「素の志村けん」が世間に衝撃を与えた、レッツゴーよしまさのものまね人生|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#20(前編)

若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>

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初めて観た「素の志村けん」は凄まじかった。2022年9月に放送された『2億4千万のものまねメドレーGP』(フジテレビ)に突如として現れたレッツゴーよしまさは、まるで志村けんが現前したかのような極上のものまねを披露した。

いまだ喪失の悲しみが色濃い志村けんのものまねに、スタジオの芸能人たちはもちろんのこと、日本中が笑いながら感動した。

そんな彼がものまねに出会ったきっかけも、実は志村けんだった。昭和のお笑いと昭和歌謡に魅せられたよしまさ少年は、中学時代にものまねに出会い、教室の隅っこから、人前に出るようになった。

会社員とものまね芸人の二足のわらじを履くまでに至ったヒストリーを、さまざまな“初舞台”を振り返りながら、聞かせてもらった。

若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage>
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。

文化祭でものまね披露。集まったのは保護者だった

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レッツゴーよしまさ

──よしまささんは2022年9月、『2億4千万のものまねメドレーGP』に出演し、「ひとりドリフターズものまね」、特に「素の志村けん」で一躍注目されました。ものまねキャリアは長くて、人前でものまねをしたのは学生時代の文化祭だそうですね。

よしまさ そうですね。プロとしてやるのは大学生からですが、ステージに立ったのは中3の文化祭が初めてです。教室一個使って、セット組んで30分のワンマンショーでした。お客様入れ替え制で3回まわし。

──3回もやって、毎回人は集まったんですか?

よしまさ それが集まったんですよ。ものまねする学生なんてほかにいないから「いったい何が始まるんだ」ってことで、僕の知らないほかの学年の生徒たちまで集まって。でも彼らは気づいたらいなくなり、保護者の人ばっかりに(笑)。

──昭和歌謡がレパートリーだから。

よしまさ はい。城みちるさん、あいざき進也さん、野口五郎さん、小柳ルミ子さんとかですからね。申し訳程度に福山(雅治)さんとか『千の風になって』(秋川雅史)、コブクロもやってましたけど(苦笑)。

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──コブクロも、もちろん両方?

よしまさ はい。サングラス取ったり外したりして。あのときから二度とやってないです(笑)。でも、自分がずっと好きだった昭和歌謡ものまねをやりたい一心で、同級生にウケようなんて少しも思ってなかったんですよ。友達と行ったカラオケでやっても、誰もわからないですしね。学園祭なら大人には見てもらえるなと思ってて、腕試し感覚でしたね。保護者の方たちのリアクションを見て、「このネタはイケるんだ、これはイケないんだ」って判断して。

──結果、保護者には大ウケだったと。

よしまさ 気づいたらファンみたいな人まで現れてました。母親も保護者会行くと、知らない保護者の方から声かけられて、「あの人、誰のお母さん? 私知らないんだけど……」っていうことがよくありましたね(笑)。

──よしまささんは、そもそもなぜ昭和歌謡にハマったんですか。

よしまさ 小学生のころに最初にハマったのは昭和のお笑い、ザ・ドリフターズの番組なんです。父が好きで家に番組のビデオがたくさんあって、僕も自然と好きになったんですよ。いろいろ繰り返し観てると、コントとコントの間でアイドルが歌うじゃないですか。あと、志村さんの番組だと、コントのBGMやギャグに歌謡曲がけっこう使われていて。それで昭和歌謡にも自然と詳しくなっていきました。

──まわりの子供がアニメやゲームに熱中するなか、昭和にどっぷり。

よしまさ アニメとかゲームはあんまり興味なかったですね。父も「好きなことは徹底的に突き詰めろ」という教えだったんで、ずっと昭和のビデオを観てましたよ。思えば、志村さんもそういうタイプでしたね、コントひと筋。その影響はすごく受けてると思います。ただ、僕は埼玉県出身なんですけど、「子供のうちから最先端のものに触れろ。東京に行け」と言われて中学受験だけはちゃんとして、学習院に入りました。

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──ものまねにハマったのは中学時代だそうですね。

よしまさ はい。テレビで偶然、なかじままりさんの芸を観たのがきっかけです。志村さんが出る保険会社のCMを録画するために録っていたものまね番組を、たまたま夏休みに暇つぶしで観てたら、まりさんが出てきて。それがもう衝撃的で……。

──ちょっとすみません、そもそも志村さんのCMを録るためだけに、番組を録画してたんですか。

よしまさ そうです。志村さんの出てる映像は全部集めようとしてましたから。だから、そもそも志村さんがいなかったら、ものまねにも出会ってなかったかもしれないです。それで、中学時代は部活も入ってなかったから、下校して家に帰ったらドリフやものまね番組を繰り返し観る毎日でしたね。

「ものまねがしたい」という欲に突き動かされてきた

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──話を戻すと、初めて観たなかじままりさんのどこに衝撃を受けたんですか。

よしまさ 「元を知らないのに、こんなに笑えるってなんなんだ」という衝撃ですよね。そのとき、まりさんがやったのは、70年代アイドルの伊藤咲子さんだったんですが、もちろん僕は知らなくて。でも、デフォルメしまくりでめちゃくちゃおもしろいんですよ。それでものまねにドハマりして、自分でもやるようになりましたね。中学時代は、先生のものまねを教室でコソコソやってて。先生のものまねはコンプリートしてましたね。

──まさか学校中の先生ですか?

