エッセイアンソロジー「Night Piece」
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蕎麦屋で見つけた安らぎ、運命を感じた夜(葉山莉子)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 葉山莉子(はやま・りこ) 1993年東京生まれ、東京育ち。2022年より執筆活動を行う。ティンダー上で交わされた日記をまとめた『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』(タバブックス)を刊行。美術館によく行く。 instagram:@nikki.tin X:@n_i_kk_i_tin その夜、彼はわたしが残した海老の尻尾を取り上げた。そのとき、この人ならば安心して自分を見せられるかもしれないと思った。 運命、なんて言葉と恋を安易に結びつけてしまうのはあまりにも安っぽい。けれど、彼がわたしの目の前に現れたときに、わたしは運命という言葉を使わざるを得ないほど、何か得体の知れないものを感じた。全身の細胞が湧き立っていくような、そんな高揚を感じた。 その出会いは突然のことだった。わたしにとって彼は別世界の人で、わたしに興味を持つなんてそんなことは考えられなかった。想像するのも、馬鹿馬鹿しく思えた。だから、そんなふうに感じたのは自分だけだったに違いないと思い、即座にその気持ちを封印した。一瞬の出来事に舞い上がってしまっただけだと、自分に言い聞かせた。 けれども、彼は軽々しく、わたしの前に手を差し出した。わたしはおっかなびっくりしながら、その手を握ると、ふわふわとわたしを連れ出していった。その展開はあまりに早く、思考を挟む余地がなかった。この波に身を任せたいと思った。彼のことを警戒していたはずなのに、あのときの直感がわたしだけのものではなかったと信じてみたいと思ってしまった。彼がどう思っていたのかはわからない。けれど、彼のまなざしから向けられる好意、それが確かなものであってほしいと願っていた。 その夜は、何度目かのデートだった。出会ってから日も経たず、なにかと理由をつけてしょっちゅう会っていた。今日も昨日からずっと一緒にいるのに、解散するのが惜しくなってしまっていた。こんなにも一緒にいたら、早々に飽きられてしまうんじゃないかとわたしは不安になって、今日は帰ると彼に何度か切り出した。でも、帰らなければならない理由はなく、彼はそのたびわたしを引き留めた。結局帰らないまま夜になった。だから、夕飯を食べよ、という彼の提案に乗って、彼が運転する車の助手席に乗った。 わたしたちはお店を探すことにした。でも、場所がよくないのか、Googleマップを開くと、近くの店はもうすでにラストオーダーを終えていた。どうしようかと言いながら、お店を探す。だけど、話が脱線してけらけらと笑っているうちに、どこまでも夜が引き伸ばされていく。彼のお気に入りの音楽をかけながら、無闇に夜の道をぐるぐると回る。わかっている。本当は離れがたくて、わたしはお店なんか探したくなかったのだ。 しばらくして、彼があっと声を上げた。あそこに行こうと言って連れていってくれたのは、お蕎麦屋さんだった。モダンで天井の高いおしゃれな店内。広々とした店内に、親子連れとカップルが何組かいる。わたしたちは隅の席に通された。 恋をすると、わかりやすく食欲がなくなるわたしは、普段ならぺろりと平らげてしまうはずの天せいろを食べきれるかどうかで悩んでいた。「じゃあ天ぷら盛り頼むから好きなのだけ食べなよ、余ったの食べるから」と彼が提案して、天ぷら盛りとわたしはせいろ、彼は鴨南蛮を頼んだ。 その日一日を通して、彼の様子はいつもと少し違っていた。いつもの彼は、はつらつとした、気ままな自由人で、大好きな人や物に囲まれている生活を楽しげに話した。けれどその日はなんだか元気がなかった。「俺なんか」と口にして、背中を小さく丸めた。彼の中にある弱さや寂しさを感じた。これまで見せてくれていた元気さは仮のもので、これが本来の彼なのだろうと思った。その片鱗はずっと感じていた。それも含めて彼なのだから、わたしは彼のことをもっと知りたいと思った。 蕎麦を待っている間、彼は怖いんだと話した。その怖さは具体的な恐怖ではなく、彼の前に立ちはだかっている形のない恐怖のように思えた。それがなんなのか、彼もはっきりと理解してはいないのかもしれない。途方もない暗さに自分自身が覆われてしまうことがあるのだろう。初めて見た彼の姿に不安になった。わたしはそんな恐怖を抱える彼を理解できるだろうか、ちゃんと受け止められるだろうか。どんな表情で彼を見たらいいのかわからない。わたし自身もその覚悟が決まったわけではなかったけど、その放り出された彼の手をわたしは握りたくなった。その手の温かさに安心した。同じように安心してほしかったのだ。彼もゆっくり握り返す。そして、所在なさげにぽつりぽつりと彼はまた話し始めた。彼を見つめる。こういうときに人は愛おしいと感じるのだなと思った。 そんなふうに見つめ合っていると、蕎麦が届く。テーブルで手を握り合っているのを店員さんに見られて、恥ずかしくなり、ふたりでパッと手を離した。気まずそうにふたりで笑う。バカップルだと思ってもらえるといい。 そして、わたしも彼に初めて自分の家族の話をした。これまで誰にも言ったことはなかった。いや、あったけれど、自分の心の重荷になっている問題として、誰かに打ち明けられたことはなかった。話している間、体が緊張して、蕎麦をすすり上げる手の震えが止まらない。口の中で蕎麦がぼろぼろとほぐれ、うまく飲み込むことができない。どのように話していいかわからず、口が回らなくて、言葉が途切れ途切れになる。 その灰色の麺と深い赤茶のつゆに視線を往復させながら、わたしはボソボソと話していた。ふと見上げると、自分の話をしているとき、虚ろだった彼の目が温かい視線に変わっていた。彼がそのときなんて言ってくれたのか、わたしは覚えていない。だけど、そのまなざしで、自分を受け止めてもらえた気がした。 そのとき、彼が皿の端にあった、わたしが食べ残した海老の尻尾を取り上げて、バリバリと音を立てながら食べた。大げさに口を動かして、ニコニコと子供がおどけるみたいに笑う彼は、いつものはつらつとした彼だった。 実はわたしも普段は海老の尻尾まで食べている。だけど、あまり上品ではないから彼の前ではそれを控えていたのだ。だけど、この人の前ならそんなこと気にしなくてもいいのかもしれない。彼になら、本当の自分を見せてもいいのかもしれない。そう思えた。 わたしが「おいしい?」と尋ねると、彼はうれしそうにうなずく。お互いが抱えていた緊張が解けていく。この人のこと、信じてみようとわたしはこの夜に決意したのだった。そんなわたしの決意をよそに、彼はまだ海老の尻尾を咀嚼する。 次に彼と天ぷらそばを食べるときには、わたしは堂々と海老の尻尾を食べよう。2本あったならば、1本ずつ分け合おう。バリバリと音を立てながらふたりで尻尾まで食べよう。そう、心に誓った。 けれど、わたしと彼が天ぷらそばを食べることはもうないのかもしれない。わたしが感じた運命とやらはどうやらまやかしだったようだ。なのに、うっかり海老の天ぷらを頼んでしまうたびに思い出してしまう。だから、わたしはそのたびにバリバリと海老の尻尾を飲み込む。喉に刺さった生々しい傷が癒えていくように、思い出へと着地させるため、わたしはそれを飲み込み続ける。 文=葉山莉子 写真=Cho Ongo 編集=宇田川佳奈枝
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世界の中心が変わった、子猫が来た日の初めての夜(若菜みさ)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 若菜みさ(わかな・みさ) 2001年3月8日、長野県産まれ。2016年、SMAオーディション「アニストテレス」ファイナリスト。2021年よりフリーで画家として活動を開始、2023年5月に初の個展を開催。現在は総合24万人のフォロワーを抱え、自身のコラムや動画発信など幅広く活動を行っている。 Instagram:neko_ne_ko1/ misa_art38 X:@Neko_ne_ko1 人間は自分のことを人間と信じてやまず、まさか自分が宇宙人だとは疑いもしないのだろう。 動物から見たら、この世で最も摩訶不思議なのは人間という生物の存在であり、その姿はまさしく宇宙人そのものであると私自身は感じる。 今から書くのは3年前の5月、子猫を迎えた夜のことだ。 その日は、家の近くにあるビリビリに破壊されたカラーコーンも、営業しているところを一度も見たことがない歯医者も、なにもかもが私に拍手と歓声を送ってきているようであった。 家族を迎えるということが、これほどまでに光を帯びることだとは想像もつかなかった。 家に到着したのは20:00ごろだった。 ほんのり肌寒く心地のいい、夏の序章の最中にいた。 いつもよりもドアを静かに開け、できるだけよけいな音を立てないように靴を脱いだ。 リビングに着くなり、子猫を入れたバッグをなるべく傾かないように肩から降ろし、そっと床に置いた。 「大丈夫だよ」と声をかけながら、ファスナーのつまみを静かに、丁寧に、ゆっくりと横にスライドさせた。 だんだん奇妙な緊張感が走り始めた。 人を上げることは一切ない部屋に、子猫が解き放たれる日が訪れるとは。 あまり近くにいないほうがいいかもしれないと思い、子猫が出てくるまで少し離れた距離から見守ることにした。 それでもしばらく出てくる様子がなく、相当おびえているのだと察した。それはそうだろう、私だったら急に巨大生物の家に到着したら死を覚悟する。 のちに「スンスン、スンスン」と音が聞こえ始めた。 子猫は大きな目で周囲を確認しながら、バッグから体を出し、ゆっくりとおぼつかない足取りでフローリングの上を歩き始めた。 「よちよち」という効果音がこれほどまでにマッチする光景を見たことがあっただろうか。 肉球の色は柔らかなピンクで、全身を覆う毛は幻のように白かった。 子猫のまんまるな眼は、いかにその魂が純粋であるかを私に魅せつけてくるようだった。 部屋に落ちていた私の服が気に入ったのか、ピンクの鼻先をぴくりぴくりとさせながら何度も匂いを嗅ぐ、かと思ったら突然奥歯でギシギシと噛み始めた。 なんてかわいくて、意味不明なのだろう。 困惑と興味のせめぎ合いの中で、何から手をつけるべきかわからない様子にも見えた。 嗅いでは、飽きたかのように次の物を嗅ぎ、また飽きた様子で別の物を探す。 このときは、まさかそれが猫のスタンダードであるとは想像もできなかったのである。 2時間も経つと、子猫はだいぶなれなれしくなった。まるで最初からここに住んでいたかのような態度で、私が招かれた側なのだと錯覚をするほどであった。 腹を仰向けにして寝転がったり、イヤホンを破壊したり、思い出したかのようにトイレをし始めた。 本来ならイヤホンが壊れることは嫌だが、そんなことがどうでもよくなるほどに猫のすべての行動がおもしろく、怖いほどに魅力的だった。 尻尾がふにょん、ふにょん、と動いたり、時々耳がぴくっと横に傾く。すべての動作には同じ地球に産まれたとは思えない違和感があった。 そもそもなぜこんなに小さいのか、なぜこんなにかわいいのか、その尻尾は自分でかわいいとわかっているのだろうか。 愛おしいという気持ちは、時間をかけずとも案外すぐに湧くものなのだろうか。 そういえばこの子はまだ生後2カ月だ。 地球の姿も知らないのだろうし、世界のことも何も知らないはずだ。 この場所は私にとっては家、しかしこの子にとっては世界のすべてになるだろう。 5畳の部屋は世界にしては狭く、薄暗く、なんだかものすごく寂しい。ベッドと、キッチンと、トイレ以外に何もない。牢屋に少し課金したような部屋だ。 この子が、もっと広い部屋で走り回ったり、ゴロゴロしたりする姿を単純に見てみたいと思った。喜んでくれるかわからないが、生き生きとした姿を見られれば誰よりも私が満足するだろう。 その日の夜、ベッドでアニメを観ていた。 すると子猫が私の膝の上に乗っかってきて、すぐに小さな寝息が聞こえてきた。 私の膝の上で安心してくれているのだろうか。なんだか愛おしさとうれしさと視覚的なかわいさとで、壊れそうなくらいに気持ちが高まった。 脚に変な感覚が走った。 同じ体制で座っていたせいで、脚と腰に絶妙な痛みと不快感を感じ始めた。 じわじわ、と何かが骨を蝕んでいくような、鈍い不快感だった。次の瞬間ズキーン!と強い痺れが身体中を巡った。 私が動けば子猫が起きてしまう。 今日は一日疲れただろう、ようやく眠れたのに私の都合で起こすことはできなかった。痺れた足腰から意識を逸らして、そのままじっと耐え続けた。 ふと、おかしな気持ちになった。 自分の足腰のことよりも、この子にいい夢を見てほしいと思う気持ちが優先しているではないか。あんなに自己中心的だった私が、自分ではない何かを想って、しっかりと遠慮しているのだ。 そのとき、私は私が自覚している以上に大切な何かを得たのではないかと感じた。 それがたまらなくうれしくもあり、偉大な力のようで怖くもあった。 カーテンをめくって窓を見ると、外はもうすっかり深い夜の色になっていた。 いつもならば、ひとりで考え事ばかりしてしまう窮屈な夜を過ごして、朝が来そうになると焦り始める、むごいルーティンがあったはずだ。 その晩、小さな部屋の中で夢を見た。 それは幻想や無自覚に見る夢などではなく、子猫とのこれからの生活や、未来を自分の胸で描いた、本当の夢だ。 おやすみ、と明日も明後日も、1年後もこの子に伝えることができて、一緒に朝を迎える未来が今日この瞬間から始まったのだ。 ダイヤモンドのような夜だった。 あれから3年が経った今、もう1匹家族が増えて、ずいぶんと愉快になった。 朝は猫たちが暴れる音が目覚まし時計だ。 そしてこれを書いている現在、猫が「なぜ、撫でない?」とわかりやすく苛立った目でプレッシャーを与えてきている。 猫、君たちにとって私たち人間はどんな存在なのだろう。宇宙人か、大きな猫か、親か。 魂の大きさや、脳の仕組みが違っても、幸せを共有し、感情を伝え合うことはじゅうぶんに可能だと猫が教えてくれた。 きっと我々は人間同士であっても、本質的には宇宙人同士なのだろう。 私にとって君たち猫は、宇宙生物である。 猫が宇宙生物なら、私たち人間も宇宙生物であるはずだ。 文・写真=若菜みさ 編集=宇田川佳奈枝
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一歩近づいたあの日の目標、不器用な優しさに涙した夜(青戸しの)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 青戸しの(あおと・しの) 神奈川県出身・ライター兼モデル。2018年夏から被写体としての活動を始め、自身やカメラマンのSNSに写真がアップされると、そのつかめない表情や雰囲気、かわいさからすぐに話題となり人気が急騰。最大で月間100件以上の撮影依頼の問い合わせがある人気モデルとなり、ポートレートモデルの先駆け的存在として雑誌で特集が組まれるなど業界から注目を浴びた。go!go!vanillas「パラノーマルワンダーワールド」のMVにてヒロイン役を務めるなど演技の活動もする一方で、『小説現代』(講談社)にてミステリー小説の書評連載を務めるほか『ar web』(主婦と生活社)では乙女の憂鬱をテーマに恋愛コラムの連載も担当、映画の感想コメントを提供するなど、ライターとしても活躍の幅を広げている。 Instagram:aotoshino_02 TikTok:aotoshino_02 X:@aotoshino_02 記憶に残り続ける言葉や、夜は案外短く、とてもシンプルだったと思う。 シュークリームを3つ抱えてバス停から走る。 息切れしながら玄関を開けると「ただいま」と言うよりも先に「おかえりー!」と大きな声が聞こえた。 その日は久々の帰省だった。 リビングのドアを開けると、炊き立てのご飯の匂いがしてぐーっとお腹が鳴る。 「今日は米何合食べて帰るんか」 出会い頭、父に意地悪を言われた。 久々に会った娘への第一声がそれか!と思いつつ父なりの愛情表現でもあるので、「5合」と冗談で返すと「大丈夫! 2回お米炊くから!」とキッチンから母の真剣な声が聞こえた。 振り返ると手の込んだおかずが机いっぱいに並べられていて、とても冗談だとは言えなくなった。 私の実家では「もう勘弁してください……」と言うまで追加の料理が出てくる。 もしかしてあの冷蔵庫は異空間にでもつながっているのだろうか……? 満腹になってソファに横たわる私を横目に、父は「お風呂」と言ってリビングをあとにした。 昔から20時になるとお風呂に入って、そのまま寝るのが日課なのだ。 『金曜ロードショー』で観たい映画が放送される日はどうしているのだろうか。 そもそも好きな映画とかあるのだろうか。 私は食事中にひととおり近況報告を済ませていたが、父は相づちを打つのみであまり自分の話をしない。 「お父さん相変わらず淡白だね」 「そう? だいぶ変わったと思うけど……」 特段変わった様子は見当たらなかった、白髪が少し増えたくらいだ。 「え〜、たとえばどこが?」 お母さんはお土産のシュークリームをかじりつきながら昔から変わらない、優しい笑顔で言った。 「お風呂から上がる前に、お父さんの部屋のぞいておいでよ」 言われるがまま、私は数年ぶりにそっと父の部屋に忍び込んだ。 相変わらずきれいで、ホコリひとつない。 ホテルのように整えられたベッド、無駄なものがないシンプルなデスク。 お父さんも私と同じO型だよな……?と改めて血液型占いの信憑性を疑っていると、デスク横の棚に並べられた時計と靴が目に入った。 どちらも私がプレゼントしたものだった。 よく見るとビジネス書が並べられていたはずの本棚には、私が連載している雑誌が隙間なくきっちりと並べられている。 母の言っている意味が、久しぶりに入ったこの部屋にぎゅっと詰まっていた。 この歳になってまで父に泣かされるのが悔しくて、あふれそうになる涙をグッとこらえる。 正直、自信がなかったのだ。 今も昔も、自慢の娘でいる自信がなかった。 大人になってから、忙しさを理由に何カ月も会わない日々が続いたり、誕生日に連絡するのを忘れたりすることもある。 実家に顔を出すのもたいていが落ち込んでいるときで、せっかく作ってくれたご飯をひと口も食べられない日もあった。 父はそんな私を、責めたことは一度もなかったけど、口に出して慰めることもしなかった。 その距離感が居心地よくもあり、ずっと不安でもあったのだ。 言ってくれればよかったのに、「いつでも見てるよ」と、もっと早く教えてくれればよかったのに。 肝心なところが変わっていない、昔から優しさが不器用さに隠れてしまう人だった。 「お父さんね、大事なお仕事がある日は必ずしのがプレゼントした時計をつけて出勤するんだよ」リビングに戻ると、内緒ねと母が教えてくれた。 「雑誌は発売日に買ってくるし、しのが帰ってくる日は、張り切って買い物に連れて行ってくれるんだから」 わかってはいたけど、うちの冷蔵庫は異空間につながっているわけではなかった。 さっきまで「まだ食べるのか」と文句を言っていた父がなんだかかわいく思えてくる。 「いらんこと言わんでいい」 お風呂から上がった父が珍しくリビングに戻ってきた。 母はしまった!という顔をしてキッチンへ逃げていく。 どうしたらいいのかわからず「そろそろ帰ろうかな……」とその場から逃げ出そうとする私に、父は「送ってやろうか?」と言った。 「え?いいの?」 「車出してくるから待ってろ」 母からたくさんのお土産を受け取り、父の車に乗り込んだ。 車内はYOASOBIの「夜に駆ける」が流れている。 「お父さんYOASOBIとか聴くんだ」 「若い子は聴くらしいな」 返事になっていない。 私が知っていそうな曲をかけてくれたのだろうと、都合のいい解釈をした。 「時計、新しいのプレゼントしようか?」 飾られていた時計は数年前にプレゼントしたもので、今ならもう少しいい物を買ってあげられる。 父はしばらく黙ったあとに 「いい、あれが気に入ってる」 とまっすぐ前を向きながら答えた。 「そっか」 話したいことがたくさんあるのに夜景はぐんぐん進んでいく。 少しでも車をゆっくり走らせてほしかった。 まだ実家に住んでいたころ、父は今よりずっと怖く見えていた。 仕事であまり家にいなかったし、口数も少ない。 当時の私は休日に父とふたりで過ごしても、何を話していいのかわからず、窮屈に感じていた。 「またすぐに帰ってくるね」 今の私にできる精いっぱいの甘え方だった。 口下手なのは父に似たらしい。 「いつでも帰ってこい」 たったひと言、ぶっきらぼうで淡白な返事だったけど、明日からも踏ん張って生きていくにはじゅうぶんすぎる言葉だった。 きっとこれから挫折することもあるだろう。 泣きながら過ごす夜もあるだろう。 それでも、この先どんなに苦しいことがあっても大丈夫だと、そう思えた。 運転中の父の横顔は昔よりずっと穏やかで、若くはない。 数年後にはあの殺風景な部屋を私でいっぱいにしてみせる。 新しくできた目標を胸に、眠りについたあの夜を私はきっと忘れない。 先日、実家に帰省すると花と一緒に『週刊プレイボーイ』が玄関に飾られていた。 ご丁寧に私が掲載されているページが開かれている。 「玄関に飾るのはやめてよ……」 母に頼み込むと「俺の部屋にもあるぞ」 と父が部屋から2冊目を持ってきた。 ギャグのような光景に思わず吹き出す。 今日もまた、あの日の目標に一歩近づいた。 文・写真=青戸しの 編集=宇田川佳奈枝
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たどり着いた真夜中の終着駅。人生で最もスリルを感じた夜(鳥飼 茜)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 鳥飼 茜(とりかい・あかね) 漫画家。1981年生まれ、大阪府出身。2004年に『別冊少女フレンドDXジュリエット』(講談社)でデビュー。代表作に『おんなのいえ』(『BE・LOVE』/講談社)『先生の白い嘘』(『月刊モーニング・ツー』/講談社)『地獄のガールフレンド』(『FEEL YOUNG』/祥伝社)、『サターンリターン』(『週刊ビッグコミックスピリッツ』/小学館)など。 指を折り数えると身震いしてしまうのだが、あれはもう20年近く前なのだった。そのころ私はアルバイト兼自称漫画家で、雑誌に載った読み切りの原稿料を投じて、ニューヨークの街に乗り込んだ。ただ旅行に行っただけだが、興奮していたし、この上ない緊張感と不安でいっぱいだった。 海外では音楽を聴くくらいしか能力を発揮しないガラケーと、地球の歩き方と銘打たれた地図つきのガイドブックを携え、初めての海外ひとり旅だった。 踏み切れたのは、バイト先で偶然出会ったひと組のカップルと、古本屋で知り合ったアメリカ人学生がどちらもニューヨーク在住で、ニューヨーク未経験の私に遊びに来なよ!と誘ってくれたからで、若く厚かましい私はその親切になんのうしろめたさもなく乗っかったのであった。 英会話が得意なわけでもないし、20代前半の臨時収入なんて知れている。ホテル代は彼らの親切で無償だったので、予算は飛行機代と、毎日の食事代だけでギリギリだったはずだ。 そんな丸腰でよくぞ無事に帰ってこられたと今となっては感心する限りだが、人生で最もスリルのある夜を経験したのもこのときだ。 同じニューヨークといえど、彼らの自宅はマンハッタンとブルックリンという2カ所に跨っていた。そこを行き来するのに、移動は専ら地下鉄である。 当時のニューヨークは、大きく変化を迎えたばかりで、若く無知な外国人の自分にも地下鉄が利用できるくらいには治安がよくなったらしかった。それでもブルックリンにはまだまだ危険の多い場所があり、地下鉄で往来するということ自体相当なスリルがあった。 その日は友達がブルックリンでのパーティーに誘ってくれて、夜中過ぎに解散となり、私は宿泊させてもらっているマンハッタンのカップルの家までひとりで帰ることになった。 ニューヨークではひと晩中、電車が走っている。昼間の移動には少し慣れてきていたが、初めての路線で深夜にひとりということもあって、緊張もひとしおだった。身も引き締まるところだが、普通の人と違って、私は「緊張するほど慎重さを欠く」というたいへん難儀な性質なのである。 何度も念押されたはずの乗り換えをスコンと忘れ去り、終点へ向かう深夜過ぎの地下鉄車内はどんどん人気が少なくなっていた。何かがおかしい気がするが、自分が間違っている確証が持てない。電車内に表示されている路線図は簡素化されすぎていて、自分がどこに運ばれる予定なのかがわからない。よけいな動きをして無駄に失敗を重ねるくらいなら、とにかく確実に結果がわかるまでこのまま電車に乗っていようと思った。 深夜1時を過ぎたニューヨークの地下鉄の乗客は次々と帰路につき、怪しいと感じた時点で車両には私だけだったと思う。駅が進むにつれどんどんノイズが薄れ静かになっていく。少なくとも聞き覚えのある地名が出てきてくれれば少しは安心するかもしれないのに、などと根拠のないことを思い始めたとき、電車はとうとう終着駅に到着した。アナウンスを聞いて、かるく戦慄した。「ワールドトレードセンター」。世界を震撼させた前代未聞のテロ事件からまだ数年、何度もニュースで耳にしたあの場所に、深夜2時前、私はたったひとりで降り立った。 あらかじめ知ってのとおり、ここは世界屈指のビジネス街である。東京のそれと同じように、真夜中を過ぎたビジネス街に用事のある人はほとんどいない。際立って静かなのは単にそれだけが理由のはずだが、地理的にも終着点であること、そしてさらに、この場に惨禍に見舞われた無数の魂が眠っていることを思うと、静寂と闇が膨張し、地下鉄構内をかろうじて照らす電気を今にも飲み込みそうな気配を感じた。ここは、都会の夜の端っこだ。 私は完全なパニックから、まずホームに降り立った人の中に女性ふたり連れを見つけ、藁にもすがるように声をかけた。話しかけてどうなるわけでもないが、誰かに優しくしてもらわないと不安で仕方がなかったのだ。果たして、どうなるわけでもなかった。彼女たちも旅行者で、私が戻りたい場所への行き方を知らなかった。彼女たちにとってはここが目的地なので、当然のように地上へと掃き出されていった。 私もいっそ地上に出て、タクシーでとにかく帰るという選択肢も考えたが、タクシーが体よく捕まらなかったときのことを考えると、地上よりも地下鉄構内にいたほうがましなのではないかとまごついた。 私は完全なひとりだった。 ニューヨークではひと晩中電車が走っていると書いたが、時刻表などはない。従って、次の電車はだいたい何分置きに来るとかいう予想もできない。夜中になると本数が減ること、ホームで待つときはカメラのある場所にいること、という友人からの教えが思い出された。ここで屈強な、何か悪いことを企んでいる人間と鉢合わせたら私は死ぬ、冗談抜きでそう思った。 人がいるところを必死で探し、改札口に駅員を探すが乗客どころか駅員さえいない。こんなの終夜営業といえるのか?と怒りすら覚えた。ようやくホームの端で黙々と線路の改修工事をしている移民系の男性を見つけ、事情を片言ながら説明すると、ここで待っていればいつかは電車が来ると言われた。いつかはわからないけど、と。 人がいるということに、こんなに救われたことはない。電車が来るまで、オレンジの光に照らされた一角の、彼の工事作業をただ呆然と見つめていた。外国の、自分とは本来関係のない場所に立って、見知らぬ人の作業を眺めながら私はいつ来るか知れない真夜中の電車を待っていた。 簡単に考えればわかることだが、どこかで乗り換えを忘れて終点にたどり着いたのなら、降りずに折り返し、正解の地点で乗り換えれば済むだけのことなのだった。おそらくほんの十数分後のことであろう、折り返しの電車はやってきた。今度は無事降車した乗換駅で、心配をかけているであろう宿主に手持ちのコインで公衆電話をかけ、ただ今帰路についている旨を説明した。説明しながら、なんと無駄な冒険だったことかと笑いが込み上げてきた。電話口の宿主も笑っていた。 よけいな不安を不注意から創作して盛り上がっただけの一夜だった。 慌て、窮し、考え、自ら何かを解決したようで、実はどうということもなくゼロ地点にいただけのような話だ。 くだらなくも、自分にとっては相当に映画的な夜の顛末であった。 GoogleマップとSNSとタクシーアプリがあればこんな経験はきっとしないで済むであろう。 忘れられない夜になったが、二度と再現できない夜はすべて忘れられない夜である。 戻ってこないもの、場所、人、それらが偶然ひとところに集まった夜を我々は日々更新中なのだが、忘れられない夜となるのはそれらが過ぎ去り、手のうちからこぼれてしまったあとなのだ。 文・撮影=鳥飼 茜 編集=宇田川佳奈枝
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“好き”を貫く大切さに気づいた、神様と出会えた忘れられない夜(阪田マリン)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 阪田マリン(さかた・まりん) 2000年12月22日生まれ。昭和カルチャーが大好きで“ネオ昭和”と自ら命名し、ファッションやカルチャーを発信する人気インフルエンサー。数々のメディアや企業からの出演オファーが殺到中。SNSでの総フォロワー数は約23万人。同じくZ世代で昭和歌謡に精通するシンガーの吉田カレンとタッグを組み、世に放つ懐かしくも新しいネオ昭和歌謡プロジェクト「ザ・ブラックキャンディーズ」を結成。昭和98年4月29日にシングル「雨のゴールデン街」でデビュー。 私の忘れられない夜はなんだろう。 思い浮かべるとあの日の出来事がすぐさま頭に浮かび上がった。 2022年8月14日に参戦した山下達郎(※敬称略)のコンサートだ。そのコンサートの話をする前に、この話をしたい。 私は70s、80sの音楽や文化や服装が大好きだ。私が中学2年生のときに祖母の家にあったレコードプレーヤーで、チェッカーズの「Song for U.S.A.」という曲を初めて聴いた。そのとき、レコードの仕組みや音質に影響を受けたことがきっかけで、当時流行っているものが見えなくなるぐらい“昭和のもの”に夢中になっていった。けれど中2の私はみんなと違うものが好きだということは“恥ずかしいこと”だと思っていた。仲間外れにされたらどうしよう……と。友達とカラオケに行ったとき昭和の歌を歌いたいはずなのに、歌えなかった。本当はとってもとっても歌いたかったのにね。 中学校の廊下には音楽ボックスというものが置いてあった──給食の時間に流してほしい音楽をリクエストできるというボックスだ。匿名でリクエストができるので私は紙に“山下達郎「クリスマス・イブ」”と書いて提出した。 それは真冬のことだった。給食の時間に「クリスマス・イブ」が流れた。私はうれしすぎて心の中でコッソリと喜んだ。みんなはこの歌にどんな反応をしてるだろう……知ってる人はいるかな? この曲を好きな人はいるかな?とまわりを見たが、みんな無反応で「誰の曲?」という感じだった。やっぱそうなるよなぁと。時代が時代だもんね。中学生の私は自分の好きなことを隠し、カラオケでも妥協をして流行りの歌をみんなに合わせて歌っていた。そんな私が高校生になるときに山下達郎の名言に出会う。 “新人バンドなどがよく説得される言葉が「今だけ、ちょっと妥協しろよ」「売れたら好きなことができるから」でも、それはウソです。自分の信じることを貫いてしなかったら、そこから先も絶対にやりたいことはできない” 私はこの名言を見てハッとした。 自分を貫くってどれだけ大事なことなんだろう。 それに気づいた私は高校からは好きなものを好きと言い、自分を隠さずに生活した。だけど、友達は全然私のことを忌避しなかった。むしろ「その趣味いいね!」と言ってくれたのだ。それから中学校生活と比べものにならないくらい高校生活は楽しいものとなった。最近は私の好きな昭和が仕事にもつながってきている。自分を貫き信じることの大切さを教えてくれた山下達郎。まさに私にとっての神様なのだ。 さて、コンサートの話に戻る。念願のチケット当選を喜び、友人とふたりで行く予定だったのだが友人がカゼをひいてしまい、私ひとりで参戦することになった。ひとりでコンサートに行くのは初めてだし、なんといっても山下達郎を生で観られるのはこの日が初めてだ。心臓がドキドキと飛び出そうで、手汗がびっしょりしていた。 少し早めに会場に到着し、グッズを購入した。もちろんカゼで行けなかった友人にもね。泣きながら悲しんでいたから(笑)。席に座ると私はこんなことを考えた。 「山下達郎は私の中で神様だ……本当に存在するのかな。この目で拝めるのかな。夢じゃないかしら」と。 まるでその場にいる自分が信じられなくなるぐらい、ふわふわとした気持ちになった。 山下達郎はどんなときでも私の心の支えだった。 失敗した日、成功した日、寂しい夜、うれしい夜、そんなとき、いつも山下達郎を聴いていた。 あぁ会場が暗くなった。 もうすぐ始まるのだ。息を呑む。 ジャカジャカジャンとギターの音が聞こえた。すぐにわかった。この曲は私の大好きな「SPARKLE」だ。そして山下達郎が登場した。 どうしよう、目の前が涙で滲んでぼんやりしている。登場してわずか5秒も経たないうちに、私は号泣してしまった。目をつむると大好きだった山下達郎の声や音楽を独り占めしているような気分になった。この曲はお父さんが教えてくれた曲で、小学校のころ毎年夏になると白浜の海水浴によく連れて行ってもらって、帰りの車の中で「SPARKLE」がよく流れていたのを覚えている。車の窓を全開にすると夕日とともにムワッとした風が入ってきて「曲が聴こえなくなるから窓を閉めて」とお父さんに怒られたのを思い出した。 山下達郎の音楽を聴くと、当時のいい思い出がアルバムを開いたときのように次々とよみがえってくる。私は中でも「Paper Doll」という歌がとても大好きで、(コンサートで)この曲を歌ってほしいな、とずっと願っていた。ツアーなので調べるとセトリも事前に見られるのだが楽しみが減るような気がして、あえて絶対調べないようにしていた。コンサートの中盤に差しかかったころ、なんと「Paper Doll」が流れ始めた。私はなんてラッキーなんだ。初めての山下達郎のコンサートで、私の一番大好きな曲が聴けるなんて。 いつまでも 一緒だと 囁いている 君はただ 手のひらに 僕を乗せ 転がしている だけなのさ Paper Doll 僕等の恋は まるでおもちゃさ 遊び疲れる時を きっと 君は待ってるんだ 僕は好きな女性に遊ばれている。と悟っているような、弱気な男性を描いた歌詞。こんなリリックどうやったら思いつくんだろう。改めて山下達郎の才能を身に感じながら大切に大切にこの1曲を聴いた。観客席のひとりがペンライトを振っていた。それに気づいた山下達郎は「僕のコンサートでペンライトを振ってる人いるんだね(笑)珍しいなぁ。ありがとう」と言った。わぁ……うらやましい。私もペンライトやうちわとか持ってこればよかったと後悔をした(笑)。一瞬で時間は過ぎ、コンサートは終わった。私の隣に座っていた3人組の女性たちはおしゃべりをしながら「あの曲がよかった」とか「ここは感動したね」とか楽しそうに語り合ってる。ひとりで来ている私はコッソリとその話を聞きながら「うんうん、たしかにそこ感動したわ」ニヤリと、心の中で共感したりしていた。ひとりでのコンサートは寂しいと思っていたが、集中して楽しむことができたし、会場みんなが一体となる感覚なので、ひとりもありだなぁと気づいた。 会場を出たのは21時ごろ。真夏なのにその日は少し涼しく、星が見えていた。さっきまで私たちの目の前にいた山下達郎。会場を出て外の空気を吸うと、やはり夢だったような気がしてちょっぴり虚無感に襲われた。やはりひとりでコンサートは寂しいかもと思った。楽しい時間は一瞬で過ぎるな。本当だったら今この帰り道、イヤホンをつけて山下達郎の歌を聴きながら余韻とともに電車に乗るのだが、私は我慢をした。 家に帰ってからリスペクトと愛を込めて、山下達郎のレコードに針を落とすのだ。そんな小さなこだわりや、少しの手間が音楽をよりいっそう輝かせる。コンサートの余韻に浸りながらあの夜、家で聴いた「SPARKLE」最高だったな。 忘れられない夜だ。 文・写真=阪田マリン 編集=宇田川佳奈枝
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そこは美しい絶望の地だった──甘く、脆い夢を見た夜(伊東楓)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 伊東 楓(いとう・かえで) 1993年10月18日生まれ、富山県出身。大学卒業後〜2021年までTBSにてアナウンサーとして活躍。フリーに転身後、2021年3月に初の絵詩集『唯一の月』を出版、atmos千駄ヶ谷店にて個展『変化の兆し』を開催。現在はドイツに拠点を移し、アーティストとして活動中。 夜は美しく、優しい。 世の中の雑音も、涙が出るほどの愛おしさも、孤独も寂しさも、何もかもを私から奪い去ってしまう。 始まりだったのか、それとも終わりだったのか。 あの夜、私たちがたどり着いたのは 夢のように悲しく 夢のように輝きに満ちて 夢のように美しい絶望の地だったのか。 その答えは、まだ誰も知らない。 ドイツに移住してから、あっという間に1年半が過ぎて、振り返る暇もなく走っているうちに、多くのものを置いてきたように思う。それを実感したのは、1カ月前の帰国のときだ。 久しぶりの日本だった。飽きるほど見たはずの東京の夜は、まるで別人のように思えた。こんなにも騒がしく、煌々として、どこか他人事で寂しかっただろうか。太陽とともに寝て起きる、自然の流れに抗わぬまま生きるヨーロッパの生活が、思った以上に自分の肌になじんでいるらしい。 東京の部屋に着いてホッとひと息つき、ベランダに出た。そこには変わらない美しい東京が広がっていた。白く光るレインボーブリッジが遠くに見える。 いつ見てもこの景色は変わらない。何ひとつ変わっていない。そう思ったら、なぜだか急に、言葉にできない切なさが胸に押し寄せた。代わり映えしない景色が、たった一夜の出来事を甦らせた。レインボーブリッジを見つめ、ふたりでたくさんの夢を語り合ったあの夜を。そして私は、もう二度と取り戻せない何かを思い出していた。 ちょうど1年前。 今思うと、あのころの私は、旅立ちの前の静けさに嫌気が差して、新しい刺激を探していたように思う。 そんなある日。その人は「つまらない」とつぶやく私を、夜のドライブに誘ってくれた。 車窓から流れる眩い都会の光をただ見つめて、交わす言葉も少なく、聴き慣れた音楽とともに、私たちはあてもなく夜の街をさまよった。最終的にたどり着いたのは、東京湾の浜辺だった。実にベタな展開。でも、私にとってはどれも初めてのイベントだったから、ワクワクする気持ちと少しの照れ臭さで、なんだか落ち着かなかったのを覚えている。 まさかこの人とこんな場所に来るなんて想像もしていなかった。 強い風に体を打たせて、ふらふらと砂浜を歩いた。ふたりの間には優しい沈黙が流れる。頬に触れる風は冷たいのに、私の熱は冷めないように思えた。 私たちはアスファルトの段差に並んで腰かけた。目の前には、吸い込まれそうになるような漆黒の海が広がっている。聞こえるのは柔らかいさざなみの音と、どこかではしゃぐ若者の楽しそうな声。遠くに浮かぶレインボーブリッジの光が海面に反射して、ゆらゆらと揺れていた。とてもキレイだと思った。 ぽつり、ぽつりと、口からこぼれ始めたのは、未熟で道半ばで、鋭く光る自分だった。 叶えたい夢がある。そのために日本を出て、世界に拠点を変えた。先は見えない。頼れるのは自分の直感と、果てしない情熱だけだ。時に、堪え難い孤独が私を襲う。それでも、私はその先を渇望している。 あの人は、ただただ黙ってそれを聞いていた。そして、あの人のうつろう瞳の中に強い何かが見えた。 私の心に渦巻く、羨望と憧れ。 “早くあなたに追いつきたい、世界で何かをつかみたい” あの人の横顔を見つめながら、そっと心に火を灯す。そして、たどり着く場所が同じであればいいと、心から願った。私たちは、甘く、脆い夢を見た。 「ずっとこのまま、変わらず、そばにいて」 そのひと言が出かかって、飲み込んだ。熟していない果実を飲み込むような感覚だった。 変わらないものはない。私たちは常に変化の中で生きている。その事実を、私が誰よりも知っていた。だから、私にはたったひと言が言えなかった。悲しみとともに訪れたのは、透き通るような甘さと、穢れのないひと粒の希望だった。 あれから1年が過ぎた。 あの日のふたりは、もうどこにもいない。 そして、ふわふわと夢の中で理想を語る自分も、もうどこにもいない。 あのころ欲しかったものは、確実に少しずつ手に入って、永遠に暗闇の中で見えないと思っていた光が見えるようになった。同時に、私はいろんなものを手放してきたのだろう。夢のための代償は、最初から覚悟していた。それでも、こんなにも現状が変化していくなんて。過ぎ去った日々を思い返して、私は、まだ出ぬ答えを思い巡らせていた。 遠くの空が、次第に淡くなっていく。気づけば、静かで煌びやかな東京の夜が、もうすぐ明けようとしていた。 ああ、そうか。変わったのはほかでもない、私だ。 あの日のふたりに、偽りはひとつもなかった。あれもすべて真実だったと思う。しかし、私自身が先へ進むことを選んだのも、また真実なのだ。 あの日、あの瞬間、もしも違う選択をしていたら、私にも平凡な幸せが手に入ったのかもしれない。道が逸れてしまった今はもう、その答えは永遠にわからない。だけど、それでいいのだ。代わりに、私たちは別の景色を手に入れたのだから。 日が昇る前に、私は再び走り出す。 どんなにあのころが素晴らしくても、今以上に大切なものはない。うしろ髪を引かれるような思いも、孤独も、悲しみも、すべてをこの夜に置いていこう。未来への希望に胸を踊らせて、今は真っすぐに走り続けよう。 これから私が向かうのは、最も険しく、美しい最果ての地なのだから。 文・写真=伊東 楓 編集=宇田川佳奈枝
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夢に見る初夏の香り、鮎が教えてくれた夜(大野いと)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 大野いと(おおの・いと) 1995年7月2日生まれ、福岡県出身。映画の撮影を見学しているところをスカウトされ、芸能界入り。2009年『週刊文春』のグラビア「原色美女図鑑」でデビューし、『週刊少年マガジン』の巻頭グラビアにも登場。2010年からは専属モデルとなった『Seventeen』をはじめ、さまざまなファッション雑誌で活躍。2011年、映画『高校デビュー』でヒロインに抜擢されスクリーンデビューを果たす。その後、舞台、CM、連続ドラマなど活動の幅を広げている。近年の主な作品は、ドラマ『インビジブル』『リコカツ』(TBS)、『真夜中にハロー!』(テレビ東京)、映画『高津川』、舞台『ウィングレス(wingless)翼を持たぬ天使』など。福岡県中間市のPR大使を務めている。現在、配信サービスLeminoにてオリジナルドラマ『放課後ていぼう日誌』が配信中。 私は鮎が好き。 魚の中で一番くらいに好き。 初夏が近づくと鮎が食べたくてソワソワしてきて夢に見ることもあるくらい。 そして先日、今年初めての鮎をこれまた鮎好きの友達に誘われて食べに行った。 鮎をひとりで5匹。食べすぎと思うかもしれないけど私としてはこれでもまだ遠慮している。2匹はそのままで3匹は蓼酢(たでず)につけて。それではまず塩焼きをそのままでいただく。カシュッと揚げるように焼かれた頭、わずかにこげて香ばしい皮目、ホクホクとして鮎独特の旨みをまとった身、パリッと焼けた腹びれ、そして鮎を鮎たらしめているほろ苦いお腹のワタ……それらの味が合わさって口いっぱいに広がり、そのあとに若草のような香りが鼻に抜けていく。はい、もうべらぼうにおいしいです、参りました。こうして今年も私は鮎の軍門に下るのである。 でも、これでまだ終わらないのが鮎のすごいところ。次は蓼酢につけて食べるのだ。そのまま食べても鮎は一番おいしい魚といえるかもしれない。ただ、蓼酢と合わさると鮎は一番おいしい魚から一番おいしい料理へと昇華される。あのピリっとして青くさい苦味のある蓼酢に鮎をつけて食べると、鮎の持つすべての味がより濃く華やかに鮮明に広がっていく。この組み合わせを考えた昔の人は本当に天才だと思う。 私は5匹、もちろん友達も5匹をペロっとたいらげたところにお店の人が来てこう言って褒めてくれた。 「まあ、5匹も食べられたんですか、本当に鮎がお好きなんですね。鮎は急流に負けず川を昇っていくので、鮎をたくさん食べる方は出世すると昔からいわれてるんですよ」 ふむ。遠慮して5匹、本当はもうあと3匹は食べられた私はどんな困難があっても乗りきっていけるってことだ、やったー! こうして、今年初めての私の至福の時間はあっという間に過ぎていったのだった。 と、ここまで鮎がどれだけおいしくて私がどれだけ鮎が好きかを書いてきましたが、“鮎が教えてくれた夜”はこの夜のことではないのです。 話は私がまだ20代前半だったころに遡ります。 その年の夏の終わり、私は新しい映画の撮影で島根県の高津川が流れる小さな町に来ていた。高津川は日本ではもう少なくなったダムのない清流で町は豊かな自然にあふれていた。 当時の私はまだ自分の演技に自信を持てず、このまま進んでいっていいのか漠然と将来への不安を感じていた。 私の役は、その町に住む私と同じくらいの歳の素直で優しい「七海」という名の女性だった。 最初は自分と似ているところもある役なのでなんとかやれそうと思っていたのだけど、うまくできない。七海ならこのときどんな表情をするのかなとか、考えれば考えるほど表面的な演技になってしまい、そんな不甲斐ない自分にひとりで泣いてしまうことも幾度となくあった。それでもなんとか諸先輩方にアドバイスをいただきながら必死でついていこうとしていた。 そんなある日、晩ごはんに高津川で捕れた天然の鮎が出てきた。私はそれまでにもスーパーで買ってきた養殖の鮎を食べたことはあったけれど、川魚のくさみが嫌で正直あまりおいしいと思ったこともなく、できるかぎり避けてきた魚だった。でもその日は肉体的にも精神的にも本当に疲れていて何も考えられずに出された鮎をただ口に入れた。「えっ、何これ? えっ、鮎?」そこに広がったのは、私が今まで食べてきたものの中で一番おいしいと思えるぐらいの鮮烈な味と香りだった。 その日の夜、布団の中で目を閉じると悩んでいたあるシーンが浮かんできた。 それは七海が祖母に「七海は鮎が食べたくて帰ってきたんじゃろ〜」と言われるシーン。昨日までうまくつかめなかった七海と祖母の気持ちが今ならわかる。あんなにおいしい鮎があるならそんな楽しい会話が自然と出てくる。 「そっか! 今まで私は七海を理解しようとして必死に七海を見てきたけど、それだけじゃダメなんだ。七海が見たり感じたりしてる世界を私も見たり感じたりしなきゃいけないんだ」 次の日の朝、私は高津川に行った。自然が豊かな本当にキレイな川で、ふと透き通った水の中を見ると数匹の鮎が泳いでいくのが見えた。子供のときに遊んだ山の風景とそのときのワクワクした楽しさが、そのときの感情を伴って心と記憶に広がった。 お昼には撮影場所に地元の皆さんがおにぎりを作って持ってきてくれた。そのおにぎりがおいしくておいしくて。別の日の夜には近くの神社にその地方に古くから伝わる神楽を観に行った。その荘厳さに心を奪われ、その美しい舞いをただただ見つめていた。帰りに地元のおじさんが「はい、これあげる」と言って焼きたての焼き芋をくれた。甘くておいしい、ありがとう! 私はいつしか「七海」になっていた。 高津川で食べた鮎の夜と、その日から始まる忘れられない体験は私を女優としても人間としてもちょっぴり成長させてくれた。 そして27才になった今もあの日々の大切な思い出は少しも色褪せずそっと私を支えてくれている。 追記 なんとその映画のお仕事でまた高津川に行けることになりました! いろんなことを私に教えてくれた高津川やお世話になった地元の方々にまた会えると思うとうれしくて涙がでてきます。 そして夏は鮎の一番おいしい季節! 日本一おいしい高津川の鮎をお腹いっぱい食べまくるぞ! 文・撮影=大野いと 編集=宇田川佳奈枝
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最高の父に“ありがとう”。濃い夜はあと何度訪れるだろうか(池田レイラ)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 池田レイラ(いけだ・れいら) 2005年3月1日生まれ、東京都出身。2016年に親子コンビ「完熟フレッシュ」を結成。日本テレビ『ぐるぐるナインティナイン』内の企画である「おもしろ荘」に出演し、その後さまざまなバラエティ番組に出演。最近では大学進学も話題となり、バラエティ番組やラジオなど、芸人・タレントとしても幅広く活躍中。 Twitter:@kanjuku_layla Instagram:@kanjukufresh_leyla TikTok:https://www.tiktok.com/@kanjuku_layla まだ18年という短い人生しか歩んでいない私だが、どこかの18歳の女の子よりも少しだけ濃密な人生を歩んできているということはなんとなく自覚している。 とはいっても、小学2年生くらいまではいたって普通の、むしろどちらかというと引っ込み思案で物静かな女の子だった。当時は母、父、私の3人家族で、ものすごく裕福というわけでもなかったと思う。でも家族やまわりの人に無償の愛を与えてもらいながら毎日を過ごしていたとも思う。さすがにこれは自覚あり。そのおかげで我ながらすごくおしとやかでかわいらしい性格のままスクスクと育っていった。が、最初のほうで「小学校2年生くらいまではいたって普通」と書いてあるように、このあたりで人生一度目の“濃い夜”を経験することとなる。 なぜか今でも鮮明に覚えている。 いつもと変わらない雰囲気で、居間にあるテーブルにはテーブルが見えないくらいたくさんのお寿司が並ぶ。昨日と同じく、楽しく食卓を囲んでいた。幸せな気分のまま食事を終え、いつもどおりなら家族団らんの時間が始まるはずだった。 「レイラに話さなくちゃいけない大切なお話がある」 突然、母がそう言った。 大好きなお絵描きを始めようとしていた私の手が自然と止まり、ここで人生初めての“勘”が働いた。それも嫌なほうの。気まずそうな表情をしている父と母の正面に座り、幼いながらに声を振り絞りっておそるおそる「どうしたの?」そう父と母に問いかけた。 「明日からママとレイラは一緒に住めなくなっちゃうんだよ」 第一声、ママにそれだけ告げられた。 もちろん意味がわからない。あとあとうっすら知ることになるが、家庭内では何かといろいろ問題があったらしい。私は「子供だからわからない」と早い段階で目を背けた。今思えば、できた子どもだったと思う。というか、そうだったと信じたい。小学2年生のころの私と家族を否定してあげたくない気持ちがあるのだ。その晩、急いで荷造りをして翌朝には父方の祖母の家に送り出された。この夜が私の人生で一度目の“濃い夜”となる。 祖母の家には少しの間だけ滞在し、そこからは父と私と、助けに来てくれた祖父との3人で、東京での暮らしが始まる。3人での生活も数年が経ち、慣れてきたころ、祖父は祖母の待つ地元へと戻っていった。 ここから父と私の父子家庭ライフが本格始動するのである。 本当にこれでもかというくらい声を大きくして世界中の人に伝えたい。父(別名:池田57CRAZY)は、私にとって本当に素晴らしいパパだ。ものすごくまじめで完璧主義な性格。父曰く、お笑いには不利らしい。たしかに。 池田57CRAZYは、父親としては120点。ただ芸人としては20点。 これを父に伝えると、「じゃあ平均したら70点じゃん!」と喜ぶ。 違う。そういうことじゃない。 とりあえずお笑いについては置いておいて、父はまだまだ小さい私に向かって「そんなにお手伝いしなくて大丈夫だよ」とよく言ってくれていた。仕事が終わったらすぐにスーパーへ買い出しに行く父、帰ってきたらすべての家事をこなす父。そんな生活を何年か続けていたところ、ある日突然父が倒れた。 働きすぎによる過労で倒れたとのことだった。父が入院していたあたりのタイミングで、M-1グランプリが復活するという情報が回った。そこで父は「いつ死ぬかわからないから、やりたいことはやれるうちにやったほうがいい」と強く思ったらしい。 ある夜、「来年一緒にM-1出ようよ」と突然誘ってきた。え? なんで私?と思い、のちに理由を聞いてみたところ、私が小学4年生くらいのころに「将来は表に立つ仕事をしてみたい!」とポロッと発したひと言を覚えていたらしく、「これは使えるぞ」と思ったから誘ったらしい。馬鹿野郎(今となっては父の考えどおり、今の私の活動に繋がっているので感謝してもしきれない)。まぁそういった経緯によって私はお笑いの世界に足を踏み入れることになった。いや、踏み入れてしまった、の間違いか。人生が変わるきっかけとなる「お笑い」に誘われたその夜が、私の人生で二度目の“濃い夜”となる。 お笑いデビューをした年のM-1グランプリ2回戦のこと。 その日、もちろん私はものすごく緊張してネタをところどころ飛ばしてしまったが、それよりも緊張していたのが私の父、池田57CRAZY。なんでだよ。緊張により、父は私よりも多くのミスをした。 2回戦のネタも披露し終わり、浅草の雷5656会館をあとにして、近くの居酒屋で夜ごはんをふたりで食べた。さっきの反省会をしたり、親子のいつもどおりの会話をしたりしていたら、父の声がパッタリと聞こえなくなった。おかしいなと思い、父を見てみた。 めっちゃ泣いてた。めっちゃ笑った。 父は私とコンビを組む前からお笑いを十何年かやってきていて、きっと不甲斐なさもあり、涙があふれたんだと思う。父が泣いている姿を自分の目で見るのは人生で2回目くらいだったこともあり、すごく記憶に残っている。これが人生三度目の、私にとっての“濃い夜”となる。 ちなみに父は2年後のM-1グランプリでウケすぎて恥ずかしくなり、噛み倒して制限時間をオーバーしてしまい、袖にはけた瞬間に号泣していた。そんな父を見て、私はまた爆笑した。そのあと、日本テレビの「おもしろ荘」(『ぐるぐるナインティナイン』)のオーディションを受けることになる。最終オーディションではテレビ局の中にあるスタジオでお客さんの前でネタを試す。2次オーディションのとき、作家さんに「キミのキャラクターもあるからお客さんの前でネタをやってみて、受け入れられるか試したほうがいい」と言われていたので不安でたまらなかった。すごく緊張したまま舞台に立ってみると、一瞬で不安がふっ飛ばされるくらい多くの笑い声を感じた。そのとき生まれて初めて人生が変わった気がした。そこが人生で四度目の“濃い夜”。 昨日まで普通の大人しい中学生だったはずの私の人生が180度変わった。そこからは本当にいろいろな経験をして、高校受験を番組に密着してもらうこともできた。無事合格し、高校3年間通い、とても楽しい高校生活を送ることもできた。でも途中、そこから進路を決めなくてはいけなくなった。学生の運命。 私は私立高校の学費を父にすべて負担してもらっていたので、生活的にも金銭的にも父にはこれ以上迷惑はかけられないと思い、大学には通うつもりがなかった。もちろん父にもそういうふうに伝えていた。するとある日の夜に父が突然、「大学生活はものすごく楽しいし、一生の宝物になるよ。金銭的なことは何も気にしなくていいから受験するだけしてみたら?」と提案してくれた。本当に父に恵まれているんだなと痛感した。そのひと言のおかげで大学進学が選択肢のひとつとなり、私は今、大学で真新しい新生活を送ることができている。大学生になるきっかけをくれたあの夜は、一番記憶に新しい“濃い夜”だった。 まだまだ濃い夜はたくさんあるが、こうして振り返ってみると、どれも私だけの力で起きた夜ではなくて、まわりの人たちのおかげ、それもほとんどが父のおかげで迎え入れることになった濃い夜の積み重ねで、この夜があるから幸せな朝を迎えられているんだと苦しいほどにわかった。 私はまだまだ与えられている人生の中で、あと何度の“濃い夜”を迎えることになるのだろうか。 文・撮影=池田レイラ 編集=宇田川佳奈枝
