどメンバーが愛した男性キャラクターを語り尽くすという「私の愛した男たち」はでんぱ組にうまくハマった企画で、反響が大きかったので、「私の憧れた女たち」「私のシビれたシーンたち」と続く人気シリーズになりました。 やはり好きなことについて語るときはエネルギーがあるというか、とてもテンション高くキラキラしているんですよね。メンバーそれぞれの好みというか、人間性というか……隠れた一面を知ることのできた企画でしたね。 (写真:『でんぱの神神』#308/2018年5月4日配信) ──そして5月に『でんぱの神神』のレギュラー配信が2年ぶりに再開しました。これからどんな番組にしていきたいですか? 河合 2019年2月にレギュラー配信が終了しましたが、それでも不定期に密着させてもらっていたんです。そのたびにメンバーから「『神神』は何度でも蘇る」とか、「ぬるっと復活」みたいに言われていましたが(笑)。そんな『神神』が2年ぶりに完全復活できました。 長寿番組が自分の代で終了してしまった負い目も感じていましたし、不定期でも諦めずに配信を続けたことがレギュラー再開につながったと思うと、正直うれしいですね。 今回加入した新メンバーも超個性的な5人が集まったと思います。やはり今は多くの人に新メンバーについて知ってほしいですし、先ほどの「私の愛した男たち」は彼女たちを深掘りするのにうってつけの企画ですよね。これまで誰も気づかなかった個性や魅力を引き出して、新生でんぱ組.incを盛り上げていきたいです。 (写真:『でんぱの神神』#363/2021年5月12日配信) 密着番組では、事前にストーリーを作らない ──ティーンファッション誌『Popteen』のモデルが音楽業界を駆け上がろうと奮闘する姿を捉えた『ナナポプ』は、2020年の8月にスタートしました。 河合 『Popteen』が「7+ME Link(ナナメリンク)」というプロジェクトを立ち上げることになり、そこから生まれたMAGICOURというダンス&ボーカルユニットに密着しています。これまでのlogirlの視聴者層は20〜40代の男性が多かったですが、『ナナポプ』のファンの中心はやはり『Popteen』読者である10代の女性。そういった人たちにもlogirlを知ってもらうためにも、新しい視聴者層への訴求を意識した企画でもあります。 (写真:『ナナポプ』#29/2021年3月5日配信) ──番組の反響はいかがでしょうか? 河合 スタート当初は賛否というか、「モデルさんにダンステクニックを求めるのはいかがなものか?」といった声もありました。ですが、ダンス講師のmai先生はBIGBANGやBLACKPINKのバックダンサーもしていた一流の方ですし、メンバーたちも常に真剣に取り組んでいます。 だから、実際に観ていただければそれが伝わって応援してもらえるんじゃないかと思っています。番組も「“リアル”だけを描いた成長の記録」というテーマになっているので、本気の姿をしっかり伝えていきたいですね。 ──密着番組を作るときに意識していることはありますか? 河合 特に自分がディレクターとしてカメラを回すときの場合ですが、ナレーション先行の都合のよいストーリーを勝手に作らないことですね。 僕は編集のことを考えて物語を固めてしまうと、その画しか撮れなくなっちゃうタイプで。現場で実際に起きていることを、リアルに受け止めていこうとは常に考えています。一方で、事前に狙いを決めて、それをしっかり押さえていく人もいるので、僕の考えが必ずしも正解ではないとも思うんですけどね。 音楽の仕事をするために、制作会社に入社 ──テレビ業界を目指したきっかけを教えてください。 河合 高校時代に世間がちょうどバンドブームで、僕も楽器をやっていたんです。「学園祭の舞台に立ちたい」くらいの活動だったんですけど、当時から「仕事にするならクリエイティブなことがいい」とはずっと考えていました。初めは音楽業界に入りたかったんですが、専門学校に行って音楽の知識を学んだわけでもないので、レコード会社は落ちてしまって。 ほかに音楽の仕事ができる手段はないかなと考えたときに浮かんだのが「音楽番組をやればいい」でした。多少なりとも音楽に関われるなら、ということで番組制作会社に入ったのがきっかけです。 ──すぐに音楽番組の担当はできましたか? 河合 研修期間を経て実際に採用となったときに「どんな番組をやりたいんだ?」と聞かれて、素直に「音楽番組じゃなきゃ嫌です」と言ったら希望を叶えてくれたんです。