期待のコンビとして順風満帆なスタートだったコットンの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#19(前編)

若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>

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最初に組んだコンビのまま、大成する芸人はそう多くはない。

『キングオブコント2022』で準優勝し、テレビ出演も着実に増え、今乗りに乗っているコットンも、最初は別々のコンビだった。

元アナウンサーで、NSCのスターだった西村真二と、同じく陽キャで一途な男きょんは、芸人としてどんな初舞台を踏んだのだろうか。改名前のラフレクラン時代よりもっと前の、芸人としての第一歩を聞いた。

若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage>
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。

「同期にはほとんど興味なかった」(西村)

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左から:西村真二、きょん

──おふたりは2011年に東京NSCに17期生として入学されましたが、最初は違うコンビだったんですよね。

きょん そうですね。僕の一番最初のコンビは……やべぇ、なんだっけ。ど忘れした!

西村 はちみつ神社じゃない?

きょん いや、もっと前に……あ、思い出した。エントランスです。エントランス→はちみつ神社→オリオンステーション→ラフレクランでした。思い出せてよかった〜(笑)。

──きょんさんが芸人として初舞台を踏んだのは、エントランスのときになるんですか。

きょん いや、エントランスはお客さんの前でやる前に解散しちゃってて。ただ、人生初のネタ見せは、エントランスでしたね。ネタやるのに必死で、緊張しまくってました。

──ネタ見せってどんな雰囲気なんですか。

きょん 同期はもちろん笑わないですし、一個上の先輩がスタッフでいて、目の前にはテレビで活躍されてる放送作家さんがいて、「早く終われ!」って思いながらやる感じでした。なんのネタだったかな……刑事ネタだった気がします。漫才コントみたいな本当ベタなやつでした。

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──西村さんは、広島ホームテレビにアナウンサーとして3年勤めてから、NSCに入られた。

西村 そうですね。僕は幼なじみの桜井(智宏)と入って、ロッキングサンっていうコンビを組んでました。ただ、当時の相方が5月に入ってきたんで、僕は4月中はネタ見せできなくて。なので、相方が入ってきたときは、満を持してネタ見せっていう感じだったんですよ。僕が元アナウンサーで、相方もテレビ局でADやってた人間だし、まわりより大人だったんで、妙に期待値が上がってて。

──そのときはどんなネタを披露しましたか。

西村 きょんと真逆で、ベタなボケを嫌ってて、センス系でやってましたね。竹内まりやさんの曲(「すてきなホリデイ」)の「クリスマスが今年もやって来る♫」のリズムがまったく思い出せない、みたいな。悪く言うと、東京の雰囲気系ですよね(苦笑)。先生からも「やろうとしてるお笑いはわかるんだけど、技術がまったく伴ってない」って言われました。

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──おふたりが互いの存在を意識したのは、いつごろでしたか。

きょん クラスが違ったんですけど、僕はにっくんの存在は出会う前からずっと知ってて。というか、NSC生が700人くらいいましたけど、にっくんのことは誰もが知ってました。授業の合間にすれ違うと「あいつが元アナウンサーだよ!」「かっこいいね……」って感じで。しかもロッキングサンは、幼なじみコンビで、高校野球でもバッテリー組んでて、ストーリー性がヤバかったんですよ。

西村 背番号1番と2番でしたね。

きょん ロッキングサンは「絶対売れるなー! いいなー」っていう存在でしたね。

──それだけチヤホヤされると、西村さんも調子に乗っちゃいませんでしたか。

西村 いや、冷静でしたね。まわりより先にいったん社会に出てるし、僕も当時の相方もテレビの世界にいたから、自分たちの位置を把握してたんです。当時、同期にはほとんど興味なかったです。こんな小さい世界で比較し合ってもしょうがないなと思ってたんで。

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──西村さんがきょんさんを認識したのは?