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あの子と過ごした記憶──宝物のような映画に出会えた夜(松本花奈)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 松本花奈(まつもと・はな) 1998年1月24日生まれ、大阪府出身。慶應義塾大学総合政策学部を卒業。2014年、初長編映画『真夏の夢』がNPO法人映画甲子園主催eiga worldcupの最優秀作品賞に選ばれる。2016年、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭にて映画『脱脱脱脱17』がオフシアター・コンペティション部門の審査員特別賞・観客賞を受賞。同年、第29回東京国際映画祭のフェスティバル・ナビゲーターに就任。2021年、シリーズ累計600万部超人気漫画の実写映画化&テレビドラマ化『ホリミヤ』、WEBライター・カツセマサヒコの長編デビュー作となった人気小説を映画化した『明け方の若者たち』を監督し、話題になった。 Twitter:@hana_m0124 子供のころ、クッキーの空き箱を宝物箱にして、大切なものをしまっていた。お気に入りのシール、好きな人のプロフィールシート、切れたミサンガ、キレイな石……。もし今再び、宝物箱を持ったとしたら──真っ先に入れたいものに出会った、そんな夜があった。 昨年、大学時代の先輩と『マイ・ブロークン・マリコ』という映画を観た。 鬱屈した日々を送っていた会社員・シイノは、親友のマリコが亡くなったことをテレビのニュースで知る。幼いころからひどい虐待を受けていたマリコの魂を救うため、シイノは遺骨を奪って逃亡し、マリコが行きたがっていた岬へと旅に出る……というストーリーだ。 あまり前情報なく、ポスターの雰囲気に惹かれてフラッと劇場に入ったのだが、開始15分で「この映画、好きだな」と思い、開始1時間で「マリコ幸せになってよ」と切望し、最後には「宝物のような映画に出会えた」と確信した。 劇場を出ると、先輩に「どうだった?」と聞かれて、言葉に詰まる。10秒ほど考え「よかったです、すごく」と答えた。私は昔から、映画の感想を言葉にするのが苦手だ。特に観終えた直後は思考がぐちゃぐちゃしていて、「よかった」「よくなかった」くらいは言えるが、それがなぜかと問われると困ってしまう。整理する時間が必要なのだ。そんな心情を察してくれたのか、先輩は「マジでよかったよね」と言ったきり映画の話を振ってくることはなく、その後は学生時代の思い出話や、お互いの近況報告をして別れた。 最寄り駅に着くと、23時を過ぎていた。秋から冬に変わる空気が肌寒くて、気持ちいい。空を見上げると月が煌々としていた。自宅までの道のりを、遠回りして歩きながら“マリコ”のことを考える。マリコは寂しがり屋で泣き虫で、どうしようもないメンヘラだった。主人公・シイノは思い出が美化されるのを恐れ、そんなマリコの面倒くさいところもひっくるめて、忘れないでいようとした。 忘れない、というのは時に私たちを苦しめる。たいていのことは時間とともに忘れられるからこそ、どうにか生きていけてるというのに。忘れない、というのはとても覚悟がいることで、愛のある行為だと私は思う。 私にもかつて、“マリコ”のような大切な友達がいたことを思い出した。 その子は“ユウコ”といって中学生のときに知り合った。仲よくなったきっかけはいたってシンプルで、席替えで席が前後になったからだ。窓際の席になると私は決まっていつも、窓際の少しだけ出っ張った淵の部分に細々とモノを置き(たとえば鉛筆削りとか、予備の消しゴムとか、プリクラとか)、そこを自分の部屋の一角のようにするのが好きだった。 ある朝登校すると、私の前の席のスペースにも、同じような一角ができていた。そして、その席の主こそが、“ユウコ”だった。彼女はくるりとこちらを振り向くと「いいでしょ?」と言わんばかりにニコッと笑った。私は、その笑顔にひと目惚れしたのだ。 それから、ユウコはなんでもかんでも私のまねをするようになった。私が吹奏楽部でトロンボーンを始めると、ユウコは隣で腹式呼吸をやり出した。私がトロンボーンに挫折しバスケ部に途中入部すると、ユウコは隣で『SLAM DUNK(スラムダンク)』を読み出した。私がドラマ『モテキ』にどハマりしていると、ユウコは普段一切ドラマなんて観ないくせに「コメディだけど人間模様がしっかり描かれてていいね」なんて感想をちゃっかり述べてきた。私がDef Techの「My Way」という曲を聴いていると、「これ歌えるようになろうよ」と言って、カラオケへと連れ出された。まだ“Will〜”だとか、“no more than〜”だとかしか習っていない14歳の私たちにとって、英語の歌詞(しかもラップ!)を歌うのはだいぶハードルが高かったが、歌えないことがまたおかしくて、ゲラゲラと笑いながらデュエットを続けた。 ユウコにまねをされることが、私は心地よかった。私の好きなものを、同じように好きでいてくれる人がいることのうれしさを、このとき初めて味わった。 ある日の放課後、ユウコに「今晩、うちに来ない?」と誘われた。そういえば、これだけ仲がいいというのに家へ行ったことはそれまで一度もなかった。「行きたい!」とうなずいて、ふたりで家までの道のりを歩いている最中、ユウコが家庭の状況についてポツリポツリと話し出した。小さいころに両親が離婚し、それからずっとお母さんとふたりで暮らしていたが、つい最近再婚し、新しいお父さんがやってきた。そのお父さんというのがなかなかな曲者で、全然しゃべらないのに、ものすごく怖いという。「しゃべらなくて、怖いってどういうこと? だって、しゃべらないってことは、怒鳴ったりするわけじゃないんでしょ?」と私が聞くと、ユウコはしばらくうーんと考え、「なんていうんだろう……圧が強いっていうのかな、まあ会えばわかるよ」とつぶやいた。 公園の脇を抜けた先に、ユウコの住むアパートはあった。軋む階段をのぼり、3階まで上がる。「ただいまぁ」とユウコが玄関を開けると、お母さんが「おかえりー。あら、いらっしゃい」と迎え入れてくれた。そしてその奥に、チラリとお父さんの姿が見えた。100kg、いや200kgはありそうなその巨体の男性は、たしかににものすごく圧があった。 夜になり、晩ご飯にカレーをいただくことになった。「生卵、のせるとうまいで」とお父さんが私にボソリと話しかけてきた。突然のことに少し驚きながらも、「あー、私その食べ方、あんまり好きじゃないんですよね」と答えると、その場の空気が凍りついた。 え、私、そんな変なこと言った?と思い、ユウコのほうを見やると、うつむいていて、表情が見えない。お母さんは、お父さんの様子をチラチラと気にしていて、当のお父さんはというと、私のことをジッと見てきている。そんな空気に耐えられなくなり、私は思わず「……やっぱり、生卵のせます」と言った。 帰り道、駅まで送るよとついてきたユウコと、公園に寄り道した。ブランコをこぎながら、「ごめんね、無理やり食べさせちゃって」と申し訳なさそうにするユウコに、私は「全然だよ! 私こそごめんね、変な空気にさせちゃって。いやーでもお母さんのカレー、おいしかったな」とできるだけ明るく接した。 ユウコはまたうつむいて、「私、お母さんの好きなものは、全然好きになれないや……」と消え入りそうな声で囁いた。お母さんの好きなもの、というのはきっと、お父さんを指すのだろう。私はそのユウコの寂しそうな横顔に、胸がギュッと締めつけられた。 それから、半年後。 ユウコのお父さんが、亡くなった。原因は、肥満による脳卒中だった。ユウコは、お母さんと地元に戻ることになり、ほどなくして転校した。ほんの数週間の出来事だっただろうか。あれだけ毎日一緒にいたのに、一瞬で私の元からいなくなってしまった、寂しがり屋で泣き虫で、どうしようもないメンヘラのユウコ。私はそんなユウコとの別れがつらくて、けれどもユウコのいない日常に慣れていかなければいけない現実があって、悲しみの渦に飲まれないために、自分を守るために、ユウコのことを忘れる努力をしたのだった。 映画を観た夜、自宅までの道のりを遠回りして歩く道すがら、公園を見つけた。ブランコをこぎながら、ユウコを想う。今、どこにいて何をしているのだろう。 ───いや、そんなことはどうだっていい。あの夜、「お母さんの好きなものは、全然好きになれない」と言ったユウコに、ユウコだけが好きになれる、特別なものができていますようにと、ただただ願った。 文・撮影=松本花奈 編集=宇田川佳奈枝
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大切な人とのストーリー。今日と明日の狭間。忘れられない忘れたくない夜。(小林涼子)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 小林涼子(こばやし・りょうこ) 1989年、東京都生まれ。雑誌『ニコラ』専属モデルとして活躍し、19歳でドラマ『魔王』(TBS)のヒロインに抜擢、以降も多数のドラマや映画、CMなどに出演。直近の主な出演作品は映画『わたしの幸せな結婚』(3月17日公開)や、ドラマ『ワタシってサバサバしてるから』(NHK総合)など。また、女優業の傍ら、自然環境に優しい農業や農福連携サービスを提供する事業を立ち上げ、農林水産省からも認定を受けている。さまざまな経験を活かし、ラジオ『STEP ONE』(J-WAVE)の火曜ナビゲーターとしても活躍中。 夜になると「今日」が終わり、日が昇れば自然と朝が、そして「明日」がやってくる。毎日を忙しなく生きていると、それが当たり前のことのように感じている自分がいる。しかし、本当は奇跡のようなことなのだ。 起業してからというもの、夜、撮影が終わればたくさんの事務仕事に追われて、遅くまでカタカタとパソコンを叩き、疲れ果ててベッドに倒れ込む毎日を送っている。 その日も同じような一日を過ごし、ベッドにようやくたどり着いたところで突然、母の電話が鳴った。こんな時間の電話がいい話なわけがない。不安になりながら尋ねると悪い予感は当たるもの。「おばあちゃんが危ない」絞り出すような母のか細い声を聞いたとたん、すぐさま着替えて、ふたりで家を飛び出した。 千葉と東京。普段はそんなに遠くはないと思っていたのに、この日はやけに遠く感じて、苛立つ。車の中、話すこともできなくて窓の外を見ると、深夜だというのにお構いなしにキラキラとネオンが輝いていた。ぼんやりと華やかな街を眺めていると、20代のころ、祖母と住んでいた東京タワーの見える部屋を思い出す。 もともと祖母と私はとても仲がよく、祖母が千葉に住んでいたときもよく休みを取っては遊びに行って一緒に過ごしていた。帰るときになると、姿が見えなくなるまで窓際に立って私を見送る祖母の姿は今でも脳裏に焼きついているし、今こうして文章を紡ぎながらその姿を思い出すだけで目の奥が熱くなる。 20代前半、子供から大人に変わる環境の中で、うまく息が吸えなくて不安定だった私のことを心配し、祖母が東京に来て一緒に住んでくれた時期がある。 住んでいた部屋はこぢんまりとしていたが、窓から見える景色が最高で、私たちのお気に入りだった。 祖母はシャイな人で言葉数は多くはなかったけれど、子供のころに出演したスーパーマーケットのチラシから、近年の出演作まで部屋の壁に貼って私の仕事を心底応援していたし、大変な仕事だからと会えばいつも私の心配ばかりしていた。 千葉の家が大好きな人だったのに、私を心配して東京まで出てきてくれたのは、高齢な祖母にとっては大変なことだったと思う。愛しかない。 一緒に住んでいたときは、母もよく来て三世代で買い物をしたり、ご飯を作ったり、ケンカもした。東京タワーのそばを散歩したり、一緒に夕飯を作ったり、何をするわけではないけれど祖母と母と過ごした時間は最高の時間だった。 多感な20代の私を抑えつけることも、干渉することもせず、ただ寄り添い見守ってくれた。 そんな家族がいたから、私は今日までお仕事を続けていられていると思っている。 ちょうど東京タワーの横を通過したとき、また電話が鳴った。病院からだった。 今日の東京タワーはなんだかやけに赤く輝いて見えた。 病院に到着するころにはあたりは薄明るくなり、朝が近づいていた。 突然のことだったから、普段と変わらず眠っているような穏やかな祖母の顔を見ると不思議に思う。もういい加減大人なんだから亡くなることの意味はわかっているのに、理解も納得もできない。もう話せないんだと思うと後悔とともに自分に腹が立った。 コロナ禍、県外移動ができるようになったあとも仕事柄いろんな人と会うから万が一にでも祖母にうつしたくなかった。たしかにそうだったし、仕方ないと言うしかない。でも、本当にそれだけだっただろうか。毎日、目の前のことに必死だったのを言い訳に、祖母との時間を犠牲にしてなかっただろうか。 1カ月前、大好物の鰻を食べながら「また来るね」「年末は旅行行けたらいいね」と言ったきり、時間を作らなかったのは私だ。 私は、いつでも待っていてくれる祖母に甘えていた。 そして、いつまでも待っていてくれると勘違いしていたのだ。 どんなに悲しくても、腹が立っても、世界は平常運転。夜は明けて朝が来る。 今だけはまだ夜で、「今日」でいてほしいと願う私とは裏腹にこの日も窓の外には朝が来て、「明日」が「今日」に変わっていく。 私にとってはまた普通の一日である「今日」が始まり、仕事をしてご飯を食べ眠るだろう。でも、夜を境に「今日」には祖母はいない。 明日が来ることは当たり前ではない。 そんな使い古された言葉、じゅうぶんわかっている。 わかっていると思っていた。 でも、こんなことになるなんて想像していなかった。 ドラマのように「全10話」とか「最終回」とか書いてあればいいけれど、人生の最後は通り過ぎてから「あれが最後だったんだ」と気づくのだ。 こんな重い話、しかも正直まだ自分の中で消化できていないこの話をコラムに書くのはどうなのかとても悩んだ。でも、コロナが5類になる兆しが見え、ようやく会いたい人に会える世界が戻ってきた今だからこそ、改めて伝えたい。 会いたい人には会いに行き やりたいことはすぐやらないと 明日が必ず来る保証なんてどこにもない。 生死に関わらなくとも人の縁だってそう。 とても不確かで脆いもの。 「また会おう」と言ったまま、会えていない大切な人はいないだろうか。 この夜、ベッドで誰かの顔が浮かんだらすぐ会いに行ってほしい。 文・撮影=小林涼子 編集=宇田川佳奈枝
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色褪せることのない“初めて”の思い出、メロンソーダの夜(富田望生)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 富田望生(とみた・みう) 俳優。2000年2月25日生まれ、福島県いわき市出身。2015年公開の映画『ソロモンの偽証』でデビュー。主な出演作品に映画『モヒカン故郷に帰る』『チア☆ダン』『あさひなぐ』『SUNNY 強い気持ち・強い愛』、ドラマ『宇宙を駆けるよだか』(Netflix)連続ドラマ小説『なつぞら』(NHK総合)『3年A組-今から皆さんは、人質です-』(日本テレビ)『ナンバMG5』(フジテレビ)、舞台『ウェンディ&ピーターパン』、KERA・MAP『しびれ雲』など多数。現在、『ズームジャパン』(NHK for School)レギュラー出演中、藤子・F・不二雄 SF短編ドラマ『テレパ椎』(NHK)今春放送、映画『ネメシス~黄金螺旋の謎~』3月31日公開予定。 ビビッドな光が走馬灯のように浮かび上がる。 走って、飛んで、見つめている。 ピンク 黄色 緑 水色 黒。 嬉しいも、悲しいも、寂しいも。 友達とケンカするのも仲直りするのも、相談するもされるのも。 そういえば、夜。 オーディションに落ちたと連絡が来るのも、好きな人を思い浮かべて止まらないのも。 そういえば、夜が多い。 ビビッドな光が走馬灯のように浮かび上がる。 走っている。飛んでいる。見つめている。 私の“忘れられない夜” このエッセイの締め切りが迫る。 今晩を入れてもあと6日。 昨日、マネージャーさんに「執筆のほうはどう?」と聞かれた。 「はい! たぶん! 大丈夫です! たぶん!!」 ……いや、いったいどこをどのように切り取ったら大丈夫なんだい? 全然大丈夫じゃねぇぜ?と帰り道自分にツッコんでみる。 兎にも角にもこのエッセイを書き始めなければならないのだが……忘れられない夜かぁ。 ぼけーっと考えてみても、なかなか思いつかない。 いったんNetflixで『I.W.G.P.(池袋ウエストゲートパーク)』をはさむPM10:32。 よからぬところでおもしろい。ケラケラ笑う。 エッセイに戻る。 さらにぼけーっと考えてみる。 ひとつ、思い出が飛び出してきた。 勢いよく書き進める。 1854字書き起こした! もう少しで大まかまとまりそう! よし、ひと晩寝かしてみよう。 起きる。 読み返す。 やっぱりこれはそっとしまっておきたいかも……となったので潔くしまう。 また、ぼけーっと考える。 締切まであと5日。 ……。 ……。 …………。 そうだなぁ、私は並みな人生ではないなぁ。 そんなことをふと思う。 そしてまた書き始める。 東京に来てからの11年をたどって。 1525字書き起こした! 今度こそ! いったん前々から予定していた旅行をはさむ。 旅行といいましても、故郷へ。 一緒に行く方が初めて行くとのことで、気張ってエスコートすることに。 私のおすすめすべてを教えたくて詰め込みすぎた結果、気づいたときには締め切りまであと3日。 ぼけーっと故郷の空を見る。 星、大きさは変わらないけど、輝きが違うなぁ。 うーん、1525字書き起こしたの、なんか違うなぁ。 人様にお届けするにはちょっぴり私的な感情を出しすぎだと感じ、しまう。 旅の間に脱稿することは叶わず、帰路につく。 東京までの車内、友部SAを過ぎたあたりで急に聞いてみたくなった。 「初めてソーダを飲んだときのこと、覚えてる?」 私が初めて飲んだのは、年中さんのとき。 友達親子と保育園の帰りにラーメンを食べた日だった。 私と友達が頼んだのは、ネギ抜きでコーンが入ってるラーメンにガチャガチャが1回できる、いわゆる“お子さまセット”。 ガチャガチャはピンクのボックスとブルーのボックス2種類あって、どっちにする?なんて会話が楽しくて仕方がなかった、お子ちゃま全開のころだ。 お腹いっぱいになったところで、道路をはさんで斜め前にあるファミレスへ入る。 大人はコーヒーを頼み、私はミルクを頼んだ。 友達はオレンジジュースでも頼むのかな?と思っていたら「メロンソーダにする!」と言った。 私の母が「もうソーダ飲めるの⁉︎」と。 友達のお母さんは「全然飲めるよ~」と。 ソーダを飲んだことがない私はとっても気になって、「私も飲んでみたい!」と母に伝えた。 母は少しびっくりした顔をしたが「飲んでみる?」と言ってくれたので、喜んでミルクからメロンソーダに変更した。 細長い店内のイートインスペース。その一番奥の窓際の席。地元の中でも車量の多い道路をはさんでさっきのラーメン屋さんを眺められる席だ。 初めましての“メロンソーダ”とやらをワクワクして待つこと数分「お待たせしました~」とウェイトレスさんが来た。 目をキラキラさせて見上げると、緑色の粒がぷつぷつと動く不思議な飲み物が届いた。 迷うことなくストローでチューチューと吸い上げる友達を横に、私は息を吐き、思いきって吸い込んだ。 …………!!!!!! 電流が走ったかのように全身がビリビリと動いて、マンガのように目をとんがらせて固まった。そんな私を見て、友達や友達のお母さん、私の母までもが涙を流しながら笑っている。 そんなみんなを横目に私の口から出てきた言葉は「あんまりおいしくない……」だった。 この世界にはまだまだ知らないことがたくさんあって、そのすべてが自分の好みばかりではない。けれど知らなければ、自分がどうなるかも知らないままだ。 よく「食わず嫌いなんだよね~。食べたことない~」という人がいるけれど、せっかく知れるのに知らないことがある、ましてや自らその選択をするなんて、なかなかもったいないなぁと思う。 自分だけの“初めて”の経験を逃してるって損だと思いませんか? あ、今はもうメロンソーダ好きです。 16歳のときアメリカで食べて瞬発的に口から出したパクチーでさえ、今はもう大好きだ。 これはもったいない野郎な私の性格、意見なのでスルーしていただいて構わないのだが、食べられるものを、出逢えた人を、せっかくならば嫌いと思いたくはない。私はつくづくもったいない野郎だなぁ……。 そんなことはさておき、唐突に聞いてみたくなった“初めて”と出会ったときのことについて。 たしかに、なんてことのないひとつの出会いに過ぎないのかもしれないが、私には色濃く残っている。特に夜に出会った“初めて”は、褪せる前に眠るからだろうか、鮮明に覚えている気がする。 故郷を旅して、懐かしい人、懐かしい店、なんの気なしに通った懐かしい道で、色として残っていた数々の思い出が突然ふくらんで出てきた。 “メロンソーダの夜” 提出期限日のPM5:56脱稿。 よい旅だった。 文・撮影=富田望生 編集=宇田川佳奈枝
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新たな感動を求めて。後輩から先輩に変化した夜(桜木心菜)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 桜木心菜(さくらぎ・ここな) 2005年9月14日生まれ、茨城県出身。2021年5月5日より私立恵比寿中学(通称:エビ中)のメンバーとして活動開始。2022年9月、初の生誕ソロライブ『NightProm~new open~』を恵比寿ザ・ガーデンホールにて開催し、さらに同月デジタル写真集『Anytime Cocotime』を発売。 Instagram:@sakuragi_cocona_official TikTok:@cocona__sakuragi 事務所に入って、東京へ通う日々が始まってもう4年が経とうとしている。 前のグループでの活動休止から、いくつものオーディションを受け、そのたびに悔し涙を流していた。 そして、最後のオーディションと決めて挑んだエビ中のオーディション。 最終審査まで残ることができ、3泊4日の合宿審査に進んだ。 必死にくらいついてやり切った。あっという間の4日間だった。 合宿が終わり、帰ってすぐに家族と焼肉を食べた。だけど、このときの焼肉は何を食べたかまったく覚えていない。会話の内容もほとんど覚えていないくらい、ふわふわした感覚だった。 でも自分なりにやり切ったし、後悔はまったくなかったからあとは結果を待つだけ。 その夜。 受かった。オーディションに受かった……。 まさか当日の夜に結果が……涙が止まらなかった。 やっとつかんだ夢だった。 そんな始まりの夜だった。 それからはあっという間の1年。 1年間はただがむしゃらに歌もダンスも必死にがんばってきた。良くも悪くも何も考えずにただまっすぐに、やってきた。 何もかも初めてで、先輩の背中を追うように目の前のことだけをひたすらやってきた。 そのときは初めてのことだらけで楽しいよりも正直、つらいという気持ちが勝っていた。 怒られて、何をしても否定されているような気がして……自分の得意なものすらも見失いかけていた。 それでも1年が経った。 ひなちゃん(柏木ひなた)が卒業発表をして、新メンバーの加入発表があり、自分の中の感情が変わり出した。 まず、エビ中のことを前よりもよく考えるようになった。 私たち“ココユノノカ”(桜木心菜、小久保柚乃、風見和香)の3人がこれからのエビ中の未来を切り開いてくんだ、という気持ちが強くなって、1年前のような先輩メンバーに頼りっぱなしはダメだし、自分自身で変えていかなければならない。そして新しく転入してくるメンバーにもこの気持ちを伝えたいと思うようになった。 この10年間、想像を絶するほどの経験を積んできた先輩メンバーには“余裕”がある。 その“余裕”が私たちと先輩との決定的な違いだった。 その差に私はたくさんの不安があった。 ふたりの新メンバーが加わって、 10人で活動する上での目標の違い、気持ちの違い、スキルの差、いろいろなことを悩んだ。 そして、それは同期の柚乃と和香も同じ気持ちだった。 卒業するひなちゃんが、 「ココユノノカ3人ならエビ中の未来を明るくしてくれる。任せたよ」 って言ってくれた言葉を思い出して、ひなちゃんが今まで築き上げてきたエビ中を大切にしていかなければいけないと思った。 そして私ばかりが悩んでいるわけではなくて、先輩メンバーも私たち以上にすごくすごく悩んでいるはずで、新メンバーが入ってきていろいろ変わってしまうことに不安や怖さがあるんだと思う。 それなのに変わりなく先輩メンバーは私たちのことを気にかけてくれたり、くだらない話で笑ってくれたりして、悩んでいる素振りも一切見せずにいてくれた。 そして新メンバー発表の夜。 当日は誰が転入してくるかわかっていたのに、生配信での発表は緊張した。ファミリーの皆さんの反応も気になるし、なによりも1年前の自分を見ているようで、心臓がバクバクした。 たくさんの大人たちから「先輩になるんだね」「先輩らしいところを見せなきゃね」って言われたけど、このときはまだ何も実感がなかった。 でも、えま(桜井えま)とゆな(仲村悠菜)はきっと、転入当初の私たちと同じ気持ちで、不安でいっぱいだと思った。 やることすべてが初めての経験、初めてのチャレンジ、それに早くついていかなきゃと焦る気持ち。 楽しいよりもつらい感情のほうが大きいと思う。私はその気持ちが痛いほどわかる。 1年前は毎日があっという間で、ほんとに記憶がないくらい全力で突っ走ってきた。 だから今、私がふたりに、えまとゆなに、この1年間で教わってきたことを精一杯伝えて、そして、私もふたりと一緒にまだまだ上を目指して成長していきたいと思う。 大丈夫。頼もしい先輩メンバーと、前を向いている私たちがいるから。 先輩メンバーがそう思わせてくれたから。 きっと今まで見たことのない世界が 味わったことのない感動が待っているから。 そして、これからまだ見たことのない世界を一緒に見に行きたい。10人で。 後輩でもあり先輩でもある私。またひとつ大切なことを経験させてもらえたことに感謝して、これからファミリーの皆さんと一緒に突き進んでいきたい。 たった1年。でも、もう1年。先輩としての責任感を感じた夜。先輩になった夜。 エビ中として新しくスタートする夜。 わくわくが止まらない。 文・撮影=桜木心菜 編集=宇田川佳奈枝
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撮り下ろし写真を、月曜〜金曜日に1枚ずつ公開
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藤咲碧羽(Daily logirl #201)
藤咲碧羽(ふじさき・みう)2007年6月24日生まれ。神奈川県出身 Instagram:miu.fujisaki_official TikTok:miu_fujisaki_official 撮影=時永大吾 ヘアメイク=池田ふみ 編集協力=千葉由知(ribelo visualworks) 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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谷田ラナ(Daily logirl #200)
谷田ラナ(たにだ・らな)2008年3月16日生まれ。三重県出身 Instagram:tanidalana_0316 X:@tanidalana_0316 TikTok:tanidalana_0316 撮影=時永大吾 ヘアメイク=高良まどか 編集協力=千葉由知(ribelo visualworks) 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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前田悠雅(Daily logirl #199)
前田悠雅(まえだ・ゆうが)1998年10月19日生まれ。千葉県出身 Instagram:ygm1019 X:@ygm1019 TikTok:ygm1019 秋元康プロデュース「劇団4ドル50セント」劇団員 撮影=石垣星児 ヘアメイク=高良まどか 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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永野芽郁が演じることをやめない理由「お芝居は“生きがい”に近いもの」
永野芽郁(ながの・めい) 1999年9月24日、東京都出身。朝のNHK連続テレビ小説『半分、青い。』(2018年)、『ハコヅメ~たたかう!交番女子~』(2021年/日本テレビ)など話題作に多数出演。近年の出演作に映画『はたらく細胞』(2024年)、配信ドラマ『晴れたらいいね』(2025年/テレビ東京)など。現在、TBS4月期日曜劇場ドラマ『キャスター』に出演中。 X:@mei_nagano0924 Instagram:mei_nagano0924official 2024年7月に俳優として15周年を迎えた永野芽郁。朝ドラヒロインを経て数々のドラマや映画で役を演じ、俳優として魅力を増し続けている彼女が、2025年5月16日より公開される映画『かくかくしかじか』で主人公・林明子を演じる。本作は漫画家・東村アキコの自伝的作品であり、学生時代から9年間にもわたる恩師との日々を描いた物語。映像化を断り続けていた東村を動かしたのは、永野芽郁と恩師・日高先生を演じる大泉洋の存在だ。“このふたりでなければ成立しなかった(東村)”と奇跡の映画化が実現した本作を通して、永野芽郁が作品に捧げた想いや、演じることで大切にしていることや信念などを知ることができた。なぜ人は永野芽郁に魅了されるのか?──その理由が明らかになる。 (※本取材は2025年2月に実施) 目次東村アキコ先生から受け取った“人生のバトン”永野芽郁にとっての“恩師”と呼べる人 どんなにしんどくても「終わらないものはない」役者を辞めようと思ったとき、いつも作品が引き止めてくれた 東村アキコ先生から受け取った“人生のバトン” ──漫画家・東村アキコさんが自身の実話をもとにして描かれたマンガ『かくかくしかじか』が、連載終了から10年の時を経て、ついに実写映画化されます。原作をお読みになって、どんな印象を持ちましたか? 永野 初めて原作を読んだとき、中盤まではただただ笑っていたんです。「こういう日常ってあるよね」とか、おもしろいエピソードも随所にちりばめられていて「こんなことが起こる!?」と楽しく読んでいたんですが、物語が進むにつれてだんだんと心が引っ張られていきました。人との出会いで人生って大きく変わったりするなとも思いましたし、大切な人に伝えなきゃいけないことって、やっぱり伝えたいと思ったときに伝えなきゃいけないんだなとも思い、気がついたら泣いていました。それが東村先生の実話というのが、なによりすごいなって感じました。 ──今作は完璧なかたちでの実現は不可能だろうという理由から、映像化を断り続けてきた東村さんが「永野芽郁さんが明子をやってくださるのなら」と快諾されたと聞きました。作品のオファーを受けたときのお気持ちと、実際に演じられてから気持ちの変化はありましたか? 永野 東村先生の人生を描いた作品に、私が携われると決まったときはただただ光栄でしたが、それと同時に緊張もありましたね。東村先生が過ごしてきた時間を壊してしまうかもしれない、というプレッシャーもあったので「どうしようかな」という気持ちは、撮影前から終わったあとも抱いていました。でも、現場には常に東村先生がいてくださったので、大泉洋さん演じるスパルタな絵画教師・日高先生とのかけ合いだったり、明子の動き方だったり、どうしたら明子らしさが出るかなと思ったときに、いつもその場でアドバイスをいただけました。友達とカラオケで盛り上がるシーンでも「私はこうやってノッていたんだよ」と直接教えてくださったので、東村先生に明子像を作ってもらえた感覚があります。あとは、常に大泉さんが日高先生として向き合ってくださっていたので、私はみなさんに身を任せる気持ちで撮影に臨んでいました。 ──今回、東村さん自らが脚本を手がけられたことも大きなポイントですね。原作との違いは感じましたか? 永野 原作と脚本でもちろん違う部分もありましたが、先生が物語として脚本に参加されながらも、生身の人間が演じるにあたって「こうしたほうがよりおもしろくなる」とか「ふたりのよさが伝わるんじゃないか」と、試行錯誤して何度も脚本を調整してくださりました。そのため、原作との違いに驚くことはなく、すんなりと読んではいたんですけど、日高先生が明子へ檄を飛ばすように発する「(絵を)描け!」という言葉がより心に残るような脚本になっていた印象です。完成した映画を観終わったあとに、あの「描け!」が頭の中で思い出されただけで、なんかグッときて泣きそうになりました。誰かのひと言で突き動かされる瞬間って、誰にでもあると思うので、とても素敵な作品になったと思います。 ──明子は思ったように絵が描けなくて落ち込んだり、精神的に絵と向き合うことが難しくなったりすると、日高先生が決まって「描け!」とひと言、喝を入れる。その言葉は非常にシンプルなんだけど、物語が進むに従って深みが増していきますよね。 永野 そうなんですよね! シンプルな言葉でも人に伝わることってあるんだなって思います。 ──永野さんはこれまでにも『俺物語!!』(2015年)、『マイ・ブロークン・マリコ』(2022年)、『はたらく細胞』(2024年)など、マンガ原作の作品に多数出演されています。今回は原作・東村先生が書かれた脚本や、目の前にいるご本人など、役を作るにあたって何が一番の指針になりましたか? 永野 映画なので割合的には脚本を軸にする部分が一番大きかったですけど、東村先生がいろんな思いを抱えながらかたちにされたマンガ原作のひとコマひとコマや、物語の流れは常に研究していました。それでいて、私からすれば明子が大人になった東村先生ご本人が目の前にいてくださるので、「こういう動きをしたほうが、今の東村先生に近いかな」とひっそり観察してお芝居に反映させました。 ──東村先生は「明子はかなり難しい役だと思う。ふわふわしただけの女の子ではないから」「でも、芽郁ちゃんなら絶対にうまく演じられると思った」と話していましたが、永野さんは明子という人物に対してどんな印象をお持ちですか? 永野 明子は飄々(ひょうひょう)としていて「なんとかなるでしょ!」と思える楽観的な強さがありつつ、意外と繊細な印象があります。どうして先生は、私だったら演じられると思ってくださったのかをまだ聞けていないんですけど、でも先生がそうって言ってくださることがすべてだと思ってがんばりました。 永野芽郁にとっての“恩師”と呼べる人 ──今作は東村さんの9年間にわたる実話の物語ということで、永野さんは明子の高校時代から漫画家としてデビューされるまでをおひとりで演じられました。 永野 出演のお話をいただいたときに、まず不安に思ったのが年齢の変化だったんですよ。高校生から大人になるまでを演じるのは、朝ドラ(『半分、青い。』/2018年)以来なんです。明子の高校時代はノーメイクでナチュラルにやればなんとかなるかなと思いつつ、じゃあメイクを濃くしたから大人に見えるのか?といったらそういうわけでもない。かといって、メイクをしなかったら高校時代との変化が難しいということで、衣装やヘアメイクもそうですし、歩き方や姿勢、声のトーンなどを関(和亮)監督と細かく話し合いながら調整していきましたね。 ──綿密に役を作られていく中で、明子がご自身の中に入ってきたと思えた瞬間はありましたか? 永野 先生が実際にマンガを描かれるとき、椅子の上に足を乗せるんです。最初は「それって描きづらくないのかな?」と思っていたのですが、いざ自分がやってみたら、慣れない姿勢だからかなり描きづらかったんですけど、カメラが回っていないときに、トーン貼りをやっていたら「あ、自然に椅子に足を乗せてる」と思って。そのときに明子の雰囲気をつかめているのかもしれないと思いました。 ──改めて、明子と日高先生の関係についても教えてください。 永野 明子が高校3年生のときに「美大に行くために絵の勉強をしなきゃ」と思って通い始めたのが、日高先生の絵画教室。当時は「怖い」「なんだ、この人は」という印象しかなかったですけど、時間が経つにつれて、恩師だと思うんですよね。誰もがあとになって気づくこととか、大人になって理解したり、その時間に寄り添えたりすることってあると思うんですけど、まさにそれを象徴するふたりだと思いました。 ──撮影現場の雰囲気はいかがでしたか? 永野 大泉さんとは現場でずっとしゃべっていましたね。常に現場の雰囲気を明るくしてくださっていました。ただ、ドライで撮影の段取りが始まるとガラッと空気が変わって、急に怖い先生になるんです。普段の優しくてみんなを盛り上げてくれた大泉さんと、心はまっすぐで優しいけど一見とても怖く見える日高先生とのギャップがすごくて、常に大泉さんの放つ空気に引っ張ってもらいながら撮影していました。 ──今作は笑えるシーンから泣けるシーンまで、明子と日高先生の関係性が見られる名場面がたくさんあります。その中で永野さんが印象に残っているシーンは? 永野 完成した映画を観て、強く印象的に残ったのは明子と日高先生がバス停で出会う場面。その場はあまり考えずに撮っていたんですけど、こんなに印象に残るものなんだなって観終わってから思いました。そのバス停で明子は、つかなければよかったと思う嘘をついてしまうのですが、あのバス停が始まりであり通過点でもあるので、私の中で心に響きましたね。 ──明子にとっての日高先生のように、永野さんご自身も怖いけど好きだと思える恩師はいますか? 永野 中学時代の先生が、当時は怖くて苦手だったんです。何をやっても注意され、ひと言しゃべるだけで怒られるみたいな感じでした。ただ、卒業が近くなって最後にみんなで出し物をやる機会に、先生が「あなたが学年みんなをまとめなさい」と言ってくれたことがありました。当初は「なんで私?」と不思議だったんですけど、先生は私のことを信頼してくれていて、だからこその厳しさだったんだなって感じました。そこからいい先生だなと思えるようになって、今でもご飯に行く仲なんですけど、当時の話をすると先生は「芽郁には厳しく怒りすぎたな。今も反省してる」と言っていて。私は「アレはアレでおもしろかったね!」と言って、今では笑い話になっているんです。明子と日高先生の関係性とは違いますけど、きっとこの人が恩師なんだろうなと思います。 ──金沢や宮崎など地方ロケが多かったそうですが、振り返って印象に残っていることはありますか? 永野 撮影をした金沢美術工芸大学は、東村先生の母校なんです。撮影時には旧校舎が取り壊されることが決まっていたんですけど、最後にということで、協力してくださって。先生が過ごされた地で撮影できて、エネルギーをもらいましたし、ありがたかったですね。そのあとに「金沢のおいしい回転寿司屋さんがある」と聞いて、みんなで食べに行き、それもすごく楽しかったです。金沢には2、3日しかいなかったんですけど、いい思い出ができたなと思います。 宮崎には長い時間滞在していたんですけど、あの穏やかな雰囲気にみんなが引っ張られていました。それとまわりは穏やかなのに絵画教室の中は張り詰めた空気が漂っているという対比が、おもしろかったです。宮崎には先生のご親族や親戚の方もたくさんいらっしゃるので、代わる代わるみなさんが現場に来てくださって、「この感じ懐かしい!」「そんなこともあったな!」なんて言っていたぐらい、マンガと同じ風景がたくさん出てくるので、それぞれの地にこの作品は助けられたなと思います。 ──ちなみに、作品の中で「タイムマシンがあったら、昔の私に竹刀をお見舞いしたい」という明子のナレーションが流れます。もし永野さんが過去に戻れるなら、このときの自分に喝を入れたいと思う場面はありますか? 永野 小学生のころに映画の撮影をしていたときに、マネージャーさんに「芽郁ちゃん、楽屋でテレビばっかり見てないで、ちゃんと台本を読みなさい」と言われたんです。ただ私はセリフを覚えてきていたので「なんで覚えているのに読む必要があるんだろう?」と思っていたら、母親から電話がかかってきて「芽郁、台本を読みなよ」と言われたんです。 ──お母さんに関しては、永野さんが事前に台本を読んでいたことを知っていたんじゃないですか? 永野 母親はいまだに言うんですけど、私が台本を読んでる姿を一回も見たことないらしいんですよ。それもあってみんながすごく心配になっちゃったみたいで。そのあと、マネージャーさんが「台本を読みなさい」と言って、しばらくして戻ってきたら私が寝てたみたいで(笑)。 ──ははは! テレビを観るよりもひどくなってるじゃないですか。 永野 起きたらみんなにすごく怒られました。あのときに寝ないで、嘘でも台本を開いておけばよかったのになっていうのは思います。 ──でも、ちゃんと覚えていたわけですよね。 永野 そうなんです、ちゃんと覚えていたんです! でも、あのころは自分も子供だったので「覚えたもん!」でしかなかったんですけど、もうちょっと台本を一生懸命読み解くとか、いろいろやれることはあったかもしれないのに、「読んだら?」と言ってくれた親切さを無視して寝るなんて、すごく子供らしいことをしていたなって(笑)。当時の自分に「もうちょっと、ちゃんとやりなさい!」と喝を入れたいですね。 ──先ほどお母さんは永野さんが台本を読む姿を見たことがない、とおっしゃいましたけど、人前でセリフを覚える様子を見せないのは、永野さんのポリシーなんですか? 永野 台本を持ち帰って家で仕事をするのが好きじゃないです。でも、昔は学校が終わって母が仕事から帰ってくるまでの間に台本を読んでいましたね。あとは、オーディションで台本を読まなきゃいけないときは、家を出る前に携帯で写真を撮っておいて、オーディションに向かう電車内でその画面を見続けていました。自分なりに時間を費やして覚えていたんですけど、それを母がたまたま見てなかっただけだと思います(笑)。 どんなにしんどくても「終わらないものはない」 ──もうひとつ作中の場面をピックアップすると、明子は絵を描きたいけど、何を描けばいいのかわからなくて筆が進まないシーンがありました。永野さんご自身はお芝居をされる上で、考えすぎてどうしたらいいのかわからなくなった経験はありますか? 永野 私はあまりないです。お芝居に関しては、現場に行ったら監督だけでなく、脚本家さんやプロデューサーさん、また共演者の方など味方をしてくれる人がたくさんいたり、助言をしてくれる人も大勢いるので、「ここはどうしよう?」みたいなことは基本的にはないです。ただ、唯一『半分、青い。』のときだけは、10カ月以上も撮影をしていたので、自分なのか役なのかがわからなくなったんです。それは最初で最後の体験でしたね。 そのときはセリフをしゃべっている自覚もないし、自分の感情が動いている感覚もなくて、「え? 今、涙が流れてたの?」と自分で自分に驚きました。もはや別世界に行ったような気持ちだったんです。がんばっているのに、そのがんばりが伝わっている気もしなくて、「どうしよう……」と暗闇の中で過ごしているような、不安な感覚が長い間ありました。その経験をしていたからこそ、今回の「自分の描きたいものがわからないから描けない」と悩み、もがいている明子の姿はすごく共感しましたし、でき上がった作品を観てそのシーンで思わず涙が出ました。自分にとって大きな壁じゃないはずなのに、なぜか大きくて固い壁に感じて、どう壊せばいいんだろうっていうのは、誰にでもあることだなと思って、泣きましたね。 ──大きな壁が立ちはだかったとき、どのようにご自身を奮い立たせていますか? 永野 いい意味で「終わらないものはない」と言い聞かせています。今がしんどくても、この状況を乗り越えられる自信がなくても、絶対に大丈夫だって。時間は必ず進むし、終わらないものはないと思っているから、それでどうにかこうにか乗り越えてきましたね。 ──先ほど「スタッフさんや共演者の方々がまわりにいるから、お芝居で悩むことはない」とおっしゃいましたが、最初からそう思えていましたか? 永野 小学生でこの仕事を始めたので、最初は何も考えずに過ごしていたんですけど、この仕事に対して自覚を持ったときには、すでに座長が真ん中に立っていらっしゃり、サポートするように共演者がまわりを囲んでいました。さらに、それをいい方向に持っていくために、監督やスタッフのみなさんが常に現場のムードを作っていく姿を見て「あ、ひとりじゃないんだな」と実感しました。「自分が座長という立場で現場に入るときも、座長を支える立場で入るときも、どんなときでも自分は助けてくれる人たち、支えてくれる人たちに感謝を持ちながら頼ろう」と思ったのが、始まりだったと思います。 ──その考えに至ったのは、何歳のころですか? 永野 中学生のときには思っていましたね。当時、出会った先輩方の姿がとても大きかったんだと思います。 役者を辞めようと思ったとき、いつも作品が引き止めてくれた ──永野さんは女優を辞めようと思ったことが、過去に2度あったそうですね。きっと肉体的、精神的にもいろいろなしんどい経験があったと思いますが、それでも「お芝居が楽しい」「この仕事を続けたい」と思えたのは? 永野 私がこの世界に残った理由は、いつも作品が引き止めてくれたからなんですよね。1度目はしんどいから辞めたかったというより、高校受験のタイミングで「一生の職にするのは難しいのかもしれないな」と思い、「辞めようと思う」と家族や会社の人に話していたときに『俺物語!!』のヒロインに決まり、「これは辞められないぞ」となりました。 2度目は、小さいころからずっとお芝居をがんばったし、もう辞めようと思ったときに「最後に朝ドラのオーディションを受けてみない?」と言われて挑戦したら『半分、青い。』が決まりました。運なのか縁なのか、常に作品に引き止めてもらってきたんです。だからこそ、その作品に対して「恩返し」といったらおこがましいですけど、「この作品にすべてを懸けてみよう」と思ってなんとかやってきました。そのおかげで、今はすべてのお仕事を純粋に楽しめています。振り返ると、当時は楽しいよりも「続けるきっかけをもらえたからがんばらなきゃ」という感じで、がむしゃらにやっていた感じでしたね。 ──昨年はデビュー15周年を迎えられました。長く続けようと思ったというより、続けていたら15周年を迎えていた、という感覚なのかなと思います。 永野 まさに、気づいたら15年も経っていましたね。小中学生のころは、今みたいな仕事の仕方をしていなかったので、これだけの仕事が自分にある未来を想像していなかったです。忙しくなってからはギュッとしているので、仕事がなかった期間をカウントしなければ15年も経ってないかもしれないですけど、気づいたら「あ、そんなに経ってましたか?」って感覚です。私もそんなに長いことお芝居を続けてこられたんだなと感慨深いですね。 ──映画の話に戻りますが、『かくかくしかじか』の映像化を東村さんが何度も断ってきたのは、日高先生との日々に涙を流しながら心血を注いで描かれたこともそうですし、日高先生がすでにお亡くなりになっていることも含めて、それを映像作品に残すことにいろいろな感情があったのかなと思います。でも、映画を拝見したときに、お芝居を通して日高先生のことも、東村さんが日高先生と過ごした時間も肯定しているように見えたんです。特に今作において、お芝居はその人の人生や一緒に過ごしたことを肯定する行為に思えました。 永野 この作品は、東村先生の過ごしてきた時間だったり日高先生への思いを消化したり消化しきれなかったり、いろんな感情の中で描かれたと思います。そのなかで、東村先生が映画化を承諾してくださり、私はその気持ちに応えたかったです。今言ってくださったように、東村先生ご自身の人生を肯定して、またここから東村先生の新しい章が始まるみたいな感覚になってくださったらいいなと感じています。実際、東村先生からは「もうこれ以上のものはない」とお言葉をいただけたので、先生の人生のひとつにこの映画が入ったらいいなと思います。 ──ちょっと大きな質問なんですけど、永野さんにとってお芝居を言葉にするとなんですか? 永野 演じること自体は“ただただ偽り”ではありますけど、台本の中にいる登場人物たちにとってはそれが人生。そして私が生きていて一番やりたいと思うことも、一番続けたいって思うこともお芝居。大きな言い方をすると、私にとっては、もう生きる上で絶対的に必要なことだし生きがいに近いものです。きっとこれからも続けていくだろうし、続けていく努力をしていきたいと思います。 ──最後に、この映画を通して永野さんが観客に伝えたいことは? 永野 明子は日高先生に対して言えなかったことがあって、いまだに「あのときに言えばよかった」と後悔しています。だからこそ、やっぱり自分の大切な人に伝えたいと思ったことは今伝えるべきです。自分の気持ちを言葉にして大切な人に届けることが、どれだけ大切なのかが、この映画を観ればきっと感じてもらえると思います。映画を観終わったあとに、大切な人に「いつもありがとね」って言ってくれたらいいなって思います。 映画『かくかくしかじか』2025年5月16日(金)より全国ロードショー 出演:永野芽郁、大泉 洋 原作:東村アキコ 監督:関 和亮 脚本:東村アキコ、伊達さん 主題歌:MISAMO「Message」(ワーナーミュージック・ジャパン) 音楽:宗形勇輝 制作プロダクション:ソケット 製作:フジテレビジョン 配給:ワーナー・ブラザース映画 原作クレジット:「かくかくしかじか」東村アキコ(集英社マーガレットコミックス刊) (C)東村アキコ/集英社 (C)2025 映画「かくかくしかじか」製作委員会 取材・文=真貝 聡 編集=宇田川佳奈枝
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一夫多妻制は円満なのか? “竜人は救世主♡” 清 竜人25新たな夫人たちの本音