1998年に日本テレビの深夜にやっていた、遠藤久美子さんがMCの『Pocket Music(ポケットミュージック)』という番組のADが最初の仕事です。そのあとも、同じ日本テレビで始まった『AX MUSIC- FACTORY』など、音楽番組はいくつか関わってきました。 大江千里さんと山川恵里佳さんがMCをしていた『インディーウォーズ』という番組ではディレクターをやっていました。タレントさんがインディーアーティストのプロモーションビデオを10万円の予算で制作するという、企画性の高い番組だったんですが、10万円だから番組ディレクターが映像編集までやることになったんです。 放送していた2004〜2005年ごろ、パソコンでノンリニア編集をする人なんてまだあまりいませんでした。ただ僕はひと足先に手を出していたので、タレントさんとマンツーマンで、ああでもないこうでもないと言いながら何時間もかけて動画を編集した思い出がありますね。 ──現在も動画の編集作業をすることはあるんですか? 河合 今でもバリバリやっています(笑)。YouTubeチャンネルでも配信している『美味しい競馬』の初期もそうですし、『でんぱの神神』がレギュラー配信終了後に特別編としてライブの密着をしたときは、自分でカメラを担いで密着映像とライブを収録して、それを自分で編集したりもしました。 やっぱり、自分で回した素材は自分で編集したいっていう気持ちが湧くんですよね。忘れかけていたディレクター心に火がつくというか……編集で次第に形になっていくのがおもしろくて。編集作業に限らず、構成台本を作成したり、けっこうなんでも自分でやっちゃうタイプですね。 (写真:『でんぱの神神』特別編 #349/2019年5月27日配信) logirlは、やりたいことを実現できる場所 ──logirlに参加した経緯を教えてください。 河合 実は『Pocket Music(ポケットミュージック)』が終わったとき、ADだったのに完全にフリーになったんですよ。そこから朝の情報番組などいろんなジャンルの番組を経験して、番組を通して知り合った仲間からいろいろと声をかけてもらって仕事をしていました。紀行番組で毎月海外に行ったりしたこともありましたね。 ちょうど一段落して、テレビ番組以外のこともやってみたいなと考えていたときに、日テレAD時代の仲間から「テレ朝で仕事があるけどやらない?」と紹介してもらい、それがまだ平日に毎日生配信をしていたころ(2015〜2017年)のlogirlだったんです。 (写真:撮影で訪れたスペイン・バルセロナにて) ──番組を作る上でモットーにしていることはありますか? 河合 今は一般の方でも、タレントさんでも、編集ソフトを使って誰でも動画制作ができる時代になったじゃないですか。だからこそ、「テレビ局の動画スタッフが作っている」というクオリティを出さなければいけないと思っています。難しいことですが、これを諦めたら番組を作る意味がないのかなという気がするんですよね。 あとは、出演者との信頼関係を大切に…..といったことですね。特に『でんぱの神神』『ナナポプ』といった密着系の番組は、出演者の気持ちをいかに言葉として引き出すかにかかっていますので、そこには絶対的な信頼関係を築いていくことが必要だと思います。 ──実際にlogirlで仕事してみて、いかがでしたか? 河合 自分でイチから企画を考えてアウトプットできる環境ではあるので、そこは楽しいですね。自分のやりたいことを、がんばり次第で実現できる場所。そういった意味でやりがいがあります。 ──リニューアルをしたlogirlの今後の目標を教えてください。 河合 まずは、どんどん新規の番組を作って、コンテンツを充実させていきたいです。これまで“ガールズ”に特化していましたが、今はその枠がなくなり、落語・講談・浪曲などをテーマにした『WAGEI』のような番組も生まれているので、いい意味でいろいろなジャンルにチャレンジできると思っています。 時期的にまだ難しいですが、ゆくゆくはlogirlでイベントをすることも目標です。logirlだからこそ実現できるラインナップになると思うので、いつか必ずやりたいと思っています。 文=森野広明 編集=田島太陽
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』