よしまさ はい、全員やってました。違う学年の先生はもちろん事務員の方まで。

──そこまでいくとすべての先生を観察するのも難しいですよね。特徴をつかむために取材というか、先生に話しかけたりするんですか。

よしまさ そこまではしないですね。顔まねも、足音のものまねもありますし。先生がスリッパをちょっと引きずって歩く感じをやってみたり。そういう細かい要素を入れると、友達が笑ってくれたんですよね。

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──ブレイクのきっかけになったドリフターズ全員ものまねもそうですけど、よしまささんは徹底的にやる人なんですね。

よしまさ 僕のスタイルは「とりあえずやってみる」なんです。やり続けると、意外とそれっぽくなるんですよ。なんでも「できるか、できないか」は置いといて、やってみる。「ものまねがしたい」という欲に突き動かされてるだけですけどね。

やりたくなるきっかけって、たいてい違和感を感じたときなんですよ。「先生のプリントの配り方が変だな」と気になると、もう衝動的にしたくなってしまう。人の「変だな」というところを敏感に感じ取ってしまうんでしょうね。まぁ、人が触れられたくないようなところを突くことになりますから、僕は性格がひねくれてるんだと思います(笑)。

──先生に怒られませんでしたか?

よしまさ バレないようにコソコソやってましたから(笑)。ただ、卒業式のあとの謝恩会で一度だけ披露しました。謝恩会は「ホテル椿山荘」であったんですけど、先生も保護者もバーっと集まってて。そこで初めて「先生メドレー」をやったらご本人たちにもバカウケで。すごく気持ちよかったですね。

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──昭和歌謡ものまねは、どうやって披露してましたか。

よしまさ 友達とのカラオケで歌ったり、自宅で録音してCD-Rを焼いて友達に配ってました。

──聴いてくれるんですか(笑)。

よしまさ はい。でも「似てるかどうかはわからない……」って困ってました(笑)。

──若いから、わざわざ元ネタを聴くまでには至らない。

よしまさ でも大人になってすごく感謝されましたね。「接待カラオケ行くと、お前のおかげで歌えるレパートリーが多くて助かるよ」って。平成生まれの人が知ってるわけない歌ばっかり歌ってましたから(笑)。

なかじままりのスケジュールを全把握する中学生

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──もともと目立ちたがり屋でしたか?

よしまさ いや、真逆です。人前で何かするなんて絶対あり得ない。教室の隅で絵を描いてるようなタイプです。

──そんな子供がいきなりものまねをやるのがおもしろいですね。

よしまさ 性格までまりさんの影響を受けたんだと思います。まりさんの伊藤咲子さんのものまねって、めちゃくちゃ明るいんですよ。実際、まりさんもすごく明るい方で。自分とは真逆の性格だったので、極端に影響を受けて、明るくなりましたね。

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──そういえば、よしまささんのYouTubeチャンネルは昔、なかじままりさんがネタを上げていましたよね?

よしまさ そうですね。もともと僕は、中3のときにまりさんのファンサイトを立ち上げるような“おっかけ”だったんです。その流れでまりさんに「これからはYouTubeで新ネタ見せたらいいと思うんですけど。撮影も編集も僕がしますよ」とお願いしたんですよ。まだYouTuberなんて言葉もなかったのに、まりさんも優しいから「いいよ〜」ってやってくれて。

2012年、なかじままりと語らう立川義将(レッツゴーよしまさ)

──中3にしてプロの方と関係性を築くってすごいですね。どうやって関係ができたんですか。

よしまさ たまたま父の知り合いがものまね番組のプロデューサーをしていたんで、頼み込んで収録を見学させてもらったんです。そこでまりさんにご挨拶させてもらったとき、「まりさんの最新情報をチェックできるホームページがあったら便利だと思うんですけど、僕が作ってもいいですか?」と頼んだんです。そしたらまりさんが普通にスケジュールを共有してくれるようになって(笑)。

──ひとりのおっかけが、あっという間にスケジュール情報まで握った(笑)。

よしまさ そうです。今思うとすげぇ中学生だな(笑)。それからまりさんには、カラオケでネタ見てもらってアドバイスいただいたり、イベント会社さんを紹介してもらったりいろいろお世話になって。早着替えのやり方も教えてもらいましたね。

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──まりさんのもとで学んだよしまささんの、プロ初舞台はいつですか?