清 竜人25(きよし・りゅうじんトゥエンティーファイブ) シンガーソングライターの清 竜人が結成した一夫多妻制アイドルユニット。前回は2014年〜2017年にかけて活動。今年、清 竜人のデビュー15周年、清 竜人25結成から10周年という節目を迎えるにあたり、完全新メンバーで復活。第101夫人・清 さきな(頓知気さきな/femme fatale)、第103夫人・清 凪(根本凪/ex 虹のコンキスタドール、でんぱ組.inc)、第104夫人・清 真尋(林田真尋/ モデル・舞台女優)、第105夫人・清 ゆな(チバゆな/きゅるりんってしてみて)で活動している。 ※第102夫人・清 嬉唄(島村嬉唄/きゅるりんってしてみて)は7月のお披露目ライブで電撃脱退した Instagram:@kiyoshiryujin25_official 清 竜人25が復活した。“一夫多妻制アイドル”というコンセプトで、一世を風靡し解散したのが2017年のこと。あれから7年。新たな夫人たちを迎え、新生・清 竜人25として再スタートしたのだ。 オリジンの清 竜人25は伝説的な存在だが、現・夫人の4人も負けてはいない。アイドルとしてすでに活躍してきた彼女たちの実力は申し分ない。しかもグループの雰囲気もグッドで、第101夫人のさきなは、「もう家族みたい」と語るほどだ。 10周年だけど、新婚ほやほやの清 竜人25。インタビューで四者四様の夫人たちの魅力に迫ると、大いなる飛躍の予感は、確信に変わった。 目次夫人たちにとって清 竜人は「共通の敵♡」!?さきなは「思考力が深すぎて“ゴリゴリゴリ〜”ってしたくなる」凪は「おっちょこちょいなおばあちゃん」真尋は「素直でめんどくさい女」ゆなは「守りたくなっちゃう癒やし系」竜人くんはみんなの救世主新生・清 竜人25は「観ておかないと、もったいないよ?」KIYOSHI RYUJIN25 REUNION TOUR 「THE FINAL」 夫人たちにとって清 竜人は「共通の敵♡」!? ──なぜ、清 竜人25を復活させたんですか。 竜人 10年前は、アイドルシーンにおいて、男性が女の子と一緒にステージに立つユニットがなかったので、そこに一石を投じる気持ちがありました。そのクリエイション以外の部分で成し遂げたかったことは3年かけていったん完全燃焼した。今回は清 竜人25の10周年というアニバーサリーイヤーだったので、純粋なエンタテインメントグループとして、この時代にできるハッピーなもの作りをしたいなと思ったんです。 ──このメンバーならそれができると思ったんですね。 竜人 うん、そうですね。 ──竜人さんの誕生日でもある5月27日に復活が発表されましたが、いつごろ夫人たちに声がかかったんですか。 さきな 半年以上前かな。もうあんまり覚えてない(笑)。でも私は、お仕事ではなく、もう家族みたいだなと思ってます。最初は、真尋ちゃんがみんなの仲を取り持ってくれたよね。 真尋 私、人見知りしないんで。でも、みんないい人で本当によかった。今では夫人4人がすごく仲よくて、竜人が置いていかれてる感があるんですけど(笑)。 さきな だから、夫人たちの間でギスギスすることはなくて、(ステージ上でのウィンクとか)「みんなに平等にしてよ!」とか逆に竜人にクレームが行くことがあるかも? 1対4で、竜人が共通の敵みたいな♡(笑)。 ──寂しいですね。 竜人 そうっすねえ……(苦笑)。 ──楽曲も次々とリリースされています。竜人さんにとって、どんなポジティブな影響がありますか? 竜人 10年前のデビュー曲「Will♡You♡Marry♡Me?」のリアレンジverをリリースして、SNSなどでたくさんの方に聴いていただけている状況で。解釈を変えて世の中に提示することで、違う時代でも受け入れてもらえてるのは、すごくアーティスト冥利に尽きるなと思います。 ──夫人たちは、竜人さんの楽曲を歌ってみていかがですか。 夫人4人 (キーが)高すぎる! 真尋 あと、歌詞に「スケベ」なんて入る曲を歌ったことがなかったので(笑)、新鮮で楽しいです。 ゆな 歌うのが難しい楽曲ばかりですけど、難しいからこそ、どうやって歌うか考えるのが楽しいです。 凪 壁が高いからこそ超えたくなるよね。「竜人、もっと難しい曲提示してよ」みたいな。負けねえぞ!という気持ち。 竜人 すげえ、ストイック(笑)。 さきな かっこいい〜。私はもう「楽しいなぁ!」ってだけかも。「キーが高くて出ないよ〜、楽しい〜!」みたいな。 凪 「振り付けできないよ〜。楽しい〜」ってね(笑)。最終的には「楽しいなら、いっか!」なグループですね。 さきなは「思考力が深すぎて“ゴリゴリゴリ〜”ってしたくなる」 ──夫人同士のお互いの印象はいかがでしょうか? まずは、さきなさんについて。 凪 私たちの振り付けは、ワークショップ的に先生と一緒に考えることが多いんですけど、さきなちゃんは積極的に意見を言ってくれて、それがキレイなかたちにまとまることが多いんですよ。地頭がいいんだと思ってます。 ゆな さきなちゃんは、もう……このまんま人間! 凪&真尋 あはははは(笑)。 さきな これ以上でも以下でもない(苦笑)。 ゆな すごく明るいし優しいし、裏表がまったくない。あと、すごくいろいろ考えてる。思考力が深すぎて、こんなに明るいのに、こんなこと考えてるんだって思うと、ゴリゴリゴリ〜ってしたくなる。 凪 ゴリゴリゴリ……? ゆな 違う! わしゃわしゃわしゃ〜って頭を撫でたくなっちゃうような感じ、でーす(笑)。 真尋 さきなちゃんは言葉の選び方がすごく上品。私は本当に頭が悪いんで、思ったことをすぐ言っちゃうんですよ……。でも、さきなちゃんは、誰も嫌な気持ちにならない言い方をしてくれるから、すごくありがたい。 さきな うれしい、泣いちゃう……! 竜人は? 竜人 ……3人が言ったことがすべてだよね。 さきな えぇ〜。 ゆな 私は、さきなちゃんのいいところもっと言いたいくらいなのに! 竜人 まじめな子だなあ、と思いますね。 さきな もう、竜人はいつもこれしか言ってくれない。「責任感がある」、「まじめ」。そんなことないのに……まだ私のこと知らないんだね。 凪は「おっちょこちょいなおばあちゃん」 ──凪さんはどうですか? 真尋 癒やし系でほわほわしてるけど、ライブ中は、人が変わったようにすごいんですよ! さきな 憑依型だよね。あと、ツッコミ担当だけど、すっごくおっちょこちょい(笑)。 真尋 リップのフタを逆側にハメちゃって、抜けなくなったり(笑)。さっきは、ドアを半開きにしておく方法がわからなくて、ずっとドアの前でわたわたしてた。「大丈夫?」って聞いたら「ダメです」って(笑)。 さきな 凪ちゃんはひとりでごちゃついてること多いよね。 真尋 おもしろいから、放置してずっと見ちゃう。 凪 助けてくれよぉ〜。 さきな あと、すごく人見知りで、心をすぐに開かない。だから、最近心を許してくれたことが本当にうれしくて愛おしくて。 凪 たしかに、今めっちゃ心開いてる。 さきな 最近は顔を見るたびに抱きしめたくなっちゃう。 凪 さっきは肩揉んでくれましたね。 真尋 おばあちゃんだと思われてない!?(笑) 凪 私は、清 竜人25の「おばあちゃん」担当ですね(苦笑)。ちなみに竜人は何かありますか? 竜人 出会ったころから、いい意味で印象が変わってないかも。 凪 前世のレコーディングのときに出会ったんですよね。「歌が上手だね」って言ってくれて。覚えてる? 竜人 覚えてるよ。いい意味でオンオフの切り替えがはっきりしてて、プロフェッショナルだなと思いますね。 凪 ありがとうございます。普段けっこうダウナーなので、意識して切り替えないと、人の前で歌ったり踊ったりできないんですよ。 さきな 凪ちゃんの本来の人間性と、ステージに立つ人の感覚っていうのが、ギャップがあるんだよね。だからそのまんまの凪ちゃんでは出ていけなくて、スイッチを入れなくちゃいけない。 凪 そうそうそう。けっしてお酒を飲んでステージに上がってるわけではないです。 さきな ナチュラルハイなんだよね。 真尋は「素直でめんどくさい女」 ──真尋さんはどうですか。 凪 真尋〜! 大好き!! 真尋 あはは、私も(笑)。 さきな 屈託のない素直さが魅力。何事にもまっすぐ。たまに良くも悪くもって感じになるんだけど。 真尋 よくわかってる(笑)。 さきな 素直に猪突猛進って感じ。私はこういう女が好き。 真尋 告白……!(笑) さきな でも、まだ見たことないですけど、もし機嫌が悪くなったら、めっちゃ態度に出すタイプだと思います。そういうめんどくさい女(笑)。 真尋 合ってます! さきなちゃん、占い師みたい(笑)。 さきな 私、めんどくさい女が大好きなんですよ。あと、私は真尋ちゃんのことは、ほぼ犬だと思ってます。 真尋 どういうこと!? さきな 誰にでも笑顔でしっぽ振って懐いちゃうから……。この3人の中で彼女にしたら一番不安になっちゃうのが真尋ちゃんだと思う。どっか行っちゃうんじゃないかって。 真尋 やばい女じゃん!(笑) さきな めちゃくちゃムードメーカーで、みんなを朗らかにしてくれる存在です。喜びや怒りはまっすぐ表現する反面、自分の弱さは人に見せない強がりさんなところがあって愛おしい。とても器用だから隠すのが上手すぎて、明るい真尋を演じている瞬間があるのでは?と心配になっちゃうこともあるくらい。 凪 今まで出会ったことのないタイプの明るさを持っている人。なので、人見知りの私でもすぐに打ち解けられた。唯一の同い年で、パフォーマンス力がすごく高くて、ダンスとか教えてくれるから……真尋いつもありがとう。 ゆな 真尋ちゃんは本当に優しくて、犬みたい(笑)。 真尋 え⁉︎ なんでみんな犬って言うの!(笑) ゆな (笑)私は、ひとりだけ加入が遅かったんですけど、初めての顔合わせが写真の撮影日で。もうガチガチで、初めて会う人と一緒に写真撮るなんて、ヤバーい!って緊張してて。 さきな この仕事してたら、初対面で撮影なんてしょっちゅうあるでしょ(笑)。 ゆな でもヤバすぎ〜って緊張してたの! そしたら真尋ちゃんがめっちゃ話しかけてくれて、こんなに優しい人がいてうれしいってなりました。楽しいこともうれしいことも、真尋ちゃんにすぐ言いたくなる。 真尋 うれしい〜! じゃあ、竜人。来いよ! 竜人 なんだろう、すごくガーリーだよね。本番前の舞台袖とかでさ、いつもぷるぷる震えてるじゃん。たぶん緊張しいな部分もあるんだよね。そこもかわいいなって思うよ。 真尋 きゅん♡ かわいいならよかった! ──今日初めて「かわいい」って出ましたね。 凪 本当だ! クレームセンター行きだ(笑)。 さきな クレームの窓口どこだろ。 ゆなは「守りたくなっちゃう癒やし系」 ──最後に、ゆなさんはどうですか? さきな ゆなは、繊細さんで守りたくなる。いい子すぎて、すっごく健気で、がんばり屋さんで。ゆなこそ、すっごくまじめ。こうやってずっとニコニコして、ギャグセンがちょっと高くて、おもしろいこととか言うし、ぽわぽわしてるように見える。でも実はちょっと抱え込みがちだから、守りたくなっちゃう。 真尋 癒やしです。ずっと見てたくなる。いつか誰かに騙されそうで、壺とか買っちゃいそう(笑)。守りたくなるんですよね。 ゆな ぜひ守っていただいて♡ 真尋 うん、みんなで守るよ! 凪 めちゃめちゃかわいくて、きゅるんってしてるのにおもしろいし、親身になって同じ目線になって話聴いてくれるところもある。私はゆなちゃんいないと、無理。依存! さきな 中毒性がある(笑)。 真尋 ゆなちゃんって、よく変なこと言うんですよ。このインタビューでもちょいちょい出てると思いますけど(笑)。 さきな 最近おもしろかったのが、私が「トイレ行ってくる〜」って部屋を出ようとしたら「いいなぁ」って返されて。じゃあ「一緒に行こうよ〜」って誘いました。 凪&真尋 あっはっは(笑)。 真尋 パッと出るひと言がすごくおもしろいんですよ。 ゆな ありがとうございます。竜人くんは? 竜人 ゆなはすごく今っぽいなと思いますね。時代をまとった女。 さきな ナウい。いいなぁ。私にもそういうのつけてよ、二つ名欲しい。 竜人 うーん、考えておく。 竜人くんはみんなの救世主 ──夫人たちは、竜人さんとの「結婚」にためらいはなかったですか。 さきな 私は全然。懸念あった? ゆな ゆなはいっぱいあった。 凪 めっちゃ悩んでたね。 ──お披露目ライブで第102夫人の嬉唄さんが離脱し、急遽交代で入ったのがゆなさんでした。 さきな ゆなちゃんは、すっごくファンを大事にしてて、誰ひとり取り残さないで、みんなを笑顔にしたいタイプだから、けっこう葛藤があったよね。 ゆな でも「やる!」って自分で決めて入ったら楽しかったので、勇気を出してよかったです。 真尋 私のファンからも「結婚」っていうワードに対して「悲しい」って意見もありました。でも結局は、私が幸せなら何をしても応援してくれる人ばかりだから、「ごめんね」じゃなくて、「がんばるから見ててね」って前向きな気持ちになれました。 凪 私のファンの方々は「凪がまた元気に活動してくれて、またグループやってくれるなんて!」って喜んでくださってます。私の健康も気遣ってくれるし……って、これじゃ本当におばあちゃんみたいですね(苦笑)。私のファンにとって、竜人くんは救世主です。「竜人くんは救世主♡」って歌作ってほしい! 竜人 やば!(笑) 真尋 いいじゃん! 次の曲それにしようよ! ──歌詞はご夫人方が書いてもよさそうですね。 凪 1行ずつ書こう! さきな 私たちが書いたら絶対グチャグチャになるよ。 凪 たしかに(笑)。 新生・清 竜人25は「観ておかないと、もったいないよ?」 ──ライブツアーも控えていますが、グループとしての目標はなんでしょうか? ゆな ずっとこんな感じでにこにこ楽しく幸せにやっていきたいです。 凪 どんな状況でも、どんなライブハウスでも、路上ライブだとしても、この5人なら、絶対楽しいし、ハッピーを届けられると思います。元気のない人にも、このハッピーオーラを届けたいですね。 真尋 このハッピーさはみんなに伝えたい。あと、私の前世のグループで叶えられなかった目標があるので、清 竜人25では叶えたいです。 さきな すごい! このグループで、そんな大きな目標が話題になったことなかった。 凪 竜人の頭の中にはあるんじゃないの? 竜人 ん? なに? さきな 今、真尋ちゃんがライブハウスよりも大きいステージにこの5人で立ちたいって言ってたの。 竜人 へぇ、いいじゃん! 真尋 明日にでも予約してくれそうなテンション!(笑) さきな 今、決まりました! 行きましょう。 ──さきなさんご自身の目標はどうですか? さきな やっぱりたくさんの人に見てほしいかな。ライブを観に来てくれたお友達とか家族の反応がすごくいいんです。たぶん私たちが思っているよりも、お客さんのことを楽しませることができてる。だから、「私たちのことを観ておかないと、もったいないよ?」って思います。私も観たいくらいだし。こんなグループもう二度と出てこないと思うから、今のうちに観てほしい。見世物小屋を観に来る感覚でいいから。 凪 寄ってらっしゃい! 見てらっしゃい! ゆな 凪ちゃんはすごく天然なんですけど……。 さきな 突然どうしたの?(笑) ゆな さっき凪ちゃんのこと説明できなかったから。凪ちゃんはノートに歌詞を書いてて、メモもたくさんしてます。憑依は、そういう努力のおかげだと思う。っていうのも書いておいてください。 凪 優しい……ゆな〜〜! ゆなはメンバーのことを本当によく見てくれてる。 ゆな 照れるからやめてよ〜(笑)。 文=安里和哲 撮影=時永大吾 編集=宇田川佳奈枝 <出演情報>テレビ朝日『ももクロちゃんと!』 11/9(土)11/16(土)2週連続 深夜3:20~3:40 ※詳しくは、番組ホームページで KIYOSHI RYUJIN25 REUNION TOUR 「THE FINAL」 出演:清 竜人25 会場:豊洲PIT 日程:2024年11月14日(木) 時間:18:00開場/19:00開演 http://www.kiyoshiryujin.com/kr25_2024/
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H1-KEYはなぜ“K-POP界のアベンジャーズ”? 4人が持つ能力と特別な関係
2022年にデビューしたK-POPガールズグループ・H1-KEY(ハイキー)の魅力は、高い歌唱力と圧倒的なパフォーマンススキル、そして4人のメンバーによる息の合ったステージングにより、幅広い音楽ジャンルを彼女たちの色に染め上げることができるところだ。 今回は日本で初のリリースイベント、そして音楽フェス『XD World Music Festival』出演で来日した4人に、彼女たちの多彩さがたっぷりと詰まった最新作『LOVE or HATE』にまつわるエピソードや、“H1-KEYらしさ”について語ってもらった。 目次グループのイメージを覆す“挑戦”違うところで育った4人がひとつになったK-POPの“スタンダード”になりたい グループのイメージを覆す“挑戦” ──まず初めに、3rd Mini Album『LOVE or HATE』について改めて紹介してもらえますか? ソイ 今まで私たちが歌ってきた曲は、前向きなメッセージが込められている明るい内容がメインでしたが、今回のアルバムは打って変わって“反抗的な学生が結成したスクールバンド”というコンセプトで作ったものです。なので、歌詞もストレートでアグレッシブなものになっているぶん、新しい姿をお見せできたのではないかと思います。 リイナ もともと私たち自身、ガールクラッシュなコンセプトがずっとやりたかったので、『LOVE or HATE』でまさに念願が叶った感じでした。 ソイ 「これは私たちにとって新たなチャレンジになる」って、すごくうれしかったよね! ただ、みなさんがH1-KEYに寄せている期待を覆すものでもあるので、どんな反応が返ってくるかということは正直なところ少し心配でもありました。 ソイ ──これまでのH1-KEYのイメージをアップデートするようなスタイルですね。タイトル曲「Let It Burn」は、まさにこのアルバムを象徴するようなナンバーです。 イェル 初めて聴いたときはすごく私たち好みだなと感じましたし、ギャップを見せられる曲だなと思いました。 フィソ 歌詞も、あまりアイドルが歌わないような表現だからすごく特別な感じがしたよね。「氷が溶けてしまったアイスティー」や「“チャギヤ(愛する人を親しみを込めて「ダーリン」「ハニー」と呼ぶ際に使う韓国語)”、愛してる」、「心が焦げて灰になってしまっても」とか。 イェル 振り付けも挑発的な歌詞に合っていて、すごく気に入っています! 違うところで育った4人がひとつになった ──ほかの収録曲も聴き応え満載なものばかりですが、特にファンの方々にとって特別な曲になったのは、メンバーのみなさんが作詞に参加された「♡Letter」なのではないかと思います。 フィソ 「♡Letter」の歌詞はそのタイトルどおり、作詞をするというよりは、メンバー同士お互いに向けて手紙を書くつもりで作り上げたものなんです。なので、私たちがどんな気持ちで向き合っているかということが表れていて、すごく美しい曲になったと思います。 イェル メンバーのお誕生日に手紙を贈り合ったりもするのですが、そのときとはまた違った感じでした。大変だった時期のことを思い返しながら、それを乗り越えたことへのお互いに対する感謝を込めて書いたので、この曲を聴くだけで涙が出そうになります。 ソイ 「私たちはすでにひとつ」という歌詞があるのですが、それぞれが違う環境で育ち夢を抱いていた4人がひとつのチームになっていく過程で、お互いに近づいていったH1-KEYらしさがよく表れている箇所だと思います。 リイナ そうだよね。それから「これは夢のような現実」という歌詞は、もともと違うものを持っているお互いが今では不思議なことに似たところもたくさんできたという私たちの、信じがたいくらい特別な関係性を伝えるフレーズです。 リイナ ──「それぞれが違う環境で育った」とは、どういうことなのですか? リイナ H1-KEYは、違う事務所の練習生だった4人が集結して結成したグループなんです。 ソイ そう。だから自分たちのことを「“アベンジャーズ”みたいなチーム」と呼んでいます。全員のキャラクターが明確だし、特色もまったく違うから。 ──“K-POP界のアベンジャーズ”であるH1-KEYは、どんな能力を持ったメンバーが集まっているのでしょうか。まずはリーダーのソイさんについて、教えてください。 イェル 私たちのリーダーであるソイさんは、とにかく歌声が特別。いつも「この曲をソイさんが歌ったら、どんな雰囲気になるかな」って考えますし、想像力を掻き立ててくれる声だなって思います。見た目と歌声のギャップも、魅力的です! フィソ ソイさんは、「これをやり遂げるぞ」って一度決めると目の色が変わって、目標に向かってまい進する情熱的な人です。一方で、たとえまわりが浮足立った状況でも、しっかりと自分のペースを保てる冷静さも兼ね備えています。 ──続いて、フィソさんについてご紹介お願いします! ソイ まずは歌声。どんなジャンルの楽曲でも自分のものにできる、宝物のような声ですね。 イェル さっきソイさんを紹介するときは「『この曲をソイさんが歌ったら……』と想像力を刺激する声」とお話ししたのですが、フィソさんは「この曲はフィソさんが歌えばこうなるだろう!」とはっきりイメージできるほど、個性が明確な歌声の持ち主です。その魅力が最大に発揮される音域帯というのもあるのですが、曲の中でパートが近づいてくると「来るぞ~!」と期待してしまいます。 ソイ ステージ上ではカリスマを発揮しているのですが、性格的にはとてもシャイで、情に厚く優しさにあふれているところも愛らしいです。 ──では、イェルさんは? ソイ グループの末っ子なので、以前は「子供みたいでかわいいな」と思うことも多かったのですが、特に『LOVE or HATE』の成熟したコンセプトがすごくマッチしたのか、最近はお姉さんに見えます。性格もサバサバしていてしっかりしているので、年上である私にとっても頼りがいのあるメンバーです。 フィソ 大きな心を持っていて私たちお姉さんメンバーの面倒もよく見てくれる、まるで長女のような存在です。 ソイ (じっとフィソを見つめる) フィソ ……もちろん、本当の長女はソイさんだよ(笑)! 安心して! 一同 (爆笑) フィソ それからイェルは伝統的な舞踊を習っていたというバックグラウンドがありつつ、ヒップホップの感性も持ち併せているところが特別だと思います。 ──では最後にリイナさんについて。 ソイ クールでチルで、芯がしっかりしている人。私は「誰かに頼りたいな」というとき、真っ先に思い浮かぶのがリイナですね。清純な見た目とハスキーボイス、しっかりとした性格とユーモアセンス……と、本当にたくさんの素晴らしいところを持ったメンバーです。 イェル いつも一生懸命なリイナさんは、日本語の勉強も熱心で、実際にとても上手ですよね。そんな姿を隣で見ていると「私もがんばろう」って思えるので、とてもありがたい存在です。 K-POPの“スタンダード”になりたい ──お互いをリスペクトし合う関係性がとても伝わってきました。それでは、ここからは今後のH1-KEYについてお聞かせください。いよいよ『LOVE or HATE』発売イベントで初めて日本のM1-KEY(ファンネーム)と対面を果たしますね(※取材はイベント開催前に実施)。今のお気持ちは? イェル 『LOVE or HATE』で新しい姿に変身したH1-KEYを、日本のM1-KEYに直接お見せできるのが本当に楽しみです! イェル ソイ 私、すごく気になっていることがあるんです。日本のM1-KEYはいつも、かわいい私たちの姿を好んでくださっているような気がするので、今回のような“ちょっと怖いお姉さん”なH1-KEYを気に入ってくださるかなって。よいリアクションをいただけたらうれしいですね。 ──リリースのたびにいろいろな姿を見せてくれるみなさんに、日本のM1-KEYも魅了されていると思います! では最後にこれから先、達成したい目標を教えてください。 ソイ 今後も日本のM1-KEYに会える機会がたくさんあることを願っていますし、少しずつM1-KEYが増えていけばいいなと思います。ゆくゆくは東京ドームでみんなで一緒に楽しめる日が来たら幸せですね。 リイナ 日本デビューは絶対に叶えたいです。私は日本語の勉強を一生懸命がんばっているのですが、特にバラエティ番組がすごく役立つのでよく観て学んでいます。参考になる上に、とてもおもしろいから。なので、いつか私たちも出演できたらいいなって思っています! あと……小さい役でもいいのでドラマや映画に出演したり、演技のお仕事もやってみたいですね。 フィソ チームとしての目標は、ふたりもお話ししてくれたように日本での活躍をもっともっとすることと、そして『コーチェラ』出演です。個人として夢見ているのは、今一般的に知られているボーカリストとしての魅力だけでなく、実用舞踊科出身ならではのダンスパフォーマンスにおける実力もみなさんにお伝えしたいということですね。 フィソ イェル まずは、私たちが「K-POPとはこういうものだ!」ということをこの世界に知らしめたいです! 一同 おお〜! ソイ ちょっと怖いんだけど(笑)! イェル (笑)。でもそれくらい、H1-KEYのパワーを多くの方に知っていただけたらいいなと思っています。もちろん、M1-KEYが見たい私たちの姿もしっかりお見せしたいですね。それから、私自身はダンスやラップだけでなく作詞作曲もできるし、本当にいろいろな才能を持っているので、これからいろいろな魅力を発揮していけたらいいなって。 あとは、メンバー全員がそれぞれ違うブランドのアンバサダーを務めていたらカッコよくない? ソイ めっちゃいいと思う! 私は、日本のCMに出演することが夢です。私たちは、日本の映像の感性にもバッチリ合うと思いますよ〜(笑)! フィソ 「Let It Burn」には「アイスティー」って単語が出てくるし、お茶のCMとかよさそう! ──みなさん、アピールがすごくお上手ですね! リイナ はい(笑)! ひとつでも夢を叶えていけるようにがんばりますので、これからもたくさんの応援をよろしくお願いします。 編集・文=菅原史稀 撮影=山口こすも
BOY meets logirl
今注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開
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齋藤璃佑(BOY meets logirl #056)
齋藤璃佑(さいとう・りゅう)2004年6月16日生まれ、秋田県出身 Instagram:saitoryu_616_official X:@saitoryu616 1st写真集 『All Light!』6月6日発売 写真集『All Light!』発売記念イベントを東京(6月7日)、大阪(6月8日)で開催 Vシネクスト『爆上戦隊ブンブンジャーVSキングオージャー』阿久瀬錠役で出演(5月1日〜期間限定上映) 『爆上戦隊ブンブンジャー』ファイナルライブツアー2025(3月〜5月/全国9都市で開催中) 撮影=井上ユリ 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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浅井小次郎(BOY meets logirl #055)
浅井小次郎(あさい・こじろう)2002年11月10日生まれ、東京都出身 Instagram:ko_ins_ji 撮影=まくらあさみ 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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飯島 颯(BOY meets logirl #054)
飯島 颯(いいじま・はやて)2001年10月12日生まれ、東京都出身 Instagram:@hayate_kumakun_official 2025年4月に東京・京都にて上演、舞台『青のミブロ』沖田総司役で出演 撮影=まくらあさみ 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>
「初舞台の日」をテーマに、当時の期待感や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語る、インタビュー連載
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賞レースでも活躍し、ブレイク間近と話題のコンビ・ひつじねいりが抱く焦燥と野望|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#35
細身の元慶應ボーイ・細田が並べ立てる屁理屈に、ふくよかな男・松村が濃厚な関西弁で熱くツッコむ。東と西の笑いが融合したしゃべくり漫才が魅力のコンビ・ひつじねいり。 前回の『M-1グランプリ』では惜しくも準決勝敗退。しかし確実に認知を広げ、活躍の場は広がっている。 はたから見ているとのぼり調子なひつじねいりだが、本人たちの自覚は違うようだ。死屍累々の芸人界でひと旗あげるべく、がむしゃらに戦う彼らの現在地を聞いた。 【こちらの記事も】 紆余曲折を経て主役の座が見えてきたコンビ・ひつじねいりの期待にあと押しされた初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#35 目次ひつじねいりには、何かが足りんライブシーンに居座ってしまったテレビで傭兵として爆死したい ひつじねいりには、何かが足りん 左から:松村祥維、細田祥平 ──ネタ作りはどうしてますか? 松村 細田が0→1を出して、台本を持ってくるんですけど、一言一句決まってるわけじゃないんで、僕が編集する感じです。前のコンビではネタ作りしてましたけど、僕はゼロからイチを生み出すのが苦手やなと思ったんで、このかたちになりましたね。 細田 最初のころは(松村が)遠慮じゃないけど気を遣って、台本をまんまやってくれてて。でもこれじゃM-1勝てんぞってなって、気になるとこを言ってくれるようになりましたね。 松村 組んで1年くらいは細田の発想にシンプルにツッコむみたいな感じで。それがちょっと戦うには弱いなってなってから、お互いの違いを乗せたかたちになってきた。 細田 あと今年になって、ラジオを通して外部の意見をくれる人を募りました。2年くらい前に、ふたりで詰めるやり方だと、天井このへんかなぁって。 松村 今、3人いますね。ひとりはガッツリお笑いの作家さんですけど、あとは別の畑の方です。ネタの種だけあるときに、「どういう拾い方がいいですかねぇ」って聞いたりして。 ──客観的な視点を入れているというのは意外です。どのネタもふたりの人柄(ニン)が立ってるので気づきませんでした。 松村 組むときの目標として、M-1で決勝行きたい、優勝したいっていうのがはっきりあったんで、そこに行けない間はずっとテコ入れは繰り返すでしょうね。 ──昨年のM-1では初めて準決勝に進出しました。着実にステップアップしてる印象があるんですが。 松村 やってることは間違ってはないんでしょうけど、決勝に届かないってことは単純なウケ以外の部分で、何かが足りんってことでしょう。だったら何かやらんとあかん。まぁ落ちても「なんでやねん!」とはならないですけど。 ──その足りない「何か」って、現状ではなんだと思いますか? 細田 ネタの切り口、設定のところがまだ弱いのかなと。今まではふたりの人間性と対照性を見せてきましたけど、それだけだとまだ足りない。 ──昨年末のM-1敗者復活戦は初めての舞台でしたが、いかがでしたか。 細田 勝つかもとは思ったんですけど、まぁ勝ったところで……とは思いましたね。 松村 決勝行ったとて、令和ロマンにボコボコにされてたから。 細田 たぶん損してたと思うんで、結果、勝ち上がれなくてよかったです(笑)。 ライブシーンに居座ってしまった ──近年マセキ芸能社では、おふたりより芸歴の長いモグライダーやハンジロウといった中堅や、同世代のきしたかのが活躍されています。やや遅咲きの面々を見ていて、自分たちもまだまだ間に合うぞって背中を押されるところはありませんか。 松村 いや、普通にめっちゃ焦りますよ。子供のころテレビで見てたスターは20代後半だったんで、僕らみたいに30代半ばでお金はギリギリ、テレビもちょっとしか出てないってヤバいなと思います。SMAにいたときにバイきんぐの小峠(英二)さんにお世話になってて、今もたまに飲ませてもらうんですけど、あの人が『キングオブコント』で優勝したのが、36歳のときなんです。 ──松村さんは今年37歳になるから、小峠さんがチャンピオンになったときを超えると……。 松村 そうなんですよ。当時のバイきんぐさんって、死ぬほど遅咲きで苦労人っていう扱われ方だったじゃないですか。それでも36歳やったっていうのがヤバくて。あんなに苦労人やって言われてた、つるっぱげのおじいちゃんが報われたのに、俺はまだ報われてない。 ──たしかにそう聞くと焦るのもわかります。 松村 それこそ前編でも話題になったストレッチーズって、2022年に『ツギクル(芸人グランプリ)』で優勝して、M-1も準決勝まで行ってるんすよ。俺らより前に「次はストレッチーズの時代や!」ってなってたんです。でも、ちょうど昨日(高木)貫太を飲みに誘ったら「行きてぇけど……金がない」って言うんですよ。 ──なんと……。 松村 僕もびっくりっすよ。さすがに「今日俺がおごったるわぁ。俺の金で飲め!」って言っちゃいましたね。自分らより先にガッと行きかけてたヤツらが金ないのは焦ります。 ──ちなみにマセキだと、どのあたりの芸人がバイトを辞めて芸人仕事だけで食べていけてるんですか。 松村 僕らとサスペンダーズがギリギリで食えてる。 細田 カナメ(ストーン)さんも食えてるはずだけど、借金が(笑)。 松村 吉本(興業)だけですよ、若手でもたくさん食えてるのは。僕らがガッと上行って、仲間をフックアップできる立場になれればいいですけどね。ライブシーンでいうと、僕らってもうだいぶおじさんなんでいい加減上がらないといけないんですけど、実は下もあんまり育ってないんですよ。次の若手があんまり出てきてないから、僕らが中心に居座ってしまってる。吉本はそのへんもうまく回ってるんですけどね。 細田 僕はライブシーンがどうこうっていうより、自分のことで精いっぱいですね。 松村 細田はこの世代の中で一番熟してないんですよ。この芸歴ではありえんパフォーマンス。コイツだけマジで大学生みたい。 細田 本当にそうなんですよ。僕はしゃべりもステージングも全然ダメで……。ここから僕らが勝ち上がるために必要なものを考えると、僕の足りてないところばっかりなんです。 松村 これは自分らのラジオでもしゃべってることなんすけど、細田は青臭いまんま、ここまで来てる。たぶんコイツはお笑いを頭の中でだけやってきたんやなって。でも今は本人が意識して成長しようとしてるぶん、まわりの先輩も「最近の細田、接しやすくなったな」って徐々に認められてきてますけど。 細田 年齢的にも芸歴的にも、かわいげを出すとかってやり方はギリギリアウトなんですけどね……。 松村 20代前半のヤツ育ててるみたいな気分ですよ(笑)。 ──松村さんは相方として、細田さんの青臭さに気づいてたはずですよね。なんでここまで放置したんですか? 松村 もちろん気づいてましたよ! でも自分でなんとかすると思ってたんです。なのに、いよいよなんともならんから! 組んで3〜4年目までは我慢してたんです。でもこれはいよいよあかんわって。僕らほんまにずっとジタバタしてますね。 テレビで傭兵として爆死したい ──今後はどんな活躍のビジョンを描いてますか? 細田 僕はずっとおもしろいことを言ってカッコいいと思われたいんです。だから学生気分でやんなって言われるんでしょうけど。 ──前編では「『火花』憧れはもうない」って言ってましたけど、まだ引きずってる……? 細田 そうかもしれないですね。僕は足りてないところを宿題としてまじめにやっていって、その先でおもしろいこと言いたい。 松村 細田はまだまだ自分磨きで必死なんですよ。自分がちゃんと磨けてないから、具体的に何になれるかまだわかってない(笑)。 細田 でも僕、めっちゃまじめなんで、一個一個がんばるのは性に合ってます。 松村 こっちは次の課題を毎回提示せなあかんので大変ですよ(笑)。「これできた! ハイ次これ!」ってずっとやってるんで。最近だと『大喜る人たち』でも「MCをやるんじゃなくて、お前もやる側に回れよ!」って。この見た目は絶対大喜利できると思われるんで。 まぁ僕だけでも先に売れればいいんですけどね。そしたら「コイツ、ヘンなヤツなんですよ」って紹介できるじゃないですか。そのために「プレイヤーとしていろんなことできますよ」ってことで、いろいろやってます。サツマカワ(RPG)さんと、ストレッチーズの貫太とやってる『トゥリオのKOC優勝への道』ってPodcastもやってるし、『こちら幡ヶ谷待機所』っていうYouTubeチャンネルをスタミナパン・トシダと、大仰天・田口とも組んでますし。 ──YouTubeやPodcastで活動の幅を広げている松村さんは、テレビよりネットのほうに活路を見出している? 松村 いや、本当はいっぱいテレビに出たいですよ。ウエストランドの井口(浩之)さんと仲いいんですけど、あの人みたいにレギュラー番組はあんまなくても、この人おったら全部おもろなるなって芸人になりたい。 あと、芸人のおもちゃになりたいですね。子供のころからずっとイジられてやってきたんで、そういうところを見せていきたい。きしたかのさんとかって、ネタが高野(正成)さんの説明書になってるじゃないですか。ああいうネタも必要やなって思います。そんで、食べたいもの食べられて、いくらでもおごれるくらい稼ぎたい。 ──テレビで活躍したいんですね。 松村 めちゃめちゃテレビ至上主義です。YouTubeは結局ナメちゃうっていうか。テレビってどんだけしんどいことになっても、結局、一番影響力がある。だから、そこで自分も戦っていきたいんですよ。ルールとかコンプラはどんどん厳しくなるんでしょうけど、その網目をくぐっていきたいですね。 どうせ僕らはテレビにフィットできない側の人間ですけど、若い子らはそのへんうまいことやるじゃないですか。その手前でがんじがらめになった僕は、わめき続けたい。最後まで「女がめっちゃ好きやねん!」って叫び続けたい。テレビでまだこんなん言ってるでって呆れられたい。 細田 僕らってさらば(青春の光)さんとかAマッソさんみたいに、自分らの国を作っていくタイプではなくて、もらった仕事を一個ずつこなしていく傭兵タイプだと思うんです。だからどんな仕事もスケジュールが空いてたら行きます。 松村 傭兵として戦いますよ。僕らはどうせ爆売れはしないんで。 ──今回はブレイク直前のひつじねいりさんの焦燥を聞けて、貴重なインタビューになった気がします。 松村 ブレイクできるかほんまにわからないですからね。このFirst Stageさんがストレッチーズを取材したのってちょうど『ツギクル』優勝して、M-1準決勝行ったタイミングですよね。そう考えると、僕らも踏ん張らなあかんと思いますよ。 ──テレビで活躍するふたりを見たいです。 松村 早くボロ雑巾になりたいです。 細田 もっと働きたいですね、働かせてください。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 ひつじねいり 細田祥平(ほそだ・しょうへい、1991年11月30日、埼玉県出身)と松村祥維(まつむら・よしつな、1988年7月2日、大阪府出身)のコンビ。2019年に結成し、2023年には『ツギクル芸人グランプリ』で準優勝する。『M-1グランプリ2024』では初めてセミファイナリストとなった。大喜利ライブ『大喜る人たち』のMCとして、お笑いファンの信頼も厚い。 【後編アザーカット】
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紆余曲折を経て主役の座が見えてきたコンビ・ひつじねいりの期待にあと押しされた初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#35
細身の元慶應ボーイ・細田が並べ立てる屁理屈に、ふくよかな男・松村が濃厚な関西弁で熱くツッコむ。東と西の笑いが融合したしゃべくり漫才が魅力のコンビ・ひつじねいり。 前回の『M-1グランプリ』では惜しくも準決勝敗退となったが、次の主役の座を虎視眈々と狙っている。 コンビ歴は7年目だが、実は今年、細田が34歳、松村が37歳と若手とは言い難い。紆余曲折を経たふたりは、どうして組んだのだろうか。ふたりのさまざまな初舞台を聞きながら、ひつじねいりの軌跡をたどる。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次細田の遅刻と、松村のモテテクニック突如の上京と運命にならずの出会い寂しさとエッチな問題で解散実はNSCに入りかけた 細田の遅刻と、松村のモテテクニック 左から:細田祥平、松村祥維 松村 すんません、細田がまだ来てなくて……。 ──よく遅刻されるんですか? 松村 いや、全然ないっすね。電話していいっすか……。出えへん。大丈夫かな。いったん先に僕だけ取材してもろても大丈夫ですか? ──もちろんです。では、ひつじねいりを組むまでの話を聞かせてください。大阪で生まれ育った松村さんにとって、お笑いはやはり身近でしたか。 松村 そうですね。逆に東京来るまではこれが当たり前やと思ってたんですけど、フル尺の漫才を20分番組とかでやってるんですよ。あと、『吉本新喜劇』。僕らが子供のころは土曜日は午前授業があったんで、学校終わったらすぐ帰って、お昼ごはん食べながらテレビで観てました。月曜は『新喜劇』(MBS)か『ごっつ(ダウンタウンのごっつええ感じ)』(フジテレビ)の話で盛り上がる。大阪ってほんまにおもしろいヤツがクラスの中心メンバーになるんですよ。足が速いとか顔がええとかより、おもしろいほうが偉い。 ──ちなみに松村さんは人気者だった? 松村 僕はもうほんまにずっと人気者でした! ──(笑)。 松村 いや、ほんまなんですよ。とにかくイジってもらえたんです。友達もそうですけど、先生もイジってくる。そこでうまく返そうっていうのは、小学生のときからやってましたね。 ──よく言われることですけど、ブラジルの少年たちが当たり前に路上でサッカーしてるみたいに大阪ではお笑いが日常なんですね。 松村 ほんまにそうでしたね。あと、女の子がめちゃめちゃ好きでモテたかったんです。顔はブサイクやから、笑いで勝負したろと。 ──その努力は実ったんですか。 松村 これが実ってるんですよ。変な話、初体験もまわりよりちょっと早いし。そういう人生だったぶん、モテない自虐をネタでやっても、ウソってバレる。 ──笑いでモテるってどういうことなんですか。 松村 小中学生のときはあんまわかってなかったんですけど、高校生ぐらいになると女子との会話の中で、ちょっとしたことにツッコんだり、イジったりすると、女子がめっちゃ笑ってくれるのに気づいて。それで女子との間(ま)の取り方がうまくなった気はします。大学に入ったら、心斎橋でめちゃめちゃナンパもしてて。見た目カッコいい友達はサクサク行くでしょう。でも僕は女子からしたら「なんでお前いかなあかんねん」って見た目やから、そこは戦死する覚悟で笑かしてました。 ──女性が笑ってくれる定番のフレーズとかあるんですか。 松村 いや、これを言ったらっていう鉄板の言葉はないんです。それこそ女子の前にスライディングしたこともありますよ。「うわ、セカンドベースやなかったんかい!」とか言うて。その瞬間のインスピレーションだけ。せやからむちゃくちゃ失敗も多かったですし。ただ、そういうところで鍛えられた根性が、芸人になった今も少なからず活きてるやろうなって思います。 ──まだ細田さん来ないのでもう少し「笑いとモテ」について聞きたいんですけど、笑わせてハートをつかんだあと、男性としての魅力はどうやって出すんですか。 松村 僕はこの見てくれなんで、やっぱ色気は出せなくて。なんで、笑わせたあとは「聞く力」ですね。最初は僕からめちゃくちゃしゃべって盛り上げてからは、ひたすら聞く。で、相手が投げてきたワードにちょっとだけおもしろを乗せて笑かすみたいな。(明石家)さんまさんみたいに「ほんで? ほんで?」じゃなくて、「そうなんやぁ」って相づちを打ちながらですね。でもこんな偉そうに言うてますけど、ほんまに打率は低いですよ、ピッチャーの生涯通算打率並です。圧倒的にミスが多い。数少ない成功で、自信を養ってきた感じですね。 突如の上京と運命にならずの出会い 松村 あっ! すんません、今、細田からLINE来ました。「忘れてた」って(苦笑)。ほんますんません。今から急いで来たら、30分くらいで着くと思うんで。あいつがどんな顔して入ってくるか、見てやりましょう。 ──事故に遭ったとかじゃなくて、本当によかったです。では、もう少し松村さんの話を聞かせてください。芸人になろうと思ったのはどのタイミングだったんですか。 松村 大学卒業する直前ですね。就活してて、サラリーマンになる予定やったんですけど、高校の同級生が急に「お笑いやらんの?」って言うてきて、それがキッカケですね。就活もなんとなくやってたんで、お笑いやってみてもええなと。イケイケのお姉ちゃんたちを振り向かすには、俺が有名になって「見たよ〜」ってLINEさせるしかないなって。 ──じゃあ最初は大阪で活動してたんですか。 松村 ここでややこしいのが、最初は静岡に行くんですよ。僕、留年してたから、誘ってきた同級生はもう社会人で。そいつが静岡に住んでたんです。親には内緒で「勤務地が東京になりました」って就職したフリして実家を出て、静岡の相方の社宅に住ませてもらいました。 ──松村さんの芸人としての初舞台は、その相方と? 松村 そうですね。大阪であった新人コンクールの予選会、そこに1回出ただけです。それも客前じゃなくてネタ見せなんで、大阪吉本のギラギラした若手ばっかりやから、ひとつもウケない。終わったあとは、そそくさと帰りましたね。車で来てたんで、静岡まで運転して帰るんですけど、空気重かったなぁ。最初は「全然ダメやったなぁ」ってヘラヘラしてたけど、めっちゃ時間あるから、じわじわと「ヤバいな……」って。 ──気まずい時間ですね。 松村 学生のときは、まわりからおもろいとされて調子乗ってたんで落ち込みました。本気でお笑いやってる人らとはまるで違うんやなと。今思うと、あの初舞台で相方は心折れたところが多少あったかもしれないですね。サラリーマンとしてじゅうぶん稼げてるのに、なんでこんな惨めな思いせなあかんねんって思うのも無理ない。もし初舞台でウケてたら、その勢いで「会社辞めるわ」ってなってたかもわからん。 ──ナンパで鍛えられた松村さんは打たれ強いから。 松村 そうっすねぇ。「まぁこっからやな」って踏ん張れました。結局、相方が全然やる気にならなくて2カ月くらいで社宅出ましたけど。「俺、本気でやるわ」ってひとりで東京に来て。 ──誘われて静岡に来たのに、相方に愛想を尽かして、そこからひとりで東京に出るってすごいですよね。大阪に戻る選択肢はなかった? 松村 大阪ってなると吉本一択なんで、NSC行かんとダメじゃないですか。当時僕はもう26歳になる年だったんで、今さら1年間養成所に通うのもしんどい。それに新人コンクールでのひどい経験があったから、とにかく舞台に立たなあかんってことで、フリーライブがたくさんある東京に行くことにしました。最初は上京してた友達の家に居候させてもらいながらバイトしてお金貯めながら、相方探すためにライブを観に行ったりして。 ──相方はすぐ見つかりましたか。 松村 これもたまたまなんですけど、高田馬場の汚い食堂で偶然、高校の同級生と再会したんですよ。しかもそいつも東京にお笑いしに来たって言うてて。 ──ドラマみたいな話。 松村 俺も思いましたよ、「絶対コイツと組んで売れるんや!」って。でもそのコンビも、2年ちょっとやったら「結婚するからもう辞める」って言われて(笑)。そのあともいろんな人と試して、今のコンビの1個前「いい塩梅」ではM-1の準々決勝まで行けたんです。それで芸人とかライブのスタッフさんとかに声かけてもらえるようになったんですけど、そいつとはまったくそりが合わず、2年もたなかったですね。 ──松村さんの20代は、鳴かず飛ばずだった。 松村 養成所にも事務所にも入ってないから、同期もおらんし過酷でしたよ。あ、細田来た。 細田 すみません! いやもう本当に申し訳ありません。家の近くの喫茶店でネタ書いてました。集中するためにスマホもイジれない設定にしてたんで、連絡も気づかず……。 松村 うまいこと言い訳考えてきたなぁ。 細田 タクシーで考えてきました。今日は休みだと思ってました……。ホントすみません。 寂しさとエッチな問題で解散 ──ちょうど松村さんがひつじねいりを組む直前まで話を聞いたんで、いいタイミングでした。埼玉出身の細田さんは、ストレッチーズと同じ浦和高校に通ってたんですよね。 細田 そうです。『U-1グランプリ』っていうのがあって、そこで漫才したのが初舞台ですね。出場者は2組だけで、もう片方はストレッチーズでしたけど。 ──4分の3がプロになり第一線で活躍してるってすごい大会じゃないですか。 細田 いやでも文化祭で教室をひとつ借りてやるだけですよ。観てる人も10人くらいなんで、緊張することもなく。 ──大学は慶應(義塾)ですが、(お笑い道場)O-Keisというお笑いサークルがありますね。もともと大学お笑いをやるつもりだったんですか? 細田 いや、最初はNSCに通おうかなと思ってました。でもお笑いサークルがあるって聞いてのぞいたら、大学生活を楽しめてない人が集まってて、親近感があって入りました。 ──以前、この連載でストレッチーズに取材した際、細田さんとトリオになるかもしれなかったって聞いたんですよ。 細田 そんな話もあった気がしますね。でも別にサークルなんで、一生の相方になろうって感じではなかったと思いますよ。そもそも僕は漫才に憧れてたから、3人でやるイメージが湧かなかったし。 ──ストレッチーズの高木(貫太)さんいわく、最初に3人で結成の話をしようとしたとき、福島(敏貴)さんが遅刻されて「初っ端から遅刻するヤツとは組めない」って細田さんが言ってたらしいんです。 松村 どの口が言うてんねん!! めちゃめちゃ遅刻しとるやないか! 細田 いやもう今日は本当にすみませんでした! ──もう大丈夫ですよ(笑)。学生時代にお笑いサークルで活動しつつ、どのタイミングでプロになろうと思ったんですか。 細田 慶應にいた真空ジェシカの川北(茂澄)さんが人力舎所属になって、そのルートで行けたらいいなと。当時は三四郎さん、ルシファー吉岡さん、モグライダーさんってマセキ(芸能社)所属の方々がライブシーンでめっちゃ盛り上がって熱気があったんで、大学在学中にマセキを受けて、卒業とともに預かりになりました。 ──プロとしての初舞台は、そのコンビで踏んだ? 細田 はい。新宿Fu-でしたね。大学お笑いで慣れてたんで、わりとうまくいって。帰り道は缶ビール片手にテンション上がってたかな。あのころちょうど又吉(直樹)さんの『火花』が流行って芸人はカッコいいみたいな風潮があったんで、自分たちに酔ってましたね。 ──松村さんと同じく、細田さんもいくつかコンビを経験してますよね。 細田 最初のコンビは1年くらいで解散しましたね。まじめにネタの話をするようになったら、普通に険悪になった(笑)。あと、新宿駅からライブ会場までの10分間、一緒に歩いているのにずっとイヤホンされてたのが寂しすぎた。 松村 コンビやったら普通にあるやろ(笑)。 ──次のコンビはバーニーズでした。 細田 今、モシモシっていうトリオをやってるまぐろと組んでました。でも相方がすごいエッチな問題を起こしちゃって……。たぶん業界初のSNS乗っ取りで、自分のアカウントからすべてを暴露されたんですよ。今思えば笑い話にして続けられたと思うんですけど、僕がけっこう無理になっちゃいましたね。 実はNSCに入りかけた ──ここでようやく松村さんと細田さんがひつじねいりを組むわけですが、松村さんはずっとフリーだったんですよね。そもそもどうやって知り合ったんですか? 松村 たぶん、K-PROのライブですね。いい塩梅のときにM-1準々決勝まで行ったおかげでライブが増えたり、SMAに入れてもらえたりしたんですよ。その流れで知ってくれる芸人も増えて、細田とも出会いました。でも僕、細田と組む直前まで、NSCに行こうとしてて。 細田 それ知らなかったわ。 松村 いい塩梅を解散して、今さら誰かとまた組む歳でもないなぁって思ってて。30歳になる年だったんで、NSCに入る最後のタイミングかなと、まぁ吉本への憧れもありましたしね。あのとき入ってたら、たぶんナイチン(ゲールダンス)と同期ですよ。お金振り込めば入学っていうタイミングで細田から声かかって、まぁやるかと。 ──細田さんはなぜ松村さんに声をかけたんですか。 細田 前のコンビがおもしろかったし、ふたりだったら対照的で見栄えがするんじゃないかなぁって思ってました。 松村 新宿の珈琲西武で、「組もか」って話したな。 細田 朝6時に集まりましたね、お互い8時からバイトだったんで。 ──大事なときはちゃんと会って話すんですね。細田さんLINEで承諾されたら「寂しいから」って組むのやめそう(笑)。 細田 そんなことはないですけど(苦笑)。でもさすがにLINEではやらないですね。 松村 でも完全に一個騙されたんですよ。僕が細田と組もうと思ったんは、「ネタ無限に書けます」って言ってたのもあったんです。それまでのコンビでは合同で書いたり、僕が書いたりしてたんで、次はネタ作れる人と組みたかった。でも結局、詐欺でしたね。 細田 まぁそこは誇大広告くらいで(苦笑)。 ──では、ひつじねいりの初舞台は? 細田 K-PROのライブだったと思いますね。 松村 お互い前のコンビで知られてたんで、ライブシーンのお客さんは知ってくれてたから、うっすら期待の熱があったんですよ。そのわりにはまぁ「ウケはしたけど……」っていう感じ。 ──「ヤバいコンビ出てきた!」みたいな感じではなかった? 松村 まったくですね。自分らのスタイルを見つけるまでけっこう時間かかってます。 ──初々しい初舞台ではなかったんですね。 松村 いやもう全然ですよ、僕らは焼き回ってるんでね(笑)。 細田 おじさんになって組んだんで、浮かれてるとかはまったくなかったですね。『火花』憧れももうなかったです。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 ひつじねいり 細田祥平(ほそだ・しょうへい、1991年11月30日、埼玉県出身)と松村祥維(まつむら・よしつな、1988年7月2日、大阪府出身)のコンビ。2019年に結成し、2023年には『ツギクル芸人グランプリ』で準優勝する。『M-1グランプリ2024』では初めてセミファイナリストとなった。大喜利ライブ『大喜る人たち』のMCとして、お笑いファンの信頼も厚い。 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 賞レースでも活躍し、ブレイク間近と話題のコンビ・ひつじねいりが抱く焦燥と野望|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#35
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好きなことを突き詰めてきた異色のコンビ・十九人が、勝ちを意識した瞬間|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#34
「M−1、嫌いだったんですよ」 『M-1グランプリ2024』でセミファイナリストとなり、敗者復活戦でも爪あとを残した十九人(じゅうきゅうにん)。 初舞台について聞くインタビュー連載「First Stage」では今回、十九人のふたりに『M-1』の大舞台に初めて上がった感想を話してもらった。 そこで飛び出したのが、冒頭の言葉だ。M-1に対する十九人の本音、そして勝負への覚悟を決めた彼らの現在に迫る。 【こちらの記事も】 『M-1』や『おもしろ荘』で注目を集めるコンビ・十九人の脳汁とニヤケが止まらなかった初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#34 目次M-1準決勝敗退はひどいなりトップバッターを任されがちM-1が大嫌いだった何も矯正されず、変人のままで M-1準決勝敗退はひどいなり 左から:ゆッちゃんw、松永勝忢(まつなが・まさとし) ──M-1では、昨年初めて準決勝に進出しましたね。 松永 なんか緊張するっていうよりかは、普通に楽しかった。 ゆッちゃんw ね。めちゃめちゃ気持ちよかったです。 松永 楽屋もけっこう和気あいあいとしてたし。 ゆッちゃんw カメラはすっごい多いです、ずっと密着だし。ホントに気づかないうちに撮ってる。僕たちはカメラ向けられたら、いっぱいふざけようって決めてたんですけど、バレないようにめっちゃ撮られまして。でも、密着のスタッフさんとめっちゃ仲よくなりました。僕たちがふざけてたら「いや、使えるかぁ!」とかツッコんでくれた(笑)。 ──準決勝の出番は4番目でした。 松永 よくないなぁとは思ってました。実際、場が温まりきってない感じはしましたし。 ゆッちゃんw でも、後半すぎると逆にお客さんが疲れちゃうから、僕らみたいなのは、みんなが体力のあるうちに見てもらえてめっちゃありがたかったなと思う。元気じゃないと、見てられないときがあるから(笑)。 ──客席から観ていましたが、十九人で会場が温まった記憶があります。 ゆッちゃんw わー、うれしい! たしかにねぇ。気持ちいいくらいウケて、終わった直後はもしかしたら……とは思ったんですけど、僕たちのすぐあとのスタミナパンさんが相当ウケられていたので、ダメかもなぁって。 ──出番が終わって、結果発表まではどう過ごしたんですか? 松永 結果発表まで3時間ぐらいあったんですよ。オズワルドの伊藤(俊介)さんに誘ってもらって、モツ鍋を食べさせてもらいました。スタミナパンの麻婆さんと、豆鉄砲と、例えば炎の田上で行きましたね。 ゆッちゃんw モツ鍋のあとはカラオケに行って、時間がないから、ひとりずつ「魂の一曲」を歌って。僕はYOASOBIの「群青」を歌いました。でも松永くんがすごい曲歌ってた(笑)。 松永 僕、神聖かまってちゃんの「神様それではひどいなり」。 ゆッちゃんw 最後に「殺してやる!」って叫び続ける曲で、みんなで「まだ落ちてないよ! 大丈夫だよ!」って。でも結局、そのモツ鍋メンバー全員落ちてて、ずこーってなりました(笑)。 トップバッターを任されがち ──敗者復活戦では、準決勝とはネタを変えていました。敗者復活戦では『席を譲ろう』、準決勝でやった『耳が痛い』。なぜ変えたんでしょうか。 松永 敗者復活はトップバッターだったんで、トップバッターで「耳が痛い!」って叫びまくるネタはちょっとかかりすぎてるから引っ込めました。テレビだし、初見の人もいっぱい観てくれるから。 ゆッちゃんw 電車のネタは、僕らの中では伝わりやすい温厚なほうだったんです(笑)。『おもしろ荘』では『耳が痛い』をやったんですけど、総合演出の諏訪(一三)さんは「席譲るやつは伝わりやすいけど、十九人を好きな人からすると、物足りないなぁ」って言われました。「まぁ、しょうがないな。テレビだからなぁ。おじいちゃんおばあちゃんが観てるからな」って(笑)。 ──初めての敗者復活戦はいかがでしたか。 ゆッちゃんw 出る直前に煽りVを見てて、「うわぁ、テレビで観てたあれに出るんだ!」と思ったら、一回「ぐぅ!」ってめっちゃ緊張して。でもマネージャーさんに「めっちゃ緊張してきました……」ってベラベラしゃべってたら、「たぶん緊張してないですよ。アドレナリンが出てるだけです」って教えてもらえて、落ち着きました。 松永 でも正直そんなに手応えはなかったなぁ。 ゆッちゃんw だから勝つぞっていうよりも、僕らのネタで番組が盛り上がればいいかって半分思ってた。『M-1敗者復活戦』という番組が、十九人がいたおかげで盛り上がったっていう印象になればいいなって。 松永 僕らは普段のライブでもトップバッターにされることが多い。十九人で無理やり盛り上がらせようみたいな。 ゆッちゃんw 大きい声っていうか、デカい音を出せるから(笑)。 ──最近の若手芸人は「M-1という番組を盛り上げたい」と言う人が増えている印象があります。 ゆッちゃんw たしかに。「絶対に勝つぞ」って気持ちと、番組を盛り上げたい気持ちだったら、どっちがいいのかはわからないけど。 松永 なんやろ。賞レースで結果出して(メディアに)引き上げてもらうっていうよりは、自分たちがおもしろいと思うことをやって、いいものができればいいよねっていう気持ちが強いのかな。だから勝ち負けはそこまで重要じゃないっていうか。もちろん勝ちたいんですけど。 M-1が大嫌いだった ──気が早いですけど、次のM−1への意気込みはどうですか。 ゆッちゃんw M-1に対して意識が変わりました。今までは15年かけて、いいところまで行けたらっていう感じで。普段のバトルライブも、僕らそんなに得意じゃないから、お笑いは戦うもんじゃないしな、みたいに思ってたけど……うん、松永くん、どうだ? 松永 敗者復活に出てみて、見えてるものがちょっと変わったんですよ。もう一回勝てば決勝なんやっていうのが具体的に見えてきて、これからはM-1に向けたネタを作ろうと。今までは自分たちの好きなことやり続けて、いつか決勝行けたらと思ってたけど、決勝に行ってる人たちはM-1で勝つための4分間のネタを作ってるんだって目の当たりにして、ここをちゃんとやらなアカンなっていう気持ちになった。 ゆッちゃんw 勝ちたくなっちゃったね(笑)。みんながあんなに熱いのはこういうわけだったんだなって思っちゃいました。 松永 僕ら、M−1嫌いだったんですよ。かなり嫌い。 ゆッちゃんw こんなこと言っていいのか(笑)? 松永 僕らなんて、1回戦で3回落とされてるし。1回戦って持ち時間が2分じゃないですか。そんな短い時間で伝わるわけないって、ふて腐れてたんです。ライブではめちゃめちゃウケてるまわりの友達もいっぱい落とされるから、M-1自体が嫌いだった。でもだからといって賞レース至上主義からは逃れられんし……。 ゆッちゃんw 悲しいね。なんか悲しい話だね(笑)。 松永 ふふふふ(苦笑)。嫌なんですよね、お笑いの本質って別にバトルじゃないし。なんなら商売ですらない。 ゆッちゃんw 趣味でやってることにたまたまお金が発生して、超ラッキーっていう状態なので。 松永 そんな感じで僕らは賞レース自体が嫌いだったけど、でもそれをM-1の2回戦で負けてるヤツが言ってても仕方ないじゃないですか。 ゆッちゃんw やっぱ決勝に行ってる人たちってめっちゃすごい。でも別に2回戦で落ちた人がおもしろくないわけじゃない。それがみんなに伝わってほしいなって思うから、僕らが勝ったら「たまたま今日評価されたから勝っただけで、ほかの人もみんなおもしろいんだよ」って言えるようになりたい。そのためにがんばりたいなって思えるようになりました。 何も矯正されず、変人のままで ──これからはどんな仕事をしたいですか。 ゆッちゃんw 事務所の先輩たちがすごいので、そういう人たちと一緒にテレビ番組出られたり、営業とか一緒に回れるぐらい有名になれたらいいなとは思ってます。 松永 やりたいことを、やりたい。今は それについてきてくれるお客さんもいるし。去年単独ライブやったんですけど、それが500人ぐらい来てくれて。そのお客さんを大事にしたいなって思う。 ゆッちゃんw ありがてぇ。 松永 僕らに3000円とか払ってくれる人がそんだけいるっていうのがうれしいから。 ゆッちゃんw 高いよね! 松永 だから、僕らをおもしろいと思ってくれる人たちを喜ばせたいし、僕らはやりたいことをやりたいなって気持ちです。 ゆッちゃんw あと、僕らが好き勝手していい場所がテレビにできたらいいなぁ。冠までは行かなくても、僕らの同世代の何組かで番組させてもらえたりしたらいいなぁ。 ──1997年生まれのおふたりも、テレビへの憧れはあるんですね。 松永 テレビは好きですね。僕らはまだギリギリYouTubeじゃなくてテレビに育ててもらったので。それに「テレビは終わり」みたいに言われるけど、まだ終わってないと思うしなぁ。視聴率が数%でも数百万人が同時に観てるってことで、その規模はYouTubeではあり得ない。やっぱりテレビにしかできんことがあると思うし、そこで自分らがやりたいことをできたらめちゃくちゃうれしいですね。 ゆッちゃんw あと、松永くんは英語もすごくできるから。英語クイズなら負けない。ね! 松永 何それ、あんま関係なくない?(苦笑) ──でもEテレの英語番組とかおふたりでやったらハマりそう。 ゆッちゃんw わぁ、やりたい! たしかに「NHK出てください」はファンの人にめっちゃ言われます。最初の単独ライブで人形劇をやったときテレビ局の人から「アテレコ上手〜」って褒められたよね(笑)。 ──たしかにおふたりとも独特のテンションと声質なので、ナレーションも向いてそうです。 ゆッちゃんw やりたい! 『キョコロヒー』で内田紅多(人間横丁)がやってて、めっちゃうらやましいです。大(おお)友達だから。 ──先ほど「同世代の何組かで番組」と言ってましたが、どのあたりの芸人が浮かびますか。 ゆッちゃんw うわぁ、どうする!? 何組かっていったら、まず人力舎のめっちゃ最高ズかなぁ。おばた(最高)は仕切れるし、(めっちゃ)むつみさんは突破力があって、『はねトび(はねるのトびら)』みたいな番組だったら、虻川(美穂子)さんみたいになれそう。あと、何をしても大丈夫っていう安心感が欲しいのでオッパショ石さん。どんな空気でもなんとかしてくれるし、僕らが好きなことやってもまとめてくれる。あと豆鉄砲とか。 松永 いいなぁ。たしかに今売れてる人って何組かでコント番組とかしてきたイメージあるから、そういうのをうちらの世代でできたらいい。 ゆッちゃんw 地下ライブって「これしかできない」みたいな変人がいっぱいいるんです。そういう人たちがテレビに出ようとすると、直さなきゃいけなくなっちゃうけど、それがもったいないなぁって。何も矯正されずに、変人のままテレビに出られるようになったらいいな。僕もそうなんです。松永くんは器用だからなんでもできるけど、僕は松永くんが書いてくれるネタじゃないと無理だから(笑)。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 十九人 ゆッちゃんw(1997年9月9日、北海道出身)と、松永勝忢(まつながまさとし、1997年10月29日、大阪府出身)のコンビ。2018年4月、立命館大学の劇団サークルで出会い、コンビを結成。2020年4月に上京し、フリーとして活動。2022年、ASH&Dに正式所属。『M-1グランプリ2024』準決勝進出。2025年元日未明に放送された『おもしろ荘』では3位に入賞した。 【後編アザーカット】