西村 演技選抜で一緒になってからですね。同期700人の中で、演技選抜の1軍に12人選ばれて、その中にふたりともいて。

きょん そこで打ち解けましたね。

西村 ご存じのとおり僕は「俺、西村っていうんだ。よろしくな!」っていうタイプですけど、きょんも陽キャで「俺のこと“きょん”って呼んでよ!」っていう人間だから気は合いましたね(笑)。

「初舞台は会場全体が沸いてうれしかった」(きょん)

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──お客さん前での初舞台は覚えてますか。

きょん 2011年の夏くらいですね。そのときはもうオリオンステーションっていうコンビでした。

──エントランスとはちみつ神社は短命だったんですね。

きょん そうですね。エントランスとはちみつ神社で組んでたふたりは、少し投げやりな感じもあって、結果的にNSCで辞めちゃったんですよ。でも、オリオンステーションを組んだ仲嶺(広伸)は、すごくやる気があって、波長が合いましたね。初舞台もめちゃくちゃ緊張したけど、ウケたんですよ。地元とか大学の友達もけっこう見に来てくれましたけど、そこだけの内輪ウケじゃなくて、会場全体が沸いていて。あれはうれしかったですね。

──いい船出を切ったのに、そこも解散してしまった。

きょん NSCでの成績もどんどん上がっていったんですけど、ネタをやるにあたって、相方とのテンポ感がどうしても合わなくなっていったんです。本当に0.5秒の世界の話なんですけど、そこのすれ違いが埋められなくて、「これ違うのかな……」って気持ちが少しずつ大きくなって……。当時、僕、ツッコミだったんですよ。

──そうだったんですか!

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きょん 今じゃ考えられないですよね(苦笑)。ただそれもツッコミがやりかったわけじゃなくて、相方のボケの間が悪いから、ツッコミでカバーする作戦だったんです。なので、フリボケに対してツッコミボケみたいな感じでした。そんな感じでうまく噛み合わないまま、卒業直前の2月に『NSC大ライブ(TOKYO〜史上最多1,000人の芸人が本日誕生!?〜)』を迎えたんです。そこで1回戦負けして、このままデビューするのもマズいなと思い、解散しようって言いました。

──きょんさんから告げたんですね。

きょん はい。「実は今までちょっとうまくいかないなと思ってたんだよね。過酷かもしれないけど、ピンとして卒業しようと思う」って伝えました。仲嶺は人としてはすごい好きだったんで、苦しかったですね。芸人やりながら社長業やってるし、子供もふたりいるし、すごい人で。同期のメシ代も全部「カードで!」って払ってくれる、超頼れる人間だったんです(笑)。だから解散するときも「各々がんばろう」って言ってくれましたね。

──西村さんの初舞台はいかがでしたか。

西村 初舞台はそんなウケなくて、「あれ? なんだこの感じ」って戸惑いましたね。

──もっとウケるはずだと思ってた?

西村 はい。おもしろいことはやってると思ってたんで。でも、さっきも言ったようにセンス系で、技術も何もねぇくせに世界観だけ醸し出してたんで、そりゃウケないですよね。

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──西村さんはなぜロッキングサンを解散したんですか。

西村 僕がネタを書いてたんですけど、台本以上のことが起きなくて、ずっとモヤモヤしてたんですよね。ネタ書く側としては、一緒にやることで化学反応が起きてほしいんだけど、ただ台本読んでるだけで、ワクワクしなかった。このままでいいのかなって思ってたときに、相方の遅刻グセだったり、金もないのにバイトもちゃんとしないことに、だんだん腹が立って、僕が許せなくなっちゃったんですよね。

──もともと友人だったからこそ、いろいろ気になってしまった?

西村 そうですね。だから、友達同士でずっとコンビ組んでるヤツはすげぇなと思いますよ。

お笑いのテッペンを獲るために組んだふたり

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──そしてついにラフレクラン結成となるわけですが、西村さんから誘ったそうですね。

西村 きょんと組んだら、うまいことやっていけるかなと思って誘いました。

──きょんさんからすると、同期のスターからの誘いは驚きだったんじゃないですか?