仙波広雄@スポーツニッポン新聞社 競馬担当によるコラム。週末のメインレースを予想&分析/「logirl」でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(マイラーズC)
YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#159)は、雪平莉左さんをゲストに迎えて配信中です。新装オープンから1年たった京都競馬場について、とくに芝レースの傾向を話しています。簡単に言ってしまうとヨーロッパ血統志向。もともとパリロンシャンに範を取ったわけではないにせよ、レイアウトに共通点はありますから(規模は半分以下ですが)個人的には歓迎しています。しかし、雪平さんにしても三谷紬アナウンサーにしても「以前の京都はアメリカっぽく、今はヨーロッパです」と言われて何言ってるんだこの人は…みたいな顔をしていますので、ぜひ配信もご覧くださいませ。4月21日(日)の京都11R・マイラーズCをこちらのコラムでも予想していきます。 ◎③セリフォス。 中内田師いわく「まだ休み明けという感じ」とトーンは低め。比較的コメントの信頼度が高めのトレーナーなので気になるところですし、確かに調教の気配もそれほど目立つものではないです。それでも、G1以外は4戦4勝の完璧な戦績。なればこそ次走のG1を勝つために余裕残しのつくりかも…と、うがった見方もできますが、それこそ戦績的に叩いてグンと良くなるタイプでもないです。マイル牡馬版ナムラクレアとみて、G1以外では止まるまで軸を任せていいのではないかと思います。 ○⑭ソウルラッシュ。 改装後の京都芝でアツいのは母の父マンハッタンカフェ。まあ改装前もまあまあ走っていたわけですが、改装後は目立ちます。去年の菊花賞当日など菊花賞2着タスティエーラのほか母の父マンハッタンカフェが芝で2勝。ほどよく穴も多い。マンハッタンカフェは牝系がドイツの名門Sライン(名前が代々イニシャルS、シュバルツゴルト系)で、母の父に入ればヨーロッパ味が増します。タスティエーラ、テーオーロイヤル、ソウルラッシュ…と代表的な馬を並べれば、言わんとするところも伝わると信じております。 ▲⑧トランキリテ。 日曜日の京都競馬場は雨予報です。日曜だけですし、現時点ですので蓋を開けると良馬場の公算は小さくありませんが、明確に「雨が降ればさらにいい」と松永幹師が発言しているのがトランキリテ。「体がしっかりして力をつけている」というコメントは型どおりではありますが、はち切れんばかりの馬体に成長しており、確かに馬が変わっています。もともとダート→芝で出世した馬で、成長の余地を残していたということでしょう。人気馬ばかりで申し訳ありませんが…。 ☆⑬セッション。 こちらはそこそこ人気薄でしょうか。坂井はこの馬をつかんでいると思います。京都替わりも大歓迎。 馬券は3連単フォーメーション。 <1着>③→<2着>⑭→<3着>①⑥⑧⑩⑫⑬。 <1着>③→<2着>①⑥⑧⑩⑫⑬→<3着>⑭。計12点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(皐月賞)
悲しいこともありましたが、といって競馬が停滞することを望むような方ではありません。追悼の意を持ちながら、いつも通りに予想していきたいと思います。配信中のYouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#158)は、皐月賞の予想。ゲストは雪平莉左さんです。4月14日(日)の中山11R・皐月賞をこちらのコラムでも予想していきます。 ◎⑯ダノンデサイル。 冠名ダノンさんのステップレース勝ち馬が本番で飛びがちなのは、それなりに競馬に詳しい方ならご存じだと思いますが、群雄割拠の一角としても人気はそれほどしないと思いますので、思い切って◎に指名しました。今年の皐月賞ステップは、ホープフルSは牝馬に勝たれ、共同通信杯とスプリングSは超スロー。あまり参考にならず、それならばよどみなく流れた京成杯組に狙い目があるかと思った次第。母父コングラッツ(エーピーインディ系)に多少引っかかるところがありますが、同じく母父エーピーインディ系の皐月賞馬にアルアイン(17年)。あの年も牝馬が1番人気だったんですよね(ファンディーナ7着)。 ○⑬ジャスティンミラノ。 先週桜花賞、ステレンボッシュの項で、「キズナでなければエピファネイア」と書いて、実際エピファネイア1着、キズナ3着。今春クラシックはこの傾向だろうと桜花賞前から思っていたので、対抗はキズナ産駒のこちら。