focus on!ネクストガール
今まさに旬な、そして今後さらに輝いていく「ネクストガール」(女優、タレント、アーティスト等)を紹介していく、インタビュー連載
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趣味は編み物と映画鑑賞──『おいしくて泣くとき』ヒロイン・當真あみのプライベート
#20 當真あみ(後編) 旬まっ盛りな俳優にアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 當真あみ(とうま・あみ)。2020年に沖縄でスカウトされ、『妻、小学生になる』(2022年/TBS)でテレビドラマ初出演を果たす。その後、「カルピスウォーター」の14代目イメージキャラクターに就任、また、『パパとなっちゃんのお弁当』(2023年/日本テレビ『ZIP!』朝ドラマ)や『どうする家康』(2023年/NHK)、『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)など、ドラマへの出演を重ねる。2025年4月4日公開の映画『おいしくて泣くとき』では、複雑な家庭環境下にあるヒロイン・夕花を演じている。後編では、プライベートに関することを聞いてみた。 インタビュー【前編】 目次手芸屋で毛糸を物色、俳優仲間と映画館へ上京後も送ってもらっていた“実家の味” 手芸屋で毛糸を物色、俳優仲間と映画館へ ──プライベートなことも伺いたいのですが、最近ハマっていることはありますか? 當真 映画鑑賞はずっとしています。あと、去年ハマり出したのは、カメラと編み物ですね。編み物は、空いている時間に少しずつ編んで、いろいろと作ったりしています。 ──素材も自分で買いに行ったり? 當真 はい。手芸屋さんへ行って、毛糸を物色したりとか。 ──今まで編んだ中で、一番うまくできたものはなんですか? 當真 ニット帽ですね。けっこううまくいって。夏場は、麦わら帽子になるような素材で、帽子を作ったりもしていました。 ──映画は今、どれくらいのペースで観ていますか? 當真 今年も1月中に3本は観ました。まだまだ観たい作品があって、もうすぐ上映が終わるのかなとか、早く行かなきゃと思っている作品も、今、3つぐらいあります。少なくとも月に1本以上は確実に観たいなと思っています。 ──映画館に行って観るんですか? 當真 そうですね、映画館がすごく好きで。家で観ていると、ちょっと飽きちゃったり、気が散ることもあるのですが、映画館だと大きなスクリーンにすごい音響だったり、本当にその空間がすごく好きなんです。 ──今まで観てきた映画の中で、すごく好きな作品、もしくはこの作品に出ているこの俳優の演技に憧れる、というのはありますか? 當真 お芝居でいうと、杉咲花さんです。昨年観た『52ヘルツのクジラたち』(2024年)と、おととし観た『市子』(2023年)での杉咲さんのお芝居が本当にすごくて……誰かの人生を追いかけて見ているような、そういうリアルなお芝居というか。リアルだし、言葉の一つひとつに、しっかりと伝わってくる強さがあって、そういう相手に届ける力がすごく強い女優さんだなと思いました。 ──お仕事をするなかで、仲よくなった俳優さんはいますか? 當真 『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』というドラマで仲よくなった友達とは、ずっと一緒にいます。みんな映画を観るのが好きなので、最近は一緒に。それこそ『室町無頼』も一緒に観に行きました。共通の好きなものを持っている人がいるのって、すごくいいなと思いながら過ごしています ──今後、やってみたい役柄はありますか? 當真 今、高校卒業間近で、これまでは学生役をいただくことが多くて、今後はさらに先にある大人としての仕事とか、今の学生のさらに先のところで一生懸命にがんばっているような役に挑戦できたらなと思っています。 ──社会人の役などですかね? 當真 そうですね。学生の役では、自分が経験したものだったり、知っている感情をつなぎ合わせて演じていたんですけど、その先となると私もまだ経験したことがないから、たぶんすごく難しいだろうなと思うんです。でもそこを探しながらやるのがすごく楽しいだろうなと思っていて、挑戦してみたいですね。 ──高校を卒業して、成人して、何かが変わる実感はあったりしますか? 當真 成人してですか……まったくないです(笑)。18歳になったからって遅くまで出歩くわけでもないですし、結局あまり変わらないかなというのが大きくて。ただ、学生でも子供でもないというところを意識して、しっかり気持ちを切り替えてかないといけないなとは思っています。 上京後も送ってもらっていた“実家の味” ──俳優以外で、今後やってみたいお仕事はありますか? 當真 ドラマや映画の宣伝で出演するバラエティ番組などで、全然違うジャンルなのに、おもしろくできる俳優さんがいるじゃないですか。すごく明るいキャラクターが出ている感じの……。私は(バラエティでは)うまくしゃべれないぐらいに緊張するので、それをなくせたらなと思っています。 ──書く仕事などは、興味があったりしますか? 當真 あまり考えたことはなかったですね。それよりは、最近カメラを持ち始めてずっと撮っているんですけど、写真を撮るのがすごく楽しくて。その流れで何か挑戦できるものがあったらいいなと思います。 ──写真を撮るときには、ご自分が撮られるときの経験が活きていたりしますか? 當真 いや、まったくないですね(笑)。撮っている対象も友達ばかりですし。画面を通して見ると、また違う人に見えてくるのがおもしろくて、そこはどこかお仕事で活かせたら楽しいだろうなと思います。 ──最後に、改めて映画『おいしくて泣くとき』の見どころを伺えれば。 當真 そうですね。心也くんと夕花の初恋、ラブストーリーではあるんですけど、それだけじゃなくて、ふたりを囲む世界にいる人たちの愛がたくさん感じられる作品だと思います。たとえば30年も相手を思い続ける心也くんの想いや、子供に対する心也くんのお父さんの想いなど、深い気持ちをすごく感じられる作品ですし、人の気持ちの強さ、尊さを感じていただけたらなと思います。 ──タイトルにもつながる、當真さんご自身の「食の思い出」はあったりしますか? 當真 あまり外に出て食べるということをしないのですが、お母さんやおばあちゃんの料理はすごく好きですし、東京に来てからも作った料理を実家から送ってもらっていたことがあって。ハンバーグとか、自分が本当に好きな食べ物を送ってもらっていて、仕事が終わったあとに食べるとすごく体に染み渡りました。ずっと食べてきたものを食べるとすごく安心して、おいしくて。泣くまではいかないんですが、ほっとする料理が身近にあるのは、本当にうれしいことだなと思いました。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 編集=中野 潤 ************ 當真あみ(とうま・あみ) 2006年11月2日生まれ。沖縄県出身。『妻、小学生になる』(2021年/TBS)でテレビドラマ初出演。その後も『パパとなっちゃんのお弁当』(2023年/日本テレビ『ZIP!』朝ドラマ)や『どうする家康』(2023年/NHK)、『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、『さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~』(2024年/TBS)など、ドラマへの出演を重ねる。Netflix映画『Demon City 鬼ゴロシ』が配信中。2025年4月4日公開の映画『おいしくて泣くとき』では、複雑な家庭環境下にあるヒロイン・夕花を演じている。
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最旬女優・當真あみ──松岡茉優や広瀬すずとの共演で培った“演技力”と“人間力”
#20 當真あみ(前編) 旬まっ盛りな俳優にアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 當真あみ(とうま・あみ)。2020年に沖縄でスカウトされ、『妻、小学生になる』(2022年/TBS)でテレビドラマ初出演を果たす。その後、「カルピスウォーター」の14代目イメージキャラクターに就任、また、『パパとなっちゃんのお弁当』(2023年/日本テレビ『ZIP!』朝ドラマ)や『どうする家康』(2023年/NHK)、『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)など、ドラマへの出演を重ねる。2025年4月4日公開の映画『おいしくて泣くとき』では、複雑な家庭環境下にあるヒロイン・夕花を演じている。その作品に関する話から聞いてみることに。 目次心の「居場所」を意識して、作り上げたヒロイン像松岡茉優からもらった「卒業証書」に感銘を受けて 心の「居場所」を意識して、作り上げたヒロイン像 ──映画『おいしくて泣くとき』の話をもらったとき、いかがでしたか? 當真 お話をいただいてから、台本と原作を読んで、すごくあたたかい作品だなと思いました。ほっこりするあたたかさとは違って、人の優しさを知るというあたたかさというか……。私が演じる夕花と、長尾(謙杜)さんが演じる心也との初恋もそうなんですけど、それだけじゃない、人を思いやる気持ちというのがたくさん感じられる作品で、すごく素敵だなと思いました。 ──ご自分の素のキャラクターと夕花とで、似ているところはありますか? 當真 夕花は家庭での複雑な事情があって、少し大人びているところがあるんですけど、その中での芯の強さと、本人のもともと持っている明るさが合わさったときの力強さは私にはないものなので、そこをしっかり出せたらいいなと思いました。 ──撮影していて、特に印象に残っているシーンはありますか? 當真 ひとつだけ挙げるなら、雨の中を帰るシーンですね。実際、その日も雨が降っているというリアルな状況で、楽しいというよりは少し沈んでいる空気を雨が消してくれるみたいな、そういう心情になって。そのあたりの気持ちの作り方を考えて、監督とも相談しながら撮影したこともあって、印象に残っています。 ──ほかにも撮影していて大変だったな、苦労したなというシーンはありますか? 當真 ラストの心也くんとのシーン……気持ちを作るのに少し時間をかけてしまったんですけど、このシーンが大変でしたね。たくさん言葉をかけてくれる心也くんに対して、振り切るかたちで夕花が行ってしまうという行動……すごく大切な部分なので、その気持ちを作るのに時間がかかりました。 ──クランクイン後の最初の撮影、夕花の家でのシーン……けっこう激しいシーンでしたね。 當真 夕花の土台となる、この作品ですごく重要な要素でした。そういった家での状況が中心にあった上で、心也くんとの対話だったり、“子ども食堂”に行っていたりとかするので、重要な部分を最初に撮れたのは、すごくありがたかったなと思います。 ──そこを基準に、役づくりをしていった感じでしょうか? 當真 そうですね。やっぱり家で起きていることが、どんなシーンでも頭をよぎるというか……ふと思い出したりすることができたので、そこはすごくありがたかったです。 ──長尾謙杜さんと共演してみた印象は? 當真 横尾(初喜)監督と長尾さんと私の3人で話すことが多かったので、コミュニケーションを取る機会も多くて、演じる上ですごくやりやすかったです。 ──撮影の合間は、どんな話をしましたか? 當真 撮影地が豊橋だったこともあって、豊橋のおいしい食べ物の話とか……初日は私が緊張しているので、撮影がスムーズにできるような気遣いをしてくださったり。合間では、本当にたわいもない会話や地元の話……図書館のシーンでは、文房具がいっぱい目の前にあったので絵を描いたりとか、そんなこともしていましたね。 ──當真さん自身も、弟役の矢崎滉さんを引っ張っていかなきゃというような意識はありましたか? 當真 やっぱり夕花としては、小さい弟を守らなきゃ!みたいな気持ちもありますし、弟役の矢崎くんも撮影の初日は緊張しているかなとも思ったので、意識的に話しかけたりしました。 ──その様子を見ていて、ご自分が初めて演技したときのことを思い出したりしました? 當真 しました(笑)! やっぱり緊張というか……監督から言われたことを、こうなんだろうか?と考えたりして、本当に難しいなと思っていたことを思い出しました。 ──この映画で見てほしい、ご自分の演技のポイントはどのあたりですか? 當真 (自分の)家にいるときの夕花と、心也くんが作ってくれた居場所にいるときの夕花の違いです。やっぱり、自分にとっての居場所があるというのはすごくうれしいことだなと、撮影の合間にも感じていて……帰ってくることができるという安心感って、たくさんあればあるほどすごく安心できる。その居場所に対する夕花の違いを、見ていただければと思います。 ──當真さんにとっての「居場所」、行き着く場所は、どこなんでしょうか? 當真 やっぱり仲のいい人といる場所……もちろん地元の沖縄のお母さんたち、おうちだったり、おばあちゃんだったり。それと東京に来てから仕事で仲よくなった友達と一緒にいる時間や空間というのも、私にとっての「居場所」だなと思います。 松岡茉優からもらった「卒業証書」に感銘を受けて ──今まで演じてきた作品の中で、一番印象に残っているものはなんですか? 當真 こういう現代の話とは離れたジャンルの時代劇『大奥』(2023年/NHK)と『どうする家康』は、すごく印象に残っていますね。それまでやってきたお芝居とは違って、セリフから所作から何もかも自分の中で新しくやることだったので、すごく難しかった記憶があります。 ──なるほど。時代劇も、今後またやってみたいと思いますか? 當真 そうですね。『大奥』では、特に男女の設定を逆転させて女性のほうが強く押し切るという、実際の歴史とはちょっと違った描き方でしたし、これとはまた違うかたちでの時代劇にもチャレンジしてみたいです。 ──當真さんのInstagramを拝見すると、いろいろな映画作品をご覧になっていますが、最近観た中で印象に残っている作品はありますか? 當真 昨年の12月に観た『侍タイムスリッパー』です。最近観に行ったばかりの『室町無頼』も、現代とはかけ離れた話で、アクションの迫力とか、そういう部分に圧倒されたり。『侍タイムスリッパー』にはコミカルでくすっと笑ってしまうような部分、すごく惹きつけられる部分がたくさんあったので、印象に残っています。 ──以前、憧れている俳優は長澤まさみさんとおっしゃっていましたが、今、憧れている、目標にしている俳優はどなたですか? 當真 変わらずに、長澤まさみさん。それと、ドラマでご一緒した松岡茉優さん、よく出演作品を観ている杉咲花さんです。松岡さんは、ご一緒した撮影現場(『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』)で、すごく圧倒されました。先生役で、ワンシーンがものすごく長くて、セリフもすごい量だったんですけど、長回しで何回も繰り返す撮影でも、毎回ぐっと惹きつけられるお芝居で。観る人だけじゃなく、現場にいる俳優たちも圧倒するようなお芝居が、すごくエネルギーがあって素敵だなと思いました。憧れですし、私もそうできるようになりたいです。 ──松岡さんとの現場での思い出はあります? 當真 松岡さんはすごく優しくて、クランクアップの日は、本当の卒業式みたいに卒業証書をくださいました。一人ひとりが(松岡さんから)ひと言をもらう時間もあって、そこは10話通して撮影してきた中でも本当にラストの卒業みたいな感じになって。撮影中、生徒と松岡さんが演じる先生との間には役柄的にも壁がある感じだったんですけど、撮影が終わると、笑顔で「おつかれさま!」と言っていただいたのも印象に残っています。 ──デビュー以降、初期に演じた作品はいかがでしたか? 當真 長編映画だと最初に演じたのは『水は海に向かって流れる』(2023年)、短編だと『いつも難しそうな本ばかり読んでる日高君』(2022年)ですね。長編では、広瀬すずさんとご一緒しました。お芝居はほぼ初めての状態だったので、監督が撮影1カ月前に何回か個別にリハーサルを組んでくださって、そこでいろいろなアドバイスをもらいながら本番に臨んだので、すごく記憶に残っています。 ──広瀬すずさんとの共演は、どうでした? 當真 一緒のシーンがすごく少なかったのと、映画の内容的にも、私の演じる「楓」が一方的に(広瀬すず演じる「榊千紗」を)敵対視している設定だったということもあって、現場であまりお話しすることはなかったんですよね。ただ、撮影したのが寒い季節だったので、待ち時間にちっちゃいストーブを私のほうに向けて「あったまって!」と言ってくれたりとか、そういう気遣いをしていただいたのは覚えています。 ──実写映画以外では『かがみの孤城』(2022年)での声優経験もありますが、声優と俳優では、どんな違いがありましたか? 當真 声優は、セリフだけで表現しないといけないのがすごく難しいと感じました。俳優だったら表情でやるものを、アニメーションの表情に合わせるにはさらにテンションを上げたり抑揚をつける必要があって、そういう部分がすごく難しかったです。 ──なるほど。ドラマ『ケの日のケケケ』(2024年/NHK)では、ちょっと難しい役柄にも挑戦されていましたが、役づくりはどうされたんですか? 當真 このドラマでは、私が演じた役が持つ「感覚過敏」の方とお話しする機会をいただきました。実際の感覚を教えてもらったり、撮影現場にも来てくださった方から話を聞いたりとか、いろいろと教えてもらいながらやりましたね。たとえば、音や光……駅の騒々しい感じはどれぐらいの大きさに聞こえるんだろう?とか、そういうことを常に想像しながら過ごして、自分の役に取り入れていました。 ──『ケの日のケケケ』で母親役を演じていた尾野真千子さんは、『おいしくて泣くとき』でも大事な役どころで出演されていますね。 當真 ものすごくうれしいですね。尾野さんとまたこうやってご一緒できて。撮影のスケジュール的にはお会いできなかったので、会いたかったなぁ……という寂しい思いもあるんですけど、本当にうれしいです。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 編集=中野 潤 ************ 當真あみ(とうま・あみ) 2006年11月2日生まれ。沖縄県出身。『妻、小学生になる』(2021年/TBS)でテレビドラマ初出演。その後も『パパとなっちゃんのお弁当』(2023年/日本テレビ『ZIP!』朝ドラマ)や『どうする家康』(2023年/NHK)、『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、『さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~』(2024年/TBS)など、ドラマへの出演を重ねる。Netflix映画『Demon City 鬼ゴロシ』が配信中。2025年4月4日公開の映画『おいしくて泣くとき』では、複雑な家庭環境下にあるヒロイン・夕花を演じている。 【インタビュー後編】
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タイを満喫──女優・莉子が語る『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』撮影裏話
#19 莉子(後編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 莉子(りこ)。2018年〜2021年まで雑誌『Popteen』の専属モデルを経て、『ブラックシンデレラ』(2021年/ABEMA)にて連続ドラマ初主演。その後も、ドラマ『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)や、映画『違う惑星の変な恋人』(2024年)など、さまざまな作品に出演し、女優としての歴を重ねる。2024年10月から放送中のドラマ『3年C組は不倫してます。』(日本テレビ)では主演を、11月より配信される『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』(ABEMA)では、主人公と行動をともにする「広瀬」として、重要な役どころを演じている。前回に続いて、最近の活動にフォーカスする。 インタビュー【前編】 目次「桐谷さんと佐野さんには本当に助けてもらいました」映画『恋僕』では福岡に1カ月滞在キックボクシング、ピラティス、ドライブ──アクティブなプライベート 「桐谷さんと佐野さんには本当に助けてもらいました」 ──最近出演された『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』(ABEMA)(以下、『インフォーマ』)についてもお聞きしたいのですが、実際にやってみていかがでしたか? 莉子 本当に楽しかったです! それはやっぱり、桐谷健太さんと佐野玲於(GENERATIONS)さんのおかげだと思っていて。おふたりがいなければ、私はきっとこの現場を乗り越えられなかっただろうなと思うくらい、おふたりが伸び伸びとお芝居できる環境を整えてくださったので、感謝の気持ちでいっぱいです。 ──海外での撮影は今回が初めてでしたか? 莉子 はい、初めてです。修学旅行以来の海外で、4年ぶり。渡航の準備段階から「海外ってどうやって行くんだっけ?」という感じでした(笑)。久しぶりの海外が仕事で、しかも撮影ということで不安もありましたけど、やるしかないと思って飛び込みました。 ──タイでの撮影はいかがでしたか? 莉子 正直、最初は不安と緊張でいっぱいでした。現地はとても暑くて、ちょっと過酷な環境でしたし。どうしようという不安もあったんですが、『Popteen』時代の体育会系精神がよみがえってきて「やるしかない!」と自分に言い聞かせました。 ──印象に残った出来事は、どんなことでしたか? 莉子 タイはどこも室内が寒いんですよ。タイの人たちは暑さを和らげるために、室内をキンキンに冷やしているんです。それがサービスなんですが、私は寒すぎてスウェットを着たいくらいでした。日本の冷房の感覚とは違って、本当に冷え冷えなんです! それと、交通はバイクや車が主流で、タクシーが渋滞に巻き込まれることがしょっちゅうありました。「バイタク」というバイクタクシーも利用しましたけど、日本ではまず見かけない光景なので新鮮でした。撮影では「トゥクトゥク」にも乗りましたし、日本ではなかなかないことをたくさん体験できて、最初の不安はどこかへ消えて、終わってみれば本当に楽しい思い出ばかりです。 ──ご飯はいかがでした? 莉子 実は私、辛いものが苦手で、最初の1週間くらいは現場でも辛い料理ばかりで食べられず、ずっとタイ米だけを食べる生活でした(笑)。そんななか、プロデューサーさんたちが「ヤバい、莉子ちゃん、辛いのダメらしい」と気づいて気を遣ってくださり、辛くない料理を用意してくれるようになって、そこからはだいぶおいしくいただけました! ──撮影中、特に印象に残ったシーンはありますか? 莉子 私自身のアクションシーンは少なくて、体力的にはほかのみなさんほど大変ではなかったんですけど……普通に楽しかったのは、やはり「トゥクトゥク」に乗るシーンです。それと、前作の『インフォーマ』(関西テレビ/2023年)で印象的だったシーンがまた出てきたり、前作を観ていた人が楽しめるネタがあちこちにちりばめられているので、「あ! このシーンはあれだ!」と、ひとりで密かに盛り上がっていました。 ──今回のドラマでは、どのような役づくりを意識されましたか? 莉子 普段はノートに役について書き込むのですが、今回はあえて決め込まずにいこうと思いました。オーディションでお芝居を見ていただいたこともありますし、木原(桐谷)と三島(佐野)との関わりの中で変化していく役柄なので、先入観で固めてしまわないようにしました。 せっかくのタイという場所での撮影ですし、前作にも出てらっしゃる桐谷さんや佐野さんと初共演するなかで、その場の空気感を大切にしながら生まれるお芝居を受け止めて、キチンと返すことに集中しましたね。 ──撮影中、桐谷さんとはどんなお話をされましたか? 莉子 最初に本当に感動したのは、桐谷さんの気遣いです。タイの室内は寒いというのは聞いていて対策していたんですけど、ロケバスで初対面のあいさつをしてから、移動するとき、桐谷さんが「莉子ちゃん、ロケバスの温度大丈夫?」と、すぐ気にかけてくださったんです。初対面で、しかもさっきごあいさつしたばかりなのにすぐに私の名前を呼んで、温度まで気遣ってくださるなんて、本当に素敵な方だなと思いました。あの瞬間から、私も桐谷さんのような人間になりたいと強く思いました。 ──佐野さんとは、いかがでしょうか? 莉子 佐野さんとは、空港のシーンが最初でした。初対面だったのですが、待ち時間などに少し話しかけてくださったりして。佐野さんって本当に温かみのある方で、コミュニケーションの取り方からも、たくさんの経験をされてきた方なんだなと感じました。 ほかにも佐野さんは、タイでおすすめの場所のリストをスタッフさんを通じて送ってくださったり、後輩や私たちのことを気にかけてくれる方でした。今回の現場では、人に恵まれているなと改めて感じましたね。桐谷さんと佐野さんには本当に助けてもらいました。 ──タイでの撮休日は、観光を……? 莉子 そうですね、最初の3〜4週間はタイに滞在しっぱなしだったので、後半にはもう慣れて、ひとりでタクシーに乗ったり、マッサージやショッピングモールにひとりで行ったりしていました。タイでひとり行動できるなんてすごいなと自分で思うくらい楽しんでました(笑)。 ──特に印象に残った場所はありますか? 莉子 とにかくショッピングモールが大きくて、中には水上マーケットがあったりもするんです。色合いや装飾がタイらしくて楽しかったですね。ナイトマーケットも有名で、暑さのなか、汗をかきながらスタッフとご飯を食べたりして……いい思い出ですね。 ──改めて『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』の見どころは、どんなところですか? 莉子 前作でも日本のドラマでここまで作れるんだと思いましたけど、今作ではタイでの撮影ということで、さらに臨場感があります。日本ではなかなかできないカーアクションもかなり入っているので、映画のようなクオリティになっています。 前作を観ていた方にも「『インフォーマ』が返ってきた!」というような楽しんでいただける要素がたくさんありますし、私も含めて新しいキャラクターも登場するので、見どころ満載です。 映画『恋僕』では福岡に1カ月滞在 ──ほかの作品についてもお聞きします。この夏公開していた映画『恋を知らない僕たちは』(2024年)の撮影はどうでしたか? 同世代の方が多い現場でしたよね。 莉子 とても楽しかったです。同世代と一緒だとリラックスできて、休みの日にはくだらない話で盛り上がることも多かったり、本当に学校のような感覚で撮影できました。 ──撮影地の学校のロケーションも素敵でしたね。 莉子 そうなんです、福岡で。学校や海が印象的な原作だったので、福岡のロケーションが作品の雰囲気を引き立てていました。福岡に1カ月ほど滞在して、酒井麻衣監督の映像美が際立つ作品に仕上がっています。 ──ああいう作品に出演するときは、原作のマンガを先に読んでから臨むんですか? 莉子 読みますね。原作がある場合は必ず読んでいます。原作を一度読み込んでから、そこから自分なりに役を落とし込んでいくんです。酒井監督は、キャラクターづくりに対して本当にこだわりを持っていて、髪型も役のために切ったり、持っている小道具も原作と同じ飲み物を用意したりと、細かい部分まで忠実に再現していました。みんなが一丸となってこだわりを持って作り上げる作品だったので、刺激的でした。 ──ボクも観たのですが、原作についてまったく予備知識がなくて、全然違う展開を想像していたので……。 莉子 そうなんですよ! 水野美波先生が作り上げる『恋を知らない僕たちは』(集英社)は、最初は学園恋愛ものに見えるんですけど、意外な方向に矢印が向かうのがおもしろいんですよね。それがリアルな恋愛模様を描いていて、私はその部分にすごく魅力を感じているんです。 ──この作品もですが、ご家族や友達からは、出演した作品への感想などは伝えられます? 莉子 家族は観てくれていると思うんですが、感想はあまり言ってきませんね。父は『インフォーマ-闇を生きる獣たち-』に出演するのは知っていて、タイでの撮影についても話していたので、前作の『インフォーマ』も観てくれたみたいで、めちゃめちゃハマってましたね。「あれはどうだった?」とか「このあとはどうなるの?」とか聞かれたんですけど、ネタバレはできないので「言わないよー」と返してました(笑)。 キックボクシング、ピラティス、ドライブ──アクティブなプライベート ──ちょっとプライベートなことも伺いたいのですが、最近ハマっていることや好きなことはありますか? 莉子 カメラが好きで、フィルムカメラと……最近ではデジカメも使っています。フィルムカメラは高校2年生のころからずっと愛用していて、最近はハーフカメラも手に入れて、現像してみたらすごくよくて、さらにハマりそうです。映像作品の撮影現場では、フィルムカメラで共演者の写真を撮ったりしています。 ──カメラを始めたきっかけは? 莉子 高校生のときに「写ルンです」ブームが再燃していて、それをきっかけにインスタントカメラではなく、ちゃんとしたカメラが欲しいと思い、父に初めてフィルムカメラを買ってもらいました。今はスマホですぐに写真が見られる時代なので、現像までの待ち時間が新鮮で、フィルムの色味や画質の粗さもすごく好きなんです。ずっと使っています。 ──写真を撮るときに、何か工夫はしていますか? 莉子 特に工夫はしないのですが、人や物を撮るのが好きです。友達が笑っている瞬間など、現場の思い出を撮影して、あとで見返してそのときのことを思い出すのが楽しいんですよね。だから現場にもフィルムカメラを持ち込んでいます。 ──なるほど。普段はどのような休日を過ごしていますか? 莉子 家にいるのが苦手で、じっとしていられないんです。休みが本当にいらないっていう人間なので、それこそ仕事も週6とかでしていたいんですよ。週1の休みがあればじゅうぶんなんです(笑)。 けっこう日々動いていたくて、休みの日も必ずキックボクシングやジム、ピラティスに行っています。撮影期間中は朝から夜まで撮影があるので、運動できないのがストレスになるくらい。午後から撮影の日なんかは、午前中にジムへ行って、体を動かしています。 ──キックボクシングをやろうと思ったのは、エクササイズ目的で……? 莉子 はい。今は、特に本格的なジムに通っているわけではなくて、習い事的な感覚でエクササイズの一環として通っている感じです。体づくりが目的ですね。中学のときはバドミントンを3年間ゴリゴリにやっていたんですが、高校で仕事が忙しくなってからはできなくなってしまいました。でも、20代で運動をしているかどうかで将来が変わるなと感じていて、まわりの大人の方からもそう言われているので(笑)、やれるうちにやっておこうと思って続けています。 ──ほかに、やってみたいことはありますか? 莉子 最近はドライブにハマっていて、車を運転するのがけっこう好きなんです。友達とドライブに行くことが多くて、もっと遠出してみたいですね。あと、今はずっとグランピングに行きたくて。 ──基本、アクティブですね! 莉子 そうなんですよ、アクティブすぎて(笑)。 ──少し話が戻りますが、ドラマ『怖れ』(2024年/CBCテレビ)など、最近はいろいろな役柄を演じていますよね。そんななか、今後やってみたい役柄はありますか? 莉子 ずっと言っているんですけど……悪役をやってみたいです。ファンの方に「えっ、莉子ちゃんが……?」と驚かれるような役を演じてみたいんです。だから、悪役とか、人とケンカしたりいじめたりする役に挑戦してみたいですね。 ──『怖れ』の役にも、少しそういった空気感があるのかな……と。 莉子 たしかにそうですね。でも『怖れ』では役がいくつもあって、完全に悪役というわけではないんです。新しい挑戦でもあって、そういう意味ではすごく楽しかったです。 ──悪役の役づくりを徹底してみたいと……。 莉子 そうなんです。ワンクール通して悪役をやってみたら、自分がどうなるのか気になりますね。本当にやったことがないので、挑戦してみたいと思っています。 ──ありがとうございます。最後に、今まで観た作品の中で、好きな作品はありますか? 映像でも舞台でも構いません。 莉子 最近観たアニメになっちゃうんですけど、映画『ルックバック』(2024年)を観て、すごくよかったです! たった1時間でここまで人の心を動かせるんだと驚きました。しかもアニメーションで! 河合優実さんも声優をされていて、本当に素晴らしいなと思いました。いろいろな表現方法があって、あの短い時間でも伝わるものがあるんだと感じました。最近観た映画で、一番いいと感じた作品ですね。 ──なるほど。声優にも本格的に挑戦してみたいと思いますか? 莉子 やってみたいですね。ただ、声優って本当に難しいです。今までも少しやらせてもらったりオーディションを受けたりとかしたことはあるんですが……声だけで感情を伝えるのがいかに難しいかを実感しました。それでも、これからも挑戦してみたいと思います。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 編集=中野 潤 ************ 莉子(りこ) 2002年12月4日生まれ。神奈川県出身。雑誌『Popteen』(角川春樹事務所)専属モデルを経て、『小説の神様 君としか描けない物語』(2020年)で映画デビュー。その後、ドラマ『ブラックシンデレラ』(2021年/ABEMA)、『最高の教師1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、映画『違う惑星の変な恋人』(2024年)など、さまざまな作品への出演を重ねる。現在、連続ドラマ『3年C組は不倫してます。』(日本テレビ)に主演、11月からABEMAで配信される『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』では、主人公と行動をともにする「広瀬」として重要な役どころを演じている。
サボリスト〜あの人のサボり方〜
クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載
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「息苦しい世の中になっても、人をゆるさに引きずり込む仕事がしたい」スズキナオのサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 フリーライターのスズキナオさんの著作には、あてもなくふらりと旅に出てみたり、家から5分の旅館に宿泊してみたりと、日常を軽やかに楽しむ術が詰まっている。当然、サボりの心得もあるに違いないと、その極意について聞いてみた。 スズキナオ 1979年、東京都生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』などを中心に執筆中。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』、『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』、『家から5分の旅館に泊まる』(以上スタンド・ブックス)、『思い出せない思い出たちが僕らを家族にしてくれる』(新潮社)、『大阪環状線 降りて歩いて飲んでみる』(LLCインセクツ)などがある。 ライターになる前から、のんびりと街を散策していた ──今ではライターとして多数の著書を出されていますが、もともとは会社員をされていたんですね。 スズキ 30代半ばまで東京で会社員をしていました。でも、10年くらい会社員を続けてきたところで、それこそサボってきたツケが回ってきたというか、行き詰まりを感じるようになって。できればずっとダメな平社員でいたかったのに、部下ができたりして立場が変わってきちゃったんですよね。 ──いわゆる管理職を任されるようになると、ダメ社員ではいられない。 スズキ そうなんです。それで将来について考えていた矢先に、奥さんが大阪の実家の家業を継ぐという話が持ち上がったんです。だったら一家で大阪に移住して、自分のやりたいことをやってみるのもいいんじゃないかと、大阪でフリーライターとして活動するようになりました。それが2014年ですね。 ──それこそゼロからのスタートですよね。 スズキ はい。最初は会社員のときから記事を書かせてもらっていたWEBサイトの仕事くらいしかありませんでした。ネットで書いていた記事がだんだん人の目に触れるようになり、じわじわと「うちでも書いてみませんか?」みたいに声をかけてもらえるようになった感じです。 ──そのころから街歩きのような記事を書いていたんですか? スズキ ダラダラと街を散歩しながら、おもしろいものを見つけたらそのことについて書いて、取材ができたら取材もするような感じだったので、今とあまり変わらないですね。それ以外に書きたいこともなかったので、無理しなかったというか、できなかったと思います。 会社員時代からウロウロとお酒を飲み歩いたり、はしご酒したりするのが好きだったんですけど、おいしいお酒や料理を求めているわけではなくて、街や路地のたたずまいや、お店の雰囲気なんかを味わうのが好きでした。そこも今と変わらない。 ──たしかに、スズキさんの記事はグルメというよりは体験に軸があるイメージです。 スズキ そうなんですよ。だから、ライターとしての研鑽みたいなものが積まれていかないというか……(笑)。酒場の記事をよく書くのにお酒の銘柄にも詳しくないので、「え、これも知らないんですか?」ってよく驚かれます。 ──では、書くもの自体は変わらないなかで、状況が変わってきたのはどんなタイミングだったのでしょうか。 スズキ スタンド・ブックスから最初の本『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』を出してもらったことですね。ウェブのあちこちで書いてきたものをまとめて本にするお話をいただいて、最初はいったん無料で公開された記事を本にする意味がよくわからなかったんですけど、この本が名刺代わりとなって、自分のスタイルやキャラクターを知ってもらえるようになって。何度か増刷されるような反響もあって、おかげで自分にとってやりやすい仕事がいただけるようになりました。 ──今ではすごいペースで著書が刊行されてますよね。 スズキ 僕をスタンド・ブックスに紹介してくれた、酒場ライターのパリッコさんと一緒に記事や本を書くことも多いので、それで数が増えていったんじゃないかと思います。本を出せるなんて思っていなかった時期も長かったので、こうして振り返ってみるとありがたく感じますね。 ──パリッコさんとのユニット「酒の穴」といえば、「チェアリング」(※)が大きな話題になりました。 スズキ あれはもう我々の手を離れて、ひとつのアクティビティになった感がありますね。我が物顔で「あれは俺たちが考えたものだ」みたいなことは言わないようにしようと、パリッコさんとも話しています。コロナ禍によってお店で飲めない時期だったこともあって時代にフィットしたのかもしれませんが、我々は「チェアリング」と名づけただけで、やっている人は前からいたと思いますし。 (※)持ち運びできるアウトドア用のチェアを屋外の好きな場所で広げ、ぼーっとしたりお酒を飲んだりすること。スズキナオとパリッコによる飲酒ユニット「酒の穴」が「チェアリング」と名づけて提唱したところ、テレビなどのメディアに取り上げられるほどの反響を呼んだ。 名所を見終わったあとの旅も楽しい ──記事を書くために旅に出てみたものの、これといった出会いもなく「このままだとただ遠くに来ただけで終わってしまいそうだ」みたいなこともあるのでしょうか。 スズキ あります、あります。期待したようなことが起きなくても締め切りはあるので、ダラダラとその土地まで行く過程を書くとか、別のところでおもしろ味を作っていくしかなくて。でも、その感じも好きなんです。お店も何もない住宅街を歩いていても、コンビニで買ったお酒が飲めるちょっとした川べりにたどり着ければ、それはそれで気分がよかったりする。街歩きって、そもそもそういうものかもしれないですね。 ──たしかに、散歩ってそういうものですよね。でも、一応現地でもがいてみたりはするんですか? スズキ 本にもなった大阪の環状線の駅周辺をひと駅ずつ即興で旅するような連載では(『大阪環状線 降りて歩いて飲んでみる』)、ただの住宅街を2時間ぐらい歩いて「さすがに何も書けないかも……」と焦ったことはありました。でも、なんとかクリンチしていたら、住人の方にお話を聞くことができて。そうするとただの住宅街に見えた街でも、「自転車であの繁華街まですぐ行けるし、意外と便がいいんだな」とか、いろいろ見えてくる。そういう出会いでなんとかなってきた気がします。 ──住宅街にぽつんとある居酒屋とか、地元の人すらスルーしてしまうような場所を掘り下げるスズキさんのスタイルは、そういった粘りから生まれたところもあるんですね。 スズキ 何かしらお店があればしめたものですね。そういうところのほうが、かえって密な話が聞けたりするので。名店を調べて行くのも好きですなんですけど、それでは絶対に行けない場所もあるんですよ。 家から5分の旅館に泊まったのも、旅行をテーマにした連載の締め切りが迫ってきて、行ける場所が近所しかなかったという状況がきっかけでした。けっこう行き当たりばったりというか、せっぱ詰まって動き出すことが多いんです。でも、動いてみたら状況が好転するだろうと信じてやっている。 ──街歩きの際にチェックするポイントなどはあるのでしょうか。 スズキ 大衆酒場や銭湯が好きなので、そういった地元の方々が集まっていそうな場所を探します。そこでズケズケと話を聞くでもなく、なんとなく聞こえてくるその土地の情報をヒントにして歩いていく。ゲームしている感覚に近いかもしれないですね。 僕もミーハーなんで、大阪に旅行に行ったのなら、まず大阪城やグリコの看板は見たいんですよ。ただ、全部行き終わった4日目以降の旅もけっこうよくて。ヒマだしちょっと疲れてもいるからホテルの近くをウロウロしていたら、食べログでは評価されてないようなちょっといい店が見つかるとか、飽きてからの旅っておもしろい気がするんです。 ──3日目のカレーみたいな旅ですね。 スズキ まさにそうですね。3日目のカレーに初日からかぶりついてしまうこともよくあります(笑)。子供のころ、両親の故郷の山形に帰省するのがすごく好きだったんです。東京で新しいゲームソフトを買って遊ぶような楽しさとは違う、じわじわくるよさがあって。たまに行く田舎だったからかもしれませんが、優しい親戚に囲まれて、何もすることなくぼーっと過ごしているのが、幸せな退屈として記憶に残っています。それが原体験としてあるから、サボりグセがついたというか、ぼんやりした時間が好きなのかもしれないです。 ──それが仕事になっているからおもしろいですよね。「締め切りが近いから行かなきゃ!」って追われるように家を出て、お酒を飲んだりぼーっと街を歩いたりしているわけで。 スズキ そうなんですよ、その状況が発生しないと書きたくない。「これでいいのか?」という不安とも戦ってはいますが、ぼーっとできる仕事は気楽で楽しいですね。 ──記事を作るにあたって、ほかに大事にしていることはありますか? スズキ できれば自然に縁ができた土地を取材したくて。よそ者が「エキゾチックだ!」なんて外からのぞいている感じになるのがイヤなので、できるだけ自然な流れで入っていきたいんですよね。そうじゃないと自分らしい書き方にはならないような気がします。 最近では、日本の離島のイベントに行って琵琶湖にある「沖島」という有人島をおすすめされたという記事を書いたときに、沖島に縁のある方から「今度行きませんか?」って誘ってもらえたんです。1日巡っただけですが、自然な縁で行けたのがうれしかったし、島自体もおもしろかったですね。 ──そういった中で印象的な出会いを挙げるとしたら、どんなものがあるのでしょうか。 スズキ 『デイリーポータルZ』で記事を書いた、大阪市此花区にある千鳥温泉っていう銭湯ですね。洗い場の鏡にくっついている「鏡広告」の広告主を募集していたんですよ。銭湯の方がアイデアマンで、新たに街のカフェやレストランから広告を募ったら、意外と広告主になってくれる人がいるんじゃないかと思ったそうで、その広告ができるまでの過程を追いました。 ──実際に『デイリーポータルZ』の広告を作ったんですよね。 スズキ そうです。もう亡くなられてしまったんですけど、当時90歳になる松井さんという字書き職人さんがいて、手書きで文字を入れてくれました。独学による手書きとパソコンを組み合わせたレタリングの手法や戦争体験とか、松井さんにいろいろお話を聞くことができて。作業の工程なども見せていただき、すごく貴重な体験でしたね。 サボりの灯を絶やしてはいけない ──幼少期にサボりグセが刷り込まれたとおっしゃっていましたが、やはりそのクセは抜けていないのでしょうか。 スズキ はい、僕はもう本当にサボり人間です。締め切り当日になってもなかなか向き合わず、自分でもイヤになるくらいサボってしまいます。なんでだろう(笑)、追い込まれれば追い込まれるほどサボりが楽しくなっちゃって。一応やる気になる瞬間を待っている状態ではあって、うっすら記事の構成を考えたりしてるんです。それが固まるまで机に座って向き合っているよりは、散歩してるほうがいいような気がするんですよね。 ──いわゆる“寝かせる”タイプで、頭の中で記事の内容をなんとなくイメージしているから、書き出せさえすれば書ける、みたいな。 スズキ その時間も大事な気がして。「こういう話から始めようかな」と出発点を頭の中で何回も試して、どれがいいか考えながらサボってるつもりではあります。先ほどお話ししたように、僕は「なんでそこに行くことになったのか」から書きたいほうなので、きっかけとなった出会いから出発に至るまでのルートをたどっていくんですね。読む人にしてみたら、「なかなか行かねーな」って感じかもしれませんが(笑)。 ──罪悪感を抱くようなサボりではなく、積極的に息抜きをするためのサボりはありますか? スズキ ありますね。原稿を書き上げたあと、一回サボりを入れてから推敲したほうがいいと思うんですよ。書ききれなかった部分や配慮の足りなかった部分などが見えてくるなど、別の視点が生まれるので。だから視野が狭くならないように、一回飲みに行ったり公園を散歩したりしています。外の空気を吸って、全然自分と関係ない世界を見ておくことが大事なんでしょうね。 ──ちなみに平社員を満喫していた会社員時代は、どんな感じだったんですか? スズキ 僕と同じくらいやる気がない同僚と、いつも仕事帰りに飲みに行っていました。会社があった渋谷の街を歩きながら、缶チューハイを飲むスタイルで。そのせいか、会社ではいつも軽い二日酔いか寝不足の状態で、「こういうときは寝たほうが効率がいいんだよ」って自分に言い聞かせては、トイレや外のベンチなんかで寝てましたね。 その後、田町にオフィスがある会社に出向したんですけど、そっちは渋谷のときのようなゆるさがなくて。節電のために定時でオフィスの電気が消されるのに、それでも仕事してる人がいるような感じでした。でも、僕は夕日がきれいだったら、仕事の手を止めてみんなで窓の外を見たりしたほうがいいと思うんです。 ──なんだか『釣りバカ日誌』みたいな話ですね(笑)。 スズキ 本当にそういうつもりでしたね。みんなの息抜きキャラとしてサボり方を教えたい、「このくらいサボっていいんだ」とみんなに知らせる存在として自分はここにいるんだ、みたいな。でも、気がついたら怒りの対象になっていて……。 もっと科学的にサボりの大切さが研究されないとダメなのかな。海外の権威に言ってほしいですね、「ストレスは作業効率を低下させるから、会社には仮眠スペースを設けなさい。夕日がきれいだったらみんなで眺めなさい」って。 ──みんながスズキさんの本を読めば、少しは風向きも変わるような気がします。 スズキ そうなったらうれしいですね。大げさに言えば、世の中がせわしなく息苦しくなっていくなかで、逆サイドのゆるみ側に人を引きずるような仕事をしている気持ちもなくはないんです。本当に微力ではありますが、パリッコさんみたいな仲間と一緒にせめてもの抵抗をしている気がします。 ──「酒の穴」は政治団体だったのかもしれない(笑)。 スズキ タバコもそうですけど、お酒だっていつ自由に飲めなくなるかわかりませんからね。サボりだって禁止になるかもしれない。 ──本当に、今後もサボりを啓蒙していただきたいです。微力ながらこの連載でもお手伝いしていきますので。 スズキ そうですね。サボりの価値を訴えながら、上手にサボる。そういう洗練されたサボり方も提案してきたいと思います。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「仕事も趣味も“収集”をモチベーションにする」宇垣美里のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回お話を伺ったのは、フリーアナウンサー・俳優の宇垣美里さん。ドラマ出演やラジオパーソナリティ、コラムの連載など、さまざまな顔を持つ宇垣さんに、そのスタンスや切り替え方を聞いた。 宇垣美里 うがき・みさと 1991年、兵庫県生まれ。TBSアナウンサーとして数々の番組に出演し、2019年に退社。現在はドラマやラジオ、雑誌、舞台出演のほか、執筆活動も行うなど活躍の幅を広げている。『週刊文春』(文藝春秋)、『女子SPA!』(扶桑社)などでマンガや映画のコラムを連載中。著書に『今日もマンガを読んでいる』(文藝春秋)、フォトエッセイ『風をたべる』(集英社)など。 ラジオは自分の思いを話すことができる場所 ──現在はさまざまな分野で活躍されていますが、やはりTBSでアナウンサーをされていた経験が、活動の土台になっているところはあるのでしょうか。 宇垣 そうですね。中でもTBSにはラジオがあったので、ラジオで自分の思っていることや人におすすめしたいことなどをしゃべってきた経験は大きいです。こうしたインタビューでもなんでも、振られた質問やテーマに対してすぐに返すという反射神経は、TBS時代に鍛えられました。 また、何か心に残るものがあったら、それについてどうしゃべろうか考えたり、なぜそれがよかったのか、どこが響いたのか、言語化したりする習慣がついたのも、あのころの経験によるものだと思います。 ──TBSラジオというラジオ局もあることで、アナウンサーのみなさんがテレビとラジオ、両方出演されているのはTBSならではですよね。 宇垣 アナウンサーが自分の思ったことを話す機会は、なかなかないんです。番組にもよりますが、ラジオでは「あなたはどう思ったの?」と聞かれることが多いので、とても幸運だったと思っています。私は比較的早いうちからラジオの仕事につくことができて、すごくありがたかったです。 それに、スタッフさんから「あなたは何か書いてあることを話すよりは、それに対してどう思ったのか話すことのほうが好きなんだね」と言われたこともあり、ラジオは自分に向いているメディアなんだと思うようになりました。アナウンサーとしては、いいことなのかどうかわかりませんが。 ──ラジオでの経験というと、フリーになった現在も曜日パートナーを務められている『アフター6ジャンクション』(※)の存在は大きいのではないでしょうか。 宇垣 本が好きです、映画が好きです、舞台が好きです、マンガが好きですと言っていたら、アトロクというカルチャー・キュレーション番組を担当させていただけたので、好きなことを言い続けるのって、大事だなと思いました。 今ではもう実家みたいな存在です。番組もパーソナリティの宇多丸さんも、私たち曜日パートナーのことをひとりのパーソナリティとして大事にしてくださっていて、「この人が輝くもの、おもしろいと感じるものはなんだろう」と考えてくれるんです。だから、曜日によってカラーが全然違うんですよね。一番自分らしくいられて安心できる、とても大切な番組です。 (※)RHYMESTERの宇多丸がパーソナリティを務めるTBSラジオの生ワイド番組。通称『アトロク』。現在は『アフター6ジャンクション2』として放送中。 ──リスナーも、この番組を通じてパートナーの方々の個性を見出し、親しみを覚えているように感じます。 宇垣 そうですね。ある意味では甘やかされているとも思います。でも、たとえばお酒好きの日比麻音子アナウンサーに『おんな酒場放浪記』(BS-TBS)のお仕事が来るようなことって、なかなかないじゃないですか。知られざるパートナーの一面に光を当ててもらえている。私も番組で発信していたから映画のコメントや本のお仕事をいただけるようになったので、すごくありがたい場所だと思っています。 ──宇多丸さんから影響を受ける部分もありますか。 宇垣 それはもう、こんな大人になりたいと常々思っていて。私より忙しいのに、あまりにもたくさんの映画や本、ゲーム、ライブなどに触れていて、意味がわからないです(笑)。あと、インプットを続けているからこそ、自分の考え方が古びていないか常に懐疑的で、だから「おじさんみたいなことを言う!」と感じることが全然ない。それって奇跡みたいなことだなと思っています。私ですら若い世代の人たちに寄り添えているのか、ずっと自信がないのに。 文章の自分が、一番ウソがない ──最近はコラムやエッセイを書く仕事も多いですよね。書くことには立ち止まったり迷ったりしてしまう場面もあるかと思います。文章を書くことについて、どう思われていますか。 宇垣 もともと記者を志望していたくらい、書くことは好きだったんです。それが巡り巡ってお仕事になり、人に読んでもらって褒めていただけて、本当に運がいいなと思います。話す言葉ってパッションが伝わるぶん、思ってもない言葉が出てきたり、強すぎてしまったりすることもあるじゃないですか。でも、書くことは考えたり見返したりして推敲するし、編集者さんの意見や校閲も入るので、伝えたいことについて「これで勘違いされるなら、もうしょうがないよね」と思えるところまで研ぎ澄ますことができる。だからこそ、一番ウソがない、私自身だなと思います。 ──ご自身の濃度が高い文章を世に出して、人に読まれることについてはどう感じられていますか? 宇垣 エッセイはまた違ってきますが、映画評やマンガ評、書評などでは基本的に作品について書くので、あまり気にしていないかもしれません。