きょん そうですね。そもそもロッキングサンは完璧なコンビだと思ってたので、そこが解散したことにビックリでした。それに僕がツッコミやってたし、にっくんも正統派ツッコミだったので、まさか声がかかるとは思わなかったですね。でも、組もうって誘ってくれたときの相方はすごく熱かったですね。

──どんな感じでしたか。

きょん 初めてサシで水道橋のやるき茶屋に誘われて、もう接待でしたよ。「今日はなんでも食べてよ」って言って、初めてマグロのカマ見せてもらいました(笑)。ただ、僕いろんな人からコンビ組もうって声かけてもらってたんで、ちょっと悩んだんですよ。でも、元のコンビを解散して誘ってくれたのは相方だけだったので、その覚悟が素敵だなと思って、にっくんと組みました。

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──誘われた日のうちに組みましたか。

西村 いや、その場じゃないんですよ! 今となっては、「なんでその場で決めてくんないんだよ」ってぶん殴ってやりたい。

きょん ちょっと申し訳ないですけど、時間かけて選ばせてもらいました。よりどりみどりのビュッフェから、1品だけ選ぶの大変ですから。

西村 いや、正直そこの連中と比べられてたのかと思うと、ちょっと腹立たしいですね。

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きょん 当時はあの世界がすべてで、みんなおもしろかったですから(笑)。3日くらい待ってもらってて、その間もにっくんからはすごい長文のメッセージが来てました。最後に「お笑いのテッペン、一緒に獲りに行こう」って締められてて。これもちょっとしばらく返さなかったですけど(笑)。

西村 「何を値打ちこいとんねん」と思いましたね。

きょん でも、お互いに選択は間違ってなかったね。

西村 いや、フタを開けてみたら、めちゃくちゃ世話が焼ける相方でびっくりですよ。あんなに頭下げて組んでもらったのにな。

ラフレクランを組んで、「売れたね」と言われた

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──ラフレクランとしての初舞台はいつになるんですか。

西村 コンビ組んで2週間後くらいでしたね。

きょん NSC卒業生が集まって、動画で撮ったやつだ。お客さんはいなかったよね。

西村 うん。最初僕らコントじゃなくて、漫才だけやってたんです。どっちがツッコミかボケかもあやふやなのに、ボケとツッコミを入れ替えるネタやってました(笑)。

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──お客さんの前で初めてネタをやったのは?

きょん ホール一発目は、5月ですね。

西村 当時のランキングシステムとして『ゲッキンライブ』っていうのがあって、その同期バージョンでしたね。17期の中でテッペン取ったコンビは、ランキングシステムでほかの組より一個上のランクから始められる特典があって。そのときはもうセンス系とか、ボケツッコミ入れ替えるネタはやめて、しっかり型の決まった漫才をやったんですけど、そしたら僕ら優勝したんです。

きょん 「スマートなキスがしたい」だよね。「あのさ。僕、スマートなキッスが、したいんだよねぇ」って。なんか知らないけど、僕がねちっこい言い方をするんですよ(笑)。

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西村 なんかそんなだった気がするなぁ。「じゃあ遊園地デートがいいんじゃない?」って提案して、コントインする。

──組んで間もないコンビの快進撃は、注目されたんじゃないですか。

西村 たしかに反響はありました。オリオンステーションとロッキングサンのふたりが組んだって、NSC17期っていう小っちゃい世界では、けっこうなニュースでしたから。「売れたねぇ」って言ってくれる人もちらほらいたぐらいで、実際、そこからしばらくの間、ラフレクランは順風満帆だったんですよ。

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文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平、田島太陽

コットン
20124月、ラフレクランとして結成。西村真二(にしむら・しんじ、1984630日、広島県出身)と、きょん(19871118日、埼玉県出身)のコンビ。『ABCお笑いグランプリ』では、2017年から4度ファイナリストになり、2019年には『NHK新人お笑い大賞』で優勝を飾る。20214月、『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日)への出演をきっかけに、コットンに改名。翌年、『キングオブコント2022』で初めて決勝進出し、準優勝。

【前編アザーカット】

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【インタビュー後編】

挫折を乗り越えて再びブレイクスルーを果たしたコットンの次なる夢|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#19(後編)

 

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