エピファネイアでなければキズナです。先に共同通信杯は参考にしづらいと書きましたが、新馬と合わせて超スローの2戦しかしていないうえ、結構な人気をするのは確実なので切って妙味かと思わなくもありませんが、母父がペースチェンジに強いデインヒル系。資質も含めて買えるとみました。正直なところ皐月賞よりはダービー向きと思うものの、ダービーで買う(と決めた)馬は皐月賞でも買うべきだと個人的に思っています。 ▲⑭シンエンペラー。 凱旋門賞馬ソットサスの全弟。シユーニ×母父ガリレオ、3代前に並ぶ種牡馬はポーラーファルコン、デインヒル、サドラーズウェルズ、グリーンチューンと全てノーザンダンサー系。ヌレイエフとダンチヒとサドラーとニジンスキー、さらにリファールも持つ血統表には欧州要素のみという感じで、上がり3F33秒台が求められるダービー向きとは思えません。ある程度は前で運べる機動力もあり、クラシックで来るとしたら皐月賞じゃないでしょうか。矢作師が「自分の求めるところには達していない」と辛口でしたし、随所に若さが目立つのも確かですが。 △⑩レガレイラ。 この馬への見解も書いておきます。牝馬ですが、ホープフルSに勝って、その直後から皐月賞を目標にする意向が示されていました。あまり牝馬であることにこだわる必要はないかと思います。ただ450キロほどの馬体重で、繊細な末脚。それほどレースがしやすいタイプではありません。 馬券は3連単軸2頭マルチ。 <軸>⑬⑯→<相手>②③⑨⑩⑫⑭。計36点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(桜花賞)
さあ桜花賞です。配信中のYouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#157)は、もちろん桜花賞の予想。ゲストは競馬ガチ勢のSKE48熊崎春香さん。では4月7日(日)の阪神11R・桜花賞をコラムでも予想していきましょう。このコラム執筆時は収録時からしばらく経っていますが、基本的な見解はほとんど一緒です。 ◎⑪ライトバック。 多い馬で6戦、少ない馬で3戦のキャリアしかありませんから、よほど明確な差がついたレースでないと、はっきり勝負付けがついたとは言えないメンバーです。ライトバックは昨秋のアルテミスSが4着で、勝ち馬はチェルヴィニア。0秒6差ですから完敗ですが、だいぶスムーズさを欠いた内容だったので見直しの余地は十分。実際、次のレースとなったエルフィンSは先行したスウィープフィートをこれまた前が詰まってかなり厳しい形から伸び返しての首差勝ち。スウィープフィートがチューリップ賞を制したことからも、現3歳牝馬では上位の一角とみました。同牝系にはディーマジェスティ、オースミタイクーン、ジェネラスなど。ざっくり3歳春も悪くなければ、春の阪神も良さげ。ドゥラメンテ、キタサンブラックにめぼしいクラシック候補がいない今年は、種牡馬キズナにとってクラシックV最大のチャンス。それを逃さないぐらいのポテンシャルは父にも、この娘にもあると思います。 ○②クイーンズウォーク。 最終追い切りは併せ遅れ。調整過程がずっと軽いのですが、入厩時には既に仕上がっているレベルでしたから心配は無用です。熱心なファンは共同会見をチェックしたかもしれません。川田は「オークス向き。ベスト条件ではない」、中内田師も「長い距離向き」。強めに追わない調教からもオークス狙いが透けてうかがえますし、実際そうだと思います。ただ、これは持論ですが、オークスで買う(と決めた)馬は桜花賞でも買うべき。メンバーはほぼ変わりませんし、特に現代の桜花賞は瞬発力勝負になることが多いので、オークスとの適性も実はそれほど大きく離れていません。オークスを勝つつもりなら、桜花賞も勝てないまでも好走できるものです。 ▲⑫ステレンボッシュ。 キズナでなければエピファネイア。この馬自身は祖母ランズエッジがディープインパクトの半妹で、牝系源泉の切れ味が武器ですが、要は種牡馬エピファネイアが牝系のいいところを引き出すとも言えるでしょう。国枝厩舎らしい経験に裏打ちされた隙のない仕上げです。 ☆③イフェイオン。 いかにも馬場のいいところを通ってきそうな先行馬。これも父エピファネイアです。 馬券は3連単軸2頭マルチ。今回はキズナ丼で勝負します。 <軸>②⑪→<相手>③⑦⑧⑨⑫⑯⑱。計42点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