ただ、私は作品について学術的に書くことはできないので、なぜ心に刺さったのか、自分を介して書くしかない。そういう意味では自分のことを書いているんですけど、書評なら「頼むからこの本を読んでくれ!」という思いがまずあって、そこから読んでくれた人に刺さったらうれしいという気持ちが大きいですね。 ──「自分」の出し方以外にも、ジャンルによって意識の違いはありますか? 宇垣 メディアによって読み心地は変わるべきだと思っています。たとえば『週刊プレイボーイ』(集英社)で連載しているエッセイなら、読んでいて楽しいリズムや読みやすさにこだわるなど。文章がリズミカルであることを大事にしていて、読み心地のために多少創作することもあります。 人の本を読むときも、文体がすごく気になるんですよ。同じことを書いているのにその人らしい文章になるのは、文体にその人が宿っているからだと思うので、自分の文章でも人の文章でも、そこはすごく意識していますね。 ──文体以外にも、エッセイだと「何に引っかかるか」といった着眼点にも個性が出ると思います。宇垣さんはどんなことが心に残りやすいと思いますか。 宇垣 プレイボーイは毎週締め切りがあるので、ネタになると思ったものはすぐに書いちゃうんですよね。ただ、心惹かれたエンタメについては、観ている人と観ていない人がいるので、よっぽど好きでない限りはあまり扱わないです。なので、人が「あるある」と思ってくれるような日常の些細な出来事や、「私だけじゃなかったんだ」と思ってもらえるような自分のダメな瞬間などを書くようにしています。 ──なんだか毎週エピソードトークを用意しているラジオパーソナリティみたいですね。やっぱり締め切りの数日前からソワソワしたりするものなのでしょうか。 宇垣 いや、だいたい締め切りの日になって「書くことなーい!」と絶望することがほとんどです。だから、前回の原稿を書くまでに時間がかかりすぎたときは、その翌週に先週いかにダラダラしていたか書いたりすることもあります。あとは、自分のめんどくさい部分について、心に引っかかったことだけメモしておいて書くこともありますね。たとえば初めて会った人に「どういう性格なんですか?」と聞かれて、どういう性格かひと言で答える人ってちょっとヤバくないか、と思ってしまったこととか。 けっこうメモ魔で、3年日記っていう、1ページが3年分に分かれている日記もずっと続けています。1年前、2年前に書いたことと見比べられるので、「うわ、1年前と同じこと言ってる」みたいな発見でエッセイが1本書けるんですよ。 自分の中の引き出しを埋めていきたい ──宇垣さんはラジオや執筆活動以外にも幅広く活躍されていますが、仕事ごとに求められる役割について、どのように向き合っているのでしょうか。 宇垣 特にテレビのバラエティなどはある種のキャラクターを求められることもありますが、それはお仕事としてできるだけ応えるようにしています。ただ、自分の中から出てこないもの、自分の倫理や思想に反するものはできないので、そこは厳しくジャッジしていますね。5センチぐらい思っていることを30センチにすることはできますが、0から5センチにしてしまったらウソになるので自分が悲しくなるし、責任も取れないです。 ──たしかに、宇垣さんは自分なりの倫理観を大事にされている印象があります。では、そういった求められることと資質がマッチしていると感じる仕事や、自分からやってみたいと思う仕事はありますか。 宇垣 私は表現することがすごく好きなので、書くことでも、しゃべることでも、番組に出ることでも、演じることでも、その媒体に合わせて自分が出したいものを表現するのが向いているなと思っています。 あとは、自分の中の空いている引き出しを埋めるのが好きで、やったことのないことをクリアしていくと、すごく豊かな気持ちになります。ちょっと収集癖に近くて、やったことのないことはなんでもチャレンジしてみたいし、食べたことのないものも食べたいし、行ったことのないところに行きたい。それが自分の原動力になっていますね。 ──珍しい引き出しを埋めた経験としては、どんなものがありますか? 宇垣 演技のお仕事も、最初は空いていた引き出しのひとつで。バラエティ番組のようなある瞬間に集合してパッと解散するような現場と違って、ドラマや舞台は長いスパンをかけてみんなで作り上げていく。チームとしてひとつの作品を作り上げていくという経験は新鮮でしたし、自分はそういうことが好きなんだという発見がありました。 ──では、今後埋めてみたい引き出しは? 宇垣 作る側ですね。映画やドラマの監督、小説家といった0から1を生み出す仕事にすごくリスペクトがあるからこそ、そんなに簡単にできるものではないだろう、と自分の中でハードルが上がってしまうのですが。 ──勝手ながら、小説はすごくイメージできる気がします。 宇垣 短編を書いたことはありますが、自分の中に蓄積がありすぎて、何をやってもダメだと思ってしまいそうなんですよ。自分の中にいろんな方の影響を感じてしまったり、すでに書かれているなと思ったり、そこをどうやって乗り越えていくかですね。あとは、虚実を織り交ぜるエッセイから、小説というウソへの一歩が踏み出せるかどうか。そのあたりはまだわかりませんね。 仕事としても、サボりとしても、本を読む ──原稿の締め切り前についダラけてしまうとおっしゃっていましたが、サボりグセはあると思いますか? 宇垣 ありますね。お仕事する時間はできるだけ短く巻いていくのが好きなんですけど、書くことだけはやる気スイッチ頼みすぎるっていう。結局、締め切りの日にため息をつきながら構成用のノートを広げることが多いです。 そこからまずノートに書きたいことを並べて、書く順番をつけていくんですけど、それができたところで一回「終わった〜」と思ってしまうんですね。それでダラダラしたり、本やマンガを読んだりして、日付が変わってから「うわーっ!!」と慌ててパソコンを開くこともよくあります。それもまた終わりが見えてくるとできた気になって、紅茶を淹れようとしたまま紅茶の並びを入れ替え始めたり……。 ──テスト前の学生みたいですね(笑)。よくわかります。本を読むような腰を据えたサボり方はなかなかできませんが。 宇垣 映画は受動的に観るので、家だとどうしても気が散ってしまう。でも、本は自分で目を動かしながら能動的に読むので、その労力によってムダな力がそがれるというか、無心になって作品に集中できるんですよ。違う世界にダイブしているような感覚ですね。 ただ、ちゃんとお仕事に関係のある本を読んではいるんですよ。エッセイの参考に人の作品を読んでみるとか、書評を書こうとして著者の昔の作品も読んでみるとか、帯コメントを依頼されている作品を読み返すとか、今読む必要があるかどうかは別として、読む理由はあるんです。 ──読書が仕事であり趣味でもあるから、読み分けることがリフレッシュにもなるんですね。 宇垣 そうですね。単に集中力がないだけかもしれませんが、ずっとパソコンの画面をにらみつけているくらいなら、気持ちを切り替えてほかのことをやっちゃったほうがいいような気もして。それに、「いつか絶対に原稿はできる」という自分に対する謎の自信と信頼があるんです(笑)。それが「今日中にやる」から「寝るまでにやる」、「編集者さんが起きるまでにやる」に変わっていったとしても。 ──では、読書以外で、もっとシンプルに息抜きや楽しみになっているものはありますか? 宇垣 1日休みがあれば日帰りで広島に行ったりするくらい旅行も好きなんですけど、最近ハマっているのは、シルバニアファミリーを集めることです。コンビニで売っているのを見て「かわいいな」と買ってしまったのが沼の入口で、ポップアップストアや専門店にまで行くようになりました。 シマエナガの服を着ているアザラシの赤ちゃんとかがいるんですよ。そんなかわいくて平和な世界を眺めてニコニコしています。あとは、ダム。ダムを見に行って、ダムカードを集めるのが好きです。 ──ダムカード? 宇垣 ダムに行くと、そのダムの写真や歴史、情報が載ったカードがもらえるんですよ。大きな人工建造物がすごく好きな上に、収集癖も満たされるところがいいですね。ダムを見ているうちにだんだん解像度が上がってきて、形状や仕組みの違いが見分けられるようになってきました。この前、ついにダムのお仕事もいただいて、またひとつ好きと言っていたものが仕事につながり、ダムカードまでもらえてうれしかったです。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「その時々の感じで生きているのが失敗につながって、その失敗がまた気持ちの揺れ、ひいては言葉や文になる」小原晩のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 エッセイ集『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を自費出版するや、各方面から反響を呼び、注目の作家となった小原晩さん。そんな小原さんが語る、執筆のきっかけや心が動く瞬間、豪快なサボり方。 小原 晩 おばら・ばん 1996年、東京都生まれ。作家。2022年、デビュー作となるエッセイ集『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を自費出版する。2023年、商業出版として『これが生活なのかしらん』(大和書房)を発売。2024年には、『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』が実業之日本社より商業出版される。現在は、多数の媒体でエッセイや小説を連載中。 何もわからず作った本が、1万部のヒットに ──そもそもは、なぜエッセイを書いてみようと思ったんですか? 小原 エッセイをよく読んでいたから、自然とそうなりました。ただ、もともと文学少女みたいな感じだったわけではないんです。18歳で就職して、すごく忙しくしている間に、中学生のころから好きだったピースの又吉直樹さんが芥川賞作家になっていたんです。19歳くらいのころ、仕事を辞めてフラフラしていたときに、下北沢のヴィレッジヴァンガードで又吉さんの作品や好きな本が特集されている「又吉直樹の本棚」を見つけて、『東京百景』(KADOKAWA)というエッセイ集を手に取ったんです。それがもうすごくおもしろくて、又吉さんのほかの作品や、又吉さんが好きだと言っている本などを読むようになり、読書が好きになっていきました。 ──とはいえ、文章を書き始めるのも、書き切るのも簡単ではないと思うのですが。 小原 自分で書いてみて、書くことの難しさを感じたし、改めて今まで読んできた作家さんのことを尊敬しました。でも同時に、自分で書いたり、人の作品を読み返したりすることで、「こういう構成になってたんだ」とか、「こういう仕組みがおもしろさにつながるんだ」とか、いろいろ気づくようになったんです。そうすると、書くことも、読むことも、どんどんおもしろくなって。 ──そこからいきなりデビュー作の『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を自費出版で作ろうと思ったのは、なぜでしょうか。 小原 それも仕事をせずに貯金を切り崩しながらフラフラしていたころなんですけど、あと1〜2カ月で貯金もなくなるとなったときに、「最後にやり残したことをやろう」という気持ちになって。自費出版が「リトルプレス」と呼ばれていて、自分で本が作れることは知っていたので調べてみたら、200部の本を5万円で作れることがわかったんです。それで、本を作ることにしました。 ──そうなると、書くこと以外も自分でやらなきゃいけないわけですよね。 小原 そうですね。デザイナーの友達なんていなかったので、表紙の絵だけ絵描きの方にお願いして、あとは自分でわけもわからないまま作っていました。結局、本文の字がすごく小さかったり、失敗もたくさんありました。 ──そこからは、自費出版本を扱ってくれる書店などに売り込んでいったと。 小原 はい。できる限りお客さんとして足を運んで、「自分の本が合うかな?」とか、「置かれるならここかな?」とか考えながら見て回りました。それから、置いていただきたい本屋さんに見本をお送りしていいかメールしていきました。 ──反響を実感するようになったのは、どんなタイミングだったのでしょうか。 小原 独立系書店を中心に、本が売り切れて再入荷するようなことが何回かあったんです。たぶん、独立系書店と呼ばれる本屋さんには、店主の目利きを信用しているお客さんたちがいるので、そういう方々が買ってくれたりするようになったんだと思っています。最初は200部だったのが、たしか1年で5000部ぐらいまでいって、たまたま本を買ってくださったダウ90000の蓮見翔さんに、テレビプロデューサーの佐久間宣行さんのYouTubeで紹介していただいたことで、1万部くらいになりました。 最悪な思い出も、一歩引いたら喜劇になる ──1万部も売り上げたことで、『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』の商業出版のお話が持ち上がったのでしょうか。 小原 いえ、発売して半年くらいでお話はいただいていたんですけど、別の作品を出版する話が進んでいたので、一度待ってもらっていました。でも、そうしている間に1万部に達して、全部自分でサインして発送していたので、もう無理だとなってしまって。 ──全部にサインしていたんですか!? 小原 9000部くらいまではサインしていました。だから本当に大変で……。お仕事の話もたくさんいただくようになったのに、書く時間が取れなくなったのもあって、急いで商業出版のお話を進めていただきました。 ──状況が一気に変わって、とにかく大変だったと思いますが、たくさんの方に読んでもらったことで、うれしい反応や意外な発見などはありましたか? 小原 編集者の方に言っていただいたことなんですが、「人生は寄りで見ると悲劇だが、引きで見れば喜劇である」という言葉があるじゃないですか。でも、「小原さんの場合は、寄りで見ても喜劇だ」と言ってくださって、なるほど、うれしいな、と思いました。 ──たしかに、深刻になってもおかしくない場面でも、そう感じさせないところがある気がします。ご自身でも意識されていた部分はあるのでしょうか。 小原 特にエッセイに関してはそうですね。エッセイは基本的に自分語りではあるんですけど、だからこそ自分の人生や生活をどう表現するのかを大切にしています。つらかった過去をつらい気持ちのまま書いても、自分の文章ではあまり魅力的にならなかったので、もう少しトーンを意識してみよう、という感じというか。 ──結果としてそれが作風につながっているわけですね。自分の人生を表現するという点では、美容師時代や家族、恋愛について書かれていますが、そこに抵抗などはなかったのでしょうか。 小原 書くこと自体への抵抗はあまりなかったです。『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を書いたときは、それこそ又吉さんの『東京百景』が頭にあって、「東京の生活」をテーマにしていました。ただ、同じようにある場所に付随する思い出を書くのはどうかと思いましたし、又吉さんのように書けるわけでもないので、自分が一番おもしろくなるように書いていこうと考えた結果、自分なりの「東京」をふくらませた感じですね。 ──では、書きながら過去と向き合うなかで、感じたことなどはありますか? 小原 書き始めはものすごくつらいんですよ。「自分の過去って最悪だ」「なんて自分は浅はかな人間なんだ」「どうして人を傷つけるようなことをしたんだろう」「なんだその謎の自信は!」「自分にはおもしろいところはひとつもない」とか考えて、最悪な気持ちになります。そこからあきらめがついて、「自分はつまらない人間だ」と開き直るゾーンに入ってやっと書き始めるんです。 ──一つひとつは苦い思い出として存在しているんですね。 小原 よく明るい人間だと思われて、「こんなふうに生きられたらいいな」と言ってもらえることもあるんですけど、それは、書くことで、過去を捉え直しているからかもしれません。ズタズタになった思い出でも、人には笑いながら話せたりするじゃないですか。悩みを話し始めたはずなのに、なんか話してたら笑ってもらえて、そしたら自分も笑えてくる。そういう感覚に近い気がします。 純粋さがエッセイの素材を引き寄せる? ──エッセイの中には、日常におけるちょっとした出来事を描いた作品などもありますが、気になったことはずっと心に残って記憶されていたりするのでしょうか。 小原 最近はメモを取ったりするようにもなりましたが、最初の作品を書いたときは、思い出のある場所に実際に行ったり、聴いていた音楽を聴き直したりして、当時の出来事を思い出していきました。基本的には、日常のディテールに興味があって、そういうことばかり覚えています。逆に、友達とディズニーランドに行ったことはすっかり忘れていたりするので、非日常にはあんまり興味がないのかもしれないです。 ──ディズニーランドの思い出を忘れちゃうんですか? 小原 写真を見せられても、何も思い出せないくらい。でもやっぱり、どうでもいいことは覚えてるんです。この前、ひとりでお蕎麦屋さんに行ったときに、そこにいたおばあちゃんが「八海山ひとつください」ってお酒を注文したら、一緒にいたおじいちゃんが「“八海さん”じゃなくて、“八海山”ね」って言ったんです。「そんなの知ってるわよ」ってみんなで笑ってるんですけど、何がおもしろいのかさっぱりわからない。でも、なんか「それでいいんだよな」っていう気持ちになって。そういうことのほうが心に残って覚えてるんですよね。 ──それはまさにエッセイ的なアンテナが日常的に張られているのかもしれないですね。同時に、小原さんはちょっと変な人に遭遇したり、おかしなことに巻き込まれたりする頻度も高いように感じるのですが、そういうものを引き寄せてしまうところはあると思いますか? 小原 自分ではあまり思わないですね。自分の人生で起こることは、自分にとっては普通のことなので。ただ、(歌人/エッセイストの)穂村弘さんとトークイベントでご一緒したときに、「純粋な人間ほど、イヤな目に遭ったり、変わった人を惹きつけたりするんだ」みたいなことを言ってくださって、「純粋だったのかな」って思うようになりました(笑)。 ──純粋な人だからこそ、ちょっと無防備だったり、人との距離感が独特だったりするのかなと思うと、納得できる気がします。 小原 純粋なんて、そんないいものだったらいいんですけどね。自分では最悪な人間だと思っているので……。 眠くなったら寝る。何時でも、何時間でも ──失礼なのですが、小原さんにはサボりのネタもあるような気がしています。性格的にサボりがちだなと思うようなところはありますか? 小原 基本はサボってますね。今はサボっている時間も創作の時間といえるので、「ぼーっとすることも大事だから」と自分に言い訳することもありますし。でも、生活と創作が密接なところにあると、線引きが難しくなってきますよね。 ──そんななかでもダメなサボりだと思うのは、どんなことでしょうか。 小原 一番イヤなのは、短い動画ばっかり観てしまうとき。YouTubeでもInstagramでもXでも、短い動画がずっと出てくるシステムになってるじゃないですか。興味もないのにずっと観ちゃったりするので、あのサボりだけは自分の中で悪ですね。世の中からなくなればいいなと思ってます。 ──では、よしとするのはどんなサボりですか? 小原 飲みに行って本を読んだり、散歩に出たり、スーパー銭湯に行ったり、買い物に出かけたりすることですかね。出先で作業しようという気持ちもあるので、一応パソコンも持っていきます。結局開くことなく、焦りだけを残して帰ってくるんですけど(笑)。 ──あるあるですよね、わかります。より後悔のない積極的なサボりとして、リフレッシュに近い気持ちでやることはありますか? 小原 昼寝です。眠くなったら寝る。何時でも、何時間でも、3度でも4度でも寝る。夜眠れなくなっても構わない。 ──カッコいい。バッチリ5時間ぐらい寝ちゃうこともあるんですか。 小原 全然あります。起きたら外が真っ暗で、「ふふふ、こんなことになっちゃった」と思います。 ──睡眠のサイクルがぐちゃぐちゃになりそうですが……そういった世のことわりも気にしない。 小原 そうですね。特に夏の昼間は、たまったもんじゃないぐらい暑いじゃないですか。だから、昼間に起きていても仕方がないっていう気持ちがあって。基本的に夕日が落ちるころに起きて、また朝日が出たときに眠る生活になります。昼間に連絡がつかなくなるのは申し訳ないと思うんですけど。 ──自分では怖くてできそうにありませんが、ちょっと理にかなっているような気もします。なにより自由な感じがしますね。 小原 でも、ルーティンには憧れてるんですよ。モーニングルーティンなんて、めちゃくちゃ憧れてますから。やっぱり「何時に起きて何時に寝る」って徹底したほうがいいんでしょうけど、ただ、その時々の感じで生きているのが失敗につながって、その失敗がまた気持ちの揺れ、ひいては言葉や文になるとも思ってるんですよね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~
人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など──漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記
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4年ごとに人類が抱く夢、映像美を追求したスポーツの記録──市川崑『東京オリンピック』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 1964年8月21日、ギリシャ・オリンポスの丘で点火されたオリンピックの火は日本へ向かった。 『東京オリンピック』は、1965年3月に公開された1964年の東京オリンピックの公式記録映画である。監督は『ビルマの竪琴』(1956年)や『炎上』(1958年)などで知られる鬼才・市川崑。 東京オリンピックの公式記録映画でありながら市川の「単なる記録映画にはしたくない」という理念のもと作られた本作は、「芸術か? 記録か?」と政治問題にまで発展する議論を巻き起こし、国内動員2000万人超えの大ヒットを記録し、数々の映画賞を受賞した。 本作の特徴はなんといってもその映像美、芸術性にあると思う。スポーツの祭典であるオリンピックの記録映画でありながら、冒頭の真っ赤な太陽の画など、抽象的なショットがたびたび映し出される。 「とにかく、単なる記録映画にはしたくなかったですね。自分の意思とかイメージというものを重く見て、つまり創造力を発揮して、真実なるものを捉えたい、と。」 (「公益財団法人日本オリンピック委員会」インタビューより引用) 市川は本作の制作にあたり、記録映画であるにもかかわらず緻密なシナリオを制作し、スタッフには絵コンテを描いて説明するなど、演出に強くこだわったという。100台以上のカメラ、200本以上のレンズ。世界で初めての2000ミリの望遠レンズまでも使用された。それらを用いて撮影された映像は、選手の肉体美のみならず、内面までも映し出す。 (C)フォート・キシモト 選手の強張った表情が、額を流れる汗が、彼らがオリンピックというものに向ける大きな感情を如実に表現する。 そして市川らのカメラが捉える対象は、選手だけに留まらない。 ケガをした選手を運ぶ救護班。 グラウンドの整備をするスタッフ。 思わず競技に見入ってしまう審判。 休憩中、競技が始まって、思わず仲間たちと顔を見合わせニヤリと笑う警備員たち。 アメリカ人選手とドイツ人選手による一騎打ちとなった棒高跳びのシーンでは、各国の応援をする観客たちのリアルな表情が対比するように映される。 太ったおじさんの二重あごのアップ……ではなく、息を呑む観客の喉元が、こだわり抜かれた映像技術で映し出される。 彼らもまた、東京オリンピックの参加者のひとりである。 また、本作では、ハードル走のシーンで選手が先行しているかわかりづらいであろう真正面からの画角を採用するなど、スポーツ観戦としての正確性より芸術性を重視した挑戦的なカメラワークを採用している。そのため、映像作品としても非常に完成度が高い。 監督である市川は、もともとスポーツというものにはそれほどの関心がなく、本作の総監督の打診もそのことを理由に一度保留にしていたほどだ。そして、自身がスポーツに疎いからこそ「スポーツファンだけの映画にしない」とスタッフ全員に徹底して伝えたという。 市川はスポーツに対し、たとえばその勝敗などよりも、そこに関わっている人間たちのドラマや心の機微に関心があったのだろう。 そのため本作は記録映画としては不十分ではないかという批評を受けることがある。冒頭でも述べたように、当時は「芸術か? 記録か?」と政治問題にまで発展する議論が巻き起こった。試写会で本作を鑑みたオリンピック担当大臣(当時)の河野一郎は、「記録性を無視したひどい映画」と本作を激しく批判し、文部大臣(当時)の愛知揆一もまたこれに同調した。 しかし翌年1965年、『東京オリンピック』が劇場公開されると当時の興行記録を塗り替える大ヒットとなった。 「オリンピックは人類の持っている夢のあらわれである」 冒頭の字幕だ。 本作は、オリンピックのために解体される東京の街を映したシーンから始まる。聖火リレーのシーンで映されるのは沖縄の「ひめゆりの塔」、広島の「原爆ドーム」。市川はのちに「どうしても広島の原爆ドームからスタートさせたかったんです」と語る。 1945年8月6日、市川の母を含む家族8人全員が広島に住んでおり、被爆している。当時東京で暮らしていた市川も原爆投下から数日後に広島へ向かい、その凄惨さを目の当たりにしていた。 オリンピックの理念のひとつに世界平和がある。のちのインタビューで市川はこの世界平和という部分に着目してシナリオを制作したと語っている。 東京オリンピックには、実は1940年にも一度開催が予定されていたが日中戦争の勃発などにより幻となったという経緯がある。戦後復興と高度経済成長を世界にアピールしたい日本にとって、1964年の東京オリンピックは絶好の機会であった。 本作は 「人類は4年ごとに夢をみる この創られた平和を夢で終わらせていいのであろうか」 という言葉で締めくくられる。 森達也をはじめ、さまざまなドキュメンタリー監督がドキュメンタリーにおいて作り手の視点は重要である、という趣旨の発言をしている。ドキュメンタリーとは事実の記録に基づいた作品のことであり、一般的に「意図を含まぬ事実の描写」であると認識されることが多いが、それを撮影、編集し作品として仕上げている以上、制作者の意図や思想、視点が入り込むことになる。 私はドキュメンタリーのおもしろさはこの制作者の視点にあると思っている。制作陣がどういう感情を持ってその対象を観測していたかの記録であり、そしてその視点を我々視聴者が追体験できるという意味で、ドキュメンタリーは非常に価値のあるものだと感じている。 自分がいつかスポーツマンガを描くのなら、私はこういった制作者の視点が、制作者が何に魅力を感じているのかが如実に伝わるような作品が作りたい。 本作はそう強く思える、市川の視点が十二分に込められた素晴らしいスポーツドキュメンタリーだ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本を発売。2025年1月から、『週刊SPA!』(扶桑社)にて『トムライガール冥衣』(原作:角由紀子)の新連載がスタートしている。 『東京オリンピック』 Blu-ray&DVD発売中 発売・販売元:東宝 (C)公益財団法人 日本オリンピック委員会
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俳優・東出昌大が導く「生きている意味」
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 「あいつ、鉄砲の免許持ってて狩猟してるんだよ」 サバイバル登山家・服部文祥の言葉からすべては始まった。 『WILL』は映像作家・エリザベス宮地によるドキュメンタリー映画で、俳優・東出昌大の狩猟生活を追った作品だ。 東出昌大は映画『桐島、部活やめるってよ』(2012年)での俳優デビューから数々の映画やドラマに出演するなど人気の俳優だ。個人的な話になるが、私は東出が将棋棋士・羽生善治を演じた映画『聖の青春』(2016年)をきっかけに、最近では『Winny』(2023年)や『福田村事件』(2023年)などの東出の出演作を観ては彼の魅力に感嘆するいち映画ファン、東出ファンである。彼は世間的に見ると常軌を逸したような、独特な人間を演じるのがうまい。 しかし一般的にはやはり東出といえば、2020年の離婚騒動をはじめとしたスキャンダルのイメージが強いだろう。その後、「山ごもり」が報道され賛否両論となっていたころ、東出は2023年11月放送のABEMAのバラエティ番組『チャンスの時間』に出演した。映画に出演している姿以外ほとんど彼について知らなかった私は、そのあきらめきったような厭世的な様子に少しだけ衝撃を受けた。騒動の印象と端正な顔立ちから、いわゆるチャラい、器用なタイプかと想像していたが、なんとも生きづらそうな人だ、と思った。 俳優・東出昌大はなぜ狩りをするのか。 「カメラ回してもらっても、たぶん僕500時間ぐらい一緒にいないとわからないから」 「カメラ前で主張したいこととかもないし……」 実は本企画は、一度頓挫している。事務所の許可が降りなかったのだ。しかしその半年後、宮地のもとに東出から連絡が届く。2021年10月、再びのスキャンダルにより事務所を離れることになったという。事務所NGがなくなったことで本企画は再び動き出し、宮地は狩りをする東出にカメラを向けることになる。 (C)2024 SPACE SHOWER FILMS 東出は狩猟について「悪」であると語る。 「混沌とすることが、常にまとわりついていて、でも、近くに命があるから……考え続けるし……」 なぜ自身が「悪」と定義する狩猟を、つらい思いを抱えながらも続けるのかと尋ねられた東出はたどたどしく答え、頭を抱える。東出は何に葛藤し、何に悩んでいるのか。きっと自分でもわかっていないのだろう。わからないから狩猟をしているのだろう。東出にとって狩猟は、自身(人間)の根源的な罪を心に刻む、ゆるやかな自傷行為なのかもしれない。 「忙しい中でよくわかんないコンビニ飯食って感謝もしないよか、呪われてるっていう実感持ちながら、そこに張り合い持ってアレの分も……って思ってもらったほうが……とかなんのかな。わからん」 東出から紡ぎ出される言葉はいつも正直で真摯だ。 私は大阪府貝塚市の精肉店を迫ったドキュメンタリー映画『ある精肉店のはなし』(2013年)を見たことをきっかけに、狩猟や屠殺(とさつ)について興味を持ち、関連のドキュメンタリー映画や書籍を読み漁っていたことがある。そうしていわゆる「食育」について学んでいると、「命をいただいている自覚を持って感謝して生きる」といった結論にたどり着くことが多い。それはもちろん間違いではないし、人間として生きていく以上そうして合理化するしかない。だが、屠殺の職に就いているわけでもない「忙しい中でよくわかんないコンビニ飯を食っている」自分にとってその結論は本当に実感を持った正しいものなのだろうかと思う。 もっとわかりやすくいうと、ものすごく耳障りがいい「命への感謝」という概念に違和感があった(これは私が普段食に対して命を実感する生活をしていないことに起因しているため、その結論を出している人たちを批判するものではない)。 東出は自身の銃で鹿を仕留めたとき、ひと言「うぃ〜」と言った。ドキュメンタリーのカメラが回っているにもかかわらず、俳優という世間からわざわざボロを探して叩かれるような人生を送っているにもかかわらず、だ。東出はこのことを振り返って、なんて軽薄なんだと思ったけど、すごくうれしかったから、と語る。こういう素直さは東出の魅力のひとつだ。 作中全編を通して感じることだが、改めて、東出は人間離れした男前である。189cmの長身に、考えられないくらい小さな頭。目鼻立ちもハッキリしており、端正。誰がどう見ても男前なのだ……一般人として生きていけないくらいに。猟友会の中にいる東出は正直、イケメンすぎて浮いている。作中でも狩猟仲間から親戚を紹介され「芸能人」として求められることに苦悩するシーンが映されている。 (C)2024 SPACE SHOWER FILMS スキャンダルや本作中での言動を考えると、東出は本来「芸能人」に向いている性質ではないのだろうと思う。実際、最初はバイト感覚でモデルの仕事をしていたという。だが東出の生まれ持った圧倒的なオーラは、彼が一般人になることを許さない。そして、そのことに葛藤し、もがき苦しんだ東出はよりいっそう俳優として唯一無二な魅力的な存在になっていく。俳優という職業は人生経験が糧になる。彼にしか演じられない役柄が存在する限り、東出は映画界から求められ続けるだろう。 東出は『世界の果てに、ひろゆき置いてきた』(2023年/ABEMA)の仕掛け人である高橋弘樹プロデューサーとの対談で、俳優の仕事について次のように語る。 「僕の場合は(高橋さんと違って)人が用意した台本でやる。たしかにそれはあるんですけど、“僕の35年の人生があって台本をどう読むか”だから。そこに僕のオリジナリティがまた生まれるんです」 「でも役者の仕事はめちゃくちゃ疲弊するんです。磨耗する、削られる。ちょっと休むとまた欲が出るんです。(中略)また身を粉にするように削られるようにやりながら挑戦したいという欲が生まれる」 2022年、東出が出演する映画作品『福田村事件』の撮影が始まる。監督は、『A』(1998年)、『A2』(2001年)、『FAKE』(2016年)など数々のドキュメンタリー作品でも有名な、森達也だ。東出はオファーを受ける前から森の作品のファンだったという。正義や悪や人間は簡単なものじゃない、虐待事件を起こした側にも家族があり愛がある──そういった森の作品に共感し出演を決めたという。私自身も森の作品には感銘を受け、トークショーにも足を運ぶようなドキュメンタリーファンのひとりだ。東出のこの感覚には非常に共感する。 私は普段はマンガの仕事をしているが、時々、自分には作品を発表する素質がないような気がして何も書けなくなってしまうことがある。なにも自分や自分の作り出したキャラクターの価値観が絶対的に正しいだなんて思っていない。何が正しいことなのかを悩みながら、悩んでいるからこそ生きているし、物を作っている。しかし世間が見るのは「完成品」であり「商品」である。当たり前に自分が作ったものが倫理的に正しくないと指摘されることがある。私の作品を見ることで不快になった(=不幸になった)と言われることがある。これ自体は物を作って発表している以上、仕方のないことだ。折り合いをつけていくしかない。 ただ、私はそういう正しくなさも含めて人間(キャラクター)であり、愛らしさであり、それが滲み出ているものが、それを丸ごと抱きしめてあげたくなるようなものが愛しい作品であると思っている。自分はそういった「抱きしめてあげたいような気持ち」に出会うために生きているような気がする。 調子がいいときはそう思えているのだが、物作りをしているとどうしようもない不安に駆られる瞬間がある。自分の考える「愛らしさ」は世間にとって害であり、自分が物を作り自分の価値観を訴えることは多くの人を不快にする行為なのではないか。そうやって価値観を開示したときに人を幸せにできるか否かこそが物作りをすることに必要な素質の有無なのではないか。正直に自分を開示することは世間から愛されるコツだが、開示して出てくるものが世間とズレていたらもうどうしようもないのではないか。 東出は私にとって非常に「愛らしい」存在だ。 東出はきっと、本当に「こういう人」で、それを我々にある程度素直に開示してくれている。何度世間を賑わせて、叩かれて、殺害予告が届いても。 彼の過去のスキャンダルが倫理的に正しかったかというと、うなずくことはもちろんできない。内容はまったく違うが、個人的には本作を観たときの感覚は圡方宏史監督の『ホームレス理事長』(2014年)を観たときに近い。罪は罪だし行為に対して正しいとも思わないけれど、人間が真摯に生きる姿は惹かれるものがある。そして、「自分はやっぱり人間という生き物が好きだな」と思う。 東出は語る。 「──仕事だったり狩猟だったり、人との出会いだったりっていうのを本気でやってると、何か生きててよかったって僕自身思う瞬間もあれば、生きててよかったって(あなたの)おかげで思いましたって言ってくれる人の言葉があったり、生きててよかったとか、どうしようもなく愛おしいっていう気持ちなんだ、とか。それは物に対しても人に対しても作品に対しても。そういうときに、なんか、生きている意味ってあるんだろうな」 さまざまなスキャンダルやバッシングを受け続けた東出の口から、たどたどしい言葉で紡がれる「生きている意味」は必見だ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本を発売。 (C)2024 SPACE SHOWER FILMS 出演:東出昌大 音楽・出演:MOROHA 監督・撮影・編集:エリザベス宮地 プロデューサー:高根順次 製作・配給・宣伝:SPACE SHOWER FILMS
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ファッションが持つ力を信じる、最前線の美しさに込めたメッセージ──関根光才『燃えるドレスを紡いで』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 服を作ることは罪でしょうか? 本作はその疑問に真っ向からぶつかる日本人デザイナーを追った作品だ。 『パリ・オートクチュール・コレクション』。 オートクチュールとは「高級仕立服」という意味のフランス語で、『パリ・オートクチュール・コレクション』は、パリ・クチュール組合に加盟する限られたブランド、または招待されたブランドしか参加できない格式高いコレクションである。 本映画は、同コレクションに日本から唯一参加するブランド「YUIMA NAKAZATO(ユイマ ナカザト)」のデザイナーである中里唯馬に密着したリアル・ファッション・ドキュメンタリーである。 映画『燃えるドレスを紡いで』 唯馬は国内外で活躍する日本のトップデザイナーのひとりだ。ベルギーの名門アントワープ王立芸術アカデミー出身である彼の卒業コレクションは、インターネット上で回り回って世界的ヒップホップグループであるThe Black Eyed Peasのスタイリストの目に留まった。同グループの世界ツアー衣装のデザインを手がけたことをきっかけに、唯馬は対話から服を作っていけるオートクチュールに惹かれていった。 その後、唯馬は2009年に前述のブランド「YUIMA NAKAZATO」を設立。日本人では森英恵以来ふたり目となる『パリ・オートクチュール・コレクション』のゲストデザイナーに選ばれている。そんな輝かしい経験を持ち、ファッション業界の最前線を走る唯馬にはひとつの関心事があった。 「衣服の最終到達地点を見たい」 映画は、唯馬がアフリカ・ケニアへ旅立つシーンから始まる。アフリカ・ケニアのギコンバはメディアを通してしばしば「服の墓場」と表現されることがある。 映画『燃えるドレスを紡いで』 チャリティ団体や回収ボックスに寄付された古着がその後どのような道をたどるかご存じだろうか。昨今ファストファッションの流行などにより先進国での衣類の生産量や購入料は実際に必要とされている分よりも遥かに多いとされる。流行のデザインの安価な服をワンシーズンのみ着用するために購入する、ということも珍しくないだろう。そういった服を善意から、廃棄ではなく前述のような手段で寄付というかたちで手放すこともあるだろう。しかし現実には、回収量が必要量を上回っていたり、質などの問題で再利用できなかったり、ニーズに合っていなかったりと問題が多く、運ばれてくる古着のうちそのまま売り物になるのは20%ほどで、ゴミ同然のものも多いという。 ケニアの街の人々は口々に言った。 「服はじゅうぶんにある。もう作らないでほしい」 そうして弾かれたり売れ残ったりしたゴミ同然の古着は「服の墓場」である集積場に廃棄される。ケニアには焼却炉はない。集積場には生ゴミなども廃棄されており、プラスチックゴミの自然発火も相まって、街に入った瞬間から腐敗臭が立ち込めるという。 色とりどりの衣類等のゴミが地平線まで積み重なり、その中を子供たちが歩く様子は我々が想像すらしたことのないような光景でまさに圧巻。37年間、このゴミ山で暮らしているという女性の姿も映し出される。風でゴミたちが巻き上がる。 唯馬は、服の墓場を見て「美しい」とつぶやいた。 唯馬は『さんデジオリジナル』(山陽新聞)のインタビューでそのときのことを振り返り「不快だという思いもあるんですけど、それだけではない何かがあるな……と」、「適切な言葉が思いつきませんでした」と述べている。この「美しい」という言葉には我々には想像もつかないくらいたくさんの感情が込められているのだろう。 安価な服はポリエステルを主としている上、さまざまな原料が混ぜられているので、そう簡単にリサイクルすることはできない。 新しい服を作ることに魅力を感じ、生業としている唯馬にとってケニアでの光景は大きな葛藤を産むものだった。唯馬は「なぜ自分は服を作るのか」と自問自答した。唯馬の動揺がスクリーン越しに強く伝わってくる。 このとき、すでに次のパリコレクションまでの猶予は2カ月ほどしかなかった。この現実を知り、強い落ち込みを感じているのに、それを無視してまったく別のコレクションを発表することなどできない。 その後、唯馬たちはケニア北部のマルサビット地方を訪れる。マルサビット地方ではひどい干ばつが続いており、家畜が死に、食糧危機にも悩まされていた。そんな場所で唯馬が出会ったのは、羊の皮を縫い合わせた服や色とりどりにビーズを使った装飾品を身につけておしゃれを楽しむ現地の女性たちの姿であった。深刻な食糧危機に悩まされるこの地域でも、人々はおしゃれを楽しんでいたのだ。 映画『燃えるドレスを紡いで』 唯馬は彼女らから人が装うことの根源的な意味を考えるヒントを得て帰国し、パリコレクションに向けての制作に入る。 映画の後半では、帰国からパリコレクションまで約2カ月間の奮闘が描かれている。ケニアで売られていた古着の塊を持ち帰った唯馬は、さまざまなハプニング──SDGsとも関係のないものも含めた本当にさまざまなハプニングに見舞われながらも、より美しいコレクションを作るために妥協なしで服作りを進める。 この後半の物語によって、本作はSDGsに関する啓蒙映画という枠にとどまらず、むしろ中里唯馬というひとりの人間の生き様を映した映画になっていると思う。 服の過剰生産に対する問題提議を新しい服を作るという方法で行うのは、一歩間違えたら矛盾と捉えかねられない難しい活動だ。実際、唯馬も社内ミーティングで「(パリコレクションのような消費を促すことが目的の場に)関わっている以上、すでに加担してしまっている」、「そういう中で何を言っても、言い訳にしか聞こえないだろう」と言葉にしている場面があった。しかし、唯馬は方向性を固めてからは、ただひたすら美しさに重点を置き、ストイックにそれを追求していく。 唯馬はきっと芸術、特に美しい衣服の持つ力を心の底から信頼しているのだろう。 唯馬は「オートクチュールはF1レースみたいなもの」だという。技術を集結させ最も美しいものを発表する場だ、と。しかしF1レースで培われた技術は10年後には公道を走る車に応用される。かつては男性のものだったパンツスーツが今は女性の装いとして当たり前のものになっているように。最前線で美しいものを発表することが、人々の装いを、そして価値観までを変えることができる、服の持つ美しさにはその力があると信じているのだろう。 趣味程度だが、私は美術館やギャラリーで絵画や現代アートを見ることが好きだ。それらの作品の中には、戦争や政治、環境問題などに対するメッセージや主張が込められたものが多い。そして、それらはただ単純に文字や言葉での主張ではなく、絵画や彫刻などの美しく心が惹かれるようなかたちに昇華されている。 なぜ人は、理路整然とした言葉や理屈ではなく、美しさを通じて何かを主張しようとするのだろうか。その答えは簡単にわかることではないが、パリコレクションという大きな舞台の本番の直前まで美しさにこだわり、追求し、微調整を続ける唯馬を見ていると、我々もまた美しさの持つ可能性を信じずにはいられなくなる。美しさは時に言葉よりも鮮明に、そして強く物事を主張することができる。 映画『燃えるドレスを紡いで』 「デザイナーにはこれだという主張が必要だけど、彼(唯馬)は常に何か言いたいことがあった」 作中で唯馬について述べられていることのひとつだ。 何かどうしても言いたいことがある人が、美しさの持つ力を圧倒的に信じることで、世の中のデザインや芸術というものはでき上がっているのかもしれない。 『燃えるドレスを紡いで』は環境問題やファッション業界について知ることができるのはもちろんのこと、中里唯馬という人間のかっこいい生き様をのぞける貴重な作品だ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月18日、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本が発売予定。 映画『燃えるドレスを紡いで』 出演:中里唯馬 監督:関根光才 プロデューサー:鎌田雄介 撮影監督:アンジェ・ラズ 音楽:立石従寛 編集:井手麻里子 特別協力:セイコーエプソン株式会社 Spiber
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神保町の韓国書籍専門店CHEKCCORIを訪問!経営者・金 承福「行動ひとつが自分を変える」|「林美桜のK-POP沼ガール」マレジュセヨ編
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 林美桜が話を聞きたい“韓国カルチャー仕事人”に突撃取材する「林美桜のK-POP沼ガール・マレジュセヨ編」。 第2弾は、最近K-BOOKがマイブームである林の強い要望で、神保町で韓国語原書書籍・韓国関連本を専門に扱う書店「CHEKCCORI(チェッコリ)」を営む、金 承福(キム・スンボク)さんが登場! 出版社の社長も務める金さんのキャリアにも興味津々。林は、いったいどんな学びを得るのか? CHEKCCORIが作り出す「韓国文学を通じたコミュニティ」 林 美桜(以下、林) 営業時間外にもかかわらずお店を開けていただいて……本当にありがとうございます! まず店内がとても明るい雰囲気で、入った瞬間にとてもワクワクしました。 金 承福(以下、金) こちらこそありがとうございます。CHEKCCORIに来てくれてうれしいです! この場所ができてから、今年で丸10年になるんですよ。 林 10周年、本当にすごい。おめでとうございます。 金 なんだか100年くらいやっているような感覚です(笑)。 林 アハハハ! そのくらい、この場所でいろんなことを経験されているということですよね。そもそも韓国書籍専門店をオープンされた経緯を伺ってもよろしいですか? 金 まず私たちは、2007年に「クオン」という韓国文学を出版する出版社を作ったのですが、以前は今よりも韓国の本を取り扱っている書店はずっと少なかったんです。 韓国語を学び始める人も増えていたので、そういった方々が原文で韓国語の本を読む機会が少ないのは残念にも感じていました。であれば、自分たちで書店を作ってしまおうと思い立ったんです。 林 金さんは、いつから本がお好きだったんですか? 金 子供のころ、母が毎日おもしろいお話を聞かせてくれていたんですね。でもあるとき、それらは母の自作ではなく本から仕入れた物語だということを知った私は、まだ字が読めない年齢にもかかわらず「私も聞くだけじゃなく、本を読んでみたい!」と言って、文字を教えてほしいとせがみました。 林 すごい熱意! お母様はどんなお話をされていたんですか。 金 冒険物語とか、偉人伝が多かったです。そういった物語を通じて、新しい世界に飛び込むことに魅了されたことで本の魅力に目覚め、大きくなってからは詩人を志すようになり、韓国の芸術大学へ進みました。 林 ご自身で詩を書いていたこともあるんですね。そこからどのように、日本で出版社を立ち上げたのでしょうか? 金 当時、韓国の若者の間で留学ブームが起こって。特に私たちの世代にとって日本カルチャーは憧れの対象でした。今、日本の若い方たちが韓国カルチャーに対して抱いている気持ちに近いものだったと思います。 また、そのころは村上春樹や江國香織など、日本文学の注目度が高い時期でもありました。大学の先輩が、吉本ばななの『キッチン』を韓国語に翻訳してくれたノートを、みんなで回し読みしていたこともあったんですよ。それくらい人気があって、本好きとしてはぜひ日本に行かなければと決意し、大学に留学しました。 卒業後は日本の広告代理店に入社したのですが、やはり文学への愛は変わらなかったので出版社を作ろうと。ただ、イチから本を作ることは最初の段階では難しかったから、版権仲介のかたちで事業をスタートさせました。自分たちで新しく本を出すようになったのは、2011年になってからですね。 林 そしてクオンの記念すべき第1弾作品になったのは……。 金 『菜食主義者』(著:ハン・ガン/訳:きむ ふな)です。人間の内面を繊細に描く内容で、国を問わず文学が好きな人なら誰もが入り込んでしまう物語だと思い、一作目に選びました。 ただ、せっかく素晴らしい作品でも、読んでもらえなければそのよさを伝えることができない。最初にお話ししたとおり、当時はどこの書店も韓国文学の棚がない状況でしたから、まずは手に取ってもらえる機会を作ろうと思いました。そこで、私たちだけでなくいろんな出版社が韓国文学を出せるような環境を作る取り組みも始めたんです。 林 日本の韓国文学を取り巻く環境から変えようと。 金 そのとおりです。結果的に、今ではたくさんの韓国文学が日本語に翻訳され、人気を博すようになりました。『菜食主義者』著者のハン・ガンさんも本作で、2016年にアジア人で初めてブッカー国際賞を、そして2024年にはノーベル文学賞を獲得し、世界的に知られる作家となりましたね。 彼女の受賞が発表されるや、たくさんの方がCHEKCCORIへお祝いに駆けつけてくださったときは、「やはりいいものは、ゆっくり時間がかかっても必ず魅力が伝わるんだな」と感じてすごくうれしかったです。 林 今のお話を聞いて、クオンで新たな作品を発信するとともに、CHEKCCORIという場所で、韓国文学を通じて人と人がつながるコミュニティも作られているのだなと感じました。 金 そうですね。ここでは本を売るだけでなく、著者を招いたトークショーや楽器の演奏、映画やドラマの話をするイベントなどを週に2~3回は行っています。人の話を聞ける、そして自分の話もできる場所ですね。 お客様からの寄せ書きもたくさん! 林におすすめ!「シンクン」(=胸キュン)する韓国文学は? 林 最近はどんな本が人気なのですか? 金 K-POPファンの方にも来ていただけるようになったので、推しが読んでいる本が気になって……という声をよく聞きます。そのほか内容については、日本・韓国問わず、癒やしを与えてくれる本が好まれる傾向にあると感じます。林さんも、そういうテーマに関心がありますか? 林 癒やし、求めてますね(笑)。最近31歳になったのですが、働き方やひとりの人間としての生き方について悩むことも増えてきて、漠然とした不安に襲われることもあるんです。 金 それなら、2024年の本屋大賞で翻訳小説部門に輝いた『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』(著:ファン・ボルム/訳:牧野美加/集英社)をオススメしたいです。この本の主人公も、林さんと同じくバリバリ働く女性なのですが、あるとき燃え尽きてしまって「何をすればいいんだろう」という状態になってしまうんです。 そんななかで彼女は、本屋を開くことになる。そこに集う優しい人たちと交流していくうち、心に変化が生まれていくといったストーリーです。大きな出来事は起こらないけど、些細なことがゆっくりと進んでいく様子が描かれています。 林 それは癒やされそう!! すぐにでも読んでみたいです! 金 林さんは韓国語を勉強されているということなので、原書と日本語版を読み比べてみるといいと思いますよ。ここに来ている多くのお客さんもそういう方法で勉強しているし、私自身も日本語を学んでいたときにそのようにしていたんです。 林 なるほど! でも、小説を原書で読めるか不安です……。 金 この本はあまり難しすぎない表現で書かれているから、きっと大丈夫です。それに、先に日本語版で内容をインプットしてから原書を読むと、イメージしやすくなりますよ。「この表現、韓国語だとこうなるんだ!」っていう発見が楽しいですし、読み終えたあと「韓国語の本が読めた」と大きな自信につながるはずです。 林 たしかに、そうやって考えるとなんだかできそうな気がしてくるし、やってみたくなります! そして今感じたのですが、このように、本を前にお話ししながらオススメしていただくって、すごく特別な体験ですね。まさに、先ほど金さんがおっしゃっていた「人の話を聞ける、そして自分の話もできる場所」としての魅力を実感しました。 金 人と話すことで思いがけない本との出会いもありますし、そういった体験をみなさんに提供できればと思っています。ほかにも、興味のあるトピックや読んでみたいジャンルはありますか? 林 やっぱり、キュンとするような恋愛模様が描かれた物語も読みたいです。「胸キュン」って、たしか韓国語で「シンクン(심쿵)」っていうんですよね。 金 そうそう。ただ、うーん……いわれてみると、韓国ってドラマは「シンクン」する作品が多いんですが、意外と小説はそこまで多くないのかも。 林 えっ、そうなんですか! 金 なので、なかなか難しいのですが……『アンダー、サンダー、テンダー』(著:チョン・セラン/訳:吉川凪/クオン)は、私の中で「シンクン」ですね。これも主人公が30代女性なのですが、高校時代の友人の動画を撮り溜めているんです。その中で、青春時代に好きだった人の話も出てきて、それがすごくいい話なんですよ。 林 気になります~! こちらも今日、購入します(笑)。 翻訳者を育成するコンクールも開催! 林 クオンさんとCHEKCCORIさんでは、翻訳者の発掘や育成も行っていらっしゃるんですよね。 金 プロから直接学べる『チェッコリ翻訳スクール』という講座を設けたり、『日本語で読みたい韓国の本 翻訳コンクール』をK-BOOK振興会と開催しています。コンクールの受賞作品は、実際にクオンから出版されるんですよ。 第1回の受賞者である牧野(美加)さんも、今すごく活躍される翻訳者になられていて、先ほどご紹介した『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』の訳も手がけられているんです。 林 デビューまでサポートされているんですね。そうやって翻訳者の方が羽ばたくことで、日本での韓国文学界も豊かになっていく。 金 コンクールの翻訳対象となった作品に『ショウコの微笑』(著:チェ・ウニョン/訳:牧野美加、横本麻矢、小林由紀/クオン)があるのですが、212人の応募作が集まったんですね。 それについて著者のチェ・ウニョンさんが、「韓国語の『ショウコの微笑』はひとつしかない。だけど、日本語の『ショウコの微笑』の物語は212篇もあるんです」とおっしゃっていたことがすごく心に残っています。それこそが翻訳の素晴らしさだなと。 林 とても素敵な言葉……。また、そういった環境を整えられているのも、クオンさんが出版から書店まで行われているからこそだと思います。 金さんが31歳のとき、悩みは多かった? 金 ここまでのことは、とてもできないと最初は思っていましたが、経験を積み重ねていくうちに「自分たちはできるんだ」ということに気づいていって、今に至っています。 林 今日お話を伺って、金さんのバイタリティに感銘を受けました。私自身、今31歳で「何かやらなきゃ」と焦りつつ、頭で考えてばかりで行動に移せないので、すごく刺激になります。金さんも、私の年齢のときは悩むことが多かったですか? 金 もちろんありましたし、今も悩むことはあります。でもそれ以上にやりたいことがいっぱいでしたし、それが必ずしもお金にならないことでも、興味があるからとりあえずやってみるという考え方はずっと変わりません。 今振り返ってみると、その行動一つひとつが今を形作っているような気がしているんですよね。なので、頭で考えることがすべてではないと思います。 それに30歳でも40歳でも、新しいことに挑戦している人はいっぱいいますから、焦る必要はないですよ。そう思えたら、難しく考えずにとりあえずやってみようと感じられるじゃないですか。 林さんはせっかく韓国文学に関心を持って、今日ここへ足を運んでくれたんだから、これをきっかけに何か始めてみてもいいかもしれない。それくらいの気持ちで、まずは行動してみることが重要だと思います。 林 本当にそのとおりですね。韓国文学の発信という分野を開拓されて、人々に一歩踏み出すチャンスも届けている金さんの言葉だからこそ、よりいっそう刺さります。 金 ぜひ私たちと一緒に、何かやりましょう。アナウンサーさんだから、この場所で朗読会をやっていただくとか。すごくピッタリだと思いますよ。 林 うれしい……! 自分では考えてもみないことでしたが、そういったところから世界が広がっていくような予感がします。ぜひ、これからもよろしくお願いします! 韓国版の「指切りげんまん」。ふたりの約束が叶う日も近いかも? 林美桜の取材後記 金さんのお話に没頭した帰り、電車の窓に映った自分の顔が、充実感にあふれていてびっくり。久しぶりに見た表情でした。 それくらい、金さんから元気をいただいたんです。お話しさせていただけばいただくほどに、心が充電されていく新しい感覚でした。 今回の取材を通して、金さんのみなぎるパワーや行動力の源には「韓国文学」があるのではと感じました。 韓国文学にたくさん触れていらっしゃる金さんは、たくさんの世界、考え方をご存じです。 私は何かに行き詰まると、自分の世界だけで完結して限界を迎えてしまいますが、金さんにはその限界がまったくありませんでした。 「これがダメでも、こっちにはもっと楽しいことが!」「あっちもどうかしら?」と、限界突破!な考えがとめどなくあふれてきます。 それも、そのすべてがはつらつとしていて、ワクワクするような!! 「悩んでないでやってみようよ!」と、いくつもの出会ったことのない未来の扉を開いていただきました。 CHEKCCORIは本当に何時間でもいたくなる空間でした。ご紹介いただいた韓国文学を読むのが楽しみです。また新しい世界が見つかりそう! いつか朗読会もさせていただきたいので、韓国語もがんばります! 店舗情報 CHEKCCORI 東京都千代田区神田神保町1-7-3 三光堂ビル3階 https://www.chekccori.tokyo/ 文=菅原史稀 撮影=MANAMI 編集=高橋千里
