夢に見る初夏の香り、鮎が教えてくれた夜(大野いと)

エッセイアンソロジー「Night Piece」

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エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」
「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。

宣材(2022)

大野いと(おおの・いと)
1995年7月2日生まれ、福岡県出身。映画の撮影を見学しているところをスカウトされ、芸能界入り。2009年『週刊文春』のグラビア「原色美女図鑑」でデビューし、『週刊少年マガジン』の巻頭グラビアにも登場。2010年からは専属モデルとなった『Seventeen』をはじめ、さまざまなファッション雑誌で活躍。2011年、映画『高校デビュー』でヒロインに抜擢されスクリーンデビューを果たす。その後、舞台、CM、連続ドラマなど活動の幅を広げている。近年の主な作品は、ドラマ『インビジブル』『リコカツ』(TBS)、『真夜中にハロー!』(テレビ東京)、映画『高津川』、舞台『ウィングレス(wingless)翼を持たぬ天使』など。福岡県中間市のPR大使を務めている。現在、配信サービスLeminoにてオリジナルドラマ『放課後ていぼう日誌』が配信中。

私は鮎が好き。
魚の中で一番くらいに好き。
初夏が近づくと鮎が食べたくてソワソワしてきて夢に見ることもあるくらい。
そして先日、今年初めての鮎をこれまた鮎好きの友達に誘われて食べに行った。

鮎をひとりで5匹。食べすぎと思うかもしれないけど私としてはこれでもまだ遠慮している。2匹はそのままで3匹は蓼酢(たでず)につけて。それではまず塩焼きをそのままでいただく。カシュッと揚げるように焼かれた頭、わずかにこげて香ばしい皮目、ホクホクとして鮎独特の旨みをまとった身、パリッと焼けた腹びれ、そして鮎を鮎たらしめているほろ苦いお腹のワタ……それらの味が合わさって口いっぱいに広がり、そのあとに若草のような香りが鼻に抜けていく。はい、もうべらぼうにおいしいです、参りました。こうして今年も私は鮎の軍門に下るのである。

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でも、これでまだ終わらないのが鮎のすごいところ。次は蓼酢につけて食べるのだ。そのまま食べても鮎は一番おいしい魚といえるかもしれない。ただ、蓼酢と合わさると鮎は一番おいしい魚から一番おいしい料理へと昇華される。あのピリっとして青くさい苦味のある蓼酢に鮎をつけて食べると、鮎の持つすべての味がより濃く華やかに鮮明に広がっていく。この組み合わせを考えた昔の人は本当に天才だと思う。

私は5匹、もちろん友達も5匹をペロっとたいらげたところにお店の人が来てこう言って褒めてくれた。
「まあ、5匹も食べられたんですか、本当に鮎がお好きなんですね。鮎は急流に負けず川を昇っていくので、鮎をたくさん食べる方は出世すると昔からいわれてるんですよ」
ふむ。遠慮して5匹、本当はもうあと3匹は食べられた私はどんな困難があっても乗りきっていけるってことだ、やったー!

こうして、今年初めての私の至福の時間はあっという間に過ぎていったのだった。

と、ここまで鮎がどれだけおいしくて私がどれだけ鮎が好きかを書いてきましたが、“鮎が教えてくれた夜”はこの夜のことではないのです。

話は私がまだ20代前半だったころに遡ります。

その年の夏の終わり、私は新しい映画の撮影で島根県の高津川が流れる小さな町に来ていた。高津川は日本ではもう少なくなったダムのない清流で町は豊かな自然にあふれていた。
当時の私はまだ自分の演技に自信を持てず、このまま進んでいっていいのか漠然と将来への不安を感じていた。

私の役は、その町に住む私と同じくらいの歳の素直で優しい「七海」という名の女性だった。
最初は自分と似ているところもある役なのでなんとかやれそうと思っていたのだけど、うまくできない。七海ならこのときどんな表情をするのかなとか、考えれば考えるほど表面的な演技になってしまい、そんな不甲斐ない自分にひとりで泣いてしまうことも幾度となくあった。それでもなんとか諸先輩方にアドバイスをいただきながら必死でついていこうとしていた。

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そんなある日、晩ごはんに高津川で捕れた天然の鮎が出てきた。私はそれまでにもスーパーで買ってきた養殖の鮎を食べたことはあったけれど、川魚のくさみが嫌で正直あまりおいしいと思ったこともなく、できるかぎり避けてきた魚だった。でもその日は肉体的にも精神的にも本当に疲れていて何も考えられずに出された鮎をただ口に入れた。「えっ、何これ? えっ、鮎?」そこに広がったのは、私が今まで食べてきたものの中で一番おいしいと思えるぐらいの鮮烈な味と香りだった。

その日の夜、布団の中で目を閉じると悩んでいたあるシーンが浮かんできた。
それは七海が祖母に「七海は鮎が食べたくて帰ってきたんじゃろ〜」と言われるシーン。昨日までうまくつかめなかった七海と祖母の気持ちが今ならわかる。あんなにおいしい鮎があるならそんな楽しい会話が自然と出てくる。

「そっか! 今まで私は七海を理解しようとして必死に七海を見てきたけど、それだけじゃダメなんだ。七海が見たり感じたりしてる世界を私も見たり感じたりしなきゃいけないんだ」

次の日の朝、私は高津川に行った。自然が豊かな本当にキレイな川で、ふと透き通った水の中を見ると数匹の鮎が泳いでいくのが見えた。子供のときに遊んだ山の風景とそのときのワクワクした楽しさが、そのときの感情を伴って心と記憶に広がった。

お昼には撮影場所に地元の皆さんがおにぎりを作って持ってきてくれた。そのおにぎりがおいしくておいしくて。別の日の夜には近くの神社にその地方に古くから伝わる神楽を観に行った。その荘厳さに心を奪われ、その美しい舞いをただただ見つめていた。帰りに地元のおじさんが「はい、これあげる」と言って焼きたての焼き芋をくれた。甘くておいしい、ありがとう!
私はいつしか「七海」になっていた。

 

高津川で食べた鮎の夜と、その日から始まる忘れられない体験は私を女優としても人間としてもちょっぴり成長させてくれた。

そして27才になった今もあの日々の大切な思い出は少しも色褪せずそっと私を支えてくれている。

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追記
なんとその映画のお仕事でまた高津川に行けることになりました!
いろんなことを私に教えてくれた高津川やお世話になった地元の方々にまた会えると思うとうれしくて涙がでてきます。
そして夏は鮎の一番おいしい季節! 日本一おいしい高津川の鮎をお腹いっぱい食べまくるぞ!

文・撮影=大野いと 編集=宇田川佳奈枝

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