よしまさ ギャランティをいただいたのでいうと、大学入ってからですね。地元のロータリークラブの宴会の席でした。レパートリーは今とほぼ変わらないです。ドリフがないくらいかな。そのあともショーパブや営業でやってましたね。

でも当時でよく覚えてるのは、地元の夏祭りですね。川口のオートレース場ですよ。市民ステージがあって、最初は「まりさんの大ファンなんです」と言って応募して出してもらったんです。それで5年目には土曜日のトリを僕にしてくださってね。しかも、日曜日の大トリはまりさんにしてくれたんですよ! 運営の方がそういう粋なことをしてくれてうれしかったですねぇ。

初テレビ出演の運命とドタバタ

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──テレビの初出演はいつですか。

よしまさ 2012年5月3日放送、TBSの『激突!ものまねウォーズ』ですね。ゴールデンでは2回で終わっちゃった番組ですけど。

──ものまね対決番組といえば、フジテレビの『ものまね王座決定戦』と、日本テレビの『ものまねバトル』のイメージが強いですが、TBSでもやってたんですね。

よしまさ あったんですよ。司会はチュートリアルさんと久本(雅美)さんでした。この初めて出た番組がTBSだったのにも個人的に運命を感じていて……。ちょっと遡るんですけど、中学に上がるか上がらないかという時期に、『バカ殿』(『志村けんのバカ殿様』/フジテレビ)の収録現場を見学させてもらったことがあるんです。

──なかじままりさんに続いて、すごい話ですね(笑)。

よしまさ これも父の知り合いに頼んだんですけど……。で、その志村さんを見学したスタジオと『ものまねウォーズ』のスタジオが同じ場所だったんです、砧のTMCスタジオ。憧れの志村けんさんと同じスタジオで番組収録できて感慨深かったですねぇ。

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──どんなネタをしたんですか?

よしまさ 雅夢の『愛はかげろう』ですね。1980年の曲なんですけど、ふたり組で、僕はボーカルの方をモノマネしてて、うしろからご本人が登場されて一緒に歌えました。

──いきなりご本人と。

よしまさ そうなんですよ。初出演でいきなりご本人登場していただいて感謝しかないです。

──数あるレパートリーからそれに決めた理由は?

よしまさ 打ち合わせでいろんなネタを見てもらった上で、「じゃあ雅夢でお願いします」とオファーいただいたんです。だからもしかしたら、先にご本人がキャスティングされていて、それに会う芸人として僕も呼ばれたのかもしれないですね。

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──当時はもう社会人でしたか。

よしまさ 放送のときは社会人になってましたね。でも収録は3月で、そのときは入社前の研修期間で大阪に滞在してたんですよ。収録日はたまたま休みだったんですけど、翌日が入社式だったんです(苦笑)。会社には「1日だけ東京帰らせてもらってもいいですか?」と頼んで、番組のほうには「明日入社式なんで、途中で抜けてもいいですか」とお願いしましたね。なので、せっかく思い入れあるスタジオで収録だったのに自分の出番が終わったら即抜けて、新幹線に飛び乗って新大阪でした(笑)。

──会社も理解してくれてすごいですね。

よしまさ 面接の段階で「ものまねはプライベートでやるんで、両立させます」と説明した上で入社させてもらいました。僕自身、ものまねをやらせてくれることは条件でした。

──それから10年経ってブレイクされましたが、その期間はどう過ごされていましたか。

よしまさ 名もなきものまね芸人として淡々とやってました。別にものまねで食っていくつもりもないので、仕事は仕事でちゃんとやって、休みの日に淡々とものまねして。それだけで幸せでしたね。

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──とはいえ、ステージに出続けるためには、ほかの芸人と競い合うわけですよね。

よしまさ たしかにテレビは落ちまくってて、ほぼ出てないです。ただ、普段のステージや営業は「ギャラなくてもいいです」って言ってたんで、わりと出させてもらってました。交通費だけ実費で負担していただけたらタダでやりますって。「そんな人いないよ」って言われてましたね。

──本業があるからこその強みですね。

よしまさ イベンターさんが僕のことをいくらで売ってたかはわからないですけど、僕は全然いらないですよって。本業のものまね芸人より高い衣装着てるのにノーギャラでやってました。だから挫折とか苦労のエピソードはないんですよね。ただただ楽しくものまねさせてもらってましたよ。

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文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平、田島太陽

レッツゴーよしまさ 1989年5月17日、埼玉県出身。アミューズメント会社に勤務しながら、ものまね芸人として活動する。レパートリーは昭和歌謡とドリフターズ。2022年9月、『2億4千万のものまねメドレーGP』に出場し、「ひとりドリフターズものまね」を披露する。『ものまねのプロ216人がガチで選んだ いま本当にスゴい!ものまねランキング2023』(テレビ東京)では61票を集め、1位に輝いた。

【前編アザーカット】

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【インタビュー後編】

ものまね番組を全制覇してもマイペースに──レッツゴーよしまさのものまね愛|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#20(後編)

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