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古家正亨に50の質問! 座右の銘・モテ期・仲のいい芸能人…プライベートまで大公開|「林美桜のK-POP沼ガール」マレジュセヨ編
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 連載「林美桜のK-POP沼ガール」新シリーズ・マレジュセヨ編の第1回には、多数のK-POP関連ライブやイベントで司会を務める名MC・古家正亨さんが登場しました。 ▼第1回はこちら 名MC・古家正亨に直撃!K-POPスターの魅力を引き出すコツは?|「林美桜のK-POP沼ガール」マレジュセヨ編 司会者ならではのお悩みを古家さんにぶつけ、聞き手は「(相手の話を)聞いて、受け止める」ことが大事だと教わった林。 それを踏まえ、今回は古家さんを「50の質問」でさらに深掘り! まだ誰も知らなかったファン必見のパーソナルな魅力を引き出し、読者に伝えることができるのか? 林 ……ということで、古家さんのファン必見! 50の質問~!!(拍手パチパチ) 古家 そんなにバチバチやらなくても……。 林 いや、せっかく古家さんをお迎えしたので、全力で盛り上げていきたいんです! 私、古家さんのご著書やインタビューはすべてチェックさせていただいているんですけど、「50の質問」はこれまでやってこられなかったんじゃないかと。 古家 そうですね! 「50の質問」って、すごくK-POPのファンミっぽい企画(笑)。 林 イベントへ行くと、古家さんの名前が書かれたうちわを持っているファンの方がたくさんいらっしゃるじゃないですか! 古家さんファンのみなさんに喜んでいただきたくて……。私も普段仕事でご一緒してもなかなかお話しする機会がないので、古家さんの仕事以外の一面などいろいろ気になって、企画させていただきました。 古家 だいたい(うちわの)裏を返すと、本命のスターの、ディテールの細かいデコレーションが(笑)。 林 でも、ステージへ登場してあんなに歓声が上がるMCって、なかなかいないですよ。ということで、はりきって始めてまいりましょう! ■Q1.最近のお気に入りの写真は? 古家 (スマホの画面を見せながら)ロウンさんと一緒に撮っていただいた写真。こうやって俳優さんと写真を撮るときって、もちろんこちらは控えめに写るものなんですが、ロウンさんは親しみを持って一緒に写ってくださって、お人柄のよさが伝わりますよね。 この投稿をInstagramで見る 古家正亨(후루야 마사유키/Furuya Masayuki)(@furuya_masayuki)がシェアした投稿 林 素敵〜! ほっこりする一枚です! 先日ファンミにも行かせていただきましたが、古家さんとロウンさんのケミ、大ファンです。 ■Q2.メガネは何個持っている? 古家 4つをローテーションで使ってます。「あの人、いつも同じメガネだよね」って言われたくなくて(笑)。 林 「このメガネをかけてる古家さんはレア!」というのもあるんですか? 古家 真っ赤なのがあるんですけど、派手すぎてもうつけていませんね。今後も使うかどうかわかりませんが、そんな派手なものをかけ始めたら、何か変化があったと捉えていいと思います。 ■Q3.今日の朝ご飯は? 古家 タッポックンタン(닭볶음탕)。もともとはタットリタン(닭도리탕)と呼ばれていたものです。鶏肉とじゃがいもを使った、からい煮物、鶏肉じゃがのようなものです。 林 おいしそう! 奥様の手作りですか? 古家 僕が作りました。数少ない得意料理なんです。韓国に留学時代、下宿先のおばさんが教えてくれて。おいしくて、わりと手軽にできるので、ぜひ作ってほしいです。 ■Q4.朝のルーティンは? 古家 6時50分に、小学生の息子をバス停まで見送ること。 林 毎朝、送ってらっしゃるんですか? 古家 出張で不在のとき以外は。ただ、基本的に家族と過ごすのが好きなので、出張があっても、できる限り日帰りできるようにお願いしています。だいたい毎朝6時前には起きていますね。 ■Q5.平均睡眠時間は? 古家 4~5時間です。 林 短すぎませんか
古家 もともと朝型なんですけど、僕くらい歳を取ると、これくらい寝れば勝手に目が覚めちゃうんです(笑)。 ■Q6.仕事の必需品は? 古家 イヤモニ(イヤーモニター)とストップウォッチ。イベントのときに耳に入れるイヤフォンは、持参しているものです。今のものはたぶん5代目ぐらいです。自分の耳の形に合うもの、音の合うものでないと、けっこう大変です。 林 それで通訳さんや舞台監督さんの声を聴いているんですね。 古家 そうですね、あとアーティストの声も。ストップウォッチは、ラジオのときに「この曲のイントロは何秒か」とかを事前に計るために欠かせません。 ■Q7.願かけはしますか? 古家 あまりいい記憶がないので、こだわりはないですね。 林 冷静なんですね……。ちなみに私は願かけしまくります(笑)。 ■Q8.自分へのごほうびといえば? 古家 家電! 最近購入したものは……。 林 すごくうれしそうな笑顔!! 古家 バルミューダのホットプレートです! ■Q9.ファッションで意識していることは? 古家 とにかくモノトーンを選ぶこと。MCって目立っちゃいけない存在ですから、意図的にそういう服を着るようにしていますね。 林 たしかに、古家さんといえばモノトーンなイメージがあります。 ■Q10.好きなアーティストは? 古家 いっぱいいるから難しい! K-POP限定ですか? 林 K-POPに限らずで大丈夫です! 古家 (しばらく悩んで)……あえて言うなら「Toy」、つまりユ・ヒヨルさんですかね。僕が初めて出会ったK-POPアーティストだからです。 ■Q11.テンションを上げるときに聴く曲は? 古家 K-POPじゃないけど、大江千里さんの「dear」(1990年)……たぶん初めて言います(笑)。あの曲のBPMが自分の歩くスピードに合っているのと、シンプルなのに、よく聴くとかなり凝った清水信之さんの手がけたアレンジが素晴らしい! 林さんはピンとこないと思うんですけど、僕はEPICソニー世代なんです。今はEpic Records Japanになりましたけど、当時EPICソニーに所属していた大江千里さん、渡辺美里さん、TM NETWORKといったアーティストが一世を風靡していた時代があって。毎月『GB』(音楽雑誌)とか買って、今紹介したアーティストの情報を夢中になって読んでたなぁ。 林 大江千里さん、私の勉強不足で存じ上げなかったです……「マツケンサンバ」みたいな感じですか? 古家 全然違うよ!(笑) もともとシンガーソングライターで、今はジャズピアニストとして名を馳せている方。大好きなんです。 ■Q12.悲しいときに聴く曲は? 古家 LOOKの「シャイニン・オン 君が哀しい」(1985年)。これもEPICソニー発ですね。 林 意外! 韓国の曲ではないんですね。 古家 韓国の曲はもちろん聴くんですが、たとえば寝るときなんかに聴くのはJ-POPか洋楽が多いです。 ■Q13.好きな食べ物は? 古家 カレーライス! 林 辛い派ですか、甘い派ですか。 古家 辛い派ですね。 ■Q14.嫌いな食べ物は? 古家 らっきょうですかね。 ■Q15.テンションが上がる、現場の差し入れは? 古家 たまにあるんですけど、スタバのコーヒーをいただいたときは「ラッキー!」って思いますね(笑)。 ■Q16.初恋はいつ? 古家 保育園の年中です。 林 おお、早い! ■Q17.モテ期はいつ? 古家 2024年! 林 えぇっ!? 古家 仕事に、ですけどね。たぶん、今までで一番仕事量が多かった1年で、月平均20本くらいイベントの司会をやっていましたね。 ■Q18.生まれ変わるなら何になりたい? 古家 (熟考して)……鳥? 古家・林 (爆笑) 林 これは、理由をあまり深く聞かないほうがいいですか? 古家 いや、僕、空を飛びたい願望が昔から強かったんです。子供のとき「鳥になりたいなあ」って思っていたことを、今ふと思い出しました(笑)。 ■Q19.オフの日の過ごし方は? 古家 とにかく家にじっとしていられない性格なので、外に出ちゃうかな。公園とか映画館とか。 林 じゃあ仕事がいっぱいあるのは、苦じゃないんですね。 古家 そうですね。ただ、煮詰まってしまうときはあります。そんなときは、ただ何も考えずに歩くことが自分にとって精神安定剤でもあるから、忙しすぎると、その時間が持てないのがつらいですね。家電量販店にも行けないですし。 ■Q20.どんな子供だった? 古家 先生からめったに怒られない、優等生……だったと思います。 ■Q21.得意だった科目は? 古家 地理と生物が、とにかく大好きでした。 ■Q22.最近一番笑ったことは? 古家 うどんが鼻から出たことかな(笑)。 林 (爆笑) 古家 家で家族と一緒にうどんを食べていたとき、くしゃみしたらスポーン!ってキレイに出て。悲しいことに誰も見てなくて、ひとりで笑っていたら「どうしたの?」ってみんなに言われたので「ううん、大丈夫、なんでもないよ」って。 ■Q23.最近泣いたことは? 古家 映画『ドラえもん のび太の絵世界物語』を息子とふたりで映画館に観に行って、ひとりで号泣していました。息子がそんな僕を見て笑っていましたけど。 林 どんなストーリーに、特に弱いですか? 古家 お父さんが出てきたらヤバい。今回の映画『ドラえもん』でも、パパがいいんですよね。それから、よく観る韓国ドラマに出てくるお父さんって、弱い立場のケースが多いじゃないですか。家族に虐げられている姿を見るだけで涙が……。 ■Q24.特技は? 古家 そろばんです。僕、地元の北海道でそろばんのチャンピオンになったこともあるくらい、4歳から中学生まではガチでやってたんです。 林 すごい。そのスキルが、今も活かされることも? 古家 暗算が速いので、たとえばファンミのゲームコーナーで得点を出すときにもすごく役立っていますね。たまにスタッフやお客さんからビックリされます。 ■Q25.リフレッシュ方法は? 古家 テニスは週1、必ずするようにしています。 ■Q26.自分の性格を言い表すなら? 古家 めちゃめちゃシャイ。 林 見えないです。シャイだとできない仕事じゃないですか? 古家 これがね、だからこそむしろできる仕事なんだと思うんです。小・中学生時代、生徒会の役員をやっていたんですけど、その理由は、強制的に人前で話す機会を、シャイな自分に課したかったから。でもいまだに初対面の人と話すのが苦手ですし、仕事仲間以外の友達も本当に少ない。 林 私も友達、少ないです。シャイなのかも。 古家 そうかな……? ■Q27.好きな映画は? 古家 とにかく『ダイ・ハード』。僕の中では、これを超える映画はまだ出てきていません。 ■Q28.短所は? 古家 自分の意見が言えないこと。 ■Q29.長所は? 古家 どんな人にも合わせられること。 林 納得です。私と一緒にお仕事していただいているのも、古家さんが全部合わせてくださっているからですもん。 古家 (笑)。いやいや、そんなことはないです! ■Q30.自信のある顔の向きは? 古家 ……下? とにかく写真を撮られるのが苦手で、鏡を見るのも嫌なんですよ。自分の外見が好きじゃなくて。 ■Q31.人から言われて救われたことは? 古家 「ありがとう」。 林 今までにいっぱいありますよね。 古家 案外、少ないものですよ。MCって、人のために動いて当たり前の仕事じゃないですか。でもイベントって、危機的状況が頻繁に訪れる。そういうときにうまく対処すると、「ありがとう」と言っていただけて。「がんばってよかったな」と。 ■Q32.好きな韓国ドラマは? 古家 『ミセン-未生-』……うーん、やっぱり『マイ・ディア・ミスター〜私のおじさん〜』! これを超えるドラマは、まだないですね。 林 あれはずっと泣けます。 古家 でもこのドラマは、特におじさんに刺さるストーリーだと思いますよ。 ■Q33.尊敬する人は? 古家 学生時代に卒業文集にも書いたんだけど、スティービー・ワンダー。自分のハンディキャップさえもポジティブに受け止めて、パワーに変えている人ってすごく尊敬できるし、魅力的じゃないですか。昔から今まで、ずっと憧れています。 ■Q34.最近後悔していることは? 古家 ロケで韓国に行ったときに「古家さん、そこへ行ったら危ないですよ」と注意されていたのに、構わず進んでいって、うんちを踏んじゃったこと(笑)。 林 あ……でも、運がついたと思えば……。 古家 さすが! ありがとうございます。 ■Q35.自分自身を褒めたいことは? 古家 ここまで同じことをずっと続けてきたことに対して、自分を褒めてあげたいです! ■Q36.座右の銘は? 古家 「為せば成る」。 林 ご著書を読んで、古家さんって本当に即行動派なんだなあって。 古家 後悔したくないんですよね。世の中、やってみないとわからないことばかりだから。 ■Q37.宝物は? 古家 自分のまわりにいる人たち、みんな。 ■Q38.仲よしは誰? 古家 一番メッセージのやりちりが多いのは、家族の次だと、ドランクドラゴンの塚地(武雅)さんかも。 林 ええ!? そうなんですか。でもたしかに、塚地さんってK-POPへの愛情がすごいから、古家さんともたくさんお話しすることがありそう。 古家 直接仕事で会うときよりも、ざっくばらんにK-POPや韓国ドラマの話をしているかもしれません。 ■Q39.最近、恥ずかしかったことは? 古家 とあるイベントで、ずっとパンツの社会の窓(ファスナー)が開いていたこと(笑)。終演後、お手洗いで気づいて焦りました。 ■Q40.プライベートで挑戦したいことは? 古家 時間があるなら、デザインの勉強。もし将来的に、自分で企画してイベントを開催できるチャンスがあれば、すべて自分でプロデュースしたいんですね。そのためには、イベント関連で自分が能力的にできないことを挙げれば、デザインなんです。なので、映像やメインビジュアル、告知ページなどが作れたら、自己完結できるかなぁって。 ■Q41.譲れないこだわりは? 古家 ステージ上では、なるべく椅子に座らない。ソファが用意されているときはさすがにあきらめているんですが、ハイチェアがあるときは、座らずほぼ立っています。 林 その理由は? 古家 座っていると、ステージ全体がよく見渡せないんです。何かあったときに、すぐに動けるようにしたいし。常にステージの状況を把握しておきたいんですよね。あとは、お客さんの死角になりたくないので、みなさんがスターのよく見える位置に立っていたいという気持ちもあります。 林 舞台上の空気を読んだ古家さんの動きの素早さには、いつも驚かされています。 ■Q42.人に対して「うらやましいな」と思うことは? 古家 もしも自分がイケメンだったら、どうだっただろうなって考えることはあります。 林 イケメンですよ!! 古家 お世辞はいりません。でも、僕はもともと、大学の映画・演劇学科か放送学科に進みたかったんです。もしもビジュアルに自信があったら、表舞台に立つ道もあったのかな?って。 ■Q43.自信のあるパーツは? 古家 耳。よくいろんな人から福耳ですねって言われます。 林 みなさん、大注目です!!(笑) 古家 いやいや、適当すぎ!(笑) ■Q44.ファンからかけられたらうれしい言葉は? 古家 これも「ありがとう」かな。 ■Q45.「これだけは許せない!」ということは? 古家 感謝の気持ちを相手に示せないこと。息子にも、いつも「『ありがとう』は必ず言うようにしようね」と伝えているんですが、中にはなかなか感謝できない人もいるじゃないですか。なので、たまに遭遇すると悲しい気持ちになります。 ■Q46.印象的だったK-POPファンミの会場セットといえば? 古家 これはすごいマニアックな質問……。逆に、何も設備がない会場があって、ビックリしました。 林 スクリーンも何も? 古家 そうそう、いわゆる素舞台の中で、スターひとりだけっていうイベントがあって。「このスターのために、自分ができることはすべてやろう」と決意しましたね。 ■Q47.仕事場のこだわりは? 古家 自分の仕事まわりで、唯一お金をかけているのがマイクなんです。自宅でラジオを録音しているから、それにはこだわっています。 ■Q48.印象に残るうちわ、ボードは? 古家 「후루야씨 맛있어요(フルヤシ マシッソヨ/古家さん、おいしいです)」。たぶん「후루야씨 멋있어요(フルヤシ モシッソヨ/古家さん、カッコいいです)」と書きたかったんだと思うんですが……(笑)。 林 かわいらしい間違い! でも、本命にはやっていないことを願いたいです。 古家 そうですね、どなたか見かけたら訂正してあげてください(笑)。 ■Q49.印象に残っているファンは? 古家 本にも書いたんですが、CNBLUEのファンですね。イベントで、メンバーが『のだめカンタービレ』のキャラクター・千秋先輩について話していたんですけど、僕が『のだめ』を知らないせいであまりその内容に触れずに終わっちゃったんです。 すると帰りに、ファンの方から「千秋先輩も知らないんですか?」と言われて。その出来事があったおかげで、以来、幅広い分野まで情報収集するようになりました。 ■Q50.今年の目標は? 古家 とにかく健康でいること! 去年はお医者さんのお世話になったことが何度かあったので、今年は病院に行く必要がない状態でいたいです。 林美桜の取材後記 お話がおもしろくて、すべては載せきれないほど長尺のインタビューになってしまいました。 私は毎年10回以上、舞台上でMCをされている古家さんとお会いしている気がするのですが……みなさんいかがでしたか? よくよく考えてみたら、年に数回しか来日しない最推しの数倍、お会いしているかも。 古家さんのこともいろいろ知りたいけど、仕事上、聞き手をされているため、なかなか人となりを知ることが難しい。 でも、もし知ることができたら……舞台上に推しがふたり、推しと推しの共演? ……ファンミを2倍楽しめる!! そんな思いで「50の質問」を思いつき、伺ってみました。 古家さんファンのみなさんもまだ知らなかった情報が、少しでも引き出せていたらうれしいです。 古家さん、お忙しいなか丁寧に取材にお付き合いくださり、ありがとうございました。 文=菅原史稀 撮影=MANAMI 編集=高橋千里
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名MC・古家正亨に直撃!K-POPスターの魅力を引き出すコツは?|「林美桜のK-POP沼ガール」マレジュセヨ編
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 連載「林美桜のK-POP沼ガール」新シリーズが始動! その名も「林美桜のK-POP沼ガール・マレジュセヨ編」。マレジュセヨとは、日本語で「話してください」という意味。林美桜が話を聞きたい“韓国カルチャー仕事人”に突撃取材し、仕事流儀から細かいノウハウ、アドバイスまで、たっぷりと語っていただきます。 マレジュセヨ編の第1回は、多数のK-POP関連ライブやイベントで司会を務める名MC・古家正亨(ふるや・まさゆき)さんが登場。 林とはテレビ朝日公式YouTubeチャンネル『動画、はじめてみました』内の「動はじK-POP部」で共演。同業者・共演者として、古家さんに教えを乞いたいことがたくさんあるようで……? 司会業の悩み「出演者の下調べ、どこまでやるべき?」 林 美桜(以下、林) 今日は、古家さんにお聞きしたいことをぶつけさせていただきます! 古家さんのことは高校時代から韓国カルチャーを深掘りするテレビ番組などでよく拝見していて。当時はその番組を観ることが日々の唯一の楽しみだったんです。大学時代にK-POPについて書いた卒論でも、古家さんの著書を参考にさせていただいて。 なので初めて共演させていただいたときは、うれしくて泣いたんですよ。それくらい、私にとっては尊敬する特別な存在で……。いきなり長くしゃべってしまいました(笑)。今回は、半分、アナウンサーとしての「お悩み相談」になってしまうかもしれませんが……いろいろ伺っていきたいと思います。よろしくお願いいたします! 古家正亨(以下、古家) そんなことを思ってくれていたなんて……ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします! 林 まずは、年間ものすごい数のイベントのMCを務められている古家さんですが、きっとトラブルなんかも少なくないんじゃないかなと思うんです。アナウンサーも、たとえば「番組がもうすぐなのに、台本到着が遅れている!」というピンチがあったり……私自身は、すごく焦っちゃうタイプで。古家さんも、そういうときにストレスを感じたりしますか? 古家 トラブル、よくありますね。僕はけっして焦らないほうなんだけど、つらいなぁって思う瞬間はもちろんあります。たとえば俳優さんのイベントで、出演作をすべて観て完璧に準備しておいたのに、一度もイベントでその話題が上がらなかったときとか(笑)。「あんなに観たのになあ」って、ちょっと悔しくなっちゃうかな。 林 古家さんとは番組でも共演させていただいていますが、台本にアーティストの性格や個性、ハマり事などパーソナルな情報や、ほかにもびっしり書かれていて、お忙しいなか全部調べているんだなと感激したんです。さらに、それを本番が始まるギリギリまで書き込まれていたのが印象的で……。 ただ、リサーチはとても大切だけど、本当に難しいなと最近思っていて。私は音楽バラエティ番組『M:ZINE(エンジン)』で、出演アーティストの作品やパーソナリティをなるべく調べてから収録に臨んでいるのですが、とにかくコンテンツが膨大だからどこまで調べてよいものか悩んでいます。 古家 僕の場合、MVやオフィシャルで出ている映像モノなど、あくまでベーシックなものだけです。とはいえ、ドラマやオーディション番組の場合は一作品にすごい視聴時間を費やすことになるぶん、大変ですよね。 でも、仕草やセリフなど、細かいところを拾っておくと、現場で出演者の方がすごく喜んでくださるし、ファンのみなさんも盛り上がってくださるから、できるだけ記憶するようにしていますね。 林 なるほど! リサーチの段階で、使えそうなものをある程度ピンポイントで予測しておくんですね。 古家 あとは、SNSでファンの方が「こういうことを聞いてくれたらうれしいな」というポストをしていたら、それをメモしておく。いろいろリサーチしたとしても、ステージで自分の知識をひけらかすだけだと意味がないんです。だって、そんなことはファンのみなさんが一番ご存じだから。重要なのは、ファンの方が知りたいことを、スター本人の言葉で引き出すことだと思うんです。 林 わー……。私は「勉強したから、言いたい!」が勝っちゃうんですよ。 古家 それは、不特定多数の方が観るテレビと、ファンだけが来るイベントという性質の差もあるので、テレビでやるならある意味、林さんのやり方が合っていると思いますよ。テレビの場合は、アーティストや作品の情報が初見という方も想定して発信することが必要だから。 ただ、これは僕自身が先輩からよく言われていたことなのですが、知ったかぶりはしないほうがいいです。さらに掘り下げられて答えられなかったときに、信頼できない人として見られてしまうから。それより、むしろ知らないことは「それってどういうことなんですか?」と相手に聞ける姿勢を持つほうが、一般の方と同じ視点に立てるのでいいと思うんですよね。 林 ファンの方が何を求めているかが気になって、「すべて知らないとダメだ」と思い込んでいたので、すごく勉強になります。何を言うか、もしくは言わないかといった取捨選択を、現場の空気を読みつつ行う技術が、古家さんは本当に素晴らしいです。臨機応変ということでいうと、イベント中は何を意識されていますか? 古家 K-POPや韓流スターのファンミーティングの場合、日本公演であっても、基本的にイベントは、韓国制作であることが最近は多くなっています。ワールドツアーの一環で日本に来ることが増えているからです。なので、舞台監督さんや作家さんはもちろん韓国の方々なのですが、韓国の場合は、イベントをテンポよくというよりは、少しでもスターとの接点を増やすため長時間になる傾向がある一方、日本だとむしろテンポのよさが求められるんです。 だから、公演中に運営から「ここをもっと掘り下げて」という指示が飛んできても、それをすべて汲んでいたら絶対に時間が延びてしまうので、自己判断でスルーするケースも往々にしてあります。もし時間が超過して、予定していたコーナーができなくなってしまうことはあってはならないので。全体を見て、必要なことを優先させるようにしていますね。 林 ラジオDJをされているなかで磨かれた“時間の感覚”も活かされていらっしゃるんですね。n.SSignさんのファンミーティングのMCで一緒にお仕事させていただいたときも、古家さんにすべてお任せ状態で、時間調整の面でも救っていただきました……。すごく俯瞰的な視野をお持ちですよね。 古家 あと、なるべく自分はしゃべらないようにして、スターがしゃべれる機会を作れるようサポートすることを意識しています。個人的には、それがMCの務めだと思うからです。 林 私は、“間”が怖くてすぐにしゃべっちゃうんです。 古家 それは、テレビ的な感覚だと思います。放送業界では、間が空きすぎると放送事故につながってしまうから怖くて当然ですよ。僕も基本的にはラジオ人なので、その感覚、すごくよくわかります。でも、イベントだと逆に、その“間”が大事なんです。そのスターが好きで集まっている人しか会場にいないから、返答を考えている姿も見て楽しめるし、間にも“本人らしさ”が出るから。 林 古家さんは、聞くのがすごくお上手ですよね。MCだからしゃべるお仕事かと思いきや、実は聞き出すのが本業というのが、お仕事ぶりを通じてわかります。 「若いくせに」と言われて傷ついた30歳 林 古家さんって、いまだに悩むことってあるんですか? 古家 いっぱいありますよ! MCって滞りなく進行して盛り上げるのが当たり前の仕事だから、褒められることがあまりないんです。正直それがすごく悲しくて。「古家さんに任せとけば、なんとかなる」ってみんな言ってくれるけど、僕だって大失敗する可能性はあるし、イベントを成功させるっていうことを当然のように期待されるのが、正直ずっとプレッシャーなんですね。それで一番悩んでいたのが、コロナ前の2018~9年くらい、林さんに初めてお会いしたころですよ。 林 ええっ
そうなんですか……そんなことまったく感じられませんでしたが、戦っていらっしゃったんですね。 古家 林さんも、同じような葛藤あるでしょう? 林 たしかに、アナウンサーは比較的ケアはされているほうだとは思うんですけど……たとえばバラエティ番組でコメントをするにしても、そのひと言の裏には演者さんのことを調べたりといった蓄積があるものですが、もちろん誰にも感謝されないわけで。それはやっぱり、たまにはしんどくなるときもあります。楽しい仕事ですけど、「なんかもうちょっと感謝されてみたい……」という思いが頭の中をよぎったりはしますね。 古家 わかるなぁ。僕、今の林さんと同じ30歳のころが一番仕事に悩んでいた時期だったんですよ。当時、ラジオの朝帯をやっていて、もともと時事に興味があったから、そういう話題に触れたら「若いくせに、わかったようなことを言うんじゃない」という苦情が来たりして、すごく傷ついて。それ以来、しゃべる言葉を全部台本に書いてから番組に臨むようになったこともありました。 林 「若いくせに」。そうなんですよね、30代前半ってまだまだ説得力を身につけるのが難しいから、そういう心ない声も少なからずあります。 古家 でもね、そのあと大阪のラジオ局で朝帯をやることになって、同じやり方をしていたらディレクターさんから「古家さんって、普段話すとめっちゃおもしろいのに、番組だとつまんないですね」って言われたんですよ。その言葉で「そうなんだ、自由にしゃべっていいんだ」って目覚めて。実は僕、関西に仕事で住んでいたころに経験したことが、かなり今の自分の形成に大きな影響を与えているんですね。 林 そうそう! 古家さんって、アーティストさんのボケに返すツッコミもすごくお上手じゃないですか。それも関西仕込みなんですね。アナウンサーって、わりとツッコミの役割を期待される機会も多いんですけど、それも悩みなんです。私自身は自分をボケだと自覚しているんですが、自分をなくしてやる私のツッコミって、けっこうキツく聞こえてしまうのか、怖がられることが多くて。古家さんはツッコむけど、印象が柔らかいです。 古家 ここでも一番大事なのは、相手の話をよく聞くこと。ツッコみっぱなしが一番冷たく見えるので、そのあとに相手が何を言ったかをよく聞いて、大きくふくらませてあげるんです。正直、林さんは進行に一生懸命になりすぎて、相手の返しをよく聞いていないでしょう?(笑) 林 よくおわかりで……!! ツッコミのあとに、返しを受け止めることが重要なんですね。 古家 「聞いて、受け止める」を2025年の目標にしたらどうですか? それができたら、仕事がもっと楽しめると思いますよ。 林 古家さんには、全部見抜かれてる(笑)。 “やったことないことをやる”が大事。最終目標は「ファンミ開催」! 林 それでは最後に、古家さんが掲げる今後の野望についてもお聞きしたいです。 古家 「後継者を育成しないの?」とはずっと言われていて、そこにかなり固執してきた時期もあったんです。でも最近は、ちょっと違うビジョンが見えてきたというか……誰かを育てるのではなく、自分と同じような波長で協働できるクリエイターを集めてチームを作るほうが、性格上向いているかなって。そうしたら、今抱えている僕の負担も軽減するでしょうし、それが果てには後継の育成にもつながっていくのかなって。林さんは、野望ありますか? 林 私は、今年中に人気(笑)アナウンサーになって、テレビ朝日アトリウムでファンミをやります。で、そのイベントMCを古家さんにお願いする……というのが野望です(笑)! 古家 ……なるほど(笑)。え、でも本当にやったら? 林 いいんですか!? 古家 誰もやったことのないことをやるって、すごく大事ですよ。僕も、これまで自分が主役になることをあえて避けて生きてきたんだけど、去年、タレントで、俳優で、同業者でもある藤原倫己くんとファンミをやってみたら楽しくて、意外といいもんだなって。だから林さんも、この連載の最終目標を「ファンミ開催」にしてみてもいいかもね。 林 すごい、古家さんとお話しできたおかげで連載のビジョンまで見えてきました! 今日は本当に夢のような時間でした。あと、聞くべきことはないかな? 何か忘れているような気がして、不安……。 古家 あ、またしゃべりながら次のことを考えてる(笑)。最後にひと言だけ、相手が話しているときに、台本に目を移す悪いクセを今年中に克服しましょう! 林 言われたそばから……!! 絶対に直します。親より心に響く、古家さんの言葉を胸に! 林美桜の取材後記 古家さんは日本でK-POPを広めた先駆者であるすごい方なのに、どんな人にも謙虚な姿勢で向き合う一面もお持ちです。 今回のインタビューで、古家さんのすごさを引き出したいと思っていたのに……結局自分の話ばかり気持ちよく聞いていただいてしまったような気がします。反省……。さすが名聞き手です(古家さんご自身は“MC”よりも“聞き手”という肩書のほうがしっくりとくるそう)。アーティストさんや俳優さんが、古家さんにはなんでも話したくなる気持ちがわかりました。 私は仕事で行き詰まったとき、古家さんの著書『K-POPバックステージパス』(イースト・プレス)を読みます。古家さんがK-POPに出会ってから今のお仕事に携わるまでの歴史が書かれているのですが、古家さんの行動力や苦労には目を見張るものがあり……。 それだけでもすごいですが、その原動力が自分のためではなく「自分が魅了されたKカルチャーを、自分以外の人にもぜひ知ってもらいたい。誰かとKカルチャーとの架け橋になれたら」という他者への優しさであることに驚かされます。 そんな分け隔てなく与えてくださる温かい優しさは、アーティストさんや俳優さん、そして観客の私たちにもいつも届いていて、古家さんのMCだからこそ叶う出演者とファンをつなぐ愛のあふれるイベントになっているんだなと思うのです。 ↓まだお読みでない方はぜひ!(書影ビジュアルが一新、重版が決まったそうです) https://www.eastpress.co.jp/goods/detail/9784781621456 古家さんなしでは、Kカルチャーに魅了されている私は存在していなかったです。 本当に감사합니다.(ありがとうございます) 最後に、今回、古家さんからアドバイスまでいただけて、 今までで一番大きな夢が叶った気持ちです。個人的に、31歳になる今年が自分のターニングポイントになると思っているので、そんな年を古家さんとの対談で幕開けできて、すごく気合いが入りました! がんばります!! ▼古家さんの仕事流儀をもっと知りたい方はこちら! 古家正亨「透明な存在でありたい」韓国カルチャー伝道師の“譲れない哲学” K-POPの名MC・古家正亨「透明な存在でありたい」韓国カルチャー伝道師の“譲れない哲学” 次回は、古家さんファン必見「50の質問」をぶつけてみました。古家さんの仕事観からプライベートまで深掘りしちゃいます! 文=菅原史稀 撮影=MANAMI 編集=高橋千里
奥森皐月の喫茶礼賛
喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート
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カボチャのムースがピカイチ!喫茶店の未来を考える「カフェ トロワバグ」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第10杯
先月、友達と名画座に行ってきた。期間限定で上映している作品がおもしろそうだと誘われ、私も興味があったので観ることに。同じ監督の作品が2本立てで楽しめて、大満足で映画館をあとにした。 2本分の感想が温まっている状態で、その街でずっと営業している喫茶店に行った。けっして広くないお店のカウンターであれこれ楽しく映画のことを話していると、店の奥にいた男女のお客さんの声が聞こえてきた。どうやらそのふたりも私たちと同じ映画を観ていたそうだ。 その街での思い出を、その街の喫茶店で話している客が同時にいて、これこそ喫茶店のいいところだよなと感じた出来事だった。 「3つの輪」を意味する店名とロゴマーク 今回は神保町駅から徒歩1分というアクセス抜群の場所にある「カフェ トロワバグ」を訪れた。 大きな看板と赤いテントが目印の建物の、地下へ続く階段を降りていく。トロワバグとはフランス語で「3つの輪」という意味だそう。輪が3つ連なっているロゴマークが特徴的だ。 店内に入るとまず目に入るのは、かわいらしいランプやお花で飾られたカウンター。お店全体はダークブラウンを基調としていて、照明も落ち着いている。大人の雰囲気をまとっていながらも、穏やかな時間が流れている空間だ。 昼過ぎではあったが、若い女性のグループからビジネスマンまで幅広い客層のお客さんがコーヒーを飲んでいた。独特なフォントの「トロワバグ」が刻まれたお冷やのグラスでテンションが上がる。カッコいいなあ。 横型の写真アルバムのような形のメニューが素敵。一つひとつ写真が載っていてわかりやすく、メニューも豊富だ。 コーヒーのバリエーションが多く、サンドウィッチ系の食事メニューや甘いものなど全部おいしそうで、どれにしようか悩む。喫茶店ではあまり見かけないような手の込んだスイーツも豊富で、すべてオリジナルで手作りしているそうだ。 いつかホールで食べ尽くしたい「カボチャのムース」 今回は創業から一番人気でロングセラーの「グラタントースト」と「カボチャのムース」と「トロワブレンド」をいただくことにした。結局、人気と書かれているものを頼みたくなってしまう。 グラタントーストにはサラダもついている。ありがたい。 ハムやゴーダチーズなどの具材が挟まれたトーストに、自家製のホワイトソースがたっぷり。ボリューミーだけれど、まろやかで優しい味わいなのでもりもり食べられる。 クロックムッシュを置いている喫茶店はたまにあるが、「グラタントースト」というメニューは案外見かけない。わかりやすい名前と誰もが虜になるおいしさで、50年近く愛されているのだという。 カボチャのムースがこれまたおいしい。おいしすぎる。カボチャそのものの甘さが活かされていて、シンプルながら完璧な味。なめらかな舌触りで、少し振りかけられているシナモンとの相性も抜群。添えられているクリームはかなり甘さ控えめで、ムースと食べると食感が少し変わる。 カボチャのムースがある喫茶店は多くないだろうが、トロワバグのものはピカイチだと思う。いつかお金持ちになったらホールで食べ尽くしたい。食べ終わるのが名残惜しかった。 ブレンドは苦味と酸味のバランスが絶妙で、食事にもケーキにも合う。 まろやかで甘みも感じられるので、コーヒーの強い苦みや酸味が苦手という人にも飲みやすいのではないかと思う。 喫茶店が50年も残り続けているのは「奇跡的」 カフェ トロワバグについて、店主の三輪さんにお話を伺った。 オープンしたのは1976年。お母様が初代のオーナーで、娘である三輪さんが2代目として今もお店を継いでいるそうだ。学生時代からお店で過ごし、お母様とともにお店に立たれている時代もあったとのこと。 地下のお店なのでどうしても閉塞感があり、当時はタバコも吸えたので男性のお客さんが多かったそうだ。しかし、禁煙になってからは女性客も増え、最近は昨今の喫茶店ブームで若いお客さんも多いという。 女性店主ということもあり、なるべく華やかでかわいらしさのあるお店作りを心がけているそう。たしかに、テーブルのお花や壁に飾られている絵は店内を明るくしている。 客層の変化に合わせて、メニューも少しずつ変わったとのことだ。パンメニューの中にある「小倉バタートースト」は女性に人気らしい。 若い女性のグループが食事とスイーツをいくつか注文し、シェアしながら食べていることもあるそうだ。これだけ豊富なメニューだと誰かと行ってあれこれ食べてみたくなるので、気持ちがよくわかった。 落ち着きのある魅力的な店内の内装は、松樹新平さんという建築家さんが手がけたもの。特徴的な柱やカウンター、板張りの床などは創業以来変わらず残り続けている。 喫茶店というものは都市開発やビルのオーナーの都合などで移転や閉店をしてしまうことが多い。そのため、50年近く残り続けているのは奇跡的だ。 松樹さんは今でもたまにトロワバグを訪れることがあるそうで、自分のデザインのお店が残り続けていることを喜ばしく思っているそうだ。店内のあちこちに目を凝らしてみると、歴史が感じられる。 店主とお客さん、お互いの「様子の違い」にも気づく これまでにも都内の喫茶店を取材して耳にしていたのだが、三輪さんいわく喫茶店の店主は“横のつながり”があるそうだ。お互いのお店を訪れたり、プライベートでも交流したり。 先日閉店してしまった神田の喫茶店「エース」さんとも親交があったそうで、エースの壁に吊されていたコーヒーメニューの札をもらったそう。トロワバグの店内にこっそりと置かれていた。温かみがあって素敵だ。 神保町にはかなり多くの喫茶店が密集している。ライバル同士でお客さんの取り合いになっているのではないかと思ってしまうが、実際は違うようだ。 たとえばすぐ近くにある「神田伯剌西爾(カンダブラジル)」は現在も喫煙可能なため、タバコを吸うお客さんが集まっている。また「さぼうる」はボリューミーな食事メニューがあるため、男性のお客さんも多い。 そしてトロワバグさんは女性客が多め。このように、時代の流れによってそれぞれの特色が出て、結果的に棲み分けができるようになったとのことだ。 街に根づいている喫茶店には、もちろん常連さんがいる。常連さんとのコミュニケーションについて、印象的なお話を聞いた。 たとえば三輪さんの疲れが溜まっていたり、あまり元気がなかったりするときに、常連さんは気づくのだという。それは雰囲気だけでなく、コーヒーの味などからも違いを感じるのだそう。きっと私にはわからない違いなのだろうが、長年通っているとそういった関係が構築されていくようだ。 反対に、お客さんの様子がいつもと違うときには三輪さんも気づく。「コーヒーを1杯飲むだけ」ではあるが、それが大切なルーティンでありコミュニケーションであるというのは喫茶店ならではだ。喫茶店文化そのもののよさを、そのお話から改めて感じられた。 2号店「トロワバグヴェール」を開いた理由 実は、トロワバグさんは今年の6月に2号店となる「トロワバグヴェール」をオープンしている。同じ神保町で、そちらはコーヒーとクレープのお店。 週末のトロワバグはお客さんがたくさん来店し、外の階段まで並ぶこともあるという。そこで、せっかく来てくれた人にゆっくりしてもらいたいという思いがあり、2号店をオープンしたそうだ。 また、現在のトロワバグのビルもだんだんと老朽化してきていて、この先ずっと同じ場所で営業するというのはなかなか難しいのが現実だ。 その時が来たらきっぱりとお店をたたむという考えもよぎったそうだが、喫茶店業界では70代以上のマスターが現役バリバリで活躍している。それを見て三輪さんも「身体が元気なうちはお店を続けよう」と決心したそうだ。 結果として、喫茶店の新しいかたちを取ることになった。元のお店を続けながら2号店を開く。 古きよき喫茶店は減っていく一方のなか、トロワバグがこの新しい道を提案したことによって守られる未来があるように思える。 三輪さんは喫茶店業界の先を見据えた営業をされていて、店主仲間ともそのようなお話をされているそうだ。私はただ喫茶店が好きで足を運んでいるひとりにすぎないが、心強く思えてなんだかとてもうれしい気持ちになった。 最終回を迎えても、喫茶店に通う日々は続く 時代の変化に伴いながら、街に根づいた喫茶店。神保町という街全体が、多くの人を受け入れてきたということがよくわかった。 喫茶店のこれからを考える三輪さんは、これからのリーダー的存在であろう。大切に守られてきたトロワバグからつながる「輪」を感じられた。神保町でゆっくりとしたい日には、一度は訪れていただきたい名店だ。 昨年12月に始まったこの連載だが、今月が最終回。私も寂しい気持ちでいっぱいなのだが、これからも喫茶店が好きなことには変わりない。 今までどおり喫茶店に日々通って、写真を撮って記録していく。いつかまたどこかで、みなさんに素晴らしいお店を紹介したい。そのときにはまた読んでね。ごちそうさまでした。 カフェ トロワバグ 平日:10時〜20時、土祝日:12時〜19時、日曜:定休 東京都千代田区神田神保町1-12-1 富田ビルB1F 神保町駅A5出口から徒歩1分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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贅沢な自家製みつまめを味わう。成田に佇む“理想の喫茶店”「チルチル」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第9杯
これまでに行った喫茶店とこれから行きたい喫茶店の場所に、マップアプリでピンを立てている。ピンに絵文字を割り振ることができるので、行った場所にはコーヒーカップ、行きたい場所にはホットケーキ。 都内で生活をしているため、東京の地図にはコーヒーカップの絵文字がびっしりと並んでいる。少しずつ縮小していくにつれ、全国に散り散りになったホットケーキのマークが見える。 いつか日本地図を全部コーヒーカップの絵文字で埋め尽くしたいなぁと、地図を眺めながらよく思う。 そのためには旅行をたくさんしてその先で喫茶店に行くか、喫茶店のために旅行するか、どちらかをしなければならない。どちらにせよ遠くまで行ったら喫茶店に立ち寄らないのはもったいないと思っている。 旅行気分で、成田の喫茶店「チルチル」へ 今回はこの連載が始まって以来一番都心から離れた場所に行ってきた。JR成田駅から徒歩で12分、成田山新勝寺総門のすぐそばのお店「チルチル」さんだ。 ずっと前から SNSや本で写真を見ていて、いつか行ってみたいと思っていた喫茶店。取材させていただけることになり、成田という土地自体初めて訪れた。 駅から成田山までの参道にはお土産屋さんや古い木造建築の商店などが建ち並んでおり、成田の名物である鰻(うなぎ)のお店も軒を連ねていた。 賑やかな道なので、体感としては思ったよりもすぐチルチルさんまで行けた。よく晴れた日で、きれいな街並みと青空が最高だった。旅行気分。 レンガでできた門に洋風のランプ、緑色のテントがとてもかわいらしい外観。 この日は店の外に猫ちゃんが4匹いた。地域猫に餌をあげてチルチルさんがお世話をしているそうで、人慣れしたかわいらしい猫たちがお出迎えしてくれた。 製造期間20日以上!とっても贅沢な手作りのみつまめ 店内に入り、思わず息を飲んだ。ゴージャスかつ落ち着きのある「理想の喫茶店」といってもいいような空間。 木目調の壁、レトロなシャンデリア、高級感のある椅子やソファ。天井が高いのも開放的でよい。装飾の施されたカーテンや壁のライトは、お城のような華やかさがある。 メニューは喫茶店らしさにこだわっているようで、コーヒー・紅茶・ソフトドリンク・ケーキ・トーストとシンプルなラインナップ。 レモンジュースやレモンスカッシュは、レモンをそのまま絞ったものを提供しているそう。写真映えするのでクリームソーダも若い人に人気なようだ。 ただ、チルチルのイチオシ看板メニューは、手作りのみつまめだという。強い日差しを浴びて汗をかいてしまっていたので、アイスコーヒーとみつまめを注文した。 店内の椅子やソファに使われている素敵な布は「金華山織」という高級な代物だそう。しかし布の部分は消耗してしまうため、定期的にすべて張り替えているとのこと。お値段を想像すると恐怖を覚えるが、ふかふかで素敵な椅子に座ると、家で過ごすのとは違う特別感を味わえる。 アイスコーヒーはすっきりしていておいしい。ごくごくと飲んでしまえる。ちなみにシロップはお店でグラニュー糖から作っているものだそう。甘いコーヒーが好きな人にはぜひたっぷり使ってみてもらいたい。 そして、お店イチオシのみつまめ。「手作り」とのことだが、なんと寒天は房州の天草を使った自家製。さらに「小豆」「金時」「白花豆」「紫豆」の4種類の豆は、水で戻すところから炊き上げまですべてをしているそうだ。完全無添加で、素材の味が存分に活かされたとにかく贅沢なみつまめ。 粉寒天や棒寒天で作るのとは違って、天草から作る寒天は磯の香りがほのかにする。また食感もよい。まず寒天そのものがおいしいのだ。 また、お豆は何度も何度も炊いてあり、とても柔らかい。甘さもほどよく、豆だけでもお茶碗一杯食べたくなるようなおいしさ。花豆はそれぞれ最後の仕上げの味つけが違うそうで、紫花豆は黒砂糖、白花豆は塩味。すべて食べきったあとに白花豆を食べると異なる味わいが楽しめるので、おすすめだそう。 このみつまめすべてを作るのには20日以上かかるとのことだ。完全無添加でこれほど時間と手間がかかっているみつまめは、ほかではないだろう。一度は食べていただきたい。 1972年に創業。店名は童話『青い鳥』から お店について、店主のお母様にお話を伺った。 「チルチル」は1972年11月に成田でオープン。当初は違う場所で、ボウリング場などが入っているビルの中で営業していた。 夜遅くもお客さんが来ることから夜中の0時までお店を開けていたため、毎日忙しく、寝る暇もなかったらしい。当時は20歳で、若いうちから相当がんばっていらしたそう。 2年後の1974年12月25日から現在の成田山の目の前の場所で営業がスタート。もとは酒屋さんが使っていた建物だそうで、1階はトラックが停まり、シャッターが閉まるような造りだったらしい。そこに内装を施して喫茶店にしたため、天井が高いようだ。 店名の「チルチル」は童話の『青い鳥』から。繰り返しの言葉は覚えやすいため、店名に選んだらしい。かわいらしいしキャッチーだし、とてもいい名前だと思う。 「チルチル」の文字はデザイナーさんに頼んだそうだが、お店の顔ともいえる男女のイラストは童話をモチーフにお母様が描いたもの。画用紙に描いてみた絵をそのまま50年間使い続けているとのことだ。今もメニューやマッチに使われている。 記憶にも残る素晴らしいデザインではないだろうか。おいしいみつまめも、トレードマークの看板イラストも作れる素敵な方だ。 「お不動さまに罰当たりなことはできない」 成田山のすぐそばで喫茶店を営業するからには、お不動さまに罰当たりなことはできない、というのがチルチルのポリシーらしい。 お参りをしに来た人がゆったりとくつろげて、「来てよかったな」と思ってもらえるようにやってきたそう。お参りをしてからチルチルに立ち寄る、というルーティンになっているお客さんも多いらしい。 店内は何度か改装をしているが、全体の造りや家具は50年間ほとんど変わりがないとのこと。椅子やテーブルはお店に合わせて職人さんに作ってもらったもので、細やかなこだわりを感じられる。 お店の奥のカウンターとキッチンの棚もとても素敵だ。これも職人さんがお店に合わせて作ったもの。喫茶店の特注の家具は、たまらない魅力がある。 随所にこだわりが光る「チルチル」は、50年間大切に守られてきた成田の名所のひとつであろう。 素通りするわけにはいかないので、成田山のお参りももちろんしてきた。広い境内は静かで、パワーをもらえるような力強さもあった。 空港に行く用事があっても「成田」まで行こうと思うことがなかったため、今回はとてもいい機会であった。成田山に行き、帰りに「チルチル」に寄るコースで小旅行をしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 チルチル 9時30分〜16時30分 不定休 千葉県成田市本町333 JR成田駅から徒歩12分、京成成田駅から徒歩13分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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40年前から“映え”ていたクリームソーダにときめく。夏の阿佐ヶ谷は「喫茶 gion」で|「奥森皐月の喫茶礼賛」第8杯
「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート 暑さが一段と厳しくなってきたので、大好きな散歩も日中はほどほどにしている。 昼間に家を出ると、アスファルトの照り返しのせいかフライパンで焼かれているようだ。寒さより暑さのほうが苦手な私は、夏の大半は溶けながらだらりと過ごしてしまう。 しかしながら、夏の喫茶店は大好き。汗をかきながらやっとお店に着いて、冷房の効いた席に座るときの幸福感は何にも変えられない。冷たいドリンクを飲んで少しずつ汗が引いていくあの感覚は、夏で一番好きな瞬間だ。 阿佐ヶ谷のメルヘンチックな喫茶店 今回訪れたのはJR阿佐ケ谷駅から徒歩1分、お店が建ち並ぶ駅前でひときわ目立つ緑に囲まれたレトロな外装の喫茶店。阿佐ヶ谷の街で40年近く愛されている「喫茶 gion(ぎおん)」さん。 実はこのお店は、私のお気に入りトップ5に入る大好きな喫茶店。中学生のころに初めて行ってから今日まで定期的に訪れている。取材させていただけてとてもうれしい。 店内はかわいいランプやお花や絵で装飾されていて、青と緑の光が特徴的。いわゆる「喫茶店」でここまでメルヘンチックな雰囲気のお店はかなり珍しいと思う。 どこの席も素敵だが、やはり一番特徴的なのはブランコの席。こちらに座らせていただき、人気メニューのナポリタンとソーダ水のフロートトッピングを注文した。 ブランコ席は窓に面していて、この部分だけ壁がピンク色。店内中央の青色を基調とした空気感とはまた違う、かわいらしさと落ち着きのある空間だ。 店先の木が窓から見える。今の季節は緑がとてもきれいだ。 焦げ目がおいしい!一風変わったナポリタン ここのナポリタンは、一般的な喫茶店のナポリタンとは異なる。大きなお皿にナポリタン、キャベツサラダ、そしてたまごサラダが乗っている。店主さんいわく、このたまごサラダはサンドイッチに挟むためのものだそう。それを一緒に提供しているのだ。 まずはナポリタンをいただく。ハムが1枚そのまま乗っている見た目がいい。このナポリタンは色が濃いのだが、これは少し焦げるくらいまでしっかりと炒めているから。麺にソースがしっかりとついていて、香ばしさがたまらなくおいしい。 次にキャベツと一緒に食べてみると、トマトのソースが絡んで、シャキシャキとした食感が加わり、これもまたいい。 最後にたまごサラダと食べると、まろやかさとナポリタンの風味が最高に合う。黒胡椒も効いていて、無限に食べられる味だ。ボリュームたっぷりだがあっという間に完食した。 トーストもグラタンもお餅も少し焦げ目があるくらいが一番おいしいので、スパゲッティもよく炒めてみたところおいしくできたから今のスタイルになったそうだ。 ただ、通常のナポリタンなら温める程度でいいところを、しっかり焼くとなると手間と時間がかかる。炒めてくれる店員さんに感謝だ。ごく稀に、焦げていると苦情を入れる人がいるそう。そこがおいしいのになあ。 トロピカルグラスで飲む、おもちゃみたいなクリームソーダ これまた名物のクリームソーダ。 正確にいうと、gionで注文する場合は「ソーダ水」を緑と青の2種類から選び、フロートトッピングにする。すると、丸く大きなグラスにたっぷりのクリームソーダを飲むことができる。このグラスは「トロピカルグラス」というそうだ。 gionさんのまねをしてこのグラスを使い始めたお店はあるが、このかわいいフォルムはオープン当初から変わらないとのこと。「インスタ映え」という言葉が生まれる遙か前からこの「映え」な見た目のクリームソーダがあったのは、なんだか趣深い。 深く透き通る青と炭酸のしゅわしゅわ、贅沢にふたつも乗った丸いバニラアイス。どこを切り取ってもときめくかわいさだ。 見た目だけでなく、味もおいしい。シロップの風味と炭酸に、バニラ感強めのアイスが合う。「映え」ではなくなってくる、アイスが溶けたときのクリームソーダも好きだ。白と青が混じった色は、ファンシーでおもちゃみたい。 内装から制服までこだわった“かわいい”世界観 お店について、店主の関口さんにお話を伺った。 学生時代に本が好きだった関口さんは、本をゆっくりと読めるような落ち着いた場所を作りたかったそうで、20代はとにかく必死で働いてお店を開く資金を貯めていたとのこと。 1日に16時間ほど働き、寝るためだけの狭い部屋で暮らし、食べ物以外には何もお金を使わず生活していたとのことだ。 そしてお金が貯まったころから1年かけて東京都内の喫茶店を300店舗ほど回り、どんなお店にしようかと参考にしながら計画を練ったそう。 お店を開くにあたって、設計から何からすべてを関口さんが考えたそうで、1cm単位で理想の喫茶店になるように作って、できたのがこの喫茶 gion。 大理石の床、板張りの床、絨毯の床、どれも捨てがたいと思い、最終的には場所ごとに変えて3種類の床になったらしい。贅沢な全部乗せだ。ブランコはかつて吉祥寺にあったジャズ喫茶から得たエッセンス。 オープン時には資金面でそろえきれなかった雑貨やインテリアも少しずつ集めて、今のお店の独特でうっとりするような空間になっていったようだ。 白いブラウスに黒のリボン、黒のロングスカートというgionの制服も関口さんプロデュース。手書きのメニューもキュートで魅力的だ。 ご自身の好みがはっきりとあり、それを実現できているからこそ、調和した世界観になっているのだとわかった。お店のマークも、関口さんの思い描く素敵な女性のイラストだという。ナプキンまでかわいい。 「帰りにgionに寄れる」という楽しみ 喫茶gionのもうひとつの魅力は、午前9時から24時(金・土は25時)まで営業しているところ。モーニングが楽しめるのはもちろん、夜も遅くまで開いている。阿佐ヶ谷には喫茶店が多くあるが、たいていは夕方〜19時くらいには閉店してしまう。 私は阿佐ヶ谷でお笑いや音楽のライブに行ったり、演劇を観に行ったりする機会が多い。終わるのは21時〜22時が多く、ちょうどお腹が空いている。ほかの街なら適当なチェーン店に入るのだが、阿佐ヶ谷に限っては「帰りにgionに寄れる」という楽しみがある。 ナポリタン以外にもピザやワッフルなど、小腹を満たせるメニューがあってありがたい。夜のgionは店先のネオンが光り、店内の青い灯りもより幻想的になる。遅くまで営業するのはとても大変だと思うが、これからも阿佐ヶ谷に行ったときは必ず寄りたい。 夏の阿佐ヶ谷の思い出に、gion 関口さんの理想を詰め込んだメルヘンチックな喫茶店は、若い人から地元民まで幅広く愛される名店となった。 阿佐ヶ谷の街では8月には七夕まつりも開催される。駅前のアーケードにさまざまな七夕飾りが出される、とても楽しいお祭りだ。夏の阿佐ヶ谷を楽しみながら、喫茶gionでひと休みしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 喫茶 gion 月火水木日:9時〜24時、金土:9時〜25時 東京都杉並区阿佐谷北1-3-3 川染ビル1F 阿佐ケ谷駅から徒歩1分、南阿佐ケ谷駅から徒歩8分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