その他
番組情報・告知等のお知らせページ
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Task have Fun Diary 公開収録<概要・応募規約>
テレ朝動画「Task have Fun Diary公開収録」番組観覧無料ご招待! 2024年4月27日(土)開催!「タスクダイアリーお笑いライブ」 logirl(ロガール)会員の中から抽選で100名様に番組観覧ご招待! 番組概要 テレ朝動画でレギュラー配信中!Task have Funの番組「Task have Fun Diary」初の公開収録!今回はTask have Funとオジンオズボーン篠宮暁の4人で初の試みとなる「お笑いライブ」を開催!漫才あり、コントあり、トークあり、さらにライブも特典会もありのスペシャルプログラムでお届けします。 日時:2024年4月27日(土) 開場18:00 開演18:30~20:10頃(その後特典会あり) 場所:浅草木馬亭 東京都台東区浅草2−7−5 出演者(予定):Task have Fun/オジンオズボーン篠宮暁/??? ※さらに出演者(キャラ?)が追加する場合も有ります。 【応募詳細】 応募期間:2024年4月6日(土)21:30~4月15日(月)23:59締切 応募条件:logirl(ロガール)会員のみ対象(当日受付で確認させていただきます) 下記「応募規約」をよく読んでご応募ください。 応募フォーム:https://www.tv-asahi.co.jp/apps/apply/post.php?fid=10786_d37bf ご応募お願い致します。 当選発表:当選した方のみ、当選メール(ご招待メール)をご登録されたアドレスまで お送りさせていただきます。 「Task have Fun Diary公開収録」応募規約 【応募規約】 この応募規約(以下「本規約」といいます。)は、株式会社テレビ朝日(以下「当社」といいます。)が 運営する動画配信サービス「テレ朝動画」における「Task have Fun Diary」(以下「番組」といいます。)に関連して実施する、公開収録の参加者募集に関する事項を定めるものです。参加していただける方は、本規約の内容をご確認いただき、ご同意の上でご応募ください。 【募集要項】 開催日時:2024年4月27日(土)18:30開始~20:10頃終了予定(その後特典会予定) (途中、休憩あり) ※スケジュールは変更となる場合があります。集合時間等の詳細は当選連絡にてお伝えいたします。 場所:浅草木馬亭(東京都台東区浅草2-7-5) 出演者(予定):Task have Fun/オジンオズボーン篠宮暁 ※出演者は予告なく変更される場合があります 募集人数:100名様(予定) ※応募者多数の場合は、抽選とさせていただきます。 【応募資格】 ・テレ朝動画logirl(ロガール)会員限定 ・年齢性別は問いません 【応募方法】 応募フォームへの必要事項の入力 ・テレ朝動画にログインの上、必要事項を入力してください。 【ご参加お願い(参加決定)のご連絡】 ■ご参加をお願いする方(以下「参加決定者」といいます。)には、応募フォームにご入力いただいたメールアドレス宛に、集合時間と場所、受付手続等の詳細を記載した「番組公開収録ご招待メール」(以下「ご招待メール」といいます。)を送信させていただきます。なお、ご入力いただいた電話番号にショートメールでメッセージもしくはお電話をさせて頂く場合がございます。非通知設定でかけさせていただく場合もございますので、非通知拒否設定は解除して頂きますようお願いします。 ■当日の集合時間と集合場所は「ご招待メール」に記載します。集合時間に遅れることのないようご注意ください。 ■「ご招待メール」が届かない場合は、残念ながらご参加いただけませんのでご了承ください。 ■「ご招待メール」の送信の有無に関するお問い合わせはご遠慮ください。 ■公開収録の参加は無料です。参加決定のご連絡にあたって、参加決定者に対し、参加料等のご入金のお願いや銀行口座情報、クレジットカード情報等のお問い合わせをすることは、一切ございません。「テレビ朝日」や本サービスの関係者を名乗る悪質な連絡や勧誘には十分ご注意ください。また、そのような被害を防止するため、ご応募いただいた事実を第三者に口外することはお控えいただけますようお願い申し上げます。 ■「ご招待メール」および公開収録への参加で知り得た情報、公開収録の内容に関する情報、及び第三者の企業秘密・プライバシー等に関わる情報をブログ、SNS等への記載を含め、方法や手段を問わず第三者への開示を禁止いたします。また、当選権利および当選者のみが知り得た情報に関して、譲渡や販売は一切禁止いたします。 【注意事項】 ■ご案内は当選したご本人様1名のみのご参加となります。(同伴者はご案内できません) ■未成年の方がご応募いただく場合は、必ず事前に保護者の方の同意を得てください。その場合は、電話番号の入力欄に保護者の方と連絡の取れる電話番号をご入力ください。(保護者にご連絡させていただく場合がございます。) ■開催当日、今回の公開収録の参加および撮影・映像使用に関しての承諾書をご提出いただきます。(未成年の方は保護者のサインが必要となります。) ■1名につき応募は1回までとします。重複応募は全て無効になりますので、お気をつけください。 ■会場ではスタッフの指示に従ってください。指示に従っていただけない場合は、会場から退去していただく場合がございます。 ■会場でのスマートフォン等を用いての録画・録音についてはご遠慮ください。 ■会場までの交通手段は、公共交通機関をご利用ください。駐車場はございません。 ■会場までの交通費、宿泊費等は参加者のご負担にてお願いいたします。 ■当日は、ご本人であることを確認させていただくために、お手持ちのスマートフォン等で表示または印刷した「ご招待メール」と、「身分証明書」(運転免許証・パスポート等、氏名と年齢が確認できるもの)をお持ち下さい。ご本人確認が出来ない方は、ご参加いただけません。 ■荷物置き場はご用意しておりません。貴重品の管理等はご自身にてお願いいたします。貴重品を含む持ち物の紛失・盗難については、当社は一切責任を負いません。 ■公開収録に伴い、参加者・客席を含み場内の撮影・録音を行い、それらの映像または画像等の中に映り込む可能性があります。参加者は、収録した動画、音声を、当社または当社が利用を許諾する第三者(以下、当社および当該第三者を総称して「当社等」といいます)が国内外テレビ放送(地上波放送・衛星波放送を含みます)、雑誌、新聞、インターネット配信およびPC・モバイルを含むウェブサイトへの掲載をはじめとするあらゆる媒体において利用することについてご同意していただいたものとみなします(以下、かかる利用を「本件利用」といいます)。なお、本件利用の対価は無料とさせていただきますので、ご了承ください。 ■諸事情により番組の公開収録が中止又は延期となる場合がありますのでご了承ください。 【開催日付近の新型コロナウイルスの感染状況を鑑み、以下内容を実施する可能性がございます】 ■ご登録いただいたお名前、ご連絡先を、必要に応じて公共機関へ提供させていただく可能性がございます。 【個人情報の取り扱いについて】 ■ご提供いただいた個人情報は、番組公開収録への参加に関する抽選、案内、手配又は連絡及び運営等のために使用し、収録後に消去させていただきます。 ■当社における個人情報等の取扱いの詳細については、以下のページをご覧下さい。 https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/ https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/online.html
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新番組『WAGEIのじかん』(CS放送)
CSテレ朝チャンネル1「WAGEIのじかん」 落語・浪曲・講談など日本の伝統芸能が楽しめる番組。MCを務める浪曲師玉川太福と話芸の達人(=ワゲイスト)たちが珠玉のネタを披露します。さらに、お笑いを愛する市川美織が番組をサポート!お茶の間の皆様に笑いっぱなしの15分をお届けします。 お届けするネタ(3月放送)は、玉川太福の浪曲ほか、古今亭雛菊・春風亭かけ橋・春風亭昇吉・昔昔亭昇・柳家わさび・柳亭信楽の落語、神田松麻呂の講談などが登場します。お楽しみに〜!(※出演者50音順) ★3月の放送予定 3月17日(日)25:00~26:00 3月21日(木)26:00~27:00 3月24日(日)25:00~26:00 ⇩【収録中の様子】市川美織さん箱馬に乗って高さのバランスを調整しました。笑