奥森皐月の公私混同<収録後記>
「logirl」で毎週配信中の『奥森皐月の公私混同』。そのスピンオフのテキスト版として、MCの奥森皐月が自ら執筆する連載コラム
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涙の最終回!? 2年半の思い出を振り返る|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第30回
転んでも泣きません、大人です。奥森皐月です。 この記事では私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』の収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを毎月書いています。今回の記事で最終回。 『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の9月に配信された第41回から最終回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがすべて視聴できます。過去回でおもしろいものは数えきれぬほどあるので、興味がある方はぜひ観ていただきたいです。 「見せたい景色がある」展望タワーの存在意義 (写真:奥森皐月の公私混同 第41回「タワー、私に教えてください!」) 第41回のテーマは「タワー、教えてください!」。ゲストに展望タワー・展望台マニアのかねだひろさんにお越しいただきました。 タワーと聞いてやはり思い浮かべるのは、東京タワーやスカイツリー。建築のすごさや造形美を楽しんでいるのだろうかとなんとなく考えていました。ところが、お話を聞いてみるとタワーという概念自体が覆されました。 かねださんご自身のタワーとの出会いのお話が本当におもしろかったです。20代で国内を旅行するようになり、新潟県で偶然バス停として見つけた「日本海タワー」に興味を持って行ってみたとのこと。 実際の画像を私も見ましたが、思っているタワーとはまったく違う建物。細長くて高い、あのタワーではありません。ただ、ここで見た景色をきっかけにまた別のタワーに行き、タワーの魅力にハマっていったそうです。 その土地を見渡したときに初めてその土地をわかったような気がした、というお話がとても素敵だと感じました。 たとえば京都旅行に行ったとして、金閣寺や清水寺など名所を回ることはあります。ただ、それはあくまでも京都の中の観光地に行っただけであって「京都府」を楽しんだとはいえないと、前から少し思っていました。 そこでタワーのよさが刺さった。たしかに、その地域や都市を広く見渡すことができれば気づきがたくさんあると思います。 もちろん造形的な楽しみ方もされているようでしたが、展望タワーからの景色というものはほかでは味わえない魅力があります。 かねださんが「そこに展望タワーがあるということは、見せたい景色がある」というようなことをお話しされていたのにも感銘を受けました。 いわゆる“高さのあるタワー”ではないところの展望台などは少し盛り上がりに欠けるのではないか、なんて思ってしまっていたけれど、その施設がある時点でその景色を見せたいという意思がありますね。 有効期限がたった1年の、全国の19タワーを巡るスタンプラリーを毎年されているという話も興味深かったです。最初の印象としては、一度訪れたところに何度も行くことの楽しみがよくわからなかったです。 でも、天気や季節、建物が壊されたり新しく建築されたりと常に変化していて「一度として同じ景色はない」というお話を聞いて納得しました。タワーはずっと同じ場所にあるのだから、まさに定点観測ですよね。 今後旅行に行くときはその近くのタワーに行ってみようと思いましたし、足を運んだことのある東京タワーやスカイツリーにもまた行こうと思いました。 収録後、速攻でかねださんの著書『日本展望タワー大全』を購入しました。最近も、小規模ではありますが2度、展望台に行きました。展望タワーの世界に着々と引き込まれています。 究極のパフェは、もはや芸術作品!? (写真:奥森皐月の公私混同 第42回「パフェ、私に教えてください!」) 第42回は、ゲストにパフェ愛好家の東雲郁さんにお越しいただき「パフェ、教えてください!」のテーマでお送りしました。 ここ数年パフェがブームになっている印象でしたが、流行りのパフェについてはあまり知識がありませんでした。 このような記事を書くときはたいていファミレスに行くので、そこでパフェを食べることがしばしばあります。あとは、純喫茶でどうしても気になったときだけは頼みます。ただ、重たいので本当にたまにしか食べないものという存在です。 東雲さんはもともとアイス好きとのことで、なんとアイスのメーカーに勤めていた経験もあるとのこと。〇〇好きの範疇を超えています。 そのころにパフェ用のアイスの開発などに携わり、そこからパフェのほうに関心が向いたそうです。お仕事がキッカケという意外な入口でした。それと同時に、パフェ専用のアイスというものがあるのも、意識したことがなかったので少し驚かされました。 最近のこだわり抜かれたパフェは“構成表”なるものがついてくるそう。パフェの写真やイラストに線が引かれていて、一つひとつのパーツがなんなのか説明が書かれているのです。 昔ながらの、チョコソース、バニラソフトクリーム、コーンフレークのように、見てわかるもので作られていない。野菜のソルベやスパイスのソースなど、本当に複雑なパーツが何十種も組み合わさってひとつのパフェになっている。 実際の構成表を見せていただきましたが、もはや読んでもなんなのかわからなかったです。「桃のアイス」とかならわかるのですが、「〇〇の〇〇」で上の句も下の句もわからないやつがありました。 ビスキュイとかクランブルとか、それは食べられるやつですか?と思ってしまいます。難しい世界だ。難しいのにおいしいのでしょうね。 ランキングのコーナーでは「パフェの概念が変わる東京パフェベスト3」をご紹介いただきました。どのお店も本当においしそうでしたが、写真で見ても圧倒される美しさ。もはや芸術作品の域で、ほかのスイーツにはない見た目の豪華さも魅力だよなと感じさせられました。 予約が取れないどころか普段は営業していないお店まであるそうで、究極のパフェのすごさを感じるランキングでした。何かを成し遂げたらごほうびとして行きたいです。 マニアだからとはいえ、東雲さんは1日に何軒もハシゴすることもあるとのこと。破産しない程度に、私も贅沢なパフェを食べられたらと思います。 1年間を振り返ったベスト3を作成! (写真:奥森皐月の公私混同 第43回「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」) 第43回のテーマは「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」ということで、久しぶりのラジオ回。昨年の10月からゲストをお招きして、あるテーマについて教えてもらうスタイルになったので、まるまる1年分あれこれ話しながら振り返りました。 リスナーからも「ソレ、私に教えてください!」というテーマで1年の感想や思い出などを送ってもらいましたが、印象的な回がわりと被っていて、みんな同じような気持ちだったのだなとうれしい気持ちになりました。 スタートして4回のうち2回が可児正さんと高木払いさんだったという“都トムコンプリート早すぎ事件”にもきちんと指摘のメールが来ました。 また、過去回の中で複雑だったお話からクイズが出るという、習熟度テストのようなメールもいただいて楽しかったです。みなさんは答えがわかるでしょうか。 この回では、私もこの1年での出来事をランキング形式で紹介しました。いつもはゲストさんにベスト3を作ってもらってきましたが、今度はそれを振り返りベスト3にするという、ベスト3のウロボロス。マトリョーシカ。果たしてこのたとえは正しいのでしょうか。 印象がガラリと変わったり、まったく興味のなかったところから興味が湧いたりしたものを紹介する「1時間で大きく心が動いた回ベスト3」、情報番組や教育番組として成立してしまうとすら思った「シンプルに!情報として役立つ回ベスト3」、本当に独特だと思った方をまとめた「アクの強かったゲストベスト3」、意表を突かれた「ソコ!?と思ったランキングタイトルベスト3」の4テーマを用意しました。 各ランキングを見た上で、ぜひ過去回を観直していただきたいです。我ながらいいランキングを作れたと思っています。 ハプニングと感動に包まれた『公私混同』最終回 (写真:奥森皐月の公私混同最終回!奥森皐月一問一答!) 9月最後は生配信で最終回をお届けしました。 2年半続いた『奥森皐月の公私混同』ですが、通常回の生配信は2回目。視聴者のみなさんと同じ時間を共有することができて本当に楽しかったです。 最終回だというのに、冒頭から「マイクの電源が入っていない」「配信のURLを告知できていなくて誰も観られていない」という恐ろしいハプニングが続いてすごかったです。こういうのを「持っている」というのでしょうか。 リアルタイムでX(旧Twitter)のリアクションを確認し、届いたメールをチェックしながら読み、進行をし、フリートークをして、ムチャ振りにも応える。 ハイパーマルチタスクパーソナリティとしての本領を発揮いたしました。かなりすごいことをしている。こういうことを自分で言っていきます。 最近メールが送られてきていなかった方から久々に届いたのもうれしかった。きちんと覚えてくれていてありがとうという気持ちでした。 事前にいただいたメールも、どれもうれしくて幸せを噛みしめました。みなさんそれぞれにこの番組の思い出や記憶があることを誇らしく思います。 配信内でも話しましたが、この番組をきっかけにお友達がたくさん増えました。番組開始時点では友達がいなすぎてひとりで行動している話をよくしていたのですが、今では友達が多い部類に入ってもいいくらいには人に恵まれている。 『公私混同』でお会いしたのをきっかけに仲よくなった方も、ひとりふたりではなく何人もいて、それだけでもこの番組があってよかったと思えるくらいです。 番組後半でのビデオレターもうれしかったです。豪華なみなさんにお越しいただいていたことを再確認できました。帰ってからもう一度ゆっくり見直しました。ありがたい限り。 この2年半は本当に楽しい日々でした。会いたい人にたくさん会えて、挑戦したいことにはすべて挑戦して、普通じゃあり得ない体験を何度もして、幅広いジャンルを学んで。 単独ライブも大喜利も地上波の冠ラジオもテレ朝のイベントも『公私混同』をきっかけにできました。それ以外にも挙げたらキリがないくらいには特別な経験ができました。 スタートしたときは16歳だったのがなんだか笑える。お世辞でも比喩でもなくきちんと成長したと思えています。テレビ朝日さん、logirlさん、スタッフのみなさんに本当に感謝です。 そしてなにより、リスナーの皆様には毎週助けていただきました。ラジオ形式での配信のころはもちろんのこと、ゲスト形式になってからも毎週大喜利コーナーでたくさん投稿をいただき、みなさんとのつながりを感じられていました。 メールを読んで涙が出るくらい笑ったことも何度もあります。毎回新鮮にうれしかったし、みなさんのことが大好きになりました。 #奥森皐月の公私混同 最終回でした。2021年3月から約2年半の間、応援してくださった皆様本当にありがとうございます。メールや投稿もたくさん嬉しかったです。また必ずどこかの場所で会いましょうね、大喜利の準備だけ頼みます。冠ラジオは絶対にやりますし、馬鹿デカくなるので見ていてください。 pic.twitter.com/8Z5F60tuMK — 奥森皐月 (@okumoris) September 28, 2023 『奥森皐月の公私混同』が終了してしまうことは本当に残念です。もっと続けたかったですし、もっともっと楽しいことができたような気もしています。でも、そんなことを言っても仕方がないので、素直にありがとうございましたと言います。 奥森皐月自体は今後も加速し続けながら進んで行く予定です。いや進みます。必ず約束します。毎日「今日売れるぞ」と思って生活しています。 それから、死ぬまで今の好きな仕事をしようと思っています。人生初の冠番組は幕を下ろしましたが、また必ずどこかで楽しい番組をするので、そのときはまた一緒に遊んでください。 私は全員のことを忘れないので覚悟していてください。脅迫めいた終わり方であと味が悪いですね。最終回も泣いたフリをするという絶妙に気味の悪い終わり方だったので、それも私らしいのかなと思います。 この連載もかれこれ2年半がんばりました。1カ月ごとに振り返ることで記憶が定着して、まるで学習内容を復習しているようで楽しかったです。 思い出すことと書くことが大好きなので、この場所がなくなってしまうのもとても寂しい。今後はそのへんの紙の切れ端に、思い出したことを殴り書きしていこうと思います。違う連載ができるのが一番理想ですけれども。 貴重な時間を割いてここまで読んでくださったあなた、ありがとうございます。また会えることをお約束しますね。また。
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W杯で話題のラグビーを学ぼう!破壊力抜群なベスト3|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第29回
季節の和菓子が食べたくなります、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の8月に配信された第36回から第40回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組も、もちろん観られます。 「おすすめの海外旅行先」に意外な国が登場! (写真:奥森皐月の公私混同 第36回「旅行、私に教えてください!」) 第36回のテーマは「旅行、教えてください!」。ゲストに、元JTB芸人・こじま観光さんにお越しいただきました。 仕事で地方へ行くことはたまにありますが、それ以外で旅行に行くことはめったにありません。興味がないわけではないけれど、旅行ってすぐにできないし、習慣というか行き慣れていないとなかなか気軽にできないですよね。 それに加え、私は海外にも行ったことがないので、海外旅行は自分にとってかなり遠い出来事。そのため、どういったお話が聞けるのか楽しみでした。 こじま観光さんはもともとJTBの社員として働かれていたという、「旅行好き」では済まないほど旅行・観光に詳しいお方。パッケージツアーの中身を考えるお仕事などをされていたそうです。 食事、宿泊、観光名所、などすべてがそろって初めて旅行か、と当たり前のことに気づかされました。 旅行が好きになったきっかけのお話が印象的でした。小学生のころ、お父様に「飛行機に乗ったことないよな」と言われて、ふたりでハワイに行ったとのこと。 そこから始まって、海外への興味などが湧いたとのことで、子供のころの経験が今につながっているのは素敵だと感じました。 ベスト3のコーナーでは「奥森さんに今行ってほしい国ベスト3」をご紹介いただきました。海外旅行と聞いて思いつく国はいくつかありましたが、第3位でいきなりアイルランドが出てきて驚きました。 国名としては知っているけれど、どんな国なのかは想像できないような、あまり知らない国が登場するランキングで、各地を巡られているからこそのベスト3だとよく伝わりました。 1位の国もかなり意外な場所でした。「奥森さんに」というタイトルですが、皆さんも参考になると思うので、ぜひチェックしていただきたいです。 11種類もの「釣り方」をレクチャー! (写真:奥森皐月の公私混同 第37回「釣り、私に教えてください!」) 第37回は、ゲストに釣り大好き芸人・ハッピーマックスみしまさんにお越しいただき「釣り、教えてください!」のテーマでお送りしました。 以前「魚、教えてください!」のテーマで一度配信があり、その際に少し釣りについてのパートもありましたが、今回は1時間まるまる釣りについて。 魚回のとき釣りに少し興味が湧いたのですが、やはり始め方や初心者は何からすればいいかがわからないので、そういった点も詳しく聞きたく思い、お招きしました。 大まかに海釣りや川釣りなどに分かれることはさすがにわかるのですが、釣り方には細かくさまざまな種類があることをまず教えていただきました。11種類くらいあるとのことで、知らないものもたくさんありました。釣りって幅広いですね。 みしまさんは特にルアー釣りが好きということで、スタジオに実際にルアーをお持ちいただきました。見たことないくらい大きなものもあるし、カラフルでかわいらしいものもあるし、それぞれのルアーにエピソードがあってよかったです。 また、みしまさんがご自身で○と×のボタンを持ってきてくださって、定期的にクイズを出してくれたのもおもしろかった。全体的な空気感が明るかったです。 「思い出の釣り」のベスト3は、それぞれずっしりとしたエピソードがあり、いいランキングでした。それぞれ写真も見ながら当時の状況を教えてくださったので、釣りを知らない私でも楽しむことができました。 まずは初心者におすすめだという「管理釣り場」から挑戦したいです。 鉄道好きが知る「秘境駅」は唯一無二の景色! (写真:奥森皐月の公私混同 第38回「鉄道、私に教えてください!」) 第38回のテーマは「鉄道、教えてください!」。ゲストに鉄道芸人・レッスン祐輝さんをお招きしました。 鉄道自体に興味がないわけではなく、詳しくはありませんが、好きです。移動手段で電車を使っているのはもちろん、普段乗らない電車に乗って知らない土地に行くのも楽しいと思います。 ただ、鉄道好きが多く規模が大きいことで、楽しみ方が無限にありそう。そのため、あまりのめり込んで鉄道ファンになる機会はありませんでした。 この回のゲストのレッスン祐輝さん、いい意味でめちゃくちゃに「鉄道オタク」でした。あふれ出る情報量と熱量が凄まじかった。 全国各地の鉄道を巡っているとのことで、1日に1本しか走っていない列車や、秘境を走る鉄道にも足を運んでいるそうです。 「秘境駅」というものに魅了されたとのことでしたが、たしかに写真を見ると唯一無二の景色で美しかったです。山奥で、車ですら行けない場所などもあるようで、死ぬまでに一度は行ってみたいなと思いました。 ベスト3では「癖が強すぎる終電」について紹介していただきました。レッスン祐輝さんは鉄道好きの中でも珍しい「終電鉄」らしく、これまでに見た変わった終電のお話が続々と。 終電に乗るせいで家に帰れないこともあるとおっしゃっていて、終電なんて帰るためのものだと思っていたので、なんだかおもしろかったです。 あのインドカレーは「混ぜて食べてもOK」!? (写真:奥森皐月の公私混同 第39回「カレー、私に教えてください!」) 第39回は、ゲストにカレー芸人・桑原和也さんにお越しいただき「カレー、教えてください!」をお送りしました。 私もカレーは大好き。インドカレーのお店によく行きます、ナンが食べたい日がかなりある。 「カレー」とひと言でいえど、さまざまな種類がありますよね。日本風のカレーライスから、ナンで食べるカレー、タイカレーなど。 近年流行っている「スパイスカレー」も名前としては知っていましたが、それがなんなのか聞くことができてよかったです。関西が発祥というのは初めて知りました。 カレー屋さんは東京が栄えているのだと思っていたのですが、関西のほうが名店がたくさんあるとのことで、次に関西に行ったら必ずカレーを食べようと心に決めました。 インドカレーにも種類があるらしく、たまにカレー屋さんで見かける、銀のプレートに小さい銀のボウルで複数種類のカレーが乗っていてお米が真ん中にあるようなスタイルは、南インドの「ミールス」と呼ばれるものだそうです。 今まで、ミールスは食べる順番や配分が難しい印象だったのですが、桑原さんから「混ぜて食べてもいい」というお話を聞き、衝撃を受けました。銀のプレートにひっくり返して、ひとつにしてしまっていいらしいです。 違うカレーの味が混ざることで新たな味わいが生まれ、辛さがマイルドになったり、別のおいしさが感じられるようになったりするとのこと。次にミールスに出会ったら絶対に混ぜます。 ランキングは「オススメのレトルトカレー」という実用的な情報でした。 レトルトカレーで冒険できないのは私だけでしょうか。最近はレトルトでも本当においしくていろいろな種類が発売されているようで、3つとも初めてお目にかかるものでした。 自宅で簡単に食べられるおいしいカレー、皆さんもぜひ参考にしてみてください。 9月のW杯に向けて「ラグビー」を学ぼう! (写真:奥森皐月の公私混同 第40回「ラグビー、私に教えてください!」) 8月最後の配信のテーマは「ラグビー、教えてください!」で、ゲストにラグビー二郎さんにお越しいただきました。 9月にラグビーワールドカップがあるので、それに向けて学ぼうという回。 私はもともとスポーツにまったく興味がなく、現地観戦はおろかテレビでもほとんどのスポーツを観たことがありませんでした。それが、この『公私混同』をきっかけにサッカーW杯を観て、WBCを観て、相撲を観て、と大成長を遂げました。 この調子でラグビーもわかるようになりたい。ラグビー二郎さんはラグビー経験者ということで、プレイヤー視点でのお話もあっておもしろかったです。 ルールが難しい印象ですが、あまり理解しないで観始めても大丈夫とのこと。まずはその迫力を感じるだけでも楽しめるそうです。直感的に楽しむのって大事ですよね。 前回、前々回のラグビーW杯もかなり盛り上がっていたので、要素としての情報は少しだけ知っていました。 その中で「ハカ」は、言葉としてはわかるけれど具体的になんなのかよくわからなかったので、詳しく教えていただけてうれしかったです。実演もしていただいてありがたい。 ここからのランキングが非常によかった。「ハカをやってるときの対戦相手の対応」というマニアックなベスト3でした。 ハカの最中に対戦相手が挑発的な対応をすることもあるらしく、過去に本当にあった名場面的な対応を3つご紹介いただきました。 どれも破壊力抜群のおもしろさで、ランキングタイトルを聞いたときのわくわく感をさらに上回る数々。本編でご確認いただきたい。 今年のワールドカップを観るのはもちろん、ハカのときの対戦相手の対応という細かいところまできちんと見届けたいと強く感じました。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 奥森皐月の公私混同ではメールを募集しています。 募集内容はX(Twitter)に定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは毎週アフタートークが公開されています。 最近のことを話したり、あれこれ考えたりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式X(Twitter)アカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! 今週は!1年間の振り返り放送です!!! コーナーリスナー的ベスト3 奥森さんへの質問、感想メール募集します! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼リアクションメール▼感想メール
宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は9/19(火)10時です! pic.twitter.com/nazDBoFSDk — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) September 18, 2023 奥森皐月個人のX(Twitter)アカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 キングオブコントのインタビュー動画 男性ブランコのサムネイルも漢字二文字だ、もはや漢字二文字待ちみたいになってきている、各芸人さんの漢字二文字考えたいな、そんなこと一緒にしてくれる人いないから1人で考えます、1人で色々な二文字を考えようと思います https://t.co/dfCQQVlhrg pic.twitter.com/LMpwxWhgUF — 奥森皐月 (@okumoris) September 19, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は、なんと収録後記の最終回です。 番組開始当初から毎月欠かさず書いてきましたが、9月末で番組が終了ということで、こちらもおしまい。とても寂しいですが、最後まで読んでいただけるとうれしいです。
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宮下草薙・宮下と再会!ボードゲームの驚くべき進化|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第28回
ドライブがしたいなと思ったら車を借りてドライブをします、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の7月に配信された第32回から第35回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組ももちろん観られます。 かれこれ2年半もこの番組を続けています。もっとがんばってるねとか言ってほしいです。 宮下草薙・宮下が「ボードゲームの驚くべき進化」をプレゼン (写真:奥森皐月の公私混同 第32回「ボードゲーム、私に教えてください!」) 第32回のテーマは「ボードゲーム、教えてください!」。ゲストに、宮下草薙の宮下さんにお越しいただきました。 昨年のテレビ朝日の夏イベント『サマステ』ではこの番組のステージがあり、ゲストに宮下草薙さんをお招きしました。それ以来、約1年ぶりにお会いできてうれしかったです。 宮下さんといえばおもちゃ好きとして知られていますが、今回はその中でも特に宮下さんが詳しい「ボードゲーム」に特化してお話を伺いました。 巷では「ボードゲームカフェ」なるものが流行っているようですが、私はほとんどプレイしたことがありません。『人生ゲーム』すら、ちゃんとやったことがあるか記憶が曖昧。ひとりっ子だったからかしら。 そんななか、ボードゲームは驚くべき進化を遂げていることを、宮下さんが魅力たっぷりに教えてくださいました。 大人数でプレイするものが多いと勝手に思っていましたが、ひとりでできるゲームもたくさんあるそう。ひとりでボードゲームをするのは果たして楽しいのだろうかと思ってしまいましたが、実際にあるゲームの話を聞くとおもしろそうでした。購入してみたくなってしまいます。 ボードゲームのよさのひとつが、パーツや付属品などがかわいいということ。デジタルのゲームでは感じられない、手元にあるというよさは大きな魅力だと思います。見た目のかわいさから選んで始めるのも楽しそうです。 ランキングでは「もはや自分のマルチバース」ベスト3をご紹介いただきました。宮下さんが実際にプレイした中でも没入感が強くのめり込んだゲームたちは、どれも最高におもしろそうでした。 「重量級」と呼ばれる、プレイ時間が長くルールが複雑で難しいものも、現物をお持ちいただきましたが、あまりにもパーツが多すぎて驚きました。 それらをすべて理解しながら進めるのは大変だと感じますが、ゲームマスターがいればどうにかできるようです。かっこいい響き。ゲームマスター。 まずはボードゲームカフェで誰かに教わりながら始めたいと思います。本当に興味深いです、ボードゲームの世界は広い。 お城を歩くときは、自分が死ぬ回数を数える (写真:奥森皐月の公私混同 第33回「城、私に教えてください!」) 第33回は、ゲストに城マニア・観光ライターのいなもとかおりさんお越しいただき、「城、教えてください!」のテーマでお送りしました。 建物は好きなのですが歴史にあまり詳しくないため、お城についてはよくわかりません。お城好きの人は多い印象だったのですが、知識が必要そうで自分には難しいのではないかというイメージを抱いていました。 ただ、いなもとさんのお城のお話は、本当におもしろくてわかりやすかった。随所に愛があふれているけれど、初心者の私でも理解できるように丁寧に教えてくださる。熱量と冷静さのバランスが絶妙で、あっという間の1時間でした。 「城」と聞くと、名古屋城や姫路城などのいわゆる「天守」の部分を想像してしまいます。ただ、城という言葉自体の意味では、天守のまわりの壁や堀などもすべて含まれるとのこと。 土が盛られているだけでも城とされる場所もあって、そういった城跡などもすべて含めると、日本に城は4万から5万箇所あるそうです。想像していた数の100倍くらいで本当に驚きました。 いなもとさん流のお城の楽しみ方「攻め込むつもりで歩いたときに何回自分がやられてしまうか数える」というお話がとても印象的です。いかに敵に対抗できているお城かというのを実感するために、天守まで歩きながら死んでしまう回数を数えるそう。おもしろいです。 歴史の知識がなくてもこれならすぐに試せる。次にお城に行くことがあれば、私も絶対に攻める気持ち、そして敵に攻撃されるイメージをしながら歩こうと思います。 コーナーでは「昔の人が残した愛おしいらくがきベスト3」を紹介していただきました。 お城の中でも石垣が好きだといういなもとさん。石垣自体に印がつけられているというのは今回初めて知りました。 それ以外にも、お城には昔の人が残したらくがきがいくつもあって、どれもかわいらしくおもしろかったです。それぞれのお城で、そのらくがきが実際に展示されているとのことで、実物も見てみたいと思いました。 プラスチックを分解できる!? きのこの無限の可能性 (写真:奥森皐月の公私混同 第34回「きのこ、私に教えてください!」) 第34回のテーマは「きのこ、教えてください!」。ゲストに、きのこ大好き芸人・坂井きのこさんをお招きしました。 きのこって身近なのに意外と知らない。安いからスーパーでよく買うし、そこそこ食べているはずなのに、実態についてはまったく理解できていませんでした。「きのこってなんだろう」と考える機会がなかった。 坂井さんは筋金入りのきのこ好きで、幼少期から今までずっときのこに魅了されていることがお話を聞いてわかりました。 山や森などできのこを見つけると、少しうれしい気持ちになりますよね。きのこ狩りをずっとしていると珍しいきのこにもたくさん出会えるようで、単純に宝探しみたいで楽しそうだなぁと思いました。 菌類で、毒があるものもあって、鑑賞してもおもしろくて、食べることもできる。ほかに似たものがない不思議な存在だなぁと改めて思いました。 野菜だったら「葉の部分を食べている」とか「実を食べている」とかわかりやすいですけれど、きのこってじゃあなんだといわれると説明ができない。 基本の基本からきのこについてお聞きできてよかったです。菌類には分解する力があって、きのこがいるから生態系は保たれている。命が尽きたら森に葬られてきのこに分解されたい……とおっしゃっていたときはさすがに変な声が出てしまいました。これも愛のかたちですね。 ランキングコーナーの後半では、きのこのすごさが次々とわかってテンションが上がりました。 特に「プラスチックを分解できるきのこがある」という話は衝撃的。研究がまだまだ進められていないだけで、きのこには無限の可能性が秘められているのだとわかってワクワクしちゃった。 この収録を境に、きのこを少し気にしながら生きるようになった。皆さんもこの配信を観ればきのこに対する心持ちが少し変わると思います。教育番組らしさもあるいい回でした。 「神オブ神」な花火を見てみたい! (写真:奥森皐月の公私混同 第35回「花火、私に教えてください!」) 7月最後の配信のテーマは「花火、教えてください!」で、ゲストに花火マニアの安斎幸裕さんにお越しいただきました。 コロナ禍も落ち着き、今年は本格的にあちこちで花火大会が開催されていますね。8月前半の土日は全国的にも花火大会がたくさん開催される時期とのことで、その少し前の最高のタイミングでお越しいただきました。 花火大会にはそれぞれ開催される背景があり、それらを知ってから花火を見るとより楽しめるというお話が素敵でした。かの有名な長岡の花火大会も、古くからの歴史と想いがあるとのことで、見え方が変わるなぁと感じます。 それから、花火玉ひとつ作るのに相当な時間と労力がかけられていることを知って驚きました。中には数カ月かかって作られるものもあるとのことで、それが一瞬で何十発も打ち上げられるのは本当に儚いと思いました。 このお話を聞いて今年花火大会に行きましたが、一発一発にその手間を感じて、これまでと比べ物にならないくらいに感動しました。派手でない小さめの花火も愛おしく思えた。 安斎さんの花火職人さんに対するリスペクトの気持ちがひしひしと伝わってきて、とてもよかったです。 最初は、本当に尊敬しているのだなぁという印象だったのですが、だんだんその思いがあふれすぎて、推しを語る女子高校生のような口調になられていたのがおもしろかったです。見た目のイメージとのギャップもあって素敵でした。 最終的に、あまりにすごい花火のことを「神オブ神」と言ったり、花火を「神が作った子」と言ったりしていて、笑ってしまいました。 この週の「大喜利公私混同カップ2」のお題が「進化しすぎた最新花火の特徴を教えてください」だったのですが、大喜利の回答に近い花火がいくつも存在していることを教えてくださっておもしろかったです。 大喜利が大喜利にならないくらいに、花火が進化していることがわかりました。このコーナーの大喜利と現実が交錯する瞬間がすごく好き。 真夏以外にも花火大会はあり、さまざまな花火アーティストによってまったく違う花火が作られていることをこの収録で知りました。きちんと事前にいい席を取って、全力で花火を楽しんでみたいです。 成田の花火大会がどうやらかなりすごいので行ってみようと思います。「神オブ神」って私も言いたい。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 『奥森皐月の公私混同』ではメールを募集しています。 募集内容はTwitterに定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは、毎週アフタートークが公開されています。 ゆったり作家のみなさんとおしゃべりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式Twitterアカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! テーマは【カレー
】【ラグビー
】です! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼ゲストへの質問▼大喜利公私混同カップ2▼リアクションメール▼感想メール
宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は8/22(火)10時です! pic.twitter.com/xJrDL41Wc9 — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) August 20, 2023 奥森皐月個人のTwitterアカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 大喜る人たち生配信を真剣に見ている奥森皐月。お前は中途半端だからサッカー選手にはなれないと残酷な言葉で説く父親、聞く耳を持たない小2くらいの息子、黙っている妹と母親の4人家族。啜り泣くギャル。この3組がお客さんのカレー屋さんがさっきまであった。出てしまったので今はもうない。 — 奥森皐月 (@okumoris) August 20, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は「未体験のジャンルからやってくる強者たち」を中心にお送りします。お楽しみに。
AKB48 Team 8 私服グラビア
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生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」
仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載(文=山本大樹)
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「才能」という呪縛を解く ミューズの真髄
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 『ブルー・ピリオド』をはじめ美大受験モノマンガがブームを呼んでいる昨今。特に芸術というモチーフは、その核となる「才能とは何か?」を掘り下げることで、主人公の自意識をめぐるドラマになりやすい。 文野紋『ミューズの真髄』も、一度は美大受験に失敗した会社員の主人公・瀬野美優が、一念発起して再び美大受験を志し、自分を肯定するための道筋を探るというストーリーだ。しかし、よくある美大受験マンガかと思ってページをめくっていくと、「才能」の扱い方に本作の特筆すべき点を見出すことができる。 「美大に落ちたあの日。“特別な私”は、死んでしまったから。仕方がないのです。“凡人”に成り下がった私は、母の決めた職場で、母の決めた服を着て、母が自慢できるような人と母が言う“幸せ”を探すんです。でも、だって、仕方ない、を繰り返しながら。」 (『ミューズの真髄』あらすじより) 主人公の美優は「どこにでもいる平凡な私」から、自分で自分を肯定するために、少しずつ自分の意志を周囲に示すようになる。芸術の道に進むことに反対する母親のもとを飛び出し、自尊心を傷つける相手にはNOを突きつけ、自分の進むべき道を自ら選び取っていく。しかし、心の奥深くに根づいた自己否定の考えはそう簡単に変えることはできない。自尊心を取り戻す過程で立ち塞がるのが「才能」の壁だ。 24歳という年齢で美術予備校に飛び込んだ美優は、最初の作品講評で57人中47位と悲惨な成績に終わる。自分よりも年下の生徒たちが才能を見出されていくなかで、自分の才能を見つけることができない美優。その後挫折を繰り返しながら、予備校の講師である月岡との出会いによって少しずつ自分を肯定し、前向きに進んでいく姿には胸が熱くなる。 「私は地獄の住人だ あの人みたいにあの子みたいに漫画みたいに 才能もないし美術で生きる資格はないのかもしれない バカで中途半端で恋愛脳で人の影響ばかり受けてごめんなさい でももがいてみてもいいですか? 執着してみていいですか?」 冒頭で述べたとおり、本作の「才能」への向き合い方を端的に示しているのがこのセリフである。才能がなくても好きなことに執着する──功利主義の社会では蔑まれがちなこのスタンスこそが、他者の否定的な視線から自分を守り、自分の人生を肯定していくためには重要だ。才能に執着するのではなく、「絵」という自分の愛する対象に執着する。その執着が自分を愛することにつながるのだ。それは「好きなことを続けられるのも才能」のような安い言葉では語り切れるものではない。 才能と自意識の話に収斂していく美大受験マンガとは別の視座を、美優の生き方は示してくれる。そして、美優にとっての「美術」と同じように、執着できる対象を見つけることは、「才能」の物語よりも私たちにとっては遥かに重要なことのはずである。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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勝ち負けから離れて生きるためには? 真造圭伍『ひらやすみ』
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 30代を迎えて、漠然とした焦りを感じることが増えた。20代のころに感じていた将来への不安からくる焦りとはまた種類の違う、現実が見えてきたからこその焦りだ。 周囲の同世代が着々と実績を残していくなか、自分だけが取り残されているような感覚。いつまで経っても増えない収入、一年後の見通しすらも立たない生活……焦りの原因を数え始めたらキリがない。 真造圭伍のマンガ『ひらやすみ』は、30歳のフリーター・ヒロト君と従姉妹のなつみちゃんの平屋での同居生活を描いたモラトリアム・コメディだ。 定職に就かずに30歳を迎えてもけっして焦らず、のんびりと日々の生活を愛でながら過ごすヒロト君の生き方は、素直にうらやましく思う。身の回りの風景の些細な変化や季節の移り変わりを感じながら、家族や友達を思いやり、目の前のイベントに全力を注ぐ。どうしても「こんなふうに生きられたら」と考えてしまうくらい、魅力的な人物だ。 そんなヒロト君も、かつては芸能事務所に所属し、俳優として夢を追いかけていた時期もあった。高校時代には親友のヒデキと映画を撮った経験もあり、純粋に芝居を楽しんでいたヒロト君。芸能事務所のマネージャーから「なんで俳優になろうと思ったの?」と聞かれ、「あ、オレは楽しかったからです!演技するのが…」と答える。 「でも、これからは楽しいだけじゃなくなるよ──」 「売れたら勝ち、それ以外は負けって世界だからね」 数年後、役者を辞めたヒロト君は、漫画家を目指す従姉妹のなつみちゃんの姿を見て、かつて自分がマネージャーから言われた言葉を思い出す。純粋に楽しんでいたはずのことも、社会では勝ち負け──経済的な成功/失敗に回収されていく。出版社にマンガを持ち込んだなつみちゃんも、もしデビューすれば商業誌での戦いを強いられていくだろう。 運よく好きなことや向いていることを仕事にできたとしても、資本主義のルールの中で暮らしている以上、競争から距離を置くのはなかなか難しい。結果を出せない人のところにいつまでも仕事が回ってくることはないし、自分の代わりはいくらでもいる。嫌でも他者との勝負の土俵に立たされることになるし、純粋に「好き」だったころの気持ちとはどんどんかけ離れていく。 「アイツ昔から不器用でのんびり屋で勝ち負けとか嫌いだったじゃん? 業界でそういうのいっぱい経験しちまったんだろーな。」 ヒロト君の親友・ヒデキは、ヒロトが俳優を辞めた理由をそう推察する。私が身を置いている出版業界でも、純粋に本や雑誌が好きでこの業界を志した人が挫折して去っていくのをたくさん見てきた。でも、彼らが負けたとは思わないし、なんとか端っこで食っているだけの私が勝っているとももちろん思わない。勝ち/負けという物差しで物事を見るとき、こぼれ落ちるものはあまりに多い。むしろ、好きだったはずのことが本当に嫌いにならないうちに、別の仕事に就いたほうが幸せだと思う。 私も勝ち負けが本当に苦手だ。優秀な同業者も目の前でたくさん見てきて、同じ土俵に上がったらまず自分では勝負にならないということも30歳を過ぎてようやくわかった。それでも続けているのは、勝ち負けを抜きにして、いつか純粋にこの仕事が好きになれる日が来るかもしれないと思っているからだ。もちろん、仕事が嫌いになる前に逃げる準備ももうできている。 暗い話になってしまったが、『ひらやすみ』のヒロト君の生き方は、競争から逃れられない自分にとって、大きな救いになっている。なつみちゃんから「暇人」と罵られ、見知らぬ人からも「みんながみんなアナタみたいに生きられると思わないでよ」と言われるくらいののんびり屋でも、ヒロト君の周囲には笑顔が絶えない。自分ひとりの意志で勝ち負けから逃れられないのであれば、せめてまわりにいる人だけでも大切にしていきたい。そうやって自分の生活圏に大切なものをちゃんと作っておけば、いつでも競争から降りることができる。『ひらやすみ』は、そんな希望を見せてくれる作品だった。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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克明に記録されたコロナ禍の息苦しさ──冬野梅子『まじめな会社員』
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 5月に『コミックDAYS』での連載が完結した冬野梅子『まじめな会社員』。30歳の契約社員・菊池あみ子を取り巻く苦しい現実、コロナ禍での転職、親の介護といった環境の変化をシビアに描いた作品だ。周囲のキラキラした友人たちとの比較、自意識との格闘でもがく姿がSNSで話題を呼び、あみ子が大きな選択を迫られる最終回は多くの反響を集めた。 「コロナ禍における、新種の孤独と人生のたのしみを、「普通の人でいいのに!」で大論争を巻き起こした新人・冬野梅子が描き切る!」と公式の作品紹介にもあるように、本作は2020年代の社会情勢を忠実に反映している。疫病はさまざまな局面で社会階層の分断を生み出したが、特に本作で描かれているのは「働き方」と「人間関係」の変化と分断である。『まじめな会社員』は、疫禍による階層の分断を克明に描いた作品として貴重なサンプルになるはずだ。 2022年5月末現在、コロナがニュースの時間のほとんどを占めていた時期に比べると、世間の空気は少し緩やかになりつつある。飲食店は普通にアルコールを提供しているし、休日に友達と遊んだり、ライブやコンサートに出かけることを咎められるような空気も薄まりつつある。しかし、過去の緊急事態宣言下の生活で感じた孤独や息苦しさはそう簡単に忘れられるものではないだろう。 たとえば、スマホアプリ開発会社の事務職として働くあみ子は、コロナ禍の初期には在宅勤務が許されていなかった。 「持病なしで子供なしだとリモートさせてもらえないの?」「私って…お金なくて旅行も行けないのに通勤はさせられてるのか」(ともに2巻)とリモートワークが許される人々との格差を嘆く場面も描かれている。 そして、あみ子の部署でもようやくリモートワークが推奨されるようになると、それまで事務職として上司や営業部のサポートを押しつけられていた今までを振り返り、飲食店やライブハウスなどの苦境に思いを巡らせつつも、つい「こんな生活が続けばいいのに…」とこぼしてしまう。 自由な働き方に注目が集まる一方で、いわゆるエッセンシャルワーカーはもちろん、社内での立場や家族の有無によって出勤を強いられるケースも多かった。仕事上における自身の立場と感染リスクを常に天秤にかけながら働く生活に、想像以上のストレスを感じた人も多かったはずだ。 「抱き合いたい「誰か」がいないどころか 休日に誰からも連絡がないなんていつものこと おうち時間ならずっとやってる」(2巻) コロナによる分断は、働き方の面だけではなく人間関係にも侵食してくる。コロナ禍の初期には「自粛中でも例外的に会える相手」の線引きは、限りなく曖昧だった。独身・ひとり暮らしのあみ子は誰とも会わずに自粛生活を送っているが、インスタのストーリーで友人たちがどこかで会っているのを見てモヤモヤした気持ちを抱える。 「コロナだから人に会えないって思ってたけど 私以外のみんなは普通に会ってたりして」「綾ちゃんだって同棲してるし ていうか世の中のカップルも馬鹿正直に自粛とかしてるわけないし」(2巻) 相互監視の状況に陥った社会では、当事者同士の関係性よりも「(世間一般的に)会うことが認められる関係性かどうか」のほうが判断基準になる。家族やカップルは認められても、それ以外の関係性だと、とたんに怪訝な目を向けられる。人間同士の個別具体的な関係性を「世間」が承認するというのは極めておぞましいことだ。「家族」や「恋人」に対する無条件の信頼は、家父長制的な価値観にも密接に結びついている。 またいつ緊急事態宣言が出されるかわからないし、そうなれば再び社会は相互監視の状況に陥るだろう。感染者数も落ち着いてきた今のタイミングだからこそ本作を通じて、当時は語るのが憚られた個人的な息苦しさや階層の分断に改めて目を向けておきたい。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
L'art des mots~言葉のアート~
企画展情報から、オリジナルコラム、鑑賞記まで……アートに関するよしなしごとを扱う「L’art des mots~言葉のアート~」
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【News】西洋絵画の500年の歴史を彩った巨匠たちの傑作が、一挙来日!『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が大阪市立美術館・国立新美術館にて開催!
先史時代から現代まで5000年以上にわたる世界各地の考古遺物・美術品150万点余りを有しているメトロポリタン美術館。 同館を構成する17部門のうち、ヨーロッパ絵画部門に属する約2500点の所蔵品から、選りすぐられた珠玉の名画65 点(うち46 点は日本初公開)を展覧する『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が、11月に大阪、来年2月には東京で開催されます。 この展覧会は、フラ・アンジェリコ、ラファエロ、クラーナハ、ティツィアーノ、エル・グレコから、カラヴァッジョ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、レンブラント、 フェルメール、ルーベンス、ベラスケス、プッサン、ヴァトー、ブーシェ、そしてゴヤ、ターナー、クールベ、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌに至るまでを、時代順に3章で構成。 第Ⅰ章「信仰とルネサンス」では、イタリアのフィレンツェで15世紀初頭に花開き、16世紀にかけてヨーロッパ各地で隆盛したルネサンス文化を代表する画家たちの名画、フラ・アンジェリコ《キリストの磔刑》、ディーリック・バウツ《聖母子》、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ヴィーナスとアドニス》など、計17点を観ることが出来ます。 第Ⅱ章「絶対主義と啓蒙主義の時代」では、絶対主義体制がヨーロッパ各国で強化された17世紀から、啓蒙思想が隆盛した18世紀にかけての美術を、各国の巨匠たちの名画30点により紹介。カラヴァッジョ《音楽家たち》、ヨハネス・フェルメール《信仰の寓意》、レンブラント・ファン・レイン《フローラ》などを御覧頂けます。 第Ⅲ章「革命と人々のための芸術」では、レアリスム(写実主義)から印象派へ……市民社会の発展を背景にして、絵画に数々の革新をもたらした19世紀の画家たちの名画、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む》、オーギュスト・ルノワール《ヒナギクを持つ少女》、フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く果樹園》、さらには日本初公開となるクロード・モネ《睡蓮》など、計18点が展覧されます。 15世紀の初期ルネサンスの絵画から19世紀のポスト印象派まで……西洋絵画の500 年の歴史を彩った巨匠たちの傑作を是非ご覧下さい! 『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』 ■大阪展 会期:2021年11月13日(土)~ 2022年1月16日(日) 会場:大阪市立美術館(〒543-0063大阪市天王寺区茶臼山町1-82) 主催:大阪市立美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社、テレビ大阪 後援:公益財団法人 大阪観光局、米国大使館 開館時間:9:30ー17:00 ※入館は閉館の30分前まで 休館日:月曜日( ただし、1月10日(月・祝)は開館)、年末年始(2021年12月30日(木)~2022年1月3日(月)) 問い合わせ:TEL:06-4301-7285(大阪市総合コールセンターなにわコール) ■東京展 会期:2022年2月9日(水)~5月30日(月) 会場:国立新美術館 企画展示室1E(〒106-8558東京都港区六本木 7-22-2) 主催:国立新美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社 後援:米国大使館 開館時間:10:00ー18:00( 毎週金・土曜日は20:00まで)※入場は閉館の30分前まで 休館日:火曜日(ただし、5月3日(火・祝)は開館) 問い合わせ:TEL:050-5541-8600( ハローダイヤル) text by Suzuki Sachihiro
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【News】約3,000点の新作を展示。国立新美術館にて「第8回日展」が開催!
10月29日(金)から11月21日まで、国立新美術館にて「第8回日展」が開催されます。日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5部門に渡って、秋の日展のために制作された現代作家の新作、約3,000点が一堂に会します。 明治40年の第1回文展より数えて、今年114年を迎える日本最大級の公募展である日展は、歴史的にも、東山魁夷、藤島武二、朝倉文夫、板谷波山など、多くの著名な作家を生み出してきました。 展覧会名:第8回 日本美術展覧会 会 場:国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2) 会 期:2021年10月29日(金)~11月21日(日)※休館日:火曜日 観覧時間:午前10時~午後6時(入場は午後5時30分まで) 主 催:公益社団法人日展 後 援:文化庁/東京都 入場料・チケットや最新の開催情報は「日展ウェブサイト」をご確認下さい (https://nitten.or.jp/) 展示される作品は作家の今を映す鏡ともいえ、作品から世相や背景など多くのことを読み取る楽しさもあります。 あらゆるジャンルをいっぺんに楽しめる機会、新たな日本の美術との出会いに胸躍ること必至です! 東京展の後は、京都、名古屋、大阪、安曇野、金沢の5か所を巡回(予定)します。 日本画 会場風景 2020年 洋画 会場風景 2020年 彫刻 会場風景 2020年 工芸美術 会場風景 2020年 書 会場風景 2020年 text by Suzuki Sachihiro
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【News】和田誠の全貌に迫る『和田誠展』が開催!
イラストレーター、グラフィックデザイナー和田誠わだまこと(1932-2019)の仕事の全貌に迫る展覧会『和田誠展』が、今秋10月9日から東京オペラシティアートギャラリーにて開催される。 和田誠 photo: YOSHIDA Hiroko ©Wada Makoto 和田誠の輪郭をとらえる上で欠くことのできない約30のトピックスを軸に、およそ2,800点の作品や資料を紹介。様々に創作活動を行った和田誠は、いずれのジャンルでも一級の仕事を残し、高い評価を得ている。 展示室では『週刊文春』の表紙の仕事はもちろん、手掛けた映画の脚本や絵コンテの展示、CMや子ども向け番組のアニメーション上映も予定。 本展覧会では和田誠の多彩な作品に、幼少期に描いたスケッチなども交え、その創作の源流をひも解く。 ▽和田誠の仕事、総数約2,800点を展覧。書籍と原画だけで約800点。週刊文春の表紙は2000号までを一気に展示 ▽学生時代に制作したポスターから初期のアニメーション上映など、貴重なオリジナル作品の数々を紹介 ▽似顔絵、絵本、映画監督、ジャケット、装丁……など、約30のトピックスで和田誠の全仕事を紹介 会場は【logirl】『Musée du ももクロ』でも何度も訪れている、初台にある「東京オペラシティアートギャラリー」。 この秋注目の展覧会!あなたの芸術の秋を「和田誠の世界」で彩ろう。 【開催概要】展覧会名:和田誠展( http://wadamakototen.jp/ ) 会期:2021年10月9日[土] - 12月19日[日] *72日間 会場:東京オペラシティ アートギャラリー 開館時間:11:00-19:00(入場は18:30まで) 休館日:月曜日 入場料:一般1,200[1,000]円/大・高生800[600]円/中学生以下無料 主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団 協賛:日本生命保険相互会社 特別協力:和田誠事務所、多摩美術大学、多摩美術大学アートアーカイヴセンター 企画協力:ブルーシープ、888 books お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル) *同時開催「収蔵品展072難波田史男 線と色彩」「project N 84 山下紘加」の入場料を含みます。 *[ ]内は各種割引料金。障害者手帳をお持ちの方および付添1名は無料。割引の併用および入場料の払い戻しはできません。 *新型コロナウイルス感染症対策およびご来館の際の注意事項は当館ウェブサイトを( https://www.operacity.jp/ag/ )ご確認ください。 ▽和田誠(1932-2019) 1936年大阪に生まれる。多摩美術大学図案科(現・グラフィックデザイン学科)を卒業後、広告制作会社ライトパブリシティに入社。 1968年に独立し、イラストレーター、グラフィックデザイナーとしてだけでなく、映画監督、エッセイ、作詞・作曲など幅広い分野で活躍した。 たばこ「ハイライト」のデザインや「週刊文春」の表紙イラストレーション、谷川俊太郎との絵本や星新一、丸谷才一など数多くの作家の挿絵や装丁などで知られる。 報知映画賞新人賞、ブルーリボン賞、文藝春秋漫画賞、菊池寛賞、毎日デザイン賞、講談社エッセイ賞など、各分野で数多く受賞している。 仕事場の作業机 photo: HASHIMOTO ©Wada Makoto 『週刊文春』表紙 2017 ©Wada Makoto 『グレート・ギャツビー』(訳・村上春樹)装丁 2006 中央公論新社 ©Wada Makoto 『マザー・グース 1』(訳・谷川俊太郎)表紙 1984 講談社 ©Wada Makoto text by Suzuki Sachihiro
logirl staff voice
logirlのスタッフによるlogirlのためのtext
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「誰も観たことのないバラエティを」。『ももクロChan』10周年記念スタッフ座談会
ももいろクローバーZの初冠番組『ももクロChan』が昨年10周年を迎えた。 この番組が女性アイドルグループの冠番組として異例の長寿番組となったのは、ただのアイドル番組ではなく、"バラエティ番組”として破格におもしろいからだ。 ももクロのホームと言っても過言ではないバラエティ番組『ももクロChan』。 彼女たちが10代半ばのころから、その成長を見続けてきたプロデューサーの浅野祟氏、吉田学氏、演出の佐々木敦規氏の3人が集まり、番組への思い、そしてももクロの魅力を存分に語ってくれた。 浅野 崇(あさの・たかし)1970年、千葉県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan』 『ももクロちゃんと!』 『Musee du ももクロ』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』、など 吉田 学(よしだ・まなぶ)1978年、東京都出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~』 『ももクロちゃんと!』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』 『Musée du ももクロ』、など 佐々木 敦規(ささき・あつのり)1967年、東京都出身。ディレクター。 有限会社フィルムデザインワークス取締役 「ももクロはアベンジャーズ」。そのずば抜けたバラエティ力の秘密 ──最近、ももクロのメンバーたちが、個々でバラエティ番組に出演する機会が増えていますね。 浅野 ようやくメンバー一人ひとりのバラエティ番組での強さに、各局のディレクターやプロデューサーが気づいてくれたのかもしれないですね。間髪入れずに的確なコメントやリアクションをしてて、さすがだなと思って観てます。 佐々木 彼女たちはソロでもアリーナ公演を完売させるアーティストですけど、バラエティタレントとしてもその実力は突き抜けてますから。 浅野 あれだけ大きなライブ会場で、ひとりしゃべりしても飽きがこないのは、すごいことだなと改めて思いますよ。 佐々木 そして、4人そろったときの爆発力がある。それはまず、バラエティの天才・玉井詩織がいるからで。器用さで言わせたら、彼女はめちゃくちゃすごい。百田夏菜子、高城れに、佐々木彩夏というボケ3人を、転がすのが本当にうまくて助かってます。 昔は百田の天然が炸裂して、高城れにがボケにいくスタイルだったんですが、いつからか佐々木がボケられるようになって、ももクロは最強になったと思ってます。 キラキラしたぶりっ子アイドル路線をやりたがっていたあーりんが、ボケに回った。それどころか、今ではそのポジションに味をしめてる。昔はコマネチすらやらなかった子なのに、ビックリですよ(笑)。 (写真:佐々木ディレクター) ──そういうメンバーの変化や成長を見られるのも、10年以上続く長寿番組だからこそですね。 吉田 昔からライブの舞台裏でもずっとカメラを回させてくれたおかげで、彼女たちの成長を記録できました。結果的に、すごくよかったですね。 ──ずっとももクロを追いかけてきたファンは思い出を振り返れるし、これからももクロを知る人たちも簡単に過去にアクセスできる。「テレ朝動画」で観られるのも貴重なアーカイブだと思います。 佐々木 『ももクロChan』は、早見あかりの脱退なども撮っていて、楽しいときもつらいときも悲しいときも、ずっと追っかけてます。こんな大事な仕事は、途中でやめるわけにはいかないですよ。彼女たちの成長ドキュメンタリーというか、ロードムービーになっていますから。 唯一無二のコンテンツになってしまったので、ももクロが活動する限りは『ももクロChan』も続けたいですね。 吉田 これからも続けるためには、若い世代にもアピールしないといけない。10代以下の子たちにも「なんかおもしろいお姉ちゃんたち」と認知してもらえるように、我々もがんばらないと。 (写真:吉田プロデューサー) 浅野 彼女たちはまだまだ伸びしろありますからね。個々でバラエティ番組に出たり、演技のお仕事をしたり、ソロコンをやったりして、さらにレベルアップしていく。そんな4人が『ももクロChan』でそろったとき、相乗効果でますますおもしろくなるような番組をこれからも作っていきたいです。 佐々木 4人は“アベンジャーズ"っぽいなと最近思うんだよね。 浅野 わかります。 ──アベンジャーズ! 個人的に、ももクロって令和のSMAPや嵐といったポジションすら狙えるのではないか、と妄想したりするのですが。 浅野 あそこまで行くのはとんでもなく難しいと思いますが……。でも佐々木さんの言うとおりで、最近4人全員集まったときに、スペシャルな瞬間がたまにあるんですよ。そういう大物の華みたいな部分が少しずつ見えてきたというか。 佐々木 そうなんだよねぇ。ももクロの4人はやたらと仲がいいし、本人たちも30歳、40歳、50歳になっても続けていくつもりなので、さらに化けていく彼女たちを撮っていかなくちゃいけないですね。 早見あかりが抜けて、自立したももクロ (写真:浅野プロデューサー) ──先ほど少し早見あかりさん脱退のお話が出ましたけど、やはり印象深いですか。 吉田 そうですね。そのとき僕はまだ『ももクロChan』に関わってなかったんですが、自分の局の番組、しかも動画配信でアイドルの脱退の告白を撮ったと聞いて驚きました。 当時はAKB48がアイドル界を席巻していて、映画『DOCUMENTARY of AKB48』などでアイドルの裏側を見せ始めた時期だったんです。とはいえ、脱退の意志をメンバーに伝えるシーンを撮らせてくれるアイドルは画期的でした。 佐々木 ももクロは最初からリミッターがほとんどないグループだからね。チーフマネージャーの川上アキラさんが攻めた人じゃないですか。だって、自分のワゴン車に駆け出しのアイドル乗っけて、全国のヤマダ電機をドサ回りするなんて、普通考えられないでしょう(笑)。夜の駐車場で車のヘッドライトを背に受けながらパフォーマンスしてたら、そりゃリミッターも外れますよ。 (写真:『ももクロChan』#11) ──アイドルの裏側を見せる番組のコンセプトは、当初からあったんですか? 佐々木 そうですね、ある程度狙ってました。そもそも僕と川上さんが仲よしなのは、プロレスや格闘技っていう共通の熱狂している趣味があるからなんですけど。 当時流行ってた総合格闘技イベント『PRIDE』とかって、ブラジリアントップファイターがリング上で殺し合いみたいなガチの真剣勝負をしてたんですよ。そんな血気盛んな選手が闘い終わってバックヤードに入った瞬間、故郷のママに「勝ったよママ! 僕、勝ったんだよ!」って電話しながら泣き出すんです。 ああいうファイターの裏側を生々しく映し出す映像を見て、表と裏のコントラストには何か新しい魅力があるなと、僕らは気づいて。それで、川上さんと「アイドルで、これやりましょうよ!」って話がスムーズにいったんです。 吉田 ライブ会場の楽屋などの舞台裏に定点カメラを置いてみる「定点観測」は、ももクロの裏の部分が見える代表的なコーナーになりました。ステージでキラキラ輝くももクロだけじゃなくて、等身大の彼女たちが見られるよう、早いうちに体制を整えられたのもありがたかったですね。 ──番組開始時からももクロのバラエティにおけるポテンシャルは図抜けてましたか? 佐々木 いや、最初は普通の高校生でしたよ。だから、何がおもしろくて何がウケないのか、何が褒められて何がダメなのか。そういう基礎から丁寧に教えました。 ──転機となったのは? 佐々木 やはり早見あかりが抜けたことですね。当時は早見が最もバラエティ力があったんです。裏リーダーとして場を回してくれたし、ほかのメンバーも彼女に頼りきりだった。我々も困ったときは早見に振ってました。 だから早見がいなくなって最初の収録は、残ったメンバーでバラエティを作れるのか正直不安で。でも、いざ収録が始まったら、めちゃめちゃおもしろかったんですよ。「お前らこんなにできたのっ!?」といい意味で裏切られた。 早見に甘えられなくなり、初めて自立してがんばるメンバーを見て、「この子たちとおもしろいバラエティ作るぞ!」と僕もスイッチが入りましたね。 あと、やっぱり2013年ごろからよく出演してくれるようになった東京03の飯塚(悟志)くんが、ももクロと相性抜群だったのも大きかった。彼のシンプルに一刀両断するツッコミのおかげで、ももクロはボケやすくなったと思います。 吉田 飯塚さんとの絡みで学ぶことも多かったですよね。 佐々木 トークの間合いとか、ボケの伏線回収的な方程式なんかを、お笑い界のトップランナーと実戦の中で知っていくわけですから、貴重な経験ですよね。それは僕ら裏方には教えられないことでした。 浅野 今のももクロって、収録中に何かおもしろいことが起きそうな気配を感じると、各々の役割を自覚して、フィールドに散らばっていくイメージがあるんですよね。 言語化はできないんだろうけど、彼女たちなりに、ももクロのバラエティ必勝フォーメーションがいくつかあるんでしょう。状況に合わせて変化しながら、みんなでゴールを目指してるなと感じてます。 ももクロのバラエティ史に残る奇跡の数々 ──バラエティ番組でのテクニックは芸人顔負けのももクロですが、“笑いの神様”にも愛されてますよね。何気ないスタジオ収録回でも、ミラクルを起こすのがすごいなと思ってて。 佐々木 最近で言うと、「4人連続ピンポン球リフティング」は残り1秒でクリアしてましたね。「持ってる」としか言えない。ああいう瞬間を見るたびに、やっぱりスターなんだなぁと思いますね。 浅野 昔、公開収録のフリースロー対決(#246)で、追い込まれた百田さんが、うしろ向きで投げて入れるというミラクルもありました。 あと、「大人検定」という企画(#233)で、高城さんがタコの踊り食いをしたら、鼻に足が入ってたのも忘れられない(笑)。 吉田 あの高城さんはバラエティ史に残る映像でしたね(笑)。 個人的にはフットサルも印象に残ってます。中学生の全国3位の強豪チームとやって、善戦するという。 佐々木 なんだかんだ健闘したんだよね。しかも終わったら本気で悔しがって、もう一回やりたいとか言い出して。 今度のオンラインライブに向けて、過去の名シーンを掘ってみたんですが、そういうミラクルがたくさんあるんですよ。 浅野 今ではそのラッキーが起こった上で、さらにどう転していくかまで彼女たちが自分で考えて動くので、昔の『ももクロChan』以上におもしろくなってますよね。 写真:『ももクロChan』#246) (写真:『ももクロChan』#233) ──皆さんのお話を聞いて、『ももクロChan』はアイドル番組というより、バラエティ番組なんだと改めて思いました。 佐々木 そうですね。誤解を恐れずに言えば、僕らは「ももクロなしでも通用するバラエティ」を作るつもりでやってるんです。 お笑いとしてちゃんと観られる番組がまずあって、その上でとんでもないバラエティ力を持ったももクロががんばってくれる。そりゃおもしろくなりますよね。 ──アイドルにここまでやられたら、ゲストの芸人さんたちも大変じゃないかと想像します。 佐々木 そうでしょうね(笑)。平成ノブシコブシの徳井(健太)くんが「バラエティ番組いろいろ出たけど、今でも緊張するのは『ゴッドタン』と『ももクロChan』ですよ」って言ってくれて。お笑いマニアの彼にそういう言葉をもらえたのは、ありがたかったなぁ。 誰も見たことのない破格のバラエティ番組を届ける ──そして11月6日(土)には、『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』を開催しますね。 吉田 もともとは去年やるつもりでしたが、コロナ禍で自粛することになり、11周年の今年開催となりました。これから先『ももクロChan』を振り返ったとき、このイベントが転機だったと思えるような特別な日にしたいですね。 浅野 歌あり、トークあり、コントあり、ゲームあり。なんでもありの総合バラエティ番組を作るつもりです。 2時間の生配信でゲストも来てくださるので、通常回以上に楽しいのはもちろん、ライブならではのハプニングも期待しつつ……。まぁプロデューサーとしては、いろんな意味でドキドキしてますけど(苦笑)。 佐々木 ライブタイトルに「バラエティ番組」と入れて、我々も自分でハードル上げてるからなぁ(笑)。でも「バラエティを売りにしたい」と浅野Pや吉田Pに思っていただいているので、ディレクターの僕も期待に応えるつもりで準備してるところです。 浅野 ここで改めて、ももクロは歌や踊りのパフォーマンスだけじゃなく、バラエティも最高におもしろいんだぞ、と知らしめたい。 さっき佐々木さんも言ってましたけど、まだももクロに興味がない人でも、バラエティ番組として楽しめるはずなので、お笑い好きとか、バラエティをよく観る人に観てもらいたいです。 佐々木 誰も見たことない、新しくておもしろい番組を作るつもりですよ。 浅野 『ももクロChan』が始まった2010年って、まだ動画配信で成功している番組がほとんどなかったんですね。そんな環境で番組がスタートして、テレビ朝日の中で特筆すべき成功番組になった。 そういう意味では、配信動画のトップランナーとして、満を持して行う生配信のオンラインイベントなので、業界の中でも「すごかった」と言ってもらえる番組にするつもりです。 吉田 『ももクロChan』スタッフとしては、番組が11周年を迎えることを感慨深く思いつつ、テレビを作ってきた人間としては、コロナ以降に定着してきたオンライン生配信の意義を今改めて考えながら作っていきたいです。 (写真:『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』は、11月6日(土)19時開演 logirl会員は割引価格でご視聴いただけます) ──具体的にどういった企画をやるのか、少しだけ教えてもらえますか? 浅野 「あーりんロボ」(佐々木彩夏がお悩み相談ロボットに扮するコントコーナー)はやるでしょう。 佐々木 生配信で「あーりんロボ」は怖いですよ、絶対時間押しますから(笑)。佐々木も度胸ついちゃってるからガンガンボケて、百田、高城、玉井がさらに煽って調子に乗っていくのが目に見える……。 あと、配信ならではのディープな企画も考えていますが、ちょっと今のままだとディープすぎてできないかもしれないです。 浅野 配信を観た方は、ネタバレ禁止というルールを決めたら、攻められますかねぇ。 佐々木 たしかに視聴者の方々と共犯関係を結べるといいですね。 とにかく、モノノフさんはもちろんですが、少しでも興味を持った人に観てほしいんですよ。バラエティ史に残る番組の記念すべき配信にしますので、絶対損はさせません。 浅野 必ず、期待にお応えします。 撮影=時永大吾 文=安里和哲 編集=後藤亮平
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logirlの「起爆剤になりたい」ディレクター・林洋介(『ももクロちゃんと!』)インタビュー
ももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第5弾。 今回は10月からリニューアルする『ももクロちゃんと!』でディレクターを務める林洋介氏に話を聞いた。 林洋介(はやし・ようすけ)1985年、神奈川県出身。ディレクター。 <現在の担当番組> 『ももクロちゃんと!』 『WAGEI』 『小川紗良のさらまわし』 『まりなとロガール』 リニューアルした『ももクロちゃんと!』の収録を終えて ──10月9日から土曜深夜に枠移動する『ももクロちゃんと!』。林さんはリニューアルの初回放送でディレクターを務めています。 林 そうですね。「ももクロちゃんと、〇〇〇!」という基本的なルールは変わらずやっていくんですけど、画面上のCGやテロップなどが変わるので、視聴者の方の印象はちょっと違ってくるかなと思います。 (写真:「ももクロちゃんと!」) ──収録を終えた感想はいかがですか? 林 自粛期間中に自宅で推し活を楽しめる「推しグッズ」作りがトレンドになっていたので、今回は「推しグッズ」というテーマでやったんですが、ももクロのみなさんに「推しゴーグル」を作ってもらう作業にけっこう時間がかかってしまったんですよね。「安全ゴーグル」に好きなキャラクターや言葉を書いてデコってもらったんですが、本当はもうひとつ作る予定が収録時間に収まりきらず……それでもリニューアル1発目としては、期待を裏切らない内容になったと思います。 ──『ももクロちゃんと!』を担当するのは今回が初めてですが、収録に臨むにあたって何か考えはありましたか? 林 やっぱり、リニューアル一発目なので盛り上がっていけたらなと。あとは、ももクロは知名度のあるビッグなタレントさんなので、その空気に飲まれないようにしないといけないなと考えていましたね。 ──先輩スタッフの皆さんからとも相談しながらプランを立てていったのでしょうか? 林 そうですね。ももクロは業界歴も長くてバラエティ慣れしているので、トークに関しては心配ないと聞いていました。ただ、自分たちで考えて何かを書いたり作ったりしてもらうのは、ちょっと時間がいるかもしれないよとも……でも、まさかあそこまでかかるとは思いませんでした(笑)。ちょっとバカバカしいものを書いてもらっているんですけど、あそこまで真剣に取り組んでくれるのかって逆に感動しました。 (写真:「ももクロちゃんと! ももクロちゃんと祝!1周年記念SP」) 「まだこんなことをやるのか」という無茶をしたい ──ももクロメンバーと仕事をする機会は、これまでもありましたか? 林 logirlチームに入るまで一度もなくて、今回がほぼ初対面です。ただ一度だけ、DVDの宣伝のために短いコメントをもらったことがあって、そのときもここまで現場への気遣いがしっかりしているんだという印象を受けました。 もちろん名前はよく知っていますが、僕は正直あまりももクロのことを知らなかったんですよね。キャリア的に考えたら当然現場では大物なわけで、そのときは僕も時間を巻きながら無事に5分くらいのコメントをもらったんですが、あとから撮影した素材を見返したら、あの短いコメント取材だけなのに、わざわざみんなで立ち上がって「ありがとうございました」と丁寧に言ってくれていたことに気がついて、「めっちゃいい子たちやなあ」って思ってました。 ──一緒に仕事をしてみて、印象は変わりましたか? 林 『ももクロちゃんと!』は、基本的にその回で取り上げる専門的な知識を持った方にゲストで来ていただいてるんですが、タレントさんでない方が来ることも多いんですよね。そういった一般の方に対しても壁がないというか、なんでこんなになじめるのかってくらいの親しみ深さに驚きました。そういう方たちの懐にもすっと入っていけるというか、その気遣いを大切にしているんですよね。しかもそれをすごく自然にやっているのが、すごいなと思いました。 ──『ももクロちゃんと!』は2年目に突入しました。今後の方向性として、考えていることはありますか? 林 「推しグッズ」でも、あそこまで真剣に取り組んでるんだったら、短い収録時間の中ではありますが、「まだこんなことをやってくれるのか」という無茶をしてみたいなと個人的には思いました。過去の『ももクロChan』を観ていても、すごくアクティブじゃないですか。だから、トークだけでは終わらせたくないなっていう気持ちはあります。 (写真:「ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~」) 情報番組のディレクターとしてキャリアを積む ──テレビの仕事を始めたきっかけを教えてください。 林 大学を卒業して特にやりたいことがなかったので、好きだったテレビの仕事をやってみようかなというのが入口ですね。最初に入ったのがテレビ東京さんの『お茶の間の真実〜もしかして私だけ!?〜』というバラエティ番組で、そこでADをやっていました。長嶋一茂さんと石原良純さんと大橋未歩さんがMCだったんですが、初めは知らないことだらけだったので、いろいろなことが学べたのは楽しかったですね。 ──そこからずっとバラエティ畑ですか。 林 AD時代は基本的にバラエティでしたね。ディレクターの一発目はTBSの『ビビット』という情報番組でした。曜日ディレクターとして、日々のニュースを追う感じだったんですが、そもそもニュースというものに興味がなかったので、そこはかなり苦戦しました。バラエティの“おもしろい”は単純というか、わかりやすいですが、ニュースの“おもしろい”ってなんだろうってずっと考えていましたね。たとえば、殺人事件の何を見せたらいいんだろうとか、まったくわからない世界に入ってしまったなという感じがしていました。 ──情報番組はどのくらいやっていたんですか? 林 『ビビット』のあとに始まった、立川志らくさんの『グッとラック!』もやっていたので、6年間ぐらいですかね。でも、最後まで情報番組の感覚はつかめなかった気がします。きっとこういうことが情報番組の“おもしろい”なのかなって想像しながら、合わせていたような感じです。 番組制作のモットーは「事前準備を超えること」 ──ご自身の好みでいえば、どんなジャンルがやりたかったんですか? 林 いわゆる“どバラエティ”ですね。当時でいえば、めちゃイケ(『めちゃ×イケてるッ!』/フジテレビ)に憧れてました。でも、情報バラエティが全盛の時代だったので、結果的にAD時代、ディレクター時代を含めてゴリゴリのバラエティはやれなかったですね。 ──情報番組のディレクター時代の経験で、印象に残っていることはありますか? 林 芸能人の密着をやったり、街頭インタビューでおもしろ話を拾ってきたりと、仕事としては濃い時間を過ごしたと思いますが、そういったネタよりも、当時の上司からの影響が大きかったかなと思います。『ビビット』や『グッとラック!』は、ワイドショーだけどバラエティに寄せたい考えがあったので、コーナー担当の演出はバラエティ畑で育った人たちがやっていたんですよね。今思えば、バラエティのチームでワイドショーを作っているような感覚だったので、特殊といえば特殊な場所だったのかもしれません。僕のコーナーを見てくれていた演出の人もなかなか怖い人でしたから(笑)。 ──その経験も踏まえ、番組を作るときに心がけていることはありますか? 林 どんなロケでも事前に構成を作ると思うんですが、最初に作った構成を越えることをひとつの目標としてやっていますね。「こんなものが撮れそうです」と演出に伝えたところから、ロケのあとのプレビューで「こんなのがあるんだ」と驚かせるような何かをひとつでも持って帰ろうとやっていましたね。 自由度の高い「配信番組」にやりがいを感じる ──logirlチームには、どのような経緯で入ったんでしょうか? 林 『グッとラック!』が終わったときに、会社から「次はどうしたい?」と提示された候補のひとつだったんですよね。それで、僕はもう地上波に未来はないのかなと思っていたので、詳細は知らなかったんですけど、配信の番組というところに興味を持ってやってみたいなと思い、今年の4月から参加しています。 ──参加して半年ほど経ちますが、配信番組をやってみた感触はいかがですか? 林 そうですね。まだ何かができたわけじゃないんですけど、自分がやりたいことに手が届きそうだなという感じはしています。もちろん、仕事として何かを生み出さなければいけないですが、そこに自分のやりたいことが添えられるんじゃないかなって。 具体的に言うと、僕はいつか好きな「バイク」を絡めた企画をやりたいと思っているんですが、地上波だったら一発で「難しい」となりそうなものも、企画をもう少ししっかり詰めていけば、実現できるんじゃないかという自由度を感じています。 ──そこは地上波での番組作りとは違うところですよね。 林 はい、少人数でやっていることもありますし、聞く耳も持っていただけているなと感じます。まだ自分発信の番組は何もないんですけど、がんばれば自分発信でやろうという番組が生まれそうというか、そこはやりがいを感じる部分ですね。 logirlを大きくしていく起爆剤になりたい ──logirlはアイドル関連の番組も多いです。制作経験はありますか? 林 テレビ東京の『乃木坂って、どこ?』でADをやっていたことがあります。本当に初期で『制服のマネキン』の時期くらいまでだったので、もう9年前くらいですかね。いま売れている子も多いのでよかったなと思います。 ──ご自身がアイドル好きだったことはないですか。 林 それこそ、中学生のころにモーニング娘。に興味があったくらいですね。ちょうど加護(亜依)ちゃんや辻(希美)ちゃんが入ってきたころで、当時はみんな好きでしたから。でも、アイドルに熱狂的になったことはなくて、ああいう気持ちを味わってみたいなとは思うんですけど、なかなか。 ──これからlogirlでやりたいことはありますか? 林 先ほども言ったバイク関連の企画もそうですが、単純に何をやればいいというのはまだ見えてないんですよね。ただ、logirlはまだまだ小さいので、僕が起爆剤になってNetflixみたいにデカくなっていけたらいいなって勝手に思っています。 ──最後に『ももクロちゃんと!』の担当ディレクターをとして、番組のリニューアルに向けた意気込みをお願いします。 林 『ももクロちゃんと!』はこれから変わっていくはずなので、ファンのみなさんにはその変化にも注目していただければと思います。よろしくお願いします! 文=森野広明 編集=中野 潤
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言葉を引き出すために「絶対的な信頼関係を」プロデューサー・河合智文(『でんぱの神神』等)インタビュー
ももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第4弾。 今回は『でんぱの神神』『ナナポプ』などのプロデューサー、河合智文氏に話を聞いた。 河合智文(かわい・ともふみ)1974年、静岡県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『でんぱの神神』 『ナナポプ 〜7+ME Link Popteen発ガールズユニットプロジェクト〜』 『美味しい競馬』(logirl YouTubeチャンネル) 初めて「チーム神神」の一員になれた瞬間 ──『でんぱの神神』には、いつから関わるようになったんでしょうか? 河合 2017年の3月から担当になりました。ちょうど、でんぱ組.incがライブ活動をいったん休止したタイミングでした。「密着」が縦軸としてある『でんぱの神神』をこれからどうしていこうか、という感じでしたね。 (写真:『でんぱの神神』) ──これまでの企画で印象的なものはありますか? 河合 古川未鈴さんが『@JAM EXPO 2017』で総合司会をやったときに、会場に乗り込んで未鈴さんの空き時間にジャム作りをしたんですよ。企画名は「@JAMであっと驚くジャム作り」。簡易キッチンを設置して、現場にいるアイドルさんたちに好きな材料をひとつずつ選んで鍋に入れていってもらい、最終的にどんな味になるのかまったくわからないというような(笑)。 極度の人見知りで、ほかのアイドルさんとうまくコミュニケーションが取れないという未鈴さんの苦手克服を目的とした企画でもあったんですが、@JAMの現場でロケをやらせてもらえたのは大きかったなと思います。 (写真:『でんぱの神神』#276/2017年9月22日配信) 企画ではありませんが、ねも・ぺろ(根本凪・鹿目凛)のふたりが新メンバーとしてお披露目となった大阪城ホール公演(2017年12月)までの密着も印象に残っていますね。 ライブ活動休止中はバラエティ企画が中心だったので、リハーサルでメンバーが歌っている姿がとても新鮮で……その空間を共有したとき、初めて「チーム神神」の一員になれたという感じがしました。 そういった意味ではねも・ぺろのふたりに対しては、でんぱ組.incという会社の『でんぱの神神』部署に配属された同期入社の仲間だと勝手に感じています (笑)。 でんぱ組.incが秀でる「自分の魅せ方」 ──でんぱ組.incというグループにどんな印象を持っていますか? 河合 僕が関わり始めたころは、2度目の武道館公演を行うなどすでにアイドルグループとして大きく、メジャーな存在だったんです。番組としてもスタートから6年目だったので、自分が入ってしっかり接していけるのかな、という不安はありました。 自分の趣味に特化したコアなオタクが集まったグループ……ということで、それなりにクセがあるメンバーたちなのかなと構えていたんですけど、そのあたりは気さくに接してもらって助かりました。とっつきにくさとかも全然なくて(笑)。 むしろ、ロケを重ねていくうちにセルフプロデュースや自己表現がすごくうまいんだなと思いました。自分の魅せ方をよくわかっているんですよね。 ──そういったご本人たちの個性を活かして企画を立てることもあるのでしょうか? 河合 マンガ・アニメ・ゲームなどメンバーが愛した男性キャラクターを語り尽くすという「私の愛した男たち」はでんぱ組にうまくハマった企画で、反響が大きかったので、「私の憧れた女たち」「私のシビれたシーンたち」と続く人気シリーズになりました。 やはり好きなことについて語るときはエネルギーがあるというか、とてもテンション高くキラキラしているんですよね。メンバーそれぞれの好みというか、人間性というか……隠れた一面を知ることのできた企画でしたね。 (写真:『でんぱの神神』#308/2018年5月4日配信) ──そして5月に『でんぱの神神』のレギュラー配信が2年ぶりに再開しました。これからどんな番組にしていきたいですか? 河合 2019年2月にレギュラー配信が終了しましたが、それでも不定期に密着させてもらっていたんです。そのたびにメンバーから「『神神』は何度でも蘇る」とか、「ぬるっと復活」みたいに言われていましたが(笑)。そんな『神神』が2年ぶりに完全復活できました。 長寿番組が自分の代で終了してしまった負い目も感じていましたし、不定期でも諦めずに配信を続けたことがレギュラー再開につながったと思うと、正直うれしいですね。 今回加入した新メンバーも超個性的な5人が集まったと思います。やはり今は多くの人に新メンバーについて知ってほしいですし、先ほどの「私の愛した男たち」は彼女たちを深掘りするのにうってつけの企画ですよね。これまで誰も気づかなかった個性や魅力を引き出して、新生でんぱ組.incを盛り上げていきたいです。 (写真:『でんぱの神神』#363/2021年5月12日配信) 密着番組では、事前にストーリーを作らない ──ティーンファッション誌『Popteen』のモデルが音楽業界を駆け上がろうと奮闘する姿を捉えた『ナナポプ』は、2020年の8月にスタートしました。 河合 『Popteen』が「7+ME Link(ナナメリンク)」というプロジェクトを立ち上げることになり、そこから生まれたMAGICOURというダンス&ボーカルユニットに密着しています。これまでのlogirlの視聴者層は20〜40代の男性が多かったですが、『ナナポプ』のファンの中心はやはり『Popteen』読者である10代の女性。そういった人たちにもlogirlを知ってもらうためにも、新しい視聴者層への訴求を意識した企画でもあります。 (写真:『ナナポプ』#29/2021年3月5日配信) ──番組の反響はいかがでしょうか? 河合 スタート当初は賛否というか、「モデルさんにダンステクニックを求めるのはいかがなものか?」といった声もありました。ですが、ダンス講師のmai先生はBIGBANGやBLACKPINKのバックダンサーもしていた一流の方ですし、メンバーたちも常に真剣に取り組んでいます。 だから、実際に観ていただければそれが伝わって応援してもらえるんじゃないかと思っています。番組も「“リアル”だけを描いた成長の記録」というテーマになっているので、本気の姿をしっかり伝えていきたいですね。 ──密着番組を作るときに意識していることはありますか? 河合 特に自分がディレクターとしてカメラを回すときの場合ですが、ナレーション先行の都合のよいストーリーを勝手に作らないことですね。 僕は編集のことを考えて物語を固めてしまうと、その画しか撮れなくなっちゃうタイプで。現場で実際に起きていることを、リアルに受け止めていこうとは常に考えています。一方で、事前に狙いを決めて、それをしっかり押さえていく人もいるので、僕の考えが必ずしも正解ではないとも思うんですけどね。 音楽の仕事をするために、制作会社に入社 ──テレビ業界を目指したきっかけを教えてください。 河合 高校時代に世間がちょうどバンドブームで、僕も楽器をやっていたんです。「学園祭の舞台に立ちたい」くらいの活動だったんですけど、当時から「仕事にするならクリエイティブなことがいい」とはずっと考えていました。初めは音楽業界に入りたかったんですが、専門学校に行って音楽の知識を学んだわけでもないので、レコード会社は落ちてしまって。 ほかに音楽の仕事ができる手段はないかなと考えたときに浮かんだのが「音楽番組をやればいい」でした。多少なりとも音楽に関われるなら、ということで番組制作会社に入ったのがきっかけです。 ──すぐに音楽番組の担当はできましたか? 河合 研修期間を経て実際に採用となったときに「どんな番組をやりたいんだ?」と聞かれて、素直に「音楽番組じゃなきゃ嫌です」と言ったら希望を叶えてくれたんです。1998年に日本テレビの深夜にやっていた、遠藤久美子さんがMCの『Pocket Music(ポケットミュージック)』という番組のADが最初の仕事です。そのあとも、同じ日本テレビで始まった『AX MUSIC- FACTORY』など、音楽番組はいくつか関わってきました。 大江千里さんと山川恵里佳さんがMCをしていた『インディーウォーズ』という番組ではディレクターをやっていました。タレントさんがインディーアーティストのプロモーションビデオを10万円の予算で制作するという、企画性の高い番組だったんですが、10万円だから番組ディレクターが映像編集までやることになったんです。 放送していた2004〜2005年ごろ、パソコンでノンリニア編集をする人なんてまだあまりいませんでした。ただ僕はひと足先に手を出していたので、タレントさんとマンツーマンで、ああでもないこうでもないと言いながら何時間もかけて動画を編集した思い出がありますね。 ──現在も動画の編集作業をすることはあるんですか? 河合 今でもバリバリやっています(笑)。YouTubeチャンネルでも配信している『美味しい競馬』の初期もそうですし、『でんぱの神神』がレギュラー配信終了後に特別編としてライブの密着をしたときは、自分でカメラを担いで密着映像とライブを収録して、それを自分で編集したりもしました。 やっぱり、自分で回した素材は自分で編集したいっていう気持ちが湧くんですよね。忘れかけていたディレクター心に火がつくというか……編集で次第に形になっていくのがおもしろくて。編集作業に限らず、構成台本を作成したり、けっこうなんでも自分でやっちゃうタイプですね。 (写真:『でんぱの神神』特別編 #349/2019年5月27日配信) logirlは、やりたいことを実現できる場所 ──logirlに参加した経緯を教えてください。 河合 実は『Pocket Music(ポケットミュージック)』が終わったとき、ADだったのに完全にフリーになったんですよ。そこから朝の情報番組などいろんなジャンルの番組を経験して、番組を通して知り合った仲間からいろいろと声をかけてもらって仕事をしていました。紀行番組で毎月海外に行ったりしたこともありましたね。 ちょうど一段落して、テレビ番組以外のこともやってみたいなと考えていたときに、日テレAD時代の仲間から「テレ朝で仕事があるけどやらない?」と紹介してもらい、それがまだ平日に毎日生配信をしていたころ(2015〜2017年)のlogirlだったんです。 (写真:撮影で訪れたスペイン・バルセロナにて) ──番組を作る上でモットーにしていることはありますか? 河合 今は一般の方でも、タレントさんでも、編集ソフトを使って誰でも動画制作ができる時代になったじゃないですか。だからこそ、「テレビ局の動画スタッフが作っている」というクオリティを出さなければいけないと思っています。難しいことですが、これを諦めたら番組を作る意味がないのかなという気がするんですよね。 あとは、出演者との信頼関係を大切に…..といったことですね。特に『でんぱの神神』『ナナポプ』といった密着系の番組は、出演者の気持ちをいかに言葉として引き出すかにかかっていますので、そこには絶対的な信頼関係を築いていくことが必要だと思います。 ──実際にlogirlで仕事してみて、いかがでしたか? 河合 自分でイチから企画を考えてアウトプットできる環境ではあるので、そこは楽しいですね。自分のやりたいことを、がんばり次第で実現できる場所。そういった意味でやりがいがあります。 ──リニューアルをしたlogirlの今後の目標を教えてください。 河合 まずは、どんどん新規の番組を作って、コンテンツを充実させていきたいです。これまで“ガールズ”に特化していましたが、今はその枠がなくなり、落語・講談・浪曲などをテーマにした『WAGEI』のような番組も生まれているので、いい意味でいろいろなジャンルにチャレンジできると思っています。 時期的にまだ難しいですが、ゆくゆくはlogirlでイベントをすることも目標です。logirlだからこそ実現できるラインナップになると思うので、いつか必ずやりたいと思っています。 文=森野広明 編集=田島太陽
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』
仙波広雄@スポーツニッポン新聞社 競馬担当によるコラム。週末のメインレースを予想&分析/「logirl」でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(日本ダービー)
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(ダービー) 先週のオークスは1着▲カムニャック、2着◎アルマヴェローチェ、3着△タガノアビーで、配信で取り上げた5頭で決まりましたので、まずは及第点かと思います。今週はいよいよ6月1日(日)の東京11R・ダービーの予想です。配信(YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#204)のゲストは鎌田菜月さんです。昔から筆者はダービーこそ競馬の根幹、そしてスーパーストラクチャーと史的唯物論概念を持ちだして最も重視しています。まあ、この物言いこそ、学生時代に吉本隆明あたりに触れたんだな、この人ってことがよく分かると思います。 ◎⑬クロワデュノール。 皐月賞(2着)は残念でした。展開の綾がいろいろありましたが、2着は2着。その結果を踏まえた上で言うと、クロワデュノールはイクイノックスには届かないと言えます。それでもキタサンブラックという種牡馬の資質をよく伝えており、広いコースでスムーズな競馬ができれば、このメンバーでも上位とみていいでしょう。例年のダービー上位級の力を間違いなく備えています。北村友一にとって騎手キャリアを懸けての一戦となりますが、まあダービーは毎年そういうレースですからね。 ○⑦ミュージアムマイル。 レーンは23年のタスティエーラでテン乗りダービーVを果たしています。そもそも乗り替わり、継続騎乗うんぬんは短期免許の外国人騎手に適用するのはナンセンス。皐月賞とダービーの適性を考えると、だいぶ皐月賞寄りの馬ですが、といってダービーで極端にパフォーマンスを落とすとも思えない。枠もいいところです。 ▲⑨ジョバンニ。 皐月賞は道中の不利もあって4着。エピファネイア産駒はそもそも広いコースの方がいいというか、タイトな競馬はあまり得意ではないので、条件は好転します。 ☆⑥ファンダム。 一発あるならこの馬という毎日杯の内容でした。毎日杯はダービーの裏ローテでは最重要レース。ダービーの適性と似たところがあります。とはいえ2400メートルがベストかと問われると微妙。限定戦でこなせるとは思いますが、◎に抜擢するほどかと問われると、このあたりの評価に落ち着きました。怖いのは怖いのですが…。 馬券は3連単軸1頭流し。 <1着>⑬→<相手>②③⑤⑥⑦⑨⑱。42点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(オークス)
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(オークス) 今週は5月25日(日)の東京11R・オークスの予想です。配信(YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#203)のゲスト高見奈央さんは、配信上ではヴィクトリアマイルを当てていらしたので、彼女のSNSもチェックしてくださいね!Xのアドレスは@nao_takami1128です!オークス週は、ダービーの1週前でいろいろとあって、この時季にほんと1年の折り返し感があります。競馬ファンあるあるです。 ◎①アルマヴェローチェ。 オークスは外国人騎手が強いレースです。ルメールがいい馬に乗っているとか、ミルコの仕掛けがはまりやすいというのは見て分かることですが、もちろん理由はあります。近年のオークスは「急~緩~急」みたいなペースが多く、制御力のあるジョッキーに有利に働きやすい。結果として速い上がりを繰り出させたもの勝ちですからね。◎に推したアルマヴェローチェの鞍上は岩田望来。歴戦の外国人騎手相手ではまだまだのところもありますが、ことこの馬で末脚を引き出す術(すべ)は備えています。リンクスティップはどうも勝ち切るイメージが湧かず、エンブロイダリーはいかに中距離走れそうな雰囲気でも父アドマイヤマーズ。今年の桜花賞は水準以上のレベルで、その上位でオークス適性を問われればこの馬かと思います。ちなみに配信でも触れていますが、筆者はオークスが苦手。過去10年で◎は1勝、着外9回。唯一勝ったのはデアリングタクトです。 ○⑤リンクスティップ。 だいたいライトバックですね。24年桜花賞、オークスとも3着。戦績の軌跡がそうだというだけで、馬のタイプはちょっと違いますが。オークスならミルコが少々出遅れても、最後馬券圏内には間に合います。 ▲⑮カムニャック。 週末の東京競馬場は雨予報です。◎○の2頭も道悪が駄目ってことはないと思いますが、道悪がうまいとなればカムニャックでしょう。勝負駆け後の中3週なので仕上げは簡単ではありませんが、ここ2週の調教では少なくとも加減はしていませんでした。 馬券は3連単軸1頭流し。 <1着>①→<相手>⑤⑦⑨⑫⑬⑮⑱。42点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞s社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(ヴィクトリアマイル)
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(ヴィクトリアマイル) 先週のNHKマイルCは距離延長のパンジャタワーと、距離短縮のマジックサンズが両立しており、結果を見た筆者は「これは無理」が第一声でした。「荒れる」という予想は当たっていましたし、穴予想の生命線はそれなので、引き続き頑張っていきたいと思います。今週の配信(YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#202)は高見奈央さんをゲストに迎えて、5月18日(日)の東京11R・ヴィクトリアマイルを予想しています。 ◎⑮ソーダズリング。 前走阪神牝馬S5番人気6着という絶妙に買いづらいファクターが並びます。上がり3Fも7位タイ。どこに買い目があるかというと、24年の京都牝馬S(1着)。1年以上前のレースですが、芝1400メートルで、よどみない流れで1分20秒3の勝ちタイムで勝利。上がり3F33秒9はメンバー6位と、切れ味ではなく道中の位置取りや仕掛けのタイミングで勝ったレース。破った相手はナムラクレアなので、負担重量1キロ有利ではありましたが、相当の評価が可能です。ヴィクトリアマイルというレースは芝1400メートル的なラップになりやすく、上がり3Fが速い切れ味だけの馬だと勝ち切れません。レース運びの巧みさが問われるところがあり、この馬に関してはそこを評価したい。京都牝馬Sの鞍上は武豊騎手でしたが、前走と今回は坂井瑠星。前走の乗り方からは、この馬の長所を押さえたレースができていたと思うので、躍進を期待しています。 ○②ステレンボッシュ。 大阪杯で初めて馬券圏内を外す13着。気性的にピリッとしたところがある牝馬なので、立ち直れるかどうかは簡単ではありませんが、そこは国枝厩舎の仕上げなら、というところ。どうにも中距離馬に見える体型ですが、結果として気性的にマイルの方がいいのでしょうね。 ▲⑰アスコリピチェーノ。 阪神JF勝ち、桜花賞とNHKマイルC2着でステレンボッシュと並ぶ4歳牝馬のトップクラス。ことマイルに関しての安定感はこちらが上でしょう。遠征帰りですが、調教の内容からは体調に問題はなさそうです。 馬券は3連単軸フォーメーション。 <1着>⑮→<2着>②⑰→<3着>②③④⑤⑩⑬⑰。 <1着>②⑰→<2着>⑮→<3着>②③④⑤⑩⑬⑰。 <1着>②⑰→<2着>②③④⑤⑩⑬⑰→<3着>⑮。36点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞s社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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WAGEI公開収録<概要・応募規約>
テレ朝動画「WAGEI 公開収録」番組観覧無料ご招待! 2025年1月18日(土)開催! logirl(ロガール)会員の中から抽選で100名様に番組観覧ご招待! 番組概要 テレ朝動画で配信中の伝統芸能番組『WAGEI』の公開収録! 番組MCを務める浪曲師「玉川太福」と、五代目三遊亭円楽一門の落語家「三遊亭らっ好」が珠玉のネタを披露します。 ゲストには須田亜香里と、SKE48赤堀君江が登場!出演者からの貴重なプレゼントも用意する予定です。 超レアなプログラムを是非お楽しみください。 日時:2025年1月18日(土)開場12:30 開演13:00(終演15:15予定) 場所:浅草木馬亭 東京都台東区浅草2−7−5 出演:玉川太福(浪曲師)・玉川みね子(曲師)/三遊亭らっ好(落語家)/須田亜香里/赤堀君江(SKE48) 応募詳細 追加応募期間:2024年12月27日(金)15:00~2025年1月9日(木)17:00締切 応募条件:logirl(ロガール)会員のみ対象(当日受付で確認させていただきます) 下記「応募規約」をよく読んでご応募ください。 応募フォーム:https://www.tv-asahi.co.jp/apps/apply/jump.php?fid=10062 追加当選発表:当選した方のみ、2025年1月10日(金)23:59までに 当選メール(ご招待メール)をご登録されたアドレスまでお送りさせていただきます。 「WAGEI公開収録」応募規約 【応募規約】 この応募規約(以下「本規約」といいます。)は、株式会社テレビ朝日(以下「当社」といいます。)が 運営する動画配信サービス「テレ朝動画」における「WAGEI」(以下「番組」といいます。)に関連して 実施する、公開収録の参加者募集に関する事項を定めるものです。参加していただける方は、本規約の 内容をご確認いただき、ご同意の上でご応募ください。 【募集要項】 開催日時:2025年1月18日(土)13:00開始~15:15頃終了予定 (途中、休憩あり) ※スケジュールは変更となる場合があります。集合時間等の詳細は当選連絡にてお伝えいたします。 場所:浅草木馬亭(東京都台東区浅草2-7-5) 出演者(予定):玉川太福(浪曲師)・玉川みね子(曲師)/三遊亭らっ好(落語家)/須田亜香里/赤堀君江(SKE48) ※出演者は予告なく変更される場合があります。 募集人数:100名様(予定) ※応募者多数の場合は、抽選とさせていただきます。 【応募資格】 ・テレ朝動画logirl(ロガール)会員限定 ・年齢性別は問いません 【応募方法】 応募フォームへの必要事項の入力 ・テレ朝動画にログインの上、必要事項を入力してください。 【ご参加お願い(参加決定)のご連絡】 ■ご参加をお願いする方(以下「参加決定者」といいます。)には、1月10日(金)23:59までに、応募フォームにご入力いただいたメールアドレス宛に、集合時間と場所、受付手続等の詳細を記載した「番組公開収録ご招待メール」(以下「ご招待メール」といいます。)を送信させていただきます。なお、ご入力いただいた電話番号にお電話をさせて頂く場合がございます。非通知設定でかけさせていただく場合もございますので、非通知拒否設定は解除して頂きますようお願いします。 ■当日の集合時間と集合場所は「ご招待メール」に記載します。集合時間に遅ることのないようご注意ください。 ■「ご招待メール」が届かない場合は、残念ながらご参加いただけませんのでご了承ください。 ■「ご招待メール」の送信の有無に関するお問い合わせはご遠慮ください。 ■公開収録の参加は無料です。参加決定のご連絡にあたって、参加決定者に対し、参加料等のご入金のお願いや銀行口座情報、クレジットカード情報等のお問い合わせをすることは、一切ございません。「テレビ朝日」や本サービスの関係者を名乗る悪質な連絡や勧誘には十分ご注意ください。また、そのような被害を防止するため、ご応募いただいた事実を第三者に口外することはお控えいただけますようお願い申し上げます。 ■「ご招待メール」および公開収録への参加で知り得た情報、公開収録の内容に関する情報、及び第三者の企業秘密・プライバシー等に関わる情報をブログ、SNS等への記載を含め、方法や手段を問わず第三者への開示を禁止いたします。また、当選権利および当選者のみが知り得た情報に関して、譲渡や販売は一切禁止いたします。 【注意事項】 ■ご案内は当選したご本人様1名のみのご参加となります。(同伴者はご案内できません) ■未成年の方がご応募いただく場合は、必ず事前に保護者の方の同意を得てください。その場合は、電話番号の入力欄に保護者の方と連絡の取れる電話番号をご入力ください。(保護者にご連絡させていただく場合がございます。) ■開催当日、今回の公開収録の参加および撮影・映像使用に関しての承諾書をご提出いただきます。(未成年の方は保護者のサインが必要となります。) ■1名につき応募は1回までとします。重複応募は全て無効になりますので、お気をつけください。 ■会場ではスタッフの指示に従ってください。指示に従っていただけない場合は、会場から退去していただく場合がございます。 ■会場でのスマートフォン等を用いての録画・録音についてはご遠慮ください。 ■会場までの交通手段は、公共交通機関をご利用ください。駐車場はございません。 ■会場までの交通費、宿泊費等は参加者のご負担にてお願いいたします。 ■当日は、ご本人であることを確認させていただくために、お手持ちのスマートフォン等で表示または印刷した「ご招待メール」と、「身分証明書」(運転免許証・パスポート等、氏名と年齢が確認できるもの)をお持ち下さい。ご本人確認が出来ない方は、ご参加いただけません。 ■荷物置き場はご用意しておりません。貴重品の管理等はご自身にてお願いいたします。貴重品を含む持ち物の紛失・盗難については、当社は一切責任を負いません。 ■公開収録に伴い、参加者・客席を含み場内の撮影・録音を行い、それらの映像または画像等の中に映り込む可能性があります。参加者は、収録した動画、音声を、当社または当社が利用を許諾する第三者(以下、当社および当該第三者を総称して「当社等」といいます)が国内外テレビ放送(地上波放送・衛星波放送を含みます)、雑誌、新聞、インターネット配信およびPC・モバイルを含むウェブサイトへの掲載をはじめとするあらゆる媒体において利用することについてご同意していただいたものとみなします(以下、かかる利用を「本件利用」といいます)。なお、本件利用の対価は無料とさせていただきますので、ご了承ください。 ■諸事情により番組の公開収録が中止又は延期となる場合がありますのでご了承ください。 【個人情報の取り扱いについて】 ■ご提供いただいた個人情報は、番組公開収録への参加に関する抽選、案内、手配又は連絡及び運営等のために使用し、収録後に消去させていただきます。 ■当社における個人情報等の取扱いの詳細については、以下のページをご覧下さい。 https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/ https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/online.html
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新番組『WAGEIのじかん』(CS放送)
CSテレ朝チャンネル1「WAGEIのじかん」 落語・浪曲・講談など日本の伝統芸能が楽しめる番組。MCを務める浪曲師玉川太福と話芸の達人(=ワゲイスト)たちが珠玉のネタを披露します。さらに、お笑いを愛する市川美織が番組をサポート!お茶の間の皆様に笑いっぱなしの15分をお届けします。 お届けするネタ(3月放送)は、玉川太福の浪曲ほか、古今亭雛菊・春風亭かけ橋・春風亭昇吉・昔昔亭昇・柳家わさび・柳亭信楽の落語、神田松麻呂の講談などが登場します。お楽しみに〜!(※出演者50音順) ★3月の放送予定 3月17日(日)25:00~26:00 3月21日(木)26:00~27:00 3月24日(日)25:00~26:00 ⇩【収録中の様子】市川美織さん箱馬に乗って高さのバランスを調整しました。笑